渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

自給自足技法

2016年01月03日 | 風情・季節・地球



この雑誌を買った。
これ、なかなか面白い。
かなり過激な記載内容もあるが(まるでアジビラのような)。
書いた人、元業界人だったりして(笑
中の記事だけでなく、表紙の文言も「連帯を求めて孤立を恐れず」
というニュアンスとソックリだよね。なんとなく感じ取るものがあるよ(笑
編集長、日大だったりしてな(^^;


きょう、この海に突き出した場所で野点をしているときにジョウビタキを見た。



綺麗な鳥だよね。セキレイの色違いという感じがする。
というか、すっごく珍しいような気がする。渡り鳥。

(この画像はネットから)




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野外でコーヒー

2016年01月03日 | アウトドア

自宅に戻って来たら、友人からラインメールが来た。
外でラーメン食べるけど来ないか?とのこと。
やることがあったので一度は断ったが、近所の海岸でとの
ことなので顔を出すことにした。



つーか、もう食い終わってやがるし(^^;
しょーがないからおいらはビスケットとサラミと燻製チーズを食う
ことにした。

竹原の町並保存地区に行ったことがないというので、ドライブ。
その次には竹原バンブー公園へ。広大な敷地の自然公園だが、
「犬の入場一切禁止」なので、こういうところでは貴重な時間は
過ごさない。

さて、しょもないバンブー公園では車から下りずに敷地内を一周して、
海岸沿いの展望台に向かう。


『エデンの海』とは、若林慧(1903~1987)が1946年に発表した
ここ広島県竹原市忠海(ただのうみ)を舞台にした
小説だ。
若林慧は広島高等師範(現広島大学教育学部)を卒業後、教師
となって、女学校(のちに旧制忠海中学→現県立忠海高校)に
赴任した。そのためそこでの経験を活かして小説にしたのだろう。
夏目漱石の『坊ちゃん』のようなものか。

小説『エデンの海』はここ忠海で繰り広げられる東京から赴任した
新米
教師南条と女学生清水巴の触れ合いを描いた小説で、これまで
3度映画化されている。

1950年(松竹/南条先生:鶴田浩二、清水巴:藤田泰子)


こんな女子高生がいるもんか!銀座のチャンネーじゃねぇんだぞ!
とか思ったりするが、
まあ、昔の人はオマセさんだったということで。
これより昔は16歳位でお嫁に行くことも普通だったので。戦後5年目
の映画作品です。



1963年(日活/南条先生:高橋英樹、清水巴:和泉雅子)
若き日の桃太郎侍と当時一世を風靡した和泉雅子さんのコンビです。



1976年(東宝/南条先生:南条豊、清水巴:山口百恵)
渋谷生まれの横須賀育ち。1970年代、百恵ちゃんは絶大な人気が
あった。あたしゃ、あまり好きではなかったのだけど、突き抜けた人気
であることは確かだった。『伊豆の踊子』は中2の時に劇場に観に行った。
満員の立ち見ですた。リアル高校生だったから、この作品の百恵ちゃん
は女子高生ぽくていいね。馬はどうなの?とか思うけど。



この百恵ちゃんバージョンは百恵ファンからも三浦友和ファンからも
すげーバッシングだった。
ファンというのはこわいにい(^^;

つーかね、百恵ちゃんバージョンは1976年公開だけど、ちょっと
トレーラーというか抜粋動画を観ると、時代だねぇ。70年代その
ものだ(笑
なんで学校ふけたら自治会で同級制裁≒総括要求なのよ(苦笑
しかも、原作通りにやったからかなり無理があるのが、国道を馬?
1976年に馬?
きょう俺らが走ったその国道を馬?
いくら田舎だとしても、ありえねぇえ~~~(^^;
ま、確かにクォーターホースはいいけどさ。


まあ、お時間のある方は百恵ちゃん映画の抜粋をご覧ください。
エデンの海(1976年百恵バージョン)

