渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ソーセージ

2017年07月15日 | 親医楽食

埼玉の居合の先輩がソーセージを冷凍にして送ってくれた。
お礼の電話を入れたら、「外で食べると美味いぞ。元気出せよ。
けど無理はするなよ」とのことだった。お気遣いかたじけなし。
なんでもこのソーセージは埼玉の山のほうで作っているそうだ。
そこから取り
寄せてくれたらしい。

この先輩の納刀技法を私は盗んだ。私の納刀法はこの先輩
のコピーである。
私の独身時代の居合のやりはじめの頃は毎週末家に泊めて
くれて、たらふく飲んで食べさせてくれた。半年もそうやって
面倒みてくれた。その後もお世話になりっぱなしだ。
私は16歳で親と別居したので、14年後のその家庭団らんの
和に入れてくれるのが嬉しく
て、毎週週末が楽しみでしかた
なかった。
居合の稽古というよりも、先輩の家で先輩家族5人の中に
混じって一緒に腹から笑うのが楽しかったのだ。
本当に笑いが絶えない明るい家族で、奥様も相撲部屋のおか
みさんのような人柄で、面倒見のよい人だった。女優の倍賞
姉妹のイトコにあたる。元ミス浅草だった。

私が今も愛用している鳳凰の美濃鍔はこの先輩からの頂き
物で、1990年代初期から愛用している。
先輩は射撃の選手でもあり、息子さんは私とも歳が近く、やはり
射撃の選手だった。それ以前はライダーでもあり、筑波では
そこそこのタイムを息子さんは叩き出していた。私とは何かと
気が合った。先輩である親父さんも浅間登山レースの頃にフラット
オーバルコースが後にオートレースとして発展する時代のオート
レーサーをしていたこともあり、各地を転戦していた経験を持つ。
まだ協会が今のように整備されていなかった頃で、福山競馬場
でのオーバルコースでのオートレースにも遠征参戦したことが
あり、広島県の人たちの歓迎ぶりが温かかったと先輩は言って
いた。アメリカはそのレースが「ダートトラック」として成立し、ロード
レースの不世出の世界チャンピオンであるケニー・ロバーツは
そのダートラックレースの出身だった。
日本ではダートトラックは先輩の時代以降まったく廃れ、オーバル
コースでのレースはギャンブルレースとしてのオートレースと
なって一般的なオートバイのレースとは独立した独自の形式の
カテゴリーとなった。オートレースは日本固有のモーターサイクル
レースとして成立している。元々は西欧のロードレースをクローズド
のオーバル(楕円)コースで行なうことから発生している。
そのオートレースがまだオートレースではなく、ロードレースとの
明確な区別がない頃、モトクロス競技も発生していない頃の浅間
登山レース(英国マン島レースを模した日本のレース。モトクロス
的な要素も多かった)の時代に、先輩はバイクのレースの選手を
やっていたのだった。

親子で行く銃猟には私も何度も同行させてもらった。
親子揃って銃の腕に正直いって驚いた。競技選手ではあるのだが、
実猟に
おいても非凡なことをやって見せてくれた。
居合にしろバイクにしろ、先輩は「技術の人」だな、と私は思った。

先輩自身もライダーで、私の在京時代にはハーレーのローライダー
に乗っていたが、今は高齢のため下りている。
秋田藩の家老の末裔だが、本当に本気の危ない人なので、この
先輩と万が一対峙対決という状況になったら、私はワハハハと
笑いながら「これくらいで勘弁してやろう」とそのまま正対したまま
後ろに跳び下がって逃げることにする(魔界転生のジュリー風)。
ヤクザだろうが国家権力だろうが誰だろうが、本気でやるときには
やっちゃう人なので・・・(^^;
父親は戦後は戦犯中将で、葬儀にはSやKやOなど日本のそうそう
たる右翼も列席していた。
ただ、親父さんとは対立し、進学したばかりの法政大附属高校も
辞めて15で家を飛び出し、一切親の手を借りずに一人で独立して
生き抜いて来た人だ。ちょうど1950年代~60年代初期の日活の
無国籍映画の頃で、まさにその映画の中にいるような人生を送って
きた。「ちょほいとまちな!」みたいな。暴れん坊を絵に描いたような
人だが、先輩のきょうだいたちとお会いしていみると、お家に残った
きょうだいたちは、どこかの深層の方々のような雰囲気で、先輩の
ようなバンカラ(死語)とかなり違うので驚いたりもした。

先輩は常に本気で生と死とのはざかいで自分の力だけを頼りに
生きてきた人だ。家に帰ればなに不自由ない生活ができたことだ
ろう。昭和10年代前半生まれで私立大学の附属校にまで進学させ
てくれるような当時としてはいわゆる一部しかいない富裕層に属する
家庭環境だったのである。それを捨てて、自分の力だけで生き抜い
てきて、起業し、やがてそれも順調に拡大して企業人となった。
すごいことだと私は思う。
で、怒らせちゃったりしたらまじで洒落にならない人なのだけど、
最近は高齢となり好々爺然としてきたようだ。
お弟子さんには警察署長や地元の警察官もおり、他にも一般社会人
の多くの人からも慕われて居合の一門を今構えている。私の高校(学園)
の先輩も高段者の弟子で先輩の一門に私が転居後に入っていたことを
食事会の時に知って驚いた。人の縁はどこかで繋がっている。

30年来の付き合いの居合の先輩は、
元大洋ホエールズの斉藤明夫
投手に似ている。昔から似てた(^^;

居合では五段時代に県代表で全国大会に最高齢で初出場し、優勝
候補と目されたが準決勝で五本演武のところ四本で終えて
しまい、
敗北して三位になった。前代未聞と専門誌に書かれたりして
いた(^^;
しかし、本人は欲がなくケロッとしている。
先輩らしいや(笑

先輩の居合道場には、刀工康宏友の会「游雲会」の埼玉在住の友人
も門下生になった。
友人は私の紹介で弟子入りを申し入れたら、先輩は「弟子は取らない。
俺に弟子は一人もいない。全員仲間であり友だちだ。それでよいならば
一緒にやろう」と私の友人に言ったらしい。
先輩らしいや(笑

(これは斉藤明夫氏。よー似てはりまんがな)


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