渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

山口線にD51蒸気機関車

2017年07月12日 | 風情・季節・地球



私が子どもの頃はD51が一番人気だった。
なぜかはよくわからない。四輪とデゴイチの愛称ゆえなのか、よく
わからなかった。戦前からある息の長いモデルだからか。
私自身はC62が一番好きだった。戦後製造の少数派ね。

品川駅に停車展示中(1999年)。これは私は見た。当時は携帯に
カメラ機能などなかったので(カメラ機能は2003年から)写真は
撮れなかった。銀河鉄道999はC62と同形だ。


2007年。つばめ!わが東海道線である。(何故わが?笑)


SLでは、小学生の頃からC62が好きである。


私が小学生の頃は、ふつ~に三原市内を通る呉線と山陽本線では
C62が
走っていた。特に呉線はかなり後まで走っていた。現在は
市街部は本線も呉線も高架線化。

(呉線1969年3月/広島駅から三原・糸崎行き)


このC59も呉線でよく見た。山陽本線でも主軸だったというが、
本線のほうでは私はあまり見なかった。C59はSLの中で一番美しい
と感じる。(1969年3月/呉線)



SLネタでひとつ。都民におなじみの新橋駅前にあるSLはC11である。


学生時代のバイトの時からその後の正職員の頃まで13年間通勤で
通った私の知る
新橋駅前広場には噴水があった。(2006年)


現在噴水は撤去されている。


赤の広場状態(違)。いや、学生時代にはここでの集会とかも多かった。
そういう意味では赤の広場(笑)。国鉄民営化前の時も、国労の労働者
たち
はここで連日民営化阻止集会をしていた。大群衆で。藤井フミヤも
その中にもいたかも知れない。白ヘルメットを被って。



新橋といえば戦前から戦後にかけての昔は花街もあった。
そこら界隈は小学生だった刀工小林康宏(新橋生まれ)の遊び場だった
いう。
新橋は飲み屋の数も半端なく、私も職場の先輩や後輩たちと毎晩仕事帰り
に浴びるほど飲んだ
時期もあった。
漫画『ワイルド7』でも主人公飛葉ちゃんのセリフに「男だったら新橋
あたりでパァ~ッと・・・」というものがある。
新宿歌舞伎町のような雰囲気ではなく、圧倒的に霞が関・虎ノ門・新橋
勤めの勤め人(官民両方)の街であるので、いろんな店がある。
結構気に入っていたのは、三島由紀夫先生が自衛隊に突入する前の晩に
最期の晩餐を開いた鳥割烹「末げん」だ。ここは私はよく職場でもプライ
ベートでも使った。ちとお高いが、味は頗る良い。
新橋SLは待ち合わせ場所としてもポピュラーだった。
「SLの頭のほうね」といった具合に(笑

日本初の鉄道は、新橋駅(汐止駅)から横浜まで明治5年(1872年)
6月12日に開通した。米国ではコルト・ピースメーカーはまだこの世に
登場していなかった。日本では廃刀令の4年前である。まだ髷を結って
士族は刀を腰に差していた時代のことだ。


さしずめ、こういう感じだったか。こういう感じだったのだろうなぁ。





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