約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

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事務作業 ID:p3r6oo

2017-10-18 19:57:18 | 人生・ビジョン・希望
事務作業上の更新です。

また後日ブログ書いて正規の更新しますね。

けいぞう
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武隈のようになりたい

2017-10-09 13:09:56 | 人生・ビジョン・希望
 なかなか更新しないのでご心配をおかけしているけいぞうブログです。本日はくるみを食べながら書いております。

 さてさて、何を隠そうまだ神学生をしている佐藤計ぞう。あと一年半ほどで終わる予定ですが(父からは何年かかってるだ。人生終わっちゃうぞ。と言われましたが ^^;)、東村山の現在の学び舎にはテレビがないのです。インターネットはかろうじて繋がりますが、新聞は朝日新聞一紙だけ、経費削減がその理由らしいですが。
 となると何が問題かと言うと、相撲や野球が観られない、うー泣く、もとい、ラジオで盛り上がったりしているので、それは案外問題ではない。何が問題か。それは「世間がわからずに困っている」ということなのです。

 神学生というのは、将来牧師になって行くので、まあ説教というものを語れるように訓練と研鑽に励むのですが、最近気づいたのですが、私がこの説教というものを準備していると数年前と比べてその質がよくなっているのではなくて、質が上がらない、もしくは質が下がっているのを感じるのです。それはなぜかと考えたのですが、どうも答えがわかった。それは「世間がよくわかっていない」からだったんです。世間で何が起こっているかわからないと、この世界や人々に関する問題意識なしで説教に取り組むことになる。そうすると説教に幅が出ない、奥行きも弱くなる。

 20世紀を代表する神学者カール・バルトが「片手に聖書、片手に新聞」と言ったといいますが、私もこれではいかん、とりあえず朝日一紙だけだけど新聞を読もうと思い、先月末から走り読みだが新聞を読み始めました。そして気づいて見たら、寮の自室の机の上には大抵神学書があるのですが、そこにさりげなく村上春樹と風の谷のナウシカの原作コミックがあるではないですか。おおっ、こうなってくると何となく神学的思考で全体を捉えるバランスが出来始めたんじゃないかと思えるようになってきたのです。(ついでに書くと、今聴いている音楽はデヴィッド・ボウイの遺作『★(ブラック・スター)』です。ま、これはついで。)

 さて話は新聞に戻るのですが、その新聞を見てみると、今月に行われる衆議院選挙のことが毎日話題となっています。自公勢力と希望維新、また立憲民主・社民・共産の三つ巴決戦と言われてますが、今度ばかりは投票しないと。まだ人には語れませんが、茶飲話程度には日本の国への憂いをきちっと語れるようになりたいなと。片手に聖書は大事ですが、それだけだと天上人になってしまい、応用が効かなくなってしまいそうで正直怖いです。おお、そろそろ書き終わりの時間だ。ではでは、最後に最近痛感していることを書きませう。

 それは私が応援してやまない西武ライオンズに武隈祥太(たけくましょうた)という中継ぎピッチャーがいますが、彼はどんな場面でも辻監督の言う通りに登板して投げる、人呼んで「大車輪の便利屋」なる仕事をしている左投手のことなんですね。例えば他の投手陣はサブマリン牧田は7回に投げる、速球派増田は点をリードした9回に投げる、リードされた試合は大石が投げる、とかほぼ仕事が決まっているのですが、この武隈なる男は出番が決まっていないのです。5点リードした試合でも投げれば、同点でも投げるし、イニングの始めではなく無死一、二塁でも投げる。まさに便利屋、いつも文句言わずに「仕事、仕事っ」って感じでスイスイ投げている。
 そして彼の数少ないグッズは見事売り切れていて僕も買えない。最近こういう人に憧れるんですよね。僕は神学生としてどちらかと言えば便利屋ではなく、これこれのスペシャリスト的に長く育てられたんです。しかし実際牧師になるための訓練を受けていると、スペシャリストよりも便利屋の大切さを感じる今日この頃なのです。その便利屋が無死一、二塁を内野ゴロ二つで仕留めて0点に抑えてしまう。いいですねー。さすが武隈。

 つまり今日言いたかったことは、新聞でもナウシカでも武隈でも、そのような幅を持っていかないと、この世界で生きながら牧師、説教者として問題意識を持ちながらこの世に問いかけて行くことはできないんじゃないか、と言うことなんですね。それを短く言うと「武隈のようになりたい」。お後がよろしいようで(^^;)
 

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ナゴヤドームに行って来ただ

2017-08-21 10:40:44 | スポーツ・格闘技
 皆様こんにちは。かりんとうを食べながらこのブログを書いております。そんな訳でナゴヤドームに行って来ました。(前回ブログ参照)

 中日vs今をときめく広島戦。それをなぜか巨人ファンの方と西武ファンの私とで観に行って参りました。そんでもって、チケットの手配をしてくれたのが広島ファン、その方は行けず招待券の手配だけしてくださいました。申し訳ない。
で、巨人ファン&西武ファンはドームに着いてから、ひたすら招待券窓口を探しに行きました。そしてやっと見つけると、綺麗なお姉さんが「所定の用紙に必要事項をまず書いてくださいね。」と言われたので、早速記入を。チケット手配者と手配元の球団関係者の名前を書く。手配元は広島カープの〇〇コーチ。うおお、凄いな。どういう人脈なんだろ。
「手配者ご本人様ですか?代理の方ですか?」
「はっ。…代理の者です」
「わかりました。こちらになります。」
一瞬ヒヤッとしたが、問題なかったようで無事招待券をいただいた。そしてドーム内へ。
巨人ファン「いやー、いい席だねー」
西武ファンけいぞう「いくら位の席ですかね」
巨人ファン「うーん、五千円くらいじゃないか」

 そしてしばらくして気づいたのだが、空調(冷房)がかなり効いている。冷んやりして気持ちいい。25度くらいの設定だろうか。密閉式ドームは東京ドームと福岡ドームに行ったことあるけど、こんなに空調効いていたかな。
 またもう一つ気づいたのだが、グラウンドがきれいだ。いやもっと言うと、きれいすぎる。試合が始まると、中日の選手たちがグラウンドに散って行ったが、とても野球場には見えない。人工芝を敷き詰めた空調が効いている体育館の中で試合をしているようだった。違和感ありあり。やっぱり野球は少し泥くさい位のところの方がいい。そうでないと迫力が半減する。
 まあでも試合が始まるとカープの菊池の守備はかなり上手いということはわかった。今まで見た内野手の中で一番上手かったのは、ライオンズの辻監督の現役時代のセカンドの守備だったが。
まあ観に行った価値はあった。セリーグの試合を観ることが少ない自分にとっては貴重な体験だった。不思議な人脈を持っているTさん、チケットありがとうございました。ペコリ。

 以下余談だが。
 知っている人しかわからない話題だが、現在、パリーグはかなり盛り上がっている。ソフトバンクと楽天と西武が優勝争いをしている。まあ3位西武まで入れてだが、奇跡の逆転優勝の可能性がゼロではない強さが今のライオンズにはある。今年の埼玉西武ライオンズは、強さが10年ぶりくらいに甦った。ライオンズ黄金時代のトップバッターにして名二塁手、辻発彦氏が監督として采配を奮っている。インターネットで試合を観たり、文化放送ライオンズナイターで試合を聴いたりしていると、試合が面白い。キャッチャーのちょっとしたパスボールで三塁ランナーだけじゃなく、二塁ランナーまでホームに返しているんですよ。そんな野球ほかのどのチームがやってます?


 それから首位ソフトバンクホークスの試合を観ていると腹が立ってくる。
強い確かに強い。ホークスファンに別に怒りはない。ホークス自身も工藤監督も何も悪いことをやっていない。つまり、総合格闘技PRIDEに出ていたヒョードルであり、K-1のセーム・シュルトみたいなんだよなあ。強ければいいのか、って言いたくなる。でもそれを解消するには、楽天か西武がソフトバンクを倒すしかないんだろうなあ。
最後に一言。ホークスファンの人ごめん!松田には腹が立つ!空振りした時のカカシポーズも、ホームラン打った後の「ワンダホー!」も。松田ファンの人ごめん。
でも川崎は好きだぞ。昔から。



 今回は野球の話、でした。


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名古屋にて人生を想う

2017-08-07 06:56:33 | 人生・ビジョン・希望
 皆様こんにちは。5年ぶり更新第二弾です。 
 さて前回の続きを書くべきところと思うが、それには少し時間を頂き、ガラッと話題を2017年今夏に移すことにする。

 実はこの夏は名古屋にいる。今から15年前、牧師になることを決意したため、引越しが多い(15年間で8回)。旅から旅の人生になってしまっている。今夏の名古屋は現在所属している東村山の神学校からの夏期限定の派遣で名古屋市内の教会に行くことになったからだ。ということで、今日は午前中に大仕事が終わったので、しばし休息を兼ね名古屋市内のスターバックスで5年ぶり更新第二弾を書き始めることにした。

 名古屋に来たのはいつ以来だろうか。以前は名古屋にいる友人に会いに来ることがあった。また総合格闘技の試合を観にも来た。観戦のあと、名古屋市内を歩いていたらヴォルク・ハンにばたりと出会ってしまい、そのデカさに驚いたことがあった。こう書いていると段々思い出してきたが、名古屋訪問は15年ぶりくらいか。そういえば教会関係の用で名古屋を訪れたのは意外にも今回が初めてだ。

 実は今回の名古屋派遣では嬉しいことがひとつあった。この夏お世話になっている名古屋の教会に、我が佐藤家がクリスチャンファミリーになるきっかけを作ってくれたNさんという方がこの名古屋教会にいると聞いていたが、そのNさんの息子さんに出会えたことだ。ご本人Nさんはすでに天に召されていた。

