渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

弓聖

2016年10月18日 | スポーツ・武道など



弓聖と呼ばれた人がいた。
阿波研造(1880~1939)、宮城県生まれ。

(ウィキペディアから)
人物
術(テクニック)としての弓を否定し、道(精神修養)としての弓を
探求する宗教的な素養が強かった。目を殆ど閉じた状態で弓を
絞ると的が自分に近づいてきてやがて一体化する。そこで矢を
放つと「狙わずに中てる」ことが可能になるというのである。『弓
と禅』では、オイゲン・ヘリゲルを初めとする弟子達の前で、殆ど
目を閉じた状態で放射している(オイゲンが筋肉を触ったところ、
筋肉にも力が入っていなかったと証言を記している)。

自身、大射道教という流派を興し、その精神を「一射絶命」という
言葉で表している。

阿波研造の言葉
「的と私が一体になるならば、矢は有と非有の不動の中心にある」
「射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る」
「弓から矢が離れる瞬間の、その人間の無心な態度がなくては
ならぬ」
「的を当てようと思うな」
「力を抜こうと意識するな。意識した瞬間にとらわれる」
「自分を離れて弓を射よ」
「貴方の矢が的まで届かないのは、貴方の精神が的まで届いて
いないからです。弓道の奥義は、的のことを関知しません」

剣の道にも通じるものがあると思う。

阿波研造は、真っ暗闇の中で的を射って図星(真ん中)に的中させ、
二立目は一矢目の筈を切り裂いて同じ場所に的中させた。
なぜかような事ができるのか。
それは「的を中てようとしていない」から。
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