渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

合セ着ノススメ

2017年07月14日 | 日本刀



差し料の刀装具をまとめ上げる場合、全体の構想、テーマが大切だ。
鍔だけとか縁頭だけとか、何か気に入った一点パーツのみをバラバラ
に選んで
それを合体させるとチンドン屋のようになってしまう。
これは刀装具を揃えるにおいて、一番の下手(げて)となる。
武士の面白い側面には、常に生死の境にいた種族であるからか、
武具の意匠選択においても、粋な面があった。常に香を被服や頭髪
に焚きしめるのは、いつ死んでもみすぼらしく汚らしくないようにとの
配慮であったし、武具選択においても、非常にハイセンスな選択眼を
武士たちは発揮していた。
それが、全く生に執着する富裕層の俗人の数寄者とは対極にある
洒脱な面として表現されていたから、現代人の私たちは武士の武具
を見るに、死を常に意識する人間たちの透徹した清々しさを見るの
ではなかろうか。

武具選びとしての刀装具の金具は、ちぐはぐな頓珍漢な意匠がバラバラ
に寄せ集まるようなことは避けたい。
それを避けるには、刀装具たる金具についての学習勉強も大切だが、
何よりも「合せ着のセンス」を磨くことだ。
「刀は人を表す」と古来より言われる。その所有者の人となりが刀の
在り方に現れるのである。刀装具などはその最たるものであろう。

一つの方法として、「同系統の金工師でまとめる」という方法がある。
もう一つとしては、「画題のテーマを決める」ということがある。
後者であるならば、別地方の別流派の金工作品でも、まとまりのある
一幅の画にまとめあげることができる。
そして、大切なことは、金具選びの際には「物語を折り込む」ということだ。
そのためには、単品で気に入った物だけに心が捉われて衝動買いを
するのではなく、総合的な観点を構想して、その中の一つとして鍔なり
目貫なり縁頭なり鎺(はばき)なりの金具の設定を組み立てて考える
ことが肝要だ。





私などは、戦国末期の古刀の拵は、美濃系の鍔であるならば、
同じ赤銅の後藤系の意匠の縁・頭・目貫を選択する。事実その
ようにしている。この後藤系の赤銅魚子(ななこ)地の縁頭に
素朴な肥後の鉄鍔だとしたら、それはかなりチグハグで合わない。

また、鍔の鍍金部分に合わせて、金の菊形切羽を装着している。
これは抜いて正眼に構えた時、グッと切羽がかなり際立って注目
される。
対峙行為の場合、超練達者には通用しないが、一点に注目して
気が取られるというのはたとえほんの一瞬であっても大きな隙と
なるのだ。
私の切羽と光る鎺は私が正眼に取った際に、対峙者はほんの
一瞬でもそこに目と意識を取られるとしたら、それが隙となる。
その時には瞬時に斬で終わっている。
居合ではなく剣術で対峙した場合は、どこを見てもいけない。
観の目強く、見の目弱くで、遠くの山を見るように、全体をボウッと
見てそしてすべてを把握するのである。前方だけでなく前後左右
を感知し察知するのである。
これは実は一対一の対峙対決ではなく、風のように駆け抜けなけ
れば生存不可能な複数集団戦の乱戦白兵戦においても、全く
同じことがいえる。「見て(凝視)」はならないのだ。
そして、集団乱戦であろうと、一対一であろうと、実際にはかなり
人間は(人間にもよるだろうが)自分で驚くほど冷静なものである。



武用刀である私の差料の小林康宏についても、座右の銘である
「梅華剣蕊」をテーマに梅の花で
鍔・縁・頭・目貫をまとめている。








私の場合は、思うところがあり、コピーの新物(あらもの)ではない
すべて時代本歌の本物の金具で外装
を拵えている。これは古刀
だろうが現代刀だろうが。
だが、現代物の仕立て物でも、センスの良い造り込みの金具も
多いので、よく見てよく選んで合わせていけば、十分に時代金具
本歌に迫る造りを拵えることができる。私も替え柄などは現代金具
を使用した武具も用意している。

こうした金具揃えは、新作刀の場合などは、刀身が出来上がって
来てから金具を物色してもすでに遅く、注文打ちなどでは何年も
待つ間に金具は揃えておくべきものだ。
拵製作は、まず金具が決まらないと寸法出しができない。
俄かに寄せ集めの金具ではなく、新作刀などで時間的余裕がある
場合には、じっくりと腰を据えて金具の品定めをすべきだろう。

合せ着のセンスを磨くことが大切で、スーツに革靴は違和感はないが、
ブルージーンズにブーツではなくビジネス革靴というのは合わないし、
夏だからと甚平を着て革靴をはくのもまったく合わない。
そういうことを刀装具でやらかしてはならないのである。
肥後なら鉄鍔に鉄肥後金具、薩摩拵ならば鮫ではなく革下地に巻きも
薩摩で、等々の合せの「まとめ」が絶対に刀装具には必要なのである。
それと、武道具屋は刀の事など知らないので注意を要する。平気で
逃げ目貫で柄を作ったり(大阪M、岐阜M)、薩摩拵の革下地や
「諸(もろ)捻り巻き」を知らなかったり(岐阜N)することもある。武道具
刀剣店は美術刀剣専門職ではないと刀剣界から一段も二段も下に
見られることが常だが、武道具刀剣店が不勉強であることは事実だ。

ただし、柄巻きに関しては、武具として膨大な数の柄巻きをこなしている
武道具刀剣店の職方の仕事のほうが美術刀剣店のかかえる柄巻き
師の仕事よりも正確確実堅牢であることが多い。これほんと。
私も都内有名刀剣店で居合用柄巻きを大枚投じて依頼したことがある
のだが、すぐに柄糸が緩んでしまい、てんで話にならなかった。
その点、岐阜のM社とN社の柄巻きは堅牢そのもので、実用刀剣と
して申し分ない。
美術刀剣界は武道具刀剣店を小馬鹿にして睥睨
して喜んでいるという
鼻持ちならない連中の集合体なのだが、柄巻きに関しては、居合刀を
扱う武道具刀剣店
のほうが遥かに確実な仕事をしている。これはゆるぎ
ない事実である。


見せかけだけの使えない刀身や刀装具でありながら、偉そうにふんぞり
返って武道具刀剣店や居合刀や試斬で使う刀やそれを扱う人々を馬鹿
にし切っている
美術刀剣界の業界人たち。
しかし、現実的には、武具としてはお話になら
ない「絵に描いた餅」を
掲げて大金を人々からむしり取っていながら
横柄な態度を決め込んで
いるのが美術刀剣界の実像だ。

そもそもが、無礼であり、慮外である。
仮に武士の差料として造りを拵えて、実用性が著しく乏しい中身であった
としたら、武士の時代ならばその業者はただでは済まない。
そういう大切なことに、現代美術刀剣論者やそれに群がる業者たちは
寸毫たりとも理解が及ばないのである。
元々は命懸けの種族が腰にするのが日本刀だ。
刀職も、それを扱う業者も、命懸けで仕事をしてほしいものだ。

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