渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

現代野試合

2017年05月11日 | 文学・歴史・文化



老朽化・・・・。
そんな歳月が流れたのかと、我ながらとことんガックシくる。
まさにOrnという感じ。


できたばっかの時はこうだった!










包囲!突入!占拠!!
管制塔は第四インターナショナル、戦旗共産同(日向戦旗)、
プロレタリア青年同盟の赤ヘル3派が突入占拠し、空港開港
を実力で阻止した。

その他カクマルを除くすべての新左翼と労農学数万人が空港
を包囲して各所で機動隊と激しく衝突を繰り返した。(ただし
1972年第二次強制代執行で戦力にダメージをくらった中核派
は、カクマルとの殺し合いの内ゲバに忙しく、組織温存のため
1985年のマスコミPR用肉団突撃まではただのカンパニア集会
しかしない党派となり下がっていた。つまり何もしない。管制
塔突撃の際も、ムニャムニャ。ただし労戦はゴッリゴリに気合
が入った筋金入りの闘争を中核派は展開していた。動労千葉や
国労の中核派部隊の職場や現場での行動は目を見張った。藤井
フミヤは80年代初期当時、国労の中核派の闘士だった)
三里塚3.26戦闘では、取り締まり当局からはガス銃水平射ち
だけでなく、実弾の拳銃の水平発砲もなされた。実弾は反対
同盟支援側のガソリンタンクに着弾し、漏れたガソリンが引火
して学生が死亡、その他混乱の中で火炎瓶落下で学生が死亡。
機動隊は数年前に一個大隊が東峰十字路で壊滅させられ、警察官
三名が同時死亡していた。その後、報復もあってか機動隊は数
メートルの距離からノーヘル学生をガス銃ランチャーで狙い射ち
にして頭蓋骨陥没で死亡させていた。
1970年代~1980年代初期にかけての千葉県北総台地三里塚とは
そういう場所だった。


第四インター(トロツキーが作った世界組織)の
革命的
ジャンプ面!(だけど使い方間違ってるよ。
鉄パイプは突く物である)




三里塚闘争では、これまで支援学生側、取り締まり当局側で
複数の死者が出ている。文字通りの血みどろの闘いだった。
しかし、1978.3.26開港阻止され5.20出直し開港した三里塚
空港だが、時は流れ、反対同盟(農民)の支援派に占拠された
管制塔も「老朽化」により取り壊しである。

今思うに、羽田空港を沖合にこれほど拡張して再度国際線を
開通させるのであるならば、無理やり強引に政府が一方的
強圧的に国民の土地を強奪して強制開港した成田空港という
のは、
一体なんだったのだろうと思う。
とにかく暴力的に政府は力押しでコトをすすめた。機動隊の
暴力を前面に出し、反対を叫ぶ農民の女子供老人たちを徹底的
にスボコにすることで事を進めた。まるで1980年の韓国光州
で全斗煥軍事クーデーター部隊が光州市民に行なった虐殺に
近い事を権力機動隊は成田の地においてやっていた。社共は
反対農民を助けない。体を張って農民を助けたのは新左翼だけ
だった。
まるで「七人の侍」のように。


今、「現代野試合」というものがある。
エアガンを使ったサバイバルゲームの刀剣侍バージョンなのだが、
政治色はサバゲと一緒でまったく無い。
そして、
今の若い人たちは歴史を知らないことだろう。
その野試合の創始者は、トロツキーの弟子たるこの第四インター
の人だった(苦笑)。知らなかったでしょ?

こちらはオアソビではなく、抜き差しならぬ本チャンの画像。

まあ、今は単なる趣味の合戦ごっこのようになってしまった。
おいらにはよく分かるけどね(笑
だって、老朽化で取り壊しなのだから(苦笑

え〜。野試合の創設者が四トロというのは真っ赤な嘘で真っ赤の嘘。
赤は嘘が得意なんで、ここまで読んだ人、サーセン(≧∇≦)
でも野試合は七人の侍のような人が始めた物、というところ
は押さえといて。
ここ、試験にでるからな~。ノート取っとけよ~。

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