渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

太刀・刀について

2017年05月12日 | 文学・歴史・文化



私ね、思うのですけどね。
太刀・刀(打ち刀)というのは、武器としては著しく
不完全でまともなものではないシロモノのように思える。
なぜならば、使うためにはかなりの特殊な技術が必要で、
誰でも使える武器ではないから。
木刀やこん棒ならば、どのように振っても打撃すれば
誰でも相手にダメージを与えられる。
ところが太刀・刀については、それなりの技術を習得
しないとまともに効果が発揮できない。
槍は突けば威力を発揮する。薙刀や長巻は振れば斬切
できる。石も投げて中れば大ごとだ。中りどころに
よっては死亡する。(戦国時代の合戦の死亡例の大かた
は投石と弓によるもの)

日本刀のうち、武器として誰が使っても効果を発揮する
のは、薙刀、槍、長巻、鎧通しなどで、太刀・刀は実に
不甲斐ない。武器として完成されていない。
扱うのに特殊技術者でないと扱えない武器というのは
集団武器として未完成と言わざるをえない。
刀は現代戦ならば歩兵の自動小銃にあたる面もあるが、
特殊な癖を覚えて特別な撃ち方をしないと射撃できない
小銃など歩兵武器にはならないからね。まさに刀がそれ。

刀はそもそもが戦争のための道具=武器として作られて
こなかった登場当初からの歴史を持つので、これは本質性
からして刀は戦闘
武器足り得ないのかもしれない。
赤軍派の連中にしても「百名の抜刀隊で国会包囲」とか
わっけわからん戦術を1969年に主張していたが、荒唐無稽
を通りこして頭がイカレた連中の集団夢遊病としか思えない。
いかに赤軍派という「軍」を名乗る連中が武器に精通して
おらず、日本の軍事史に暗かったかということを表している
馬鹿丸出しの主張なのだが、刀がアナクロということとは
別に、存外現代剣士たちも「刀は戦争には使えない」という
ことを知覚していないのではないか。ブント赤軍派の連中
が「刀最強~~!」とか勘違いしていたように。ポンと銃で
撃たれておしまいなのに。そんなことは鳥羽伏見で新選組
が散々味わったのだし、実のところは信長の時代から戦争の
趨勢を決する武器は刀剣ではなく銃器である、ということは
分かり切っていた。
刀は戦争の戦闘では使えない道具なのだ。
新選組などは、京都の狭い路地で人斬りに使えたからと勘違い
した百姓たちだったのだろうが、実のところ、倒幕派志士を
斬った数よりも隊内粛清で暗殺した人数のほうが多いという
新選組の実体これあり、でしてね。ろくなもんじゃない。
だが、彼らが、刀こそ唯一のサムライの武器、だなどと今で
いう中2病のように狂信的に盲信したのは事実だっただろう。
隊内では意外と洋式化も進んでいて、銃器配備もあったの
だが、やはり、土方にしろ、切羽詰まって五稜郭という
局面以前にとっとと剣士を銃士に変換させておくべきだった
ろうと思うよ。
安芸広島藩は戊辰戦争のずっと以前に、藩士全員を剣士から
銃士に編成しなおした。全員だよ、全員。上士下士関係なく
全員。
要するに家臣たる武士は兵団でもあるので、その編成を完全
に銃隊に組み替えた。
これってかなりの英断のように思える。一応刀は帯びるが
刀そのものが副え物であって、メインは小銃だ。広島藩は
幕末にすでに近代化兵装に転換を図っていた。
ただ、記録を見ると、かなり銃器が不足して困っていたみた
いですね。薩長のようにはいかなかった。


江戸期に「藩」という正式名称は無かったが、松平安芸守
浅野広島藩の
武士は士卒含めて明治維新時に32,582人いた。
42万6000石という大藩なので大所帯だ。銃器は常に不足
していた。


未完成の武器、太刀・刀。
戦争にはまったく(に近い「ほぼ」)使えない武具。
なんじゃ、こりゃあああ~~~!

戦時中の海軍士官の短剣のように、太刀や刀は武器という
よりも武士の象徴的なアイテムという側面が強かったので
しょうね。



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