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遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

イヤハヤハチャメチャ

2016-10-02 17:48:38 | 本と雑誌
忍法剣士伝」絶対未読、よくまあこんなシッチャカを考えられるよ、つか巻末に「今の視点からすれば不適切な表現をあえてそのまま残しました」のお約束記述がないのはなぜなのかねー、どことは言わんけど(わざとらしい)、いやなればこそ風太郎御大本人の自己評価は低い、あの頃(どの頃だ?)の角川文庫には入ってなかったのかもわからんが(でもカバーイラスト絶対同じヒトが描いてるよなー)

時代は天正3-4(1575-6)年、伊勢の北畠具教は織田信長に攻められ信長の次男茶筅丸を娘の婿に迎えることで和解を試みたが、ことはいろいろまちがって・・・・・
これは史実、茶筅丸、後の織田信雄は秀吉とも家康とも何とかかんとかうまくやってはるか後生まで子孫を残し、一方南北朝以来の名家北畠氏は具教の死によって終わったのだ、という顛末が御大の手にかかるとどうなっちゃうかと言えば、いろいろレビしてるヒトがおられるから私ごときが付けたすことはたいしてないんだが小ネタにいろいろ興味深いところが多いのよね

たとえば剣の柳生石舟斎と槍の宝蔵院胤栄が戦って相打ち(「魔界転生」に出るのは彼らの後継者だったよな?)、双方生き延びたものの二度と世に出ることはなかったとか

あるいは宮本武蔵のオヤジと吉岡兄弟のオヤジが死闘を演じる、宮本オヤジは別所長治の家臣、その後三木城(ついこの前地震があったところ?)で中国攻めの秀吉に手を焼かせたとか、さう言えば確かそこに少年の後藤又兵衛もいたんだったかな、ウロ覚えだけど昔の大河ドラマじゃその辺で必死に時間を稼いでた、御大はそれを見ておられたや否や?(それ言うなら司馬遼太郎氏だってわからんかも)

佐々木巌流は佐々木小次郎とは別人とか、だよなあ武蔵とそんなに年が違う印象じゃないもんなあ(武蔵はこの時まだ生まれてない、だからたぶん小次郎も)

若き日の伊藤一刀斎がゼンキという少年を拾うシーンもあった、あれどっかで聞いた名前と思えばタハハ「御子上典膳」じゃないか(ちょっと違うけど)、以上順不同

このシッチャ展開で絶対に史実と違うことは一つだけ、北畠のお姫様は織田信雄と結婚しなかった、恋人とカケオチしてその後は不明・・・・・そんなんあり?と言えばそれでいーのだ!!