傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

傾城水滸伝をめぐる冒険とは

2017-03-04 12:43:52 | 解説・楽しみ方
冒険とは大げさな。
そもそも「羊をめぐる冒険」のパクリじゃん。
とのご指摘は、後者については反論いたしませんが(^^)
私にとって「傾城水滸伝」は、今、冒険の舞台なのです。
少し長くなりますがお付き合いください。

そもそも「傾城水滸伝」とは

(引用 Wikipedia 2012.3.29)
「傾城水滸伝」(けいせいすいこでん)は、曲亭馬琴作、歌川豊国・国安・貞秀画。の合巻本。
13編。文政8年(1825年)~天保6(1835年)年刊行。
当時大変人気を博したため版木が磨耗してしまい、二度彫り直して3版まで出版されたという。
中国文学の『水滸伝』の翻案。『水滸伝』の英雄豪傑を日本の賢妻烈婦にかえたもの。
また、登場人物全員の性別がほぼ逆転しており、三人の女性好漢等も男性に変えられている(ただし、登場する108星のうち名前が設定されているのは106星のみで、関勝・董平にあたる人物が登場しない)。
傾城とは国を揺るがすほどの絶世の美女のことであり、本来は褒め言葉だが、本作品では宿敵、亀菊の蔑称として使われている。
後鳥羽院の時代、後鳥羽院から寵愛をうけた白拍子亀菊の専横に世をはばまれた烈婦たちが、執権北条義時のために討たれた鎌倉の源頼家の息女三世姫を擁立し、近江賤ヶ岳江鎮泊にたてこもって亀菊および義時とたたかうという内容。
曲亭馬琴が本作品の完成を見ずに死去したため、笠亭仙果が「女水滸伝」と題をあらため、13編下帙より15編までをもって完成させた。
1984年に河出書房新社から初版挿絵つきの「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」として2巻まで出版されたが、現在は入手困難。

上記のように、発刊当時、大人気で贋作も出たような状態だったにも関わらず、同じ馬琴の「南総里見八犬伝」が現代訳され、出版だけでなく、人形劇としてテレビ番組にもなったのに比べ、この「傾城水滸伝」ほぼ世の中から埋もれてしまいました。

どのくらい埋もれているかっていうと

基本的に書店では買えません。
100年前に発行された馬琴全集が1990年くらいに再販されてますが、国会図書館を含めて全国のいくつかの図書館でようやく借りることができるくらいレア。
その馬琴全集も1910年に発行されたものなので現代訳されてなく、一般の方が楽しく読めるのは河出書房新社「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」のみなのですが、残念ながら二編まで。
ということで、現在、「傾城水滸伝」は、ほぼ埋もれております。

といいつつも原書は美術品として近年価値が急上昇。
全巻を神保町の大屋書房などで買うとすると、ウン十万円から百ウン十万円します。
復刻版は出版されていないので万事休す。

そんな中でも、便利なIT時代。
早稲田大学と立命館大学でそれぞれデジタルアーカイブにしてくれています。
まずは、ご覧になってみてください。

早稲田大学アーカイブ

立命館大学アーカイブ ※「傾城水滸伝」で検索


歌川豊国、国安の浮世絵に目を奪われると思います。
でも、読むためには「変体がな」を学ばなければなりません。
*変体がなは、この記事の文末にある画像の右端(原書)のような文字です。

見る事は易し、されど読むことは難しです。

あなたは、変体がなを読めますか?
もしくは、変体がなを学びますか?

NOであれば次に進みましょう。

現代の文字で、全13巻を出版されたのは、以下の2つのみ。

・校訂傾城水滸伝 曲亭馬琴/作:博文館編輯局/校訂 博文館 1900年
・滝沢馬琴集 第13巻 滝沢馬琴/著:本邦書籍 1990年

博文館版は、1900年の発刊なので、読むことができるのは国立国会図書館のデジタル版のみの筈。
本邦書籍版は、絶版で首都圏でも2・3ヶ所の図書館にしかありません。
さらに、現代語訳ではないので古語と戦わなければなりません。

古語が分らなくてもなんとなくは読めますが楽しく読むには程遠いでしょう。

あなたは、我慢して読みますか?
もしくは、古語を学びますか?

NOであれば、またまた次です。

現代語訳も実はあります。
「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」(校訂:林美一/河出書房新社/1984年)。
比較的多くの図書館にある可能性があります。
だったら解決じゃん・・・・・・・・というわけにいかないのです。
13巻のうち2巻までしか出版されていません。
林さんは、全巻出版に意欲を持っていらっしゃったようですが、残念ながら既に、お亡くなりになっています。

もし、傾城水滸伝を読みたければ、ここから入るのがおすすめですが
気に入った場合に、3巻目以降をどうするかという問題は残ります。

実は、私はこの「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」で、初めて傾城水滸伝に出会った一人。
変体がなの勉強のために、古書の復刻を探していて、図書館で見つけたのがこの本でした。
ここが冒険の始まりだったのです。
前置き長いですね。(^^)

初編・二編と読み進み、水滸伝を読んだことのない私は、傾城水滸伝で水滸伝の面白さを知り、
日本を舞台に、登場人物を女性に置き換えた冒険物語が気に入ってしまいました。
しかし、三編が手に入らない。
皆さんは博文館版か本邦書籍版を探されるのでしょうが、私の楽しみの一つである変体がな読みのためには
原書でなければならなかったわけです。
ネットで調べるうちに、早稲田大のアーカイブを発見。
数十万の古書を買うお金などない私にとって、一気に道が開け、飛び上がって喜びました。
読み始めると何とか読めるようです。

そこで私は考えました。
私のようにこの作品を読もうとして、二編で夢破れる人たちのために
私がこの作品を掘り起こさねばならないのではないか。
亡き馬琴翁の悲痛な叫びさえ聞こえたような気がしました(^^)

古語も詳しくなく、文才もない私がそんな大それたことができるのだろうかと
思いつつも・・・・・・・・・・・始めてしまったというわけです。(^^)

最終的に、現代語訳まで完成したいと思っていますが、完成がいつになるのかまだ分りません。
これを書いている2013年1月時点は、下のステップで説明すると原書から変体がなを読み起こして
それに漢字をつけている状態です。
古い本だけに虫くいあり、かすれ汚れありで、読めない部分も少なくありません。(各編記事の●部分)
早稲田大のデジタル原書を元に、読みにくい部分を立命館大のもので補完し、
それでもダメな部分のみ博文館版に頼ろうと思ってます。

冒険は、まだまだ続きます。
もし、興味持っていただけたら、年に1度くらい覗いてもらえるとうれしいです。
長々とお読みいただきありがとうございました。

<2013年6月時点>

傾城水滸伝(初編~十三編上)については校訂をほぼ完了しましたので、次に原文の味わいを残しながら現代語に近づける作業をしました。
女水滸伝は、校訂完了前ですがなんとか読める程度のレベルにはなってると思います。
どこまで現代語にするかのさじ加減が難しいなぁと。

<2013年7月24日時点>

古語の訳を補足して、より読みやすくする作業を進行中です。
本日時点で七編までは、ほぼ意味が分かるまでの文章にできていると思います。
なお、翻刻させていただいた元資料の所有者である早稲田大学さんからの許可がいただけましたので底本表示をしております。

<2014年2月22日時点>

原文の味を残しながらも読みやすさを研ぎました。
お米で云えば玄米を七分付きまで精米した感じでしょうか。
下の段階では漢字付けと現代訳の中間です。
これ以上、糠を取ってしまって良いのかとも考えますが、
一部読みにくい部分もありますのでそこには手を加えて行きますが
ほぼ翻訳完了って感じです。
※ルビがないと読めないのでPDFで読んでください。


どなたかこの作品を世に出してくださる方がいらっしゃったら、ご連絡お待ちしています。
出版以外にもマンガ、演劇、講談などなど、アマチュアの方も大歓迎です。
当方、一般の会社員のため、お金儲けは考えていません。

<冒険の道程>




では、ごゆっくりお楽しみください。
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傾城水滸伝が生まれた経緯(いきさつ)

2017-03-04 11:44:16 | 解説・楽しみ方
傾城水滸伝が生まれた背景を考えてみたい。

作者の曲亭馬琴がもともと水滸伝のファンであったことが発端なのだが
本家の水滸伝が既に人気のあった書物であったことが背景にはある。

商業小説家である曲亭馬琴としては、売れると踏んだから書いたのであって、
というか売れるように書いたということをベースに考えるべきだろう。

どうすれば売れるのか。と考えた馬琴は、中国の物語である水滸伝を
より多くの人々に読んで(買って)もらうためには
読みやすい物語りに作り変えることがポイントだと思った筈。

そこで、まず日本を舞台にして描こうと決めたと思われる。
今でも中国は近くて遠い国。
江戸時代の庶民が、今以上に中国の情報を持っていたとは考えにくい。
そこで、覚えにくい中国の名前や地名ではなく、
普段から聞きなれた日本の地名、文化、歴史で
水滸伝のストーリーの面白さを描くことになった。

まずは、日本を舞台としたのが一つ目の選択。

それによって、曲亭馬琴の洒落心が一気に展開することになった。
傾城水滸伝の人名などは遊び放題だ。

足高蜘蛛平(あしだかくもへい)、戸蔭の土九郎(とかげのどくろう)
渋川栗太夫(しぶかわくりだゆう)、早道葉四郎(はやみちはしろう)などなど

しかし、日本に設定を移し替えたことでいくつかの不具合が生じる。

まず、時代設定。
江戸にするのが最も簡単だが徳川幕府の世の中で
表現の自由などあるわけもない。
実在の藩や武将の名前を使うことはもちろんのこと
それを匂わすことさえも首が飛ぶ可能性がある時代。

全くの架空地域を作り上げる選択肢もあっただろうが
それではそもそも舞台を日本に置き換えた意味が全く無くなる。
そこで、馬琴は考えた。

その結論が、平安末期から鎌倉時代。
勇者達を源氏の縁ある者たちとし、
敵を北条(義時)氏とした。
源氏も北条もとっくの昔に滅んだ家。
誰でもが知る歴史物語を下地にすることで
ぐっと話が分かりやすくなった。

この時代設定が馬琴の巧さの二つ目。

そこで馬琴は考えた。
水滸伝の話の筋は、勝負をして負けた者が勝った者の
下に入り、そして大きな群が作られていくのだが、
どうも当時の日本人の感情では割り切れないとこがある。
「潔(いさぎよ)くない」という感情。

で、それを解決し反転する妙案を考えた。
それが主人公達の性別逆転だ。
女性は男性に比べて、
その頃から現実的な考えであったのだろうと思われる。
忠義のために命を投げ出す男の美学を傷つけず、
図太い女の生き方をうまく利用して
日本人にも水滸伝の話の筋を納得できるようにした。

これにより傾城水滸伝は、非常にユニークな小説として
誕生することになった。

まず性別逆転ありき、ではなかったのではないか
というのが翻刻中の現在の私の考えである。

はからずも性別逆転がしっくりする時代が今なのでしょう。
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傾城水滸伝 PDF版 現代訳進化版

2017-03-02 19:52:42 | 解説・楽しみ方
2013年の9月にPDF版を初リリースしましたが
翻訳具合を精米に例えると五分づき状態。
今回は七分づきまで翻訳を進めました。
ほんの一部を除けばお話の筋は読んで楽しめると思います。
白米にしてしまうと面白味がないので
時間をかけて八分づきまでは進めたいと思っています。


傾城水滸伝 初編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政八年(1825年)乙酉春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207shohen.pdf

傾城水滸伝 第二編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)           
 文政九年(1826年)丙戌春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207nihen.pdf

傾城水滸伝 第三編之壱 曲亭馬琴著(歌川国安画)
 文政十年(1827年)丁亥春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207sanhen.pdf

傾城水滸伝 第四編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十一年(1828年)戌子春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207shihen.pdf

傾城水滸伝 第五編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十一年(1828年)戌子春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207gohen.pdf

傾城水滸伝 第六編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画) 
 文政十二年(1829年)巳丑春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207rokuhen.pdf

傾城水滸伝 第七編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207shichihen.pdf

傾城水滸伝 第八編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)庚寅春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207hachihen.pdf

傾城水滸伝 第九編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)庚寅春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207kuhen.pdf

傾城水滸伝 第十編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)庚寅春正月吉日新版 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyuhen.pdf

傾城水滸伝 第十一編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 天宝元年(1831年)辛卯春正月吉日新板 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyuichihen.pdf

傾城水滸伝 第十二編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 天保三年(1832年)壬辰春正月吉日新板 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyunihen.pdf

傾城水滸伝 第十三編壱・二 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 天保三年(1832年)壬辰春正月吉日新板 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
傾城水滸伝/女水滸伝 十三編ノ三・四 笠亭仙果編次(一陽斎豊国画)
 嘉永三年(1850年)庚戌春新板 東都両国大黒屋平吉板
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyusanhen.pdf

傾城水滸伝/女水滸伝 十四編 笠亭仙果編次(一陽斎豊国画)
 嘉永四年(1851年)辛亥春新刻 松寿堂梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyuyohen.pdf

傾城水滸伝/女水滸伝 十五編 笠亭仙果編次(歌川国貞画) 
 嘉永七年(1855年)乙卯春新刻 東都両国大黒屋平吉梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyugohen.pdf
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜(コンピラフネリショウノトモヅナ) 初編(上) 曲亭馬琴作

2017-02-27 09:17:49 | 金毘羅舩利生纜
                            ▼=改ページ、□=未解読
※利生(りしょうの)=利益、纜(ともづな)=もやい綱
登場人物========================================================

金比羅毎歳詣(こんぴらとしまいり)の行者 金野伍(きんのご)平(へい)太(た)
長堀橋の船宿金(こん)ひら野(の)屋の女児(むすめ) 阿柁(おかじ)
金比羅毎歳詣の行者 御神酒(おみき)講十郎(こうじゅうろう)

天地開□夫婦権輿(あめつちひらけしときいもせのはじまり)
陽尊神(おのみことかみ)  陰尊神(めのみことかみ)  火神軻遇突智(ひのかみかぐつち)

東方陽徳(とうほうゆうとく)の母神(おものかみ) 
西方陰徳(さいほういんとく)の師表(をしえのおや) 
神通不測(しんつうふしき) 天石折神(あめのいわさくのかみ)

役行者(えんのぎょうじゃ) 小角(しょうかく)
後鬼(ごき)の変相 山妻高峯(しづのめたかね) 
前鬼(ぜんき)の変相 樵夫陀羅介(きこりだらすけ)

==============================================================

疑わず、差(たが)うことなき、これを信という。
信が至って深きもの、これを深信(しんしん)という。
深信おこたりなき者は、禍(わざわい)をひるがえして福(さいわい)となすことあり。
さればその願いが成就せずということ無し。
あぁ深信の徳偉(とくおおい)なるかな。

賛曰(さんいわく) こころ直(なお)き獣なればや 山の名の象(さき)の頭(こうべ)に神宿るなり▼

千早振る神世の昔、火神迦具土(ひのかみかぐつち)が生まれた時、母の尊(みこと) 伊耶那美(いざなみ)は焼かれて神去(かんさ)りたまいしかば、伊耶那岐尊(いざなぎのかみ)怒って迦具土(かぐつち)を斬りたまう。
今、火を鑽(き)って薪に移し、また婦女子の月経(つきのさわり)を火が悪しというもこれ縁故(ことのもと)なるべし。

賛曰、吾妹子(わきもこ)の月のさわりを火という、始めはかくや 迦具土の母▼

火の神迦具土が斬られた時、凝血(これがちしお)は石となり、その石の中より一箇(ひとはしら)の神が化生(なりいで)たまう。これを石折(いわさく)(岩裂)の神という。仏教でいう金比羅天王また金比羅天童子、本地不動(ほんちふどう)は、この神によく似たり。それ然(しか)らんか。然らんか。

賛曰、百伝う磐石(いわお)の卵生出(なりいで)て、動きなき世を守りこそすれ▼

小角(しょうかく)は加茂役公氏(かもえんのきみうじ)で、大和葛城郡卯原村(うはらむら)の人なり。三十二歳で葛城山に分け入って、松子(まつのみ)を食とし、藤葛(ふじかずら)を衣とす。よく孔雀明王の呪文を持して、飛行自在を得たり。一日(あるとき)山神(やまのかみ)をして金峯山(きんぷせん)に石橋を造らせるが、速(すみやか)ならざるを怒って、一言主(ひとことぬし)の神を呪縛(いましめ)たり。また常に小角に使役する二童鬼(ふたりのおにわらわ)あり。その中の前童鬼(ぜんどうき)は男なり、妙童鬼(みょうどうき)は女なり。またこれらを前鬼、後鬼という。この鬼は大和の生駒嶽(いこまだけ)に住めり。後に小角に捕(とらわ)れて大峯に置(おか)れる。その後に寺を建て、鬼取寺(おにとりじ)と名づけたり。いだし小角はその名なり。世の人は役行者(えんのぎょうじゃ)と唱う。天性至高(てんせいしこう)なれば、その母を鉢に載せて、渡□(とたう)せしといい伝う。これ我が国の大神仙(だいしんせん)、後世(こうせい)には諡(おくりな)を賜って、神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)と称せられる。

賛曰、葛城や高間の山を踏み分けて 入りにし君が後の白雲▼

==========================================================

昔々、江戸の片ほとりに金野伍平太(きんのごへいた)という知ったかぶりの男あり。
金比羅の信者で暇のある身なれば、たえず大阪へおもむいて長堀橋の金ひら野屋という船宿から船に乗り、讃岐の象頭山(ぞうずさん)へ詣でる回数は既に三十三度に及んだ。
その頃、京都の片ほとりに御神酒講十郎(おみきこうじゅうろう)という者あり。
これも劣らぬ金比羅の信者なれば毎年のように長堀橋の同じ船宿より乗り合いして金比羅へ詣でるので、いつとなく伍平太と心安くうち語らうようになった。
この度の参詣は船中に追い手(おいて/追い風)が稀(まれ)にして、船掛り(ふなかかり/停泊)に日を経ると皆は退屈に耐えざりけり。その時、講十郎がふと言うには、
「さても、金比羅大権現の御利益は世がこぞって知るところで申すもなかなか愚かなり。しかれども、その本地垂迹(ほんじすいじゃく)は如何(いか)なる神で、如何なる仏と定かにこれを言う者はまれなり。まして当山の開闢(かいびゃく)もいずれの年にいずれの聖(ひじり)が開かれたかを定かに言う者は聞いたこともなし。金野氏は物知りで、しかも信心浅からねば、きっと事の事情を詳しく御承知の事なるべし。船中の眠り覚ましに、あの神の本地垂迹、また開山の霊験奇特を物語りして聞かせたまえ。事の始めは如何なるか。お聞かせくだされ」と言う言葉に乗り合いの人は皆こぞって小膝を進めて、
「これは真(まこと)に尊い事なり。我らも聴聞(ちょうもん)つかまつらん、さぁさぁ語りたまわずや」とすすめけり。されば金野伍平太は乗り合いの人々におだてられ、知ったかぶりの癖なれば、いなふねならぬ金比羅船の客の間におし直り、□兜羅綿(とろめん)の紙入れの隅を裏へと折烏帽子(おりえぼし)、さらしの襦袢を引き脱いで、前より着たほやうえのこじつけ、講十郎は心得て船荷を引き出し高座をこしらえ、恐れず臆せず伍平太はゆったりとよじ登り、扇をばちばち咳払い、こりゃ、聞き事じゃと諸人は押し合いへし合い取り巻いて耳をすませて聴聞す。
その時金野伍平太は扇を笏(しゃく)に膝組み直し、
「さても金比羅大権現の縁起、根本、霊験、利生のあらましを凡夫のつたない我の口から申すは恐れ多い事。言わんや、また幾千歳(せんざい)の昔の事、人の嘘は我が嘘にて、伝え誤り聞き違えて神仏(かみほとけ)を□ひなるは要無き業(わざ)でござれども、それも善行、方便で、凡夫のしゃくをまさせん為なれば、しばらく虚実はさて置いて、我が予て伝え聞いたそのあらましを講じましょう。□□」と咳払い、長物語りの序が開き、皆は興をもよおしける。

