TAZAN-NO-ISHI

「他山の石」で軌道修正しながら
 真の幸せにつながる言葉を
 メモってゆきたい

<試誘(試練)?>

2017-05-19 | 新教会短信
★【 試誘(試練)について/スウェデンボルグ著(SK編)
 ▼天界の秘義2334  試誘(試練)にあっては、すべて主の臨在と慈悲について、また救いといった事柄について多少の疑惑がもたれる。なぜなら、試誘の中にいる者は内的な不安の中にいて、絶望にすら陥るからである。試誘の中に彼らの大半が留めおかれるのは、彼らが遂に次の事実を確認するためである。すなわち、あらゆるものは主の慈悲から発しており、彼らは主御一人によって救われるのであり、彼ら自身には悪以外の何物も存在していないという確認をするためである。

 ▼天界の秘義8351  信者は試誘において、悪と虚偽に対して戦う。悪と虚偽は地獄から外なる人の中に流れ入るが、善と真理とは主から内なる人を通して流れ入っており、そこで内なる人と外なる人の戦いが起る。これを試誘という。外なる人が内なる人に服従するに比例して信仰と仁愛が植え付けられ、新しい意志と理解が与えられ、再生するのである。人間は再生するためには、試誘が無くてはならないのである。それでまた主の教会は戦闘的 (教会)とよばれる。

 ▼天界の秘義3318  とくに善は自然的な人の中では、試誘との戦いなしには、真理と結ばれることが出来ない。
 試誘を通して人間は、自己への愛に属するものを、また自分に比べて他の人に対して覚える、軽蔑の念に属しているところの全てのものを、即ち自負心のために生ずる憎悪と復習とに属している全てのものを遠ざける。
 その後その人は新しい性質を与えられて柔和に、謙遜に、砕けた心になるのである。
 再生により新しくされた人間は、依然悪への傾向を、否、悪そのものをすら保有しているが、しかし主の愛の生命の流入によって、悪から遠ざけられており、しかもそれは極めて大いなる力によって行われている。

 ▼天界の秘義2694  人間は自分の中に地獄(悪と偽り)を認め、しかも救われることに絶望する程度になると、自分の誇りも、また自分と比べて他の人をさげすむ思いも、打ち砕かれ、主の前における卑下に導き入れられる。その時はじめて、主からの慰めと救いを受けるのである。このようなことは自分の真の性格を承認する事なしには有り得ないのである。

 ▼天界の秘義3696  再生しつつある人間には、幾多の悪と虚偽からくる試誘との戦いが起こってくる。しかし、その人は最内部では平安の状態の中にいるのである。なぜなら、もしこの平安が最内部に無いかぎり、彼は戦おうとしないからである。彼はその戦いにおいて、絶えずこの状態をその目的として注視しており、この目的を持たないかぎり、彼は戦う力と強さを持たないからである。さらにこれが、彼が勝利を得る理由であり、これが目指している目的であるため、彼はその幾多の闘争または試誘の後で、この状態(外なる人における平安)に入ってくるのである。これは、秋と冬の状態に続いてくる春の状態に似ている。】


 「天罰って無かったのだ!
  世に言う天罰とは、試練のこと
  その本質は愛であり
  再生のための試練・試誘の謂である
  勘違いするなかれ」/隣人語録より

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