 僕の一族で初めに洗礼を受けキリスト者(クリスチャン)になったのは、僕の祖父である。なぜ祖父がキリスト者となったか?それまで岐阜県内で生糸に関わる会社を経営していたが、それがうまくいかなくなり、半分夜逃げのように長野県上田市の親戚を頼り移住してきた。その時は、祖父は仕事がなく、それまでの友人たちもいない土地で未来を案じていた。その時に祖父を気遣ってよく手紙を送ってくれる親戚がいたが、それがNさんであった。そのNさんはキリスト者であって、手紙の中にキリスト教のパンフレットを入れてくれていたと言う。祖父はまたこれかと思い送られてくる手紙を読まないでいたが、ある時、友人たちや世話になった人たちもいなくなった自分にNさんだけはよく手紙を送ってきているから、どんな内容か読んでみよう、と思い珍しくそのキリスト教の案内を読んでみたのだという。すると感銘を受け、この続きが知りたいと思い、どうしたら知れるだろう?と考えたところ、きっと教会というところに行ったらわかるんじゃないか、と思ったと言う。そこでたまたま近所に最近新しくできた教会があったので、そこに行き始めたのが、のちに牧師となる祖父とキリスト教とのつながりの始めであった。そして今回Nさんのご子息Sさんに聞いたところ、その後祖父は時々名古屋を訪れ、その度にNさんの家に行き、一晩泊まって上田に帰って行ったという。

 これらの話を僕は今回Sさんから聞き、感激した。それは僕自身のルーツを知ったことでもあった。まるでNHKの『ファミリーヒストリー』みたいだ。実は今回の名古屋への派遣に関する課題は大変厳しいものなのだが、その中で輝いた清涼飲料のような出会いであった。おお、今週お誘いがあって行くナゴヤドーム中日ー広島戦もそうか。まあ、8月末の派遣終了までがんばります。終。
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Five Years

2017-07-23 23:07:07 | 人生・ビジョン・希望
 我ながら信じられないのだが、今こうして長期凍結していた本ブログを再開しようとしている。厳密には4年10ヶ月ぶりだが、その辺はまあ5年ぶりでよかろう。
いつだったかスティーリー・ダン(音楽ユニット)が世間ではもうすっかり解散したと思われていたのに、18年ぶりか19年ぶりくらいで新譜を発表し、「解散してなかったのかよ!」と世間を驚かせたことがあったが、それから見れば5年ぶりなんて小さい、小さい。と勝手な自己解釈^^; 。

 昔、椎名誠が『哀愁の町に霧が降るのだ』という中身がしばらく始まらない、原稿を書くのに難儀している状況をしばらく書き続けている傑作な作品があったが、本ブログの再開でもそうなってしまうのか。再び始めることに意味があるのではなく、何か伝えるべきことがあるから再開するというものでありたい。では何を伝えたいのか。そうだ、この5年間を振り返るのではなく、今何を求め、人生という道を歩んでいるのか。そこだ、それこそが真っ先に記すべきものであろう。本ブログが今も『約束の地をめざして』という看板を付けているならば。

 前回5年前の記事では、修士論文がなかなか完成しないという恥ずかしい状況をさらけ出してブログストップとなったが、さらに恥ずかしいことに、結局修士論文はあと少しのところで未完成に終わり、その年に論文提出はできず、方々に迷惑をかけながら留年して論文完成。そして提出をすることになった。その留年を選び取った頃は、自分自身いたたまれなくなり、頭を丸坊主にして再出発をした。ただし論文内容を精査してかなりの量を書き直したので、一年遅れであったが内容はレベルアップされたものになり、それが東京神学大学図書館に収められた。

 それもたいそう5年間の歩みの中では二番目か三番目に大きなできごとであったが、一番大きなことではなかった。一番大きかったのは2014年5月11日、8歳上の姉が突然くも膜下出血で亡くなったことであった。この5年間の中ではそこに一番のターニングポイントがあった。それが今の歩みにつながっている。今日はここまでにしたい。


今夏滞在中の名古屋にて

佐藤 計

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長いお休みですみませんーブログ閲覧者のみなさまへ

2012-09-01 17:38:09 | 新ブログスタートの所信表明
ご無沙汰しています。
長い間ブログ更新が出来ておらず、申し訳ありません。

私は現在、所属大学の大学院二年で、卒業のための修士論文作成の真っ最中です。ブログも書きたいのですが、時間的にとてもきちんと書ける状況ではありません。ゆえに、140字以内で投稿できるツイッターをこれまでもよく利用してきました。しかし、そのツイッターもなかなかできる状況ではなくなってきました。

修士論文の提出締め切りが9月15日。またその作成を優先してきたため、そのほかやらねばならない仕事やレポートが先送りされています。ゆえに、落ち着けるのは10月に入ってからになると思います。そのときには、徐々にブログもまた書ければ幸いだと思っています。(どうかそのとき、人生が暗闇に陥っていませんように!!)