○そもそも金比羅の神号(しんごう)は、増一阿含経(ぞういちあごんきょう)、宝積経(ほうしゃくきょう)、天台妙文句、金比羅天童子経こうに見え、王舎城(おうしゃじょう)を祀(まつ)りたまう諸天、夜叉の善神(ぜんしん)なり。▼金比羅とはゐによ主と申すに同じ。言う心はこの神の威勢(いせい)通力(つうりき)、例えば世の中の天子、将軍、萬(よろず)に自在を得たまうが如し。よってこれをゐによ王と言う。ゐによ王はすなわち金比羅なり。昔、釈尊が王舎城に居られし時、提婆達多(だいばだった)と言う大悪□□長さ三丈広さ一丈六尺ばかりの大石で打ちひしぎ奉らんとした時に、その山の神の金比羅王がその石を受け止めたことは宝積経のてんじゆ□品、また天台妙文句にも見えたり。
今、この事を例えて言えば、昔、石橋山のほとりで股野五郎景久(またのごろうかげひさ)が頼朝卿を討とうとして、一抱(ひとかか)えにも余る大石を投げ落とした時に真田の与市義定(よしさだ)が受け止めたのにさも似たり。股野の心は大悪(おおあく)で提婆達多に異ならず、真田の忠義と力量は金比羅王の功徳に等しい。これはこれ仏説の趣旨を申すのみ。また和漢三才図絵では金比羅は須佐之男(すさのお)の尊(みこと)だと言い、また三輪大御神だとも言えり。あるいは今、山彦の尊などと申す者もある。□いづれも正(まさ)しき証文は無けれども、象頭山に神職あれば仏説によって、これは我が国の神には非(あら)ずと一向(ひとむ)きには言い難し。かかれば神仏両部の神なり。それがしが予てより伝え聞いた事には、この御神には名号(みょうごう)多く、仏説ではへ□らと言い金比羅と言い、ぐへいらと言い、また宮毘羅神(くびらしん)とも言えり。また神道にて言う時は、天(あめ)の石折(いわさく)の神、すなわちこれなり。例えば牛頭天王(ごずてんのう)と須佐之男の尊のごとくに石折の神と金比羅とその名号は異なれども、祀(まつ)る所は同じかるべし。
さて、これまでは物語の大意なればまじめなり。これより岩裂(いわさき/石折)の神の始めを申すべし。
昔々、神の世で火の神の迦具土の御母は伊耶那美(いざなみ)の尊なり。火の神が生まれた時に御母の尊がその火に焼かれて遂に神去りたまいしかば、御父伊耶那岐の尊は怒って、迦具土を斬りたまう。その血潮は凝り固まりて遂に二つの石となった。伊耶那岐の尊は見そなわして、この石をここらに置くべからずと遙か遠くに投げ捨てたまうと、一つの石は讃岐(さぬき)に落ちて、たちまち一座の山となった。今の象頭山はすなわちこれなり。もう一つの石は西の方(かた)の十万里を飛び行って、無辺無量(むへんむりょう)という国の方便山(ほうべんさん)にとどまりける。この石の高さは三丈六尺、回り(めぐり)は二丈四尺で石の肌に自(おの)ずから黄金のめさの形が現れて金色に輝けば、鳥獣(とりけだもの)も触れ汚さず、雪霜も石の上にはいささかも積もらざりけり。いわゆる無辺無量国の金幣石(きんへいせき)これなるべし。この石は方便山に落ちとどまって、後(のち)に幾万年を経たれば、既にして大山と地神いづれの御時にや、ある日おのずから二つに裂けて石の内より一柱の荒神が化生(なりいで)たまいけり。これを岩裂(いわさく)の神と言い、また天の岩裂の神とも言った。その形は人にして▼面(おもて)の色は朱の如く、その鼻はいと高くて鼻の先が尖って、さながら鳥のくちばしに似たり。かつ手を上げれば羽根となって大空をも飛行し、足を上げれば筏(いかだ)となって大海(たいかい)をも渡るべし。されども生まれたままで、まだ神□(しん□)を得てなければ、羽根あれども高くは飛べず、例えばあひろの溝に遊んで遠く飛び去り難きに似たり。かくて岩裂の荒神は石の内よりなりいでて、谷川で身を濯(そそ)ぎつつ天地四方を拝すると身の内が光り輝いて、例えば黄金の砂(いさご)の浜に朝日が照らすに異ならず、その光りが天地に通って大千世界を照らしけり。
この時、天(あめ)の若宮で天照大神(あまてらすおおみかみ)が遙かに下界を御覧じて、驚いて思兼の神(おもいかねのかみ)に問われるには、
「ただ今、西の方で怪しい光が世界を照らせり。何にかあらん」と宣(のたま)えば、思兼の神は承って、しばらく眺めてにっこり微笑み、
「さまでの事も候わず。かれはこれ、その昔に迦具土が斬られた時、その血潮が石となって、しかじかの国にあり。その石が自ずから二つに裂けて岩裂の神が出現せり。今、西の方に怪しい光が候うは、かの神の身より出て照り輝かすにて候」と事もなげに申せば、天照大神はうなずいて、
「さもありなん、さもありなん。籠(こも)るものは出(いづ)ることあり。孕(はら)めるものは生まれる事あり。天の精気の地に下ってく形を成さずと言う事なし。▼その精気がことに優れて清い者は神で、濁れる者は鳥獣となる。また歩むに足らず」と再び問わせたまう事なし。さる程に岩裂の神の荒神は水を飲み、木の実を食し、藤葛(ふじかずら)を衣とし、谷に下り峰に上って幾年月を経るままに、身より照らす金色の光は遂に失せにけり。
さればこの山にありとある夜叉天狗(やしゃてんぐ)のみを友として終日(ひねもす)遊び暮らす程に、山の半ばに大滝あり。岩走る音が遠く響いて幾引きの白根を掛け渡したに異ならず。しかもこの滝壺より金色の光が立ち上って中空にひいる事が時として絶えざれば黄金の滝と名付けたり。
かかりし程に天狗共はある日、岩裂の神と共にくだんの滝のほとりで遊んで、立ち上る気を仰ぎ見つつ、
「我々は飛行自在なれども水の底に入ることかなわず。この滝壺の底にこそ得難き宝がありもやせん。滝にもせよ、水底を見極める者があれば我らの主君と仰ぐべし」という言葉が終わる前に岩裂の神が進み出て、「我、この底を見極めん。どれどれ」と言いながら、そのままざぶんと飛び込めば、夜叉天狗らは驚きあきれて、
「哀れ、要(えう)なき我慢なり。滝より先にその身は砕けて再び帰る瀬はあらじ。哀れむべし、哀れむべし」と言わぬ者は無かりける。さる程に岩裂は滝壺に入るといえども思いの外に身は濡れず、底はいと広くしていささかも水なくて、別(べち)に一つの世界に似たり。足に任せて行く程に、果たして一宇の高殿あって、威如天堂(いにょてんどう)という扁額(へんがく)を掲げたり。その高殿の様子は黄金を延べて柱とし、錦を重ねて筵(むしろ)とす。綺麗、壮観、中々に言葉には述べ尽くし難し。しかのみならずこの所には耕さずして五穀あり、年中萎まぬ花もあり、木の実、草の実、様々の物が乏しからねば、岩裂の神は喜んでまた滝壺より躍(おど)り出て、夜叉天狗らにしかじかと事の様子を告げ知らせ、相伴って始めのように水底に入れば、天狗どもはいよいよ呆れて喜ぶ事も大方ならず、これより岩裂を威如大王と尊(とうと)んで、眷属となって仕え、昼は方便山で遊んで、夜は天堂に帰って眠る。されば山彦、山の神、山姫、山姥(やまうば)に至るまで岩裂の神の通力に恐れて、媚び従わぬ者はなく、ある時はしやくをとり、ある時は舞い歌って酒宴の興を添えにけり。
かくてまた幾千歳を経る程に、楽しみ尽きて悲しみ来たる。その日も遊興たけなわなりしが岩裂の神は何をか思いけん、只いさめいさめと泣けば、夜叉天狗どもは驚いて、「こは何事がおわしまして、かくまで楽しき酒宴の席にて嘆きたまうや」と問われて岩裂は、
「さればとよ、我には父も母もなく、この国に成りいでてから幾千歳の月日を経たり。命長きに似たれ共、およそ形のあるものは各々(おのおの)の齢(よわい)に限りあり。一朝にして命終われば▼今の楽しみも皆夢なり。言わんや、またこの国は物乏しきにあらねども、我が輩(ともがら)以外に他に住む人はなし。四方僅かに百余里の此の所のみで天地の広さを知ること無いは、これ井の中の蛙に等し。今は国々にその道開けて天竺(てんじく)には仏の教えあり。また唐土(もろこし)には儒の教えあり、道家の教えもありと聞く。また日本は四大部州(よんだいぶしゅう)かみにあり、例えば人の頭(こうべ)のごとし。ことに目出度き国なれば神の教えのいと尊く、今人王の世になっては儒仏道家の教えも伝えて人多く国富めりとほのかに伝え聞ける事あり。いでや只今門出(かどいで)して、かの国々を経巡って神儒仏の教えは更なり、かの仙術に長けたる者、天地と共に尽きる事なく齢(よわい)を保つ人があれば、我はその師に従って学ぼうと思うのみ。さなくて命終わる時は後悔そこに絶ち難し。我は飛行の術があり、船筏を用いずに海のほかに遊ぶべし。汝らはいよいよ心を合わせて国を守って怠ることなく我が帰る日を待つべし」とて、ねんごろに別れを告げて、早端近(はしちか)く立ち出て、両手を開くと左右の腕(かいな)が羽根となり、雲をしのぎてひらひらと飛ぶ鳥よりも速(すみ)やかに舞い登りてぞ失せにける。
○さる程に、岩裂の神威如王はまず天竺に渡り、また唐土に赴いて国々の教えを見るが未だ心にかなわねば、なおも東に渡って日本国に赴いて、その風俗を見ると、聞きしに勝る上国(じょうこく)で君臣男女(くんしんだんじょ)の礼儀は正しく、天地(あめつち)開け始めし時より百王一姓で、天津日嗣(あまつひつぎ)たまる事なく万民は富み栄え、国に逆賊ある事もなし。その国は東の果てにあって大国にはあらねども、実(げ)に万国の神(かみ)たること、人の頭は小さけれども五体の神にあるが如し。かつ人の心が素直なのは神の教えを守ればなり。未来を恐れて施しを好むのは仏の教えを尊めばなり。かかる目出度き国にこそ天地と共に滅ばない神仙はあると、あちこちの人に問うと
「大和の国の葛城山に役(えん)の君小角と言う仙人あり。常に五色の雲に乗って仙郷(せんきょう)に往来し、よく孔雀明王の呪文を唱えて、神をも戒め鬼をも仕(つか)う。三十二才の時に山に入って仙術を得た後に、その母を鉢の内に乗せて唐土(もろこし)に赴いた事さえありと予て聞けども、その齢は幾百才か幾千歳になるやらん、確かに知る者はなし」とそのあらましを告げれば、岩裂の神は喜んで大和の国に赴いて、既に早くも葛城山のふけこにして日は暮れたり。その時に裾野の茅(ちがや)の中より賊の男(しずのお)、賊の女(しずのめ)が走り出て、その賊の男は鉞(まさかり)を振りひらめかし、その賊の女は利鎌(とがま)を持って挟んで討たんとするのを岩裂は早く身をかわし、両方等しく受けとどめ、「こは狼藉なり、何者ぞ」と問うと二人は言葉を揃えて
「我らの事を問わんより早く汝の名を告げて、この二振りの刃(やいば)を受けよ。汝の衣装、身の回りは旅人に似たれども怪しき曲者(くせもの)なる由は天眼通(てんがんつう)をもて知れり。我々を誰と思う。▼役の小角に仕え奉る木こり陀羅介(だらすけ)、賊の女高峯(たかね)と知らざるや。小角の命を受けて夜な夜な山の麓を守るに、怪しき奴と知りながらいかでかここを通すべき、観念せよ」と罵るを岩裂は聞きつつうなずいて、
「さてはこの頃この国の人の噂に聞き及ぶは、生駒が嶽の山の神、男は前鬼、女は後鬼。陀羅介、高峯と仮初めにその名を変えて小角に仕える者共よな。我も小角仙人の徳を慕い術を慕って、師弟の因み(ちなみ)を結ぶために十万余里の西の果ての無量無辺国より遙々と渡り来た岩裂の威如王と言う者なり。我はいささかも野心なし。願わくばこれらの由を小角仙人に告げたまえ、只見参(けんざん)を願うのみ」と他事もなく頼めば陀羅介、高峯はようやく疑い解けて、そのまま岩裂のために導(しるべ)をしつつ、葛城山によじ登り、小角の岩室に相伴って、しかじかと事の由を申せば、小角は拒む気色なく岩裂の神に対面して、その事の来歴と素性を詳しく尋ねけり。
役の君小角が入門の者を呼び入れて来歴、素性を問えば、岩裂の神は答えて、
「それがしは西牛賀州(さいぎゅうがしゅう)の海の外(ほか)の無量無辺という国の方便山のほとりの者で、父もなく母もなし。金幣石と言う石の内より産まれたれば、自らその名を岩裂と言う。我が国の輩は尊んで岩裂の威如大王と称するなり。萬(よろず)に不足無き身なれども、およそ形あるものは死に失せずという事なし。しかれども世に神仙というものあり、形をねり、せいを養い天地と共にその命限りなしと伝え聞く、もしかかる人があらば我が師として教えを受け、不死の術を学ばんために四大部州(しだいぶしゅう)を遍歴したが、これぞと思う師に会わず。しかるに聖(ひじり)は世に伝え聞く神仙で、その術高く、その徳高しと告げる者あるにより遙々と推参致したり。願わくば不死の術を教えたまえ」と言う程に、小角は袖の内にて占いつつ、うなずいて、
「我は早くも御事(おこと/お前)の素性を知りぬ。いかでか父母が無からんや。御事が父はこれ火なり、御事が母はこれ石なり。御事を育てし者は西の土地、西を五行に象(かたど)る時はすわち金なるを▼知らずや。金石(きんせき)は撃(げき)して火を生ず、これ御事が産まれる由縁、父母なしと言うべからず。しかれども産まれて死なぬ者はなし。我が国神仙の神々ですら命に限りあればこそ根の国へ帰らせたまいぬ。しかれどもその荒御魂(あらみたま)は今もこの国を守りたまえば、死して滅びざる。これを名付けて神と言う。仏もまたこれに等しく、釈尊と申せどもその寿命に限りあり涅槃(ねはん)の室に入りたまえども、その教えは尽きる時なく、一切衆生(いっさいしゅじょう)を救わせたまう。これもまた死して滅びず術のいたれる由縁なり。しかれどもこれらの事は一朝には諭し難く、また一朝には悟り難し。今より我に従って務め学べば、後遂(のちつい)にその冥応(みょうおう)を知る事あらん。今日より御事の法名を岩裂の迦毘羅(かびら)と呼ばん。学寮に退いて兄弟子たちと諸共によくよく学びたまえ」とそのまま山にとどめられる。
○さる程に、岩裂の迦毘羅は役の行者の教えその□にかなって、さもあるべしと思えばこれより心を傾けて、師に仕えること昼夜をいとわず、下□の□橋に黄石公(こうせきこう)の靴を取った張良もこれにまさらじと見えれば、小角もまた深く愛して神しゅくの妙計をいささかも惜しむ事なく法術、呪文を教えると、一を聞いて十を知る、その才もまた優れたり。かねて飛行、通力あるが、今また形を変じて姿を隠し、雲を呼び風を起こす術を習い得れば、迦毘羅坊は密かに喜び、今は早天地の間に我に及ぶ者なしと思えり。かくてある日、迦毘羅坊は相弟子の山伏五七人と共に岩室を発ち出てあちこちと眺め渡すと、山伏らが皆で言う様、
「和主は行者に従ってまだ十年にも及ばねども、師の心に適(かな)った故か、我らに教えられぬ事をもそこには習い得たりと思う。何なりともおもろ奇術を施して見せたまえ、いざいざ」とそそのかせば、迦毘羅坊は予てより術に誇る心があり、今思わずも山伏らの所望に否む気色なく、「そはいと易き事なり」としばらく呪文を唱えれば、何処(いずこ)ともなく一羽の鶴が忽然と舞い降りて、迦毘羅を乗せて空中へひらめき上ると不思議なるかな迦毘羅の姿はあでやかな遊女となって、内掛け捌(さば)きもしなやかに鶴の背中に座を占めて、手に長文(ながふみ)を繰り返し繰り返しつつ読む様は▼花の顔ばせ月の眉(まゆ)に□ひこぼれる愛嬌に一度(ひとたび)笑めば、国を傾け城を傾けるとうたわれた唐土(もろこし)の李夫人(りふじん)なりともこれにいかでか及ばんやと山伏らは皆我を忘れて見とれるもあり、誉めるもあってしばらくなりは静まらず。この時、役の小角は室の戸の方で人々が笑い興(きゃう)ずるのは何事やらんといぶかって、自ら立ち出て見たまうと岩裂の迦毘羅坊の仙術で遊んで人々笑い興ずるなり。こは浅ましと思いつつ、なおも木陰に立ち隠れ、事の様子をうかがうと迦毘羅坊は師の行者が立ちいでたまうと早知って、たちまち術を収めて元の姿になりにけり。その時ようやく山伏らは行者が垣間見たまうを知って、ついで悪し事とひそめいて、皆学寮へと退けば迦毘羅坊も続いて帰り入らんとするのを小角は急に呼びとどめ、木陰を出て形を改め、
「我は始めより御事の素性が人間の種ならずと言うが故に、抜きん出て教え導いたが、何ぞや術を弄(もてあそ)び相弟子らに誇りたる。既に御事が行うところ、世に麗しき(うるわしき)美女に変じて凡夫の眼(まなこ)をたぶらかすのは外道の幻術にて正ぼう□あえば必ず破られる。もし疑えば試みに姿を変じて見せよかし。我がその術を破り得ずば、我は今より改めて、御事の弟子になるべきなり。再び術を施さずや、さぁさぁ見せよ」と急がすと迦毘羅坊は行者の怒りに上辺ばかりは恐れ入る面持ちはすれども心の内に思う様、
「・・・・・・・昔より弟子としてその師に勝る者が無きにあらず。我が術は既に成就したれば行者というとも何ぞ及ばん。この折りに小角をかえって我が弟子にすれば快(こころよ)き事なるべし」と腹の内に思案をしつつ、
「□まことに逃れる道なし。しからば術を施して御笑いに備えまつらん。いざ御覧ぜよ」と言いながら、たちまち口に呪文を唱えて姿を変ぜんとすれども術を行うこと得ならず、こはいかにと驚き怒り、かつ恥じて憤りに耐えざれば、遂に小角を害せんと思う心あり。
さるにより迦毘羅坊はその夜、小角の臥所に(ふしど)に忍び近づいて、刃を抜いてぐさっと刺すがはや空蝉(うつせみ)のもぬけにして小角は臥所にあらず。こはいかにと驚き慌てて走り去らんとする程に、何処(いづこ)ともなく吹き入る山風さっと下ろし、身を切るごとくに思えしが、不思議なるかな、迦毘羅坊の五体はにわかに発熱して身を焼く如くもんらんしつつ、あっと叫んで倒れけり。
かかりし程に役の行者は行衣(ぎょうえ)の上に玉襷(たまたすき)して、しずしずと現れ出て、
「如何(いか)に迦毘羅坊。我は予てじゆうに入りて御事は火の神迦具土の子なる由をよく知れり。火は風を得て熾(おこ)るものなり。故に今、風かく神尊(ふうかくしんそん)の呪文をもって風を熾しつつ、前世の業因(ごういん)▼しかじかと明らかに悟らせる。早く野心をひるがえし、故郷に帰って時を待ち、只世の為、人の為に悪魔外道を退治して大善神と仰がれよ。さる時はそれがしもいかでか御事に及ぶべき。忘れても今日の如くに術をもてあそび、人に誇ればこれ身を失う仲立ちなり。我が戒めはここにあり。今は早これまでなり。速(すみ)やかに下山して元の国へ帰るべし。さぁさぁ」と急がしたてて再び呪文を唱えれば、迦毘羅坊の身より出る妙火(みょうか)は消えて跡もなくたちまち我に返りけり。
ここに至って迦毘羅坊は行者の威力(いりき)に感服し、初めて夢が覚めたるごとく、身の過ちを懺悔して衆生利益(しゅじょうりやく)の為にして、悪魔退治の折ならずは術を施さずと誓いをたてて詫びれば、小角はしばしば戒めて、
「御事の形術(ぎょうじゅつ)は大千世界に敵無きに似たれども、我には敵し難きがごとくに漫(そぞ)ろに敵を侮(あなど)る者は小敵にも謀(はか)られやすし。されば無辺無量国ではかの夜叉天狗などが皆御事を尊んで、よく仕えると言うといえども、もし一旦、事に触れて背く者がある時は密かに害せんとこそ謀るべけれ。その外心(がいしん)を防がんには風かく(ふうかく)の呪文に増すものなし。彼らが怒らんとする時に早くその術を唱えれば、夜叉天狗らの身の内より妙火がたちまち燃えいでて、その身を焼かれてもんらんせん。かれば、彼らを従えて長く背かざらしむべき。この呪文をもって餞(はなむけ)とせん。よくよく心得たまえ」とねんごろに説き諭して、くだんの呪文を授ければ、迦毘羅はますます喜び、行者を拝して別れを告げ、そのまま雲にうち乗って、西を指してぞ飛び去りける。
されば天狗道の苦しみで、日に三度夜に三度、身より出(いず)る火に焼かれ五体を焦がすと今の世に語り継ぎ言い伝えるのは迦毘羅坊の餞別に役の行者が授けた呪文の故なるべし。
○さる程に、岩裂の迦毘羅坊は神変自在の通力で早くも無辺無量国の方便山に着ければ、やがて雲より下り立って、部類眷属(ぶるいけんぞく)を呼び集めると六万八千の夜叉天狗どもがあちこちより集い来て、或いは喜び、或いは嘆いて、皆諸共に告げる様、
「大王、何故に遅かりし。物学びの為に仮初めに旅立ちたまいしより既に七八年を経たり。しかるに近頃これより遙か北の方に黒暗魔王(こくあんまおう)と言う者あり。彼は我が王が此の所におわしまさぬをうかがい知り、この山を奪い取り、威如天堂を横領せんと数万の悪魔を従えつつ、時となく押し寄せ来て、攻め討つこと大方ならず。我々ずいぶん▼手を尽くして防ぎ戦いしが、大王の身の丈は一丈六尺、しかも三つの頭(こうべ)あり左右の腕(かいな)は六本あり。その二つの手は弓を引き、また二つの手は鉾(ほこ)を回し、一つの手は棒を使う。相従う悪魔どもさえ一人当千の手並みあれば勝ちを取ること叶い難くて、討たれたる者も少なからず、もし重ねて押し寄せ来るを如何にして防ぐべき、枕を並べて討ち死にせんか、また和睦して此の山を譲り渡して大王が帰られるを待って恨みを返さんかと評議まちまちに候」と大息ついて物語るのを迦毘羅坊は聞きながら、
「そは易からぬ事にこそ、□□□□□□□□□□□□□」と問われて皆々頭(こうべ)をかき、「奴らが来る時は霧を起こし、帰る時は雲に乗り、所を指して飛び行くのみ。住みかは知らず候」と言えば迦毘羅はうなずいて、
「汝ら、心を安くせよ。我がその大王をうち殺して首取って土産に得させん。しばらく待て」と言いかけて、ひらりと雲にうち乗って、天眼通で所の方を遠く遙かに見渡すと、ここをさること千余里にして黒暗州(こくあんしゅう)という一つの島あり。その地は魔王の住みかにして、山をうがちて城となし、岩をたたみて塀(へい)となし、数多(あまた)の悪魔が籠もり居たり。迦毘羅は早くも見定めて、通力でその所へまたたく間に赴いて、門戸を守る悪魔らに向かい、
「我は無辺無量国の威如天堂の主にして岩裂の迦毘羅神威如大王という者なり。汝らが主と頼む魔王に対面するために自らここに来臨せり。さぁこの由を通達せよ」と言うと外道らは驚き騒いで魔王にかくと告げ知らせれば、魔王は聞いてあざ笑い、
「奴は身に鎧(よろい)も付けず手に弓矢も携(たずさ)えず、身一つにして来たるは自らその死をおくるなり。今、目(ま)の当たりにうち殺して、手並みの程を見せん」と例の打ち物を取り揃え、ゆうゆうとゆるぎで、
「汝は命に掛け替え▼あるのか、我に会わんと一人で来るは身の程知らぬ痴れ者(しれもの)なり。言う事あれば早く言え、望みに任せて素頭(すこうべ)引き千切って得させん」と罵(ののし)る声は木霊(こだま)に響いて、くわっとにらんだ六つの眼(まなこ)は闇の星かと疑われる。迦毘羅はこれを聞きながら、
「憎っくき外道の似非(えせ)広言(こうげん)。汝は我の留守をうかがって、我が眷属を攻め悩ませし報(むく)いが早く来たのを知らずや。観念せよ」と詰め寄せたり。
その時魔王はますます猛(たけ)って、やみやけんがき黒金(くろがね/鉄)の棒を隙間もなくうち振りうち振り、まっしぐらに馳せ向かえば、従う悪魔は数を尽くして、おっとりこめて討たんとす。されども迦毘羅は少しも騒がず一人(いちにん)まんえい分身の呪文を口に唱え、乳脇(ちちわき)の下の小羽根を抜いて、ふんふんと吹きかければ、その羽根は幾百□の迦毘羅坊の姿に変じて、支(ささ)える敵を攻め伏せ攻め伏せ、その手の悪魔を一人も残さず斬り倒して踏み殺せば、黒暗魔王は驚き慌てて逃げんとするのを逃がしもやらず大喝一声(だいかついっせい)、迦毘羅坊があびせかけた刃(やいば)の稲妻、もろくも魔王の三つの首は、只一ト討ちに斬り落とされて、骸(むくろ)も共に倒れけり■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 初編(下)曲亭馬琴作

2017-02-27 09:17:31 | 金毘羅舩利生纜
※宮毘羅(金毘羅童子、宮比羅)くびら・こんぴら 十二神将の亥神 本地:弥勒菩薩

かくて岩裂の迦毘羅坊は黒暗魔王の首を引き下げて、雲にひらりと乗って飛行自在のいつとくは、またたく間に無量国の方便山へ帰って、魔王を始め数多の悪魔を討ち平らげた事を手に取るごとく告げ知らせ、その首を見せると六万八千の天狗どもの誰が喜ばざる者あらん、かつかすかつを吹いて、かの天堂へかしずき入れて、やがて酒宴をすすめける。
その時迦毘羅は一座を見渡し、
「各々(おのおの)何と思うやらん。此の所は離れ島で浮き世に遠く隣国が絶えて無きには似たれども、数千里を隔てた黒暗州の魔王すら我が天堂を奪わんと、先に押し寄せ来るにあらずや。しかれば今更、仇(あだ)する者が無くても油断すべからずと言えども、汝らはここに一振りの太刀もなく、手に一丁の弓矢も持たずに木太刀(こだち)、竹槍で仇(かたき)に向かって勝つ事あらんや。我はこの事を思うに、黒暗州で悪魔らの刃(やいば)をぶん取ればとこれかれと選べども、よろしき切れ物が絶えて無ければ、一つも取らず立ち帰れり。これらの用意を聞かまほし」と問われて、実(げ)にもと思うのみで誰とて所存を言う者なし。
その中に第一の眷属の太郎坊という天狗が進み出て、
「大王、お知り召されずや。▲此の所より北の方五千八百里に一つの国あり。器械国(きかいこく)と名付けたり。此の国の鉄(くろがね)は余の国に勝って、鉄(くろがね)の切れ味、類(たぐい)なし。よってその国の王たちは、剣(つるぎ)は言うに及ばず、弓矢、鉾、槍、鎧兜(よろいかぶと)を幾万と作らせて蓄え置くと伝え聞く。只その道は遠くして奪い取ることは叶い難し」と言うと迦毘羅はうなづいて、
「我もまた予てより機械国の事を聞きしが、事に紛れて忘れたり。海山万里を隔てるとも何程の事があらん。されば彼処(かしこ)へ赴いて、武具を奪って立ち帰らん。しばらく待て」と言いながら端近くたち出てひらりと雲にうち乗り北を指して飛び去りける。
さる程に迦毘羅坊は通力自在の事なれば、ただ一時(ひととき)に五六里の海山を飛行して、機械国に来て見れば聞きしに違わずその王城(みやこ)に数多の武具蔵を建て連(つら)ね、太刀、剣(つるぎ)、鉾(ほこ)、鎧(よろい)を数限りなもなく蓄えたり。
その時、迦毘羅は心の中に謀り事(はかりごと)を思い起こして、しばらく雲より降りも下らず、手に[ばうごう]の印を結んで口に呪文を唱えれば、不思議なるかな▲その国の都の内に霧立ち上り、四方常闇(とこやみ)となり荒れ風さっとおとし来て、木を抜き砂(いさご)を飛ばせば、国王を始めとして誰かは驚き恐れざらん。およそ貴(たか)きも卑(いや)しきも、その家毎に門戸を閉じて出る者は一人もなし。その間に迦毘羅坊は静かに雲より降り立って、その通力でことごとく数多の倉を押し開き、武具を選んで引き出すが我が身一つで持ち運ぶ事は叶うべくもあらざれば、脇の下の小羽根を抜いて、呪文を唱えて吹き散らせば、たちまちに数万の迦毘羅と変じて、いくらともなき太刀、鎧を手に手に取って引き出して、各々の肩に掛けて方便山へと飛び去りけり。
既にして迦毘羅坊は黄金の滝のほとりにその武具を下ろさせて、山の様に積み重ね、小羽根を取って術を収め、元の一人になりし時、眷属の夜叉天狗どもがあちこちより集い来て、その通力に舌を巻き喜びいさんで天堂へ太刀も鎧も運び入れ、これより日毎に群を定めて、太刀を合わせ鉾を回して武芸の稽古も油断なく、いよいよ迦毘羅をおし尊んで、威如大王と唱えける。
その時迦毘羅は主だちたる眷属の中より選んで太郎坊、次郎坊、山水(やまみず)坊、木の葉坊という四人を大将として駆け引きを司らせ、事十分に整えども未だ心に飽き足らず、ある日その四人に言う様、
「我が眷属は武具に富んで敵を防ぐに足るといえども、我には未だ心に叶う武具はなし。昔、日本に在りし時、師の坊より賜った快刀の御腰(かいとうのみこし)を帯たり、そもそも刃は敵を討つとも一両人を斬るにすぎず、只一打ちに数多の敵を取りひしぐには棒こそ良けれ。伝え聞くとこの山の黄金の滝の水上は竜宮へ通じるといえり。竜宮城には世の中に得難き宝が数多あり、定めて他に作るべき最上の金(かね)なからずやは、我が竜宮へ赴いて鏨(たがね)を盗らんと思うなり。汝らは萬(よろず)に心を用いて留守をせよ」と示しつつ、その滝壺の水上へさかのぼり、流れを渡って千尋(ちひろ)の底を物ともせずに竜宮城へ赴きける。
時に東門を守る水母(くらげ)の次官(じかん)、栄螺(さざえ)の衛士らが迦毘羅坊を見て大きく驚き、その来歴を尋ねれば迦毘羅坊は間近く進み向かって、
「我はこの竜宮とは隣国の無辺無量国の主にて▲岩裂の迦毘羅尊、威如大王と言う者なり。竜王に対面せんと自らここへ来た由をさぁさぁ伝えて案内せよ。早く早く」と急がせば、水母、栄螺は驚きあわてて、そのまま内へ走り入り、やがて事の事情(おもむき)をしかじかと申すと東海竜王は眉をひそめて、
「予てよりほのかに聞く岩裂の迦毘羅坊は神変不思議の曲者(くせもの)なり。彼は何の所望あって、この所へは来つるやらん。対面せでは叶わじ」とにわかに装束を整えて、鯛の宰相、ボラの納言(なごん)、ブリの中将、鯉の左大げんらを従えて、昇殿(しょうでん)に迎え入れ、上座(かみくら)に招いて事の心を問えば迦毘羅坊は膝を進めて、
「それがしはこの頃手にかなう武具を作らんと思えども、未だよろしき鏨(たがね)を得ず。此の竜宮には良き武具が数多あらんや。一振りを我に贈りたまえ」と言われて竜王は小首を傾け、「たまたまの所望なれども左様な物はたえて無し」、迦毘羅はそれを聞いて眼(まなこ)を怒らせ、
「竜王、何で一振りの武具をかくも惜しんで、たえて無しと言われるか。よしよしその義ならば我が自ら宝蔵を家探(やさが)しして選び盗って行かん。後悔すな」と罵りながら立ち上がらんとしたりける。迦毘羅坊の勢いあたり難ければ、竜王は慌てて押し止め、「客人、さのみ腹立てたまうな。宝蔵を詮索して良き物あらばたてまつらん。まずまずしばし待ちたまえ」ととどめて奥に走り入り、黄金造りの太刀一振りをうやうやしく携え来て迦毘羅坊に贈らんとす。
迦毘羅はこれを一目見て、此の太刀は真(まこと)に良しと言えども、我はこの武具を好まず、なおこの他に良き物あらんや。残らず出して見せたまえ」と言うと竜王ぢだいも得ならず、「しからば客人が自ら行って、心に叶うを選びたまえ。さぁさぁ」と言いながら先に立って案内すると、迦毘羅坊は宝蔵でこれかれと見てみるが鉾、弓の類(たぐい)など世に珍しい武具はあれども、それすら未だ心に叶わず、むなしく望みを失って退き出んとする時に、水門の傍(かたわ)らに苔(こけ)むしたる物が横たわり、半(なか)ばは砂(いさご)に埋(うず)もれて、是、鉄の柱に似たり。迦毘羅は目早くこれを見て、これは何ぞと指さし問えば、竜王は見て、
「さればとよ。▲そもそも黄金の柱は竜宮城の開闢(かいびゃく)の始めよりここにあり。いにしえ日の本(ひのもと)神世(かみよ)の時に、伊耶那岐、伊耶那美の二柱の神が数多の浮き橋にたたせたまいて、天の逆鉾(あまのさかほこ)を差し下ろし、下界を探らせたまいし折に、第一の滴(したた)りは凝り固まって国となり、その滴りの余れるは此の竜宮へ落ちとどまって、これらの物に成りたる由を聞き伝えてはあれども、その重き事、金輪際より生え抜いたごとくなれば、誰とて動かす事は叶わず、まして掘り取る事などは思いもよらず候」と答えれば迦毘羅はうなずいて、
「それこそ年頃に我が望む武具になるべき物なれ。どれどれ」と言いながら両手をかけて引き起こすと柱には非ずして、その丈およそ二丈ばかりのまさしく黄金の棒にして、自然と彫りなす十四の文字(もんじ)がその裏の方にあり。皆々等しくこれを見れば「神作如意金箍棒(しんさくのにょいきんこぼう)一万三千五百斤」と鮮(あざ)やかに読めれば、迦毘羅は大きに喜び、いと軽がるとうち振りうち振り秘術を尽くす棒の手に、見る目まばゆき黄金の光も辺りをはらう神通(しんつう)怪力(かいりき)、胸騒ぐばかりにて東海竜王がうがのうろくず(雑魚)は皆、舌を吐き肝を潰してえへるが如くに呆然たり。その時、迦毘羅が棒の手を止め小脇にかい込めば、不思議なるかな黄金の棒は迦毘羅の心に従って縮める時は短くなり、細くなること針の如く、その軽さは塵の如し。また引き伸ばせば元のごとくに二丈余りの棒となる。実(げ)に如意棒(にょいぼう)と言い、金箍(きんこ)と名付けし言われある事にこそとて迦毘羅は針の如くになりたる棒を耳に挟んで竜王に向かい、
「今、此の棒を得たれども、未だよろしき甲冑なし。とてものことに鎧兜(よろいかぶと)を選び出して贈りたまえ。しからずばいつまでも此の所に逗留せん。帰さんとも留めんとも竜王の心にあり。如何(いか)に如何に」とせりたてられて、竜王はしきりに頭(こうべ)を掻き、
「今更惜しむにあらねども、この所にはしかるべき鎧兜はたえてなし。西海(せいかい)、南海、北海の三竜王はそれがしの弟なり。彼らの元を詮索して奉るべきなり」とにわかに鐘を突き鳴らせば、その鐘は四方数千里に響き渡り、西海竜王、南海竜王、北海竜王は驚いて、またたく間に集い来て、迦毘羅の所望の由を聞き、心の内には憤りいと憎しと思えども、敵すべくもあらざれば、西海竜王は我が宝蔵よりしま黄金の兜を取り寄せ、北海竜王は水牛の皮で縅(おどし)た▲鎧を取り寄せ、南海竜王は海豹(あざらし)の革靴と小手脛当て(こてすねあて)さえ取り寄せて、ひとしく迦毘羅に贈れば、迦毘羅はこれを受け取って、鎧投げ掛け兜の緒を締め、耳の内に収めた黄金の棒を引き伸ばして、杖に付きつつ悠々と別れて古巣へ帰りけり。
これより迦毘羅の威勢は四面八方へ隠れなく、招かざれどもあちこちの山の主もおぢ恐れて、その手に付かんと願いけり。詳しき事は次ぎに見えたり。
されば岩裂の迦毘羅坊は竜宮城を騒がしつつも如意金箍の棒を得て、方便山に帰りしより威風いよいよ辺りをなびかせ、あちこちの山の主は数千里を遠しとせずに方便山に往来し、その手に付かんと願う者、白狼王(はくろうおう)と称するは、これも歳ふる熊の化けたるなり。また錦馬王(きんばおう)と称するは、その毛色が錦に似た鹿の化けたるなり。また巴蛇王(むじゃおう)と称するは、山に千年、海に千年、川に千年住んだ蟒蛇(うわばみ)の化けたるなり。この四人(よたり)の妖王どもは招かざるのに付き従って、迦毘羅は彼らを一方(いっぽう)の大将として、太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将とともに山の八方を守らせて、自分は如意天堂に起き臥して、酒宴遊興に日を送る時、ある日、酒に酔い伏してまどろんだ▲夢の中で五道の冥官(みょうかん)とおぼしき者が地獄の獄卒を従えて忽然と立ち現れ、
「いかに迦毘羅坊。汝の命数(めいすう)尽きたれば、閻魔王(えんまおう)が召されるなり。さぁさぁ参れ」と引き立てて、飛ぶが如くに馳せ去りけり。かくて五道の冥官は迦毘羅坊を引き立て来て、閻魔殿の前に額(ぬか)ずかせ押し据えて、この由をかくと聞こえ上げれば、冥府の主の閻魔大王はちやうぜんに出させたまいて、まず浄玻璃(じょうはり)の鏡に照らさせ、見る目嗅ぐ鼻で在りし世の罪の重さ軽さを考え、業の計りに掛けんとて、牛頭(ごず)馬頭(めず)の獄卒どもが迦毘羅の左右の手を取り引き立てんとする時に、迦毘羅は酒の酔い覚め、驚き怒って突っ立ち上がり、「こは何するぞ」と罵りながら、耳に挟んだ金箍の棒を引き伸ばし、かぶりて当たるを幸いになぎ倒せば、牛頭馬頭の獄卒らは肩をひしがれ、足をくじかれ、見る目嗅ぐ鼻は消し飛んで芝居の切り首見るごとく、「こは狼藉や」とばかりに右往左往に逃げ迷う。地獄の騒動大方ならず、実(げ)にその神通怪力(しんつうかいりき)に敵すべくもあらざれば、五道の冥官たちは声張り上げて、
「岩裂、聊爾(りょうじ/無礼)したまうな。およそ生きとし生けるものは終(つい)には死なずと言う事なし。その命が終わる時は冥土黄泉(めいどこうせん)に召される事、誰が一人も逃れるべき。疑わしくばこれを見て、その疑いを晴らしたまえ」と押し止めつつ、鉄の帳を開き差し出すのを見れば、真に我が名あり。無辺無量方便山の主岩裂の迦毘羅坊、何万何千何百何十年にして寿命終わると記されたり。それ見て迦毘羅はあざ笑い、
「世には同じ名の者が数多あり、例え十号(じゅうごう)限りありとも、我は仙術上手の者なり。いかでかおめおめ死して冥土の餓鬼となるべきや。詮術(せんすべ)あり」と筆取って、墨黒々と我が名を塗り消し、後先を開き見ると我が眷属の名も皆帳面に記しあれば、それらも残らず塗り消して閻魔王に向かい、
「我が輩(ともがら)は天地と共に寿命の尽き時無きに、物実(ものざね)と我らを呼べば閻魔でも▲十王でもその度は許し難し。汝の命に掛け替えなくば今日の手並みをお忘れなさるな」と息巻き猛くにらみつけ、筆を投げ捨てゆうゆうと帰ると思いしは、これうたた寝の夢なりけり。
されば迦毘羅は夢から覚めて、在りし地獄の有り様を眷属どもに物語れば、あるいは驚き、あるいは喜び、いよいよ迦毘羅の神通力の類無きをぞ感じける。
実(げ)にも夜叉天狗の類全て、幽冥(ゆうめい)につく者は、その寿命に限りなきにや。その死を知る由無き事は地獄の帳を塗り消した迦毘羅坊の業にして、その名の無きによれるなるべし。
○この時、日の若宮では天照大神(あまてらすおおみかみ)が遙か下界を御覧じて、天児屋尊(あまつこやねのみこと)に向かって、「近頃、西の方にあたって、いと騒がしく聞こえるのは何らの故ぞ」との勅問(ちょくもん)に児屋尊は頭を傾け、
「知るが□・・・・・・・・遙かに西にあたって、無辺無量という□山あり。その□山を領する者を岩裂の迦毘羅と言えり。彼は神通を得しままに、五月蠅(さばえ)なす悪しき神をいくらともなく招き集め、鉾を回し太刀を合わせ、また夜となく日となく酒宴して笑い興ずるその響(どよ)みが遙かに聞こえ候なり」と申す言葉も終わらぬ折から、
「海神(わだつみ)の主、東海竜王、その弟の南海竜王を日の若宮へ参らせて、岩裂の迦毘羅のために神さく如意の黄金の棒を奪い盗られし事のおもむき、また南海、北海、西海の竜王らも鎧、兜、革靴を是非なく渡せし事の由、彼の通力自在の次第を日の御神に訴え申して、願わくば臣等(しんら)のために天兵を向けられて迦毘羅坊を討ち滅ぼし、大千世界の災いを払わせたまえば、上も無き天恩ならん」と奏しける。
かかる所に黄泉路(よみじ)の国におわします▲伊耶那美の尊より黄泉醜女(よもつしこめ)を御使いとして、岩裂の迦毘羅坊が地獄の掟を破り、おのが名を記されし鉄の帳を塗り消したる体たらく、閻王の愁訴のおもむきは斯様斯様と訴えたまえば、日の神もいよいよ驚きたまいて、
「しからばその岩裂は捨て置き難き悪しき神なり。早く討っ手の神兵(かみいくさ)を差し向けて、その罪を正すべし。用意をせよ」と急がせたまえば天児屋の尊が申す様、
「岩裂の罪は逃れ難しと申せども、彼は始め迦具土の血潮にてなれる神なり。たとえ今その身は外国(ことくに)にあるにもせよ、これもまた日の本の神の胤(たね)には候わずや。さるを今一朝に討ち滅ぼさせたまわんことは御慈しみ浅きに似たり。早く勅使を使わして岩裂を召し上し、官職(くわんしょく)を授けたまえば、彼もまた天恩を感じて過ちを改めるべし。此の義はいかが」と諫(いさ)め申せば、日の神は実(げ)にもとうなずき、南海竜王、醜女らにしかじかと聞こえ知らせて、おのおのを本国へ帰させたまい、さて誰をか無辺無量国へ遣わすべきと勅問(ちょくもん)あるに児屋の尊はまた申す様、
「かばかりの御遣いに名だたる神たちを遣わしたまえば、返って事の破れとならん。昔、天稚彦(あめわかひこ)を召し返さんと頓使い(ひたづかい)にたてられつつ葦原(あしはら)の中つ国にて天稚彦(あめわかひこ)に射殺されし名なし雉の妻が女官となって、この大宮に仕え奉れり。この雉(きぎす)の命婦(みょうぶ)などがしかるべけれ」と奏せしかば、日の神はこの義に任せたまいて、雉の命婦を遣わさる。
さればまた雉の命婦は昔、夫の名無し雉が頓使いを仕損じて犬死にをした恥を清めるのはこの時なりと思いにければ、喜んで勅命を承り、雲をしのいであまつ空、幾千万里を飛び行きて、無量国方便山の如意天堂のほとりに降り立ち、天照大神の勅使として、雉(きぎす)の名代(みょうだい)来れりと音(おと)なえば、岩裂の眷属の天狗どもは驚き慌てて内に入って、迦毘羅坊に告げにける。されども迦毘羅はちっとも騒がず、そのまま名代を天堂へ迎え入れ対面す。その時、命婦は袖かき合わせ、
「天照日の大神、そもじの神通が類無き事の由を聞こし召し、天上へ召しのぼして司を授けたまわんと□らる。さぁさぁ参りたまえかし」としとやかに述べれば迦毘羅坊は喜んで、
「それがしは先には日本国へ赴いて仙術を学びし事、寿命を天地ともにした事は、遂には天上へ昇り八百万(やおよろず)の神たちと肩を並べんと思えばなり。しかるに今図らずも日の神より召される事は、何事かこれにますべき。まず杯(さかずき)を勧めんためにしばらく休息されたし」と言うのを雉(きぎす)は押し止めて、
「日の神を待たせん為にはしばしも時を移し難し。さぁさぁ参りたまわるこそ、もてなしにます喜びなれ」と言うに迦毘羅は押しても止めず、眷属の夜叉天狗らに▲しかじかと説き示し、
「我、日の神に仕え奉りて、しばらく天上にあるべきなり。任官果てて帰りくる日まで太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四人の者共にここを預け置くなり。よく留守をせよ」と下知しつつ、遂に雉と連れ立って、雲にうち乗りたちまちに日の若宮にぞ参りける。
しかれども岩裂は遠き島根に成りいでし五月蠅(さばへ)なす荒神なり。みだりに天顔(てんがん)を拝させるべからずと、しやうでんをゆかされず、彼に司を授けよとて、日の神の勅により天児屋の命、太玉の命(ふとだまのみこと)は承って、神議り(かみはかり)に図りたまうに、諸々の神たちが申す様、
「今、天上に欠けたる司はなし。只、一院の掃守(かにもり)はなし。まず岩裂を掃守になさるべうもや」と申すに、やがてその義に定めらる。これにより岩裂は天安河原(あまのやすがはら)に赴いて掃除の事を司り、また折々、鰯雲(いわしぐも)を起こす事を司りて、下界へ海の幸を示せと□わたされたり。けれども岩裂はいと遠き□になりいでて、都の手振りを夢にも知らねば、位の高き低きをも司の良きも卑(いや)しきも露ばかりだもわきまえず、今、掃守になりたるを良き司ぞと心得て、いささか辞する気色はなし。只、日の神に見参せぬをいといぶかしく思うものから、これもまた遠からず御目見えの日あるべしと思い図って、ちっとも疑義せず、やがて安河原の役所に入り、望み足れりと思いけり。
元よりこの所は日の若宮へ遠からねど、さしたる務めも無きままに、岩裂は同役の掃守神と酒を飲み、あるいは河原に出て漁(すなどり)しつつ、そこはかとなく日を送るに、折ふし春の事なれば、月読の尊(つきよみのみこと)に仕え奉るいかひ姫、おほがひ姫の神、天のざざ女などと言う女官たちは河原の水菜(みずな)を摘まんとて、安河原にいでたるを岩裂は遙かに見て、その所へ走り近づき、
「汝ら、何ぞ掃守の我々に断りなく、そこらの水菜を摘み取るぞ」と声高らかに咎(とが)めれば、いかひおほかひの二神は▲顔うち赤めて退きける。その中に天のざく女は口の悪き神なればちっとも騒がず見返って、
「わらわは月読の宮に仕え奉る女官なり。月読様の□により、この河原の水菜を摘めば、私(わたくし)の事ならず、職分卑しき掃守の和主なんどが知ることならず」と言われて岩裂は心を得ず、「我は真に掃守なり。そもそも掃守は卑しき司か。その位は二位か三位か、我は未だ知らず、詳(つまび)らかに我に告げよ」と言うとざざ女は吹き出して、
「笑止(しょうし)じゃ。さては知らぬじやまで、掃守と言う者は河原の蟹(かに)を払う役で人の世ではもんという掃除番の仕丁(しちょう)の事なり。その頭を掃部守(かもんのかみ)と言うけれど、それすら六位の官ぞかし。いわんや仕丁の掃守に何の位のあるべきぞ。笑止笑止」と言い捨てて、袖振り払って帰り行く。岩裂は我が職分の卑しき由を初めて知って、恨み憤ること限りなく、烏帽子、衣装をかなぐり捨てて、罵りつつ、南大門より古里の方便山を指して飛び去りけれ。さればこそあれ、後の世に金比羅を信じる者が蟹と鰯を断つ由はこれらの故によるなるべし。
かくて岩裂の迦毘羅坊は憤りに耐えず、またたく間に天上より方便山に帰りにければ、数多の眷属が出迎えて、「大王、先に日の神に召され天上したまいしより早十余年になり候。天上にてはいかばかりの司位(つかさくらい)を得たまいしぞ」と問われて岩裂は頭を掻いて、
「我は天上に在りし日が只十余日と思いしが、早十余年になりけるか。実に天上の一日は人間の一年なりと言うは空言ならざりけり。我は日の神に仕えんと遙々と天に昇りしが、日の神は我をよくも用いず、わずかに掃守とせられしかば、日ならず走り帰りしなり」と言うと皆々は吐息をつき、
「大王、何ぞさばかりの卑しき職分を守りたまわん。神変不思議の通力は八百万の神たちもおそらく及ぶ者はあらじ。かかればまた今更に王と申すもなお足らず、今より再び尊とんで威如神尊と称すべし」と言うと迦毘羅は喜んで
「諸々の意見は極めて理あり。しからばその義に任すべし。今より我を威如神尊と称せよかし」と誇り顔にてあご掻き撫でていたりける。
○この時、日の若宮では、天照大神に岩裂の掃守がその職分の低きを恨んで罵り猛って、日の御門(みかど)を破って走り去りたる由を櫛石窓(くしいわまど)の神、豊石窓(とよいわまど)の神が奏するに驚きたまい、「かくまで無頼の曲者を今はしも許し難し。早く討つ手を遣わして犯せる罪を正せよ」とにわかに十万の神兵(かみいくさ)を▲起こさせたまい、建御雷命(たけみかつちのみこと)を討つ手の大将として、その子天鳥舩神(あまのとりふねのかみ)を副将軍とし、天兵命(あまつつわもののみこと)を軍監(ぐんかん)として方便山へ遣わされる。
かかりし程に岩裂は討つ手の大群が向かうと聞いて、「さらば手並みを現して、似非神(えせがみ)どもの目を覚まさせん。者共、戦の用意をせよ」と六万ばかりの眷属を三手に分けて、巴蛇王(はじゃおう)、子路王(しろおう)、錦馬(きんば)、白狼(はくろう)の四大将を先陣とし、太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将を後陣に定め、その身は竜宮より得たしま黄金の兜をいただき、水牛の鎧、海豹の革靴、小手、脛当てに身を固め、中軍に控えたり。
時に神兵の先手の大将の天兵の命(あまつつわもののみこと)が鉾を回して真っ先に馬を馳せ駆け出せば、その手の神兵は鬨(とき)をつくって、我遅れじと押し寄せるのを、岩裂の先手の大将巴蛇、白狼らは迎え進んでしばらく挑み戦うが、岩裂方はさんざんに討ち破られて、皆散り散りに逃げ走るを何処までもと追っかけたり。その時、岩裂は大きに怒って逃げ来る味方に入れ変わり、黄金の棒を隆々(りゅうりゅう)と水車(みずくるま)のごとくに打ち振り打ち振り、しきりに進んで防いだり(ささえたり)。兵尊はこれを見て、望む敵ぞと天馬にかく入れ、ひとまぜもせず戦うが、岩裂がひらめかす棒の手はことに鋭く、遂に刃を打ち落とされて、余る棒にて二の腕をしたたかに打たれれば、馬引き返して退きけり。
二陣に控えた天の鳥舩の神はこれを見て、「岩裂の掃守め無礼なり。汝は一旦は拒むとも天意を犯していつまでか安穏(あんおん)にかくてあるべき。命惜しくば降参せよ。天の鳥舩の神ここにあり」と名乗りかけて戦いたまう。しかし岩裂は恐れる気色なく、
「あら物々しき討つ手呼ばわり。元より我が身に野心なし。日の神が我を用いずして、掃守にせし故に我はこの所へ立ち帰れり。今より我を押し昇し、威如神尊と称せられずば十万の兵一人も□を生きては帰すまじけれ。観念せよ」と罵って、面も振らず打ってかかれば鳥舩の神は迎え進んで、互いに現す神変通力は雲をしのいで地をくぐり、姿を隠し形を変じて一時ばかり戦いしが、鳥舩の神は腕(かいな)を突かれて左の肩先したたか打ちくじかれて▲大きに驚き、馬引き返して退きたまうを岩裂は追い捨てて、皆相引にぞ退きける。
さる程に、兵尊、鳥舩の神は本陣に立ち帰り、岩裂の通力の体たらく、味方敗軍のおもむきを建御雷(たけみかつち)の命に告げれば、御雷の命は驚いて、
「しからばこれ大敵なり。今またこれを討たんとせば多く味方を失うべし。一度(ひとたび)は天へ昇り帰って、事の由を相聞せん。必ず逸(はや)るべからず」ととどめて戦を引きまとめ、日の若宮へ昇り帰って、天照大神に奏するする様
「岩裂の通力は世の常に非ず。臣□手を尽くして戦いしが兵尊は腕をくじかれ、鳥舩の神は肩を打たれて未だ勝ちを取る事あたわず。もし軍勢を増し下されて、例え彼を滅ぼすとも味方も数多討たれるべし。よりて思うにあの者は元より逆心なし。只その職の卑しきを恥じ憤って古巣へ走り帰りしのみ。もし威如神尊という官号を下されれば仕え奉らんと申すなり。願わくばその罪をなだめたまいて、これらの官位を授けたまえば天地人の幸いならん」と恐る恐る奏し申せば、御側にはべりたるあまのかほの命はこれを聞いて、
「御雷(みかずち)が申す所はその理あり。今、岩裂に威如神尊の官位をたまうは過ぎたるに似たれども、官あっても司なければいわゆる散□散官(さんゐさんかん)の類なり。何か、苦しく候べき。勅きにあれかし」と取りなし申せば、日の神は遂にちしてめんありて、「されば岩裂の罪をなだめて召し昇せよ」と仰せらる。
これにより此の度も雉(きぎす)の命婦を勅使として方便山に遣わさけり。岩裂はやがて対面して雉の命婦を責めて言う様、
「汝は我をたばかって、天上へおびき行きつつ掃守のいと卑しき者にさせた恨みの数々、言わでも心に覚えあるべし。今更何の面目あって再び来つるか。その故聞かん」と居丈高(いたけだか)に罵れども雉は騒がず微笑んで、
「それは了見違いぞかし。およそ大宮に仕え奉る者は無位より初位八位七位と昇進して、正一位にも昇るなり。御身は初めて天上へ参り昇りし事なれば、掃守になされしとて、さのみは恥じることならず。しかれども日の御神はそもじの神力(しんりき)を感じおぼして、望みのごとく威如神尊の官を授けたまわんと、再びわらわを遣わしたまえり。過ちを▲改めてさぁさぁ参りたまえかし」と言葉賢(さかし)くこしらえれば、岩裂はたちまちに恨み解けて、雉の命婦と連れ立って日の若宮へ参りしかば、やがてせうでんを許されて天顔(てんがん)を拝し奉り、威如神尊という官号を勅き(ちょくき)にありて、威如の社(やしろ)を建て下され、みやつこの神を幾人(いくたり)か使われ人に付けさせたまえば、岩裂は深く喜んで、また天上にとどまりつつ、威如の社に静まりいたり。
しかれども官位ありと勤る業の無き身なれば□・・・・・・・□ありきてあまつ神と交われば、ふと玉の命は奏する様、
「威如神尊は官あって勤めなければ遊興に耽(ふけ)る由の聞こえあり。そのまま打ち捨て置きたまえば良からぬ業をしだすべからん。仮に山田守の司になされて、天安田(あまのやすだ)、天平田、天邑田(あまのむらあわせだ)を守らせたまえば事の災いなかるべし」としきりに奏し申せば、日の神はその義に任せたまいて、岩裂の威如神尊を田守の神に成されけり。しかるに天安田には三千年に一度はつかほを結ぶ稲あり。この米(よね)は日の神も常には供御(くご)になされる事なし。只年の十月毎に出雲の大社(おおやしろ)に八百万(やおよろず)の神が天下りて、新嘗(にいなめ)の事を行われ、その米を供御にかしぎて日の神に参らせたまうごうれいとぞ聞こえける。もしこの稲をはむ者は、その命は天地と共にとこしなくに尽きずとかや。しかれども秋穂はむ雀(すずめ)すら恐れてその田に寄り付かず、まして位低き神たちはなむることだに叶わざりけり。頃しも九月末なりければ、素戔男(すさのお)の尊の御舅(おんしゅうと)足名稚(あしなつち)、手名稚の神、その御娘くし稲田姫もろともに天安田を刈り取って、みずから籾(もみ)をひき、米(よね)をしらげうがの御霊(みたま)の命に渡して、大社(おおやしろ)へぞ運ばしたまう。岩裂はこれらの由を□□初めて伝え聞いて、足名稚、手名稚に打ち向かい、
「今年十月の神集めには、わしらも出雲の大社へ呼ばせたまうと仰せやありしか」と問えば頭を振って、「いやいや左様の沙汰はなし」と言うと岩裂は本意(ほい)なくて、
「我、いかにもしてその供御を一口食わばやと思いつつ、心の内に十月のその日を遅しと待ちたりける」
○されば今年も十月のその日も既に近づけば、八百万の神たちはその月の一日(ついたち)より次第次第に出雲の大社へ集まって、その三千年に一度実りし、天安田(あまのやすだ)の刈り稲のしかげたる米をもて、半ばは蒸して麹(こうじ)とし、これを酒にかもさせて日の神の神酒(みき)とし、またその半ばは餅に突かせ、あるいはまた飯(いい)にかしがせて日の神の▲供御になさるしも司の神たちは火を焚き水を汲む者あり、米を蒸して強飯(こわいい)とし麹に寝かす者もあり、臼に入れ突きやわらげてぐさい餅にするもあり、事の混雑は大方ならで上を下へと返しけり。
さる程に岩裂は時分を計って天下り、出雲の大社に近づく時に、図らずも途中にて保食(うけもち)の神に行き合いけり。互いに見知れる仲(どち)なれば、保食の神はいぶかって、「神尊和主は何らの故にここらを徘徊するやらん」と問われて岩裂たちまちに謀り事を得ていれば、ちっとも疑義せず、
「さればとよ。それがしは日の神の御使いを受けたまわって、御身のために来つるなり。日の神のお召しにより、早く日の若宮へ参りたまえ」とまことしやかに誘(いざな)うと、神は元より正直を旨としたまう事なれば、岩裂が偽(いつわ)り言うとは思いもかけず、
「・・・・・・・我はこの年毎に供御(ぐご)の事を執り行えば、わきてこの月のにひまめ命には萬に暇なき身なるを予ては知ろし召されんに、何らの火急の御用あって召し帰されることやらん」と心の内には思えども、否み申す由なければ、岩裂と連れ立ちってかへりのぼうたまう程に、岩裂は遅れた体にもてなし、引き外して取って返して大社へ入る時に姿を変じて、うけもちの神になりたり。
よりて大社を預かりたまう大己貴(おおあなむち)の尊を始め、萬の神たちは岩裂を咎める者はなかりける。さる程に岩裂は厨(くりや)の方に行って見るに、その八束穂(やつかほ)の稲で、只今かもした大神酒(みき)あり。また飯もあり餅もあり。いっぱい飲みたや食いたやと思えども、その辺りには下司の神が数多おればそぞろに手をもかけられず、詮術(せんすべ)ありと脇の下の小羽根を抜いて吹きかければ、その羽根は数多の眠り虫と変じつつ、下司の神たちの頭(つぶり)に止まり身に付けば、たちまち眠りをもよおして我を忘れる高いびき、枕を並べて臥したりける。
その暇に岩裂は酒を飲み、餅を食い、飯さえ□□はつしてやつたる例えの節の盗人上戸(ぬすびとじょうご)、仕合わせ良しと口舐めずりして腹を撫でつつ天上へそのまま帰り昇りけり。▲
されば岩裂は大社の新嘗(にいなめ)に日の神の供御となるべき八束穂の酒をして、やりか餅を喰らい飯を喰らいて酷く酔いたる癖なれば、天上へ昇るに我が社へは入らずして、あやまちて月読の尊の宮へ惑い入りけり。
かかりし程に内殿には月読の尊に仕え奉る兎(うさぎ)どもが声面白く歌いつつ不老薬(おいせぬくすり)を突いており、畢竟(ひっきょう/要するに)、岩裂はこの体を見て、またいかなる事をする。

