渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

天に向かって唾を吐く

2016年10月11日 | 文学・歴史・文化



この者はまず間違いなく私のことを揶揄するためにツイートしたと
思われるが、恥をかくのは自分である。
神伝流がいつから前差し居合の代表となったのか。
大刀でこの前差しのような下げ緒さばきをする武家文化は文化として
存在しない。今のところ、圧倒的大多数の「大刀下げ緒鞘掛け」文化を
指し示す文献絵図史料を覆すだけの史料は発見されていない。
つまり、大刀下げ緒鞘掛けではなく、前垂らし右袴紐結束であった
という文化史料は発見されていない。
また、江戸期の下げ緒の長さの規定という各種史料から、大刀下げ緒の
前垂らし右前結束は物理的にも不能であったことが類推できる。(江戸期
の下げ緒の長さでは、大刀下げ緒を前から右に持って行くと、脇差と干渉し、
さらにピンと張ったような状態になり、「前垂らし」にはできない。当該ツイート
者は、現行の居合などで使用されている大刀下げ緒が江戸期には一般的
には使用されていなかった超長尺物であるという歴史事実、超長尺物の
下げ緒は「大刀下げ緒の袴紐への結束」が考案された昭和期に歴史上
初めて登場し一般普及した、という歴史事実を知らないのではなかろうか)

古今東西の絵図なり文献なりを引用して、「大刀の鞘掛け垂らし」の
下げ緒さばきではなく「前垂らし右結束」が武家の大刀下げ緒礼法
だったと説明してみてほしい。また、大刀下げ緒が前垂らし右結束で
あるものが絵に残っているのならば、その絵を示してほしい。

幕末に大刀下げ緒を真横に張って右に持って来ていると見える写真が
たった一枚だけ残されているが、仮にその一例を以てしてもそれに依拠
して
様々な絵図や文献が示す「大刀下げ緒鞘掛け文化」という歴史事象
の全否定材料とは成り得ない。

また、その一枚だけ発見されている写真についても、私は言及した上
史料的な検証に依る客観性に基づいて論を展開している。
それはその一枚のみ見られる写真においても、「大刀下げ緒を前垂らし
にすることが一般的に存在したとすることと、一葉のみ残るというイレギュ
ラーを以て武家文化全体を規定するほどの模範様式であるとは、それこそ
決して断定できないものであるからだ。


またぞろどうせ人の言ってることをよく細部まで読みもしないで、バルブ
オイルの時に私を揶揄することを目的として辛辣な言辞をネットで為した
族と同じく、脊髄反応で「為にする論」を展開したいだけなの
だろう。

揶揄を以て為す姿勢が言質を構成する前段階に内在する限り、歴史の
真実
は見えない。そして、言質の中に思考回路の稚拙さが必ず露見する。
そのうち「左利きの武士でも右腰に両刀を差していなかったということはない。
断定
的に言うと恥をかく」とか言い出しそうだ。
自分自身が「~は間違い。」という断定言質を成しながら断定表現を批判
しているという恥知らずな自己矛盾は置いておくとしても、上から目線での
物言いは人となりだろうから不知だが、襟元を正し己に刃を向ける心に
脇差を持たない者が武士を語るとは、極めて珍妙で恥ずかしいことだ。
論外。
この手の論者っていつもこういうスタンスが好きだよね。「馬鹿野郎という
言葉を使うな、馬鹿野郎」という類の自己矛盾の姿勢が。自分が何を言って
いるのか、自己発言の矛盾を自己検証できない神経なのでしょうね。論理
に整合性なし。単なる感情的反発で反駁したいだけということがよく見える。

