渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

不明刀工の特定

2017年06月29日 | 日本刀

詳しくは明らかにしないが、友人と話をしている中で、銘鑑漏れの刀工の
作について、私は「この刀工が怪しい」と目星をつけて多角度から二人で
検証
した。
友人曰く「この刀工の作で間違いないですね」とのこと。
一発で的中だった。
完全銘鑑漏れ。だが私のサイティングで特定できた。しかも一発だった。

この友人とは二人しての解析で、現代刀工の代銘を数名特定したことが
ある。本当は誰が銘を切っていたのかを。物故者まで含めて。
そういうのというのは、見ていれば判るのだ。ず~っと見ているのである。
何から何まで隅々までずっと見るのだ。狙撃兵の訓練「キムのゲーム」
のように見るのである。すると自ずと見えるべきものが見えてくる。

刀という物は、よ~~~く見るに限る。それは観るのではなく、診るように
視るのであり、眺めるのでもただ目をやるのでもない。見て見て見抜くの
である。 see でも look でもなく watch であり gaze なのである。
よくあるイラストの間違い探しが不得意な人は日本刀を見る事はまずでき
ない。

注意力の問題でもあるが、「見えるものが見えない」という人は日本刀の
状態が
何がどうなっているのかが見えない。現実的に目の前に存在する
事象を
認知できないからだ。
ぐねぐねに曲がっている刀にも気づかず、ひどいのになると、多数の刃
こぼれがあることさえも感知できなかったりすることもある。
私が知っているので強烈だったのは、古刀と新刀の鋼の色の違いついて
話をしていて、古刀が青いということがどうしても判らなくて、「どう見える?」
と尋ねたら「どちらもピカピカ」というのがあった。
色以前の捉え方の問題なのだが、研ぎ師が白くこすった部分を焼き刃=
刃文だと思い込んでいる人たちが世の中は大多数であるので、もうそういう
ことはどうしようもないことなのかも知れない。

日本刀に関しては、私は一つの傾向性を知っている。
それは、刀が見えない人は、10年経とうが20年経とうが、同じようにいつ
までも刀が見えない、ということだ。これは不動の定理としてある。

刀が見えないということは、その刀が持つ特徴も感知できないということで
あるから、当然にして、物の善し悪しや何がどうであるのかも感知できない。
感知できないということは、まったくもって皆目不明のままであるということなので、
いつまで経っても目が開かないままなのだ。また、そういう人は努力もしない。
努力もせずに最初から完成されているようなことは、こと人間に関しては
まず存在しない。
ただ、努力すると「より一層良くなる」というのであって、努力しても駄目なことは
あるので難しい問題だ。たとえばセンスや性根は努力では変りようがない(苦笑

だが、しっかりと見ないと刀は見えない。こればかりはどうしようもない。
日本刀に多く接する機会がある職業に日本刀研磨師=研ぎ師がいる。
ところが・・・
研ぎ師でもまったく刀が見えないのがいるので、あれは一体どうなっているのか
とは思うが、現実は現実として刀が見えない人なのだから致し方ない。
たぶん・・・ずっと一生刀は見えないことだろう。
よせばいいのに、そういうのに限って、人に対して偉そうにしたがる(^^;
誰かガツンと言ってやれよ、とか思うのだが、まあセンセセンセと言われて来て
タコのクソが頭にのぼってるのだろう。


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