この合巻は常に変わりて長物語の事なれば、これを初編の終わりとす。第二編、三編はまた年々に継ぎいだして、遂には全部の草紙となさん。まずこの初編を御覧じて、それより二編三編と次第次第に御評判。古い趣向を新しく書き換えたるも方便の大和魂勇ましき、また来る春を待ちたまえかし。目出度し目出度し■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第二編上

2017-02-27 09:17:12 | 金毘羅舩利生纜
白龍(はくりゅう)の魚腹(ぎょふく)たる余諸の網を脱(のが)れること易からず、老狐(ろうこ)のれいたる□先(もせん)が才をはかること難(かた)かり、高明(こうめい)もまた天機を漏らさば、鬼神の憎みを恐れざらんや、その智をさること、その智にあり、汝が智慧(ちけい)を施す事なかれ

賛曰 人をのらば例えの節の穴二つ走る野狐蟠(わだかま)る蛇

書生 村崎志賀蔵(むらさきしがぞう)
三善清行(みよしきよゆき)
水海屋 樽奴川太郎(たるひらいかわたろう)

念々億萬慮(おくまんりょ)すべてこれ莫妄想(まくもうぎょう)
迷うが故に衆生(しゅじょう)なり、悟れば終(つい)に仏とならん、迷悟(めいご)本来我に在り、また何処をか求めんや、また何処をか求めんや

賛曰 渋柿のしぶしぶに世を捨てしかど早尼法師となるぞ目出度き

大見の次官 仲起(なかおき)
清行が妻 玉梓(たまづさ)
新菩提寺のこしょう 細江水之助

大和物語に中興(ちゅうこう)の近江のすけが娘物の怪に患(わずら)いて、浄蔵(じょうぞう)大とくをげんざにし奉るほどに人とかく言いけり、しのびてありへて後しかじかと記し付けたり、或いは浄蔵子どもを産ませて後、我が法力の衰えやしつるとて、その子二人を膝(ひざ)の下しきながら祈りけるに、なお談ありけるなどもいえり、かかる有□(うげん)の名僧にもこれらの説あるはいかにぞや、宜(むべ)なり、元弘(げんこう)釋書(しゃくしょ)には右の異説を収めざりけり、今またたすけてかのちやうの物語をつぐること古□をおもに老婆心、もし浄蔵を世に在らせなば実は道具に使わるるといわまし
賛曰 ながれての余のことぐつにぬれ何もとき洗ひせんの里をちからに

太郎□(子+需)
乙□
雲居寺(うんこじ)の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)
大見仲起が娘 小鮮姫(わかおひめ)

