渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

瀬戸内海

2016年12月10日 | 風情・季節・地球


海から0メートルの場所にあるコンビニ。
ここは結構気に入っている。







三原城前の自宅から5km地点。
長井の浦は井戸先(転じて糸碕→糸崎)と呼ばれ、古代から瀬戸内航路の
補水地だった。
三原という地名でここら一帯が呼ばれるようになったのは室町時代からだ。
このあたりから広島空港麓の高山城の真下までは戦国末期まで海だった。
土地がなかった海に原の名称はつかない。
三つの原が集まった場所だから三原という、というのは後世の作り事で、
この浦は奥深い入江で、せり出した山肌が海にそびえる土地だった。
そこに原はない。狭い谷があるのみである。
戦国末期までただの寒村だった現在の三原の山名氏の山城の真下の海に
毛利一門小早川隆景が城を築いた。
大小の小島を繋ぎ、後の長崎の出島のように作った海上の人工島が三原城
である。
三原という土地はなく、奥域が10kmに及ぶ細長く大きな入江だった場所
が現在の三原中心部であり、人工島である三原城をはじめ、現在の市街地
はすべて埋め立てにより誕生した。
三原市街地在住の人たちは、かつての海の上に住んでいる。
東京の月島やお台場あたりの臨海副都心のようなもの。
小早川・福島が作った三原城のイメージは、東京湾台場を思い起こせば分かり
やすいかもしれない。
事実、形状は瓜二つだ。

立ち入り禁止の第六台場。


人がだれも来なかった頃、某パルチザンの訓練場となっていた第三台場。
向こうに見える陸地は存在せず、ただ海が広がっていた。この第三台場
を訪れる人は皆無に近かった。
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