渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

刀法について

2017年05月11日 | スポーツ・武道など



刀法について大切な要諦が剣術にはある。
それは、
 ・刀線
 ・刃筋
 ・刃並(刃波)
の三要素だ。
これについて深く頭で理解し、術技の実際を体得しないと剣術
で体さばきはできても、実際に帯刀している得物である刀が
使えないことになる。

それらについては、ご興味があれば、こちらの過去記事を参考に
なさってください。

刃筋、刀線、刃並(刃波)(2013年5月22日)

居合にとって試斬は必要か(2013年3月2日)

ちなみに、私個人は、私自身の居合剣法は三要素で構成されていると
理解している。
即ちそれは、
 ・居合体術
 ・居合刀術
 ・居合斬術
である。
これらは三位一体であり、どれが欠けても剣法として成立しない。
切り稽古を盛り込む点は、古流剣術の体系概念とは大きく異なる。
古来、剣術流派に切り試しの科目(一部には体系の中に見られる)
が少なかったのは、実際のところ、それは不必要とされたのでは
なく、しょっちゅう何かを切っていたのではなかろうか。
ある意味、それは言ってみれば不必要だ。あえて教義課程に入れる
こともない(結構詳しく教え伝えている流派もある)。
息を吸うことを学校では教えない。ゆえにあえて剣術の伝系の技法
体系には組み込まなかったのかも知れない。目の開け方や息の仕方
などは教育課程では教えない。
それほどに日常的に何かを切っていたか(幕末京都でやたら柱に
切り込み疵があるように)、あるいは一切、抜刀ご法度で刃付真剣
で切ることを全面禁止していたか、だ。

江戸期、居合稽古は一般的には刃引きで行なわれていた。
これは各種史料から明らかなのだが、私が「居合稽古は刃引きが
常識」と口にすると眉をひそめる居合人がかなりいる。
解ってないなぁ、歴史の真実を知らないなぁ、とは思うのであるが、
「そんなことすると刀ではなくなる」とか言って私が説明することを
批判的に言い出す人もいて、もっと勉強しろよ、とか思うのだ。
なぜ戦闘前に砂の築山に刀身を入れて刃を潰したのか。なぜ武家
の邸宅には築山があったのか。
もうですね・・・てんで現代の有り様だけが判断基準なんだよね。
まるで上級武士の登城用の拵のようなので居合稽古するのが
本式かと思い込んじゃってるくせに、吊るしの素延べ現代鋼の居合
用現代真剣しか買わなかったりする。デコピンしたら刃が欠け飛ぶ
ような現代吊るし既製品の「刀」を居合に使っていたり。
なにも知ったかぶりをするつもりはないのだが、どうせ刀を帯びる
のならば、もそっと武士の歴史や文化や日本刀について勉強した
らどうなのかと思うことが非常に多い。刀の錵(沸)・匂い・映りさえ
知らないのが居合人の90%以上なのだから、話にならない。
嘘じゃないよ。「古刀」といったら古い刀くらいに考えているのが
ものすごい数いるのだから。
要するに、ただ格好を真似ているだけで、てんでいにしえの本物の
武士の武技および刀剣との接し方に肉迫しようと努力はしないの
だよね。
つまり、カッコだけ。刀を格好だけ振って、それがどうしたこうした
どうじゃこうじゃとやっている。それね・・・居合でもなんでもないから。
居合は「武士が行なった武技、武門という武士の表芸の剣法」の
一つであり、使うのは日本刀だ。その使う、というか武士が日常的
に肌身離さず帯びていた刀について無知蒙昧のまま過ごしている
という事態を恥ずかしいと思わないのか。武家目利き以前に刀剣の
基礎知識さえ知らない連中が大挙してカッコだけ体操をやっている
のが現代の居合道界なのよね。なんとかしてよ、それ。

居合で使う刀は刃引き。これは武士の常識だ。
理由は二つある。
まず第一に、本当の戦闘仕様の刀剣大刀は刃をキンキンに立て
ない。これが第一。
そして、居合でもその戦闘仕様の刃引き刀剣で実戦的な稽古をした、
ということが第二。刃引きによっていらぬ怪我を防止することもできて
一石二丁だ。

刀の刃引きについてはいろいろな刃引きがあり、戦闘状況や稽古等
によって刃先の状態を変える。
平服用にはかなり刃を立て、乱戦想定の剣戟用にはやや刃を引いて
刃こぼれを防止する。それでも充分に斬撃で敵を殺傷できる。
そして、一番度数が強い刃引きは、組太刀稽古用の刃引きで、これは
現代の模擬刀ほどに刃を引いてしまう。まるでモノサシの定規のように。
この組太刀用の刃引きでは人は斬れない。斬れないがこれでも十分
に割創を作ることはできる。こんな状態の刀で斬りつけられたら、人体
の組織が破断されるのでまず助からない。腕を叩きつけられても壊疽
となって切断しなければならなくなるだろう。脳天頭蓋は粉砕陥没と
なるので即死だろう。

刀というものは「人を斬る」のだということを、刀剣を帯びて武技を
行なう者は自覚してほしい。踊りの扇子のような用具じゃないんだ
よね。
だから、鍔の緩み、目釘の緩みなどは絶対にあってはならない。
危険極まりないからだ。
居合道などはともすると、カタチの美しさを追いかけるだけの踊りや
体操になりかねない。自覚がないと。
本当の居合、武士の現実の実際は違う。
居合とは、武士がいた時代の戦闘武技であり、それをその戦闘が
不存在となった現代において、いにしえ人の武芸文化を学ぶという
点で演武することだ。踊りや健康体操ではない。
したがって、「こうやったほうが綺麗に見える」とか「こういう姿勢の
ほうが見栄えがよい」とかを口にする指導者はすべてニセモノである。
居合道であっても、現代では戦闘に刀剣を使用してはならないという
大前提を踏まえながらも、あくまでいにしえの武士の武術として居合
を抜くのが本旨だ。
実際のところ「敵の殺気を感じ」たので「機先を制して」「切りつける」
というドラスティックなことを教義として教えているのが居合道だ。
「体をほぐすためにこのように抜いて」とか「見た目が綺麗に見える
ようにこの角度で」などということは一切教えてはいない。
すべて目的は一つだ。「敵を倒す」。この一点に集中して居合の演武
はなされる。

よく勘違いしている居合試合人に多いのが、敵とは試合などで隣りで
演武している選手を「敵」とか思っているのがいるのよね。
はっきし言って、居合などやめたほうがいいとおもう。
とんでもない心得違いをしているから。
そういう奴に限って、己に刃を向ける武士の心を解しないし、それを
成さない。
武士の性根を理解せずに何が居合か。ヘソで茶が沸くわい。
刀を使ったコスプレ体操ならば、別な場所でやってくれ。

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