渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

手の内のキモ

2017年03月07日 | スポーツ・武道など



私の神奈川の師匠からも、尾道の先生からも特に厳しく
教えられている事。
それは「刀は柄を握らない」ということ。
握らないとは握り締めないということ。
この画像でも、「軽く締める」ことはしても握り込んで
はいない。

ただ、流派の教えで、これとは別法もいろいろある。
たとえば、試刀術の山田流には「つよく握る」とあるし、
別な著名流派でも「かたく握る」という教えもある。
ただ、土佐居合系では、握り締める柄手使いはほとんど
使わない(土壇などでは別理論がある)。
特に土佐系でも無双直伝英信流では「刀の重みと速度で斬る」
という教えと同時に「浅ク斬リテ後足ニテ勝ツ」という教え
がある。
両者は別物の教えだが、密接不可分なことであり、とりも
なおさず、「刀法」についての口伝の一つとなっている。
刀線も円弧を描く場合と、楕円を描いて真下にギロチンの
ように切り落とす場合とがあり、これは適宜使い分ける。
「常にどのような場合でも同じ」という概念は土佐居合には
ほとんど無い。臨機応変に居て合わせて行く。

ただし、物理現象としては、刀の柄を固く握りしめていては、
フラップ効果とレーキやピッチの関係から、一度刃筋が狂った
軌道に乗せてしまうとどんどんズレが生じたまま打ち込む
ことになり、結果として刀身を曲げ、戦闘不能になる可能性
が高い。平打ちしたならば、どんな刀でも曲がるのは当然で
あるし、鍛えが良くない刀の場合、下手したら折損にも繋がり
かねない。
刀剣は多少曲がるのはどうにか戦闘が続行できるが、刃こぼれ
や、刃切れから折損に至った場合には致命傷を惹起しかねない。
刃こぼれよりはまくれ、折れよりは曲がりのほうがよい。
刀剣要件でよく言われる「折れず、曲がらず、よく切れる」と
いうのは、武器としては「折れず>曲がらず>よくきれる」と
いう順列として必要要件を述べているのである。
切先なども欠けて欠損する鍛えよりは、曲がっても刀身が残存
している造り込みのほうがよい。

切れ味の良さを決定づけるのは、金属学的には高硬度に限る。
だが、日本刀という形状にした場合、単に高硬度にしただけ
ではない別なファクターが作用して切れ味の方向性を決定する。
それは全体の姿、重ねと断面形状であったり、地刃のバランス
であったり、衝撃緩衝をどのように処理する刀身かであったり
する。
キンキンにピンと張っただけの刀身では折れやすい。
かといって、ベナンベナンの金属メジャーのような刀身でも
使い物にならない。
適度にしなりを持ちつつ腰があってピンと張っている刀身こそが
理想的で、衝撃に関しても、刀身内部で衝撃を完全に吸収解消
できるような構造体でないとならない。
専門的な話をすると、鎬の在り方、鎬と鎬地と平地の肉(しし)の
在り方はかなり刀身にとって重要な結節幹となる部分であり、
これの持って生き方で切れ味や耐久性に影響が出る。少し変えると
大きく結果が異なったりする。

遣い手の側の問題としては、やはりギューッと柄を握り締めて
握り込んで力任せに刀身を振り抜くような扱い方をしたならば、
どんな刀身であっても、刃筋が狂えば不具合を生じることだろう。
また、対人戦闘行為においては、そうした刀の使い方は、次の
場面の瞬間に対応できない用法だと思われる。
警棒のようなぶった叩き棒ではないのだから、刀という薄い鋼の
刀剣には刀なりの用法で適切に扱う必要があるのは当然の理だ。
一にも二にも、私はその要諦は「手の内」にこそあると私は考える。
師も、現在教えを乞う先生も、まったく同様なことを伝えている
ので、これはまず間違いのないことであると思うし、私自身が
自分の経験則から、同様の用法を操刀法として用いている。
結論として、私は刀を曲げない。

刀が一度刃道がプロペラ型によじれると、それで切りつづけたら
どんどん曲がる。実際にこれは軍刀だろうと戦国古刀だろうと
曲がる。
一度、「どう切っても曲がるのだが、これで切って見せてくれ」と
頼まれた刀があった。
刃道はプロペラ型によじれている。これは駄目だと思った。
親指で刀身をギュッと押してみた。いとも簡単に曲がる。
切る手を見せてほしいと言われたが断った。その刀では誰が切って
も曲がるからだ。大銘の薩摩偽名刀だった。
その所有者に私の刀を使って畳表を切ってもらった。
まったく曲げない。
つまり切り手の在り様で刀が曲がったのではなく、刀なりに腰が
抜けた刀だったので簡単に曲がったのである。

日本刀はどんなことをしても折れない、曲がらない、という刀は
存在しない。
昨今の疑似日本刀ブームで、刀が万能の武器のように脳内で思い
込んでいる病的な妄想族が増えているようだが、恐ろしいことだ。
実は昔の実戦においては、折れやすく曲がりやすいのが刀であった
からこそ「折れず、曲がらず」が求められたのだ。
どんなことをしても折れず曲がらずよく切れる刀だらけだったら
あえて「折れず曲がらずよく切れる」ということなどは言われは
しない。
刀は折れやすく曲がりやすい。だからこそ操刀法が武技の中に
必ず組み込まれている。棒での叩き合いならば、対人動作のみを
磨けばよいが、こと日本刀は平べったい鋼の打ち刃物であるので、
専用の用法(しかもかなり難しい技法)を身につけないと、刀は
扱えないのである。

理こそ刀を扱う武技のすべてなり。
理を解さない者は、刀術という武技さえも解さないことだろう。
刀術はすべて理(り)なり。それが剣の理(ことわり)である。
理の字の原意は、玉の中に走る道筋を意味する。
まさに筋こそが理であり、剣においては筋道こそが理なのである。
理を理解できない者に剣の道筋は見えない。

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ある魚屋との会話 | トップ | LCT AKM 電動ガン 無限リコイ... »

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL