渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

木刀

2016年01月06日 | スポーツ・武道など



私の長大木刀は四尺二寸。
普通に構えると三尺三寸長となる。

下は大刀木刀、刃部の長さ二尺四寸。
ハバキ分(呑込分も算入)を引いたらジャスト71センチで、二尺三寸四分の
真剣と同じ私仕様。
木刀は何本もあるが、自分の流派の居合の理合(りあい)稽古、理論解析には
これを使用している。


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鏡餅

2016年01月06日 | 文学・歴史・文化



正月の鏡餅。
鏡餅は三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」を模した
ものとされる。
では、なぜウラジロを敷いて橙(だいだい)を載せるのか。
ほとんどの民俗的な説明においては「生命繁栄のため」との
解説がなされている。常緑種は枯れないから、との理由で。
これでは「鏡」との関連の説明がつかない。
ウラジロについて正鵠を射る説明を成している説は皆無に等しい。


ウラジロはカネクサのことである。
となれば、これはまさしく鏡との関連において、何を意味している
かが見えてくる。「どの勢力に己が与するか=従属していることを
自己表示するか」という
風習の継承が形骸化したものであったこと
は容易に想像がつく。
では、蜜柑=橙(だいだい)は何の象徴であるのか。
橙は「フイゴ祭り」においても必要不可欠な品物だ。
橙の色を見れば自ずと答えは導き出される。
その色が示すことは、炉で産まれ沸かされた鐡のそのものの色で
あり、産鉄と製鉄の象徴である。
それらを祀り奉じる。

古代産鉄を掌握した強大な統一権力とそれへの従属と忠誠の
象徴が、まさしく鏡餅なのである。

鐡は金(かね=鉄)の王哉(おうなり)。
この日本列島の古代王権支配と国内統一は、産鉄製鉄技術の
掌握なしには成しえなかった。
(鐡=音読みでテツ。訓読みでクロガネ。金=かね自体は鐡のみに
拘わらず金属全般を指す概念として使用されてきたが、最大公約数
としては銅をも含むテツとして認識されていた。古代鐡においては
銅成分や製銅との関連も指摘できるが、それは別の機会に譲る。
ちなみに鏡餅は古代においては黒かった)

古代史は「鐡の歴史」である。
鉄器生産を掌握することは、武力を保有することだけではない。
稲作と鉄器生産技術は密接な関係にあり、鉄器の掌握は、飛躍的
な稲作の生産力アップに繋がったのである。故に「稲」と「鉄器」は
権力を掌握せんとする勢力にとっては欠かすことのできない分野
であり、それを「神事」とまで昇華させて人民に知らしめる必要が
あった。現にその日本列島二千年の歴史は、その事柄が現代でも
継承されている。

古代製鉄と統治支配の史観を抜きにして鏡餅は語れない。
だが、豆まきやトンドと同じく、原初風景を一千数百年の間に
我々は亡失してしまった。
ただ、「家庭円満」や「子孫繁栄」や「無病息災」ということのみが
多くの風習では語られるようになった。
鏡餅が現在の形で飾られるようになったのは室町以降だが、
平安時代にはすでに存在していた。

私は、日本の古代からの習慣が「御利益的」な事柄に多くが転じた
のは、本物の仏教ではない「オモライ」仏教である鎌倉仏教普及
以降であるとみている。
本来宗教とは、己の生死にも関わるもので、「自ら向かう」ものだ。
これはキリスト教・ユダヤ教・イスラム教(いずれも同じ神を奉じる)
などには色濃く現れているが、本来の仏教とは大きく異なる形で
葬式仏教として日本で普及した鎌倉仏教は、「信じたら何か自分に
施しをしてくれる」という交換条件の自己利益誘導型の嘆願行為
として変質させられた。「お祈りして信じたら健康を授けてくれる」とか
「願ったら(他力)で叶えてくれる」とか「信じれば何か御利益がある」
といったすべて交換条件の打算の上に「宗教」を動員しようとしている。
これは施す側も信じる側も、そのルートに乗ることによって「予定調和」
を得ようとしている。現実的には何も生まれないしもたらされないのに
も拘わらず。(現実問題としては、困窮せる難民に対して慈愛救護の
観点からキリスト教会は炊き出しをするが、炊き出しをする現代の神社
仏閣は皆無である。とりわけ、仏教坊主にあっては、その間、肉を喰らい
酒を飲み女を抱いて説教をたれる。これが現実だ)
そして、「何かしてくれないのならば信じない、拝まない、手を合わせない」
という構造の中に信じる側の自我が存在している。

