渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

高1男子 喧嘩でナイフ

2016年10月17日 | 時事放談

都内の進学校で喧嘩でナイフを持ち出した生徒が、生徒と教師に
切りつけて逮捕された。

喧嘩にナイフを持ち出すな馬鹿。
どんなに馬鹿にされたりいじめられたりしてもだ。
気持ちは分かるが、ナイフを武器で使うとなると、ただでは済まない。

昔、川崎のサレジオ高校で、ナイフで同級生の首を切断した生徒が
いた。
その生徒は少年院を退院してシャバに出てから大学に進学し、名を
変えて司法試験に合格し、弁護士となった。
債務整理専門弁護士で、悠々自適のヨット遊びに明け暮れて、被害
者遺族に対しても誠意ある謝意は一切示さなかった。
現在はどの弁護士会にも所属していない。

きょうの都内の生徒は「からかわれたので、カッとなって切りつけた」と
いうが、そうしたことは江戸時代でも許されていない。
まして、現代。刃物で人を傷つけるのはやめろ。

かつて国内の学園が暴力の嵐に荒れた1970年代。劇画『愛と誠』
は、暴力と真実の愛について描いていた。
作品の中での世界は、決して劇画の中の絵空事ではなく、国内は
暴力のハリケーン状態だった。
その『愛と誠』のラストでは、悪のライバル砂土谷峻が主人公太賀
誠をナイフで刺してしまう。
暴力の限りを尽くした新宿ヤング・マフィアの砂土谷さえも、ナイフ
で人を刺したことに驚愕し、「人を刺してしまった」と号泣して崩れる。
暴力の時代にあっても、まだ人は一線を越えなかった。それが常識
的理性だった。

だが、その後、未成年者たちは平気で人殺しをするようになる。
あちこちで、人を殺すことをなんとも思わないような国内状況になっ
てしまった。
漫画の新宿ヤング・マフィアと同じような愚連隊の関東連合は暴走
しない暴走族となって悪の限りを尽くし、六本木で集団で殺人をした
りしている。(未決事件)

渋谷にチーマーが出だしたあたりから、世の中の人の命は軽く思わ
れるようになった。

ナイフは人を殺さない。人が人を殺すのである。
きょうの事件で、マスコミやワイドショーなどのテレビ番組は、まず
間違いなくナイフを危険視する方向で放送を展開するだろう。アキ
バ事件のように。

根本がズレているので、刃物による殺傷事件など無くなりっこない。
刃物があるから人は刃物で人を殺傷するのではなく、人がおかしい
から人は刃物を使って人を殺傷するのだ。
一番刃物の殺傷事件で使用される刃物は包丁だが、包丁は人を
殺さない。
その根本を幼い時からきちんと教育しないから、喧嘩で刃物などを
持ち出したりするような人間が醸造される。
現行、若年僧による刃物による殺傷事件が多いのは、子どもたち
から刃物を取り上げさえすればよしとする教育放棄がもたらした
結果だ。これは断言できる。
すべては大人の責任である。

社会党委員長が右翼テロで演説中に刺殺されたことにより始まっ
た日本の子どもと社会からの刃物狩りは、「暴力反対」よりも重大
な事態をもたらした。
もう、取り返しはつかない。
日本人は刃物で指を怪我したことがない人間ばかりとなり、ゆえに
人の痛みにも心が向かない人が大量生産された。
大人が望んで選んだ道が現在に続いている。

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