事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

アラさんの命日

2007-10-11 17:01:36 | 事件記者の物語

 放送期間が半年前にズレてるTV番組があるんだから命日が2ヶ月後にズレてる人だっているんじゃないかと思います。「我、自殺者の名において」(ゲトしました)は情報源として全く信用できないけれど、それについてはそのうち時間があったら書きます。作者の若一光司さん、もしこのページをごらんになったらどうか連絡してくださいませ。いろいろお尋ねしたいことがありますので。
 とりあえずは翌日(つまり昭和41年2月2日ということになっている)新聞記事から。

荒さん(清村)が一日、心臓マヒで突然死んだ。前夜『事件記者』の録画をとり、自宅に帰ってからの出来事だったが、お通夜にかけつけた劇団関係者たちは、その夜放送された『執念』に活躍する『荒さん』の最後の姿に、目頭を押えていた。この日はちょうど『事件記者』のある火曜日。『荒さん』最後の出演となった第二百七十一話『執念』が放送され、いつものようにネクタイをちょっとずらしたタイムスの敏腕記者『荒さん』が登場した。しかし自宅(東京都足立区)の三Kの六畳間には、にっこり笑った在りし日の『荒さん』の遺影がそっと飾られていた。お通夜にかけつけたのは劇団新協時代から伸のよかった岡田英次をはじめ、事件記者に一緒に出演していた外野村晋、宮裕子、山田吾一ら十五人。あまりに突然の死に、まだ信じられないといった様子。『執念』の録画どりが終わったのは、一月三十一日の午後五時ごろ。『荒さん』はいつもの笑顔をふりまきながらスタジオを出た。そのまま自宅に帰り、床についたのが夜十二時ごろ。翌朝九時ごろ家族が起こしに行った時にはすでに事切れていたという

 毎日新聞だそうです。いい記事ですね。客観報道らしからぬ愛と臨場感があふれてる、この文章を書いた記者さんなればこそ、奥さんの様子にただならぬものを感じて「もしや」と食い下がることができたのじゃないでしょうか?そう、約2週間後に「自殺」の第一報を載せたのは毎日の夕刊、まさにスクープだったのです。

 しかしこの記事には大きな間違いがあります。ほんとうに2月1日ならその日放送された事件記者は271話ではありえません。270話です。書き写す時に(ちょっと前にはそうするしかなかったハズ)二百七十一の一がぬけて二百七十になることはありそうだけど、逆にわざわざ一を書き足す人があるとは思えない。
 ここからこの記事が昭和41年2月2日のものであるように(最初はもちろん過失による写し間違いで)書き直された可能性が生じます。一番元の記事は昭和40年12月1日のものであり、その前日11月30日に放送された事件記者は「第261話」であったにもかかわらず-時間ないので続く


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