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かくて岩裂の威如神尊は大社(おおやしろ)の新嘗会(にいなめえ)に日の神へ参らせる神酒を飲み、餅飯を喰らって、また天上へ昇る時に思わず月読尊(つきよみのみこと)の宮へ迷い入り、あちこちと見歩くと、ここには数多の兎(うさぎ)どもが不老(おいせぬ)薬を突いており、彼処(かしこ)には天乙女(あまおとめ)が甘露の酒を升で測ってすいせちの壷に、その香りは得も言われず、岩裂はこれを垣間見て腹の内に思う様、
「・・・・・月読がおわします月宮殿(がつきゅうでん)には甘露の酒あり。これを飲む者は老いせず死なずと予てより伝え聞きしはこれなるべし。宝の山に入りながら手を空しくして帰らんや。要(えう)こそあれ」と心でうなずき、例の小羽根を引き吹き掛ければ、不思議や小羽根はたちまちに眠り虫と変じつつ皆その背中に取り付くと、さしも今までべちゃくちゃと朋輩仲(ほうばいなか)のいと良きままに、四方山話(よもやまばなし)に興じた乙女は眠りをもよおし、こくりこくりと漕ぐ船の舵(かじ)にはあらぬ肘枕(ひじまくら)、一人も残らず臥したりける。
「サア、してやった」と岩裂はその壷を引き出して瑠璃の升にて汲み取り汲み取り、いくらともなく飲む程に、その美味き事は今更に例えるものなし。三千年に一度実ると言う天安田の□□をもて作る神酒(みき)に増すとも劣りはせずと舌打ちしつつ早一壷を飲み干したり。その時、岩裂は思う様、
「・・・・・我、出雲の大社にて神酒を飲み餅を食べ、今また此の月宮殿で甘露の酒を飲みたるに、事遂に現れれば日の神は必ず怒らせたまいて、ゑうどき咎めにあわせやせん。うかとしているところでなし。これまでなり」とそのまま走り出て、ひらひらと下界を指して飛び去りけり。
さればまた無量国方便山の夜叉天狗らは数十年の月日は経れども訪れ絶えて帰り来ぬ岩裂を待ちかねて、噂のみして居るほどに、岩裂は神通力にて、またたく間に数万里の雲をしのいで風を起こして方便山へ帰りにければ、天狗どもは喜んで皆諸共に出迎えて、威如天堂の設けの席へかしづき入れて言葉を揃えて、
「神尊、先には日の神へ仕え奉るといでたまいしが、既に六千余年を経たり。天上にはいかばかりの楽しき事が候しぞ」と問われて岩裂は心を得ず、
「我が天上に在りし日は二月(ふたつき)ばかりと思いしが六千余年になりたるか。実(げ)に天上の一日は人間の一年なりとことわざにすら言う事のかえすがえすもしるしあり。我、日の神に仕え奉り、威如神尊の位をたまわり、不足無きには似たれども大社の新嘗にもらされし事の遺恨に耐えず、斯様斯様にたばかって、神酒を飲み、また餅を食べ、その帰り道に月宮殿の甘露の酒を飲みしにより▲後の祟(たた)りの後ろめたさににわかに帰り来つるなり」と告げると皆々微笑んで、
「それは我らの幸いにて、その事なくばいかにして神尊が今日(けふ)しも帰りたまわんや。まず一杯を傾けて疲れを休めたまえかし」と大方ならず慰めて、酒肴を並べ、早杯をすすめれば、岩裂はその酒を飲みも終わらず眉をひそめて、「これは余りに悪酒なり。今少し良き酒あらば銚子を替えよ」と急がすと天狗共は聞きながら、
「神尊、何故に此の酒を悪しと宣うぞや。そは此の年頃、天上にて良き酒ばかり飲みたまいし口がおごれる故ならん。されば隣のぢんはみそこなたになきをいかがわせん」と言われて岩裂はうなずいて、
「実にさる事もあらんかし。遠きが花と世にも言う天上へ飛び行って、甘露の酒をかいさらい、汝らにも飽くまで飲ませて百万年も生き延びさせん。さぁさぁ」と言いかけて、端近く出るとそのまま飛行自在のいつとくはたちまち雲にうち乗って、またたく間に月宮殿のぎかくと門へ飛び行って奥深く忍び入ると、この時あの天乙女らは始めのままで眠りこけ、同じ枕に前後を知らず、岩裂はこれをと見かう見て、「うまいわろじゃ」と舌を吐き、僅かに一壷残る甘露の酒をう□・・・□て、方便山へ飛び帰り、壷を開いて我も飲み、眷属どもにも飲ませれば、天狗共は岩裂の今に始めぬ通力と、またその酒の世の常ならぬを喜び勇んで、寄って酒盛りしたりける。この時、日の若宮では天照大神が出雲の大社より参らせる新嘗を聞こし召さんと、天のうずめらの女官たちに供御(ぐご)の用意をせさせたまうが、かかる所に保食神(うけもちのかみ)が大社より帰り参りて、「お召しにより参内(さんない)せり」と慌(あわ)ただしげに奏したまえば、日の神は驚きいぶかり、「朕(ちん)は保食を呼ばせし事はなし。そは聞き違えたるならん。心得難し」と宣えば、保食もまたいぶかって
「さん候、先の程、岩裂の神尊を御使いにたてられて、にわかに召させたまうにより、萬を差し置き参りたり。聞き違えには候わず」と重ねて奏したまうと日の神はますます驚いて、
「朕は決して岩裂を使いにたてた事はなし。しかるにあの神が偽って大社へ赴きしは良からぬ訳のあるにこそ」と宣う言葉も終わらぬ折から、大社を預かりたまう大穴牟遅(おおあなむち)の尊より下司の神をもて、
「さても今日(こんにち)誰とも知らず供御に用意の神酒、餅、飯を盗み喰らいて候なり、よりてぬらふる神たちを厳しく詮索すれども、その事未だ定かならず、只これ□□(わくら)が過ちにて申わけなしと言えども包み申さん由のなければ、御沙汰を仰ぎ候なり」と恐る恐る訴えたまう。これのみならで月読の尊より天乙女を使いとして、甘露の酒の二壷までも紛失したる事の事情は斯様斯様と奏させたまえば、日の神はしきりに驚いて、
「かれこのひこれと言い、察するところに岩裂の正無事(まさなごと)にぞあらんずらん。さぁ岩裂を呼ぶべし」と御使いを遣わされしが▲しばらくして使いが帰り、
「それがし急ぎ神尊の社へ赴きしが岩裂は彼処におらず、その下司に尋ね問うと神尊は今朝早く何処へか立ち出て帰りたまわずと申すにより、八方へ手分けして行方を尋ね候いしが、その影もなく候」と息付きあえず奏すれば、日の神はいたく怒らせたまいて、
「そは蓄電(ちくでん/とうそう)せしならん。一度ならず二度三度とよからぬ業をしだせしは実にさばへなす悪しき神なり。今はしも許し難し。早く討つ手の神兵を遣わして召し取るべし」とぞ勅定(ちょくじょう)ある。これにより此の度も建御雷命を総大将として天兵命を差し添えて、更に十万の神兵を起こさせて方便山へぞ遣わしたまう。
その頃、岩裂は甘露の酒に酔い臥して威如天堂にありけるに、眷属の天狗どもが慌(あわ)ただしく走り来て、「神尊、眠りを醒まさせたまえ、討つ手の軍兵が向かうたり」と声々に呼び張れども岩裂は騒ぐ気色なく、「そは何ほどの事があらん。只うち捨てて置けかし」と答えて起きも上がらねば、天狗どもは気を揉んで、「いかがせんか」と躊躇(ためら)う時に太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将がおいおいに走り来て
「神尊、何故に起きたまわぬぞ。大手門の方は御雷を大将にして五六万騎が押し寄せたり。また搦(から)め手門には鳥船と兵の神を大将に四五万騎もあるべきか、これも間近く寄せ来たれり。さぁさぁ起きさせたまわずや」と皆々しきりに揺り起こせば、岩裂はむっくと頭をもたげ、
「あながまや、さもこそあらめ、汝ら四人は白狼王と巴蛇、錦馬、子路王の魔王らと諸共に搦め手門の討つ手を防げ、我は大手門を押し開いて御雷を打ち散らさん。急げ急げ」と勇気の広言、鎧をさっくと投げ掛けて八万四千の眷属を二手に分かちて下知を伝えて大手の門を押し開かせ、金砕棒を打ち振り打ち振り、込み入らんとする敵を四角八方へ打ち散らせば、さすがに勇む神たちも進みかねてぞ見えたりける。▲かかる折にも搦め手門には太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将、またその四人の魔王と共に数多の天狗を前後に備え、面も振らず突いてかかれば、鳥船、兵の二柱の神たちは得たりやおうとひらき合わせて、「かかれ。かかれ」と下知したまえば、その手の神たちはちっとも疑義せず、追いつ返しつ戦いたまう。音に聞こえし神兵(かみいくさ)、石の矢尻(やじり)の飛び違う音もすさまじき憤激吶戦(ふんげきとつせん)、しばし勝負は分かざりけり。
かかる所に日の神の御使いとして手力雄命(たちからをのみこと)、彦五十瀬命(ひこいせのみこと)が手勢を引き連れ、戦の勝負を見んために方便山の搦め手門へ天下りたまうに、思うに違わぬ戦の最中、何かはちっともゆよすべき、岩裂勢の後ろより鬨(とき)をどっとつくかせて、突き伏せ、突き伏せ攻めたてれば、岩裂方は思いがけなく後陣の方より斬り崩されて防ぐべうもあらざれば、只蜘蛛の子を散らすごとくに威如天堂へ逃げ籠もる。されば鳥船、兵の二神はその機にかなう戦の駆け引き、思いがけなき助けに勇んで、そのづをぬかず追い討ちたまえば引き遅れた四人の魔王の白狼、錦馬、巴蛇、子路らは枕を並べて討たれたり。
既にして天狗どもは一人も残らず逃げ失せければ、鳥船、兵の両大将は手力雄命、彦五十瀬命と共に談合して、この手の戦に勝つといえどもあの岩裂は大手門にあり。彼処(かしこ)の勝負は心許(こころもと)なし。いざや戦を一つにして岩裂を討ち取らんと只その所を打ち捨てて、大手門へ押し寄せれば、果たして戦のただ中で、只一人の岩裂に数多の神たちはかけ破られて、既に危うく見えしかば鳥船、兵、手力雄、彦五十瀬の神は諸共に名乗り掛け名乗り掛け、岩裂の前後より隙間もなく攻めつけたまうと、岩裂は騒ぐ気色もなく▲一万三千五百斤の金砕棒を水車の如くに振って四人の神を左右に受け止め、ひるまず去らず戦う程に、ややもすれば四人の神たちも受け太刀になりたまう。建御雷命はこれを見て、采配うち振り諸軍を進めてしきりにかけたてたまいしかば岩裂の手の天狗どもは先陣遂に崩されて、主を捨ててぞ逃げ迷う。岩裂も心猛しといえども逃げる味方に引きたてられて、かつ戦い、かつ退き、威如天堂へ閉じこもり金戸(かなど)を固く差させけり。
その時、搦め手門の負け戦に逃げ籠もる四人の眷属太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の天狗どもは忙わしく出迎えて、さめざめと泣きつつ、またからからと笑えば岩裂はこれをいぶかって、まずその故を尋ねれば、四人の天狗は、
「さればとよ、初め我らが泣きしは、さしも腹心と頼まれし四人の魔王が討たれしを深くも痛み嘆きしなり。されども神尊はつつがなく立ち帰らせたまえば、喜ばしさに思わずもひとしく笑いをもよおせり」と言うと神尊はうなずいて、
「汝ら、心を安くせよ。あの魔王らは討たれしとても蛇なり、鹿なり、狼なり。元より我が種類に非ず。今日は全く勝ち得ずとても我が眷属は一人も討たれず。しからば何をか嘆くべき。あの似非神どもが懲りず間に重ねて押し寄せ来る事あれば、皆殺しにして腹をいん。休め休め」と鷹揚に騒ぐ気色は無かりけり。
さる程に建御雷神たちは本陣に立ち帰り、日の神の勅(みことのり)を謹んで承り、再び軍議をこらしつつ、御雷の神は頭を傾け、
「今日の戦で岩裂の四人の魔王を討ち取って、勝利あるに似たれども、彼の真の眷属を只一人だも討ち止めず。いわんや岩裂の神通勇力(しんつうゆうりき)には容易(たやす)く勝ちを取り難し。いつも互角の戦して徒(いたずら)に日を送れば曲者に侮(あなど)られん。所詮助けの大将を申し下して力を合わせ、短兵急に捕りひしがねば、いたずらに後悔するのみ甲斐なからん」とこれらの由を相聞(そうもん)あれば、こよなき幸いなるべしと思い入りて述べたまえば、彦五十瀬、手力雄の二神は、
「この義は真にしかるべし。我々は帰り上って相聞をとどけるべきに、そなたからも一人の使いを差し添えたまえ」と急がして早立ち去らんとしたまうに、御雷の神は喜んで二人の御使いに鳥船の尊を差し添えて、日の若宮へ参らせたまう。これにより日の神は御雷の神の願いの趣(おもむき)、その義は如何にと勅問あるに、天のやこねの命、太玉(ふとだま)の命が承り、ひとしく奏したまう様、
「今また助けの大将を下界へ下したまわんには、日本武尊(やまとたけるのみこと)にます者なし。あの神が知勇に優れし由は世もって知れる所なり」としきりに聞こえ上げれば、日の神はこの義に従い、その尊を大将として重ねて神兵をおこさせたまい、更にまた手力雄と彦五十瀬の神を差し添えて方便山へ差し向けたまう。
出陣またたく間なれば鳥船の神は先立って本陣に立ち帰り、事の事情を斯様斯様と父の尊に告げたまうと、御雷の神は喜んでしばらく戦を止めつつ助けの勢を待ちたまう。
かかりし程に日本武尊は彦五十瀬、手力雄と共に方便山のほとりの本陣に天下り、建御雷の神たちと神議(はか)りに計りつつ、戦の評定したまう様
「あの岩裂は熊襲(くまをそ)にも建部(たける)にもます大敵なり。されども知謀を巡らせれば生け捕らんことは難くもあらじ。明日の戦いには我が岩裂と戦うべし。鳥船、兵の二神は五万騎を従えて、彼の眷属を討ち取りたまえ。岩裂は通力ありと言えども▲味方が敗北するのを見れば心慌てて逃げ走らん。その時、彦五十瀬、多力雄の二神は五万騎を従えて、その逃げ道を切り塞ぎ、彼を城へ帰したまいそ。御雷の神はおんとしやくに此の所にとどまって本陣を守りたまえ。その余の手分けは斯様斯様」と軍議は既に定まりぬ。
さて、その明けの朝、日本武尊は新手(あらで)を従え、方便山へ押し寄せたまえば、岩裂もまた八万四千の眷属を従えて、真っ先に馬を乗りすえ、来たる者は誰ぞと問う時、尊も馬乗り出して、
「知らずや、我は日本(やまと)だけしう□の□神なり。天地(あめつち)開けそめしより、帝(みかど)に背きまつりし者、誰かは滅び失せざるべき。汝はしばしば天意を犯し、いかでか逃れる道あらんや。前非を悔いて降参せば、命ばかりは助けんず」と声高らかに呼び張りたまえば、岩裂は怒りに耐えずして、「ほざいたり。その顎(おとがい)を叩きくじかん。覚悟をせよ」と罵りながら金砕棒(かなさいぼう)をひらめかしつつ打たんと進むを尊はすかさず叢雲(むらくも)の御剣をもって戦いたまう。互いに得たる道なれば、受けつ流しつ、劣らず増さず、三百余打ちに及べども勝負も分かず見えしかば、岩裂の眷属どもは等しく呆れて目も離さずに眺めをる油断を見すまし、思いがけなき後ろより多力雄の神、彦五十瀬の尊の伏せ勢が一度にどっと起こって無二無三に討ってかかれば、天狗共は驚き騒いで更に戦う擬勢もなく、方便山へと逃げ籠もれば、岩裂はこれに心慌てて隙を見合わせ引き外し、山路を指して退く折に鳥船、兵の二神は数多の神たち引き連れて、遮(さえぎ)りとどめて声々に
「岩裂、逃げるとも道はなし。降参せよ」と呼び張りたまえば、岩裂はいよいよ驚いて虚空遙かに飛び昇るのを日本武尊は引き続き、また空中にて戦いたまう。
しかれども岩裂は身を逃れんと思うのみにて、更に戦う心なければ、身をひるがえして天下り、小鳥と変じて草むらに隠れんとする所を日本武尊はご覧じて白き鷹と変じつつまっしぐらに落とし来て、かいつかまんと追っかけたまえば、岩裂は驚き身を逃れ、その山の麓の山の神の祠(ほこら)に変じて息をこらしてをる時に、尊はすかさず追っかけたまうが、早岩裂は逃げ失せて山の神の祠のみあり。ここらにあるべき物ならぬに▲これは岩裂が化けたるならんと早くも悟って手鉾を持って走り近づき扉に打たれる金物を突き破らんとしたまえば、岩裂はますます驚き騒いで扉に打たれた金物と見せしは眼(まなこ)なるものを突き破られてはかなわじと、再びそこをも逃げ去って道のほとりの池に飛び入り、小鮒と変じている間もあらせず、尊はひたすら追っ掛けたまうに早岩裂が見えざれば、そこかここかと尋ねたまうと池の内に小鮒あり。その鮒の色は常に変わって緋鯉(ひごい)のごとく朱(あか)ければ、これもまた岩裂の化け損ないに疑いなし。詮術ありと立ち寄って、水に向かって御息をふっと吹きかければ、その息たちまち大きな川獺(かわうそ)と変じつつ、くだんの小鮒を飲まんとす。岩裂はあなやと身を逃れて、また空中へ逃げ昇れば、尊も続いて追っ掛けたまうが早岩裂は見えざりけり。
されども尊は予てより八方遠見の神たちに天眼鏡を照らさせて、あちこちに置きたまいしかば、またその所に立ち寄って、各々(おのおの)は岩裂の行方を見留めざりけるかと一人一人に尋ねたまうが見留めし者がなかりしかば、尊はしきりにいらだって、なほしも残る隈(くま)もなく尋ね歩かせたまいけり[物語二つに分かる]
ここにまた、天の中国(なかつくに)におわします八百万(やおよろず)の神たちの御中(おんなか)に仏の道にも疎(うと)からぬを両部神道(りょうぶしんとう)と唱え申して両部の宮におわしますその神たちは三十番神、五番の若神、日吉の七社、熊野権現、富士白山その数も多かる中にわきて八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は両部の宮の主として仏法帰依の御神なれば南海のきやうしゆ観世音と御交わりも浅からず、これにより観世音はある日両部の宮へ来まして八幡宮と衆生済度の御物語りをしたまいけり。なお詳しくは次に見えたり。
そもそも八幡宮と申し奉るは応神天皇(おうじんてんのう)の神号なり。この帝は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の御子にして日本武尊には御孫にてぞおわします。しかるに御祖父日本武尊が岩裂退治の大将に選ばれて重ねて方便山へ向かいたまいしかば安否はいかにと思(おぼ)し召す八幡宮の御心おだやかならぬ折からに、補陀落山(ふだらくさん)の観世音が両部宮へ影向(えうごう)あれば、八幡宮は岩裂の事の事情、再度の討つ手を遣わされたる始め終わりを御物語りましまして、この事はいかがあるべきと思い入りてぞ問いたまうに観音はつくづくと聞きたまいて、
「あの尊の武略においては大功疑いなしと言えども神は正直を旨として、仮にも偽りの謀(はかりごと)を好みたまわず。これによりてその戦のはかどらぬこともあるべし。それがしがあの地へ赴いて戦難儀に及ぶと見ればいつひの力を尽くさん事、元より願う所なり。この義はいかが」とまめやかに問い返されて、八幡宮は御喜び大方ならず
「大士、あの地へ赴きたまえば朕が心は初めて安し。よきに図らせたまえかし」とねんごろに頼ませたまえば、観音は重ねて一義に及ばず、御供にはべる恵岸童子(えいがんどうじ)を引き連れて雲に乗りつつまたたく暇に無量国へぞ赴きたまう。
これはさておき岩裂はようやく身を逃れ、威如天堂へ帰らんと思えども方便山には数万の神たちが隙間もなく陣取って、行くべき方は風も通さず、空へ昇って隣国へ逃げ行かんと欲すれば、遠見の神たちが空中に天眼鏡で護りおれば、如何にとも詮方なく、しばしよそ目を忍ばんために日本武尊に変じてその本陣へ赴くと、この陣所を護る神たちはいかでか見知るべき、只これ尊が帰りたまうと思いにければ、出迎えて設けの床机(しょうぎ)にいざない参らせ、建雷の神にさえ▲しかじかと告げ申せば、建雷の神もまた忙わしく立ち出て、戦の様子を尋ねつついとねんごろにもてなしたまう。
かかる折から日本武尊は岩裂を見失い、心ならずも手勢を引き連れ本陣指して帰りたまえば、門守(かどもり)の神がそれを見て、「こはそもいかに。またひとり日本武尊が来ましたり。それかあらぬか」とばかりに呆れ迷って立ち騒ぐのを尊は心得ずとそのことの事情を尋ね問いつつうなずき、
「神たち、必ず騒ぐべからず。先に来たのは岩裂ならん。奴(しやつ)が我が身に変ぜしのみ。捕り逃がすな、討ちとめよ」と言いかけて、早ずかずかと進んで奥へ入りたまえば、岩裂はこれを見返って驚きながら減らず口、さては真の尊めが立ち帰ってはここにもいられず、お暇(いとま)申すと足早に逃げんとするのを数多の神たちが逃がさじ行かじと取り巻いた後ろの方には日本武尊、御雷の神が諸共に弓矢を取り上げよっ引き固めて射て倒さんとしたまえども、鏃(やじり)は砕けてかの身に足らず、されば数多の神たちも支えかねた折しもあれ、方便山より退き来た鳥船、兵、多力雄、五十瀬の神たちはこの体(てい)を見てちっとも疑義せず、とうまの如く取り込めて絡め捕らんとしたまえども岩裂は物とも思わず、多勢を相手に早速(さそく)の働き、ここに現れ彼処に隠れて千変万化と□を砕く古今無双(ここんぶそう)の神通力に勝ちを取ること難ければ、捕り逃がさじと神たちは思わず時を移しけり。
かかる所に観世音は紫の雲にうち乗って本陣近く影向(えうごう)あり、遙かにこれを見そなわして、恵岸ゆみやに持たした楊柳水(ようりゅうすい)の壷を取り、しきりに水を振りかけたまえば、さすがに猛き岩裂も道のぬかりに足元乱れて滑ってはたと転びにければ、得たりやおうと手力雄、鳥船、兵、彦五十瀬の神四人はひとしく折り重なって手取り足取りようやく押さえて縄を掛けけり。
しかれども身を変じて逃れることもやと、琵琶骨(びわこつ)という骨をしたたかに捕り縛り、仕合わせよしと神たちは勝鬨(かちどき)上げて皆諸共に岩裂を引きつつ日の若宮へ凱陣(がいじん)し、勝ち戦の事の趣、観音大士の楊柳水が味方の助けとなりたる事まで斯様斯様と奏したまえば、日の神の御感は浅からず、
「しかればこれ岩裂は西の聖の助けにより容易く絡め捕られしものなり。かかる因(ちな)みのあるなれば両部の宮へ引き立てて、ともかくも計らわせよ」と掟(おきて)させたまいしかば、御雷、日本武(やまとたける)の両尊は勅命に従い岩裂をは絡めたままにて両部の宮へ渡したまいぬ。
これにより両部の主の八幡宮は三十番神の神たちと計りたまうに、岩裂の罪は莫大なり▲さぁさぁ頭(こうべ)をはねるべしとおのおの定め申すにぞ、さらば頭をはねよとその神どもを急がせたまうが、司の神が申す様、
「岩裂の五体へはいかなる剣もたち候わず、しひて斬らんとする時は刃砕けて詮方なし。また大石をおし掛けて押し潰さんといたせども、その石砕けて岩崎の身には少しもつつがなし。かかればいかがつかまつらん」と大息ついて奏し申せば、八幡宮も呆れて、また神議りに計りたまうが、武内宿禰(たけのうちのすくね)かうらの□神が進み出て申す様、
「そもそも両部宮(りょうぶきゅう)には開闢(かいびょう)の昔より用いられたる湯立(ゆだて)の釜あり。その竈火(かまどび)は二六時中しばらく消えることなく、湯もまた増減あることなし。かかる不思議な熱湯なればあの岩裂をその釜へ押し入れて湯で殺し候わば、いかなる神通ありとても煮えただれんこと疑いなし」としきりに進め申せしかば、遂にその義に任されけり。
これにより下司の神たちは岩裂に八重縄掛けて湯立ての釜に押し入れつつ蓋の上には千引(ちび)きなす大盤石を押しとして、薪(たきぎ)をすえ、湯をたぎらせ、昼夜暇なく煮たりける。
既に日数は七十五日に及びしかば、武内の神は思案して八幡宮に申す様、
「岩裂を釜茹でにして七十五日になりて候。今では煮えただれて、どろどろになりつらめ。蓋を取らせて釜の内を見候ばや」と申すに、八幡は実にもうなずいて、「しか計らえ」と仰せけり。さる程に武内は下司に下知しつつ釜の蓋を取りのけて、あらため見よとぞ急がせける。さればまた岩裂は二月余りも煮られし故に戒めの縄は煮え切れたれども、その身はちっともつつがなく精神健やかなるものから、ただその釜の奇特によって蓋押しのけて出て行き難かりに、今下司が立ち寄ってそろりと蓋を取るより早く釜の内より躍(おど)り出て、耳に挟んだ金砕棒を引き伸ばし打ち振りて、荒れに荒れたる有様に、下司の神は驚き騒いで得物得物と引き下げ引き下げ、逃がしはせじと取り巻くも岩裂は物ともせずに当たるに任せて打ちかえせば、数多の神たちはどよめくのみで支えかねたる折しもあれ、日本武尊の御使いとして八幡宮へ参りたる火灯しの童(わらわ)はこれを見て、「岩裂、天意を恐れずや。無礼なせそ」と呼びとどめ、しばし支えて戦う程に、武内の神もまた鉾を持って立ち向かい、力を合わせて挑みけり。
この時までも観世音は西天(さいてん)へ帰りたまわず両部の宮におわせしかば、岩裂の体たらくを伝え聞きつつ驚いて八幡宮に言う様、
「真に、かかる曲者は法をもって征すべし。力をもって勝ち難し、奇妙の者を速やかに降伏せんと思し召さば、それがしが西天へ赴いて釈迦如来を迎え来つべし。御心安くおわしませ」と言いも終わらず、紫の雲にうち乗って、瞬(またたく)く間に西を指してぞ飛び去りたまう。▲
この時、仏祖釈迦牟尼如来は霊山(りょうぜん)の沙羅双樹(さらそうじゅ)の元に趺坐(ふざ)して法を説いておわせしに、観音大士が参りたまいて、あの岩裂が体たらくかつまた如来の智力(ちりき)をもて降伏させたまわん事を乞い願いたまえば、釈尊はしばしばうなずきたまいて、
「良きかな良きかな。八幡宮は仏法帰依(ぶっぽうきえ)の神にして、本地大日におわします。いわんやまた苦をぬいて楽しみを与え、迷いをさまえて陥(おちい)る者を救わんとは元より仏の請願なるに、いかでかは行かざらんや。さらば急げ」と仰せもあへず第一の御身なる阿難如来(あなんにょらい)を従えて、観世音を先に立て、両部の宮へぞ影向(えうごう)ある。
さればまた、武内かうらの神、火灯しの童らは下司の神で岩裂を取り巻かせ、八幡宮のとりいさきにておめき叫んで挑み争うまっただ中へ釈尊は早くも影向ましまして、まず神たちを退かせ、一人自ら進み寄り、「やおれ岩裂、ものにや狂う。我はこれ釈迦牟尼仏なり。無礼なせそ」と制したまえば、岩裂はそれ見てあざ笑い、
「汝は世にも無き事を作りて□俗をなかする痴れ者(しれもの)なるか。我が通力は神も及ばず、まして仏を恐れんや。汝がただ今取り持って、我をこの両部天の主となさば許すべし。さなくば決して許し難し」と声すさまじく罵ったり。釈尊は聞いて微笑みたまい
「良きかな良きかな。汝の神通、我が妙法に勝つとあらばならず望みに任すべし。例えば今、汝を我が手の平へ乗せんに汝は容易(たやす)く逃れいでんや。いかにいかに」と問いたまうを岩裂はせせら笑って、
「それははなはだ易き事なり。さはとて持った金砕棒を針の如くに押し縮め、耳の内に差し挟み、その身も一寸余りになって、釈尊の御手の底へひらりと乗ると釈尊はそのまましかと握りたまう。その時に岩裂は通力で釈尊の指の股より逃れ出て、走り行くこと五六余里、その地に一座の高山あって、その峯は五つに分かれたり。岩裂はやがて走り登り、中なる巌にうち向かい小羽根を抜いて筆となし、つを吐いて墨となし、岩裂迦毘羅(かびら)大神尊、それの月それの日にこの所に来たりて遊ぶなりと墨黒(すみぐろ)に書き付けて、身をひるがえして釈尊の御手の平へ立ち帰り、内より高く声をかけ、
「釈迦坊、釈迦坊、我は既に指の股より漏れ出て、五六に里の外に遊べり、その所の山の岩にしかじかと書き付けて、確かな証拠を残したり、約束のごとく我を両部の主にせよかし」と言わせもあえず釈尊はからからと笑わせたまい、
「さても嗚呼(おこ)なる痴れ者かな。汝が何処(いずこ)へか漏れ出られんや。眼を定めてよく見よ」と言われても岩裂は心を得ず、辺りをつらつら見返ると五つの峯と思いしはこれ釈尊の御指にて、その中指へしかじかと我が書き付けし筆の跡はまがうべくもあらざれば、さすがの岩裂も呆れ果て、これはとばかり呆然たり。
さもこそあらめと釈尊は御手を開いて岩裂を二つ三つ四つ手玉に取って、ただ一弾きに弾きたまえば、不思議なるかな岩裂は幾万里をか落ち下り、唐天竺(からてんじく)の境の両界山(りょうかいざん)という山のほとりへどうと落ちたりける。その時にまた釈尊は大法力を施して大盤石を岩裂の背中(そびら)の方へ投げかけて▲右の人差し指でヲムマニハニウンと書かせたまうとその文字たちまち石に入って彫れるがごとく鮮やかなり。
かくてまた釈尊はその国の山の神と金剛神を呼び寄せて、
「汝たち今より油断なく岩裂を守るべし。後に名僧あってこの神は世界に出現せん。夢々怠るべからず」とねんごろに掟(おきて)たまえば、山の神、金剛神は昼夜も巌の左右を離れず、もし飢えたりと見る時は岩裂に一尺(いっしゃく)の金生水(きんじょうすい)を飲ませつつ、厳しく守っていたりけり。
既にして釈尊は岩裂を静めたまい、八幡宮に別れを告げて帰り去らんとしたまいしを八幡宮は押しとどめ、三十番神、熊野権現、富士白山の神たち諸共に喜びを述べて様々な布施物を参らせたまえば、釈尊は再び坐に立ち返り、両部の神たちに告げたまう様、
「あの岩裂の始めは火の神迦具土(かぐつち)の血潮なりしを伊耶那岐(いざなぎ)の尊が嫌わせたまいて遙かに投げ捨てたまいしに、そのこれる血潮は二つになって、一つは讃岐の国に落ちとどまり、一つは方便山にとどまりぬ。しかるに方便山にとどまりしは悪血で悪しき血なる故に岩裂の神と現れて良からぬ業を事とせり。また讃岐の国へとどまりしはその精血(せいけつ)にて良き血なれば金毘羅大王と現れて、仏法守護の誓いを起こし、年ごろ我らに仕えるなり。さればまた薬師十二神の内にも入りて宮毘羅大将と唱えられ、第十二なる亥童子(いどうじ)これなり。されば岩裂、宮毘羅、金毘羅と三つの名ありて、一つの神なり。また一つの神にして善悪二つの神となれり。かくて今その悪しき者は石より生じて石に入り、その悪は遂に滅び失せて、皆良き神となる時は必ず国土に利益あり。夢々相違あるべからず」と説き示したまうに両部の神たちはかしこみたまいて、「金比羅が国土に出現あらば喜びこれにます事なし。ただその時節を待たんのみ」と等しく答えたまえしかば釈尊は座を立ち、阿難如来を伴いつつ早西天へ帰りたまえば、観世音も続いて恵岸童子と諸共に趺陀落山へ帰りたまいぬ。
かくてまた釈尊は霊鷲山(りょうじゅせん)におわしまして法を説き衆生を救い数多の年月を送りたまう。ある日、観世音に宣う様、
「昔、我が両部天に赴いて岩裂の神を鎮めしより既に数百の春秋を経たり。我が法は大千世界に伝えて、至らぬ所はなけれども南瞻部州(なんせんぶしゅう)日本国には未だ金毘羅金天童子経が伝わらず、この他あの神の利益を説いた阿含(あごん)宝積(ほうしゃく)の経文も先に唐土で翻訳せしはすこしづつの過ちあり。よりて我は唐文字でこれを補い正したる経文ここにあり。金毘羅王と諸共に我この経を日本へ渡さんと思いしかども未だその人を得ざりしに、あの土に名僧誕生(たんぜう)せり、太士、あの国へ赴いて、その法師を導きつつ金毘羅の行者とせば、これより利益いやちこならん。先には役の行者小角が初めて讃岐の象頭山を開き、その後、弘法大師空海もまたあの山に登るといえども衆生に利益薄かりしは金毘羅一体分身で、その一つは我に仕えまた一つは岩裂の神にして無量国にありしに分かり。
しかるに今わがさす法師この経文を信心して金毘羅王の神徳を世に知らせんとするに至れば▲悪魔の障げ(しょうげ)多かるべし。その時に助けとなるものは両界山に鎮め置いた岩裂にますものなし。大土、あの坐に赴いて斯様斯様に計らいたまえ。またこの金襴(きんらん)の袈裟(けさ)と鉢(はち)は年頃我が身に触れし物なり。これをあの名僧に与うべし。
しかれども時なお早し、今より三十余年を経て、その願は成就すべきなり。その余の事は斯様斯様」と詳しく示したまいけり。この時、大大和(やまと)人王六十代の帝、宇多天皇の御宇にあたって文章博士(もんじょうはかせ)三好清行(みよしきよつら)と言う止ん事無き儒者のありけり。易学、天文の上までもその妙を得し学者なれば、帝の御おぼえ浅からず萬に不足なき身なれども、歳三十に余るまで未だ子供がなけれかば、これのみ心にかかりけり。
かくてまた清行は妻の玉梓(たまずさ)諸共に、ある日端近く立ち出て庭を眺めていた時、忽然(こつぜん)として白い鶴に乗った仙人が目の前に降り下り、清行夫婦に向かって、
「我は役の小角なり。仏法が渡り始めた頃より葛城山に山籠もりして、数百年を経て後に文武(もんむ)天皇の御時に人間に身を現し、その後また淳仁(じゅんにん)天皇の御時には弘法大師と再誕(さいたん)して、その法力を現したる。国土に利益多しと言えども本願なおも飽きたらず今より御事(おこと)の子となって大名僧の名をあげん。我は金蝉菩薩(きんせんぼさつ)の再来。弘法もまた我なり。かかれば御事がもうける子は金蝉菩薩にして小角なり。小角にして弘法なり、弘法にしてその身なり。その徳おして□・・・・・・□▲