これらは「物乞い宗教」だと断じることができる。

だが、こうした宗教の変質と偏執は、時の権力者にとっては利用するに
余りある存在であった。多くの歴史上の権力者は「政教一致」を大いに
進めてきた。

本来の宗教とは、見返りを期待せずに、自らの身と心も捧げるもの
であるのだが、日本では鎌倉インスタント葬式仏教が仏教という
宗教であるかのような面が根強く定着してしまったために、真実の
部分では現行日本人に宗教性を持つ人間は非常に少ない。
また、神仏習合により、こうした感覚は神道系の信仰領域にまで普及
してしまい、神社といえば「願い事を叶えてもらうために祈る場所」という
ような物乞い根性が日本人の隅々にまで浸透してしまった。本来、神社
は請願要求成就の目安箱設置処ではない。無垢な心で見返りなどは
一切期待せずにただただ祭神を奉じるのが神社への本来の参拝の姿だ。
だが、日本の在地宗教は、「何かしてくれるから信じる」あるいは「信じる
から何か施しをしてくれ」という、宗教のあるべき本質性とは大きく天と地
とほども乖離してしまったのである。
葬式のために仏教に属し、内実としては無神論者でありながら、
メシア
の降誕やキリストの存在などまったく意識の外において異性との関係構築
イベントとしてクリスマスに浮かれ立ち、またキリスト者でないのに教会で
結婚式を挙げたがる。
日本国民に宗教性は一切存在せず、クリスマスのお祭り騒ぎが終わったら
一気に基督教ムードは収束させて年末の「仏教寺院の除夜の鐘」へと
向かい、元旦には神社へ参ろうとする。
宗教が自己存在および生き方そのものと密着した外国人から見たら、
日本人は彼らの常識を超える理解不能な国民性となってしまった。
また、宗教の宗派とはまさしく「セクト」であるので、己の信じる宗教
のためには命を賭して死をも恐れないのが本物の宗教であるところ、
「物乞い宗教」にどっぷり浸った日本人側もなかなかそれが理解
できない。まったくもって理解できていない。

日本の古代史は、「祭り」の際に街中の家家を連結して各戸口に
注連縄を張り巡らせたように、あるいは「泣く子はいねが」と後世に
変化した監視官が各戸をローラーして動静思想調査をしたように、
特定勢力に従属しなければ人民の生命の危機がもたらされたという
深刻な歴史的
社会情勢の中で様々な「従属表明式典」が行なわれて
きたことの積み重ねが「日常」としてあった。

武家という特定階層による政権が成立して以降は、別方法で人民
統治の形式が完備されたが、古代親政時代には宗教行事と人民
支配の形式は密接な関連の上に成立していた。

いつからか日本の多くの風習は形骸化した。
だが、これはこれで内実への認知の忘却が存在するとはいえ、それが
良いことであるのか悪いことであるのかは即断できない。
しかし、原初の意義の亡失は、歴史の真実が闇の彼方に去って行った
ことではない。
「目を逸らさせられて」いるだけのことなのである。

鏡餅は、まさしく、古代王権への「従属と忠誠」を示すことによって、
一族の生命安堵を得ようとした行事が、やがて「子孫繁栄」という
一面性のみが継承されて本質が形骸化していった事象の一つで
あろう。


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断面

2016年01月06日 | 日本刀



見た目が良く、味も良いが、モチモチ感がなく中身がスカスカで
食感の悪い煎餅。

なんだかこの画像は、折れた現代刀の断面にとても似ている。


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御礼

2016年01月06日 | 内的独白



正月休み期間は多少来訪者が減ったが、休み明けに平常に戻る。
私は著名人でもなく、ただの一介の名もなき一般人であるのだが、
本当に
皆様よくご覧になってくださっていて、感謝します。
毎日1万数千ヒットというのは、単発訪問ではなく、それだけ(クローラ
含めて)生身の人にも複数記事をご覧になっていただいているのだろう
と思う。
本年も宜しくお願い致します。


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包丁文化

2016年01月06日 | 文学・歴史・文化



明治初頭(廃刀令以前)の内務省発行のある史料を読むと、幕末から
明治にかけての時期は、
完全に現在の菜切り包丁と同じ物を産業分野
においても使用されていた
ことが判る。
これは昆布を切断して製品化しているのだが、なぜ二刀流であるのか
は不明。
文化文政時代に現在の包丁形状はほぼ完成されており、当初は「堺土産」
として特産品であったが、約100年で完全に全国的に普及したことが見て
取れる。

現在の世界の包丁は日本の包丁の形状が参考にされているが、その世界
の包丁の魁である日本の包丁が登場する以前は、アゴのない日本刀の
ような形状の刃物を包丁としていた。
この世界を牽引する日本の包丁の形状を登場させたのは、堺の鉄砲鍛冶
たちである。
平和な時代になり、軍事産業従事者がその技術を平和産業に転用して活か
した歴史的な典型例といえるだろう。
世界の包丁に絶大なる影響を与えた日本の包丁は、平和のシンボルである
ともいえる。



こういう包丁にみられる日本の平和産業と文化的な側面を学校でも子ども
たちに教えれば
いいのに。
ただただ「刃物は危ない」「刃物を持つ人は危ない人」なんてことを学校で
刷り込もうとしているのだから、なんというか、政府教育関係者が狙っている
国民文化度は低すぎる。
もっとも、そうしたことを意図的に狙って国民洗脳化しているのだろうが。
そして子どもたちは騙されて画一的な思考回路のみを与えられている。
親が本当の日本文化の姿を子にきちんと教えないとね。


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ガソリン安値

2016年01月06日 | 時事放談



美作国津山。
きょうはレギュラーガソリンが安い。

クレジットカードだと更に安い。1リットル111円。
ガソリンというのは、金や魚と一緒で、時価(笑)。




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