渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ブッシュクラフトナイフ 〜刃物考〜

2015年12月29日 | 刃物



バトニングというナイフを使って薪を割る特殊使用法においては、日本
の片刃の鉈(なた)はとても使いにくい。

少し考えれば分かる。片刃鉈は枝打ち用だからだ。
切断物がブレード左右均等に外に開く力は無く、片刃による摩擦係数の
違いを利用してどんどん片方に切れ込んで行く作用が出る刃物だからだ。
切り出し小刀やノミや和包丁などもこの理論に基づいて作られている。
「割り」ではなく、刃が片側にどんどん食い込んで行くのである。

ブッシュクラフトなどの野外活動で使える刃物について若干考えてみたい。

まず、刃物と一括りにする前に、日本と海外では「キャンピングナイフ」と
いうものの概念がまるで異なるということがあることを知っておきたい。


日本の場合↓


英語圏の場合↓


概念の違いが一目瞭然だと思う。
なぜ日本のキャンピングナイフは身幅が狭く、海外のナイフは身幅が広いのか。
それは、理由が二つ考えられる。
まず第一に、日本国内ではキャンピングの際には「バトニング」というナイフを
使った特殊方法で薪を割るようなことはしないということ。最近ようやく一般化
してきたが、海外では昔からバトニングはあった。
第二に、海外には和式刃物の「剣鉈」のような物が存在しないこと。
だからごく普通に幅広ナイフがブッシュクラフトなどの森作業において海外では
必要とされている。

日本の剣鉈は山仕事の人などは使わないが(バトニングなどしないため)、
汎用アウトドアナイフとしては日本の剣鉈は最強だ。
枝打ち用の片刃鉈は薪割りには向かない(実際にやってみれば即断できる)
ことは上述したが、剣鉈は両刃蛤なので斧と同じような使用法に応じることが
できる。つまり、使える。汎用野外ナイフとしては剣鉈は非常に優れている。

日本が誇る伝統和式刃物の剣鉈。


ただ、日本にもバトニングとまではいかないが、「割り」専門の刃物が存在した。
それが「竹割り」である。蛤刃ではなく、鎬が設置されている。これにより、
刀身のある一定部位が被切断物を通過する際に一気にクサビ効果を発揮
させて叩き割る。






私は庭の樹木の剪定においても、カナディアンメープルの木に登って枝打ち
する際にはこれを使用する。
ただ、以前にも何度か書いたが、私はナイフでも数センチの距離から片手
打ちで薔薇の枝等を切断できるのだが、何人にもやってもらったところ、
どなたも薔薇の枝が切断できない。
これは戸山流居合をやっている有段者においても、ナイフで笹の茎を切断
することができなかった。私は難なく短距離で切断し、刀身を止めることが
できる。
こうなると、一般的には片手打ちで何かを切断するということは案外困難な
ことで、私自体の手技が一般的ではないのかと思ってしまう。
ただ、片手斬りは居合の根幹、根源部分であるので、どんな刃物を使っても
最大限の切りを発揮できないと嘘だと私は常々思っており、その信念で
工夫しながら居合を稽古してきた。
その結果が、まさしく結果として他の人との差となっているのかも知れない。
実際のところ、この「竹割り」のような鎬のある両刃刃物でも、木に登り、
太い枝まで一刀でスパッと切っている。実際に切れ込みの良い片刃に
頼らずに両刃刃物で切っているのだから、それは一つの現実として、その
ことは「技」に依拠するものだと捉えても外れていないのではないかと思う。
物斬りのセンスとかではなく、理論と理合(りあい)を正しく脳で理解して、
その理解を実践すべく工夫して斬術稽古してきた結果、今私が簡単に
スパスパと斬れるという現実がある。稽古だ。こういうのは訓練しかない。

さて、ナイフを使ったバトニングでは、本来アックス=斧(おの/よき)で
薪は割るべきところ、ナイフを代用品として使うので、非常にナイフに負担
がかかる。本来ナイフは薪を割るために造られた刃物ではないからだ。

