渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

刃物業界の闇の部分

2017年07月13日 | 刃物

瀬戸内沿岸に今住む私が日本海側に住む友人と「オクで掘り出し物
の包丁とか欲しいね~」とか、
仕事ハネてからメールでやり取りして
良品を物色していた。
丁度、
私が注目している出品者の出品物を紹介して、一緒に閲覧
していた。

なんでも研ぎと包丁数寄が高じで関でオリジナルの自分の包丁を
作らせて、それをオークションで販売している、との自己紹介の
出品者だ。


その出品者の包丁は沢山出ていたが、二人で1本ずつ買おうかと
して、ポチる寸前まで行ったところで、私が「ちょと待て!」と連絡
した。

この包丁が出品されていたからだ。



これって・・・。

↓こちらは私のウェブ日記から。





私が鳥取県の道の駅かわはらで買ってきたアジ裂きである。
これは私は今まで4本も買っている。鳥取の岡久刃物店から
私は購入したが、同店の手打ち包丁だと説明を受けた。

だが、ヤフオクで新潟の人が出品している物と全く同一製品
である。



オークションで出品されている包丁が関製ではなく鳥取の岡久製
の物であるのか、あるいは岡久刃物店で販売している物が岡久
オリジナルではなくヤフオク出品者のオリジナルデザインとされて
いる包丁であるのか。
いずれにせよ、どちらかが虚偽を言っていることになる。

あくまで推測だが、どちらも嘘を言っているのではなかろうか。
これはこの出品者が「私が考えたオリジナル」と言っている包丁の
多くが、一般的によく見る形状であるからだ。まるで土佐武峰の
ような。
そこで、日本刀の江戸期の業界カラクリからの類推が働く。
刃物業界でミクロ的な包丁の分野においては、江戸期の刀装具の
出来合い既製品の「仕立て品」という物と同じような「流通既製品」
があるのではないか、ということだ。
各刃物店の包丁といっても、別に正本が正本の包丁を作っている
のではなく、木屋にしても西勘にしても、それぞれ刃物店がトンテン
カンとやって包丁などは作ってはいない。自分か契約している職人
が作った包丁に自分の店舗の銘切りをしてオリジナルとして販売
しているだけのことだ。これは業界自体がそのようなシステムになっ
ており、その構造は江戸期にすでに作られていた。
鍛冶職人は包丁を作る技術はあるが販売などの商業活動はでき
ない。商人ではないので、販売網などは持っていない。
一方商人は販売網は持っているが、鍛冶屋ではないので、生産
能力はない。従って、職人を抱えるなり、独占特売契約を結んで
製品を製造させてそれを仕入れて店の商品として販売する。
こういう仕入れ→販売ルートが出来上がっていた。
日本の産業の場合は、概ね別分野においても、そういうものであった
事だろう。
そして、それのルートを仕切るのが問屋=仲買人だった。問屋なくば、
日本の商業活動は一切どの分野でも成立しなかった。それが昭和末期
までの江戸期から続く日本の産業形態だった。

包丁については、既製品の「仕立て品」が業界共通流通商品として
存在するのだと思う。
それに自分の店舗の銘をちょちょいと切るか、あるいはあくまでも
自分のところで作った(「自分が鎚を取って鍛造した」とは明言して
はいないが、携わったという意味では「作った」ことにはなる)という
ことにして自店舗のオリジナルとして販売、という構造が出来上がって
いるのではなかろうか。
今回発見した、ヤフオクでの出品者の多くのオリジナルと称して競売に
出されている出品物と他店舗で同じくオリジナルと称して販売されている
包丁が同一物であることを見るに、仕立て品が業界の常識として流通
しているのではなかろうかと感じるのである。

たぶん、事の真相は図星だと思う。
まあ、私が鳥取で買ったこの小さなアジ裂きは、切れる包丁だから、
誰が作ったのであってもいいのだけどね。
だけど、「自分のオリジナル」と称して売りさばくのは、ちょっとどうかと
思いますよ。

オク出品者の出品物には気に入った手ごろな価格の包丁もあったが、
即ポチはやめにした。
少しいろいろと俯瞰熟考してみることにする。

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