渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

古いナイフの広告

2017年07月12日 | 刃物


(1986年10月発売のナイフマガジン創刊号の広告から)

31年前のナイフマガジンに岐阜県関市の刃物屋さんのこの広告が
載っていた。

「今年度のSHOT SHOW(全米最大の銃、ナイフ、アウトドアー新商品
発表展示会)で関係者と訪問者に驚きと溜息をつかせ話題となった、
ブローニング社開発デザインによる新素材ザイテルにウッドマイカルタ
を美しいコンビネーションでインレイドした最新のナイフ。超軽量設計の
為、長時間の解体作業にも、携帯にも疲れを感じさせない最高傑作品」

「(注)輸出用ナイフの為、国内販売は数に限りが有りますので品切れ
の際はお許し願います。」


このナイフ、手元にある(笑)。


なんか、大袈裟な宣伝文句だなあ(笑)。
今の時代となっては、何てことのない合成樹脂素材ザイテル(当時は
新素材だった)にマイカルタ(これも新素材)を合体させたハンドルだが、
当時はポリマー素材の銃さえなく、合成樹脂そのものも耐久性のない
ものばかりだった。
NASAが開発したマイカルタも天然素材に人口樹脂を含浸させた新素材
で、各種産業部門では、まだ試験運用的な手探りの状態だった。
ギターメーカーのマーティン社は78モデルのD28のナット等に新素材
のマイカルタを使用したが、倍音性の問題からか、すぐに採用は取り
やめにしていた。
1986年になっても、時代はまだ金属と純天然素材が合成樹脂素材より
も卓越していた時代であったのだ。
その少し前の頃の映画の一つに、主人公が家具屋に勤め「これは最新
の合成皮革です。どうです、本物の革のようですが、飲み物をこぼして
もサッと拭くだけで綺麗になります」というような台詞があった。人口素材
が出始めたのが1950年代からだが、現代のように完璧な人口樹脂
が登場して普及たのは1980年代の後半だったのである。
ビリヤードのキューの先角などは、よほど安いキューでない限りは、
天然の象牙性が普通だった。だが、新素材のデルリン(デュポン社が
開発した産業構造樹脂)を最新技術の賜物としてバラブシュカや
ザンボッティは1950年代、1960年代に積極的にキューのパーツに
使い始めた。
ちょうど、1986年時点でのナイフのハンドル素材の変化は1960年代
のビリヤードのキューの素材変化と精神的バックボーンが似ている。
「最新の」を売り物にすることが何よりも価値を持った「伸び行く産業と
人類の科学技術」が信用されていた時代だったのである。
21世紀に入った現在は、そうした物質主義、産業増殖主義が見直さ
れて、回顧主義的なスローライフやエコや環境保全などが嗜好される
ような時代になっている。

1986年は、トイガンの世界では、ようやくガスガンが前年に初めて世に
登場し、造形もモデルガンのリアルさが加味され始めた頃だった。サバ
イバルゲームは日本での開始後3年目に入っていた。
この1986年からサバゲは芸能人の間でも爆発的な人気となって行く。
先鞭をつけたのは所ジョージさんだ。
それまではモデルガンを使った漫画家への「突然襲撃」を繰り返して
いたのだが、戦いの場は野外へと転換された。(所さんの銃は極悪
SS9であり、のちにこち亀でモチーフにされた。所さんの銃は100m位
の向こうからベアリングや貝殻弾が飛んで来た。カスタムは蒲田の
むげんさんが手掛けていた。AV女優の滝川真子ちゃんも所ファミリー
のサバゲメンバーだった。勝てないからと、彼女もSS9をむげんで
特注していた。
彼女はトリコロールカラーのヤマFZR400に乗っていて、時々京浜島や
臨海野鳥公園のあたりを一人で走っていた。

まあ、ナイフも古けりゃ、話題も古いってやつでして(≧∇≦)
滝川真子さんご本人は、実際に見ると、とんでもなく可愛いかったす。

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