渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

シャプトン 刃の黒幕

2017年07月16日 | 刃物



まあ、今さらながらのシャプトンだが、相変わらず研削性の高さには
感心する。
人造砥石の1000番はいろいろ持っているが、キリッと面出しの削り
をやってカエリを出したい時にはシャプトンの刃の黒幕だ。
シャプトンは良い砥石を作る。(ただし高額)
だが、5000番以上の高番手では他メーカー物や天然砥石のほうに
分があることも多い。なんでもかんでもシャプトンが良いということでは
ない。砥石は刃物との相性を見ながら、取捨選択していくことが適切
な砥石の運用方法だろう。

カエリが出たら本山合いさ(あいさ)で軽く合わせ研ぎをする。


ナイフなどはこれだけで十分行けると思う。
念のため、いつものように革砥でストロッピングしてから試し切り。


狙った切り味になっている。
試し切りは試しであるので、「切れるか切れないか」とか「よく切れるか」
とかの低いレベルでの判断やそういう発想は持ちこまない。
ある意味音楽や演劇などの芸術と同じ素地を切り味というものは持つ。
音楽や演劇が「上手い⇔下手」で判断できないように、刃物の切れ味
は、切り味として昇華した領域で判断する限り、「よく切れる⇔切れない」
という低次元のレベルではない本質的内実がどうであるのかという
ことに迫って行く。その時刃物の刃味は、芸術的な領域に属するものと
なるのである。
そして、単なる芸術性を帯びるだけではなく、実用性、しかも限りない
実用性が付加される。
刃物で物を切る事ということは、そういった質性を具備しているのである。

従って、私は自分の研ぎ上げた刃物や、他人が研いだ刃物をみる場合、
それが実用刃物であるならば、
「どのような切り味を有しているか」という
ことに最大重点ポイントを
置いて刃味を判断する。
こうした判断レベルでの刃味は、「切れ味が良いか悪いか」といった雑で
低い次元での判断ではない。「切れ味」ではなく「切り味」=刃の能力の
特性、特徴について判断することである。

このような高度な判断は刃物の繊細さを求める楽器職人や彫り物を
する宮大工や寿司職人などの和食料理人などは、ごく普通に自分が
研いだ刃物に
ついて常に判断を下していることであり、当たり前の事
なのである。

「切れ味が良いか悪いか」などというのは、大雑把に過ぎて、こうした
刃物を使うプロたちの観点からするとまるで話にならない。
私の研ぎは、常に「切れ味」ではなく「切り味がどうであるか」を求めて
研ぎ上げている。
判断材料には同じ新聞社の新聞紙一枚を私は使う。(家内は常に
トマトを力を入れずにスライスするようにして使う。トマトの個体差より
も同一会社の新聞紙のほうがバラつきは少ないだろうという判断が
私にはある)
これで刃先の状態が判断できる。根元から切先までの全域で切るの
だが、どのような切り味であるかを感知することで刃の状態が物理的
にどうであるのか克明に判断できるのである。
新聞紙が切れたか切れないかとか、よく切れるか切れないかとか、
そういうレベルの低いことを判断しているのではない。

日本製砥石のセラミック部門の中砥石では一番優秀な砥石を作る
シャプトンについては、こちらの動画がさらりと爽やかだ。
紹介したい。
sharpen your life with GLASS STONE SEVEN


おいしい料理はよく切れる包丁から。これは本当のことなのです。
嘘、偽り、捏造、一切なし(笑)。
まあ、使っている物を見れば、どんなことをしているか、どんな腕か
というのが即座に判るのは、料理も剣術もまったく一緒、ということ
でして。

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