だから、バトニングでナイフを使用すると、このようなことも起きてしまうという
危険性がいつも伴うので注意が必要だ。








これは強烈。日本刀でも現代刀ではこのような欠けかたが多くある。


ナイフだけではない。斧でもこのようなことが起きる。


そうした中、バトニング専用とも思える、「切断割り専用」のナイフが海外にはある。

偶然にも、昨日私が提唱した「ハイブリッド・ホロー」の断面形状に極めて近い。

こちらはフラットグラインドだ。


見てもらうとお気づきになるだろうが、日本の「鉈」に形状が非常に
似ている。

軍用銃もそうだが、実用性をどんどんつきつめていくと、どこの国、
どこの民族が作っても、同じような形になっていく。

ブッシュクラフトなどでは最近はバークリバーが人気が高いようだが、
バークリバーのブラボー1などは、その名が示す通り、USマリンコープ
が捜索上陸や偵察の際に携帯するために開発された堅牢さ第一の
ナイフで、日本の剣鉈のように幅広ブレードで蛤刃となっている。
これはあらゆる刃物をトライアルの中で検証していく過程で、いきつく
ところが「剣鉈型」となった典型だろうと思う。

ただし、洋式ナイフには決定的なネックがあって、それは現代鋼を使用
しているので、鋼材如何で性能が限定されることと、それと、熱処理は
専門業者に外注で出すために、熱処理によってマルテンサイト化された
状態をナイフ生産者自身がチェックできないことだ。
だから、このようなことが起きてしまう。

折れる刃物の典型で、粒子が荒すぎる。
これは、一枚鋼材だとしても、温度処理の際に高温過ぎる場合に
すべての炭素鋼に生じる現象だ。硬くとも粘る鋼は、変態点ぎりぎり
の低温熱処理が施されて粒子が非常に細かくなり、粘りが出る。
日本の「現代刀」が簡単に刃こぼれしたり刀身自体が折損したりする
のはごく当たり前のことで、心金構造などは強度に一切関係がない。
「現代刀」が折れ欠けし易いのは、それは「見た目重視」のために、極度に

高温処理をしているからだ。鍛造の際のガス抜きのためにも超高温
処理で鍛練したほうが製作が簡単であるし、疵やフクレが出にくいことと、
「冴え」なるものも出るので、切ることをまったく考慮しない「見た目重視」
(重視というよりも見た目だけが存在価値)の「現代刀」においては、高温
処理は適した方法ともいえる。
だが、そうして作られた「現代刀」は折損事故
が起きる可能性が極めて
高い危険な物体のため一切使えないし、
戦闘刃物では全くないことは
論を俟たない。「現代刀」は「日本刀の形を模した模型」であると
断言
できる。事実、ほぼすべての「現代刀」造形作家たちはそのようにして
作っている。「現代刀」作家は日本刀は一切
作っていない。「美術刀剣」を
作っているのである。手間をかけて日本刀に形が似た鋼の焼き物芸術
作品をオブジェとして造っているのであり、見た目だけに存在意義を見出す
造形作家が手掛けるオブジェ作品を便宜上「現代刀」とは呼んでいるが、
日本に数百年続いて存在した日本刀というジャンルに属する物ではない。
「現代刀」作品は観賞のみが目的の鋼の焼き物であるのだ。日本刀とは
歴史的な存在意義そのものが異なる別物なのである。これは事実なので
致し方ない。

