渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

木製グリップ コルトSAA

2017年06月19日 | トイ



金属製のモデルガンには木製グリップがよく似合う。
もう「黒い金属製」は所持が禁止されてしまったが。
その法規制は1971年10月に施工された。
1977年規制の時には、与党自民党だけでなく野党第一党の
社会党までがオモチャ狩りの銃刀法改正に賛成する始末だった。
日本社会党が「体制の補完物」であることが如実に顕れた事件
だった。

さて、この私のMGC製コルトSAAは1967年モデルである。
学生さんたちがジッパチ羽田で史上初のヘルメットを被ってゲバ
棒を持った反戦闘争で、赤ヘルのにーちゃんたちが間違って
首都高速を逆走して機動隊に一網打尽にされた年のモデルだ。
東京の事を知らない関西ブントなどに指揮を執らせるからそういう
史上最大のドジを踏むことになる。
弁天橋付近では中核派白ヘルが例によって激しい「マスコミ向け」
の闘争を展開し、大学生山崎君が死亡する事態となった。
国内ではベトナム反戦運動が盛り上がり、まだ旧転落がやがて
やってくることを知らない学生市民の反戦運動は空前絶後の盛り
上がりを見せ始めた段階だった。
1968年には70年安保の敗北がだんだん見えて来て、新左翼の
学生運動はその広がりとは裏腹に陰りが見え、また自主的ノンセクト
大衆運動だった全学共闘会議=全共闘の「異議申し立て」運動が
新左翼の政治運動を大きく凌駕しはじめていた。
時代は完全に「大衆の時代」となりつつあった。
国家権力は相変わらず強大で、警察権力も非常に強く、明治時代
のようなオイコラ警官だけしか(だけ)いないような時代だったのだ。

また、世間での反戦平和を求める国民の意識は高く、円谷プロの
特撮テレビドラマの『ウルトラマン』(1966~1967)の放送開始前
の某市民会館での放送前イベント(ドリフの「八時だよ!全員集合!」
のような公開生放送番組)の特番においては、科学特捜隊=科特隊
を紹介する際に、司会者が「科学特捜隊というのは自衛隊とかとは
ではないのですか?」と科特隊キャップのムラマツ隊長(小林昭二)に
尋ねた。
すると、ムラマツ隊長は「いえ、我々はそういうのとは一切関係なく、
平和のために地球人を守るための組織です」と答えるのだ。
「自衛隊=再び戦争を行なうための暴力装置」という極めて「正しい」
認識が国民の中にはあったのだった。
現在でも自衛隊の目的は戦争遂行であり、そもそも存在が違憲で
あるのだが、最高裁合憲判決がある限り、「あれは軍隊ではない」と
いう大嘘おためごかしで存在している。自衛隊の目的は札幌雪祭りで
芸術品を作ることではない。「国土防衛」の為に人を殺すことが目的だ。
また、災害派遣はあくまで二次的なことであり、1960年代においては、
敗戦からまだ10数年しか経っていないので、戦争の感覚が生々しく
国民の中にあり、国民の大方が「戦争反対」であったのである。
私はこの感覚は正しいと思う。
繁栄後の戦争の無い時代に生まれ育った連中が「中韓北鮮憎し」で
「戦争もオッケ~」みたいなゆとりぶっこき感覚で国事を考えてもらっては
非常に困るのだ。今の右傾化オッケ~連中は、まず、戦争の実態が
分かってない。
左翼自体が全く魅力ない存在となってしまった現代において頭があまり
よくない鳥頭たちがこぞって右傾化になびくのは、自分で物事を考え
なくてよいので楽だからというのも大いにあるし、いまのゆとりーずの
2チャンネラーが世代の大半を占める世相ではそれも首肯できる。
だが、私は思う。
良い戦争も悪い戦争もない。戦争には一切の正義は存在しない。