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第二編下

2017-02-27 09:14:33 | 金毘羅舩利生纜
されば三好清行はかかる不思議を見せられても、万巻の書を胸に修めて物に動じぬ儒者なれば、ちっとも騒がず膝立て直し、
「化けたな、野狐め。我が子を欲しく思う心を知ってたぶらかすとも、うかうかとして誘(いざな)われんや。世に申し子の再来のと事ごとく言いふらすのは愚俗(ぐぞく)をあざむく似非法師(えせほうし)の似非方便なり。女子(おなご)童(わらべ)は信じるとも、いかでか我らを化かしえん。そこな退(の)きそ」と罵りながら走りかかって丁と斬る、役行者(えんのぎょうじゃ)は消え失せて、鶴のみはっと舞い上がり、行方も知れずなりにけり。
討ち漏らしたか悔しやと清行が辺りを見ると、今まで鶴がいたほとりにいと大きな卵あり。こはあの狐が落とした白狐の玉と言うものかとよくよく見ると、さわあらで大鳥の卵なり。これも狐が化けたるならん、その手にゃ乗らぬと庭下駄を履いたままにてはたと蹴ると、卵は少しも破れずして、足は痺(しび)れ五体すくんで尻いにだうと転べば、さすがの清行にも疑念起って、卵はそのまま下部らにすざか野へ捨てさせけり。
しかれども清行は今更心にかかれば明けの朝の未だきよりすざか野に行って見ると卵はなおもつつがなく、地を走る獣も踏まず、空飛ぶ鳥は翼に被って代わる代わるに温めければ、清行は奇異の思いを起こして、昔唐土(もろこし)の湯王(とうおう)の遠祖は玄鳥(げんちょう)の卵より生まれ出たと物に見えたり。しかれば今この怪しき卵もその類にやあらんと思い、自ら懐に抱きつつ宿所に帰ってしかじかと妻の玉梓に告げれば、玉梓は深く喜び、「こは何にもあれ、仏菩薩の授けたまいし物なれば」と南向きの一間の内に布団を重ねて卵を据え置き、夜は臥所(ふしど)に抱き代えて温めなどする程に、それよりおよそ▲十月に及んで自ずから卵は割れて一人の男の子(おのこ)生まれ出て、産声高く上げれば、清行夫婦はこもそもいかにと或いは驚き或いは喜び、公(おおやけ)へは清行の妻が産んだ由に申して浄若(きよわか)と名付けつつ乳母(めのと)をかかえて乳を飲ませ、塵(ちり)さえすえず育てけり。
かくて早、浄若が二三才になりし頃、ある日、母の玉梓はその子を乳母に抱かせつつ若党、下部を引き連れて東寺へ参詣する折に、本堂の此方(こなた)に年老いた旅僧が行き違いつつつくづくと浄若を見返って、「あら尊(とうと)や。弘法大師がおわしにけり」と言いながら数珠を取り出し立ちどまり、拝んでやがて行き過ぎけり。玉梓も乳母らも気違いならんと思えば、足早に御堂へ参って大師を拝み奉ると、弘法大師の木像と浄若の顔が違わぬまでに似たりければ、玉梓は今さらに再び驚き、
「・・・・・・・さてはあの旅僧がしかじかと言いつるは、気違いにあらざりけり。先にこの子が生まれる頃の役行者の示現(じげん)の趣を思い出し、いと尊しかれば今日の旅僧も役行者にあらざりせば弘法大師に疑いなし」と心の内に思うのみ。乳母らはさる心もつかねば玉梓もそれとは言わずに只丹精(たんせい)を凝らしつつしばし念じてさりげなくその夕暮れに宿所に帰って密かに夫清行に東寺でありし事の趣は斯様斯様と告げしかども清行は微笑んで、
「物はその身の思いなしにて、不思議と思えば不思議もあり、似たりと見れば似たるもあり、浮いた事を人に知られて我を笑わせたまいそ」としのびやかに戒めて信じる気色はなかりけり。
かくて早、浄若は歳四つばかりになりし頃、また教えしにあらねども千字文(せんじもん)をもて遊び、一字も漏らさずよく読みければ、清行は深く愛で喜んで、それより日毎に手習いさせて、自ら読書を教えると一を聞いて十を知るその才智は年長(とした)けた書生も及ばぬばかりなれば、見る人聞く人驚き感じて▲神童(かんわらわ)とぞ称しける。
さればまた浄若が六つ七つになりし時、四書五経は空でも読んで唐大和の歴史まで大方ならず諳(そら)んじれども、さのみは儒書を読むも要なし、仏書を読まんと思うのみ。父は名だたる儒者なれば仏の文を読む事は喜ばず、この事をのみ嘆いて密かに乳母に囁く様、
「我が身は出家を願うなり。しかれども目に見えぬ冥土の事を旨として衆生を済度する事はいと覚束(おぼつか)なき業なれば、我は只人のために師となるべきなり。さればよく修行してその法を伝えれば災いを翻(ひるがえ)して幸いとし、死するとするをも生かすべし。死んだ人のためよりも生きた人の苦を救えば、その功徳は莫大ならずや。そなたは密かに我のために斯様斯様の経文を買い求めて得させよ」と思い入りてぞ語らいける。乳母は驚きかつ感じて、
「只その望みに任せま欲しく思えども、親が許さぬ事を我がわたくしには計らい難し。しばらく時を待ちたまえ」と、さうなく請けも引かざりければ、浄若(きよわか)はそれよりして乳母にも語らず一人心を苦しめて、もし使う奴婢(ぬひ)などが病み患う折など或いは物の失せた時は密かにこれを祈る時、患う者はたちどころに病が癒えずと言うことなく、失せたる物が幾程もなく自ずからに出て来れば乳母らいよいよ驚き感じて、先に言われた事をさえ斯様斯様と落ちなく玉梓に囁くと、玉梓もまた驚き感じて、清行にこれを告げると清行はなお疑って、
「いかでかはさる事あらん。我が自ら試してみん。浄若を呼びたまえ」とほとり近く招き寄
せて、
「御事は日頃、何事でも祈れば印ありと聞けり。もしその事に相違なくば今宵のうちに庭の梅を咲かせて見せよ。いかにぞや」と言われて浄若はちっとも否まず、「仰せは真に逃れ難し。心許なき技なれども祈りてこそ」と答えつつ、やがて一間に閉じこもり、その夜もすがら祈りけり。
頃は十月の初めにして庭の古梅の枝に少し蕾は恵めども、なお二ヶ月も過ぎざれば開くべくもあらざりしが夜明けてみればこは如何に、一夜のうちに花が咲き匂いは遠く聞こえるまでに、春にもまして麗しき。事の奇特(きどく)を今さらに不思議というも愚かなれば、玉梓、乳母はいえば更なり清行も我が子ながら浄若はあなどり難しと思いけり。
さればこの事は隠れなくあちこちへ聞こえれば、折に触れて浄若を▲大内に召されしが、浄若は只これらの奇特のみにあらずして、糸竹の技をよくすれば、帝を始め奉り雲の上人とりはやして感嘆せぬはなかりけり。
しかれども浄若はこの事を嬉しいとは思わず、出家の願いしきりなれば、歳十ばかりになりし頃、父にも母に急に身の暇を乞いけれども清行はこれを許さず、御身は儒者の子と生まれて、いかでか仏の道へ入るべき。ひとえに家業を受け継いで帝に仕え奉れば、我が国の孔子と言われん。出家の事は思いもよらずと固くとどめて聞かざれば、浄若は今は是非に及ばず心一つに思い定めて、人無き折をうかがって自ら髻(たぶさ)を切り捨てて「いでて行かば 庭の松風ふたつなき みのりの道に入ると答えよ」と一首を障子に書き残し、その夕暮れに忍び出て比叡の山によじ登り、玄照法師(げんしょうほうし)を師と頼み、遂に剃髪受戒して法名を浄蔵(じょうぞう)と呼ばれたり。
かくてまた浄蔵は大慧法師★(だいけいほうし)に従って、密教の旨、悉壜(しったん)の奥義までその源を極めれば梵字に詳しい事は更なり、よく天竺の言葉に通じて天台、真言の両宗に秀(ひいで)でたり。
さる程に、清行夫婦はその夜、浄若が書き残した句を見て驚き嘆いて、八方へ手分けして残る方なく尋ねさせると比叡山に忍び行って姿を変えた事の趣がようやく聞こえれば、今は力も及ばずと遂に出家を許しつつ、折々衣服を使わすと浄蔵もまた手紙(せうそこ)して親の心を慰めけり。
さる程に浄蔵法師は比叡の山に在りしこと既に十年ばかりにして□□を行脚せんために、遂に比叡山を立ちいでて四国、九州を落ちなく足に任せて巡る程に、人のために祈祷をしつつ、その災いを払うこと幾人ということなければ、里の老若は敬い信じて、弘法大師の再来ならんと言わぬ者なんなかりける。
かかりし程に浄蔵法師はその年の十月ばかりに出雲の国へ赴いてつづき?の社へ参りけり。そもそもつづきの□神は大穴牟遅の尊にして世に大社と申すはこれなり。およそ年の十月には八百万の神々がこの社へ集まりたまいて、世の中にあらん限りの男女の縁結びをしたまうと言い伝えあれども、浄蔵法師はさる心もつかずにたまたま参りし御社に一夜の法施を奉らんと一人拝殿に籠もりつつ経を読みつつおる程に、夜は早子(ね)二つと思う頃、遙かに社段の方にあたりて数多の人の声したり。浄蔵は心にいぶかり耳をそばだてよくよく聞けば、不思議なるかな神々がこの社に集まりて世の中の男女の縁結びをしたまうに、それの国なるなにがしにはなにがしの娘を合わせん。それの里の誰だれの子には誰だれの娘を合わせんと語らいつつ結びたまう。その有様こそ目には見えねど御声が定かに聞こえれば、浄蔵は奇異の思いをして、つくづくと聞くに▲当代の帝に仕え奉る文章博士三好清行の子浄蔵には越前の国敦賀(つのが)の国つこ大見の次官仲起(なかおき)の娘わかを姫を結ぶべしと高やかに語らいたまえば、また一柱の神の声がして、子は幾人あるべきかと宣うに男の子二人と答えたまいて、その後は音もせず、浄蔵法師は思いがけなき我が縁結びに肝潰れて心の内に思う様、
「・・・・・我が身は幼き時より仏の道に志し深く、遂に出家を遂げればいよいよ潔斎精進(けっさいしょうじん)して五戒を破りし事なきに、転(うたて)かりける神託かな。よしそれとても神々の我がこの後の道心(どうしん)を戒めたまうものにや」と或いは疑いあるいは嘆いて、いよいよ祈念(きねん)を凝(こら)しつつ、なおあちこちと霊場霊地を拝み巡って西の国々を残るかたなく三年(みとせ)ばかりの旅寝を重ねて、また陸奥(みちのく)の方へとて、ある年の秋の頃、越前の国まで来つ、敦賀(つるが)のほとりを過ぎる時に、この日は宿を取り遅れて、ある塚原に野宿をせしに、いと若き男女が慌(あわ)ただしく走り来て、茅(ちがや)の中に立つ石の地蔵を伏し拝み、涙を流し念仏を諸共に唱えつつ、既にしてその男は刃をきらりと引き抜き、女を殺して我も諸共に死なんと誓う覚悟の体ぞ無惨なる。
浄蔵法師は木の間漏る月を明かりにつくつくと見て驚き哀れみ、走りかかって押し止め、
「何人(なんびと)なるかは知らねども、添うに添われぬ訳あって共に死なんとせらるるならん。人を救うは法師の役なり。まずその事の趣を包まず告げて名乗りたまえ。否々(いないな)殺さぬ殺さぬ」と身を立て伏せし、情けの言葉に男は驚き見返り、人はあらじと思いし野末(のずえ)に思いがけなき御出家に止められた面目無さに
「今は何をか包みはべらん。これなるは敦賀の国つこ大見の次官仲起主の息女にて、わかを姫と呼ばれたまえり。またそれがしは近き辺りの里人の子で父母は早く世を去って孤児(みなしご)になりしかば、叔母(おば)の計らいで▲新菩提寺へ縁(よすが)求めて寺の小姓となり、水の介と呼ばれたり。数ならねども先祖より氏は細江(ほそえ)と申すなり。しかるにその新菩提寺は大見殿の菩提所なれば、この姫上も母君と諸共に折々詣でたまう時に、いかなる宿世(すくせ)の悪縁なりけん、互いに思い思われて、人目の関をやや越えし只一度の転(まろ)び寝に姫上は身ごもりたまいつつ、人の目二つ程なれば姫上あるにもあられずとて、この宵の間に館を出て忍んで寺へ来ませしかば、逃れる道の無きままに共に死なんと手を引いて、ここまで走り来つるなり。我が身は親の菩提のために法師とならん願いあれば、御寺の小姓となりたるに色に迷うてあまつさえこの国の姫上を非業に殺す罪状は後の世をさえいかにせん。只この上の情けには回向(えこう)を頼み奉る」と言いつつ涙を押し拭えば、姫上はよよとうち泣いて、
「とても逃れぬ二人の命。今に及んで御出家に会い参らせしは恥ずかしけれど、なお後の世に頼みあり。亡骸(なきがら)隠して賜れば此の上もなき功徳ぞよ。やよ水の介、追っ手やかからん。さぁさぁ殺してたまいね」と最後を急ぐ二人の有様、迷いさこそと浄蔵法師はなお様々に諫め諭して
「両人共に死するに及ばず。只これまでの縁(えにし)とあきらめ、別れて時を待つならば男は早く影を隠して新菩提寺へ帰るべし。決して祟(たた)りあるべからずにしや。また此の息女は追っ手の者に引き戻されて館へ帰りたまうともいかでか親の手に掛けて害せんとまでせられんや。我は浄蔵と言う旅僧なり。浮き世の人の災いを払うための抖藪(とそう)行脚(あんぎゃ)の者なれば、よしや御身二人の代わりに命を失う事ありともいささか恨む所にあらず。これすなわち仏の慈悲なり。我が謀り事は斯様斯様」と心の機密を説き示すと、わかを姫も水の介も始めは従わざりけれども死に遅れたる悲しさは男は女を助けんと思い、女は男を助けんために、ようやくに受け引けば、浄蔵は深く喜びなおも諫(いさ)めて水の介をそこより寺へとて帰し使わし、その身は姫を送らんと敦賀の方へ赴く時に道にて追っ手の武士に出会い、事の難儀になりにけり。
浄蔵法師はわかを姫をようやく諫(いさ)めて、敦賀の館へ送らんと先に立って行く程に、向こうより来る追っ手の兵(つわもの)が松明振り上げきっと見て、「すわ、姫上にておわするぞ。この生白き法師こそ不義の相手に違いなし。逃がすなやるな」とひしめいて有無を言わせず浄蔵をおっとりまいて三寸縄(さんずんなわ)で腕(かいな)も折れよと戒めたり。わかを姫はこれを見て、「ノウ浅ましや。この聖(ひじり)に過ちは無きものを」と言うも聞かずに人々はわかを姫を守護しつつ浄蔵法師を引き立てて、その明け方に敦賀の大見の館へ帰り着き、しかじかと聞こえ上げれば仲起はわかを姫を一間の内へ厳しく押し込め、時を移さず書院の庭へ浄蔵法師を引き据えさせて不義の子細を責め問うが、浄蔵法師はちっとも臆せず、
「それがしは此の春の頃まで新菩提寺のほとりにおりし野伏せりの法師なり。しかるに姫上があの寺へ参詣の折に見初め、耐えぬ思いのゆるかたなさに先つ頃より夜をこめて姫の臥所に忍び入り、理(わり)無く枕を交わせしより姫上身重くなりたまえば、こと表れん事の惜しくて昨夜(ゆうべ)密かにうかがい寄って、得心(とくしん)もなき姫上を無体に盗みだせしなり。されば姫上は思いがけなくその身を汚したまえども、初めよりしていささかも得心の不義ならねば、その咎(とが)は我が身一つにあらん。▲ともかくも計らいたまえ」と真しやかに述べれば、仲起は怒りに耐えず、姫をも共に斬って捨てんとしきりに息巻き苛立つを仲起の奥方のあさの井御前は様々に夫を諫(いさ)め、
「あの法師こそ憎んでも憎み飽かざる者なれども。聞くが如きはわかを姫を同じ咎にて失うは、真に不憫の事ならずや。逸(はや)りて後悔したまうな」と涙とともにかき口説けば、仲起の嫡子(ちゃくし)太郎仲実(おきさね)も諸共に父を諫めて、
「只今妹を害したまえば、この事たちまち世間に聞こえて、先祖を汚す家門の瑕瑾(かきん)この上や候べき。妹の事は穏便の御計らいこそ寛容ならめ」と言葉を尽くして止めると仲起はわずかに怒りを溶かして、遂にその義に任せつつ、さらばその悪僧の頭(こうべ)をはねよと下知すると、逸り雄(はやりお)の家臣は早くも土俵(どひょう)を突き立てて浄蔵法師を土壇(どだん)に押し据え、斬り手の家臣は刀をひ下げて後ろの方に立ち回り、咎の趣数えたて既に斬らんと身構えたり。浄蔵法師は咎なく浮き名を残す今わにも騒ぐ気色もなく予て心に思う様
「・・・・・我はこの世の人のために厄難を払わんと大願を起こし、年頃人を救いしが、わかを姫、水の介らは加持祈祷の力でも助かり難き命なれば、破戒の恥をかえりみず我が身を捨てて二人に替わるは立てし誓いに違わじと思い定めし事ながら、今さら思えば出雲にて神が結びたまいし事、真の縁(えにし)ならねども遂に逃れぬ因縁なりき」と過ぎ越しかたを思いやる臨終正念(りんじゅうしょうねん)潔(いさぎよ)く、口に絶えぬ読経の声のいとも殊勝(しゅしょう)に聞こえけり。さる程に大刀取りは浄蔵法師の後ろより今が最後ぞ観念せよと掛け声高く振り上げる刃は不思議や鍔元(つばもと)より三段(みぎた)、四段(よぎた)に折れ飛んで、その身も共に退(の)け様にたちまちだうと転べば、人皆驚き怪しみながらさてあるべきにあらざれば三人まで斬り手を代えて頭をはねんとしたれども、皆大刀は折れ、主は転んでいかにとも詮術なさにかくと注進してければ、仲起もまたいぶかって、察する所、悪僧めは幻術魔法に長けたるならん。詮術ありと忙わしく自ら弓矢を脇挟み、縁側に立ちながら射殺さんとすれども、その弓の弦もたちまち切れたり。仲起はしきりに苛立って取り替え引かえ引かんとするも、弓は折れ弦も切れ、これもまた詮術なければ、さすがの仲起は呆れ果て、この悪僧めの幻術は速やかには破り難し、厳しく繋ぎ置くべしと再び牢屋(ひとや)へ使わしけり。
かくてその夜、仲起夫婦が見た夢に羅刹(らせつ)の如き一人の菩薩が忽然と現れて、仲起夫婦をはったと睨(にら)み、「汝らの罪状、最も重し。いかなればきんぜん菩薩を害せんとしたるぞや。その菩薩はこの国に初めは役行者と現れ、中頃はまた弘法大師と再誕して世に著し、今の浄蔵法師に至って三度に及ぶ菩薩の再来。凡夫(ぼんぷ)の眼(まなこ)に見知らずとも仏を敬う心あれば、害せんとまではすまじきに。憎きをこの痴れ者かな。冥罰(みょうばつ)思い知らせん」と持ったる三鈷(さんこ)を投げ打ちたまうに、仲起の肩先へ当たると思えば、また跳ね越えて方辺に伏したあさの井御前の額(ひたい)にはたと当たるとそのまま夫婦等しくあっと叫んで諸共に驚き覚めれば、仲起は右の肩先痛む事はなはだしく、あさの井御前は額のただ中が鞠(まり)の如くに腫れ上がり、いと大きなる瘤(こぶ)になりたり。
かくまで不思議な正夢(まさゆめ)に夫婦は恐れ懺悔(ざんげ)しつつ、明けるを遅しと浄蔵法師を牢屋から助け出し、衣服を与えて上座に勧め、仲起夫婦は病をおして嫡子(ちゃくし)仲実(なかざね)もろともに浄蔵法師を伏し拝んで夢見し事を物語り、
「さても昨夜(よんべ)の正夢にこの冥罰(みょうばつ)を与えたまえし羅刹は如何なる神やらん。その体たらくは斯様斯様」と告げるを浄蔵は聞きながら、
「それこそ蔵王菩薩(ざおうぼさつ)ならめ。蔵王は魔性降伏(ましょうごうぶく)の怒りの姿を表して右の御手には三鈷(さんこ)を取り、弓手(ゆんで)で腹を押さえたまう。釈迦牟尼仏の変相で吉野山に現れたまう蔵王権現これなり」と事明らかに説き示せば、仲起夫婦はますます恐れて
「真にあの菩薩は▲役行者に因(ちな)みあり。我々凡夫の悲しさは権化の再来におわします貴僧とも知らずして、こよなき罪を作りたり。願うは娘を参らせん。我々のこの病を加持して救いたまえかし」と涙とともにかき口説けば、浄蔵法師は一義に及ばず数珠さらさらと押し揉んで、しばらく祈念をこらす程に不思議なるかな仲起の肩の痛みはたちまち癒えて、あさの井御前の額のこぶも日向(ひなた)に雪が溶けるが如くに早痕もなくなくなれば、仲起夫婦親子は更なり一家の男女はあっとばかりに等しく随喜(ずいき)がっこうの信心肝に銘じける。この時にまた仲起夫婦は浄蔵法師を伏し拝んで
「法言(ほうげん)真にあやまたず、利益は例えんものもなし。この喜びの引き出物に娘わかを姫を参らすべし。昔より唐天竺にも大徳智識(だいとくちしき)が妻をめとり、子を産ませし例(ためし)ありと聞く。願うはこの地に杖をとどめて、わかをと夫婦になりたまえ。娘は早身ごもって五ヶ月に及ぶと聞けり。かかる尊き聖の胤(たね)を宿せしこそ幸いなれ。今さら違背あるべからず」とまめやかに語らえば、浄蔵法師うなずいて「候、真に逃れ難し。まづ吉日を選びたまえ、さのみは急ぐ事ならず」と言うと喜ぶ仲起夫婦は心を尽くして様々に浄蔵法師をもてなしけり。
その中にわかを姫は浄蔵法師の心の中を計り知るべき由のなければ、どうなることぞと人に問われぬ胸の苦しさは言うべくもあらず、只、水の介の事をのみ嘆いていたりしが、その夕暮れに浄蔵法師は人無き折をうかがって、わかを姫に囁く様、
「我、かくまで計らい、ようやく無事に収めたり。なおこの上を慎みたまえ。御身の腹の嬰児(みどりご)が七つばかりになる時に、再び計らう術(すべ)あれば水の介に会わすべし。よくよくその子をもり育て、親御の心を慰めたまえ」と忍びやかに戒めて、その夕暮れに庭口より何地(いずち)ともなく逃げ失せけり。
さる程に浄蔵法師は夜もすがら道を急いで五六里ばかり来たと思う頃、早明け方の星もまばらになれば、ここまで追っ手はよもやかからじ、しばらく疲れを休めんとあちこちを見返ると東の方の森のほとりに一つ家がありとおぼしくかすかに火の光が見えれば浄蔵はそこに赴いて門(かど)打ち叩き湯を乞えば、内より誰(た)そと答えつつ火燭(かそく)を取って戸を引き開けるをと見れば思いがけもなき細江水の介なれば、こはそもいかにとばかりに互にいぶかりかつ喜んで、水の介は忙わしく簀の子の塵を打ち払い、浄蔵をうやうやしく上座に招ずれば、浄蔵法師は水の介が新菩提寺にあらずして此の所にあることを如何にぞやと尋ねると、水の介は浄蔵を伏し拝んで、さて言う様、
「それがしは聖の教えに任せて命を全(まっと)うしたれども、そのまま寺へ帰りおらんは後ろめたき業なれば、再びここに影を隠して浮浪の身となりはべりぬ。此の里の名をくち(くら?)と呼べり。縁の者の宿所なれば、まずゆるやかにおわせよ」と様々にもてなすと浄蔵は敦賀で斬られんとせし事の趣、蔵王権現の無双の霊験、我が法力の始め終わり、敦賀を走り去りし事までつまびらかに物語れば、水の介は驚き感じて
「真に聖はありがたき生き菩薩にてましますなれ。それがしは色に迷いしより遂に出家の望み叶わず、あまつさえ我ゆえに大徳の聖をさえ刃の錆(さび)となさんとしたるは悔やんで返らぬ罪状なり。とても時節を待つとても、あの姫上といかにして夫婦になれる身にもあらず。これを菩提の種として行脚の御供を仕らん。御弟子にさなれ下されよ」と涙ながらに乞い願えば、浄蔵法師はいとど不憫におぼえて、やがて望みに任せつつ、剃髪させて法名を水月沙弥(すいげつしゃみ)と名付けたり。
さる程に、浄蔵法師は水月入道を伴って飛騨より越後を勧化して、陸奥(みちのく)の果てまで赴く時に、あちこちに逗留して七年を経れば、十年(ととせ)に及ぶ長旅に父母のことも心もとなく、一度都へ帰らんと加賀の国まで来る時に、水月法師は病み患って、心地死ぬべく見えしかば、浄蔵は哀れみいたわり、
「我、予てより思いしは、わかを姫の腹に宿りし汝の子も今頃はさこそ大きくなりつらめ。今度も道の便宜(びんぎ)なれば必ず敦賀へ▲立ち寄って親子の対面させんずものをと心構えをしたりしが、妹背(いもせ)の縁の絶えたるのみか親子の因みもここに尽き、今隣国まで帰り来ながら永き別れにならんこと嘆くにあまりありと言えども、恩を捨てて無為に入りしその功徳は莫大なれば仏果を得んこと疑いなし。心静かに往生せよ」とねんごろに説き示せば、水月法師は嬉しげに
「ありがたの引導や。先に我が師の教えによって煩悩の闇をいでしより真如(しんにょ)の月を鷲の峰に眺めんとのみ願う身のいかでか浮き世に心をとどめん。願うは我が師百年(ももとせ)の齢を保って衆生のためになおも利益(りやく)を施したまえ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱える声と諸共に眠るがごとく息絶えけり。享年二十二才なり。
かかりしかば浄蔵法師は水月の亡骸を次の日荼毘(だび)の煙となし、その白骨を頭陀袋に収めて襟に掛け、また五六日旅寝を重ねて越前の国敦賀(つのが)の郡(こおり)気比(けひ)の社のほとりまで来にけり。
この御神は当国に名だたる大社なれば、拝殿に杖を進めてしばらく念じ奉り、退き出んとする時に我より先にこの御社へしかるべき人々が詣ったとおぼしくて、その人々が内陣より連れだって出て来たり。浄蔵法師を見返って、
「こは、聖にておわしけり。いかにやいかに」と呼び掛けるのを浄蔵もまた忙わしく頭を巡らせ見るに、先に立ちしはこの地の国つ子大見の次官仲起なり。後に続くはあさの井御前とその娘わかを姫にて、六つ七つなる幼子(おさなご)の手を引きながら立ちいでたり。その時、仲起、あさの井は浄蔵法師に向かって、
「絶えて久しや浄蔵聖。などてや後をくらまして、年頃□を思わせたまいし、早七年の昔になりぬ。御身の行方をあちこちと尋ねれども消息なし。もとより権者(ごんじゃ)の事なれば、また巡り会うこともやと思うばかりを心あてに、かく年月を送りたり。これ見そなわせ。此の幼子はすなわち御身の胤にして、しかも双子でありければ先に生まれしを太郎若(たろうわか)と名付け、後に生まれしを乙若(おとわか)と名付けたり。さればまた娘わかをは他に男を持つまいと誓いを立てて、垂れ尼(たれあま)の髻(たぶさ)を切りし心映え。哀れとは見たまずや。なふ、太郎若や乙若よ。これぞ御身同胞(はらから)が年頃恋しや懐かしやと慕いし父御(ててご)なるものを」と言われて幼き兄弟(あにおとうと)□は「この聖こそ父上にてましますか。なう懐かしや嬉しや」と右と左に取り付いて喜び涙の孝心(こうしん)に浄蔵もまた引き寄せて、「親はなくとも子は育つ、さても大きうなりけるな。いでいで父に会わせんず」と言いつつやがて頭陀袋より取り出す一つの位牌を弓手に高く取り上げて、
「見よや兄弟。この位牌に延義(えんぎ)二年四月八日水月沙門(すいげつさもん)と印したる俗名は細江氏水の介と言いし者。それこそ真の父なれ」と告げるに「さては」とわかを姫は包むに余る袖の雨、一声よよと泣き沈む事の心を得知らぬ仲起、あさの井御前もいぶかりおて、「心得難き聖の言の葉。御身の□ふこの孫どもの真の父とは如何にぞや」と問われて浄蔵うなずいて、
「今は何をか包むべき。わかを姫の密か男(みそかお)は新菩提寺の小姓の細江水の介と言いし者。斯様斯様の事によりそれがしの弟子となりて水月と名を改め、七年行脚の供にたち諸国を修行し歩きしが▲去(い)ぬる日、加賀の国境なに立花のほとりにて、にわかに空しくなりにたり。始めを言えばしかじか、終わりは斯様斯様ぞ」と始め水の介とわかを姫と死なんとせしを押しとどめ水の介を帰しつかわし、二人を無事に救わんために我が身が破戒の恥を厭(いと)わず、命を捨てても浮き世の人の災いを払わんと思い定めし志を仏菩薩が哀れみたまいて不思議に命を助けられ、あまつさえわかを姫をめあわせんと言われしかば、さりげなくもてなして、その夜密かに逃れ出て計らずもくちの里にて水の介と巡り合い、彼の願いに任せて剃髪させて弟子として従え、七年諸国を行脚してやや立ち帰り来る程に加賀越前の国境立花の里で水の介入道は大往生を遂げれば、その亡骸を火葬して白骨を我が襟にかけたり。
かくのみ言わば亡き人に破戒の汚れを塗りつけて身を潔くするにやと疑わしくも思われん。親子の虚実を試し見るには、その血をもってその血に注ぐと真の親子はその血は集まり親子ならねばその血潮は分かれて寄らずと言い伝う。これ見そなはせんに」と言いつつやがて懐より戒刀(かいとう)を取り出し、小指をつんざき血潮を取って水飲み柄杓(ひしゃく)にこれを受け、また太郎若と乙若の小指を少し突き破り血潮を柄杓に絞り入れると、兄弟の血が一つに寄るのみで浄蔵の血とは分かれたり。
かくてまた浄蔵法師は水月法師の白骨を頭陀袋より取り出して再び太郎若、乙若の小指の血潮を絞り注ぐと、その血はたちまち染み付いて、拭き拭(ぬぐ)えども失せざりけり。
仲起夫婦は目の当たりにかかる証拠を見れば、初めて悟る娘の密かを驚き恥じて、かくまで目出度き清僧を我が孫どもの父なりと思いし事の愚かさに許したまえと詫びるに、わかを姫はあるにもあられず
「恥ずかしいや、もったいなや。七年このかた親を欺(あざむ)き聖に無き荷を負わせた身の罪咎をいかにせん。面目なや」とばかりに懐刀手早く取り上げて喉を突かんとする程に、浄蔵は急に押しとどめ、
「こは物にや狂いたまう。今さら御身が自害してまた何の益あらん。我が上にかこつけて水の介に立てる操の髻(たぶさ)を既に切りたれば、これよりまさしく受戒して菩提の道へ入りたまえ。それこそ貞なれ孝なれ」といさめて刃を引き離せば、「さては死なれぬか」と声をたてて泣き沈む。二人の子供はもらい泣きの涙を等しく拭い、「母上、さのみ泣きたまうな。親に非ずと宣うとも此の聖こそ我々が年頃慕いし父上なれ。離ちはせじ」とまつわれば、浄蔵はしきりに嘆息しつつ仲起夫婦にうち向かい、
「それがしに一つの願いあり。この兄弟をたまわるべし。我が子として出家させ、我が法力を受け継がせん。これ一朝の因縁ならず、十年ばかり先の秋に出雲の大社にて斯様斯様の示現(じげん)あり。それがしとわかを姫とに妹背の縁(えにし)を神々が結びたまうて、あまつさえ持つべき子供は二人ぞとまさしく聞こえさせたまえり。妹背の縁は真ならで、真にもます恩義あり。此の子供らは真の子ならで親子となるべき因果あり。出雲の神託、今ここにいよいよ虚しからぬを知れり。受け引かれれば幸いならん」と事つまびらかに説き示す一トかたならぬ▲奇異妙契(きいみょうけい)に、仲起夫婦は一義に及ばず
「しからばこれ神仏の計らせたまう縁(えにし)なり。この孫どもの行く末は聖に任せたまわん。わかを姫の受戒の事も一重に頼み奉る。敦賀の館へ立ち寄りたまえ」とねんごろに誘って皆諸共に宿所へ帰って様々にもてなしけり。
かくて浄蔵法師はわかを姫に受戒させ、法名を指月(しげつ)と授け、また二人の子供らの髻も剃り落とし兄を浄空(じょうくう)、弟を浄寂(じょうじゃく)と名付け、仲起夫婦に別れを告げて二人の子供を携えつつ都を指して急ぎけり。
さればまた大見の仲起は新菩提寺に水月の墓を建て、指月の尼にその菩提を弔わせ、その後、家督を嫡子仲実(なかざね)に譲り渡し、仲起夫婦はしゅく髪入道して、息女の尼指月と共におこないすましてまた幾ばくの年月を送りしとぞ。
○これより先に都では浄蔵法師の父三好の清行が不慮の勅勘(ちょくかん)をこうむって、はなしめしうとくなりにけり。事の子細を尋ねるに、
「去ぬる延義元年春の頃、菅丞相(かんしょうじょう)道真(みちざね)公は時平公(しへいこう)の讒言(ざんげん)により無実の罪に沈ませたまいて、筑紫の太宰府へ左遷せられけり。しかるに清行は官家(かんけ)と睦(むつ)まじければ、その前年の師走ばかりに密かに官家へ書状を参らせ、やつがれは近頃天文時運(てんもんじうん)を考え候に、昨年の春に至って御身にこよなき災いあるべし。早く大臣の職を辞し、その災いを避けたまわずば、御後悔もや候わん」とひたすら諫め参らせるが官家はなお思し召す由やありけん、元のままにておわせしかば、遂に筑紫へ流されたまえり。この事をいかにしてか時平公は伝え聞いて、
「清行は予てより道真に語らわれて帝をおろし奉り、斎世(ときよ)親王を位につけ参らせんと謀りし欲の聞こえあり。早く追放あるべし」と聞こえ上げたまうに、帝はその義に任せたまえば、清行は思いがけなく位司(くらいつかさ)を止められ、たちまち都を追われけり。
この時、宇多大王の日つぎの御子(みこ)敦仁(あつひと)親王は既に御譲りを受けたまいて、御位(みくらい)に着きたまいしかば、醍醐天皇と申し奉るすなわち寛平十年を改めて昌泰(しょうたい)と改元あり。それよりまた四年に至って延喜元年と改めたまえり。
この帝は御歳のいと若くおわしませしに中宮は基経(もとつね)公の御娘時平公の御妹にてましましければ、或いは道ならぬ妬(ねた)みにより、或いは私(わたくし)のひきをもて讒言(ざんげん)内外より止む時なかりしかば、官家は無実の罪に落とされ清行も思いがけなく勅勘(ちょっかん)の身となりしなり。
しかれども清行は易学、天文、古(いにしえ)にも類い希なる儒者なれば、帝は密かに惜しみて、遠き国々へ追いも流しもしたまわで、洛外の地に閑居(かんきょ)してかしこまりおるべしと掟させたまう。清行は遠くも得去らず大津のほとりに侘び住まいして売卜(ばいぼく)を生業(なりわい)とし、元より得たる道なればその占いは妙ありと日々に卜筮(ぼくぜい)を求める者がしばしも絶える暇なければ、清行(きよつら)は中々に貧しからず世を渡りぬ。
しかるに妻の玉梓は十年に及ぶ浄蔵法師の訪れ無きを思い侘び、胸安からぬ年月の積もり積もりしつかえさえ、なおまた夫清行が勅勘の身となりしよりいとど病のかずそひて、延喜二年の春の頃より大方ならぬ病気(いたつき)の神も薬も印しなく、その年の五月半ばに遂に空しくなりにけり。
▲されば親しき里人らが遠近(おちこち)より集い来て、野辺送りの事を助けて、既に棺(ひつぎ)をもたげ出さんとする時に、たちまち庭の槐(えんじゅ)の木に喜びのカラスが鳴きければ清行は密かにいぶかって、今我が家の憂(うれ)いにあたって喜びカラスが来て鳴く事は故こそあらめと心にうなずき、袖の内にてこれを占い、さればこそとて忙わしく出す棺を押しとどめ、人々にうち向かい、
「その棺を出すべからず。今日より三日の内に我が子浄蔵が帰り来つべし。彼は二十年ばかりの昔、比叡の山に赴いて仏法修行十年に及べり。かくて世の人の厄難を払わんと言う大願を起こしつつ、諸国を巡ると聞こえしのみ。それよりまた十年を経たれども一度も訪れなし。母の病もこれより起こりて年頃を経るままに、かくは空しくなりにしを彼が立ち帰るを待たずして速やかに葬れば死したる母も本意なからん。しかるを言わんや浄蔵の名残惜しさは□□□にますべし。しばらくかくとあるこそよけれ」とみせんを察せし言の葉に、人々もまた予てより清行の占いに妙あることを知らぬもなければ、実(げ)にさることもあらんかと棺を一間にかき据えて暇乞(いとまご)いして帰るもあり、なおとどまるも多かりけり。
かくて早第三日の七つ下がりになれども、浄蔵法師は帰り来ず、里人らは覚束(おぼつか)なしと、また清行の宿所に集まり、親しき者どもひたすら清行を諫める様、
「先生の占(うら)かたは元より百発百中で、これまで違いし事はなけれど、上手の手より水の漏る考え違い無き由もあるべからず、当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦とは世話にも言わずや。今夏の日の暑きも中に死したる人を便々(べんべん)ととどめ置くことは人聞きもよろしからず。同じくは今宵の内に葬りたまえ」と勧めると清行は心の内ではいかでかはさる事あらん、今宵のうちには浄蔵が必ず帰るべきものをと思えども、里人らがとにかく言うを争いかねて、実に浄蔵が帰るを待って葬りの業をするとも死したる者が黄泉路帰るにもあらず。今宵只一夜にして我が子の帰るを待ち難きも宿世(すくせ)あっての事ならんとたちどころに思い返して、里人らにうち向かい、
「言われる趣はよん所なし。さらば今宵葬るべし。しかれども浄蔵が帰り来ることは疑い無きに道で法師に行き会えば、一人一人に名を問いたまえ。彼は年十ばかりの時に出家してより一度も帰り来しこと無き者なれば、よしや道にて行き会うとも各々(おのおの)はその顔を知らず、彼もまた母親の棺なりとは知らざるべし。必ず抜かりたまうな」とねんごろに指図をすれば里人らは皆心得て、その夕暮れより人数多で松明を振り照らしつつ各々棺を送りけり。
さる程に浄蔵法師は思いがけなく子供をもうけて、その兄弟を助け引きつつ越前の敦賀を発ち出て、幼き者を助け引く心苦しき旅寝を重ねて近江の国まで来にければ、まず叡山に赴いて師の坊の安否を尋ね、浄空、浄寂兄弟を我が子にした由を告げ、浄空は玄照(げんじょう)法師に教育の事を頼み、その坊に残し置き、また一人の師の大慧(だいけい)法師を訪ねるとそは近き頃仮初(かりそ)めに一条それの橋の辺りの何がしの院にありと聞こえしかば、また浄寂を携えて大慧法師のもとに赴き、しかじかと物語って浄寂を頼み置きけり。
されば玄照、大慧の両法師は浄蔵法師の行脚の利益を尋ね聞き、かつ感じかつ喜び▲世に名僧のいでたるは我が道の幸いなり。言わんやまたその恥を厭(いと)わず義により子を養いしはいと成し難き功徳なり。藍よりいでて藍より青き浄蔵は我らが及ぶ所にあらずとて各々浄空、浄寂を教え育めば、この兄弟も人となりて名僧の聞こえあり。後には越前に赴いて母の心を慰めけり。
かかりし程に浄蔵法師はこぞ(去年)の春、都の騒動で父清行も思いがけなく勅勘をこうむって、今は大津にある由を大慧法師の元で初めて聞けば、大方ならず驚いて、官家左遷の御事は陸奥(みちのく)にて聞いたれども親の上は知らざりけり。聞きつつ今宵大津に行かずばいよいよ不孝のもととなるべし。さはとてやがて別れを告げて忙わしく立ちいずるに、既にして日は暮れたれども五月の空は珍しく名残無く晴れたるに、折ふし望月なりければ真昼の如く明かりけり。
かくて浄蔵法師は早一条の橋まで来て渡らんとする時に、肉叢(ししむら)動き胸騒ぎただならず覚えしかば、こはそも如何にと怪しみながらと見れば、棺を送り来る人数多が引き続いて橋の半ばで行き会いけり。その時先に立ちし者が高やかに声をたて、「そこへ来ゆる御僧は浄蔵聖にあらずや」と呼び掛ければ、浄蔵は聞いて「真にさなり。その亡き人は三好殿□からにはあらずや」と再びこれを問い返されて、里人らはどよめきつつしばらく棺をたてさせて浄蔵に向かい、母玉梓が死せし事、父清行が言いつる事の始め終わりを取り摘(つま)んで斯様斯様と告げるにぞ、浄蔵は驚き悲しんで
「父の先見まことに妙なり。仏法修行のためではあれど二十年余り父母に遠ざかるが、只四五日の程にして我が母の臨終に得会わざりし悲しさに、我、この年頃国々で人のために病を祈りその必死を救いし事は幾度という事を知らず。今この功徳によるならば母の命に限りありとも一度は蘇生して親子の対面したまわざらんや。やよ待ちたまえ、人々に祈りて見ん」とうやうやしく棺に向かい、数珠押し揉んで半時ばかり祈ると、棺の内で声をたてて玉梓が蘇生すれば、人々は驚きかつ感じて、そのまま助けいだすに、浄蔵は深く喜んで薬を取り出し母に進め、なお様々にいたわって棺を砕いて川へ流させ、母親を背負いつつ、また里人に送られて大津の宿所へ帰りしを感ぜぬ者なんなかりける。
さればくだんの橋より死した母が帰れば、一条の戻り橋としてその名は末世に残りけり。
さる程に清行は我が占いに違わずして、その夜の内に浄蔵法師が帰り来るのみならず、玉梓が蘇生したりしかば斜めならず喜んで、妻をいたわり臥所に休めて粥をすすめるなどすると玉梓は遂に本復して常よりもなお健やかに若やぎけるこそ不思議なれ。
されば此のこと隠れなく親も親なり、子も子なりと清行の易学と浄蔵の法力と世に一対の奇特と讃えて、帰依する者ぞ多かりける。かくてまた浄蔵法師は年頃の疎遠を詫びて二親の心を慰め、出雲の大社また越前の敦賀にてありし事々を告げれば、二親は聞いて一度は驚きあるいは喜び、我が子はかくのごときに法力あって▲
清行密かに様子をうかがう此の所は、皆々無言なれば言葉書きなし。只作者のみ言う事あり。画はおかしからぬ所を略して本文にて詳しくする故、ややもすれば筆耕は画より大きに遅れるなり。しかれども五丁の末にてにえこぼさずに書き取れば、ことのほか読みであり、徳用向きの草紙と言うべし。
かつ神仏の冥助(みょうじょ)にあえり、よく慢心を起こさずばこの後いよいよ利益あらん。かくては出家も厭(いと)わじからずと密かに向後を戒めて、いとねんごろにもてなしけり。さる程に浄蔵法師は二親に言われし事を今さらに心に徹していよいよ務めて、いささかもおごり高ぶる心なく父清行が罪なくて勅勘の身となりしをひたすら嘆き、ある日二親に申す様
「いついつまでもここに在りて仕え奉らんと思わざるにあらねども、よしや親子の親しきも出家として在家におらんは事のよろしきに候らわず。されば雲居寺(うんこじ)に退いて勅免(ちょくめん)の祈りをすべし。例え速やかに印なくとも遂には帰洛(きらく)の喜びあらん。御身を愛してゆるやかに時の至るを待ちたまえ」とてねんごろに別れを告げて雲居寺に赴きつつ、徳を積み光をうずめて行いすましていたりけり。
さる程に延喜三年の春二日に官家は筑紫にて隠れたまい、同じき九年には時平公も悪病で世を去りたまい、その後続いて雷(いかずち)が大内に落ち下り、藤原の清貫(きよつら)左大弁、まれ世藤原の菅根(すがね)など公卿数多がうち殺されて人の心も安からざりしに、物の怪ようやく薄らいで、世の中のどかになりし頃、近江の瀬田の方ほとりに海野幸六(うみのさちろく)という漁師あり。その頃また三上山の方ほとりに山野幸平(やまのさちへい)という狩り人ありけり。そもそもこの両人は菅丞相(かんしょうじょう)に仕えた牛飼い舎人(とねり)なれば、菅丞相が左遷せられし時、都の住まいも物憂(ものう)しと密かに近江路に退いて、一人は漁(すなどり)を生業とし、一人は獣を狩り暮らして静かに世を渡りける。
かくて幸平、幸六はある日湖のほとりにて図らず行き会いけり。昔は疎(うと)くもあらぬものの今は生業同じからず道のほども近からねば絶えて久しき対面に、こは珍しやと立ち止まる長物語り果てしなければ、各々石に尻かけてしばらく時を移す程に、山野幸平は嘆息して、
「かく山稼ぎをする者は浮き世に遠く友もなし、心安きに似たれども幾日も獲物のなき折は顎(あご)を吊しておらねばならず、しかるに和主は近き頃、続いて仕合わせよく内証(ないしょう)豊かになりし由を予て噂に聞きしなり。しからば山の稼ぎより漁は良きものならん」と言うと幸六頭を振って、
「いやいや山でも湖でも稼ぐは辛き世渡りなれど、我らはちとの訳あって日毎に獲物が多かるなり。和主に我は隠すことなし。まずその訳を如何にといつ□大津に奇妙な易者あり。そは和主も予て知るあの勅勘をこうむりし三好の清行主になん。我はしばしば彼処へ参って占ってもらい、明日は西の方へ網を下ろせ、明後日は南へと教えたまう指図に任せて漁すれば、獲物は常に人に増して利を得たること少なからず、妻子を安く養うこと清行様の陰(かげ)なれば、これ見たまえ、二三尺の此の鯉を毎日必ず一つづつ清行様へもて行って御礼を申すなり。和主も今より彼処へ参って清行様に頼みたまえ」と言われて幸平は額を撫でて、
「そは良き事を聞きたるなり。我らも大人を頼むべし」さはとてやがて連れだって大津の方へ赴きけり。
この時、近江の湖に年を経た川太郎(河童)が龍王の下知を受け、湖水のほとりを巡る時に、思わず幸六、幸平らが語らうのを立ち聞いて、心の内に密かに驚き、イデこの由を注進せんと言うより早く身を躍らせて波の底へ沈みしを知る者絶えてなかりけり。
また近江の伊吹山に年を経て千歳になる狐あり。この日山城の稲荷山へ詣でた帰りに、これもまた幸六らの物語りを立ち聞いて心の内に思う様
「・・・・・あの清行は音に聞こえし易学の名人なり。さるにより此の湖の鯉鮒が皆、幸六に捕られることは清行が指図によれり。しかるに今また幸平も清行に▲占わせて山々を狩り暮らせば災い遂にこの身に及ばん。かつ三上山のほとりにも我が眷属は数多あり。彼らはいよいよ危うかるべし。詮術あり」と思案をしつつ、まず三井寺まで退いて清行の事を聞き定め、年古(としふ)る楠(くす)の洞(うろ)に入って姿を変ぜんとする時に、この楠の木霊(こだま)の神が声をかけ、その故を尋ねるに狐は包まず誇り顔に斯様斯様と説き示せば、木霊の神は眉をひそめて、
「そは由も無き事ぞかし。例え和主に通力ありとも、いかでか清行に勝つことあらんや。その身を失うのみならず必ず我を巻き添えせん。やみねやみね」と止めるを狐は聞かずにあざ笑い、一人の書生に姿を変じ、清行の宿所に行って、
「それがし事は筑紫より易学の修行のために此の度都へ上りたる村崎志賀蔵(むらさきしがぞう)と言う者なり。先生の高名は都にもその類なし。よって教えを受けんと推参(すいさん)せり」と言えば、清行やがて対面して一つ二つ問い試みると弁舌は水の流れるごとくで真に博学多才なり。その時、志賀蔵は膝を進めて、
「それがし不才なりと言えども、藪(やぶ)にもまた香の物あり。今互いに論ずる赴きで我が先生に負けたらば思いのままに計らいたまえ。先生が我らに負けたまわば売卜(ばいぼく)の技をやめ、生涯めど木を取りたまうな」と言う傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の広言に清行は心憎くて、そはともかくもと答えつつ、それよりして易学、天文、気運の事を論ずるとややもすれば清行も及び難きところあり。既にして日も暮れれば清行はさり気なくしばらく休みたまえと酒肴をもてこれをもてなし、しきりに数献すすめれば、志賀蔵は酩酊して肘を枕に酔い伏しけり。さる程に清行は密かに親しき里人を招き寄せ、志賀蔵の事を告げ知らせ、
「我は問答せし時に袖の内にて占い見しに彼は年古る狐なり。しかれども化けの皮を表さねば漫(そぞ)ろには手を下し難し。我が聞く三井寺の門前の楠の木はあの寺を建てたその昔よりありし木にて千余年になると言えり。各々は我のために早く彼処へ赴いて、東へ指したる楠木の大枝を切り下ろして細々に砕いてもて来たまえ。切ること一枝なりと言うともその木は遂に枯れるなるべし。さぁさぁ」と急がすと里人らは心得て、三井寺に走り行きつつ教えの枝を切り下ろすと、血潮がさっと滴り流れ、木の洞に声ありて、「さればこそ、いぶきめが我が諫めを聞かずして、災いこの身に及びにき」と定かに聞こえれば、里人らは驚きながら、さてにむべきにあらざれば、手早く枝を細かく砕いて背負うて大津に馳せ帰り、清行にかくと告げるに清行は聞いてうなずき、
「そは楠木の木霊なるべし。我、煙焼(えんしょう)の法術あり。決して祟りあるべからず。斯様斯様に計らいたまえ」と密かに示し合わせけり。
さる程に清行は村崎志賀蔵が伏した四方へ四つの香炉を据え置いて、あの楠木の切り屑を一度にはっとくゆらせれば、前後も知らず伏したる志賀蔵は一声叫んで飛び上がり、たちまち古りたる狐となって表の方へ逃げんとするのを、待ちもうけたる里人ら六人が棒で打ちたて打ちたてて、蚊遣(かやり)の如くに楠木の煙を暇なく仰ぎかければ、狐はこらえず引き返し、また内庭より逃げんとするのを清行すかさず弓に矢つがいて、よつ引いてひょうと放せば、狐は喉をうなじまで、はぶくらせめて射通され、仰け反り倒れて死んでけり。
人々喜び紙燭(しそく)を灯して再び死したる狐を見ると大きなること犬に等しく、その毛は金糸をかけたるごとし。実に千年も経たりけん世に珍しき物なればとて、清行はその皮をもて皮衣にすれば、厳寒の冬の日も温かなること春のごとし。しかれども清行は常に慎み深くして技に誇らず奇を好まねば、これらの事すら深く悔いして里人らを戒めつつその狐の事を言わせず、程経て後に都へもしかじかと聞こえしとぞ。
かくてその楠木も立ち枯れになれば、里人らはこれにさえ清行の博識多才を感じていよいよ敬いけり。ここにまた近江の湖を司る龍王あり。琵琶湖の小龍王(しょうりゅうおう)と称せられ▲幾億万の川魚の頭たる勢いあれば、常に非常を戒めんため、瀬田の橋の下に住む河童(かっぱ)を清湖使者(せいこししゃ)として汀々(みぎわみぎわ)を巡らせれば、河童は日毎に水海屋の川太郎という樽奴(たるひらひ)に姿を変じてあちこちを見回ると、あの漁師幸六が清行の占いにより鯉鮒を多く捕る由を山野幸平に物語りしを立ち聞いて、大きに驚き急ぎ湖水の龍王に注進して
「斯様斯様の事こそ候へ、あの清行を安穏(あんおん)にうち捨てて置きたまえば、例え湖広しと言うとも魚類(うろくず)の種は尽きるべし。いかが計らい候わん」と大息ついて訴えける。畢竟(ひっきょう)、龍王これを聞き、また如何なる企みをするや。
第三編も引き続いて程なく出板遅滞(ちたい)なければ、そは三編の始めに説くべし。必ずもといて見たまえかし、目出度し目出度し■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第三編上

