渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

日記

2003年12月31日 | 内的独白

日記というものは本来自分だけが読むものだろうに、ネットにアップする
日記は人様が読むのだということを想定しないといけないのだろう。
僕が書かないでいるまま日にちがたって、カウンターが少しでも上がって
いると、なんだか読みに来てくれた人に申し訳ないような気がする。
「日記を読んで・・・」と綴ってくれる方がいるとなおさらだ。

今年一年を振り返ると、様々なことがあった。
今まで生きてきた中で最大の転機というか、凝縮された時を与えられた。
いろいろ考えるきっかけを与えてくれた人々に深く感謝したい。
ネットでもリアルでも、触れ合えた人に感謝したい。
ことばの向こうを探している僕が、ことばに翻弄されてしまうつたなさを
振り返るとき、あらゆる面で自分の至らなさに忸怩たる思いに包まれ、
とても恥ずかしくなる。

いろいろなことがあったが、来年以降はきっともっといいことが待っている
に違いない。
と思う。多分。

とりあえず、長くて短かった2003年ともおさらばだ。
先日観た映画の中での台詞が、僕の頭の中でエコーがかかったように、
リフレインしている。

『時は過ぎていくものではない。やってくるものなんだ』


この記事をはてなブックマークに追加

火事と火傷とジャンゴとステファン

2003年12月26日 | 内的独白

今宵の三日月。よく見ると、丸い月の姿が透けて欠けている部分に映る。
月食のような月。

日中の仕事を終え、20時からの打ち合わせまでの間、CDを買いに行く。
タワーレコードでジャンゴ・ラインハルトの輸入盤等を4枚購入。
ジャケットには、スーツにくわえタバコで、アーチトップギターを抱きか
かえて節目がちに微笑んでいる有名な彼の写真。
ただ、この写真、多くのアルバムに使われており、写真だけでアルバムの
特定はできない。
18歳のときの居住テントの大火事で動かなくなってしまった左手の指が
大きく写っている。
その火事の後、彼はすぐに病院に駆け込んだが、医師は彼の手を
「切断するしかない」
と診断した。
彼は病院を抜け出して、ヨーロッパを移動するジプシーキャンプに戻り、
必死のリハビリをした。
幼くして既に天才的な演奏をしていた彼にとって、18才の時に左手が動か
なくなってしまうことは、どれ程の失意の底に落とされたことだろう。
しかし、彼は鉄の意志と執念でリハビリをし、約1年半後に、左手は人差し
指と中指しか動かなくなったのに、驚異のギター奏法を身につけて蘇った。
そして、その後の歴史で多くの著名なギタリストたちに大きな影響を与える
演奏をしていく。
ベルギーで生まれ各地を転々とするジプシーだった彼は、彼と全く生まれ環
境も異なる裕福な家庭で高等教育を受けて育ったステファン・グラッペリと
出会い、ステファンのバイオリンと合奏することでその才能が実を結ぶ。
だが、彼の弦楽クインテットは、あまりにも斬新すぎて、最初の頃は全く
日の目を見なかった。
それまではギターはバンドの中ではリズムを刻む伴奏楽器でしかなかった。
それを弦楽多重奏で、リズムを刻むギターに合わせてソロギターでメロディ
ラインを弾くという今までにない演奏を世界で初めて実演したのがジャンゴ
だった。
ホット・クラブ・オブ・フランスでの活動が米国の音楽関係者の目にとま
り、彼らは世界の二人となっていく。
彼らの蜜月はナチの迫害を逃れてステファンが米国に脱出するまで続いた。
ナチにとってジプシーは抹殺の対象だったが、ジャンゴの演奏はナチをして
彼を殺害せしむることさえも止めさせた。
幸か不幸か、戦後再会した二人には、1930年代のあの演奏は再現できなかっ
た。
別れて暮らすうちに、求める音の方向性も別れてしまったからだ。


