渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

土地柄

2017年05月26日 | 内的独白

 



横浜の游雲会のメンバーがうを志んを尋ねて作刀打ち合わせをしたらしい。
うを新曰く「横浜の人はほんと上品。おいら埼玉人がいかに粗野かとちと
恥ずかしくなった」と。
そんなことはないかと思うが、実際のところ小学校6年の時に横浜から
埼玉に引っ越した時には、人があまりに違うので驚いたことがあった。
なんというか、野蛮というか野性児というか、埼玉の小学生はハマっ子に
比べてそんな印象が強烈だった。母親と「もしかしたらとんでもない土地
に引っ越して来たのかもしれない」と言った記憶がある。
だが、埼玉での小学校6年~中3までの地元密着の生活は楽しかった。
多くの友人たちとの交流も、地元という意識でその4年間は過ごせた。
横浜の場合は、東京よりも薄い「ただ住んでるだけ感」があったことは
確かであって、開明的な分、やはりジモチー意識は薄い土地柄だった。

たぶんうを新が感じたのは上品というよりも、洗練された受けこなしと
いう極自然なふるまいのことだと思う。
「いや~、渓流さんも埼玉にいたことは履歴から抹消したほうがいい
くらいですよ」とうを新はいうが、おれ埼玉嫌いじゃないし(笑
理由は意地悪なのがあまりいなくて気の良いのが揃っていたから。
ただ、ハマと江戸のハーフからすると、ヨコハマが開けた開明的な土地
であることは確かで、これは文明開化が日本一早くやってきた土地柄
だからということが大きいように思える。開港は5番目だったけどね。
まあ、同じ武蔵の国でも埼玉県桶川と神奈川県横浜ではかなり土地柄
も言葉も人柄も違ったりすることもあるのだろう。国は一緒。同国だ。
でも横浜でも鶴見神奈川あたりの旧橘樹(たちばな)郡と中区の港から
金沢あたりの旧久良岐郡では言葉も人柄も違ったりする。その差は
埼玉では上尾と浦和ほどの言葉の違い、人の違いとしてある。
横浜市北部(旧橘樹郡)のジモチーは「じゃん」という言葉を使わない。
私は横浜市南部育ちなのでジャンジャン言う。それを埼玉に転校した
ときには笑われた。言葉尻にジャンを付ける話し方など埼玉県には
存在しなかったからだ。今ではTVやネットの影響で放言が広まって、
地域密着方言が希釈されているが、1972年頃は地方言葉というもの
は非常にきつかった。
さらに、今では信じがたいだろうが、東京を中心とする首都圏には大坂
文化はほとんど入って来ていなかった。
なので大坂人は東京においてはステレオ的な扱い方しかされなかった。
『あしたのジョー』でのマンモス西や『いなかっぺ大将』での西一(にし
はじめ)といったキャラが大阪人の典型のように扱われた。そもそも
キャラ名が「西」であまりにベタすぎる。
ただ、長く生きているとよく判るが、東国者と西日本人は「人種」が違う
のではと思える程に心根の立脚点が異なることは確かだ。
性格の良い奴悪い奴は東西どちらにもいるが、そういう部類に関する
ことではなく、なんというか根ざすものが明らかに異なる、という面が
非常に明確に見える。
九州人はこれまた独立した特性を持っていて、これまた歴史性に根差し
たものなのだとよく判る。
「日本人だからどこに行っても一緒」ということは絶対にない。
日本人とて、よ~く見ると、小さい部族の集まりのような性質のものだ。




それでも、横浜は好きだね、やはり。空気が。



ミントンハウスを愛したという赤塚先生。赤塚先生以外もミントンを
愛して
やまない人たちは多い。著名人も一般人も誰もがミントンを
心に置く。ヨコハマとはそういう心に置く場所でも
あるように私には
思える。


(某番組でヨコハマ語りをする赤塚氏)

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