渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

行きたいプール・ホール

2017年04月25日 | 外出・旅



行きたいビリヤード場はこれ。
喫茶店なのにビリヤード場も兼ねているというコアな名古屋の店。
その名も「喫茶 ビリヤード 名城」。店名もウルトラレトロの
明治時代の精養軒などの撞球台設置の洋食屋を彷彿とさせる。

入口がまたすごい。1970年前後の神田駿河台下の学生街の喫茶店
のようだ。


店内は「喫茶 ビリヤード」である。あくまで喫茶店にビリヤード台
を置いている体裁。




この店が三原にあったら俺毎日ここで飯食う。昼も夜も(笑)。

お洒落な店としては、広島市内には新しい店でハマーという
店がある。まだ行ったことはない。この店以外の広島県内の
店は全店訪問している。一番いいね~と思ったのは、福山市内
の坂の途中にあった喫茶店のようなおばちゃんがやっていた店。
すでに
閉店した。

ハマー(広島市胡町)


都内では、私が東京を去ってから出来た店がある。
こちら、ブラザー。神田神保町なので、以前の職場時代に
あったならば、まず職場の人としょっちゅう行ってただろう。
刀工小林康宏の生まれた場所のそばが私の昔の職場で、帝都
高速度地下鉄(当時)ならば銀座線の虎ノ門が一番近く、
都営線ならば内幸町が近かった。内幸町から神保町はサクッ
とすぐだ。
内幸町ではビルの前の広場が冬には小さな屋外スケートリンク
となっていた。(バブル期)
滑りたくて仕方なかったが、私はついにそこでは滑らなかった。
なんとサラリーマンたちはスーツ姿で滑っていた。みんな激ウマ。

ブラザー(千代田区)

かなり凛としたよい店ですね。
かつての甲斐プロが経営していた「ビリヤード銀座」みたいな
雰囲気がある。


私が一番行きたい店は、こういう雰囲気の店、というかこの
そのものだ。





映画のロケセットではない。現在も営業中の1903年開業のオリン
ピック・
クラブというプール・カフェの店なのである。
現在も主軸となるこのプール・カフェは隣接して建築された1913
年開業のオリンピック・クラブ・ホテルという歴史あるホテルの
姉妹附属施設の一室に現在は設定されている。
Olympic Club Hotel は、アメリカ合衆国ワシントン州セント
ラリアにある歴史的なダウンタウンランドマークといえる。
(英語のダウンタウンとは中心街のこと。日本語の下町という
意味とは異なる。日本で言ったら東京の大手町や霞が関界隈の
に相当する「官庁街」という意味もある)
古風な現用建築物は、観光スポットもなっているようで多くの
観光客が訪れる。
1913年に建てられたこの歴史的なホテルは、オックスフォード
ホテルとして長く知られていた。
オリンピック・クラブ・ホテル
は2階に26室のクラシックな改装済みの客室が現在も宿泊客を
待っている。

グラウンドフロアには、27番目のゲストルームと、ワシントン
州の数少ない劇場パブ(飲食しながら映画を観賞できるシアター)
がある。
また、ライブミュージックのための会場を備え、シックな
New
Tourist Barは観客たちを魅了している。
一から十まで素晴らしいの一言のオールド・ホテルである。







屋外のオープンカフェも人気がある。


撞球室には元祖カーリングのような遊技台もある。


しかしなんといっても圧巻はプール・ルームだ。台はたぶん1903年
オープンからの箱台だろう。ラシャ、ポケットのグローブも見ても
判るように、極上のコンディションを114年の間も保っている。
素晴らしいの一言に尽きる。


ホテルの口コミはサービスもよく、古いながらもよく整備
された客室で、評判はかなりよい。1泊1万円ほどで、宿泊
料金は決して高くない。


こんな時代からやっていた。アル・カポネの時代よりもさらに
前だ。カポネが5歳の時にオープンしたプール・カフェである。
この写真ではまだホテルは建っていない。従って、撮影年は
1903年から1913年の間であるということが判る。

ほんの20年ほど前は、西部劇の時代で、郊外では誰もが
拳銃を腰にぶらさげていた時代である。

こちらは既に隣りにホテルが建設されている。1913年以降
の撮影であることは確実。


日本の帝国ホテルの落成は1890年であり、アメリカでいえば
西部開拓時代、拳銃バンバンひゃっほ~!の時代である。
帝国ホテルは建て替えられたが、このホテルは、つまり帝国
ホテル内に撞球室が今もある、というようなものである。


ホテルのシアターもオールドテイスト。テイストではなく
オールドそのものなのである。


バーがまた映画のセットのようなバーだ。


何から何まで最高だ!
死ぬまでに絶対セントラリアに行って宿泊してやるっ!
地球上で世界一行きたいプール・ホールはここに決定!