この記事をはてなブックマークに追加

クリスマス

2003年12月25日 | 内的独白

世間ではクリスマスらしい。
日付変更線がこの星にはあるらしいから、日本と同日の国では、
クリスマス。
でも、ケーキを食べる日ではない。
プレゼントをサンタさんからもらう日でもない。
きょうはクリスマスなのだから。

仕事で移動中、高速道路が事故渋滞だった。
ピタリと動かない。
駐車場状態です、これは。
挙句、先のインターチェンジで下ろされた。
高速道閉鎖するほどの事故だったのかしら。
すると・・・下りた一般道でも事故渋滞。
数キロ進むのに3時間かかった。。。

高速は仕事で毎日のように使う。
数年前、数百メートル前のバン車がいきなり横転して、タイヤとか部品が
すっ飛んできたことがあった。
それを避けつつ横転した車のそばにスローダウンしていくと・・・・
周りの通行車はそのまま事故車の横を通り過ぎていく。
俺はすぐに車をそのバンの数メートル後ろに停めた。
中では赤ちゃんを抱いた母親が必死に外に出ようとしている。
俺は「引火するな」と願いつつ駆け寄った。
横転した車の上に乗り、ドアをこじ開けてどうにか母子を外に出した。
運転席の父親もどうにか引きずり出した。
幸い、赤ちゃんも無事、両親もかすり傷程度のようだ。
俺はすぐに自車の発炎筒を置いて車線規制をして後続車を誘導した。
死人が出なくてよかったです。ホント。

苦しい試練のときも、どうか心は健やかにあられますよう。


この記事をはてなブックマークに追加

その。なんだな

2003年12月24日 | 内的独白

仕事が忙しいと、何書いていいのか、感性が摩滅の一途だな。


この記事をはてなブックマークに追加

休日らしい休日--その2

2003年12月23日 | 内的独白

南澤大介 アコースティック・ソロギター「枯葉」。
彼独特のアレンジによる枯葉。
マーティンD-35でも弾き方によって、ジャジーな音のしらべを紡ぎ出せる
見本みたいな感じ。

江部賢一 アコースティック・ソロギター「枯葉」。
これはアーチトップギターの音でしょうか?
後半からの4ビートでのベースランしながら主旋律と和音を出すのがどう
しても今の俺にはできない。
なんて、ギターが下手なんだろう、俺。
ギターを弾けるようになりたい。

吉田次郎 アコースティックギター重ね録り「枯葉-間奏練習1」
吉田次郎 同「枯葉-間奏練習2」
これ、練習曲?
特に練習2の方は譜面もないので、例によって耳コピーしようとするが、
耳コピーできても、ギターが弾けないことに気づく。嗚呼。

内田勘太郎 茶木アーチトップギターによるソロインストアルバム
『チャキシングス』。
もうギター放り投げて、聴き手の側に回って逃げに入っている。

「ムーン リバー」
茶木の音が出てる出てる。

「スターダスト」
このアルバムの中で一番長い曲。
ギター弾くときのすこし微笑みがちなあの彼の顔が目に浮かぶ。
これ、多分、多分だけど、アドリブでしょうね。彼独特の。

「青い影」
茶木のコードラン(おお。これならできるぞ。笑)に同じ茶木でスライド
奏法を重ねて録音している。
彼のボトルネックはカルピスのビンの首。しかも、フルーツカルピスの透明
もの。
この曲は、俺個人としてはとってもとっても思い出が深い。
思い出せない遠い記憶。。。
原曲はプロコル・ハルムのヒット・デビュー曲だ。
彼はハモンドオルガンを使っていたが、勘ちゃんのスライドギター絶品。
アルバムの中では一番好き。

「谷間のともしび」
これまたアルペジオ(おお。これならできるぞ。笑)とスライドを重ねる。
原題は
When It's Lamp Lightin' Time in the Valley
という有名な曲。
なんか、これ聴いていると、嫌なことなどどうでもよくなってくる(笑)