2017-02-26 12:38:30 | 金毘羅舩利生纜
鋭(と)き風や刃(み)は三尺の霜柱
六孫王(ろくそんおう)経基(つねもと)
小龍王(しょうりゅうおう)金鱗(きんりん)

蒔く種に日の恵みあり金銭花(きんせんか)
宰府(さいふ)の良民 白大夫(しらたいふ)
錦織判官代(にしごりのはんがんだい)照国(てるくに)

さらし井の奈落に届く吊桶(つるべ)かな
延喜聖主(えんぎのみかど)簑笠(みのかさ)
左大辨(さだいべん)希世霊鬼(まれよのれいき)

下もみじつづれのうらの錦かな
竹田日蔵(たけだにちぞう)が妻 世居(よをり)

おちぬ夜の地獄をかまるねずみかな
菅家忠臣(かんけのちゅうしん)竹田日蔵(たけだにちぞう)
節折(よおりの)内親王

鶯や経読まぬ日もササぼさつ
観世音の権化 袈裟売りの癪法師(かたいほうし)
従三位菅原文時卿

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さる程に、近江の湖の龍王鱗長(りんちょう)は川太郎の訴えに驚き、怒り、その弟小龍王金鱗(きんりん)、千年の簑亀(みのがめ)、近江鮒源五郎、すっぽんの沼太郎など、宗徒(むねと)の□類、眷属を皆ことごとく呼び集め、
「汝らは未だ知らずや。近頃大津の方ほとりに三好の清行という売卜者あり。彼は当今に仕える文章博士なるが、しかじかの罪あって、退けられし者なり。しかるにくだんの清行めがあちこちの漁師に教えて、この湖の鯉鮒を捕らせること大方ならず。さればこそあれ近頃は我が手下のうろくずの数がいたく減り失せ、水底寂しくなりにたり。もしこのままうち捨て置けば、遂に我がこの湖の魚の種は尽きるべし。我が大津の宿に赴いて、思いのままに清行を巻き上せ巻き下ろして微塵になさんと思うなり。所存はいかに」と尋ねれば龍王の切れ者のなまず坊ぬら倉が人をも待たずに進み出て
「候、真にしかるべし。唐土の賢き人は釣りすれども網せずと言う事もあるものを、清行はもとより儒者なるに漁師のために獲物を占い、我が輩(ともがら)を捕らせる事は実に憎むべき曲者なり。六王自らが荒れ出たまいて御征伐あらんことは万魚の幸い此の上なし」とはばかる気色もなく答えるのを簑亀はしばしととどめ、尾を引き首を長くして、のたりのたりと進み出て、
「この事はなはだしかるべからず。大王が世界へ出たまえば、さきに雲あり、□□に雨あり、大風(たいふう)、雷電(らいでん)を相従えて、木を倒し家を覆(くつがえ)し、田畑を損なわざることなし。例えあの清行に恨みを返したまうとも、日の神の御咎めをいかでか逃れたまわんや。再び御思案あれかし」と言葉を尽くして諫(いさ)めれば、小龍王、金鱗、大鮒の源五郎、三尺の鯉之進らのなみの子老だうは
「簑亀が申すところ、真に道理至極せり。漫(そぞ)ろに荒れいでたまえば、御後悔もや候わん」と言葉等しくとどめると、龍王はしばし頭を傾け、
「しからば我は雲を起こさず、また一滴の雨をも降らせず、しのびやかに立出て清行を謀るべし。謀り事は斯様斯様、しかじかなる」と説き示すのを簑亀らはなお危ぶんでしきりに争い諫めれども龍王は遂に聞かずして、独り汀(みぎわ)に立ちいでて、いと荒くれた武士に変じて清行の宿所に赴き、
「我は近頃田舎より糸上りせし者なり。明日よりの照り降りを占ってたまわれ」と言うと清行は心得て、めどぎをひねり卦(け)をしきて、
「明日は必ず雨降るべし。巳(み)の刻(とき)より雲起こり、午の刻より雨降り注ぎ、未(ひつじ)の刻にその雨止まん。水が増すこと三尺三寸四十八てんなるべし」と言われて龍王はあざ笑い、
「しからば貴殿と賭(かけ)をせん。占うところに相違なくば五十両を参らすべし。もしいささかも相違あれば貴殿はこの地を立ち去って生涯占いすべからず。▲この義はいかに」と後を押せば、清行はにっこと微笑んで、
「この事に少しでも相違あれば思いのままに計らいたまえ。それがし決して恨みなし」と言うと龍王はうなづいて、
「しからば言葉を番(つが)えたり。その後に及んでとやかくと逃げ口上は言わさぬぞ」といかめしく言葉をかためて、三好の宿所を発ちつつやがて湖水へ走り帰って、うろくず(魚)らを呼び集め、
「我は今日、斯様斯様に謀って清行と賭けをしたり。此の近江路に降る雨は我が司るものなるに、我が降らせずして誰が降らさん。さるをかやつは知らずして賭けをするこそ可笑(おか)しけれ。明日は必ず三好めに日頃の恨みを返すべし。心地良し心地良し」と誇り顔に説き示す言葉も未だ終わらぬ折から、思いがけなく日の神より御遣いを下されて、龍王に神勅(しんちょく)あり。
近頃は雨がまれにして下界の百姓が難儀に及べり。これにより明日の巳の刻(とき)より雲をしき、午の刻より雨を降らせて、未の刻に雨を止めよ。水の深さは三尺三寸四十八てんと定める。これは近江一国の田畑の損益にかかつらう事ぞかし。夢々粗略(そりゃく)あるべからずといと厳(おごそ)かに聞こえたまう神の恵みぞありがたき。さる程に龍王は思いがけなく日の神の勅状を承り、こはそも如何にと心驚き肝潰れ、呆然としていたが、たちまち息をほっとつき
「・・・・・さてもさても清行めは奇妙不思議の易者なり。既に日の神の詔(みことのり)がある上は明日は雨を降らせしと思いし事も仇(あだ)となり、我が力にも及び難し。さもあらばあれ、その後を伸ばして降る雨さえ少なくすれば彼には口をきかせまじ。詮方あり」と心でうなずき、さて次の日に辰の刻より雲を起こして午の刻に雷(いかつち)を鳴らし、未の刻より雨を降らせて申の刻に雨を止め、水を増すこと二尺ハ寸三十五てんにしたりけり。これにより田畑の為には潤い足らぬ所あり。しかれども龍王は清行を押し倒さんと思うばかりに心勇んで昨日の如くいかめしい田舎侍の姿に変じて清行の宿所に赴いて、門の格子を蹴放ちて進み入りつつ清行をはったとにらんで声をいらだて、
「この売卜(ばいぼく)めが、おめおめと面の皮のいと厚さよ。汝は昨日何と言った。巳の刻より雲起こりて午の刻より雨降り注ぎ、未の刻に雨止まん。水の増すこと三尺三寸四十八てんなるべしと定かに占ったにあらずや。そのこと全て当たらずして、辰の刻に雲起こり午の刻に雷(いかつち)鳴れり。かくて未に雨降って申の刻に晴れたるに、水の増すこと二尺ハ寸三十五てんなるぞかし。もしその占いが当たらずば我が存分になるべしと確かに言いしを忘れはせじ。そこ動くな」と罵りながら刀をきらりと▲引き抜いて、机をはたと切り倒せば、足はくじけつつ転んで、筮(めどき)、算木(さんぎ)もあちこちへ散り乱れる武者の狼藉、雨晴れしより幾人か裏問いに来た老若男女は、すは喧嘩とたち騒ぎ驚き恐れて押し合いへし合って表の方へ逃げいでて、行方も知らずなりにけり。しかれども清行は座したままにてちっとも騒がず、それ見て一人あざ笑い、
「こは理不尽なる狼藉かな。我が占いは皆当たれり。しかるを汝が私(わたしく)して時を延ばし雨を減らし、あの天勅(てんちょく)に背き、かえって我を罵るのは身の程知らぬ痴れ者なり。我は汝をよく知れり。汝は湖水の龍神なるべし。汝が密かに我を恨んで押し倒さんと謀る事の心を推するに、我がこの辺りの漁師に教えて鯉鮒なんどを捕らせるのをねたく思いし故なるべし。汝は知らずや。うろくずは人のために食となる天より賜(たま)うものなれば、ひとつの魚に数万の子あり。さるにより海川にていくらともなく捕れども尽きず、只これ天のはいさいにて、人を肥やすはうろくずの自ずからなる持ち前なり。いわんや近江、山城は海遠くして魚肉に乏しく、わずかに人の腹に満ちるは湖にて捕る鯉鮒のみ。その川魚が数多捕れて値安ければ人に益あり。我は世のため人のためにその方角を占って漁師に教えて捕らせしを、汝が私(わたくし)心で恨む事の愚かさよ。我は汝を許すとも天勅に違いし罪あり。天道いかでか許したまわん。かくても我を謀るや」と天地を見抜きし易者の明察、星を指されて龍王は心驚き慌ただしく刃(やいば)を収めてかしこまり、
「あら恐ろしき易学かな。実に明察せられるごとく、それがしは既に日の神の天勅に背いて刻を延ばし雨を減らせり。このこと重ねて御定めあれば、真に罪を逃れ難しと心ついても今さらに後悔臍(ほぞ)を噛めども甲斐なし。願わくば大先生、それがしを救いたまえ、救わせたまえ」とひれ伏して詫びつつしきりにかき口説けば、清行は聞いて、
「さればとよ、我、今、袖の内でその吉凶を占い見しに汝の命は助かり難し。大方は六尊王経基(つねもと)君に斬られなん。あの大君は清和の御孫貝すみ親王の御子なれば、今の帝も大方ならず召し親しませたまうぞかし。かかれば帝に願い申して、命乞いをしたならば助かることのありもやせん。この他には詮方なし。よくせよかし」と説き示せば龍王は清行を伏し拝みつつ涙を拭って暇乞いして帰りけり。
○されば龍王鱗長は清行に説き示されて、我が過ちを今さらに後悔すれどもその甲斐なければ、只すごすごと湖水を指して帰る折から、早くも日の神も勅使として海神(わだつみのかみ)、数多下りて引き連れ来つる下司の神たちに下知したまえば、皆々雲より下りたちて勅定(ちょくじょう)ざふと呼びはり呼びはり、驚きあわてる龍王をおっとりこめて動かせず、押さえて縄をかければ、龍王は只呆れに呆れて、こはそも如何にと▲問わせもあえず、海神は下知を伝えて波を開かせ、水をけたてて湖水遙かに引き立て引き立て、龍宮城へ赴きけり。
さる程に龍宮には思いがけなく日の神の討つ手の勅使が天下り、早龍王は召し捕られ引かれて帰り来つる由、おぼろげならず聞こえれば、龍王の弟の小龍王金鱗、千年の簑亀、三尺の鯉之進、大鮒の源五郎らは驚き騒いで、衣服を改め皆々勅使を出迎えて上座に招すれば、海神はし笏(しゃく)取り直して小龍王らに向かい、
「龍王鱗長、先だって天勅を受けながら、私(わたくし)の恨みをもって刻を延ばし、雨を減らして田畑の潤いをよくせざりし罪は最も軽からず。これにより龍王をかたのごとく召しとりぬ。日の若宮へ引きもて参って、頭をはねるべきものなり。その弟小龍王金鱗はさせる過ちなしと言えども、兄の非法を知りながら早くも訴え申さざる、これまた不忠と言いつべし。さればこれらの落ち度によって日の本の地に居る事を許されず、□むり司を召し放ちて、□□ての国へ流すべき者なり。さてまたなまず坊主ぬら倉は龍王に媚びへつらって折々悪事をすすめしよしきと罪すべき者なれども、高(たか)のしれたる下魚の事なり。□□□遠からず漁師の針□けさせて、遂に逃れぬ天罰を思い知らせよとの神勅なり。この余のうろくずささやかなるは□田し□にいたるまで御咎めはなきぞかし。この湖の頭の龍王兄弟は罪ありてかいえきせ□るる上からは千年の簑亀、三尺の鯉之進らのうろくずどもを支配して、ちちぶ□の神に仕え□□ちょくすべてかくのごとし。皆々□□□候え」といと厳重に言い渡して、早しずしずと座を立てば、その□□の神たちは引き分かれて海神に従い、ひさかたの日の若宮へ上りたまえば、その一□の神たちは小龍王をおつ□□雲に乗り、またたく間に筑羅(ちくら)が沖まで追い払い、皆々帰り上りけり。
[物語は二つに分かる]この時、天竺国(てんじくこく)の雷音寺(らいおんじ)では仏説釈迦牟尼如来がある日観世音菩薩に向かい、
「先にも説き示したる日本国に赴いて、かの名僧を引接(いんじょう)すべき時節が既に到来せり。かかれば菩薩をわずらわさん。さぁさぁあの土(ど)へ赴きたまえ。但し我はその昔、両界山に鎮め置いた岩裂の迦比羅こそ年頃我に仕えたあの金毘羅大王と一体で、例えば影(かげ)と像(かたち)の如し。あの者ようやく菩提に入りて、あの名僧の助けとならん。菩薩、此の度、済度(さいど)してあの名僧に救わすべし。されどもあの者は凡心を失せず、よからぬ心を起こさん事、またこれなしとすべからず。もしさる事のあらん時、斯様斯様に唱えれば、あの者苦痛なからんして、あの名僧に従うべし。昔、役行者小角が呪文で迦比羅坊を懲らせども、またその呪文をそのままあの者に授けたり。我がこの秘文ばそれにもまして彼を捕りひしぐ妙法たり。金毘羅、岩裂一体して日本国にとどまれば、利益(りやく)は類(たぐい)なかるべし。この余の事は先だって示せし如く心得たまえ」と▲いとねんごろに仏勅(ぶっちょく)あり。あの名僧に授ける袈裟と鉢を渡したまえば、観世音はうやうやしくその二宝を受け納め、如来に別れを告げ奉り、恵岸(えがん)童子を従えて、雲にうち乗りしづしづと東を指して赴きたまう。
かくて早、観音菩薩は流沙河(りゅうさがわ)まで来た時に、たちまち河の中より怪しき曲者が現れ出たと見れば、その鼻は高く尖って、さながら鳶(とび)のくちばしのごとく、身のうち全て栗色なり。腰には数多の髑髏(どくろ)をかけて、手には両刀の鉾(ほこ)に似た長き錫杖(しゃくじょう)を脇挟み、早水底より躍り出て、突き倒さんと競いかかるを恵岸は騒がず迎え進んで、金剛杖をうち振りうち振り、ちっともたゆまず戦うたり。
その時その者声をかけ、
「やよ、しばらく待ちたまえ。それがし、この河に住みしより数多の人を捕り喰らえども、かくまで激しき相手に会わず。そもそも御身は何人ぞ」と問われて恵岸はにっことうち笑み、
「知らずや我は救世(ぐせ)大悲観音菩薩の御弟子なる恵岸童子、すなわち是なり。今、現に観世音が彼処(かしこ)に立たせたまうぞかし。汝は如何なる化け物ぞ」と問い返されて、その者は慌てふためき手鉾を捨てて、遙かに菩薩を伏し拝み、
「それがしはその昔、日の若宮に仕えた天登々根命(あまつちおとねのみこと)なり。犯せる罪があるにより、唐大和の住まいが叶わず、この流沙河へ流されて身の置き所なきままに、うの□のたいに宿りて、かかる姿になりしかどさすがに命惜しかれば数多の人を捕り喰らいしが、そのうちに唐土より天竺へ渡って経文を取らんと欲する法師を害せしこと九人に及べり。この者共の髑髏(しゃれこうべ)はちっとも水に沈まねば、瓢(ひさご)に変えて腰に付けたり。大慈大悲の観世音、我が此の願を救わせたまえ、南無阿弥陀仏」と唱えると、観音は間近く立ち寄り、
「よきかな、よきかな、懺悔(ざんげ)には五逆の罪も滅びてん。仏法無量の方便あり。さばえなす悪しき神も過ちを懺悔して三宝に帰依する事ははなはだこれ神妙なり。いで法名を授けん」と悟定(ごじょう)と名付けたまい、
「御事はしばらく時を待て。遠からずして日本より名僧が渡り来て、金毘羅神王を迎うべし。その時、汝は力を尽くしてその名僧の助けとなれば、我仏如来(がぶつにょらい)に見参して両部の神と仰がれん。ゆめ務めよ」と諭せば天登々根(あまつととね)の羽悟定(うごじょう)はかつかにし、かつ喜びて水の底へ沈みける。
かくてまた観音、恵岸がとある山路を過ぎりたまうと忽然と怪しき曲者が行く手の道に現れたり。と見れば面(おもて)は紅(くれない)を八色に染めていと赤く、鼻高くして眼(まなこ)鋭く、手には熊鷹(くまたか)の足に似た熊手を引き下げ、走りかかって引き倒さんとするところを恵岸は得たりと引き外し、熊手を丁と受けとどめ▲
「あら物々しき悪魔の振る舞い。観音薩垂(さった・つちへん)の御供して東土(とうど)へ赴く恵岸を知らずや。後悔すな」とたしなめれば、その者は驚いて膝まずき、
「それがしはこれ、悪魔にあらず。昔、神日本(しんやまと)磐余彦(いはれひこ)の天王(神武天皇)が大和の国で御戦して、長髄彦(ながすねひこ)をうち滅ぼした時に御旗の手に立ち現れて軍功ことに高かりし稚鴟命(わかとびのみこと)なり。しかるにそれがしは功に誇って、無礼の振る舞い多かれば、日の神の逆鱗がなはだしく、遂に天上を追い払われて勅勘(ちょくかん)の身となれば、遠くここらにさまよって、人を喰らって月日を送る罪状をいかにせん。哀れ大悲の観世音、救わせたまえ」と詫びにけり。観音はこれを聞きたまい、やがて雲路を下りたちつつ言葉を尽くしてねんごろに諭したまう事は初めのごとく、また法名を賜って、すなわち悟了(ごりょう)と名付けたまい、日本国より金毘羅を迎えんために渡天(とてん)すべき名僧に従って大功をたて罪を贖(あがな)い深釈両部(しんしゃくりょうぶ)の神となる時節を待つに如(し)くことあらじと説き示したまうと、稚鴟(わかとび)の羽悟了(うごりょう)はしきりに喜び伏し拝んで森の内に退きける。
かくてまた観世音は恵岸童子を先に立たせて東を指して進みたまうと雲の中に龍神あって悶え苦しむ声がして、こは何故ぞと尋ねると龍神は菩薩を伏し拝み、
「それがしは日本国の近江の湖の龍王鱗長の弟で小龍王金鱗と呼ばれし者なり。兄の龍王は斯様斯様の罪により日の若宮へ召し捕られ、それがしは追い払われて遠くここらにさまよいつつ人を喰らって飢えをしのぐ身の不幸せを嘆くあまり悶え苦しみ候」と告げると観音は哀れんで、
「汝、宿世の業を感じて仏の道に入るならば、日本より来る名僧を助けて功をたてよ。さる時は兄鱗長の罪業もまた消滅して成仏せんこと疑いなし。その故は斯様斯様」と事つまびらかに示せば小龍王は感涙を止めかねつつ見送りけり。
さる程に観世音はまた幾ばく里の道を走って両界山(りょうかいさん)まで来た時に恵岸童子を見返って、
「昔、我仏釈迦牟尼如来が岩裂の威如神尊を(いにょしんそん)をいと容易くも鎮めて既に数多の年を経たる両界山はすなわちここなり。いざ立ち寄って見て行かん」となお山深く分け入りたまうと果たして千曳(ちびき)の巌の下に岩裂は押し据えられて、目は見えれども身は動かず、上には松かや生い茂り、下は茅(ちがや)に閉じられて無惨と言うも余りあり。その時岩裂は眼(まなこ)を見張って、いと苦しげなる声をはげまし、「なうなう(もしもし)観世音菩薩。それがしを救いたまえ、救いたまえ」と呼び張ると観世音は静かに立ち寄り、
「如何に岩裂、なほ見忘れずや。▲我は如来の仰せを受けて日本国の名僧を導くために東土へ行くなり。御事が真に前非を悔いて仏法守護の心を起こせば、自ずからあの名僧に救い出される時あるべし。そもそも御事の本体は始め讃岐に化生(なりいで)て、更に天竺国に赴き釈迦牟尼仏に仕えまつりて今もなお天竺の象頭山におるぞかし。さればその名僧は遠く雷音寺(らいおんじ)に赴いて釈迦牟尼仏を拝み祀り、金毘羅天を迎え祀(まつ)りて日の本に鎮座すべき。これらの因縁あるにより御事はひとえに心を尽くしてその名僧を助け引き、天竺国に赴いて、如来に見参するならば、本体用体(ようたい)合体して、御事はすなわち金毘羅なり。金毘羅すなわち御事なり。かくて利益を日の本に永く施すものならば、それにましたる神仏あらじ。しばらく時を待ちたまえ。これ只、如来の仏勅なり」初めて夢が覚めたごとく仏法無量の方便をかつ悟り、かつ感じ、いよいよ前非を悔やみけり。かくて観世音は恵岸童子を急がして、唐土さえも越えて早日の本にぞ着きたまう。
○延喜の帝(醍醐天皇)が御夢で龍王を哀れみたまう、この時なり。絵の訳は次の巻に詳しく見えたり。
さればこの時、大大和人皇(にんおう)六十代の天子を醍醐天皇と申し奉る。去る寛平九年七月三日、御父宇多天皇の御譲りを受けたまいて、その翌年に昌泰と改元あり。その後また延喜、延長と改めて、御治世すべて三十三年、そのうち延喜の年号のみ二十年まで続けば、世には延喜の帝とも唱え奉りぬ。此の君は文学に御志深く、治世安民の御政(おんまつりごと)みちにかなわせたまいしかば、耕す者は畦(くろ)をゆずり、商人は値を二つにせず、夜戸をささず、道に落ちた物を拾わずという唐国の禹湯(うとう)文武の時にもかなわせたまう聖王(みかど)なれども、惜しいかな御代(みよ)の初めに讒言をうけさせたまいて、罪なき官丞相(かんしょうしょう)を筑紫へ流させて斉世(ときよ)親王を閉じこめて、三好清行を追い退けて、その余の官家に縁ある輩を皆追い失いたまえば、怨霊しばしば祟りをなして世の中遂に穏やかならず、去る延喜九年には藤原の時平公、悪病により世を去り、あるいは洪水、雷電の災いあり。全て官丞相を悪し様(あしざま)に申しなしたる寧人(ねいじん)ばらは皆雷(いかずち)に打たれて死にけり。これにより帝は深く恐れたまいて官家を元の位に返して、その菩提をとわせたまい。官丞相の御子たちはいずれも都へ召し換えさせて、位司を授けたまえど、天変地妖(てんぺんちよう)やや静まってのどかになりし頃、帝のある夜の御夢にいと怪しげな一人の男が後ろ手に縛(しば)られて御側近くひざまづいて嘆き訴え申す様、
「それがしは近江の湖の龍王なり。斯様斯様の罪により日の若宮へ召し捕られ、既に死刑に定めらる。明日の午の刻に至れば、必ず▲六孫王(ろくそんおう)経基(つねもと)に斬られなん。哀れ経基をとどめさせ、命を救わせたまえかし」と繰り返しつつ申しけり。帝は不思議に思し召し、
「怪しや、罪を天に得た湖の龍王を経基が斬ることは心得難しと思し召せども、何にもせよ不憫のことなり。朕(ちん)が必ず救うべし、心安く思うべし」と他事もなくおおすれば、龍王は深く喜び、只感涙を流しつつ退き出ると見そなはして、早御夢は覚めにけり。
かくてその明けの朝、帝は昨夜の御夢が御心にかかりしかば、まず参内(さんだい)の殿上人(でんじょうにん)をたれたれぞと問わせたまうに、大方は参りしかども経基一人が参らねば、さぁさぁ呼べと呼ばしたまいつ。この日萬の訴えを聞こし召し果てる頃、経基、参りぬと聞こえしかば、ほとり近くはべらせて、さて昨夜の御夢を説き示さんとは予てより思し召したれども、
「・・・・・いやいや彼は心が猛くて武芸に秀でし者なるに、かくもはかなき夢物語を漫(そぞ)ろに説きも示しなば、必ず彼にさげすまれん。虚実は定かならずとも経基を今日一ト日内に引き止め置くならば、彼、いかにして龍神を斬り殺すことあらんや。要(えう)こそあれ」とたちまちに思し召し返しつつ、只さり気なく宣う様、
「朕、この頃はこれかれの政事(まつりごと)に暇なく、久しく囲碁の遊びをせず、経基、間近くはべれかし。それそれ」とおおすると女官たちは心得て、唐木の碁盤、螺鈿(らでん)の碁笥(ごけ)を御前にぞ据えたりける。かくて帝は経基と碁を打ちたまうと君臣工夫に時移り、更に余念もなき折ながら経基は眠りを催して、我にもあらぬ有様に女官たちは驚き呆れて呼び覚まさんとすれども帝は左右を見返って、
「いささかも苦しからず。只此のままに置きねかし。経基、歳なお若しと言えども常に武芸に心をゆだねて一ト日も怠(おこた)りあらずと聞けり。しかるを今かく安座して、これらの工夫に時を移せば、思わずも疲れて眠りたるにぞあらんずらん。そを咎むべきことか」と覚めるを待たせたまうと、しばらくして六孫王は忽然と驚き覚めて、いたく恐れかしこまり。臣、思わずも居眠りした大不敬の罪は逃れ難しと申すを帝は押しとどめ、
「否、その事は苦しからず。武芸にその身を砕く者はかかる時に疲れはいでん。さらば勝負をつけん」と再び石を取り上げて、なお興ぜさせたまいけり。
かかる所に使の廳(ちょう)よりにわかに相聞しつる様、
「先に午の刻ばかりに八坂のほとりに怪しき事あり。その丈、二十尋(はたひろ)余りの龍(たつ)が二つに斬られて空より落ちたり。その響きでか八坂の塔はたちまち戌亥(いぬい)の方へ傾きぬ。真に不思議の事なればと里人らが龍の頭をかきもて参りて訴えの事の趣、くだんのごとし」と聞こえ上げ奉れば、帝はいたく驚き、
「さればこそ、正夢なりけり。▲経基も承れ。朕が昨夜見し夢に近江の龍神が命乞いして斬り人はすなわち経基なり。救わせたまえと乞い願えり。朕、夢心に哀れんで救い得させんと言いし事あり。しかれども儚(はかな)き夢を大人気(おとなげ)なくしかじかと告げる事はいと恥ずかしき事なれば、まさしげには言いも知らせず囲碁にことよせ経基を大内に留め置けば龍を斬る事あらじと思いしが皆仇となりぬ。経基もまたその身に怪しと思いしことは無きや」と問わせたまえば、
「さん候、臣、先に思わずまどろんだ夢の内で日の若宮へ召されたり。その時天児屋命(あめのこやねのみこと)がそれがしに宣う様、「近江の龍王は威勅(いちょく)の罪あり。よって御辺(ごへん/お前)に斬らせよと日の神の勅定なり。さぁさぁ」と急がせたまうに、心得がたく思えども否み奉るには候はねど、天上にはいと猛き神たちが数多おわしまさんに、何らの故に経基に討たせる仰せやらん」と問わせもあえず、児屋命は「さればとよ、昔、スサノオの尊が出雲の日野川上のほとりにて山田(やまた)の大蛇(おろち)を斬りたまいし古事(ふるごと)のあるにより、今もなお龍を斬るにはその子孫に仰せつけられる。世を隔てたる事なれば、知れざる事もありぬべし。御辺はスサノオ七世の御孫の事代主命(ことしろぬしのみこと)の当今(とうきん)守護の御為に人間に数多下らせて貞純(さだすみ)親王の子とせらる。これすなわち日の神の御計らいによるものなり。されば御辺の子孫の者、天下の武将にそなわりて富み栄えたまわんこと、よしや我らが子孫と言うとも遂に及ばぬ所あらん。かかれば辞退は要(えう)なき事なり。これをもて斬りたまえ」と天叢雲(あめのむらくも)の宝剣を取り出して、貸させたまい□かくて牢屋に繋ぎ置かれたその龍を神たちが引き出せば、それがしは御剣(ぎょけん)を引き抜き、龍の頭を只一ト討ちに斬り落とすと、たちまちに驚き覚めて候」とことつまびらかに奏じれば、帝はいよいよ驚いて、
「返す返すも不思議の事なり。しかれば経基は国つ神にてありながら五位の位は足らざりき」とますます愛でさせたまいけり。
かくてその龍の頭は骸(むくろ)とともに焼かせて、灰を鳥部山(とりべやま)に埋めさせて、また御夢の趣をこれかれに示させれば、摂家大臣(せっけだいじん)を始めとして地下(じげ)の青じ(せいじ)に至るまで語り継ぎ聞き伝えて奇異の思いをせざるはなし。
しかるに帝は龍神を救い得させんと言いつるに救わざりし事、只これ朕が怠りなり、真に不憫の事にこそといとど悔しく思し召す御心が遂に結ぼれて(憂鬱)、その夜は御目も合わざりしに丑三つの頃よりして寝殿に物の怪おこりて、
「帝、などてや。我が一命を救わんと宣いながら知らず顔して斬らせたまいし。あら情けなの御計らいや。我が魂を返してたべ。頭を継いでたまわらずば遂には黄泉路へ伴わん。あらうらめしや」と叫ぶ声が御耳を貫き、御目にさえぎり、しばしばおびえたまいけり。
これより御悩(ごのう/病気)しきりで弱らせたまうばかりなれば、左の大□忠平公を始めとして公卿(くぎょう)、殿上人は驚き騒ぎ、典薬頭(てんやくのかみ)に勘文(かんもん)あって、御薬をすすめ奉るが露ばかりも印なし。あまつさえ夜毎夜毎に異形の物の怪が現れ出て、帝を悩ませば、宿直(とのい)の女房、生上達部(なまかんだちめ)も恐れおののくばかりで、いとど詮方なかりしかば、▲公卿しきりに詮議あって、こんえの大将兵状(へいじょう)を帯し諸□士(しょえじ)を率いて寝殿を守護し奉り、あるいは叡山三井寺の碩学(せきがく)うげんの名僧を選んで物の怪を祓(はら)わせたまい、あるいは経基の大君に仰せつけられて、蟇目(ひきめ)を行わせたまいし程に物の怪もようやく遠ざかり、六孫王の宿直(とのい)の夜は襲われたまうこともなく、夜もすがら眠らせたまう。
さりとて全く物の怪が退き去りしと言うにもあらず、これにより諸卿が再び詮議あるが評論まちまちにして事果てず、その時大臣忠平公は遙か末座の都良香(とのよしか)を見返って、「そこには何と思わるる。存ずる旨もあるならば、皆これ君の御為なり。さぁさぁ申し候へ」とねんごろに仰すると良香はわずかに小膝を進めて、
「さん候、愚案なきにも候わず。あの物の怪を鎮めるには雲居寺(うんこじ)の浄蔵ならで誰かまた候べき。浄蔵法師を召し寄せて、玉体に近づかせ加持せさせたまえかし。法げん過ち候わじ」と他事もなく申しけり。大臣は聞いて、
「さればとよ、我もあの法師の事は伝え聞きつる事あれども、如何にせん、彼は勅勘をこうむりし三好の清行の子にあらずや。しかるを玉体に近づけて御加持に召さるべき。こはなり難し」と宣えば、良香は重ねて、
「否、清行の勅勘はその罪に候わず。かつ法師の者は親に離れ世を捨てて仏に仕える者なれば、その親の故をもて遠ざけらるべきものにあらず。召されて法げんあらんには恩賞として清行を召し返したまわん事、何の子細が候べき」とはばかる所もなく申しけり。
そもそもこの都の朝臣(あそん)良香は先には官丞相と親しみ深く、去る頃羅生門で鬼神のつぎたりし名誉の学者なりけるに、忠平公も心映え兄時平公には似ずに、私(わたくし)なき賢相(けんしょう)なれば、遂にその義に従って、浄蔵法師を召されけり。
かくて浄蔵は参内して玉体をうかがい奉り、退いて申すには、
「丹精(たんせい)を抜きんでて法力を尽くせば印なきとは候わじ。但し、その物の怪が一旦立ち去り候とも幾程もなく返り来るべし。永く祓い鎮めるには経基をも等しく召されて重ねて蟇目を行わせ、武術、法力合こ(がっこ)せば、いよいよ魔性の雲切り晴れて、再び祟りのある事なからん。これすなわち父清行が申しこしたるうらかたの趣にこそ候え」と確かに奏し申せば、さる事もあるべしと六孫王をも召し寄せて、しかじかとぞ仰せける。さる程に浄蔵法師は寝殿に壇を構えて護摩を焚き上げ、呪文を唱え、秘術を尽くして祈ると、その夜の丑三つとおぼしき頃、寝殿しきりに鳴動し、血潮に染みたる悪霊が忽然と現れ出て、走り去らんとする所を経基はすかさず弓取り上げて、弦音高く引き鳴らせば、不思議なるかな御殿の内に鏑矢(かぶらや)の音が鳴り響き、▲さすがの悪霊たちも得去らず只弱々となる所を浄蔵たちまちおっとおめいて持ったる独鈷を投げ付ければ、悪霊やにわに微塵になって秋の蛍の群れ飛ぶごとく四方へぱっと分かれ散り、行方も知れずなりにけり。
これを見た月卿雲客(げっけいうんかく)はあっとばかりに声を合わせてしばし感じ止まざりけり。さればその暁(あかつき)より帝の御悩が半ばおこたれば、御感もっとも浅からず、臨時の除目(ぢもく)を行われ、すなわち経基大君の位一階(いっかい)上せたまい、また浄蔵法師にも僧位、僧官望みのごとく授けさせたまわんとしきりに仰せいだされしが浄蔵は否みて受け奉らず、
「およ此度の大功は六孫王の武徳によれり。それがしにいかばかりの功があるべき。しかれども武術を助けしそれがしの加持にも奇特ありけりと思し召さば、父清行を勅免ありて、召し返させたまえかし。この余の事は願わしからず」とひたすら申しはなちて、只一ト種(くさ)の被け物(かずけもの)をも固く否んで受け奉らず、そのまま内裏を走り出て、八坂のほとりまで来つる時、所の者共が待ちてやありけん。皆あちこちよりたちいでて、浄蔵法師を引き止めて、
「聖、この八坂の塔は名高き塔にて候いしが、去る頃、斬られし龍(たつ)が空よりだうと落ちし折にその響きにや寄りたりけん。アレ見そなわせ、あたら塔が傾いて、倒れもすべくなりにたり。しかれども此の塔を元の如くに起こす事は幾千人の工手間(くでま)かかれば、数多の財(たから)なくては叶わず、哀れ聖の法力で祈りを起こしたまえかし」と乞い求めつつ離さねば浄蔵ほとほともてあまし、
「こは思いもかけぬ事かな。人の病や諸願の事は祈りて印ある由あれども、かく大層なる塔がいたく傾きたるものを祈って起こす法やある。我が力には及び難し。この事のみは許せかし」と否めども、「印なくてはさてやみなん、まず試みに祈りたまえ」とせちに求めて帰さねば、浄蔵はここぞ一世のふちんとその塔に立ち向かい、心を澄まし眼を閉じて半時ばかり祈ると不思議なるかな戌亥(いぬい)の方へ酷く傾く塔が次第次第に立ち直り、元のごとくになりにけり。この時、南海観音菩薩が恵岸童子を引き連れて雲の内に現れて、二十八部の諸天に下知して、その塔を起こさせたまうと浄蔵法師の目にのみ見えて、諸人の目には見えざりけり。
さればこれらの法げんが世に隠れなく聞こえれば、その加持を請い、祈祷を請う者、日毎に運居寺へ群集(くんじゅ)していとかしがましかりければ、浄蔵今は□ぐみ果て詮方もなく思う程に、ある夜の夢に観音菩薩が浄蔵に告げたまわく、
「祈りて人を救うもの、只是(これ)有漏(うろう)の縁にして、大功徳と言い難し。昔、東寺の空海法師はしばしば法げんを現して、世のために利益ありしも多くは水無き所に泉を出し、あるいは出で湯なき所に湯を出せば、その利益は今の世まで幾万人の助けとなれり。世の衆生は限りなし、例え日毎に幾百人、幾千人に加持するとも世界の人に比べれば、九牛(きゅうぐ)の一毛(いちもう)なり。かくささやかな功徳をして、かえってその身を苦しめるは愚かなる業ならずや。只名聞(みょうもん)を捨てて施を積んで、その法力を現すことなく一心仏(いっしんほとけ)に仕えんと乞い願うものならば、求めずして世を救い人を救う功徳あらん。よくよくこれを思うべし」とまさまさしく示現あれば、浄蔵は感涙胸に満ち、かつ恐れかつ喜び、たちまちに先非(せんぴ)を悔いて、これより人の為に加持祈祷の求めに応じず、しばらく群集を避けるために密かに▲寺を逃れ出て、熊野の那智に参りつつ観音賛(かんのんさん)を修行して行いすましていたりける。
○これはさておき三好の清行はその子浄蔵法師の法力の功により、遂に都へ召し返されて元の位に一級を増し上し、五位の上を授けられ、式部(しきぶ)の少輔(しょうゆう)にぞなされける。さてまたその妻玉梓は名僧の母なればとて、これも等しく召し出され、浄蔵が辞退した黄金、白金、巻き絹をたまわりつ、恩賞大方ならざりければ、清行夫婦はたちまちに喜びの眉(まゆ)を開いて、元の屋敷に帰り住み、帝に仕え奉り忠勤おこたりなかりけり。
これしかしながら浄蔵法師の孝心の徳なりとて、皆人感じうらやんで初めよりなお清行を敬う人が多ければ、帝はいよいよ愛でさせたまいて、何事の詮議にもまず清行に問い定めてよくよく聞けとぞ仰せける。■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第三編下

