心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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「嬉しいよね~」

2017年10月29日 | 母のこと
昨年、娘が里帰り出産で三か月ほどここに滞在していました。上の子、まだ三歳になる前の孫を連れて。
孫はおしゃべりが上手で、大人との会話にも慣れていて、母も叔母も母のご近所さんもそれはそれは孫がいると喜んでいました。
小さな子供がいるというだけでその空間がいつもとは違ったものになるという、魔法のような時間だったとも言えるかもしれません。

そんな蜜月?のような時間が過ぎ、今は母との生活に戻っているわけですが。
時折、娘がアップするインスタグラムでの孫たちの様子を母のところに行ったときに見せています。特に動画だと孫の様子(母にとっては曾孫ですが)が分かりやすいのでとても嬉しそうに覗いています。覗きながら手にもつと、どういうわけか「元に戻る」という←を押してしまうようで、
「あれー、見えなくなったよ」と助けを求めてきます。
もう何度もやっているので、すぐ戻してあげますが、最近「自分で持つのは手が疲れるし、お前が持ってくれ」と言われました。
まあ、それが一番安全かなとは思うのですけどね。
スマホぐらいのものも長く持てなくなっているんだなと思ったりします。

そんな曾孫のことを見た後で、母が必ずといっていいほど話すことがあります。
昨年、叔母(母の10歳下の妹)が母のためにとガーゼで出来た部屋着をプレゼントしてくれました。ちょうど孫がまだいたときで、わたしが台所に立っていて、孫は誰も相手がいなかったので母のそばにやってきたらしいです。
そのとき母がプレゼントの部屋着を広げて見入っていたら、
「何してるの」と聞いた孫。
「ん~、○○ばあちゃんからもらったんだよ」と応えると、一呼吸おいて
「・・・ 嬉しいよね~」と言ったんだとか。

母はそのときの言葉と孫の様子がまだ脳裏にあるらしく、ことある毎にそのときの「嬉しいよね~」を言います。
大人だったら言うかしら。
素直に、ひょいと出た言葉なのかもしれませんが、その素直さに母は感動したのでしょう。
プレゼントされた、ということは孫も何度か味わったことでしょう。そのときの自分の気持ちを思いだして言ったのかもしれません。
自分の思ったことを素直に出せる、そんな幼い時が自分にもあったんだよなあと今の自分と比べていました。

「嬉しいよね~」としみじみと言われたり、言ってみたり。
そんなひとときがあったら、わたしもずっと忘れないだろうなあ・・・


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