さて、平和産業であるトイガンの世界だが、1977年規制のオモチャ狩り
裁判の際に、実に多くの文化人(芸能人等も含む)がモデルガン規制に
反対の声を堂々とあげた。スターにしきのだけでなく、多くの歌手やタレ
ントも政府の動きに反対の声を上げたのだった。
一方、「コンバットとかモデルガンとかそんなことばかりに興味を持つ奴
が戦争を起こすのだ」と大トンチキな発言をかましてモデルガン規制に
賛成をした椎名誠みたいなカスもいた。
そういう動きを許していたら、自分の好きな自由行動さえもそのうち規制
されて行くのだという観点を彼は持ち得なかった。

ちなみに私は椎名のような人間は大の大嫌いなのだが、彼の「怪しい
探検隊」シリーズで、源流での渓流魚を釣るビデオを観た。
狙った魚種以外は「外道だ」と言って、鉤をもぎ取るように取って魚を
投げ捨てていた。ヤマメ狙いでイワナがかかったら、イワナをゴミを
捨てるように投げ捨てていたのだ。
椎名誠とその周辺は、本物のカスたちだな、とその時に確信した。
ビールのコマーシャルに出ている時も、不愉快極まりなかった。
結局、彼のスタンスは、実社会から隔離して自分の好き勝手にやると
いうスタンスであり、それが実社会のことを語ろうとすると先のモデルガン
規制の本当の国家の国民の自由の規制の危険性について無頓着に
なり、あたかも自分は戦争嫌いであるかのようなポーズを取りつつ、実際
には国家権力のポチに成り下がるのだ。
こういう奴が昔のかつての戦争を起こしたのだろうなぁとつくづく思う。

さて、私の1967年製MGC-SAAは71年規制前の黒い金属製モデルで
あるので、規制直後に銃膣(銃刀法の規定は銃口ではない)を完全閉塞
して、表面を黄色に塗装してある。

今回、6月の衣替えではないが、純正プラグリップからMGC純正の木製
グリップに交換してみた。


このモデルガンは、今年で誕生50周年目になる。


ネジの大きさや内部機構は大きくデフォルメされている。
しかし、グリップの大きさはほぼ実銃1st ジェネレーションの
それである。1st のレイトシリーズがMGC-SAAのモデルだろう。


JAPANの刻印があるのは、輸出がかなりの量を締めたからだ。
1971年規制で大打撃を食った時、MGCは海外での人気が絶大
だったから企業が生き残れたという歴史を持っている。これは
1960年代に「007」シリーズでMGCのモデルガンが使用される
ことが決定したことが大きかった。その後の日本を舞台とした007
の作品でも全面的にMGCのモデルガンが作られた。
だが、警察当局はコルトコマンダーが発売されていた1960年代
初期から、マスコミと一体となって玩具銃を国民から取り上げようと
していたのだった。国家権力の一部を担う後藤田正晴は明言して
いた。「モデルガンは有用性がないから無くす」と。国家権力に
とっては、国民が玩具を楽しむことなどに有用性を認めないのだ。
国家権力は今でも、まろやかになった狸もしくはキツネの仮面を
被ってはいるが、いつでも国民などは絶対主義王朝のように取り締まる
ことを虎視眈々と狙っているのである。


MGC-SAA用には何種類かの木製グリップのラインナップがあった。
一般的にはナトー材が多かったが、「ローズウッド」と称して紫檀の
材での木グリも作られていた。この個体はその一つだ。


紫檀材と並べてみる。グリップのほうは装着後に私が手脂をかなり
着けたので光っている。




紫檀はトーンウッドであるので、叩くと木琴のような音がする。
ブラジリアンローズウッドがワシントン条約により輸出入が禁止され
てから久しいが、実は昨年、ギターやビリヤードキューなどの木工品
業界に衝撃的な知らせが走った。
それは、ローズウッド種全般に規制がかかる決定がなされるという
ことである。
2016年9月24日(土)から10月4日(火)まで、南アのヨハネスブルグ
で開催されたワシントン条約第17回締約国会議で、新たに中央アフリカ
のブビンガ属 Guibourtia 3種と西アフリカのプテロカルプス・エリナ
ケウス(Pterocarpus erinaceus)とともに、ツルサイカチ属 Dalbergia
全体を附属書Ⅱに掲載することを投票で決定したのだ。