2017-02-25 09:06:14 | 金毘羅舩利生纜
さる程に、延喜の帝は浄蔵法師、経基らの法力、武芸の徳により物の怪も遂に消散して、御悩はこれよりいささかづつも御心良きに似たれども、なお御枕は上がりかね、再び危うく見えさせたまえば、御自らも今は早頼み少なく思し召しけん。ある日、三好の清行を寝殿に召し近づけて、
「先には汝の子の浄蔵らの修法により物の怪はやや退きしが朕の病は癒えずして、臨終を待つばかりなり。朕が誤ってその昔、罪なき菅丞相を筑紫へ流し、かつ骨肉を疑うて、斉世(ときよ)親王におもひ死をいたさせて、あまつさえ菅丞相に縁(ゆかり)ある者どもをあるいは流し、あるいは害した此の罪障をかえりみれば、恨むせ絶えてあるべからず。今更いかなる功徳をもって冥途の苦患(くげん)を助かるべき。浄蔵などが予てより言いつる事は無かりしか」と御心細げに問わせたまうと清行はこれを承って、
「御心安く思し召されよ。それがしの学問の師の菅原是善は死して泰山府君(たいさんふくん)となれり。その由、年頃、まざまざと夢に見て候えば、それがし密かに是善に状を送って、君を守護させたまわん。菅家の輩(ともがら)が冥土にて君に仇する事ありとも、かの是善は▲菅丞相の親なり。呵責を防ぐ御後見には彼にます者候わじ」とて御前においてその書状をしたためて奉れば、帝は女官に心を得させてやがて書状を御髻(もとどり)の内にぞ納めたまいける。
かくて帝は次の日に御歳二十五歳にて遂に崩御したまいしかば、女御(にょうご)后(きさき)の御嘆きは更なり、上一(かみいち)の大臣より諸司(しょし)百官に至るまで涙に束帯の袖を濡らして、皆呆然たるばかりなりしを、さてあるべきにあらざれば左の大臣忠平公はまず万民に触れ知らせて、東宮(とうぐう)寛明(ひろあきら)親王を御位に付け奉らんと用意取り取りなる程に、清行は密かにこれをとどめて、
「その義は急がせたまうべからず。帝は日頃の御悩によって一旦事切れたまいしかど、御寿命未だ尽きさせたまわず、今より三日の後、御喜びの事あらん。しかるを逸らせたまえば御後悔もや候わん」としきりに諫め申すと忠平公は余りの事に心得難く思えども、事みな百発百中すという易学者の申す事なり、要あるべしとうなずいて、帝崩御の御事はなおしばらく披露に及ばず、公卿おのおの宿直(とのい)して、御亡骸を守りつつ儚(はかな)く日をぞ送りける。
さる程に帝は事切れたまいし時に御魂やさまよいけん。いと茫々(ぼうぼう)たる荒野(あらの)のほとりに独り佇みたまいつつ、つらつら辺りを見返りたまうと、いと暗くして文目(あやめ)を分かず、ただきらきらときらめく物は向かうに高き山ありて、林のごとく植え並べた剣の光なりければ、帝はしきりに驚きたまいて、「浅ましや、我は早地獄にこそ落ちたりけれ、いかにせまし」といとどなお思いかねさせたまう折から、数多の人の叫ぶ声してたちまち鬼火が燃え上がり、昼よりもなお明かりけるに、痩せさらばいた餓鬼どもがいくらともなく現れ出て、「あつ仁(ひと)□来たりたれ、日頃の恨みを返せや」と、おっとり囲んで鞭(しもと)を上げて打ち奉らんとひしめく時に、たちまち後ろに人あって、「無礼なせそ」と止めれば、餓鬼どもはこれを見返って、「府君がとどめたまうなり。皆引け引け」と罵り合って、いつちともなく失せにけり。その時そのとどめし人が静かに雲より下りたって、帝の御前に膝まづき、
「君がいとけなくおわせし時、それがしは既に世を去れば、御見覚えあるべからず。それがしは従四位の上大学の頭(かみ)菅原の▲是善(これよし)にて候なり。されば学問の徳により死して泰山府君となれり。この身はすなわち南山にあり。人の命の長き短き、それを司る職役なれば、もし定業(じょうごう)ならぬ者が非命に死する事もあらんとそれらを改め正さんために、かく地獄へも通い候。しかるに今君臣の義をわきまえず恨み奉る者どもが打ち懲らし奉らんとてひしめきたる折に、参り合わせしは思いなき幸いなり。今一ト足遅ければ真に危うき事なりき」とまた他事もなく申すに、帝は御感浅からず、
「さては是善なりけるか。先には朕が過って菅丞相を筑紫へ流し、その方様(かたざま)の人々を追い失いし祟りによって、飢饉、洪水がうち続き、あまつさえ時平は悪病で既に身まかり、その余の輩、藤原の清貫(きよつら)、たびらのまれ世なんどまで、皆雷にうち殺されて悪名をのみ残したり。こは菅丞相の祟(たた)りぞと人も申し、朕も思えば、近頃あの丞相を元の位に返し上せて、その子らを召し返せしが怨霊なおも空(あ)かずやありけん。朕の齢が長からで死しては餓鬼の□□□□□□、これらの事は予てより三好の清行が考え定めて御事に寄せた書状あり。頼むは是善ひとりのみ、とにもかくにも計らいてよ」と心細げに仰せつつ、その書状を取り出して是善に渡したまえば、是善は受け取り開き見て、にっこと微笑み、
「この状がなくともそれがしいかで君の御為なおざりに存ぜんや。天災地妖怪うち続き雷火に撃たれし者さえあるを、世ではただ道真の祟りと申せども、道真がいかでか君を恨んでさる祟りをいたすべき。その身は人の讒言にてさすらい人とまでなりしかど、天をも恨まず人をも咎めず、君悪しかれと思わぬ由はその歌その詩に表れて、知る人ぞ知ることながら、さしも咎なき大臣を無実の罪に苦しめたまい、その輩をいと酷(むご)く罪なわしたまえば、神は怒り人憤りしその気の下(しも)に結ぼれて、飢饉、洪水うち続き、あるいは内裏(だいり)に雷落ちて打たれて死せし者さえあり。これすなわち天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)の御計らいにて、道真の業にはあらず。ただやいしんの徳により我が子ながら道真は自在天に忠信して天部の神となりて候。しかれどもその輩は道真が心延えに似たる者がなければ、なお冥土には今のごとく君を恨み奉る怨霊なしとすべからず。これらは幾人ありとても何事をかしいだすべき、それがしいささか計らう旨あり。閻魔王に見(まみ)えたまえ、御道しるべつかまつらん。こなたへこそ」と先に立って導き奉れば、帝はたちまち是善が言うことを悟って御感いよいよ浅からず、
「実に菅原の丞相は類少なき大忠信、多く得難き賢人なり。またその父の是善もただ者にはあらざりけり。これより□三好の清行、都のよし香らにいたるまで、皆神□に通じたる博物の学者にして忠義の輩なるを、朕は疎(おろそ)かにしてこれを遠ざけ、寧人(ねいじん)ばらに惑わされ、そしりを後の世に残し、恥を冥土に輝かさんは実に浅ましき事なりき」と御後悔しきりに引かれて森羅殿(しんらでん)に赴けば、閻魔王が御橋(みはし)を下りて帝を迎え奉ると帝はいたくへりくだり、
「朕は冥土の罪人なるに、大王などてねんごろなる。ただここもとに」と否みたまうを閻王は理無(わりな)く御手を取り、客人(まれびと)の座におし据え参らせ、
「君はこれ南贍部州(なんせんぶしゅう)大大和の陽王なり。我が身はすなわち冥府の陰王。自ずからにその品(しな)異なり。さのみは辞退したまうべからず。先には時平に憎まれて無実の罪で死せし者が君を恨んで訴えいで、近頃はまた近江の龍王は君があの約(やく)に背いて救いたまわざりし由をしきりに恨み憤りて愁訴すること暇もなきに、君が命数(めいすう)今早尽きたまひぬる由を冥官らが申すにより、ここへ迎え取りしなり」と説き示し申すと是善はこらえず進み出て、
「そは間違いにて候べし。この君の御命がただ今尽きさせたまわんや」となじれば、閻王は方へなる鉄の帳を取り、「しからば府君、改め見たまえ。よも間違いはあるべからず」と言いつつ渡すその紙を是善は受け取りおし開き、繰(く)りつつ見ればちっとも違わず、南贍部州日本国人王六十代の天子諱(いみな)はあつ仁(ひと)、在位一十三年にして薨(こう)ずとあり、是善は大きに驚き、密かに早くも筆を取り、一十三の一の字に▲二画を加えて三となしぬ。からぬか木にうち微笑み、「大王これをよく見たまえ、在位は三十三年なり。およそ昌泰元年より今年延喜十年までは十三年にこそ候え。しかる時はこの君はなお二十年の果報あり。冥官達の粗忽(そこつ)にこそ。よく見たまえ」と差し寄せれば、閻王もまた驚いて、
「泰山(たいざん)府君(ふくん)なかりせば、民に父母□たるこの君の寿命をほとんどあやまつべし。粗忽を許したまいね」と詫びつつもてなし参らせれば、帝は深く喜んで
「思いがけなく大王の恵みをこうむるかたじけなさよ。それがしも娑婆へ帰れば何にもまれ参らせん」と他事もなく宣えば、閻王はしばし案じて
「それがし好んで折々に抹香(まつかう)を舐めるが、冥土の抹香は全て色黒くして匂い薄し。日本国伊豆山の樒(しきみ)をもって製する物は、その色は樺(かば)の如くにして匂い高しと聞き及べり。もしちとの抹香を贈りたまうことあらば、何よりもって賞翫(しょうがん)すべし」と言うに帝はうなずいて、「そは殊更(ことさら)に易き事なり。必ず贈りまいらせん。さても朕の族(うからゆから)の誰が命の短からん」と問えば閻王は再び頭を傾けて
「君の同胞、妃(きさき)たちはいずれも命長かるべし。但し御妹節折(よをり)の内親王のみ世を早失わん。その余の上は憂いなし」とねんごろに示し申せば、帝は遂に別れを告げて返り去らんとしたまうにぞ、親王すなわち菅原の是善を見返って、「生ける人の差し引きは泰山府君の職分なり。帝をよきに導いてさぁさぁ帰し参らせてよ」と言うと是善は欣然(きんぜん)とやがて帝の御供して、森羅殿をたちいでて初め行き合い奉りし剣の山のほとりまで送り付け参らせて、さて帝に申す様、
「それがしがなお何処までも送り奉らんとは思い候へども、大方ならぬ職分あれば、ここより御暇をたまわるべし。先には君に仕えし左大辨(さだいべん/左大臣)希世(まれ)は冥土にあって、その役重く亡者の採用を司れり。希世を代わりに御道しるべに参らせん。召され候え」と申すと帝は眉根をひそめ、
「怪しや希世はその昔、時平にへつらって菅丞相を傾けたねじけ人なるにより雷火に打たれて死せしにあらずや。しかるに死しては呵責もなく、かえって重き司人(つかさにん)となる事のいぶかしさよ。故もやある」と問わせたまえば是善が答えて、
「さん候、希世は萬に私(わたくし)なく心正しき者なれども、不幸にして藤原の清貫(きよつら)らと諸共に雷に打たれて死したれば、世には時平の方人(かたうど)で悪人なりと言われるは、いよいよ希世が不幸なり。これらによっても天災地妖は皆道真が業ならぬ道理を悟らせたまえかし」と申す言葉も終わらぬ折から、たひらの希世が来たりて、帝にまみえ奉り、是善に立ち替わって御道しるべをつかまつれば、是善はそのまま帝に別れ奉り、早南山へぞ帰りけり。かくて帝は希世に引かれて焦熱地獄(しょうねつじごく)を見そなわするに、牛頭馬頭が獄卒ら痩せさらばいた罪人を大釜で茹でるもあり、あるいはいたく縛り付けて釘抜きで舌を抜く、目も当てられぬ有様に帝は深く恐れたまいて、
「さても無惨や。在りし世にいかばかりの罪を作ってかかる呵責にあうやらん。真に不憫の事なり」と深く哀れみたまうに希世は声を潜まして
「君は見忘れたまいしか。ただ今舌を抜かれるは菅丞相を虐(しいた)げて無実の罪に▲落とした時平公にて候なり。またあの釜で茹でられるのは時平にへつらって菅家を悪し様に申しなしたる藤原の清貫(きよつら)なり。されば三好の清行とまた藤原の清貫は文字こそ変われどきよつらと唱えるその名は等しけれども心延えを尋ねれば善悪邪正(ぜんあくじゃしょう)、雪と炭なり。彼らの上を見そなわして寧人を遠ざけたまえば何の恐れか候べき」と密かに諭し奉れば、帝はしばしばうなずいて、
「さるにてもこの人々の菩提を弔い得させんには如何なる功徳を良しとせん」と問わせたまへば希世答えて、
「もし千本の卒塔婆を立てて菩提をとわせたまえば成仏せん事疑いなし。今は早これまでなり。さぁ此方(こなた)へ」と急がし申して剣(つるぎ)の山の麓を過ぎると数多の人の叫ぶ声して、此方を指してくるに似たり。帝はこれに進みかね、「またもや以前の怨霊どもが朕を討たんとするにやあらん。いかにすべき」とたゆたいたまえば希世は帝に申す様、
「これらの事は御心安かれ。かくあるべしと存ぜじれば、白太夫の五千貫の銭を密かに借りうけ施餓鬼(せがき)に引かせ候なり。あれ見そなわせ」と申しも果てぬにくだんの銭を車に引かせて、三途川の婆をひきそい来つ、「御背牛(せぎゅう)ざふ」と呼び張れば、何処ともなく数多の餓鬼がおびただしく集い来て、くだんの銭を百二百ずつ施すままに受け頂いて皆喜びて帰ると見えしが、ただこの功徳によりたりけん。帝を恨み奉りしその人々は仏果を得て雲に乗りつつ皆諸共に極楽国へ飛び去りけり。
その中に近江の湖水の龍王鱗長は三十六禽(きん)流天の内の金龍王と表れて遙かに帝を伏し拝み、弥陀(みだ)の浄土へ飛び去れば、三途の婆は獄卒らに唐車(からぐるま)を引かせつつ、帝と希世に会釈して川辺を指して帰りけり。帝は希世の働きを大方ならず褒め、
「汝は朕が為に白大夫とか言う者の数多の銭を借り出して、施餓鬼の功徳を行いしは返す返すもいみじき業なり。朕がまた生きて浮き世に帰ればその銭を返すべし。そもそも白大夫と言う者はいかなる人ぞ」と問うと希世は答えて、
「さん候、彼は太宰府の民なるが菅丞相が左遷の折に心を尽くして仕えたり。かくて丞相が世を去りては只その菩提の為にと日毎に一銭ニ銭づつ手の内を施すこと今に至りて怠らず、さればこれらの功徳によって来世は必ず幾万貫の分限(ぶげん)となるべき果報あり。その徳は遂に冥土へ通じて来世に持つべき金銀が今早ここに積んであり。それがし今は財用(ざいよう)を司る職役なれば、その白大夫の銭を借りて背牛(せぎゅう)には引きしなり。君がまた浮き世に帰りたまえば▲これらの事を忘れたまわで銭を白大夫に返させたまえ。これよりあなたは山路なり。これに乗りたまえ」とて斑(まだら)の牛を引き寄せると、その牛頭(うしかしら)は人にして五体は獣に異なる事なし。帝は怪しと思し召し、まずその故を尋ねたまうと希世は答えて
「およそ世に在りし時、牛馬をむごく使って、その苦しみを思いやらず、あるいは養父母、養子の類、密かに相犯せし者は、死して必ず畜生道の苦しみを受けることは全ては此の牛のごとく」と説き示し奉れば、帝はいとど浅ましくことさら不憫に思し召せども、かくてあるべき事ならねばその牛に打ち乗って一つの山を越えたまえば、ここぞ名に負う血の池のほとりに近づきける。かくて帝は血の池の有様をご覧ずるに、池水は皆血潮にて生臭きこと言うべくもあらず、男女の亡者が幾人か獄卒どもに追いやられ、あるいは沈みあるいは流れるくれんの波の間より冥火(みょうか)しきりに燃え出れば、水に溺れてまた更に火にまた焼かれる大叫喚(きょうかん)、火水の責めに耐えかねて、泳ぎ着きつつようやくに岸に上らんとする者は剣のごとき岩かどに身を裂かれて転び落ち、叫び苦しむ有様を見るに目もくれ胸潰れ、身の毛もよだつばかりなり。帝はかかる罪障(ざいしょう)の浅ましくも哀れにも例える物の無きまでに、いとど不憫に思し召し、御涙をとどめあえず、
「やよ、希世。この血の池と言うものは世に難産で死せしおなごが落ちる地獄と聞きたるが見れば男も数多あり。いかなる故ぞ」と問いたまえば希世は答えて、
「さん候、血盆経(けつぼんきょう)は偽経にて、いとうけられぬ事のみ多かり。死して黄泉路へ来る者の悪人は地獄に落ち、また善人は極楽へ必ず至るものなるに、難産で死したりとも犯せる罪の無き女がいかでか此の血の池に落ちて地獄の苦患(くげん)を受けんや。彼らは全てありし世に利欲の為に兄を虐(しいた)げ弟を害し、妻を売り子を売り、親の悪事を表し、あるいは叔父姪と争うたぐい、血で血を洗うて恥とせざりし、およそこれらの報いにて此の血の池地獄へ落ちたり。さるによりおなごより男が多く候」と説き諭し奉れば帝はたちまち御疑い解け、いとど恐ろしき因果の道理を▲悟らせたまいて、牛を早めて行き過ぎたまいつつ、また幾里をか来ぬらんと思し召すと、たちまち空は明るくなって初めて草木を見そなわするに、遠山のたたずまいも在りし冥土に似ざりけり。その時希世は忙わしく帝の御裾を引き動かして
「是の所は既に早あの世この世の境にて、向こうの橋を越えれば現世にいでさせたまうなり。さぁさぁ」と急がし申して牛を追いつつ行く程に、その橋で帝は牛の上より遙かに下をご覧になるとその丈三尺あまりの鯉の内全て紅(くれない)の鱗(うろこ)に黄金の色を交えて辺りも輝くばかりなれば、しばらく牛を留めさせ見とれておわします程に、希世もつくつく見下ろして、「実に珍しき鯉にこそ、よく見そなわせ」と言いながら御ほとりに立ち寄りて、やにわにはたと突ければ、帝はあなやと叫びもあえず、たちまち千尋(ちひろ)の水底へ落ち入りたまうと思し召せば、忽然と御息が通って黄泉路返らせたまいつつ、なおもしきりにおびえたまいて、「希世が朕を□□□□□□□□」と叫びたまうにおん始めとして、むまたの公いいおんなきがらをうち守りてありしかば、皆々驚きかつ喜んで、「すはや御蘇生ましませしぞや。あな目出度や」とどよめいて御薬を勧め参らせ、その後に御粥をたてまつるとようやく陰気が失せて、御心地すがすがしく遂に本復ましましけり。
帝が事切れたまいしより、ここに至って三日なり。清行の占い申せしその事すべて違わずと忠平公は感涙にむせびたまうぞ理(ことわり)なる。さればまた女御、妃の御喜び、冥婦、うねめに至るまで、憂いの袖をひるがえして、いきまざる者なかりけり。
かくて帝は人々に地獄の有様を告げさせたまいて、菅原の是善が泰山府君となりし事、かつ左大辨希世の事、すべてこの両人がいたわり導きまいらせる事の体たらくを物語りつつ、また宣う様、
「菅丞相は天部の神と現れたる由、確かに聞けり。さても年頃の飢饉、洪水、雷火の災いありし事はあの丞相の業にはあらず。こは賢人を追い失い罪無き者を罪したる政治(まつりごと)の道ならぬをあまつ神が咎めて、さる災いを下せしなり。かかればあの丞相のいささかも私なきその忠信を知るに足れり。増官(ぞうかん)増位(ぞうい)あるべし」と菅丞相を押し上し、正一位太政大臣を贈らせたまい、さらにまた天満大自在天神という神号をたまわりて、社(やしろ)を建立すべき□□□□□□□□(ここの文章の不明)神になされ雅規(まさのり)を四位の右大辨になされ、この余、淳茂(あつしげ)、清よしらにも司位(つかさくらい)を上せたまうが菅原の文時(ふんとき)のみいたわる事ありと申して、この日の除目(じもく)にあわざりけり。かくてまた帝は三好の清行を呼んで、
「汝の易学に妙あること今に始めぬ事ながら、なかんづく冥土黄泉(こうせん)へ書状を寄せて朕がために計りしは昔の小野の篁(たかむら)なりとも及ぶべきところにあらず。しかのみならで▲朕の齢(よわい)が尽きざりしをよく知って大臣をとどめたは鬼神不思議の先見なり。そを賞せずにはあるべからず」と四位の位を授けて、式部(しきぶ)の大夫(たいふ)になされけり。かくてまた宣う様
「朕が冥土にありし時、恨みある亡者どもに取り巻かれんとした時に希世が早くも計らって白大夫という者の鳥目(ちょうもく)五千貫文を借り受けて施餓鬼に引けば、たちまち此の功徳によって呵責を逃れしのみならず朕を恨みし亡者は更なり、あの近江の龍王さえ皆たちどころに成仏して、極楽浄土に赴きぬ。かかればその鳥目を大夫に返さずはあるべからず。さてもその白大夫は元より筑紫の民にして菅丞相の左遷の時、三年の間、心を尽くしてよく仕えた者なりとぞ。かくて丞相が世を去りてはその菩提の為にと常に一銭ニ銭づつ手の内なる施行(せぎょう)をして怠る事が無きにより、その功徳が冥土へ通じて来世は必ず幾万貫の大福長者となりぬべき。これらの果報あるにより、その銭積み冥土にあり。さるを希世が借り出して朕が為に背牛に引きたり。汝は元より菅家の親是善の弟子にして丞相とも親しかりき、大方ならぬ好(よしみ)あれば、急ぎ太宰府にまかり下って朕の心を告げ知らせ、その白大夫に物を取らせよ。なおざりにすべからず」とつまびらかに示して、その五千貫に一倍の息(そく)を加えて一万貫をたまわるべき由を掟させれば、
清行は謹んで勅(みことのり)を承り、旅装いを整えて、その御銭を船に積ませて雑色数多引き連れて、その身も同じ船路より太宰府を指して走らせけり。さる程に清行は早その地に着けば太宰の大弐(だいに)に案内して勅命の旨を伝え、次の日その御銭の唐櫃(からひつ)をかき担わせて、自ら白大夫の宿所に赴き、近頃帝が冥土に於いてしかじかの事により五千貫の鳥目を借りし由を告げて、今また五千貫を増し下され一万貫の青差しをもたらし来つる事の趣、大方ならぬ勅(みことのり)を伝え知らせて、御賜物を置き並べ早渡さんとしてければ白大夫は驚いて、
「そは思いがけぬ事なり。それがしに何の徳あって来世の果報をこの世から承る由あらんや。菅丞相に仕えしは、あの君の無実の罪を哀れみ奉りしのみにして、またその菩提を問い奉るは三年の間浅からぬ御恩を受けしによりてなり。それがしは帝様に銭を貸した覚えなし。得知らぬ銭を一文なりとも賜る言われは候わず。この事のみは許させたまえ」と田舎親父の片意地にいかばかりと説き諭しても受け引く気色がなければ、清行はほとんど持て余して飛脚を都へ上せつつ、事の趣を告げ奉ると帝はその白大夫が利欲に疎(うと)き朴訥(ぼくとつ)なるを大方ならず御感ありて、すなわちその一万貫になお数多の宝を加えて、天満天神の御社(みやしろ)を太宰府に立ちさせたまい、白大夫を末社として生きながらに神に祀(まつ)らせ、その子供らを召し上して、牛飼い舎人(とねり)になされけり。今も天満宮の末社の白大夫の社はこれなり。かくて三好の清行はこれらの御用を承り、その御社が成就の後に都へ帰り上りけり。
○かくてまた帝は忠平公に宣う様、
「朕は去ぬる頃、冥土で閻魔王に相見(あいまみ)え、そのもてなしを受けし時に伊豆山の樒(しきみ)で製した抹香を贈り遣わすべき由を約束せしことしかじかなり。かかればその身の命を捨てて冥土へ遣いすべき者を尋ねてこれを得たならば早く冥土へ遣わすべし。しかれども権威につのって人の命を取らん事は最も不仁の沙汰なれば、左様の事はすべからず▲さればとて助け難き罪人などの命を取って仮にも勅使とすべきにあらず。あるいはいたく年寄りて養うべき子も無き者、あるいは生まれて片輪なる者、浮き世に捨てられ娑婆に飽きて死なんと願う者あらば望みのままに黄金を取らせてくだんの遣いに任ずべし。これらの旨を遠近(おちこち)へ知らせてよ」と仰すれば、忠平公は承ってやがてその趣を国々へ触れ知らせ、また使(し)の廳へ下知を伝えて、都近き里々は更なり、五畿内までも巡らせて、その人を求めたまうが賜る金は欲しけれども命を惜しまぬ者もなければ、求めに応じ、身を捨てて我承らんと申す者は何処の地にも無かりけり。
[物語二つに分かる]ここにまた津の国難波村の片ほとりに竹田日蔵という浪人あり。元菅丞相の家臣にて忠義の若者ければ、今よりして十年の昔に菅家が筑紫へ左遷の折に、なお揚巻(あげまき)にておわしませし末の公達(きんだち)菅秀才(かんしゅうさい)文時(ふみとき)朝臣(あそん)にかしつけて、何処の浦にも世を忍べと黄金一ト包みをたまわりしに、なお思し召す由やありけん、菅家のご先祖天穂日命(あめのひのみこと)より伝えらた天国(あまくに)という宝剣を菅秀才に伝えて、これが人となるまでは日蔵よくよく守れとその剣を日蔵に預けけり。かくて竹田日蔵は菅秀才、文時の御供して津の国難波村に隠れ住み、主君を養い参らせるに手跡(しゅせき)は菅丞相の弟子にて走り書き見事なれば、里の揚巻牛うつ童の手習う者を集えつつ寺子屋をしてようやくに細き煙を立てたりける。手習鑑(てならいかがみ)の浄瑠璃に武部源蔵と作りしは、この日蔵が事なるべし。しかるに日蔵の女房はその名を世居(よおり)と呼ばれたり。見目形(みめかたち)は醜からず、その身はニ八の春の頃より日蔵の妻となり、わずかに中一年を置いて疱瘡(ほうそう)をして松皮とかいう痘瘡(もがさ)で辛く命をとりとどめれども花の姿はたちまちに生まれもつかぬ片輪となって、かためはしいて色黒く、あばたは指もて押したるごとく、肌へは全て引きつって松の木肌に似たれども、心延えは始めに変わらず夫にかしずき、主君を敬う萬につけて甲斐甲斐しく貧しき暮らしをとにかくに年頃まかないたりければ日蔵も今更に顔ばせ醜くとても、さすがに捨てる心なく、十年このかた連れ添う程に、延喜十年の秋の頃、親しき友が密かに告げて、
「・・・・・菅丞相の公達(きんだち)がなお世を忍んでおわしますをも召しだし候べき由既にその風聞あり。遠からずして吉相あらん。いと目出度し」と囁きけり。日蔵これを聞きしよりいと喜ばしく思えども、また差し支える事あれば、さすがに心安からず女房世居にしかじかと聞きつる由を告げ知らせ、
「もしその事が真ならば念願成就の時が至れり。いと喜ばしき事ながら十年に及ぶ浪人の蓄えは早尽きし頃、菅秀才はかんろうで二年余りの板付きにより薬の代の才覚なく、あの天国の宝剣を八十両の質として値たつ□薬□□□□ままに□□せつ今ではちとも病気(やまいけ)なく健やかになりし事、御身も知る事ながら都へ帰らせたまわんには、あの宝剣を受け戻して君に帰し奉り▲我が身もお供をすべき事、また言うまではなけれども八十両に利を重ねて早百両に及ぶ質を受け戻すべき手当てはなし。言うて返らぬ事ながら御身の顔が変わらであらば、よしや盛りは過ぎるとも江口の里に身を売らせ少しの金は整うべきに、うたてき今の顔ばせや」と言うと世居は涙ぐみ、慰めかねし身の憂さに夫の繰り言は理(ことわり)なれば、また今更に恥ずかしく我が身を恨むるのみなりし。志を励まして、それより日毎に走り巡って金整えんとしたれども海女が鹽焼く辛き世に親しき者も頼もしからで、その金少しも整わねば、只身一つに託(かこ)たれて、
「うたてや、昔の顔ばせならば例えこの金整わずとも、先の如くに夫にまで世に疎(うと)ましげに言われはせじ。二世と契りし人にすらいつしか疎み果てられて、まさかの用にたちはせず、何面目(めんぼく)に長らえてなおこの上に憂き目を見るべき。いっそ死ぬるがましならめ」と女心の一ト筋に思い詰めては死に神に誘われて散る花に風、その入相(いりあい)の鐘てより用意の短刀人目を計って喉(のど)をぐさとかき破り、自害してこそ伏したりけれ。かかる折から日蔵は金才覚のために堀江村まで行きしが、その夕暮れに帰り来て、この体(てい)を見て大きに驚き、抱き起こして呼び行くれども、早喉笛をかき切れば救うべき由もなし。枕に残せし書き置きで事の心を知れるのみ。死ぬべき事にはあらざるをさすがに女の胸狭く、我が仮初めに言いつる事を心に掛けて命を捨てしは真に不憫の事なりきと思えば涙が胸に満ち、由なき口の過ちを今更悔しく思えども、さてあるべきにあらざれば、村長(むらおさ)に告げ、辺りに知らせて、次の日、妻の亡骸を頼み寺へ送らせて、かたの如くに葬りけり。
この時より三日以前に菅秀作、文時朝臣は春の頃より都にましますこのかみ高視(たかみ)朝臣より消息あり、今は世の中広くなりぬ。召し出されるべき御沙汰もあるに難波におるはいと遠し、都へ上りたまえかしと密かに招かれれば、文時朝臣は喜んで、まず日蔵に由を告げ、あの宝剣を求めたまえば日蔵ほとんど困り果て、
「その天国の宝剣はそれがし予て確かなる人の倉に預け置いたり。君はまずまず上洛したまえ。それがしは後より宝剣を取り出して馳せ参らん」とさり気なくこしらえて主君を都へ上せ参らせ、なお金の才覚に夜の目もあわぬ苦労のうちに妻の世居は自害して、かててくわえし憂き事に成す由もなく日を送るが、文時朝臣はかくとも知らず都より消息して、
「昨日臨時の除目(じもく)あって我が同胞はしかじかの司位をたまわりぬ。しかれども我が身は宝剣無きによりしばらく病にかこつけて、その除目にあわざりき。さぁ宝剣を持参せよ。何故に斯様に延び延びなるぞ」としきりに催促すれば、日蔵はいよいよ憂いもだえて、只此の上は腹かき切って死ぬるより術(すべ)なしと既に覚悟をする折に、錦織(にしこり)の判官代照国が勅命を承り、五畿内を巡りつつ既に難波の旅宿にあり。死なんと願う者あらば、数多の金をたまわりて冥土へ御使いに遣わされるべし。その故は斯様斯様と残る隈なく触れれば、日蔵はこれを伝え聞き、心喜び忙わしく照国の旅宿に赴き、それがしは竹田日蔵という浪人なり。最愛の妻に遅れてこの身も多病なるにより、世に長らえん▲事を願わず、金百両を賜れば命の御用にたつべきなり。この事偽りと候わず神文をもって申すに、照国もまた喜んで、なおまた自ら問い正すとたえて相違もなかりしかば望みのままに金を取らせて人を付けて宿所へ遣わし、なすべき事をなさせけり。
さる程に、日蔵はその金で天国の宝剣を受け戻し、確かなる人をもて都へ上せて文時にその宝剣を返しまいらせ、その夕暮れに照国の旅宿へ再び赴いて、「既に用事はし果てたり。さぁさぁ計らいたまえ」と言う覚悟の体に照国は感じて、
「真にもって神妙(しんみょう)なり。但し、一ト折櫃(おりひつ)の抹香を閻魔大王へ参らせる御使いなるに身に傷付けては悪かるべし。さればとて、此方(こなた)より殺さん事はいよいよせず、汝の心一つでそのままにして命を落とせ、御贈り物はこれなり」とその折櫃を渡せば日蔵これを風呂敷に包み、しっかと背負い長押(なげし)に縄を投げ掛けて、遂にくびれて(首吊り)死んでけり。照国はこれを見届けて、
「我は都へ立ち帰り、まず此の由を相聞せん。重ねて御下知あるまでは、この日蔵の亡骸は折櫃を背負いしままで大きな瓶(かめ)に納めて、村長らがよくよく守れ。しばらく葬る事なかれ」と厳重に言い渡し、照国は次の日に供人数多を引き連れて、都を指して急ぎけり。
されば竹田日蔵は忠義の魂迷うことなく死して冥府へ赴いて、日本延喜の帝より抹香を贈らせたまう御使いの由を言い入れると閻魔王が対面せんとちゃうぜんに呼び寄せて自ら帝の安否を尋ね、贈り物を受け納め、日蔵をねぎらいたまい、見るめかがはなの冥官(みょうかん)にしばらく囁き問い定め、また日蔵にうち向かい、