それにしても、アルバム『Chaki Sings』。
ジャケットの写真、ブルー調の空気のイメージ。
裏路地なのに暗さが微塵もない。
屋根の向こうに見える青空。
道の真ん中に猫が伏せている。
壁に立てかけられた茶木のギター。

中の写真も茶木への思い入れがたっぷりの写真たち。
決めた。
これ、プレゼントにしようっと。


この記事をはてなブックマークに追加

未来への会話

2003年12月22日 | 内的独白

真に終わった関係を表面上保つのは非常に辛いものがある。
帰れるところがある人は、それだけで幸せだと思う。
待っててくれる人がいることは、それだけで幸せだと思う。
帰れるところがあって、そこに帰れば必ず待っていてくれる人がある人は
尚更幸せだ。
そっけない会話にならない会話が繰り返される毎日。
対話も会話もすべからく成立しない世界。
俺もいささか疲れ果てている。

ジョー・パスのガット・ギターで奏でるソロギター「枯葉」。
ギブソン175ESをアンプラグドで弾いていたアルバム「バーチュオーゾ」と
全く違う静かな音色の連なり。意外なパスの一面。
最愛の妻に捧げたという「ソング・フォー・エレン」はあえて聴くまい。

オスカー・ピーターソンの「枯葉」。
1972年11月4日アムステルダムでのソロピアノのライブ・テイク。
これは音が多すぎる。まるで、しつこすぎて全編聴くのに心構えが必要な
世間で評価の高いパスのバーチュオーゾをピアノで演ってるみたいだ。

「Chaki Sings」内田勘太郎。
現役引退していた愛器Chakiをレコーディングのために引っ張り出してきて
音を残したアルバム。
俺のギターと同じとは思えない程、音が自由に繊細にそれでいて力強く
踊っている。
勘太郎の手にかかるとじゃじゃ馬のChakiが、実に素直にしおらしく本来
の音を自由にのびのびと放つ。

ウイントン・ケリー「枯葉」。
絶頂期のウイントン・ケリー・トリオによる最高傑作とされるアルバム。
結局、ケリーのピアノがどうしてもたまらなく良い。
「カーネギーホールのマイルス」吹き込み直後にリズム・セクションだけ
でレコーディングされた名セッション。
セッションはかくありたい。
音で表す対話と会話。相互に認め合う主張。融合。自我と共生。
やはり、俺の落ち着き先はここか。


この記事をはてなブックマークに追加

メビウスの輪

2003年12月19日 | 内的独白

朝、歩いていたら雪が降ってきた。
1時間後には、さんさんと陽が照っていた。
気まぐれな天気に翻弄される間抜けな蛙。
夢のかけらを一人で受け取ったよ。
あまりにも素敵なんで、自分でもびっくりしてしまった。
渡されるとき「おめでとうございます」と満面の
笑顔で言われた。

悲しい。。。


この記事をはてなブックマークに追加

うたた寝で目が覚めた (12/16pm11:50)

2003年12月16日 | 内的独白

明石からの仕事の帰り、疲れたのか高速道路のサービスエリアで
1時間ほど眠ってしまった。
変な夢見て目が覚めた。

僕は絽の紋付を着ている。下は仙台平。
コインロッカーの前にひとりで立っている。
ロッカーを開けると、そこには緞子の刀袋に収まった短刀があった。
持つとものすごく重い。片手で持つのがやっとの短刀。。。
あとは、本(なんだろう)と、数点の袋。
本は図書館への返却のためにこのロッカーに投函(?)されたものだ。
ロッカーはポストのように口が開いているようだ。
「お礼」と書かれた紙袋がふたつ。
とろうとしたら、ガサリと動いて下に落ちた。
はっ、と後ろに飛びのいて退避する。
紙袋からは透明ラップでラッピングされたマムシが2匹飛び出す。
くねくね動いている。頭が四角い。
もうひとつの紙袋からもマムシが飛び出した。
やはりラッピングしている。
周囲から悲鳴が聞こえる。
「きゃー」
僕は蛇が大嫌い。
ところがつま先でツンツンしようとした。
(このときは袴でなくズボンだった)
「危ない〜〜」
周囲から声が漏れる。

