渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

優良店の閉店 ~渋谷ヂ・エッヂ~

2017年07月01日 | 刃物



渋谷のヂ・エッジが閉店した。
この店は香川県坂出の業者さんが東京に進出して開店した店舗だった。
渋谷の駅前の一等地にかなりの売り場面積を持つナイフ専門店だった。
バブルの頃ならいざしらず、こんな場所でこんな面積でやっていけるの
かなぁと思ったが、昨日2017年6月30日で閉店となった。

この店が開店した時、まだ全然無名だった頃に私は店舗を訪れている。
客は誰もいなかった。
まだ、携帯メールや携帯カメラどころか携帯電話さえ普及しておらず、イン
ターネットはあるにはあったが、OSはWin95であり全く動かず、世の中に
インターネットが普及するのはあと5年後くらいの、そんな時代だ。
1997年とは、まだ戦後からの世の中が激変してはいなかった20世紀
最末期の時代である。2000年21世紀のミレニアムのお祭り騒ぎの空気も
まだ1997年には存在しなかった。すぐそこまで来ている新世紀が、何だか
遠い世界のような、そんな感覚の時代であり、印象としては1980年代と
何ら何一つ変わらないのが1997年そのものだったのだ。
ただ一つ1980年代と大きく違うのは、景気が下降線に直滑降のように
向かっていた時代で、2000年には多少上向くが、1997年あたりは奈落の
底に向かって直滑降のような世の中だったのである。
街ではアスファルトの道路を引きずって歩くこ汚いスーパールーズが
流行っていて、「汚ギャル」が登場し始めていた。不思議なことにパンツ
丸見せでパンツのまま地下鉄やJRの駅の地べたなどに座っていた。
東京のそれが地方に伝わるのは3年後くらいで、3年後には東京にはそれ
はもう消滅していた。3年後の東京で雨後の筍のように蔓延したのは、
ガングロと呼ばれる汚ギャルの発展系だった。渋谷にもそれらが溢れ
返ったし、渋谷の街で遊ぶ連中の若年層化がさらに進んだのがこの時期
だった。
それまでは渋谷というのは、ややマイナーな繁華街であり、歌舞伎町が
トップで、その次は池袋が若者の遊び場だった。渋谷がドド~ンとメジャー
になったのは、チーマーの後に続くこのギャル系の若者が押し寄せたことが
大きかったと思う。センター街などは、いつの間にか歌舞伎町をしのぐ人出
になっていた。それまではせいぜい薄汚れたゲームセンター街とビリヤード
屋と109があった程度なのだが、渋谷を文化なんとかにしようという再開発
が効を奏して、街並みが一気に綺麗になったあたりから若年層が大挙して
渋谷に押し寄せ、渋谷の戦後第二の渋谷ブームが誕生したのだった。
そうした頃にヂ・エッヂさんは渋谷に「ナイフ専門店」をオープンしたのだった。

初対面だが、店長用にマックの飲み物と食べ物を買って行ったら、飲み物を
喜んで
受け取ってくれた。
初対面なのに、店長とは気が合って、5時間くらい話しこんだ(苦笑
私は来週から香川の坂出も私の統括エリアでしょっちゅう仕事で行くことに
なる
と話すと、店長は「私は向こうから出てきて貴方は向こうに行くというのも
何かの縁ですね」と言っていた。
それが1997年のことだ。1997年3月に私は東京本社から岡山に赴任
転勤となった。
もう広島県に転居してから20年にもなる。神奈川県在住機関と同じ年月に
なってしまった。

渋谷ジ・エッヂさんの何が優れていたかというと、その品揃えだ。
常時
6000点以上のナイフの在庫を有していた。
在庫を抱えるというのは、こう
した物販会社の場合は非常にリスクも伴う。
だが、在庫の量が販売を伸ばす面も旧来方式とはいえ信頼性の裏付けと
してもあるのが物販の世界だ。渋谷ヂ・エッヂさんはそうしたインターネット
が普及する以前のそうした手法とネット宣伝をペアで販促を展開し、あの
渋谷西口駅前という超高額家賃物件のビルの中の店舗で20年間活動し
切った。これはそうそうできるものではない。

バブルの頃にはナイフも非常に流行り、横浜の関内の老舗有名店では
飛ぶようにナイフが売れた。高額ナイフが本当に飛ぶように売れていたの
で、老舗刃物屋だった同店の店主は一気にバブルスターとなった。
そして、絵に描いたような奢侈生活者となり、バブルの崩壊と共に一気に
転落して古くからの老舗だったのに店をたたんだ。
バブル期には私も同店に何度か訪れた。かつて古臭かった店内は、ナイフ
ギャラリーというブティック形式に変更していた。私は昔のよく知った店舗の
ほうがずっと好きだったが、まあ、なんというか美術館といううか、化粧品
CMに出てくるような店、当時の「トレンディードラマ」に出てくるようなお洒落
な店になってしまっていた。
その当時の時代なりなのではあるが、なんだかなぁ、と思ったことも確か
だった。
その後の転落は、世に蔓延したバブルスターたちと全く同じだった。
このことは、ナイフマガジンの連載コラムでも書かれていて、転落人生と
してナイフ界では有名な事になっていた。

渋谷ヂ・エッヂさんは、バブル崩壊後の「失われた20年」というとても厳しい
経済状況の中で、まさに20年間よくぞ地方から東京に進出して、東京の
ファッション業界の激震地である渋谷のしかも駅前ど真ん中で店を構えて
頑張ったと思う。
20年目に渋谷の店は閉店することになったが、香川県の坂出のほうの
通販部はそのまま営業を継続するということなので、欲しいナイフがあった
ならば(たぶん必ずある)、是非ともどうぞ。

はあ・・・。俺も転勤転居してもう20年も経つのかぁ・・・。
ヂ・エッヂ店内で「来週から向こう(中四国)に引っ越すんです」と言ってた
がとても懐かしい・・・くはない。ほんとに、ついこの前、ほんの昨年あたり

ように感じるからだ。あの3月の日、俺はまだ36歳だったということね(^^;


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