渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

三都 ~東京・大坂・京都~

2017年04月25日 | 文学・歴史・文化

(本当の東京、谷中)

東京を知らない田舎者は「東京など人の住むところではない」
などとよく言う。
では、東京に住む人は人ではないのかと問いたい。
本当の東京を見てもいない癖に何を言うのか、と。
本当の東京人の息吹きは、山手線の中と下町界隈にこそある。
世田谷あたりをハイソなどと意味不明なトンチキをくれてる
都内の在の人間はおとといおいで、なのであるし、本当の東京
を見ていない地方の田舎者が自己唯一優良主義的に東京語りを
するに至っては、味噌汁で面洗ってこい、なのである。

ただ、私個人としては、本当の東京の人たちの人情深さは、
ちょいとうっとーしい時も結構ある。
とにかくおせっかいだし、よし俺に任せとけ、あたしに任せ
なさい、と世話焼きが多すぎる。そのくせ、軽度の距離感を
たもっていて「てめえのこたぁてめえでやれよ」という感覚も
ある。
そして、一番いいなと思うのが見て見ぬふりをせずに「およし
なさいよ」ということをはっきりと言ってくれたりするのが
東京人(ザ・本物系)だったりする。

大坂については、私は大坂に済んだ事が無い。
ただ、非常に強く感じることがある。
それは、「実は東京下町人と大阪人は非常に似ている」という
点だ。これはむしろ大坂の人は気づいていないことが多いかも
知れない。とてもよく似ているし、本音のところでは東京人と
大坂人は気が合う。かなり合う。
これは権力を嫌う民衆文化の共通精神土壌がもたらしている
もののように気がする。

(大坂。ミナミの有名看板に出ている広島県人発見)


友人の母国語がスペイン語の外国人は、全く日本語が話せ
ないまま、世界演奏旅行で日本に立ち寄った。それが大坂
だった。
大坂に滞在して、日本が大好きになり、日本語を覚えて、
帰国するのをやめ日本に定住してしまった。
日本に住んで23年、母国で21年。「日本は第二のふるさとだ。
ほかのところに住みたくない」と日本語で彼は言う。母国では
裕福な家系で事業家の家なので、帰国すればいつでも職も住居
(かなり広い)もあるのだが、「日本が最高だ」との
ことで
日本に今も住んでいる。

その彼が「東京は成田に車で行く時に通過したことしかないが、
大坂は住んでいたのでよく知っている。とにかく人が
めっちゃ
フレンドリーだ。大好きだ」と言う。そして「おれは大坂人」

とも(笑)
言葉も覚えた日本語(ペラペラ)が大阪弁系なので、私が
「日本語上手いけど、標準語は話せないよな」と言うと、
「な~に言うてんねん。バリバリの標準語やで」と真顔で言う。
それ標準語と違うから(笑

(京都)


京都の人は底意地が悪いと大坂の人はよく言う。
実際のところ、京都の女性は「好いても惚れん」と言われる。
徹底的な実利主義だとも。
京は千年王国である。
大坂のほうが帝がおわす都としては平安京よりも古いのだが、
同じ都でも京都はかなり文化や人の性質が大坂と異なる。
王城のあるところ、人の苦難と差別の歴史ありともいうが、
京都人が大坂人よりえげつないというか、涼しい顔してどぎ
ついぞというのは私も感じている。
東京人のように自分が損をしてでも人の為に「ひと肌脱ぐ」と
いうようなことは京都人にはないのではなかろうか。近江まで
とは言わないまでも、なんでもそろばん勘定で。
東京人の馬鹿ぶりは古典落語にもよく描かれていて、長屋の
隣りの熊が何日も食ってねぇというから自分の飯を持って行って
やって、かかあ(妻のこと)に俺の飯は?と尋ねると「おまえ
さん、何言ってんだい、今熊さんに持って行ったじゃないか」と
言われて「あ、そうか。しょーがねーな、おいらは。じゃ飯抜き
だ」と言うという。それが東京人=江戸者の気質だ。てめえの
目先の利益よりも、目の前に困っている人がいたら我が身を捨て
て火中だろうと飛び込む。それが江戸っ子=東京人の根っからの
気質であり、気風(きっぷ)である。
これは何も小説やドラマの世界の中のことだけでなく、本当に
本物の東京人は何の躊躇もなくそうしたことをする。

大坂人も似たところがあるように思えるが、大坂人は計算づくで
安全地帯を確保しながらそれをするように思える。東京人には
まったく計算などなく、ホントに馬鹿?という感じがするのだが、
東京人から言わせると、それを馬鹿だと感じるおまいさんたちが
馬鹿にちげーねーぜ、という塩梅なのである。私もそう思う。
例えば、てめえが大事にしていた物があるとしねえ。それを大事な
友がどうしても欲しがって使いたいと言う。だったらドンとそれを
やろうじゃねーか、ほいよ、やるよ。てのが東京人だ。
だが、それを指して「馬鹿?」とか言ったりするのもいる。
大抵は、地方から東京に出て来て地方人であることを引け目に
感じながら東京で暮らしているカッペだ。

京都の人は、こうした東京人的な「ひと肌脱ぐ」ことや、計算の
上だろうが人の為に動く大坂人的なこと(実際に人に対して有益な
行動を現実に行なう)は極めて薄いように私は感じる。
「はよいんでくれ(はやく出て行け)」という含みを持たせて
二杯めのお茶を笑顔で出すのが習慣だったり、最初からうちには
来ないでくれと箒をさかさまに軒先に置いておいたりとか、とにかく
京都の人で「普通」であることは底意地が悪いことが多い。笑顔の
向こうの腹黒さ、みたいな。

それは岡山県人のように腹黒いことを最初から無思慮に表に出す
腹黒さではなく、かなりオブラートに包んだ腹黒さを京都人には
感じる。
これは千年王国における面従腹背の一千年の歴史が作った人の心根
のようにも思える。あまり京都人からは「のびのび」とした明るい
明朗さは感じない。無論、東京人のような底抜けの馬鹿は京都の人
からは感じない。極めて理知的であり、かつ利己的である。

個人的には京都は10代の頃から毎年訪れていたので好きだが、
あくまで私は「ビジター」である。ふらっと行ってそのまま住みつく
としたら、絶対に大坂だ。あの空気は東京下町とそっくりである。

(京の鴨川。堤を人工的に作って都市計画を大昔から人が実行した。
私はゆえにそこに魅力を感じる。人が人の環境を何とかしようと
した努力の形が京都には残っているからだ)



本当の東京は、実は都内在住の人でも多くは知らないのではと思う。
ほんとの東京というのは、気どった鼻もちならない感じではなく、
かなりベタで粗野で乱暴。北部九州人は「なんかきさん、東京もん
やろが!」とは言うが、実はかなり気質は似ている。
そして、大坂人(キタというよりミナミの空気)とも通じるものが
ある。
思うに、それらはすべて民衆的なソウルフルに根付いたもののように
思える。
私はそこに「人間らしさ」を感じる。

(谷中の猫)
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