某人気ホームページが復活していた。
そのコンテンツのひとつの冒頭に
「どう?長文は」
という渓流詩人の書き込みがある。緑色の文字だった。
トップにはサイト復活についてサイト管理者の簡単なコメントがあった。
そして、管理者の家族の長い文章がそれに続いていた。

(だ、だめだ。
  サービスエリアからこれ書いているけど、書きながら数秒間?意識が
  途切れ途切れになりながら書いている。 )


この記事をはてなブックマークに追加

夢 (変な夢見て目覚めた朝 12/16am4:50)

2003年12月15日 | 内的独白

少年がいる。
少年と呼ぶにはいささか不釣合いな19歳の、男とも男の子とも呼べない年齢。
少年は小さなカヌーで各地の川と沿岸を巡って日本全国を回る旅を続けて
いる。
それを私が連載の取材で追いかけている。
少年が私の自宅のそばまでやってきた。
私の住まいは大きな流れの川のほとりにあった。
私は取材を兼ねて、少年を自宅に招いた。
自宅では私の旧友たちが酒盛りをしていた。
少年はしばしその輪に入る。
私は少年に質問する。
「今までカヌーで旅して一番印象に残った風景は?」
少年は考えながら答える。
「そうですね・・・。都心部の川沿いに、たくさんの野宿者のテントや
 ダンボールがあって、それがひとつの風景として違和感がなかったこと」
「そうした野宿者を見てどう思った?」
「ええと。僕には帰る家があって、そこにはパパもママもいるけれど、
 あの人たちはどこに帰るのだろう、と」
やがて少年は皆に別れを告げ、出立しようとする。
私が質問を続けようとすると、なぜか古い友人がそれを遮った。
どういう訳かその友と掴み合いになる。
私は友に言う。
「頼む。取材させてくれ。これが俺の最後の仕事なんだ。どうしても原稿を
 社に送らなければ」

友の手を振り切って、少年が立とうとカヌーを泊めてあるところまで私が
駆け寄ったとき、冷たい雨が降ってきた。
少年は震えている。
「きょうはうちに泊まっていったらどうだい?」
私は声をかけるが、少年は幼子のような笑顔をみせてかぶりを振る。
「いいんです。雨には慣れていますから。でも・・・」
装備はしているものの、いささか寒さの方が勝っていることを私は少年の
仕草から感じ取った。
「少し待っていなさい」
私は家に冬山用の防寒着を取りに帰った。
「これを持っていきなさい。それと、これ」
大きく握った握り飯が数個入った包みを渡した。
少年は礼を述べた後、ゆっくりと漕ぎ出していった。

私はそれをじっと見ている。
その時、私が脇に抱えていた取材の原稿作成用ノートパソコンとデジカメが
するりと手を離れ、ドプンと低い音を残して川に沈んでいった。
私は、一瞬だけ「わっ」となったが、なぜかすぐに心が落ち着いた。
私は、成し遂げられなかった自分の最後の仕事への惜別よりも、小さくなっ
ていく少年の後姿をずっと見守ることに安堵感を覚えた。
雨はいつの間にか雪に変わっていた。