このツイート写真を見て、「あ、ほんまだ」とか早とちりした人間はもっと論外。
脇差のことは問題にしていない。「大刀の下げ緒さばき」について斯界では
これまで多くの人たちによって歴史検証がなされてきた。脇差云々ではない。
しかも、掲示した写真の副え差しは、下げ緒を「袴紐」には結束していない。
そして、長さが異様に長い。さらにはこれは決定的だが、江戸期の武士の
二本差しは短刀を副え差しとはしない。武士の小刀は短刀ではなく、脇差
である。小刀代わりの短刀前差しは、幕末に士分ではない階層に多く見ら
れた「疑似二刀差し」の様態であり、江戸期一般士分の姿ではない。
ダブル、トリプルで完全なイレギュラー写真を以て言を成そうとしている
その的外し。

なお、千代田城において、登城した武家の「小さ刀」が大刀様式で下げ緒
を鞘掛けにしているのは、それは鞘の尻が「切り」である
ことが指定されて
いたのと同じ意味で、「大刀の代用物」として
武家の権威と格式を捨象しな
いための幕府の配慮の結果である。

当然、こうしたことの現象面の認知は、武家文化研究者には周知の事実
であり、いわずもがなであろうが。
この千代田城の武家礼式において、「大刀と小刀」をどのように捉えるか
という、武家政権時代の
武家規範の様式の一片を垣間見ることができる
のである。
というよりも、すべて武士は末端にいたるまで、藩士であるという「武士」
であるならば、幕法遵守が大前提であるために、最高規範は武家の
千代田城への登城礼式を最高規範として、それに準じて下がそれを
見倣った。武家諸法度に代表される幕法は天下の定めであり、それを
犯すことは「武士」を否定することに繋がった。

「小さ刀」を帯びた殿中での武士。小さ刀は「脇差」扱いではなく、
「刀の短い物」としての礼装だった。従って、下げ緒さばきは大刀
と同じ取り回しが幕府により決められていた。これが武家の規則
であり常識だった。


そうした上意下達式のシチュエーションが崩れるのは、幕末の無法
時代に入ってからである。
そして、例外的であった武芸流派としての長刀使用武技は別として、
一般通常差しの大刀もどんどん寸が延びた物を「幕法を犯して」帯び
出したのも幕末である。
ただし、後の倒幕派の藩においても、また、佐幕派においても、通常
差しは幕法に基づいた刀剣を帯びていた。これは生麦で英国人を斬殺
した際の大刀、戊辰戦争での土佐藩士の大刀、時代は多少前後するが、
京都池田屋での新選組の討ち入りでの使用刀、すべていわゆる「定寸」
であるのは、どのシーンにおいても武士が「幕法を守る」という大義を
前面に立てていた象徴的存在だったことが現象として見られる。
そうした軍備に関する幕府規制が事実上崩れていくのは、時勢として
の各藩の倒幕の気運上昇と時間軸としては連動している。ある種の
「革命的」な旧弊打破ということが武備だけでなく人々の生活文化の
至るところで開始されたのが幕末の動乱時代だったといえる。
禁忌とされた肉食も「豚一将軍」の登場により自ら社会の禁忌をおため
ごかし的に「薬食い」として破ることを励行していたことからも、国のトップ
がそれであるので、その時代の混乱ぶり、旧体制の瓦解ぶりを現代人で
ある我々は知ることができるのである。
(なお、日本人の肉食については、慣習としては励行されていたという
事実がある。ただし、それは方便をつけたイレギュラーとして)

刀の下げ緒さばきについては、ごく一部のイレギュラーな発見を奇禍
として、全体像を曇らす視点での流言の類の物言いは、極めて軽挙
であり危険な発想であると言わざるを得ない。
また、今回のツイッターについては、副え差しについての写真史料で
あるので、斯界で多くの人たちが研究してきた「大刀下げ緒の鞘掛け」
文化についての関与は一切ない。関係のない事例を持って来て、物を
言おうとしているのであり、この点が私が論外であるということの中核
となっている。
論を成す場合において、「だって、お前チビだし」とか「のび太のくせに」
とかいうような、まったく関係ない事柄を持ち出して主張をしようとする
のは、それは児戯の言に等しいのである。


ご興味がおありでしたら、こちらの過去記事も併せてお読みくだされば。

⇒ 下げ緒さばき
(なんだか、多くの方に「いいね」をいただいている)

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