自分で持つならば、こういう店がいい。店内は明るいのにオールド・
テイスト
の落ち着いた店。昔の神田駿河台の喫茶店を明るく広くした
ような雰囲気の店だ。当然、スペクテイター・チェアは当たり前の
ように
揃えている。

日本の法規では、厨房とプール台を間仕切りしなければならない
ので、カウンター内厨房というのは現在不可です。1990年前後
までは国内でもOKだったんですけどね。
なので、こうした造作にするならば、ドアで仕切られた厨房室が
ないとオープンできません。
先日、オーナーが元コックだった人がやっているビリヤード場に
行ったのだが、そこのマスターの料理が最高に美味かったので
期待して行ったが、厨房を閉鎖して一切料理を出さないシステム
に変えていてかなり落胆した。その店は間仕切りもきちんとして
いた店舗だったが、玉屋に特化したようだ。
変わったのはスリークッション台が1台置かれていたことだ。
ヒーター入りの本格台だ。
ただねぇ・・・メシが食えないと長時間撞けないじゃないか、ねえ?
玉屋の定番は出前で、目黒のポケットでは出前取りまくりで店の
ビール飲みまくりだったが、ビールはともかく、メシは玉屋では
食いたいのは本音である。
食事取れないと、常連者が固く定着しないのはほぼ確実。
これ意外と見落としがちで、最近の玉屋は見誤っている方向に
振ってしまっているのがかなり多い。
結果、どんどん客足は遠ざかる。遠ざかると飲食関係からどんどん
手を引く。
逆なんだよなぁ・・・。
客にくつろがせてしまって、まるで自宅=ホームのリビングのように
居着かせるのが玉屋の固定客獲得戦法なのに。
ビリヤード終わったらとっとと帰れ的なのはバグースとかプールバー
とかそういうのに任せとけばいいのに。
玉屋で新聞読んでテレビ見て、飯食って、仲間とダベって、そして
玉は撞くならば長時間撞かせる、というのが本当は良いのよ。

そういう意味でも姉妹店のホテル併設のプール・ホールなんてのは
最高の環境な訳。アミューズメントもホテルが付帯施設で完備してね。
遊んで疲れたら泊まって、映画を見ながら食事してバーで飲んで、
玉撞いて・・・すべて客にそこで金を落とさせるシステム。楽しいの
だから客は喜んでお金を使う。
つまり、東京の私鉄鉄道会社のシステムなのよ。
日本の私鉄電鉄会社は、拠点の始発駅に自社百貨店を置き、そこから
延びる沿線上に住宅街を作り、さらに各駅には小規模店舗を置く。
すべての生活に関わる金をすべて自社グループに落とさせるシステム。
こうした構造のプチバージョンが実は経営面では撞球等のスペース
面では必要となってくる。玉屋が玉屋だけで経営が成立することは
まずない。なぜならば、占有敷地面積に対しての顧客定着数と維持
経費がまったく採算ベースとは成りえないからだ。
台が5台の店があるとする。1時間2名で約1000円。最近では苦肉の
策で3時間1000円などにさえしている。
それが1日のうち、今の状況では1台あたり4時間ふさがったとする。
5台で20時間。3時間パックで約6600円。二人撞きだとしてその倍
で1日の売り上げ13,200円。毎日営業で月に396,000円。
地方の田舎店としても、夏場等の光熱費は約8万円、水道代その他
で約2万円の-10万円=296,000円。
家賃が約15万円としよう。すると残りは146,000円。でもどんなに
田舎でも5台店のスペース分の店舗家賃は18万以上はするだろう。
となるとさらにマイナス3万円で収支は116,000円である。
ビリヤード場経営だけでは暮らして行くことはできない。
複合的な消費構造体の中の一つとせざるを得ないのが日本のビリヤード
場の現状なのである。小規模な商店主のような玉屋は今後どんどん
潰れて行くことだろう。
複合体の一部とならなければ、玉屋は生き残れない。
ビリヤードだけでは駄目で、食事をはじめとした総合サービスと
しての設備を持っていないと絶対に生き残れない。
とにかく客をそこに居させて、金を落とさせなければ駄目だ。
だからこそ、ワシントン州セントラリアのオリンピック・クラブ
のような店舗は100年オーバーで大盛況のまま経営が出来てるの
だと思いますよ、あたしは。

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