この記事をはてなブックマークに追加

セッション

2003年12月14日 | 内的独白

セッションの面白さは、それぞれ各自の持ち味が出たり引っ込んだりして
それが溶け合ってひとつの音の奔流となっていくこと。
自分だけ主張したがりがひとりでもいると、ドッチラケとなってしまう。
周りの空気を読みながら押したり引いたりの音の重なりとハーモニーが
まるっきり崩れていくからだ。
JAZZメンたちの唸らせるアドリブでのジャムを見たりすると、それぞれが
ただただ自己主張するのでなく、出るところは出て引くところは引くとい
う緩急を心得たところに妙があるような気がする。
これは、演奏の技量とは別次元の人的資質のようなものだろうか。
動と静の音の調和。
指揮者も譜面も存在しない自由な音の重なりであるだけに、難しい。
自制と主張。
それを自らの中で溶解させられない者は、なかなかよいジャムができない。
ジャムが文字通りオートマチックピストルのジャミングになってしまう。
相手を見ようとしない自己主張だけでは、決してよい音の空間と時間は創出
できない。
まして、素敵な音を奏でる人がいるとなおさら。
セッションは軽やかで重いひとときの恋愛関係にも似て。

ただし、宴会においてはこの限りにあらずか。
でも、花見のドンちゃん騒ぎと同じにしてしまうには、あまりにももったい
ない気がする音を造る時間。
人の声が重なってハーモニーになるが如く、そんな「音」にその人の存在を
乗せて参加者全員が奏でる音を重ね合わせられたなら。
そのときこそ、激しく静かで甘くて、記憶に残る言い知れない一期の音の
空間。
僕は音と結婚したい。


この記事をはてなブックマークに追加

空は青

2003年12月13日 | 内的独白

朝起きて窓から空を覗くと、晴れ。
雲一つない晴れ。
こんな澄んだ空を見るのは、いつ以来だろう。

もり蕎麦を食べる。
2枚もりをふたつ。合計4枚。
やはり更科系の蕎麦が好きだ。

ギターをもったまま街をブラブラ。
東京の地下鉄も変わったのね。
都内をいろいろ散策。
う〜ん。ギターってこんなに重たかったっけ?
ここ6年ほど、いつも車で移動だからなぁ。。。
光の中の席に座って昼間からビールを飲む。

おお。都心は意外と木々が多いではないか。
今更ながらだが、気づいてほっとする。
紅く色づいている葉っぱと黄色い葉。
同じ種の木の葉でも見せる表情は異なる。
地下鉄を乗り継ぎ、地上に出て、真っ青な空をみながら、
坂を上り、住宅街を抜け、都内の道をゆっくり歩く。
歩くことが楽しい。
一本調子でない景色。
地方都市では得られない独特の面持ちが、そこにある。

夜、A地点で楽器を背負ったAさんと待ち合わせ。
B地点で楽器を背負ったBさんと合流。
C地点で楽器を置いてきたCさんDさんと合流。
地点が変わるごとに、ひとり、またひとりと増えて楽しい。

スタジオのドアを開くと、すでに始まっていた。
それぞれの音の世界。
簡単な自己紹介のあと、すぐに楽器をセットして音の輪に加わる。

集まった20名近いメンバーの中に高校時代の友人が3人いた。
10年ぶりの再会。
高校のときからギターのうまかったあいつ。なんだかふけたなぁ。
おい。こっちのおまえ。ひさしぶり!
なんでそんなに太ったんだ?
え。十分の一トン?
なに?俺も高校の時はものすごく痩せてたって?
まあ、体重の話と髪の色の話はお互いよしとこう。
きょうはフォーマルな席じゃない。
好きなように音を重ねよう。
エレクトリックな音、アコースティックな音。
あ。ドラムス。ちょっと前に出過ぎ。ま、いいか。
そして、酒とつまみと、うた。
おみやげのシュークリームも美味しいよ。

終電時刻が迫ってきたので、AさんとBさんは帰っていった。
さらに少し送れてCさんとDさんも帰っていった。
僕らはそれからしばらく弾いて叩いてうたって、後片付けをした。

てんでバラバラの音が、それぞれの位置からだんだんと溶け合う。
よそ行きの顔でない気取らない時間。
そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

