渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

家紋

2017年05月26日 | 文学・歴史・文化


家紋について少し。

この家紋というもの、現代の法律的な定義は一切ない。
だが、法律的な定義はなくとも、信義なり慣例としての取り扱いの
縛りがある。
なぜ法律的規定もないのに、各家に独自のオリジナル家紋が今も
残っていて使われているか、ということだ。
法的にはどの家紋を使っても問題はない。あくまで法的には。
しかし、他家の家紋を勝手に盗用したらどうなるか。

ハッキリ言おう。
心の問題でしかない。
そういうことをやっても心が痛まない人であるのかどうかということだ
けの問題だろう。
日本人はそれはしなかったし、江戸期にあっては他家の家紋(とりわけ
著名家)の家紋などを盗用したら首が飛んだだろう。
江戸期はそうだった。
では今は?
心の問題でしかない。そういうことをして良心の呵責が皆無なのか否か
というような。教会に行って神父に告白するような類の問題でしかない。
だからといって、「法的に問題がないのだから何が悪いのだ?むしろ
宣伝に使うのだから良い事ではないか」と言う人がいるのかと思うと
これがいたりする。
現代人だからできること。
法的縛りはない。心の問題なのだ。日本人として日本のこれまでの文化
慣習風習を破壊して、現代商業主義的感覚でしか物事を捉えないという
心の問題なのである。
私とそれらどちらが悪でどちらが正義かとかいう問題ではない。
心の問題なのだ。


さて、話を広げよう。
うちは源氏であり小野氏でもある。
現在の家紋は複数あるが、笹竜胆(元は村上源氏の紋)は使用していない。
そこで、先祖の家紋を使うとどうなるか、という問題が出てくる。
この場合、全く他家の、つまり人様の物を盗用流用するわけではないので
それら盗用流用とはケースがまったく異なる。自家の祖先の家紋使用に
ついての事柄になるからだ。

親友に平氏の末裔の元武家の人がいる。当然にして揚羽紋を公然と用い
ている。
よく冗談で「源平の頃なら敵味方なのにね」と笑いあう。
しかし、ある歴史上の一時期では全くの同軍であり(源平拮抗ではない
戦国期)、もしかするとその時期の先祖同士が接触していたかも知れない
と互いに知り、奇縁というものはあるものだとまた笑った。
似たケースは別人たちの間でもいくつもあり、「え?」と信じがたい相互の
先祖たちを巡る奇縁があって人の世はわからぬものよと驚いたりする。

仮に私が笹竜胆を紋服に着けた場合どうなるのか。
現行法規がどうのとかのくだらない判断基準ではなく、「家制度」の慣習法
としては。
やはり寛政重修諸家譜で幕府に提出登録したものや藩庁に届け出たもの
以外の家紋使用は問題が出るのか。

さてそうなると、苗字はどうなる。
苗字というものは氏や姓とは異なり、勝手に名乗り出したものだ。
これは武家でも武家以外でも。
そして、家紋というものも、使い始めは勝手に使いはじめたものだ。
ところが、中世に入って姓が氏を表すものとなり、古代末期に生まれた苗字
がいよいよ一般化し、名前が源(みなもと)のナニガシであったところ、苗字
が上に付くように歴史は変化した。
通称と諱(実名)自体は源平の頃にはすでに見られ、「九郎 義経」という
通称と諱を分けることが存在した。
江戸期までは苗字は勝手に新たに名乗れたが(姓は変わらない)、現在は
戸籍の登録名が「氏名」となって国家登録する個人の名であるので、変更
は特殊な事情がないかぎりできない。苗字の新設に至っては、特殊ケース
を除いては変更できない。
また、名については通称であろうが諱であろうが、どちらでも戸籍登録して
よい事になっている。どころか、カールだろうがポールだろうが登録名は
どうでもよいことになっている。アルファベットは×だが。
また、戸籍簿登録の氏名には呼び方が登録されていない。なので、慎太郎
と書いて「はなこ」と読むとしてもよいのである。戸籍制度は呼名に目的が
あるのではない、別な事で人民管理をするために作出された制度なので、
名前の読みなどはどうでもいいのだ。
江戸期とは文化的位相が180度異なるのが明治新戸籍制度なのだ。
戦後は一部改正されたが、戸籍制度そのものは残存している。
戸籍制度の何が便利かというと、相続人確定が楽な程度だ。
後は法の整合性の矛盾も多く残す。
たとえば「長女 二女」などという表記は現行法的にまったく意味がない。
かつての族称欄で「士族」「平民」と書いてあるように意味がない。
旧法と異なり、現行法では長子も末子も法的権利義務関係に差異はない。
差異がないのに先か後か=かつての長か次かの法律的権利があるかの
ようなことを記載するのは、それは法的整合性の欠落であり、差別である
のだ。
戦前の戸籍の中でも戦後の長男三男のように法的整合性を欠く記載が
あった。それが族称欄の「華族」以外の「士族・平民」記載だ。士族と平民
で法的権利義務関係には全く差異がなかった。差違がないのに差を設けて
いるのは差別である。
戸籍の族称欄は大正デモクラシーの時に国会でも議論になっている。
「華族」は意味がある。東京に住むことが義務付けられ、時として貴族院
議員になる資格を有する特権階級だからだ。
だが、明治以降、「士族」と「平民」はまったく法律的に同位置であり、
その差異がないのに族称を戸籍に記載しているのは、近代法治国家と
してはおかしい事である、との議論が大正時代に起きている。
だが、「華族・士族・平民」の戸籍の族称は敗戦後の昭和23年までは
継続して存在した。士族と平民はまったく法的に同じであるのに、意味の
ないことを法律文書たる戸籍に記載されていたのである。
こういうのを法の不整合というが、これは法律の中での事柄。家紋は別な
事項としてある。現行法でどうだこうだと捉える対象に家紋はないので
ある。
従って、「現代法で規制がないのだからどの家紋を使用しても云々」と
いうのは、表象的な上辺の法的事象に照らして自論を正統としたい心根
のみで物を語っているのであるから、現行法規との関連でどうであるとか、
あるいは慣習法の観点からどうであるとかとは一切関係がないのだ。
つまり、論外。仮に他家の家紋を勝手に盗用流用利用している者が
そのような言を弄して免罪符を得ようとしても、世間の公序良俗の観点
から言えば「盗人猛々しい」としか見られないことだろう。


