渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

結びにみる武士の心

2017年07月27日 | 文学・歴史・文化


これはあたくしの前差短刀である。
下げ緒は茗荷結びに自分で巻いた。茗荷巻きとも呼ばれるらしい。

(茗荷結び)



(参照先晴れ時々紙鞘工房さん)




なんだか可愛い。
紐を結んだだけなのに、アクセサリーになってしまうというのが、
名状しがたい気持ちになるが、それは日本人ゆえか。
こうしたのは組紐というよりも紐の巻き方の一つで、紐の巻き
方でいろいろな文様を表現するのは日本独特な日本人を代表
する芸術文化といえる。その手法は多岐にわたり、目を見張る
多彩な技法が表現されている。

この茗荷巻きなどはごくごく簡単な巻き方で茗荷の形を表した
ものだ。
巻く方法などは小学生の試験問題に出て来そうな感じだが、
この画像だけを見てもパッとは巻き方が判断できづらいのでは
なかろうか。ただの二重巻きではなく、最後にループに通すと
いう一工夫がある。
袴を畳んだ時の袴紐の折り畳み方もそうだが、ただの実用的
なこぶ巻きではなく、実用性と美を兼ねた方式を見つけ出して
体現しているのが日本文化の全般的な特徴である。とりわけ、
紐の処理方法には、その日本文化の特色が色濃く出ている。
適当にぐるぐる巻いてポイ!などというアメリカンなことは日本人
は絶対にやらなかった。


江戸期に入り、ほぼ実用性を離れて礼装ファッションの一部と
化した感のある刀剣の下げ緒であるが、その下げ緒の結び方
もただのたんこぶだけでなく、いろいろな日本文化としての巻き
方が採り入れられていることがいかにも日本人らしくて面白い
ように思える。
脇差の下げ緒の茗荷巻きなども、そうした日本人独自の美意識
をさりげなく表現した文化的なものであったことだろう。
なお、花茗荷の花言葉は「忍耐」らしい。

ミョウガ


このように大刀の下げ緒の末端を袴紐に結ぶことは昭和時代に
無双直伝英信流の師範が始めた。本来江戸期には無かった近代
様式がこの下げ緒のさばき方であり、夢想神伝流の前垂らし右
袴紐結束と同じく、昭和新時代に登場した「現代居合剣士式」の
新方式である。


武家の本来の帯刀における下げ緒のさばき方はこのようになる。
後ろ回しに鞘掛けして下に垂らすだけ。


脇差の末端は茗荷巻きが多かったようだが、他にも様々な様式
があり、正式登城礼装と一般礼装でも異なった。一般礼装におい
ては、原則を外さなければ、かなりの自由裁量権が武家には認め
られていたようだ。
武具自弁の概念といい、武士には厳格な規則決め事の中にも
かなり自由な選択肢を与えることが歴史の中では為されていた。
だが、武士に必ず帰結するところは「自己責任」である。
時には自分の責任は一切ないのに他人の為や他人のせいで
自ら死ななければならないことも多かった。武士とはそういうもの
だった。
たった下げ緒の紐結びひとつにしても、そこに美を求めた武士たち
の心というものは、一体どんなことが精神的なベースになっていた
のだろうか。




小刀(しょうとう)の下げ緒の処理が茗荷結びであったのは、茗荷が
冥加に通ずるため、神妙な心もちを武士が好んだというのがあった
というが、茗荷というと茗荷紋が思い浮かぶ。茗荷紋は江戸期幕臣
旗本で一番多い家紋が茗荷紋だったという。

丸に抱き茗荷紋

うちがメインで使用している家紋は、この丸に抱き茗荷だ。
他に二つ家紋があるが、そちらは今はあまり使っていない。

この丸に抱き茗荷は本間家の紋でもあるようだ。

本間一族は小野氏(春日氏、和珥氏。天孫族)であり、別系では
村上源氏でもある。
鎌倉時代には武蔵国横山および相模国愛甲郡海老名本間に
住した。
もっと大昔は、多分、西暦1世紀の時代に冶金技術を持って
列島に渡来した扶余族で、さらに古い紀元前のルーツは大陸
にある。
家の歴史の途中では、平安期の先祖の一人などは閻魔大王
と昵懇になり、京都の珍皇寺の井戸から魔界と現世を自由に
往来したなどと与太話のネタにされたりしていた。とにかく権力
に盾つくことばかりやり抜いていたので、隠岐に流されたりもし
た。遥か末世の子孫にも似たようなのもいるようだ。

他に丸に抱き茗荷家紋の有名どこでは、三島先生(本名平岡
公威さん)の家紋が
丸に抱き茗荷だ。


家紋って、今は冠婚葬祭くらいでしか使用しないものなぁ・・・。

ところで、我が家が先祖筋系譜の紋でもあるこの
家紋↓ を使うのは差し障りないだろうとは思うが、


うちが、この家紋 ↓ を使ったらとても無礼だ。

「法律で決められてないのだから自由ではないか」などと
いうことでは決してない。
それは他家の家紋を盗用しようが何しようが法的には罰せ
られない。
だが、こうした他家の家紋の盗用や僭称をしないということは、
日本人としてはとても大切なことなのだ。
法律で規制がないからと何でもかんでも自由なのかというと、
それは「民主主義」の大きなはきちがえである。
そもそも、他家の家紋を盗用したり流用したり僭称したりして
集客・集金によって自己利益を得ようとすることは、公序良俗
に反する。
また、そこに虚偽事実を以てして人々を欺罔(ぎもう)せしめ、
以って金員を詐取することは詐欺行為であり、これは犯罪で
あるのだ。

人様の物を盗むのはやめなさい。




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