附属書Ⅱへの掲載は、対象となる種の商業的な国際取引を管理する
ための措置が導入されることを意味する。
ということは、地球上に約150種以上存在するツルサイカチ属 Dalbergia
全体ということなので、分かりやすくいうと、ローズウッド種のすべての木材

が取引制限下におかれたということになるのである。
本決定の効力が生ずるのは2017年1月2日(月)である。
既存伐採済み木材は従前通りの商取引が可能だが、ローズウッド系の
価格の暴騰は避けられないことだろう。
仏壇とか、一体何で作るようになるのでしょうね。黒檀でさえもうほとんど
無いのに・・・。

先のモデルガンの話でも、こうした資源枯渇の話でも、椎名の話でも
「~をする奴らがいるから変な方向に行くのだ」という自己責任マナー論
を言うのが虫みたいに湧くが、まったくのお門違いである。
何かに対し議論をして批判的展開となっている時に、この「マナー論者」は
必ず湧く。みんみん蝉のような顔したショウジョウバエが必ず湧くのだ。
椎名誠のような感覚の族が。
これはまったく問題の解決にはならないし、大抵の場合、そうしたマナー
論者自身は日和見であり、自らは安全地帯にいて、自らは手を汚さずに
ピーチクパーチク勝手なことを口にしているだけで、社会的な問題性の
解決力は一切持ち得ていない。

閑話休題-
1960年代~1970年代初中期のMGCのSAAの木製グリップには3種類
のラインナップがあったと記憶している。
 1.一般的木製グリップ・・・ナトー材/メダリオンなし
 2.高級木製グリップ・・・「ローズウッド」/メダリオンあり
 3.自作用荒削り木製グリップ素材・・・各種木製材料あり

かつて、私が別ブログを運営していた頃は、年代ごとのMGC-SAAの
インサートの形状についてまとめた記事をアップしていた。
私が把握できていた種類だけで5種類ほどのインサート方法がMGC-
SAAにはあったのだ。
年を追うごとに安全対策について心を砕いていた業界トップ企業の
MGC
の苦悩が製品の安全対策の歴史に見て取れるのだが、本体の
色が黒か白か
ではなく、発射機能があるかないか、発射機能を改造で
持たせられるか
否かこそがモデルガンというレプリカ玩具銃には最重要
なことなの
である。これはMGCの創立者もずっと言い続けてきたことで
あるし、
だからこそ、1977年のおもちゃ狩り(主任弁護士が命名した)
裁判に
おいてMGCは自社のオリジナルの安全構造を公開して各社も
それに
倣って安全対策を施したのだった。
これで1977年規制は回避できるはずで、警察庁のトップ担当者も
「よくぞみなさんメーカーが一丸となって安全対策をしてくれました。
これで規制設定は無いことにできます」と太鼓判を押すに至った。
だが、ある日突然、そのモデルガン規制で業界と折衝していた警察庁の
関係者が総異動となった。そして、いきなりの法改正となったのだった。
明らかに「政治力」が働いている。国を動かす行政執行権力という国家
権力の実体を掌握している何者かが動いたのであった。
MGCの代表は自叙伝において警察のことを「裏切った」と記述している
が、私は別な見方をしている。相手は国家権力の暴力装置だ。謀略
機関でもある。最初から仕組まれたカラクリだったのではなかろうか。
最初からモデルガン共同組合と親密になり、情報を抜けるだけ抜いて
置いてからサッと担当者を雲隠れさせ、法案の採決に圧力をかけて
法案を通す。これには社会党までもが同意した。水面下の政治力で
すべて描かれた絵だったことだろう。
国家権力がそういうことを為すのはお手の物だ。それは戦後の未解決
大事件を見ても分かりやすいほどに分かる。
この戦後最大の銃刀法改正発動は、丁度、ロッキード事件が明るみに
出る5年程前のことで、航空機輸入を巡って大金が動いている渦中の
頃のことだったが、国民はそのことはこの1971年当時は知らなかった。
また、この時期、非核三原則が(当然にして)一切守られていなかった
ことを国民が知るのは、この当時から40年以上の時間を経なければ
ならなかったのである。