苗字の派生とともに分家や別家独立という際に家紋も新たに設定した
ことが多かったようだ。
我が家の歴史をみても、苗字は時代と共に各地を転々とするごとに変更
したが、それに伴って家紋を変更している。
家紋はどうやら苗字と共にあるケースが多かったのではないだろうか。

源氏と平氏はかなり異なる文化を持つ。
現代においても「紅白~」ということがあるが、それは源氏と平氏の二極で
あり、まるで異質なのだ。
私の中でのイメージは平氏は洗練された武士で、源氏は野盗のなれの果て
のような粗暴なイメージがある。血で血を洗い血族をも誅殺する冷酷な
野蛮族というイメージが源氏につきまとう。

また、これはとりもなおさず、日本を象徴する心象風景である「東と西」という
ことの代表が源氏と平氏でもあった。西は慇懃無礼な偉そう大将で東は
ひたすら蛮族みたいな印象がある。

平氏は平氏とも平家とも呼ぶが、源氏は源家という呼び方は普及していない。
また、両家の最大の違いは、家紋なのである。
源氏一門は実に多岐に亘る家紋を生み出しそれを使用した。ばーっと笹や
竹が根を張るようにそれが広がった。
ところが、平家の場合は、揚羽紋がなんらかの形でずっと残されて受け継が
れているのである。たとえ末裔がそれを本紋として公然と掲げなくとも。
源氏は家紋から血筋はたどれないが、平氏の場合は、揚羽紋が仮に家紋
だったならば、まず十中八九平家の末裔であるということがいえる。
たとえば、加藤・後藤・江藤・工藤・佐藤・新藤・進藤という源平藤橘姓のうち
藤原にかかる苗字の家では圧倒的に藤原の藤紋が家紋となっていることが
多いかと思うが、これも何からの血脈的な事柄の表出であろう。

今でも、21世紀の現代でも家紋は家とともにある。
家制度は法的には今は崩壊している。
だが、戦後の戸籍制度は家制度を担保しないとはいえ、結婚や葬儀は家
として行なわれている。
家が無くなった社会であるのに、日本では紋服が存在し、礼装とされる。
その際に着ける紋はなんであるのか。
それは、見まごうことなき「家紋」である。他家の紋章ではない。



ウィキペディアなどは誰でも文章変更が可能な信用できないネット百科だが、
それを前提としても、ウィキペディアには「家紋」の項で以下の記述が見られる。
これは日本の伝統文化を的確に記述したもので、ここに嘘はない。
日本人ならば、当然の常識的感覚だろうと思われる。


制限について

特別な紋章や場合を除いて、家紋を幾つも所有することは自由であったこと
もあり、墓地や家具、船舶にまで付けられるほどまでに広まる。

・しかし家紋の使用に制限はなかったと言うが、他家の家紋を無闇勝手
 に使用してはそれなりの軋轢や摩擦が生じる。

・特に大名将軍などの、地位の高い家のものとなれば尚のことであった。

・そのため、他家の定紋は出来るだけ配慮して使わないこととする暗黙の
 了解があったとされる。



 

 

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 結界 | トップ | イタ車 »

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL