渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

徳川家三つ葉葵紋

2017年05月15日 | 時事放談






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うちは三原城内に住んでいた。
その城内の住宅地の屋敷に住む以前の墓所の寺院は、三つ葉葵の
使用が徳川家から許されていた。徳川家縁故の寺院であるからだ。
こうしたことは、徳川封建体制という絶対主義の時代にあって、正式
な認諾を得たからというよりも、将軍家より使用御構い無しと命が
下されて成せることである。勝手にやったら確実に首が飛ぶ。

我が家には家紋が複数ある。本紋と替え紋だが、現在では一つの紋
を使用するのが常だ。

江戸方の別家は、江戸期にはうちのその替え紋の一つを常紋として
いた。拝領屋敷は100坪ほどの狭い土地だったが、将軍目見得以上
だった。


私が仮に、たとえば先祖の紋だからと笹竜胆を使用し始めたらどう
なるか。
何も起こらない。
また、当家とは関係のない家の紋を使い始めたらどうなるか。
何も起こらない。
ただし、徳川家三つ葉葵や榊原源氏車のような特定固定紋の無断使用
は、現代においても限りなく度を越した失礼な盗用に該当することに
なるだろう。

お好み焼き屋のチェーン店で店名と店舗マークを将軍家名と三つ葉葵
とに
している店がある。
あれは店名で「徳川」を商標登録している筈だが、たぶん三つ葉葵紋は
登録
できなかったことだろう。



勝手に他家の家紋を盗用しても、現代においては何も咎められない。
縁日のテキ屋の出見世のノリで家紋を使用しても、法的な制裁は受け
ない。

だが、封建制絶対主義の時代にあっては、現代の娯楽ドラマ時代劇
感覚
では決して取り扱ってはならない飛び抜けた特別な家紋があった。
それが徳川将軍家の家紋である。
コスプレで三つ葉葵を使用しようと、公的時代祭りで使用しようと、一切
現代法ではお咎めは受けない。
しかし、武家礼法を称える者の中にあっては、たとえ現代人であっても
信義というものがあるであろう、と私は思う次第である。
武士にとって、慮外は邪(よこしま)であり、悪である。

現代に武士はいない。
だから、慮外も慮外ではないとされ、自己の欲求のみが第一義にされる
快楽主義や自己絶対主義が大手を振ってまかり通り、それに眉ひそめる
者も少ない、ということなのだろう。
多くの日本人が己の欲望を満たすことのどこが悪い、という精神性を
基盤とする人間たちになってしまっている。
私には、私欲の囚人のように思えてしかたない。
冒してはならない、一線を超えてはならない、というものはあるだろうに。

徳川家の家紋の商標登録については、特許庁は登録取り消しを決定
した。
では、商標登録されていないのだからと勝手に使用することについては
どうなるか。
これもやはり、政府としては「誰もが知るような有名なマークや図柄は、
特定の企業や個人に独占使用を許すべきでないという運用ルール」

適用されるとみなすことだろうと思う。
法的な運用の蓋然性はその通りだと思うが、それよりも何よりも、そう
いう私的盗用ことをすることが果たして日本人の感性としてまっとうな
ものであるのかという信義則の問題が出てくるのではと思うが、この
ような案件に関し、己の欲求を満たすためには己こそが正義であると
して振る舞う族も多く世の中にいることだけは確かなようだ。
そういう行為は、仮に私が「ここは当家の先祖が住した場所である。
ゆえに立ち退きされい」と勝手に現住の人の家屋敷に乗り込んで不法
占拠することに等しいように思える。
家紋の盗用は、私見としては不法行為に限りなく近い。
私の中にはそのような思念があるが、三つ葉葵の商標登録取り消しの
事案を見るに、社会的な公式判断としては、日本国の社会的通念の
蓋然性としても、日本国民の公序良俗としては、徳川家の家紋を私的
に特定個人や団体が独占的に使用することは否である、ということに
なるのだろう。

独占的でなければよいのかと、ならば全員で使えばどうだ?というのは、
それは法律もうちょっと勉強してね、としかいいようがない。
ああ言えばこう言うと言い返したがりがネット民の特性だが、論を吐く
基盤ベースは社会通念上確かな物で願いたい。

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