渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

刀剣完成計画

2016年01月17日 | 日本刀

そういえば、次はこの二尺三寸一分の拵を作らないとならないのか・・・。



あーーっ!
考えたら、金がまったくにゃいぞ(笑

温めて、ゆっくりと将来設計でやっていくとしよう( ◜◡‾)

どうせなら、鞘は鮫一枚巻にしてやろ。
肥後拵じゃないよ。
眠狂四郎仕様だよ(笑

カイラギ鞘を使っていた遥か昔の時代。わっけ~(笑


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2016年01月17日 | アウトドア



斧を小野が研いで、よし行くぞ~と思っていたが、
寒いので日和った(^^;



なにも燃やしとらんがな!


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弘前藩伝 林崎新夢想流居合

2016年01月17日 | スポーツ・武道など

弘前藩伝 林崎新夢想流居合


私が属する土佐居合は、最幕末期以前に幕府定めの定寸の
刀身長(二尺三寸)を帯刀するのが掟とされたが、長刀を使う
居合は土佐居合の源流の大元流派の特徴でもあった。
土佐人の刀の特徴は反りが少ない刀であり、最幕末には
寸伸びとなるが、ここまでの長さの刀を差していた訳ではなく、
また、上士においては幕法を守る長さの刀を帯刀していた。
これは薩摩においても同様で、生麦で薩摩人が異国人を斬殺
した際に用いた刀も幕法に沿った定寸の刀だった。
土佐においては長い刀というよりも反りが極端に少ないいわゆる
「幕末刀」が多用されたようだ。長さについては龍馬をはじめ、
現実にはさほど長くない刀が多くみられる。これは佐幕・攘夷派の
どちらにも見られ、新選組なども、実際の争闘での記録によると
長くても二尺四寸までという刀剣が多く使用されている。

(土佐脱藩浪士田中顕助。維新後伯爵)


この居合原初ともいえる林崎流の動画を観ていて読み取れる
のは、「日本刀はなぜ元から先まで刃がついているか」という
ことだ。
鋒(きっさき)付近のフクラのみを使って小手先だけで「打ちこむ」
ことのみが剣術のすべてだとよもや思っている埒も無い流派など
は存在しないとは思うが、
日本刀の刀身を使った刀法の真理が
この動画
から読み取れる。

また、長刀を使う流儀もあれば、短寸を使う流儀もある。
いずれにもこだわらず、いずれも使いこなせて状況により臨機応変に
対応できてこそ「実効性のある剣技」といえるだろう。

(坂本龍馬を斬ったとされる小太刀)

桂早之助の差料と伝えられる脇差である(越後守包貞)。
桂早之助は「西岡是心流(ぜしんりゅう)」の名手であったと伝え
られている。桂は上覧試合で50人抜きをした剣豪といわれる。
坂本龍馬暗殺についての考察は → こちら をどうぞ。


日本刀の刀身部位で一番よく切れる部分は「物打(ものうち)」
だが、これは真のモノウチを理解している人は存外少ない。
モノウチとは刀身の範囲のことではなく、ほぼ「点」として個体ごと
にその場所は異なる。
それは、反りのある刀の場合に検出することは簡単で、刀身を
寝かせて机の角などに置いて(疵つかないように布等を敷く等)、
柄側を下にして引いてくるとクルンと刀身が勝手に立つ位置が
ある。そこがモノウチである。
物打とは、刀身の範囲のことではなく物理的に意味のある「最前線」
のことなのであるが、厳密にはその「点」でなくともその周囲は
切れ味が鋭い。

しかし、だからといって、対敵行動においては、常にその部位を
使って敵を斬撃するなどということは不可能である。静止物体で
ある竹を試し切りするのが剣法ではないからだ。刀の先っぽだけ
で切るのみの技術などは剣術ではないし、そもそも竹斬りなどは
剣法でも何でもない。

然るに、「刀は状況如何で刀身のすべての部位を効果的に使用
する」というのが刀身に刃が元から先まで付いていることの意味を
体現している。
固定観念に捉われず、また己の狭い概念を人に押し付けず、臨機
応変に対応して己が生き残るのが武術の根幹だ。
私は林崎流の演武を拝見して、その武術の根源に触れた思いが
する。
また、足の甲を返して体転して斬る業などは、末流の土佐居合にも
継承されていることが見て取れ、大変勉強になる。


そして、武芸には絶対に揺るぎない定理がある。
それは、「強い流派」というものは存在しない、ということだ。
強いのは個体である個人であり、何流であろうとも強い者は強い。
強弱は流派によるものではなく、何流であろうとも、強い遣い手は
強いのであるし、弱い者は何流を学ぼうが弱い。
各個人の心法まで含めた技量が絶対基準軸であり、どこかの流派
に属したから強いという方程式は成立しない。
ただし、流派によって「上達度」の差異が出る傾向はある。
私が知る限りでの流派の特徴としては、唯一尾張新陰流は剣技向上
の教育プログラムとして極めて理論的に体系化されている。(私は
実践した剣術としては新陰流、二天一流、一刀流しか知らないが)
他の流派が、いわゆる個人の発達具合に依拠する面が多いところ、
新陰流に限っては、「誰が学んでも一定程度のレベルに達する」と
いう画期的なプログラミングになっている。
これは、江戸初期にそれを体系化した先達の達人の洞察の深さに
瞠目する。まるで難関大学に合格者を多く出す実力進学塾のような
教育システムが新陰流は完成されているのだ。
完成形まで体系化したのは柳生連也だろうが、やはりただの人では
ない。間違いなく剣術史に残る偉人であるといえるだろう。

それでも、現実的に刀槍で殺し合いがあった時代に、新陰流を学べば
生き残れるかというと、これは前述した通り、別な問題となる。それは、
争闘においては、
「戦って生き残った者が強い」という定理が働くからだ。
ヤットーの竹刀
試合ではない本当の殺し合いの場合には、勝者(生存者)
こそが強い
のであり、流派などは関係がない。
だが、勝者が正義であるかどうかというと、決してイコールではなく、
これはまた別なファクターの問題として存在したのは疑う余地がない。
現実世界では、闇討ちやいわゆる人の道にもとる汚い手段が横行した
であろうし、武蔵の舟島での一件でも、護衛付で武蔵が小倉から脱出
せざるを得なかった事実を見ても、有無を言わせず力に任せてたたみ
込んで集団討ちしてしまえという風潮は「普通に」あったことだろう。
また、江戸期を通じて、一番多く採られた手法は「毒殺」ではなかったか。
幕末などの語るのも恐ろしい大逆謀略などでも、やはり毒殺が選択され
たことだろう。将軍と天皇が揃って都合よく同時期に病没するなどという
話があるわけがない。「誰が得したか」で歴史の中での実相が見えてくる。
得をするのは徳なき者の場合が人の世の真実としては圧倒的に多い。

「勝てば官軍」とはいうが、「勝者」が「正義」であるのかというと、必ず
しも真の正義であるのか否かとは関係がなく、勝者によって作られて
プロパガンダに利用されてきた「正義」が多くある、という人の世の定理を
私たち
現代人は深くわきまえる必要があると思える。


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