今日は、5限の時間に本学全教員が集まって「スポーツ学再考」というタイトルでシンポジウムを行いました。
来年10周年を迎えるにあたり、我が国唯一の「スポーツ大学」である我々の目指すべき道はどのようであるか?
3ヶ月の準備期間を経て各コースで重ねられたであろうディスカッションのまとめを、それぞれのコースの先生方がお話しくださいました。
まずは新井教授が、体育という言葉すらなかった所から、体育、体育科学、スポーツ、スポーツ科学、そしてスポーツ学ができあがってきた過程をお話しくださいました。
そして各コースを代表する先生方が「それぞれのコースの目指すスポーツ学の中での役割」についてお話しくださいました。
印象的だったのは、最後のディスカッションの時にでた「猫の科学と猫学の違い」の話。
床屋のおっちゃんが猫学について話すことはできても、果たしてその話を大学院で「猫の科学」として話して通用するのか?
猫がとにかく好きで、猫についてめっちゃ詳しくなった床屋のおっちゃん。でも、他の同じような人が集まって話をするときに通用するかどうかは、どこまで深く猫について学んでいるかということが問題になってくる。
「ではスポーツ大学の教員である我々が、スポーツ学について語るときに必要となる素養とはなにか?」
スポーツ学も同じで、スポーツが大好きだからスポーツの研究をしている、というのではなく、どこまで深く掘り下げてスポーツについて(もしくはそれぞれの研究分野について)研究しているか、というのがとても重要である、という流れだったかと思います。
スポーツ学を語る上で、私が感じたことは、「歴史的な背景」や「哲学的な背景」について、ちゃんと抑えておく必要があるということでした。
スポーツビジネスコースの吉田先生がお話しされたことでは、「アメリカでスポーツマネジメントを学ぶときには、歴史や哲学もちゃんと学ぶ」というお話でした。
本学でももちろん「スポーツ哲学」や「スポーツ史」のカリキュラムはありますが、それがなぜ必要なのか、学生だけでなく我々教員もきっちり抑えておく必要があるでしょう。
それを抑えなければ、各自が学ぶ(研究する)学問の果たす役割は果てしなくぼんやりとしたものになってしまう危険性があります。
トレーニング・健康コースの若吉先生のお話に出てきた、「非科学性による科学」のお話も印象的でした。
「五感力がなければ、科学も(現場では)通用しない、よって、五感力+実践スポーツ科学=スポーツ学なのでは?」
この考え方には非常に賛成できます。
研究を積み重ね、それがスポーツの現場でいかに通用するか、通用させるためにはなにが必要なのか。
私が大学院時代に一度とても悩んだことを、他の先生も同じように考えていることがわかりました。
私の所属する情報戦略コースの役割は、先生方の研究や教育、スポーツの指導に役立つ情報を収集・加工・伝達し、アシストすることであるかと思います。
データをそのまま伝えるのではなく、ちゃんと智恵として昇華する。そんなことが求められます。
これも、私が大学院時代にとても悩んだことがそのまま過程となります。つまり、「バイオメカニクスの研究(だけ)をしても、現場では役に立たないのではないか」ということから、「いかに研究したこと(データ)を現場に情報(知識ではなく智恵)として還元するか」が、我々には求められています。
多くの先生方にとって、今後の活動になにか一つの道筋が見えたような会になったのではないでしょうか。
非常に有意義なシンポジウムだったと思います。
来年10周年を迎えるにあたり、我が国唯一の「スポーツ大学」である我々の目指すべき道はどのようであるか?
3ヶ月の準備期間を経て各コースで重ねられたであろうディスカッションのまとめを、それぞれのコースの先生方がお話しくださいました。
まずは新井教授が、体育という言葉すらなかった所から、体育、体育科学、スポーツ、スポーツ科学、そしてスポーツ学ができあがってきた過程をお話しくださいました。
そして各コースを代表する先生方が「それぞれのコースの目指すスポーツ学の中での役割」についてお話しくださいました。
印象的だったのは、最後のディスカッションの時にでた「猫の科学と猫学の違い」の話。
床屋のおっちゃんが猫学について話すことはできても、果たしてその話を大学院で「猫の科学」として話して通用するのか?
猫がとにかく好きで、猫についてめっちゃ詳しくなった床屋のおっちゃん。でも、他の同じような人が集まって話をするときに通用するかどうかは、どこまで深く猫について学んでいるかということが問題になってくる。
「ではスポーツ大学の教員である我々が、スポーツ学について語るときに必要となる素養とはなにか?」
スポーツ学も同じで、スポーツが大好きだからスポーツの研究をしている、というのではなく、どこまで深く掘り下げてスポーツについて(もしくはそれぞれの研究分野について)研究しているか、というのがとても重要である、という流れだったかと思います。
スポーツ学を語る上で、私が感じたことは、「歴史的な背景」や「哲学的な背景」について、ちゃんと抑えておく必要があるということでした。
スポーツビジネスコースの吉田先生がお話しされたことでは、「アメリカでスポーツマネジメントを学ぶときには、歴史や哲学もちゃんと学ぶ」というお話でした。
本学でももちろん「スポーツ哲学」や「スポーツ史」のカリキュラムはありますが、それがなぜ必要なのか、学生だけでなく我々教員もきっちり抑えておく必要があるでしょう。
それを抑えなければ、各自が学ぶ(研究する)学問の果たす役割は果てしなくぼんやりとしたものになってしまう危険性があります。
トレーニング・健康コースの若吉先生のお話に出てきた、「非科学性による科学」のお話も印象的でした。
「五感力がなければ、科学も(現場では)通用しない、よって、五感力+実践スポーツ科学=スポーツ学なのでは?」
この考え方には非常に賛成できます。
研究を積み重ね、それがスポーツの現場でいかに通用するか、通用させるためにはなにが必要なのか。
私が大学院時代に一度とても悩んだことを、他の先生も同じように考えていることがわかりました。
私の所属する情報戦略コースの役割は、先生方の研究や教育、スポーツの指導に役立つ情報を収集・加工・伝達し、アシストすることであるかと思います。
データをそのまま伝えるのではなく、ちゃんと智恵として昇華する。そんなことが求められます。
これも、私が大学院時代にとても悩んだことがそのまま過程となります。つまり、「バイオメカニクスの研究(だけ)をしても、現場では役に立たないのではないか」ということから、「いかに研究したこと(データ)を現場に情報(知識ではなく智恵)として還元するか」が、我々には求められています。
多くの先生方にとって、今後の活動になにか一つの道筋が見えたような会になったのではないでしょうか。
非常に有意義なシンポジウムだったと思います。












とか言うことは、会った時にいつもお話ししていることですよね(笑)。ブログを読んでつい熱くなってしまいました。スキー、楽しみにしています。