別物に本物の性能を求めるのは酷というものだ。プラモの飛行機では
空を飛べない。
また、「現代新作刀は斬るための物ではない。そんなことに使ってもらって
は困る」と公言する「現代刀」の造形作家は多いが、これはごくまともな
ことを言っている。見る為だけの物だからそれで斬ってはならないのは
当たり前のことだ。
極言すると、武術などでたとえ空気斬りだけでも振ってもならない。
振ることなど前提として造られていないからだ。
「現代刀」は、刀掛けに載って博物館で見物したり、たまに手に取って
眺めるためだけの存在としてあり、そのために造られた物品なのである。
だからこそ、見た目競技の新作コンクールに現代造形作家たちは精魂
傾けているのだ。
ただ、「現代刀」はそうした造形物であっても、その存在価値は大きい。
その芸術作品を観て、心が幸せになれる人たちがいる限り、その作品の
存在価値はある。まるでヒストリカル戦争博物館で展示してある古い
航空機や戦闘機を眺めるように、それを観て心が和む人のためにとっては
「現代刀」は無くてはならないものだし、実際にそうした「視覚がもたらす
印象」をこそ第一義、存在価値そのものとして「現代刀」は設定している。
これは決して間違ったことではない。
ただし、それが日本刀であるかというと、それには甚だ疑義があるという
だけのことだ。まやかしなく、それは日本刀ではない。中身だけでなく、名称
も異なる。「現代刀」は「美術刀剣」なのである。刀剣ではない。つまり、
数百年この国に存在して存続してきた「日本刀」ではない。
日本刀ではないからこそ、造形作家がたまに武用に使う刀などを製作すると、
尋常体配では刃欠けや折損を生じたり大切れが叶わぬために、刀身を
歴史上存在しなかった超大幅にして肉厚も尋常ならざる厚みにしたりする。
そうしないと本物の刀が持っていたような「性能」を発揮できないし、鉄の
絶対量を増やさないと堅牢性が確保できないからだ。
これもまた、「日本刀」ではない。造形作家の苦肉の策で別刃物を作って
日本刀の性能を得ようとした姿といえる。
また、戦闘武器としての意味を体現できないからか、物体切断のみに特化
した平造りの大刀などを造って「切れ味が良い」としたりする。
包丁を見ても即断できるように、平造りが物体切断に適しているのは
当たり前の事だ。だが、日本の太刀・打刀は静止物体の切断目的のために
存在したのではない。刀槍と打ち合わせても折損しない強度を確保し、
斬切過程で「斬り」から「割る」という武器効果を如何なく発揮するために
鎬が存在する。
現代造形作家が日本刀の武器としての存在意義と形状構成の意味を無視
した結果が、「静止物体を切断するためだけの刃物」の登場であり、これは
「観る為だけの鑑賞刀」とまったく同一軸線上にある。それらは「日本刀」では
ないのだ。
日本刀とは、従来日本に存在した日本刀の形状でありながら従来存在した
日本刀の性能を具備したものである。それは製作時期の今昔を問わない。
本来の日本刀の性能を本来の日本刀の形で備えている物が、文字通り、
本来の日本刀なのである。



海外では自国産は洋式ナイフしかないことは当然なのであるが、斬り割る
という目的をどんどんつきつめていくと、ある形状にナイフも似てくる。
バークリバーが日本の剣鉈型に近似していったように、日本刀の形状に
似てくるナイフ
も存在する。
私がかねてより注目しているフィンランドのブッシュクラフトナイフにenzoと
いう
メーカーがあるがその形状は・・・。





つまり、つきつめると、どんどん日本刀の形に似てくる。
これは何もenzoが奇抜だったり優れているのではなく、形状を探求して
行くと、「斬り割る」刃物の断面形状は日本刀に近似してくるのである。
enzoはenzoで非常にカッコいいとは個人的に思うが。
バークリバーはUSマリンコの偵察部隊によって採用されたナイフで、その
民間バージョンは最近とても人気があり品薄だが、このブッシュクラフトナイフ
のenzoはかなりリーズナブルな価格設定だ。100ドル代。
私は持っていないが、ブレード形状から、これはブッシュクラフト全般にとても
使い勝手も良く、またバトニングにも最適な形状をしていると思える。


