今日は、初めて比叡山延暦寺に参拝してきました。
雪の中、大変静かな、厳かなたたずまいで、いるだけで身も心も引き締まるような、でも解放されるような、なんというかすばらしい”場”でした。
我々の隣に、遠く九州から来られていた団体さんがいて、そちらにいろいろとご説明されている僧侶の方のお話が聞こえてきました。
その中で、すばらしいな、と思う話がいくつかありました。
*
薬師如来様は、左手に薬箱を持たれ、右手をすっと差し出されて、右の薬指だけ軽く折り曲げておられます。
その指で薬を調合して人々に分け与えられる、というところから、この指の名前が薬指になったんですよ、というお話。
一つの説ですよ、とお断りではありましたが、なるほどなぁ、と思い、薬指への愛着が少し湧きました。
*
”不滅の法灯”についてのお話。
1200年前から、絶えることなくもえ続ける不滅の法灯。
これを灯し続けるために、僧侶の皆様がすすを払い、芯を取り替え、油を差されているのですが、その係は一切決まっていないのだそうです。
係を決めると甘えが出るし、やったやらないが生じる。
そうではなく、「気づいた人が、少しずつでも油を差すし、すすを払うし、芯を取り替えるんです」とのことでした。
そして油を絶対に断つな、というところから「油断大敵」という言葉が生まれたとのこと。
まさに、僧侶の皆様一人一人が油断することなく、油を差し、気を遣われているのだなぁと、心から感動しました。
翻って、我々はどうしても「それは自分の仕事じゃない」とか、「誰かがやってくれるはず」と思いがちです。
しかし、その心は甘えでしかない、ということがよく分かりました。
気づいた人からする。それをみんながする。そうすれば、1200年という途方もない年月も、ちゃんと継続されていく、とうことです。
甘えをなくさないとなぁ、と心から思いました。
*
この不滅の法灯についてもう一つ。
不滅の法灯も、実は一度だけ火が絶えたことがあります。織田信長公による、延暦寺焼き討ちの時です。1571年、今から441年前だそうです。
しかし、不滅の法灯は1200年燃え続けています。なぜか?
それは、山形県の立石寺に分灯されていたおかげで、そちらから火が里帰りし、元火は消えていないからだそうです。
本家からのパスを分家が受け取り、そのおかげでまた本家が継続できる。すばらしいことだと思いました。
立石寺に分灯されていなければ、我々はこの火を見ることができませんでした。
*
このようなお話をお聞きし、「あぁ、そういう感じが、この”場”を生むのか」と思い返しました。
すばらしい体験でした。
ぜひ、何度も脚を運びたい”場”であると思います。
雪の中、大変静かな、厳かなたたずまいで、いるだけで身も心も引き締まるような、でも解放されるような、なんというかすばらしい”場”でした。
我々の隣に、遠く九州から来られていた団体さんがいて、そちらにいろいろとご説明されている僧侶の方のお話が聞こえてきました。
その中で、すばらしいな、と思う話がいくつかありました。
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薬師如来様は、左手に薬箱を持たれ、右手をすっと差し出されて、右の薬指だけ軽く折り曲げておられます。
その指で薬を調合して人々に分け与えられる、というところから、この指の名前が薬指になったんですよ、というお話。
一つの説ですよ、とお断りではありましたが、なるほどなぁ、と思い、薬指への愛着が少し湧きました。
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”不滅の法灯”についてのお話。
1200年前から、絶えることなくもえ続ける不滅の法灯。
これを灯し続けるために、僧侶の皆様がすすを払い、芯を取り替え、油を差されているのですが、その係は一切決まっていないのだそうです。
係を決めると甘えが出るし、やったやらないが生じる。
そうではなく、「気づいた人が、少しずつでも油を差すし、すすを払うし、芯を取り替えるんです」とのことでした。
そして油を絶対に断つな、というところから「油断大敵」という言葉が生まれたとのこと。
まさに、僧侶の皆様一人一人が油断することなく、油を差し、気を遣われているのだなぁと、心から感動しました。
翻って、我々はどうしても「それは自分の仕事じゃない」とか、「誰かがやってくれるはず」と思いがちです。
しかし、その心は甘えでしかない、ということがよく分かりました。
気づいた人からする。それをみんながする。そうすれば、1200年という途方もない年月も、ちゃんと継続されていく、とうことです。
甘えをなくさないとなぁ、と心から思いました。
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この不滅の法灯についてもう一つ。
不滅の法灯も、実は一度だけ火が絶えたことがあります。織田信長公による、延暦寺焼き討ちの時です。1571年、今から441年前だそうです。
しかし、不滅の法灯は1200年燃え続けています。なぜか?
それは、山形県の立石寺に分灯されていたおかげで、そちらから火が里帰りし、元火は消えていないからだそうです。
本家からのパスを分家が受け取り、そのおかげでまた本家が継続できる。すばらしいことだと思いました。
立石寺に分灯されていなければ、我々はこの火を見ることができませんでした。
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このようなお話をお聞きし、「あぁ、そういう感じが、この”場”を生むのか」と思い返しました。
すばらしい体験でした。
ぜひ、何度も脚を運びたい”場”であると思います。











