渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ネット時代のやり口手口

2017年07月15日 | 溶解情報

ネット時代である。
ステマ(ステルスマーケット)だけでなく、自作自演で匿名ネット掲示板
に自己宣伝を書き込んで集客したりする詐欺集団のような族が大手
を振っている。

さて、ある古流武術を僭称自称する捏造仮装珍劇団がある。
まったくコスプレを主体とするチャンバラもどきをメインプレーとした
仮装珍妙劇を(演劇でも芸術でもないただの仮装趣味。コミケコスの
ようなもの)専らとする集団がいる。
それのSNSやフェイスのフォロワー数はかなり多い。
渡辺直美さんの680万人フォロワーに比べたら吹き飛ぶようなちっぽけ
な数ではあるが、武術流派でそのようなネットを主体とする活動をして
いる流派は存在しないので、エセであろうとも、集客としてはそこそこの
数はいる。
だがこれにはカラクリがある。

内実は、人気があって多いわけではなく、刀好きな人を探しては自分
たちからフォローしていくのである。
今の時代、基本的にはフォローされたらし返すのが礼儀みたいなところ
があるようで、アニメ・刀好きの人たちは珍劇団をよく知らずに
フォロー
していたという事実がある。

これは、私の仮想でも何でもなく、仮装珍劇団の所業についてネット上
の誰でも閲覧できる公開やりとり(2ちゃんねるではない)を見ていれば
そこにやり口と手口が告発されて出ている(爆笑)。

その手口たるや実にくだらないことだし、下劣であり、下衆の極みなり。
どうも術技の様子がド素人ぽいなぁ、本物の武術をきちんと学んだ系譜
ではないなぁとは思っていたが、まあ、なんというか手口を見ればどれほど
「伝統武術」とは縁もゆかりもない目的集団であるかということがよく理解
出来る。
実に分かり易い稚拙な齟齬をあちこちにほころびのように多く出している
のも特徴で、こうした自分たちの手口が外に漏れるようなところも、警戒心
のなさ、というか、武術的要素は一切存在しない。
リアル社会で本当の古流流派から何かを盗み取ろうとしてか、あちこちの
流派に交流を呼びかけたりしているようだが、最初から相手にしない流派
も多いようで、これは賢明な対応だろう。相手は本物の武術流派でも何でも
なく、珍妙な仮装をしてネット上に動画を投稿して猟奇的注目を浴びようと
人心を煽ったり、奇抜な意匠や面を着用してお祭り騒ぎで玩具刀を振り
まわし、事情を良く知らない日本人や無知な外国人を騙しているような
ヤカラである。まともに相手にするほうがどうかしている。
前衛芸術ならばそうしたことも表現芸術として理解も許容もできるが、彼ら
はそれを伝統古流武術であるなどと他流の動きを劣化コピーして盗用したり
非現実的な「技」を剣術技として新規創作したりして完璧な捏造をしている
のだ。日本伝統武術を愚弄し私する悪意の塊である。
だが、武術ではないので、剣技の実力は無い。一切ない。それは当該
当事者の動きを見れば即断できる。本物の武術としての歴史を持って
いないから、どうしても漫画やアニメや時代劇や本物の武術流派から
形ばかりを盗用して思い付きで組み立てているが、本物ではないので、
まったく刀法や剣を使った戦闘武技として成立していない。
やればやるだけダメダメがさらに加速度的に露見して哀れなのだが、
現実は雄弁に事実を物語る。


仮想珍劇団は、時代が時代ならば、すぐにソッコーで斬り伏せられちゃう
ような存在なのだろう。
芥子粒以下の存在だ。
元々が武術や武士の武芸とは関係のない連中が人寄せ興業で銭もうけ
のために大道芸としてやっている流れの末なのだから、全容も中身の
核心も
推して知るべし。
珍劇団提灯持ちのみんみん虫も見苦しきことこの上ない。第一この御仁は
人として無礼非礼失礼の権化だし、存在自体が日本武術界にとって全く
意味がない。

だが、人の世としては、みんみん虫のようなのは、一つだけ存在する意味
がある。
それは、かくも無礼慮外な思考法で人様に接してはよくないですよ、という
見本、人はかくもここまで「嫌な奴」に成り下がれるのかという見本として
反面教師となってくれていることだ。
例えば、ゴキブリはゴキブリが持つ害虫としてのばい菌持ちであるから
ゴキブリ向けの殺虫剤も開発ができる。ゴキブリがいなければゴキブリ
退治の薬は作れない。本末転倒だが、そういう意味でのゴキブリの
存在価値もあるにはあるのである。
ただし、人間世界にとってはゴキブリは完全せん滅するのがよろしいことは
言うまでもない。

 

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