刃物は形が似てくるという点では、ブッシュクラフトのモデル地区ともいえる
北欧のナイフは、やはりどれもが日本刀と刀身形状が似ている。





フィンランドのナイフは、この日本の和式刃物とどれほど似ていることか。


松本零士の戦記漫画に出てくるセリフではないが、銃と同じく、「どの国が
作っても似たような物になる」という典型例だろう。
実用性をつきつめていくと、物体は国境と民族を凌駕する。
使うのは異星人ではなく、同じ地球に住む同族の同じ人類であるからだ。
そこに存在するのは国境など無い「人類」としての英知のみだ。
そうした人類の知恵による物の発達こそが健全で正しいと私は思うので
ある。
武器が同族殺傷のために生み出されたというのは人類史の不幸であり、
宇宙史から見たらダークサイドであることは確実なのだが、人間が生み出す
物の発達は進化を遂げるという点で人類の繁栄に寄与する面が確実にある。
だから私個人は、人類全般の繁栄に寄与せず、一部の資本家を太らせる
ためだけに多くの人間を危険にさらすニュクリア発電には断固反対して
いるのだ。これは1979年から私は反対し続けている。「脱原発」ではない。
「反原発」だ。人類が安全管理と処理ができない方式には人類は手を出す
べきではないと考えている。
原発は安全ではなく、フクシマで大嘘が白日の下に露見したのに、まだ安全
安全と言うのならば、原発推進者は核廃棄物を自宅邸内に貰い受けてほしい
と本気で私は思うのだ。いや、まじで。てんで安全ではないから廃棄物処理
に困っちゃってるんでしょう?それなのにまだ原発を稼働させようとしている。
原発が完全停止しても電力供給は可能であるということが判明しているのに
だ。つまり、原発稼働は電力供給とは別な目的があるからだ。
でもって、核廃棄物はどうするの?
今は廃棄物置き場があるからまだしも(全然良くはないのだが)、1980年代
などは日本は「よそならいいだろ」てなもんで、ドラム缶に核廃棄物を詰めて
南洋に海洋投棄していたんだから、とんでもない話だ。ただのゴミポイでは
ない。核廃棄物だよ、核。
また、フクシマで事故が起きている中継中にまだ安全だと主張し続けていた
赤眼鏡のにやけた学者あたりは、防護服など一切着用せずに、フク1の建屋
内に自ら入って事故処理について見学して来てほしいと願うのである。
技術や生産物の進化は、人類のためにこそあるべきで、人類を危険にさらす
ための技術開発は、決して望まれるべきことではない。核兵器などはその
最たるものだと断言できる。原発も廃炉が望ましい。今廃炉にしても、完全に
安全が確保されるのには気の遠くなるような年月が必要なのだが、今が
よければ自分の子孫たちの時代に人が苦労しようがそんなことは知ったこっ
ちゃねぇ、なんてのは赦されない。

話を戻す。

北欧でもフィンランドだけは第二次大戦中に日本を含む枢軸国側についた
ために「敗戦国」となった。戦前からフィンランドは親日国でもあった。

刀鍛冶小林康宏の山梨の鍛冶場付近かと見間違うが、これはフィンランド。寒い国だ。


ただ、刃物は刀剣であれナイフであれ、極寒の地においては非常に脆くなる。
日本の場合も北国物の日本刀が粘り強いのは、それはそれなりに使用地の
気象条件をクリアする性能を刀鍛冶が探求してきた歴史があるからだろう。
越前系などでは新刀では康継や長曾祢虎徹などが有名だが、やはり頑丈な
切れ物を作っている。
近代の例としては、満蒙の極寒地では、従来の日本刀に損壊不具合が多発
したため、その極寒地でも折損しない満鉄刀が開発された。
これは軍事機密だったため、製造方法は残されていないが、推定では、
鋼管の中に別な鋼を溶解注入させて鋼材を作り、それを打ち鍛えて日本刀
の形状にしたとの説もある。戦時中の使用者の言によると、鉄条網や鉄線なども
余裕で切断する斬鉄剣となっていたようだ。豚まで胴体真っ二つという記載も
見られる。

ナイフにおいても、硬度こそが切れ味の決め手であるのは刀剣と同じだが、
硬く焼き絞めて出した硬さだけが刃物に求められる性能ではない。
板バネのようにしなやかながら張りのある粘りで折れない鋼の状態を確保
できなければ実用刃物としては使えないのだ。
そうした鋼は簡単に斬鉄できることだろう。

とはいっても、こういうことは良い子は真似しないように(笑

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