そのようなわけで、もうしばらくブログを(ツイッターなども)お休みいたしますが、どうかよろしくお願いいたします。またお会いできる日を楽しみにしています。

みなさんの人生に幸あれ!
天に栄光、地に平和。

Kei Sato

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クライマックスシリーズ開催反対!

2011-11-07 18:36:27 | スポーツ・格闘技
 今日は、いち野球ファンとして。

 みなさん、プロ野球のクライマックスシリーズ(以下CS)の開催に反対しましょう。今回はセパ両リーグ1位のドラゴンズとホークスがCSを勝ち上がってきたから、このあとの日本シリーズも意味あるものになりましたが、1リーグ6球団しかない中でいつかみたいに3位のチームが短期決戦のCSと日本シリーズを制して日本一になってもどれだけの価値があるのか。1年通じて闘いきってリーグ1位になったチーム同士が日本シリーズで真剣勝負で闘うから、野球好きなサラリーマンが、「今日は早く仕事片づけて帰って日本シリーズ観よう。」ってなるんですよ。僕はサラリーマン時代そうでした。

 興行収入めあてに野球ファンの純粋な想いを踏みにじって、CSを開催して、たまたま短期決戦でリーグ1位のチームが日本シリーズに出ることができない、そんな心のないプロ野球はやめてくれ。どんなに日本人選手たちが米メジャーリーグに進出しても、それを見返すくらいの価値がある試合がなされるのが日本シリーズだと思ってます。
 目先の人気取りや、収益におどらされず、多少苦しいときがあっても、これまで日本で築いて来た野球文化を大切に継続していってほしいなと思います。だれが言ったか忘れましたが、数年前、野球は国技だ、って言ってた人がいるくらいですから。

It's only Baseball.
But I Like it.
I Like it,Yes I Do!
(かつて所属していた中央大学軟式野球同好会ルーキーズの合言葉より♪)

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路線変更

2011-10-31 20:34:53 | 日記・エッセイ
 秋深まる中、久々のブログ更新です。更新できていない中でも本ブログを閲覧し、ご訪問してくださる多くの方々に感謝が堪えません。どうもありがとうございます。
今日は何を書くかというと、若干の近況報告と自分のこれからのネット関連発信の展開について少々書かせていただきます。

 今年の春、卒業が無事決まった東京神学大学にて、さらに同大学大学院に進学して学べることが決定して、震災後の余波がまだ震災後と言えないほど引き続く中、しかし夢と希望をもってさらなるあと二年間の学びに船出いたしました。始まってみたら、学部時代と違って先生方が、学生がノートをとるのは待っていないで、どんどん講義したり問いかけて行き、ほぼ円卓授業なので基本顔を上げていないといけないようなシュチュエーションでの学びが日々続いて行きました。
 この大学院の授業は、演習中心で専門的かつ学術的、発表重視、予習必要!(できないこともありますが^^;)という、学部時代の神学全般を知識的、手法的なものを体得していくやり方から、いよいよ必要な知識をもとに、根拠のある自分の考察を展開できるように、という学びとなっています。

 そして夏休み前は、学内の礼拝委員会という、学内チャペルにて週4回ある礼拝の”水を汲むしもべ”として(日本で普通に言うと、おそらく”黒子”にあたるだが、キリスト教的な文化の言い方ではこの表現のほうがピタッと来る。ちなみに以前のサッカー日本代表監督のオシム氏が、この表現をサッカーの戦術上である選手の役割を語るためにこの表現を用いたと聞いたことがある。気になる方は新約聖書のヨハネの福音書2章を参照のこと。)の作業をおもな仕事とする委員会の長として、細かな仕事がいろいろあり、ただでさえ、日々の学びに今まで以上にウェートが置かれる中、気がついたら週二くらいで完徹かほぼ徹の夜が続いていました。でもまあなんとかからだは持ったんですね。

 それで夏休みは以前もお伝えしたように、本大学および大学院時代に二度体験しなければならない夏の教会実習の二回目があり、海がきれいな神奈川県・二宮町の教会での実習を終え、また未熟さを体験し(うおー)、その後はいつ寝ていたかわからないような凄まじい前期期末レポート提出のための作成期間を過ごし(その間、同級生、特に同じ専攻の仲間はほとんどみんな青い顔で過ごしていました)、その後三日間くらいいちおう休める日はあったのですが、しかしたまっていたやることをこなしたり、約束していた原稿書きなどをやっていたら、休む間もなく過ごしていたら、たぶんその夏の実習ころからこの10月末までに、きちんと休んだのは三日間くらいか、いや二日くらいか。そしてついにこの10月末に、学校でも教会でもミスが起こしてしまい、抱えた責任事項が抱えきれなくなった状態だと言うことが判明してしまいました。この10月は十日間くらい徹夜だったと思います。今月は委員会の長としての仕事はあまりなくて助かったのですが、もともと作業が遅い自分が、たいそう時間がかかる勉強での発表準備と三回の日曜日にわたるそれぞれ違う教会での説教の準備などのため、限界線を超えてしまったようです。。

