渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

子子子子子子(ねこのこ こねこ)

2016年11月07日 | 文学・歴史・文化



身長188センチ、学者にして歌人、眉目秀麗にて弓馬の術に秀で、
「汝は武士にでもなるつもりか」と嵯峨天皇に嘆かれ、内裏に何者
かによって立てられた高札に書かれた「無悪善」の文字を「さが
(嵯峨天皇)なくばよからむ」と読んで天皇の怒りを買い、遣唐使の
副使に任命されるも、正使藤原某に「ざけんじゃねーよ」と反抗して
隠岐に流
された。後に中央に戻り参議。その徹底した反骨精神から
「野狂」
と称された。洛中の珍皇寺の井戸から魔界に自由に出入りし、
閻魔
大王と親交ありとされる。

まあ、後世の作り事が多いのだろうが、火のないところに煙は立たず。
多分、存命当時から制御不能のやりたい放題、言いたい放題、舌禍
全開の、当時としては「怪物」みたいな、人は食うが本人は食えない
おっちゃんだったのだろう。


このおっちゃんが佩いている剣は、時代からして直刀であることは
間違いないのだが、一体どのような剣を履いていたのかが、小野が
末葉の一人としてはとても気になる。
私とおない歳の冬木亮子が書いたファンタジーでは七星剣とされて
いるが、んな馬鹿な(笑

しかし、この木造は鎌倉頃だろうか?
漆塗りたくりの為か傷みが妙に少ない。
だけど、面構えが悪いね~、この木造のおっちゃんは。腹に含むとこ
ありの柳生但馬みたいな面をしている。顔の相がよくないよ(苦笑)。


さらに先祖の和邇(わに。王仁とも)が王仁であるならば、オニとも
読み取れる。平安時代の『新撰姓氏録』によると皇系ともされるが、
それは創り事で、血脈が春日・和仁族であるならば、たぶん西暦
1世紀頃に太陽信仰を伴って鍛冶製鉄技術と共に日本海側に渡来
した一族だったことだろう。
その後数百年にわたり畿内にいたが、大和王権成立後は特に大陸
半島との外交役が異様に多かったのも何か根拠があったのだろう。
血脈のDNAは扶余族であったと私は踏んでいる。

でも妹子六代孫のタカムラはこんな小泉純一郎みたいなとぼけた顔
ではなかった
とは思うよ(笑)。知らんけど。


まあ、人を食うのは先祖伝来という気もしないでもない。

そういえば、一族の海老名氏系の先祖筋の一人には「二王」という名
の者がいた。刀の二王とはまったく関係がないだろうが、たまたまの
偶然としても興味を引く。まだ解明されていないが、周防の刀工二王
は発祥は大和かも知れないが、明らかに「三原」刀工群に影響を与え
ているだろう作風だからだ。備前鵜飼、雲派から備中を経て備後を抜け
周防に至る一連の「瀬戸内ベルト地帯」における作風の近似について
の根拠の解明は、今後の刀剣界での研究が俟たれる。
私の問題意識としては、日本における刀剣の分類は、後世に学習の
便宜上「五ヶ伝」に地域を縦割りにされたが(五ヶ伝というのは作刀
当時には概念上も存在せず、後世にまとめて理解する概念として
創られたものである)、包括的な刀工群把握としては、一度その五ヶ伝
の縦割りの概念を除去して、横同士の繋がりに解析の軸点を置いて
研究していかないと、刀工群間の関連性がなんら見えてこないと思う、
というものがある。
現在、その横つながりの説明としては、あたかも名家血脈における
「貴種降誕伝説」の類が日本刀の刀工群にも援用されており、これは
かなり科学的な確証を欠落させたものとなっている。
けだし、考古学的な科学的検証および文献史学のみならず、民俗学
も考慮せずば歴史解明は偏頗の感を払拭できないことは確かである
のだが、「貴種降誕奇譚」のようなものに依拠するその心根の大方が
「地元自慢」「己自慢」に依拠していることが多大であるので、そう
した人為的な邪な悪意とも取れる作意は、一切考慮せずに研究判断
材料からは捨象していくべきだろう。

そして、なぜかしら、真言宗の猛威とともに、中国地区には小野篁
の誕生地としての奇譚がある。
ただ、小野篁の生地が現広島県竹原であるとする仏閣があるのは、
なんとも創り事にも度が過ぎるようにも思える。

<広島県竹原市竹林寺/重要文化財>






仏閣というだけに、物凄い創り事をぶっかく事をしているように思える。 ⇒ 竹林寺観光案内

まあ、なんというか、各地にある河童伝説と同じ類という程度に考えて
いた
ほうがいいだろう。客寄せパンダになったタカムラ哀れ(笑)。
と、吉備の本間は思ったりする。

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