今は「黒いモデルガン」はある。ただし、プラモデルだ。プラスティックと
いう人工樹脂製であり、金属製の黒いモデルガンのハンドガンは所持
しただけで銃刀法
違反となる。玩具を銃器取り締まりの法律で規制して
いるのだ。世界に
類をみない大トンチキを日本国家はやらかしてまでも
国民統制を進める
必要性が歴史上あったのである。
なお、国家にとっては、国民の楽しみはおろか、国民の命も何とも思って
はいないことは論を俟たない。これは国家権力という存在の確定的定理だ。
国の東西を問わず、国家とはそういうものであり、国家の権力とはそういう
ものであるのだ。

人口樹脂製の黒いモデルガン。プラスティック製。


MGC-SAAはグリップ周りが実銃に近似であるので、非常に
コンパクトで握りやすい。


コルトSAAという銃はとてもスマートな銃だ。


だが、坂本龍馬が常に携帯していたS&W Model No.2 はさらに
コンパクトで華奢だ。


まるでデリンジャーのような薄さと細さである。小振りのSAAよりも
比較にならない程にミニボディだ。グリップなどは小さすぎるほどだ。




だが、このコンパクトさが軍人や市民たちにとても人気があった。
護身用に多くの人がこのS&W Model No.2 の.32口径を買い
求めたからだ。
幕末には日本にも大陸経由で大量にこのS&Wが輸入されたと
いう。

映画『用心棒』(1961/黒澤明監督作品)でのモデルナンバー2。
これは多分古式銃実銃が撮影に使われていたのだろう。アイボ
リーグリップが装着されている。グリップの小ささがよく分かる。



龍馬の手紙と龍馬の銃と私の差料の日本刀。レプリカ、レプリカ、本物(笑)。
レプリカの刀を差料とする気は私にはない。また、模擬刀を使わざるを得ない
場面の武技に使う模擬刀は、
それ用に造られた物を使用する。間違っても
土産用模造刀は素振りにさえ使わない。これは危険性回避のための義務で
あるからだ。古流(本物)を嗜む者としてはごくごく当然の常識的なことだ。
また、使う武具の金具に緩みは一切存在しない。これもごくごく当たり前の事。
贋物丸出しの自称古流武術派においては、どうだかは私は知らない。

この龍馬が使っていたModel No.2は後にNo.3となり、名銃
スコフィールドが生まれた。
さらに、日本国家は明治政府時代に、歴史上初の国産制式銃
を完成させる。
それがこのS&WのモデルNo.2~3をベースに発展させた日本の
二十六年式拳銃だった。西部開拓時代のS&Wがベースとなって
いる純日本製の拳銃である。大切なシングルアクション機能を捨てて、
ダブルアクションオンリーとした
理由を私はよく知らない。


モデルガンは玩具銃である限り、国民の有益な憩(いこい)となるものだ。
決して国家権力の一部であった後藤田が言うように「有用性がない」と
いうものではない。
通りに並木がなくなっても車の交通には支障がないが、果たして街路樹を
「有用性がない」として日本全国から刈り取ることが「正義」といえるのか。
街路樹ほどの緑は空気の清浄化が云々には寄与しない。あくまで人が
どのように心が落ち着くか、という都市景観の問題として街路樹の存在が
ある。
モデルガンは街路樹のようなものだ。あるいは下町の路地の植木鉢。
国家にとっては「無益」であるから「必要ない」ものであり「無くす」と強圧的
に思索をめぐらせようとも、国民の利益は国家のその強圧的統制の思惑
とは反するので
ある。

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