 まあでもその中で夏休み前に本格的に始めてみたFacebookで、これまでそのよしあしを味わいましたし、まあいい使い方をしている人、なんでこんな使い方をしているのかなという正直あきれたり(ごめんなさい、でもほんとです。ソーシャルメディアをどう使うかは、その人の性格や人格が出ますので、自分も含めてよく考えて用いたほうがいいですよね。自分も陰ながら指摘を受けることありなので。。)もしましたが、その中でも久しぶりにFBで再会した方にその後リアルでも再会したり、またそれまでツイッターで親しくなった方とFBは基本顔出しなので、FBでさらに親しくなり、その後リアルで初めて出会ってドラマを感じたり…いやいや凄い時代になったものです。昨日もツイッターで、自分が大学院で研究している内容に近いことをやっている方と出会ったりつながったりして、今勉強中心というか、ほぼすべてその生活をしている自分としては、このソーシャルメディアをうまく使うことによって新しい世界の広がりと、コミュニケーションが始まることで、研究以外の視野も与えられて行くことはうれしい限りです♪

 それで今日のブログタイトル「路線変更」なのですが。
正直、大学院での学び、特に後期スタート以来本当に厳しかった!し、今も厳しい。とにかく学ぶ量が多く、かつ時間がかかる。逆に言うと、これだけ重厚な学びをあと1年半しかできないことを残念に思うし、またじゃあこの1年半一生で一番勉強してやる!とも思う。…ということはつまり今まで自分が理想として書いてきたコラムのスタイルのブログをまともに書くことは1年に二、三度しかできないのではないか、と思うようになりましたし、たぶんそうだと思います。しかしそれで本ブログが開店休業であるのは、今ままでこのブログを大事にしてきた者としては悲しい限り。そこで基本コラムを書くのは時間的にむずかしいのですが、ツイッターは140字以内だし、FBは誰が読んでいるかわかっているし、また関係を大事にして書くものと自分は思っているので、そんなに無茶苦茶なものは書けないので、そこでブログが一番自由に書けるんだな、ということを改めて認識しました。別に無茶苦茶なものを書こうと思っているわけではないのですが。

ということで、これからブログ更新もそれなりにして続けていきたいので、持論のコラムを展開するのはややあきらめて自由にこういうブログにするというコンセプトを持たずに書いていきたいと思います。1年半に一回くらいコンセプト変えてる気がしますが、こんどのは一番長持ちしそうです。だって自由ですから。ってことはやっぱり無茶苦茶だったりして。^^:

 公務員を辞して、牧師をめざすようになってはや10年目。正式な大学院まで行くとは思いませんでした。そして最近、人生で自分がやろうとしていることが四つあるんだなあと思わされていて、その四つは牧師として行うことも、個人として行うこともあるんですけど、僕はその中の一つだけでも自分の限られた力では全う出来ないけれど、神様が力を与えてこの世界で自分が必要な貢献ができるように導いていてくださっている、ということを感じ始めています。(バッハの対位法みたい♫ NHK Eテレ・スコラより。)10月は最後転覆して終わっちゃいましたが、それをいい糧にして1年半後少しは成長して旅立っていきたいと思っています。ぞと。


おまけ 
これはいい番組だぞと。「schola 坂本龍一 音楽の学校」http://www.nhk.or.jp/schola/


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追悼 伊良部秀輝

2011-08-02 19:28:50 | スポーツ・格闘技


 いま自分は所属大学の課題である夏の教会実習に取り組んでおり、なかなか世の中のニュースを逐一チェックできる状態にない。ただその実習先からいったん学生寮にいま戻っているが、そのなかでインターネットでニュースをチェックしたら、目が固まって動かなくなってしまったー、そんな記事を発見した。

伊良部秀輝が自殺―。

 僕にとって伊良部は、特にファンであった野球選手ではない。最も印象深いのは千葉ロッテのエース時代だが、むしろ好きなロッテで好きな投手は、まったくタイプの違う小宮山であった。しかし、伊良部秀輝、彼の存在は二つの点で自分と接点があった。

 一つは彼と僕は同い年、同級生だということだ。
彼は1987年の夏の甲子園大会に尽誠学園のエースとして、しかもその大会最速の投手として注目されていた。その時、彼と自分は同じ高校3年生。そしてその大会には、僕の母校である上田高校が同じく甲子園大会に出場しており、同級生やクラスメイトの野球部員が甲子園で戦っていた。(初戦で習志野高校に敗れた。)その上田高校野球部が長野県大会で優勝し、甲子園出場を決めた日に、僕は同じ上田高校の軟式野球部員として同部初の公式戦として県大会1回戦を懸命に戦った。0-6で残念ながら敗れたが、9イニング戦いきったことに燃焼感を覚えたのを今も思い出す。

その日は、もう一つ野球で大きな歴史を作った日でもあった。プロ野球オールスターゲームで、桑田vs清原のKK初対決が実現し、清原がみごと桑田からホームランを打ってみせた日でもあり、野球づくしの夏の一日であった。
その夏の甲子園大会は例年より高校球児が豊作の年で、その秋のドラフトに指名されプロに行った選手には、PL学園からの立浪(中日)、野村(横浜)、橋本(巨人)、また大卒後には片岡篤史(PL-同志社―日本ハム)もいた。そのほか城(習志野―ヤクルト)、鈴木健(浦和学院―西武)、芝草(帝京―日本ハム)、島田直也(常総学院―日本ハム)らがいた。そして伊良部秀輝(尽誠学園―ロッテーヤンキースー…ー阪神…)がいた。

 伊良部と僕の接点の二つ目。それは、僕は80年代後半~90年代前半の黄金時代の西武ライオンズの大ファンであったが、その西武打撃陣、特に主砲・清原和博に伊良部は150キロ台後半の豪速球を持って立ち向かって行ったというその動かせない記憶である。
当時、それは野茂vs清原と並んで平成の名勝負と言われていた。正直僕は同い年でありながら、伊良部は好きでなかった。当時の千葉ロッテファン以外ではそういう人は多いだろう。彼は実力がありすぎるヒール(悪役)だったと言っていいからだ。野茂は無骨ながら、その個性あるピッチングゆえにチームを超えて愛される投手であったのと対照的である。
そしてその後、平成の名勝負と言われた対決は松坂vsイチローのみである。その一角を伊良部秀輝は占めているのだ。

 その後の彼の人生はここではくわしく書くことはしない。ヤンキースに行くときも物議をかもしたし、彼の強い性格のゆえ、何かと問題を起こしやすかったのは野球ファンならご承知であろう。もしそれらをあまり知らない方がいたら、ここでその詳細を書くことを控えることをお許しいただきたい。ーそしてその後、阪神で優勝に貢献した後は、彼はかなりの野球ファンでないとわからないくらい引退したのかしないのかわからないような人生を送る。
そんな中、この衝撃のニュースが飛び込んで来た。僕は2~3日遅れでそれに気づいたのだ。

ここまで書くと、伊良部に僕がそんなに想い入れはなかったんではないかと思われるであろう。それはそうかもしれない。しかし彼が死んだということ、しかもおそらく自殺であるということは、とても驚き、また赤の他人ではない、よく知っている故郷の同級生が亡くなったような、そして42歳という人生の途中で自らその人生を止めてしまったというところに、他人事ではない悲しさと痛みを覚えたのであった。一歩何かが崩れたら、自分もこうなるのではないかーという。

伊良部よ、なぜあなたは人生を終わらせてしまったのか。

 僕が10年近く前に市役所職員(地方公務員)を辞めるときに、すでに牧師をめざすために専門の学校に行くことにしたことを公表していたが、同僚の先輩の方からこのような言葉をそのときにいただいた。
「佐藤くん、第二の人生もがんばってください。」
その方はきっと何の悪気もなくそう書いてくださったのだろうから、そのことにとやかく言う気などないが、自分の中では、公務員を辞め牧師をめざすことが第二の人生である、という意識はなかった。自分にとってはそのときどきに自分が置かれたところが、いわば第一の人生なのである。だから公務員であったことも、いま牧師をめざしていることもそれぞれが第一の人生である。あるいはそうではなく、いま人生を全うする仕事として牧師になろうとしているのだから、そうであれば公務員時代はむしろその備えの時であったと言えるのかもしれない。
僕は来年度までは今の大学院で学ぶので、最短で牧師になれたとしても再来年度だから、そのときは43歳かー。
 
 いずれにせよ自分は来月で42歳を向かえる今、まだ第一の人生を生きている。しかし彼は、プロの野球人として日本と世界の第一線で戦い抜き、そして第一線ではなくとも現役で新たな歩みをしつつある中で、その歴史を閉じてしまった。遺書はないと聞く。彼はどんな想いでその生涯を終えようとしたのか。
いや、そんなに冷静だったのではないはず。

 衝撃のニュースを目にした後、いくつかネットニュースとそして在住している学生寮でとっている朝日新聞をチェックした。自殺の原因として推測されうる様々な情報がある中で貴重なコメントがあった。元阪神捕手で伊良部とバッテリーを組んでいた矢野氏のコメントである。読まれた方も多いであろう。

「体のケアや投球フォームなどすごくこだわりがあって、投手としてすごく繊細。それが悪い方向に出てしまったのかもしれない。」(朝日新聞7/30朝刊より)