なんか、1976年(私はリアル高1)なのに、当時としてもやはり当時から
30年前の物語のように感じる。ねーす、これは。なんじゃこれ。

赤いシリーズの学芸会?てか、観てるだけできついわぁ・・・。
『伊豆の踊子』のように時代物としてならばともかく、1976年時の現代物
としてやるには当時としてもズレすぎている。製作スタッフじいさんばかりか?
1976年は私は東京しか知らないが、学校帰りに水道橋のJAZZ喫茶「響」か
「スイング」でズージャ聴きまくりだった。街では週末の夜にはマル走たちが
土曜の夜の天使となってヘッドライトとテールランプの大河を作っていた。
ワンチームの集会で二輪車300台、四輪車400台などというのはざらで、
それがいくつもの集団で都内の道路を席巻していた。
もうマル走時代ではないねと丘サーファーが大量生産されるのが1978年
からで、原宿にタケノコが出るのはその2年後だ。
1960年代後半からの「層」としての「反逆の時代」が終わりを告げようとして
いたのが1970年代中半から後半だった。とにかく、「全体の層」として社会が
動いていた。こういう牧歌的な個人技みたいなしょぼい恋愛とかは時代の中で
存在しないと思っていた。中島みゆきでさえ「旅を続ける人々は いつか故郷に
出会う日を たとえ今夜は倒れても きっと信じてドアを出る たとえ今日は
果てしもなく 冷たい雨が降っていても」と歌い上げた。
ここで中島みゆきが詠う「故郷」とは、地図上の故郷のことではなく、自分たち
が求めた楽園、目指した社会という意味で歌っている。
そして、中島が詠うように、その闘い倒れた人々は、「人」ではなく「人々」
だったのだ。「層」として時代性は捉えられるべきものとしてあった。
それはあくまでも「起ち上がる」ということが精神的支柱の絶対背景として
人々の心にはあった。
そういう感性の共有化、同時代性の獲得というのは、都心部だけだったのか
なぁ・・・。意識性としても。
この1976年の百恵作品は、なんというか、当時としても私の感覚では
超ウルトラスーパーアナクロのように思える。やはりそういう意味では
原作の1946年の時代背景に支えられた作品で、原作に忠実とは思える。
けど、それって映像描写手法としてどうよ?という気が強くする。

なんだよ?これ。



ということで、エデンの海にて、野郎二人で屋外コーヒーを点てて
飲んだ。ここね。コーヒーの野点という訳だ。


フォトポイントとして案内看板があった場所から傾く太陽を観る。
例によって光る海だ。


帰りは三原市内のマリーナに寄ってみた。




『太平洋ひとりぼっち』に出てきそうなヨットとか、松方さんがアヒアヒヒと
笑いながら乗りそうな船が結構あった。


友人が行った事がないからと、海が見える高台の住宅街に行ってみた。


「ここいいなぁ」と言っていた。
ま、景色はね(笑


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研磨

2016年01月03日 | 刃物

研いだ。




気持ち悪い程の切れ味。鋼はSUSよりよく切れる。

私が研いで私が斬ると、肥後守ただの一振りで吊るしたカレンダーは
このようになる。(国内販売最大のカレンダー)


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正月休み

2016年01月03日 | 風情・季節・地球



あっという間に正月休みは明日まで。
早かった・・・。


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遠距離射撃

2016年01月03日 | ミリタリー

1,000ヤードの距離。
M16系のAR15(口径5.56mm、弾頭直径5.69mm)で狙撃して、
はたして命中するのか。
劇画『ゴルゴ13』のように。



答えは、「命中する」。
アモとバレルのセッティングによって。


勿論、通常弾ではなく、77グレインという重量弾を使う。


上掲の画像ではスコープを使わずに射撃していることに驚く。
だが、ピープサイトの銃を構えたことがある者は、ピープサイトによって
視力が飛躍的に向上することを知っていることだろう。

(ピープサイト)




これはピンホール効果のためだ。

ピープサイトで照準すると、細い光が水晶体を通過する際に眼球の水晶
体のごく狭い範囲の極小部分を通る。そのため、凸レンズの影響を
受け
にくくなる。屈折率が低いために焦点距離が伸びるため
網膜に映像が
届き易くなり遠くのものがよく見える、という仕組みに眼球は出来ている

ピープサイトはそうした人体構造を利用した視力向上照準器であると
いえる。
ピープサイトを覗くと水晶体を薄くする必要がなくなる。
通常の視点のピント合わせは毛様体
筋が緩むことにより水晶体は横から
引っ張られて薄くなり
水晶体の屈折力を弱くして網膜に焦点が結ぶように
なっている。
しかし、ピープサイトならばピンホール効果で毛様体筋の調節が不必要と
なる。
従って、遠距離の場合でもオープンサイトでなくピープサイトならば
よく
見えるという現象が起きるのである。

こうしたことも、銃に関する常識である。
軍用銃のみならず、エアライフル等のスポーツ射撃においてもピープ
サイトが多いのは以上の理由による。



それでも、重力による弾着の落下に対する補正は、サイトのみならず
目視においても行なう必要がある。
散弾銃の実猟での見越しと同じく、こうしたことも実弾射撃経験者は
誰でも知っていることである。
さらに、気温・湿度によっても着弾には補正照準が必要となる。
実銃は玩具銃などとはまるっきり次元も世界も違うのである。
そもそも、射程距離とジュールが比較にならないほどに違いすぎる。
エアソフトガンはあくまでも玩具、オモチャなのだ。



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