心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

坂村真民さんの詩

2017年11月05日 | ほんのすこし
毎日届くメルマガに、ときどき坂村真民さんが登場します。
教職を長年勤めてその後お寺の後を継いで住職になった方です。詩人です。
今朝届いた彼の詩です。

※※※


 いろいろのことありぬ
 いろいろのめにあいぬ
 これからもまた
 いろいろのことあらん
 いろいろのめにあわん

 されどきょうよりは
 かなしみも
 くるしみも
 きよめまろめて
 ころころと
 ころがしゆかん
 さらさらと
 おとしてゆかん
 いものはの 
 つゆのごとくに

『坂村真民詩集百選』より

※※※

あぁ、そうだ。
そうなんだと。
「きよめまろめて」ころがしていく、さらさらとおとして、それが前に進むための力になっているんだなと。

わたしってついてる! そんな気分。
だって朝からいい言葉と出会えたもの。

※※※


講演会と講座に参加していました

2017年11月05日 | ほんのすこし
ここ数日、講演会とか講習会を聴講していて、それが結構わたしの中でどどんと残ったものがあり。
なんとなくここに入って更新、という気持ちにならなかったのでした。悪い意味ではないのですよ。何か自分のこれまでのことを考える機会を得たというか・・・
一つは地域で色々な活動をしていて居場所を提供している女性の方4人が活動を話すということでした。
もう一つは、傾聴ボランティア講座の一環としての第三回目でした。続けて二日間、同じ場所に通うというのも不思議な気分がありましたが。偶然にも同じく二回ともゴスペルサークルの仲間と一緒でした。彼女は15年以上も地元で外国からやってきたお嫁さんに日本語を教える会のスタッフとして活動してきた方でした。
なんというか、自分にはないフットワークの軽さがある方には尊敬の念を覚えます。わたしはどっちかというと尻が重く、なかなか「えい!」って動かないのです。
それが彼女と一緒に偶然にも二日間、同じ場所で出会って、同じ講義を聴いて、同じ体験発表を聞いていました。

わたしと少し関係のある方、Kさんはずっと地元で(彼女は北海道出身ですが)色々なことに携わってきた方です。今年、仲の良かった旦那様が他界され、もうすぐこの地を離れます。数々の人との触れあいをしてきた方なので、本当に離れがたいと思う方ばかり。会場にもそういった方が多く詰めかけました。かくいうわたしもそうなのでした。
人にはそれぞれ生まれたときから与えられた使命があるのだと、いつか何かで読んだことがあります。
彼女こそそういった使命を持っていたのだなと思うことがしばしばでした。きっとこれから行く地でもその姿は消えることがないだろうなと思うのです。狭い一室で埋もれていない、外に出て誰彼と触れあう機会を作り出す、そんな気がしてならないのです。
エールを送りたいと思います。
新天地に向かう人へ。
最初は慣れなくて大変なのかなと思いますが、ここで知り合えた人たちとの経験がきっと彼女の宝になっている(その中にわたしが入っているかどうかは疑問ですが)。そう思えたら、地元のことを宣伝しつつ新しい仲間を作っていけるのかなと。それだけのパワーがある方です。

彼女には亡くなった弟がたくさんお世話になりました。弟は亡くなる最後に自分が生きる場所を与えてもらったなと思えました。弟も寂しくなるなと思っていることでしょう。

次の日(金曜日)は傾聴ボランティアの講習会第三回目でした。
講師の方は「蜘蛛の糸」の佐藤久男さんでした。わたしは知らなかったのですが、NHKのプロフェッショナルで取り上げられた方だったのですね。
とても面白く、かつ分かりやすい言葉でぐいぐい引き込まれる講義でした。

佐藤さんの経験を交えて語る内容は、もしかして特別なスタッフとしてあるのではなく、ちょっと隣の人だというだけでも少しは手助けできる部分があるのかもしれないと思えるものもありました。誰かの話を聞く、その姿勢によっては解決できることもあるのだとわたしには思えました。ただ専門ではないので責任は負えないのですが。それでも誰かのために何かは出来るのかなとちょっと前向きになっている自分がいました。

佐藤さんの元に尋ねてくる方がいます。その方はすでに自殺の決行日を決めています。
そして佐藤さんと話します。佐藤さんと話しているうちに「では、次の日にまた」ということが続きます。決行日が過ぎてもそれが続きます。その方にとっての自殺決行日はもうとっくに過ぎているのです。
そしてその方が、佐藤さんに「どこか就職先を」と言います。
佐藤さんは言います。「死にたいは生きたいということの裏返しなんだと」。それを聞くことが大事なんだと。

なんだかね。
なにもかもが繋がっていくような気がして。わたしがここにこうして生きていることが、ずっと前に感じた死にたいという気持ちがどこかへ行って、今こうしていることがなんて贅沢で大事なことなのかって。
辛かったよ。ほんとに。沢山の辛いことがひしめき合って脳裏に浮かぶこともあるけど、たいがいそれは朝に目覚めれば消えている。
だって生きているんだもの。あんなに辛いなと思えたことがあってもこうしてフンフンと鼻歌歌ったりして生きているんだもの。
人生って不思議だね。
そのときは何もかもが辛くて大変だったとしても、生き続けていけばそれがなんぼのもの?といった感覚になって。
今が、生きている今が最高! と思えてくる。それが大事なんだと思うよ。

この二日間、ここで更新することもできず、あれこれと色々なことを考え、ベッドの中でスマホで他の方の更新を拝見しつつ、あぁ、もしかしてこれってすごく素敵なんじゃない? って。
顔も見たことのない方たちが発信している事柄をわたしは少しだけ共有している。素晴らしい写真、素敵な言葉、美味しそうな料理、温かいメッセージ、はき出した言葉、そのどれもがわたしにとって今日の糧。
そう思えてならない。
ありがたいな。
ほんとにありがたいな。

今日、わたしはまた生きています。
わたしが出来ることはまだある。
そう思うことにします。