そしてその上にあったコラムでの西村欣也編集委員の言葉が胸に響いた。
「(彼は)野球が心底好きだった。…野球に(現役に)最後までこだわった。
 再び、米国に戻って、心に空洞ができたのだろうか。繊細さがタフさを上回ってしまった。こんな男はもう現れない。」

 伊良部秀輝よ、スケールの違いこそあれ、あなたに自分自身を重ね合わせてしまうのは僕だけではあるまい。それは誰にだって起こりえることだ。
 あなたは一人の男として、野球人として人生を生きようとし、そのことを最後まで感じさせてくれた。残念だった話はもうやめよう。あとは生きている者がせいいっぱい、悔いなく生きるだけだ。 (一部敬称略)




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夏色の海

2011-07-29 20:14:31 | 日記・エッセイ


「きみは実習中なのに忙しくないのか!」
とどこからか言われそうだが、今月24日(日)から始まった、我らが東京神学大学の夏期伝道実習(教会での実習)中のブログ更新です。ふだんなかなか更新できていないだけに、よけい貴重である。

いや、やる課題はいっぱいあるんですよ。ただいつからか忘れたが、実習前からずっとやるべきことが途切れなくて、睡眠不足が当たり前の状況で生きていたので、今日7/28(木)に実習中の二回目の大きなヤマが終わったので、そのあと少し休憩したあとで、町内の図書館に行って次のヤマのために準備しようと思っていたら、もうすっかり集中できず、たぶん心身がもうストップをかけたのだろう、次のために本を開いて取り組むことができずに、なぜか「めぞん一刻」を読んでいた。そこにあったので。響子さん。五代さん。

そのあと宿泊先のそうじをする約束だったので、それを果たし、子どもたちとも約束の将棋等々もちゃんとやったので、そろそろ勉強再開…と思ったが、どうも今日はもう頭がヒートしたようで、もう今夜だけは無理せずやめよう、ということで気分転換にこの夏色の海と言うブログを書こうと思ったんであります。

 まあ当然このタイトルは、昨年発表された大貫妙子&坂本龍一の何年経っても色あせない感のあるアルバム『UTAU』に、大貫妙子さんの曲で「夏色の服」が収録されていましたので、当然そのタイトルから今日の題は影響されたわけで。そして今の宿泊先のおうち(○○先生、感謝します)から徒歩5分弱のところがとてもきれいな海辺なので、それもあったな。
ぼくは長野県出身なので、そこには海は無い。また人生の中でも海辺に住んだことがない。だから海辺に行くと不思議な感覚におそわれる。まあもちろん海辺に住んでいる人も、ふだん見ていても海はやっぱり特別なんだろうけど。

 で、せっかくなので少し実習自体のことも書くと、昨年もそうだったが、この夏の実習はけっこうきつい。派遣された教会で、そこで実習生である自分与えられた課題(礼拝や小さな集まりでの説教など)をこなしていくのだけれど、それをきちんと準備してきちんとその使命を果たさなければならない。当たり前のことなのだが、それを29日間、ある程度睡眠もとり、とどこおりなく果たす、そのことができるかどうか。その当たり前のことがさりげなくできるのがプロであり、僕のようにできると思って直前でまだあわててしまう、あれが足りなかった、これが間に合わなかった、と言っているのがまだアマチュアなんだろう。くやしい。

その実習の様子は、断片的ではあるが、ツイッターをメインに、Facebookも利用しながら時折報告していくとして、今日もっとも書こうと思っているのは、最近始めたFacebookについてのことだ。いわゆるソーシャル・メディアについて言えば、僕はもともとこのブログから始めて、そして昨年夏からツイッターを始め、そしてそのツイッターの持つソーシャル・メディアのパワーの現状最大限の体験をしたのが、(残念ながら一部の注目した方々しか知らないであろう)昨年から今年始めにかけての一連の坂本龍一のライブUstreamでのツイッター等を介しての無限大の人々とつながっていく体験であった。

「え、そんなの知らない人同士で、でしょ?しかも匿名の人が多いでしょ。」
確かにそういう部分もいくらかはある。しかしそこで大事であったのは、坂本龍一とか、大貫妙子とか、平野友康とか、それからほかにもたっくさんそれに関係して尽力したひと達はいるけれど、もちろん彼らには感謝しているけれど、大事だったのは、その共感した輪の無限大の広がりの事実とその感覚であったのだ。

 本ブログを読んでいる方ならわかるでしょうが、ぼくはプロテスタントのクリスチャンである。クリスチャンって日本じゃ少ないけど、でも少ないなりに、その少ないひと達が集まったり、関係を取り合ったりしたら、けっこう多い人数のはずなんです。そして僕が約25年間活動的なクリスチャンとして生きて来た中で、そんな風に多くのクリスチャン同士で連絡や関係を大切にしてきたことはもちろんで、特にそういうお互いの関係を盛り上げるイベントにも参加したりしてきたが、…それでもあの坂本龍一関連のUstream(sakamoto social project 略して skmts=スクムトゥス)から味合わった共感性はこれまでにないものであった。しかもそれをネットで体験した。リアル(生)ではなかったのに、である。この説明はまだでききれていない。

