渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

鎺(はばき)と刀の長さ

2017年05月14日 | 日本刀



刀の長さというのはほんの5ミリ程も違ったらとんでもなく
違うように感じたりする。
特に居合をやっている人はそう感じるのではないだろうか。
実際に二分=6ミリ違ったら、余程の鈍感な人でない限り
抜刀・納刀の時に違いを感知できる。

ところがですよ。
刀の長さというのは棟区(むねまち)から切先までの直線
距離を「長さ」と呼称しているのだが、刀は刀身を裸身では
保持しない。拵という外装を装着して初めて佩用なり帯刀なり
ができる。
その外装の握り部分の柄(つか)に刀身をはめるには、鎺
(はばき)という金具で刀身を固定して鞘内と密着させて
鞘から抜け出ないようにする。
この鎺が曲者で、一応高さの標準はあるが、鎺には棟区と
刃区を呑みこませる「のみこみ」という切れこみがある。

ここに刀の区(まち)という凸部が当たってがっちりと
グリコの合体オマケのように連結されて固定される。
だが、この鎺ののみこみが深いか浅いかで実際の事実上
の刀身の長さは変わってしまうのだ。
なので二尺三寸でも飲み込みが深ければもっと短い刀
と同じになり、のみこみがあさければ長い刀と同じと
なる。
さらに鎺自体も多少の高さの上下を加えると、実際の
裸身の刀身の「長さ」と、現実的な実用上の外装装着
後の長さは、必ずしも一致しないということになる。

こうしたことは体感でも分かる。
私の武用古刀は、刀身の裸身の長さが二尺三寸四分
なのであるが、どうしても二尺三寸六分の時の康宏刀
と抜刀納刀が同じ感触だと康宏を持った最初の頃に感じ
ていた。
すると、鎺の形状を見て寸法を計測したら、その武用古刀
のハバキは区ののみこみと本体高さ合わせて、一般物より
も6ミリ長かったのである。つまり二分。武用古刀は
裸身の「長さ」が康宏よりも二寸短かったのだが、鎺が
腰高でのみこみも浅いので康宏とたまたま実質同寸の
刀になっていたのだった。

刀の長さについて考える際に、鎺の形状は欠かせない。
ちょっとしたことで実際の長さが1センチほど変わって
しまうこともあるからである。
武用で日本刀を扱う方は、ご注意ください。棟区から
切先までのいわゆる登録証に記載されている「長さ」は
あくまで目安であって、武用的観点からの長さとは一致
しません。
鎺を装着させて抜刀して、スケールで刀身を切羽元から
切先まで実測して真の長さを把握しておいたほうがいい
でしょう。二尺三寸の登録証の刀が二尺二寸八分の刀
よりも外装を着けたら短い、ということもありうるのです
から。

抜刀・納刀については、数回やれば長さが変わっても即
対応でき、瞬息抜刀や高速納刀が可能です。
人間の能力とは適応性が結構高く、数回の抜き差しですぐに
1寸程度の上下には武技としても対応できます。
むしろ、常に同じ物のみを使っていて体に浸みこませて
しまっている場合は、他の武具を使うと使えない、という
ことにもなりかねません。
武技については、「固着」が一番いけない。
武具についても愛刀は愛刀で大切ですが、どの刀でも使える
ようでないと、本来の合戦や主命働きの武士の武技として
能力を発揮できません。自分用の武具にこだわるのは良い
のですが、戦闘局面では他者の刀を奪ってでも切り抜け
なければならないこともあるでしょうし、己の特殊仕様
の刀のみに心が捉われるのは、往時ならば武士の本懐の
妨げになる阻害要因としての心根になると私は思います。
落ちている石を投げてでも任務遂行のために勝利を掴む。
それが武人の本旨かと。

とは言っても、今の時代、武士はいませんので、どちらさんも
どんなに気張っても「ナンチャッテ」の域を絶対に出ないの
ですけどね(笑)。
この絶望的絶対定理(笑)。
スポーツならば別です。プロスポーツもあるし、それを
職業とできる。
しかし、現代において武芸を職業にするということは、
三味線や民謡や踊りなどと同じ習い事芸事の本職になる
というだけのことでして。
武芸が武芸としての本質目的を達することが禁じられて
いる現代ですから、極言すれば、いくら古流だなんだ
偉そう大将決め込もうとしても、所詮はコスプレコミケ
と変わらない、ということです。
あるいは大衆娯楽演芸と同類。
言ってみれば、現代武芸者というのは吉本新喜劇の芸人
さんたちと変わらんのですよ。

肩の力抜いて・・・って無理だよね。古流武術やってる
連中はもう本当に人間的に人を睥睨することしか好まない
とんでもない嫌な連中ばかりだから。人格悪し。
えっらそうなのとか慇懃無礼なのばかりだよ(笑)。
人格的には人として下の下の下みたいなのばかりが武術やってる。
いやな野郎がどうして多いのか。あれ、「人を倒す」という
のが武術の原初だから、そこだけ抽出して人間性ねじ曲がる
ところに負のスパイラルが作用しているのではなかろうか。
本当に俺様大将ばかりで異様な世界だよ。
妻曰く、「武道界が変なのではなく、変な人しか集まらない
のが武道界なんじゃない?」
然り。これは一本取られましたわい。ちょっと逝って来る。

武術なんてやってる奴は結局は自分こそが絶対に正しく、
自分こそがすべてで自分を愛しちゃってる変態ばかりだしよ。
あくまで自分が優位に立った形で終わらないと気が済まない
ようなのばかりでさ。そういうのって・・・非常に心根が
汚い。そういう下の下の下みたいなのばかりが参集するのが
武術界なのよね。ネット見ててもひどいよ。ツイッターとか
ネット掲示板とかフェイスとか。ネットの使い方って
個人攻撃や悪口雑言のためにあるのか?みたいな(笑
まるでice-kのような悪意の魂が武術界にはうごめいている。
団塊世代もひどいけど、特にネットではゆとり層にひどい
人格の連中が集中して多いね。カスみたいなのばっか。
なんか大切なものを親とか教師とか先輩とか付き合ってる異性
とかから学んでこなかったのだろうなぁ。

みんな刀など置いて日曜には教会にでも行ったほうがいい
ような気がするけどな~(笑)。

おいらは日曜のきょうは落語聞きに行って来るけどよ~。
俺、武術や武道には興味ないから。ちょいと趣味でやってる
けどさ。飯よりも刀が好きだから。職人さんという「人」が
作った刀が好きだから。
なんか武術やってる奴って、やってることは単なる趣味な
くせに、やってたら偉いとか勘違いしてる奴らばかりなの
よね。いや、まじで。特に古流とかだけの奴。そしてそう
いうやってることを人を睥睨することに優越感の代行便と
して利用する。
人間としてカスやで、あんた、そういうのは(笑

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