みんな。
またね。
楽器、続けようね。


この記事をはてなブックマークに追加

不愉快な老婆心

2003年12月12日 | 内的独白

夜、荷物持って街をトボトボ歩いていたら、
非常に不快な電話あり。
貴方のことを慮ってと前置きしつつ、人間関係について
「こうした方がよい」
と言う人って、一体何様のつもりなんだろう。
この手の田舎もん的「僭越なるお節介」というのが嘔吐する程嫌い。
また、内容が内容だけに速攻で電話を切りたくなった。
人が拒食症で落ち込んでいるときに
「元気つけるためにおいしいもの食べに行こう」
と誘う無神経さと同質のものが底辺に、ある。
解析すると、その人は自分のことが大切なだけ。
その言っている相手のことなどどうでもよいのだ。
最近、対人関係について、別人にまったく似たようなケースで
似たようなことを言われたが、こちらには溢れる愛情が感じられた。
関係性の違いか?
よこしまな金の斧では木は切れない。

しかし近年まれにみる極めて不愉快な電話だった。


この記事をはてなブックマークに追加

時間

2003年12月11日 | 内的独白

仕事のために時間とられてるのか、
時間つくるために仕事してるのか
わかんない。
ま、ギターでも弾いてみよう。
ここのカスタマイズは中止。


この記事をはてなブックマークに追加

♪いろ〜がどんどん

2003年12月10日 | 内的独白

♪薄くなるっ
♪薄くなるっ

♪そし〜て お雪に埋もれてくっ
♪埋もれてくっ

ほいたら


この記事をはてなブックマークに追加

逃避と撤収

2003年12月09日 | 内的独白

時代劇でよく「ううむ。引け引け〜」という台詞がある。
大抵は悪役たちが主人公に斬りかかって分が悪くなったときの台詞だ。
このとき、決して悪役は「逃げろ〜」とは言わない。
なぜだろう。
多分、悪役が道を外した慮外な襲撃をしたとはいえ武士(その類)である
からだ。
分が悪くなって人がそれから逃れたいと感じたとき、採る行動は「逃避」
なのか「撤収」なのか。
「逃避」は背を向けて頬被りしてしまうことのように思える。
「撤収」から受けるイメージは、あくまで背を向けず、あとずさりしながら
ある領域まで到達したら踵を返すイメージだ。
「逃避」に似たことばで、今は時流ではないが、かつて「日和る」という
ことばが流行した時代がある。
もともと「日和見」ということばの意味は、天候を見て収穫漁獲の判断とし
たことを指したが、筒井順慶が山崎の合戦の折、豊臣秀吉と明智光秀のどち
らが勝利するかを見極めていた「洞が峠を決め込む」ということと同義とさ
れている。
元来、日和見とは両極のいずれかに分があるか見極める第三者の積極的
静観のことを指したのだが、ずっと後年にはニュアンスの違うものとして
専ら学生たちの間で使用された。
そこで使われる「日和見」とは、起つべきときに起たないで様子をうかがっ
ている様を指すものとして使われ、これが動詞の造語「日和る」になると、
「びびる。厳しいことを回避する。頬被りして知らんぷりを決め込む」
というような意味合いとなる。
いずれにしても、背を向けて逃げ出すに等しいものとして使われる。

僕はかつて、一度だけ過酷な状況下で日和ったことがある。遠い昔の話だ。
だが、どうしても「逃避」することはできなかった。
逃げを打って「知らんぷり」することができなかった。
状況下で逃避することがご都合主義的に自分一人の心象作用のみに矮小化
することができないものであり、対人関係において人に対して計り知れな
いダメージを自らの手で与えることを知ったからだ。

これは、ぎりぎりの矜持を守りたいとかそういった大層なものでなく、
単なる己の性分であり主体的な意思選択であるだけだ。
撤収は選択しても、どうしても逃避はしたくない。
だが、これを人に要求したり勧めたりする気は毛頭無い。
人は人。僕は、こうしたことを自ら自覚的に選択しているだけのこと。
♪駄目になりそうなとき それが一番大事


この記事をはてなブックマークに追加