 それで話はFacebookに戻るが、どうだろう、まだ僕はFacebookを始めて1週間くらいだが、正直あまりおもしろくないのである。「友達になる」をクリックして、相手が自分を友達として承認してくれたらお互いに友達になる、というスタイルだ。いやもちろんそれだけじゃなくて、もっといろいろな利用方法があるし、ベテランユーザーが知っているような楽しみ方を自分は知っていないのであろう。
それで自分がFacebookに登録してログインしていると、どんどん友達になれる可能性のある人を紹介してもらえる。そしてその中で実際にリアル(現実)で知り合い、あるいはネット上で知り合いでないと友達申し込みはできないのである。利用している人には説明不要ですが。。

たぶん自分がいくらか期待して始めたFacebookがつまらない一番の理由は、「知っている人同士でつながりあっているところが圧倒的に多い」からだと思う。もちろんそれは悪いことではない。知っている者同士、あるいは友達同士でFacebook上でもつながりあったら、それはそれで良いことだと思う。友情も深まるかもしれないし、それまでそこそこの知り合いあった者同士がこれを期にさらに仲良くなるかもしれない。それもまたよし。ぼくはそれをひとりの人間としても、ひとりのクリスチャンとしてもGoodなことだと思う。

しかし自分個人の感覚として、それはどうしても必要なことではなく、刺激があまりないことなのだ。あえてしなくてもいいことなのだ。だって友達はネットでたとえつながらなくても友達だし、また「友達になる」を期に単なる知り合いとFacebook友達になっても、そんなに必要なことだろうか。友達ってそんなに軽いのか。写真付きの婚活サイト的な感じがしてしまう。もちろんそれを期に、知り合いからリアル友達に発展してくこともあるだろうから、決して否定はしないが。

Facebook創始者のマーク・ザッカーバーグ氏を主人公にした大ヒット映画『ソーシャル・ネットワーク』を僕は人生上のとある理由である人と映画館で観た。(まわいくどい書き方だな)まあその人生上の理由は終わったが(よく終わりますね)とにかく観た。賛否両論あれ、あの映画は僕にはとても面白い映画だった。で、あの映画の内容がどこまで事実かはわからないので、歯がゆいところだが、もしある程度事実であったとしたら、Facebookは、ザッカーバーグ君がふられた彼女を取り戻したいため、また大学生同士で交際相手を見つけるためのものとして立ち上げたソーシャルメディアであり、SNSだということになる。となると、それがいいとか悪いとかじゃなくて、やっぱりそういう創設時の性質は残り、誰かの愛をほしいためのサイト、ということになる。

でもね、愛って、そういうのもいわゆる愛、大きな意味では愛、であるけれど、それはほんとの愛じゃないんだよ。ほんとの愛は、自分が欲しがる愛じゃなくて、自分はどうなってもいい、あなたは大丈夫なのか、あなたのために自分は犠牲になってもいい。あなたに幸せに生きてほしい…。むずかしいことかもしれないけど、やっぱりそれが本当の愛のはず*。Facebookは確かに便利で良い面もあるし、僕もこれからも使っていくけれど、他のソーシャルメディアと何か違和感のあるのは、おそらくこの点が根っこにあるからなんだろう、と思わされている。

それからもう一つ不思議なことは、Facebookを使っている人の多くが、Facebook以外のソーシャルメディア(ブログ、ツイッターなど)を使っていないという印象を受けることだ。二人に一人以上はそうではないだろうか。これがFacebookに対するもう一つの違和感である。これはなぜか。もちろん絶対的な答えは出せないが、これも自分のことを愛してくれる人とだけつながりあおうとする自己愛が無意識にあらわれているからじゃないだろうか。それが悪いことだというんじゃなくて、無意識のそういうあらわれじゃないかな、ということを言いたいんだけど。
まあうまく使えば、Facebookは本当の友情をよりよく築き上げる助けにもなるだろうけど。

 夏色の海というタイトルのわりに、まったく違うことを書いた気もしないではないが、ただ関係しているかな、と思うところは、Facebookに感じた違和感ではない、同じソーシャルメディアでもいまだかつてないつながりと夢を感じさせてくれたきっかけとなった大貫妙子&坂本龍一のアルバム曲に似たタイトルをつけたということと、海は一人で行っても、そこに知り合いや友達がいなくても、新たな思いを与えてくれていい意味で独りになれる、というところが必要以上のつながりから自分を解放してくれるような空間、ということだろうか。
また!…実習がんばります。(7/28(木)記)


<↑実習先教会:にのみや聖書教会Son Chapel>

※冒頭の写真は、宿泊先の家から5分弱の二宮町の海岸です。
*「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(新約聖書 ヨハネによる福音書15章13節)

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