渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

日本刀に関する表現法と社会の内実

2016年01月16日 | 日本刀



あ゛〜〜〜っ!
それもあるけど、それだけじゃないんだよ〜。
芯鉄工法の場合でも、芯鉄が露出していない皮鉄の部分も鋼の
熱変態による感応が強いところと弱いところが出るんだよ〜。
それは鋼の内在物と鍛えの密度によって出るんだよ〜。
しかも、更には吹子から炉に貫通している火口(ほぐち)の位置、
最後の焼きの時の刃の向き(上下)によっても、熱伝導が異なる
から、働きに違いが刀身表裏で出るんだよ〜。
源清麿などは、あれは左火口で刃を上にして最後のスコスコスココン
という吹子操作をしていたというのが、実物正真清麿を手に取って
観れば類推できる。
また、ほとんどの日本刀が差裏のほうが差表に比べて働きが
激しい(いわゆる「強い鉄」の状態が工法により出ている)のは、
あれは温度が高い場所にその刀身の面が向いているからなんだ
よ〜ん。
どんなに焼きムラが出ないように刀身の焼け色具合を目視で均一化
させたつもりでも、実際には20〜50℃ほどの差で明らかに異なる
状態に
刀身は置かれる訳で、その結果として、「刃を上で最後に炉から
抜く」工法を採っている刀工の作は、ほぼ全部が差裏に働きが強く
出る。

一般的なオープン炉で表裏とも同じような働きを出している刀工は、
鍛えのばらつきもなく、非常に温度管理の技量が高いと断言できる。

なぜ、「刀」で「裏」に働きが出てもよしとされるようになってしまったか
というと、それは、太刀の時代には刀でいうところの裏がまさしく「表」
だったから。
それが太刀から刀に主流が変わった時代にあっても、太刀と同じ
ように刃を上に向けて最後のスココンをやっていたから、裏のほうが
まるで表のような華麗なる変化を見せてもそのままにしていたんだろう
ね。
こうした「表裏の逆転」は、実用性を離れた時代にいくつか起きている。
目貫が打ち刀の場合に指の邪魔になる位置に置かれたままだという
のもその一つだ。
本来目貫は掌の中に納まって安定度を増す。太刀の場合はその通り
に実と形式が一体化していたのだけど、
実用性を離れた江戸期に
入ってからは、完全に目貫の位置は逆になったままで、それがあたかも
「本式」であり「正位置」であるかのようにされてしまった。まったく実用
的ではないことが正しいとされてしまった。
江戸期当時の現行での裏(かつての逆)こそが本来は正規であったのに、
いつの間にかその裏があたかも昔から「正規」であるかのように思い
込まされてしまった逆転現象が発生した。

日本刀の刀身の表裏で働きの違い(特に敏感なモノウチより先に
多く現れる)が多く存在することの原因について、またその歴史的
発生起因について説得力ある説明ができる現代の刀鍛冶というのは
どれくらいいるのだろうかと思う。


槍や剣などでは刀身を寝かせても立ててもばらつきがでてしまう
ので、田楽という箱型炉の炭の中に埋めて、まるで魚の隠坊焼き
のようにして加熱する。
送風は箱の周りに複数窓付きの送風口があり、そこからの自然
吸気、もしくは上から団扇で扇いで柔らかい風を送って刀身全体
をまんべんなく焼く。
オープン炉がすべてであるという固定観念を持っている刀工は
「田楽炉は下手な奴がやること」などと馬鹿にして見下しているが、
備前長船に刀工の灯が消えようとしていたのを救った佐賀県士族
にして刀鍛冶だった今泉俊光師は焼き入れには田楽炉を使用して
いた。これは長船刀剣博物館敷地内にある今泉記念館にもその
炉の現物が展示されている。

ただし、炉の形状の問題ではなく、別な要素で「弱い鉄(=働きが
乏しい変態が中途半端な鉄の部分)」が出ることもある。
刀剣界の謎とされている長曾祢虎徹の刃区付近の弱い鉄がそれだ。
あれは「梃子鉄が混入した」という説が一般的だ。
現代刀工で頭が固い刀工は、「梃子鉄は皮鉄と同じ部材で作るので、
梃子鉄が皮鉄に混ざるということは絶対にない」などと言い切る
鍛冶
もいる。

馬鹿を言ってはいけない。炭素の遷移という冶金の基礎を知らぬのか。
また、同じように鍛えた鋼であっても、真っ平らなノッペリとした同一で
均質な内部
状態にないからこそ日本刀の鋼は熱処理による変態で
宇宙のような
働きの変化が現出する。
梃子鉄が刀身になんの影響も及ぼさないと
思い込んでいる刀工がいる
としたら、刀の事をまったく解っていないと
しか思えない。
影響は確実にある。しかし、その影響を最小限に抑える工夫と仕事が
大切であって、ただ単に協会指導の工法を意味も深く考えずにやみくも
に実行することが「伝統の保存」ではない。そうした盲目的追従は「素直」
なこととも異なるし、それは何か別な物を墨守して延命させる作用を及ぼ
しているだけのことなのだ。


こういう本質を本気で真剣に捉えようとしないから、またそれを赦す風潮が
世間にある
から、「戦後初めて玉鋼で映りを再現した」などという大嘘を公言
したり
している人間が大手を振って「権威」として権力中央に居座っていたり
していられる。つまり、刀剣の世界も永田町と同じ力学に支えられている。
明白な虚言、大嘘を真実であるかのように世間に公表している人間が
権力者として君臨しているのである。

戦後、玉鋼を使って乱れ映りであろうが地斑(じふ)映りであろうが、刀身
映りを再現した刀工は幾人もいる。東京の大御所である吉原兄弟も
そう
だし、吉原兄弟の兄である義人師子息の逸材である義一師(この人は
天才
的だ)の作もそうだし、八鍬靖武師の子息も映りを再現していた。近年に
あっては、桔梗隼光師が明瞭な映りを自在に表現しているし、小林康宏
親子も玉鋼で映りの再現には何度も成功していた。


そうした事実をまったく無視して、「自分が戦後史上初」とか「強い刀(鋼の
働きの強さではなく強靭な刀という意)を作った
ら当然映りは出る」とか、
今さら解ったようなことを何でしょね、というようなことを
公言して憚らない
大嘘つきが大御所でいるから、やはり刀剣界とは
そういう伏魔殿のような
世界なのだとよく解る。
昨日のBS放送の番組にしても、現代刀工のパートは大出鱈目で目もあて
られないほどにひどい作りだった。よくあそこまで平然と嘘がつけるな、と。
「やらせ番組」かと思ってしまったほどだ。
そもそもが、某上場企業の社長の紹介で「是非とも斬鉄剣の作者と懇談
したい」と希望を述べたがゆえ、社長との同行来訪を待っていたが、いらした
のは社長と紹介者の著名人のみで、本人は理由も告げずにドタキャン。そして、
その後、アポ無視を詫びるどころか、どこで誰から何を耳打ちされたのかは
知らないが、ほうぼうで「あんなのは日本刀ではない」と吹聴して廻るような
人物だ。己の周辺の人たちに為してきた人的不義理や非道な所業など屁とも
思わないことだろう。師匠を鞍替えした真の理由もよく判る。
そういうのが「大家」として君臨している。虚構の「偉人」として。
ある意味、人としての業を離れてはいる離れ業をやってのけているが、それは
業(わざ)とは読まず業(ごう)であることだろう。

そして、そういう人たちに限って、武術界と同じで、弟子の妻女に手を出して
寝盗ったり、
自分の娘の友人の女性に肉体関係を迫ったり、息子が人に
暴行して意識
不明になった被害者を放置して逃げようとしたりしたくせに
武士道を語って虚飾で言を固めて
偉そうぶっていたり、刀職に圧力をかけて
いじめ抜いたり、信仰の自由を
踏みにじって新興宗教に強制勧誘したりして
いる。
絶対に自分が属する
信仰仏教宗派には勧誘しないという約束をして弟子に
入門を許したが、
翌日から強制的に入信をすすめて折伏させようとしたり
する者もいる。
「武士に二言はない」どころか嘘八百で塗り固めた連中が武術界と刀剣界
にはわんさかといる。


そういう人たちが「大先生」「偉大なる巨匠」「崇高な武術家」などと自称し、
周りからも持ち上げられているのが
武術界・刀剣界なのだということを、
多くの世間の一般の人たちは知らない。
また、そうした中で、とことん刀職関係で
いじめられたり非道なしうちを受け
ながらも耐え忍んで明日を目指して
唇を噛みしめながらも頑張っている人
たちも多くいる。

日本刀や武術の世界だけでなく、「人間世界には表の言い伝えと裏の
真実があるのだ」ということがあることだけは、しっかりと覚えておく必要
があるだろうと私は思う。
でないと、己が潰されてしまう。
「絶対に生き残る」、「必ず生還する」というサバイバルを勝ち抜くためには、
まず「見極め」から。
思い込みや思考停止の固定概念は絶対に捨てないと生存はできない。
踏みつぶされてオシマイである。
とにかく「見極め」が肝心だ。

でないと、この世の中に棲息する姑息な人間たちが織り成す他人への
「人間らしさ」を捨て去らせようとする力学というのは、とんでもないことを
してくるのだから。

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