「汝は真に忠臣なり。命数(めいすう)未だ尽きざれば娑婆へ返し遣わすべし。妻の世居に対面せよ」と厚くもてなしたまいけり。その時、冥官が進み出て閻魔王に申す様、
「日蔵の女房世居は若き時にもがさにより顔ばせ悪くなりし者なるが、斯様斯様の事により世をはかなみ夫を恨んで自害した者なれども□ごうには候わず、命数いまだ尽きざりしを身に傷つけて死したれば、その魂を返すに由なし。いかが計らい候わん」と聞こえ上げれば、閻魔王は
「それは真に不憫のことなり。例えその身に傷付けたりとも死して日数のたたずもあらば、なお魂を返すべし。死して幾日になるやらん」と問えば冥官は、「さん候。四十九日も過ぎたれば、その身はくわ□腐りたり」と言うと閻王はうなずいて、
「しからば体は用い難し。その歳も名も同じくて命数つきし女があらば、今その死する女の体へ世居の魂を返し入れよ。それらのおなごはあらずや」と再び問えば冥官は答えて
「日本延喜の帝の妹節折(よおり)の内親王は命数尽きたり。その死せん事は遠からず、その姫宮は歳も名も日蔵の妻世居に同じ、これをや用いたまわん」と言うと閻王は微笑んで、
「それは真に妙なり妙なり。その期に及べば、こなたの世居の魂を返し入るべし。あたかもよし、あたかもよし」と言いつと日蔵を見返って、
「汝も全て聞いたがごとく、妻の体は用い難し。されども命数尽きざれば、あだしおなごの亡骸へその魂を返し入れん。此は只汝が主のために命を捨ててこの旅の使いに来たのを賞するのみ。世居は後より遣わさん。汝は早く娑婆へ帰れ。さぁさぁ」と急がして、帝に参らせる受け文を渡せば、日蔵は閻魔王に喜びを述べ、別れを告げて、元来し道を心当てにそのまま走り出たりける。
○これはさて置き、菅秀才文時は日蔵夫婦が死したる事を夢にだも知らず、天国の宝剣がようやく手に入れば斜めならず喜んで、これを携え参内して、父丞相より相伝の事の趣をしかじかと聞こえ上げると帝はつぶさに聞こし召し、「家第一なる宝剣を末の子に伝えしは才のすべきし故なるべし」と文章詩作を試みたまうと玉を連ねし大才なれば、帝は深く愛でて、抜きん出て三位を授け、大内記にぞなされける。これにより文時はこの守(かみ)たちを越えて、帝に仕えたまいしをうらやまぬ者は▲なかりけり。
○さる程に判官代照国は日蔵がくびれ死したその次の日に、都に帰ってありし事々もしかじかとつぶさに相聞すれば、帝はさこそと思し召し、
「さるにてもその日蔵と言う者の最後の趣は不憫の事なり。照国を今一度あの地へ遣わし、死骸をあらため、異なる事も無きにおいては、厚く葬り得させよ」と仰せければ、照国がその次の日に再び難波の旅宿に至ると村長らは怠りなくその棺を守っており、照国はしかじかと勅命を述べ知らせ、更に死骸をあらため見んとそのまま棺を開かせると日蔵たちまち黄泉返り、瓶(かめ)の内より這い出たり。皆々等しく驚き騒いで、故もやあると訪ねれば、日蔵はちっとも包まず、冥土へ行きし事の趣、閻魔王に見参の体たらくを物語ると、
「実に空言にはあらざるべし。死骸と共に棺に納めた抹香の折櫃が風呂敷のみにて物はなし。しかのみならず日蔵の懐に閻魔王の受け取りの手形一通があれば、照国は不思議の思いをなして、こは未曽有の□事なり。こと私(わたしくし)には聞き置き難し。日蔵も都へ上って共に相聞しけれ」と相伴って京へ帰り、事の由を聞こえ上げると帝はつぶさに聞こし召し、
「そは真に不思議の事なり。朕が自ら聞くべきに、その者を伴って萩(はぎ)の戸まで参れ」とて立ちいでんとしたまう時に、帝の御妹の三の宮の姫上を節折の内親王と申せしが、この時数多の女房にかしずかれ、秋の草花の色々なるを眺めてをわしませしが、御顔の色がたちまち変わり、そのまま絶え入りたまいしかば皆々等しく驚き騒いで、しきりに呼びいけたてまつり、典薬(てんやく)の守が走り参って御脈をうかがうと、「医道の脈絡が絶えたまえば御療治も届き難し。是非もなきことにこそ」と申すより他なかりしかば、女房達はしのびかねて声を合わせて泣きにけり。帝は此の由を聞こし召し、御涙をとどめあえず、
「かかる頓死(とんし)も定業(じょうごう)なるべし。先に朕が冥土でうからやからの寿命を延魔王に尋ね問いしが、一人節折の内親王のみ短命ならんと言われし事を今さら思い合わせるかし。必ず嘆くべからず」と女官達を制したまうに、日蔵は先より参りて萩の戸の局(つぼ)のほとりに祗侯(しこう)せしと聞こえれば、それ聞かずはあるべからずと端近くいでさせたまい、冥土の事の趣、日蔵が申す由を御簾を隔てて聞こし召し、閻魔王より渡された受け取り手形を開かせて見そなわす折しもあれ、鬼火が忽然と閃(ひらめ)き来て、死に絶えたまいし姫宮の御胸先へひらひらと落ちかかると見えたりしが、怪しむべし内親王はたちまちむっくと御身を起こし、遙かあなたにいたる日蔵の声を導(しるべ)に慌てふためき走り出て、
「ノウ懐かしや。こちの人は冥土でちらと会い見し時に、何故に物言うてはくださらぬ。我が身も共にと言いはせず、一人振り捨て先立ちて立ち帰りたまいぬる心ずよや」と恨みの数々、その顔ばせは身も知らぬいと老(らう)たけたる姫宮なれども、物言う声と立ち振る舞いは女房世居によく似れば、日蔵は呆れ惑って、「こはそも如何に」と押しとどめ、冷や汗流してもじもじと後退(あとじさ)りするばかりなり。怪しき事の体たらくに帝を始め奉りありあう人々は片腹痛く驚くその中で帝は賢(さか)しくましませば早くも叡慮(えいりょ)を巡らしたまうに、
「事切れた三の宮の蘇生はあるべき事ながら、物の言いざま立ち振る舞いは更に三の宮ならず。思うに物が憑いたるならん。日蔵はその身に思い合わせる事あらば▲包まず申せ」と勅(ちょく)しゅうに日蔵は止む事を得ず、女房の世居が自害せし事、また冥土にて閻魔王に後より世居の魂を返し遣わさんと言われた事、そのくだりの趣、始めより終わりまで聞こえ上げ奉れば帝はうなずいて、
「それにて朕の疑い溶けたり。しからばこの三の宮は朕の妹にして朕の妹にあらず。身は空蝉(うつせみ)のもぬけとなって、今は早、日蔵の妻の魂が入れ変われり。かつその名さえ世居と言いしはいよいよ奇なり。さてもこの日蔵は素性いかなる者やらん。聞かまほしさよ」と宣えば御後辺にはべりる官三品文時卿はおそるおそる進み出て、
「彼処(かしこ)にはべる日蔵はそれがしの父の時より仕えし譜代の家の子なり。年頃難波の侘び住まいにそれがしをもり養って忠義無二の者なれば、あの天国の宝剣を預け置きたまいしが、それがしが久しく病み患い、薬の代(しろ)の尽きし時、その宝剣を質として数多の金を整えつつ、療治の手当てを尽くす程に病は本復致したり。それがしはたえてこれを知らず、召し返される頃よりして、しきりにその宝剣を求めて催促すれば、日蔵はその金を償(つぐな)いかねて、詮方なさに遂に冥土の御使いにその身の命を奉り、百両の金を賜り、さて宝剣を受け戻してある人をもてそれがし方へ送りこしたる時に至りて、そのこと初めて聞こえれば、それがし驚き、かつ哀れんで押し止めんと欲せども、早時遅れてその義に及ばず。しかるにことの怪しくも日蔵は蘇生して、閻魔王の御返事を申し上げるのみならず、その妻の魂は世を去りたまいし三の宮の御骸(おんむくろ)に宿り入り、言葉を交わす不思議の一条。今見も聞きもしたれども御前なればはばかって言葉をかけず候」と事つまびらかに奏したまえば、帝はいよいよ御感あって、
「しからば彼は今の世に多く得難き忠臣なり。素性はいかに」と問えば、「先祖は菅家と同姓で土師(はじ)の姓(かばね)に候」と申すと、「しからば菅家の陪臣(ばいしん)なりとも召し使うべき者なり」とにわかに五位の大夫になされて節折の宮を妻に賜り、また宣う様、
「土師氏はその昔、御陵(みささき)の事などを司りたるためしあり。朕は四ケの大寺において千人の卒塔婆を立てさせ、時平以下の人々の菩提をとわせんと思うにより、竹田の大夫を卒塔婆使としてその寺々へ使わすべし。一ト度、冥土へ使いせし試しもあれば、これにます司人(つかさびと)はあらじ」と仰せつけられれば、竹田の大夫は勅使として叡山、三井寺、東寺、興福寺へ赴いて、勅(みことのり)を伝えれば、その寺々でおのおの御願の法事を修行し、二十本の卒塔婆を立てけり。その後、帝の御夢に時平以下の輩(ともがら)が地獄の責めをまぬがれて成仏せしとぞ見たまいける。
さる程に竹田の大夫は思いがけなき妻を迎えて男(お)の子二人をもうけつつ、その子供が成人して帝に仕え奉る頃、その身は遂に世を逃れて墨の衣に様を替え、初めの名の日蔵は大日と胎蔵の両義に叶えばと元の俗名をそのままに日蔵法師と称(とな)えつつ、遂に名僧の聞こえあり。されば世に言うせいのい□の日蔵法師はこれなるべし。かくてまた妻の世居も夫に等しく尼となり、行いすましておる程に、二人の子供は幼き時より文時卿を師として学び、学問ことに優れれば司位も次第に上って、その家は繁盛したりける。
○これはさておき延喜の帝は日頃思し召したる事を皆行わせたまえども、なおあやにくに雷雨洪水す疫神(ときのけ)の憂(うれ)いあり。民の嘆きは大方ならねば、帝は宸襟(しんきん)安からず、再び思い巡らすに、
「これまで朕が執り行わした功徳は後世の事にして現在の災いを祓(はら)うになお足らぬなるべし。今よりりやう山▲大寺において一千五百の法師を集えて大般若を読ませれば国平らかに民安く天変地妖なかるべし。ただこの法事の導師たる者は道徳高き名僧ならではその甲斐も無きことなるべし。誰をがなと選ませたまうに忠平公を始めとして、浄蔵法師がしかるべし、召させたまえと申せしかば、帝はしきりにうなずきたまいて、朕もさは思いしなり、さらば浄蔵を召し寄せと熊野へ勅使を遣わされて浄蔵法師を招かせたまい、さてその事を仰するに、浄蔵法師は詔(みことのり)を承って、雲居寺に立ち帰り、一千五百の法師を集えて大般若を読みたりける。さる程に観音菩薩は時ようやく至りぬと、恵岸童子と諸共に乞食(かたい)の旅僧に姿を変じて洛中を徘徊しつつ、我には目出度き袈裟と鉢あり、値を惜しまず買う者あらば売るべし、売るべしと呼ばはりたまうと、その姿が汚げなれば人皆これを真とせず、たまたま買わんと言う者あっても値の高きに肝を潰して再び見返る法師もなかりき。かかる所に菅三位文時卿が参内の折に、これを怪しみ車のほとりへ呼び寄せて、その二品を見たまうと類稀なる物なれば、心の内で驚いてその値を問うと菩薩は答えて、袈裟の値は千五百両、鉢は千両と宣うに、菅三位はまた驚いて、しからばこの袈裟と鉢にいかばかりの徳あるやと問われて菩薩は、
「さればとよ。この二品を所持する法師は天魔(てんま)も障礙(しょうげ)をなすこと無く、変化も害すること叶わず。しかれども人によっては値を増してもこれを売らず。またはその人によっては値なくともこれを売らん。そはそれがしが元よりの志なり」と宣えば文時卿はうなずいて、「我思う由あれば共に大内へ参れ」と相従えて参内しつつ、事の由を奏したまうと帝はその由聞こし召し、
「その品いよいよ良き物ならば、此度の布施として浄蔵法師にたまうべし。さぁさぁ呼べ」とて出させたまえば菩薩は恵岸童子と共に御階(みはし)の元に膝まずき、袈裟と鉢とをうやうやしく文時卿に渡しけり。その時、帝がつくつくとその二品を御覧なると世に未曾有の宝なれば御喜びは浅からず、これらの値は申すままに取らせよと宣うと、菩薩はこれを漏れ聞いて、「いかで値を賜るべき。さればこそ、その人によって▲値なくとも売らんと言えり。早まからん」と言いながら恵岸と共に走り出て行方も知らずなかりけり。
さる程に帝の御願円満の日になれば雲居寺へ行幸(みゆき)あって、一千五百の法師ばらに数多の御布施をたまわりて、別に導師の浄蔵にはその袈裟と鉢とを御布施として賜れば、浄蔵は謹んで重恩(ちょうおん)を受け奉り、戴き捧げ退いて、その袈裟を掛け、鉢を持って進みいでつつしずしずと高座に着いて威儀(いぎ)正しく法義を述べる有様は、さながら羅漢(らかん)に異ならねば帝を始め奉り、道俗(どうぞく)ひとしくがっこうして、あら尊やととで褒めたりける。その時二人の弱(よろ)法師が高座のほとりに近づいて、浄蔵を見てあざ笑い、「今かばかりの功徳では天変地妖を祓い難し。あら笑止(しょうし)や」とつぶやくのを帝は遙かに見そなわし、
「あの法師らは先の日に袈裟と鉢とを値も取らずに走り失せたる者ならずや。しかるに今またここへ来て、いと託(かし)がましく法縁を妨げるは心得難し。あれを止めよ」と勅じゅうに近衛(こんえ)の官人はむらだちかかって引きずり除けんとする時に、二人は等しく身を交わし近づく者を投げのけ投げのけ、忽然として金色の光を放って雲に乗り、庭の梢(こずえ)に現れたまう観音薩多(さった)の妙相(みょうそう)に、恵岸も真の姿を現し、菩薩に従い立ち去りける。
思いがけなき来迎に、上一人(かみいちにん)より群集(ぐんじゅ)の道俗、皆庭上(ていしょう)に走り出て拝まぬ者は無かりける。その時、観音は妙音高く、
「良きかな良きかな。我はこれ世尊(せそん)釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)の仏勅を受け奉り、国土のために浄蔵法師を印声(いんぜふ)せんと来迎せり。知らずや天竺の象頭山に金毘羅神王という神あって、元これ日の本の神代の昔に、讃岐の国うたるの山に成りいでし神にして、その後天竺に渡り、我が釈尊に仕えて仏法守護の諸天となれり。この神のい神通力衆生のために災いを退け、幸いを下すこと不可思議の利益のあり。早く天竺に赴いて、十万八千里の苦行をしのぎ、釈迦牟尼仏を拝み祀(まつ)りて、不伝の経文を聴聞(ちょうもん)し、金毘羅神王を迎え来て、讃岐の国に鎮め祀れば天変地妖(てんぺんちよう)は長く絶え、国土太平、民安全の利生は日ここに新たなるべし。そもそも金毘羅神王には影と形の二神あり。その影の一ト柱の荒神はこれまた世尊が仏力で両界山に閉じ込めたまえり。浄蔵が渡天の折はその荒神が助けとなって、よく導きをする事あらん。おめおめ疑う事なかれ」と示現の御声は耳に残れど早御姿は恵岸と共に西を指してぞ飛び去りたまう。
○是により浄蔵法師は帝の勅(みことのり)を受け奉り、天竺へ赴かんとする時に、帝が自らはなむけの御杯を下されて、大法師の位を授け、かたじけなくも帝の御弟に準ぜられれば、世の人は長く浄蔵貴所(きしょ)と唱える折から渤海国(ぼっかいこく)より貢ぎの使いが参りしかば、浄蔵法師は便船(びんせん)して三かんより唐土(もろこし)におし渡り、更に天竺に赴くことどもは▲第四編に著すべし。四編よりして怪談(くわいだん)いよいよ多く物語りもまた甚(はなは)だ長やかなり。なお年々に継ぎ出して、遂には全部の冊子となさん。こは世の常の合巻物(ごうかんもの)と同じからぬ。作者の苦心を味わいたまえ、目出度し目出度し■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第四編上

2017-02-24 09:07:20 | 金毘羅舩利生纜
異国(ことくに)にすみつきぬともか名かきの 世をふる筆よ日本毛(やまとげ)ぞよき
虎穴山猫王(こけつのとらおう)
勇部綾彦(いさべのあやひこ)

舎利といひ菩薩ともいう米(よね)かしき 後の世たのむ旅のもてなし
綾彦が妻 笠志江(つくしえ) 笠=竹にユ
綾彦が母 笠ぜ(ちくぜ)
              
繋ぎとめて狂う具合をなつせかし 欲にすぎ戸の猿と駒寄
観音院の広念(こうねん)
悪僧 広謀(こうぼう) 悪僧 広智(こうち)
観音の化身 鞍掛(くらかけ)の刀自

福神(ふくのかみ)の道具めかしてさく花は 枇杷の木陰に鹿鳴草(しかなぐさ)かな
偽(にせ)神女(しんにょ)白花嬢(はくかじょう)
偽神仙 大禄(たいろく)

雲を起こし風をおこして破団扇(やれうちわ)蚊遣(かやり)火鉢に夏ぞくれゆく
黒風洞(こくふうとう)の黒風大王

==================================

延喜十年庚午(かのえうま)の秋の九月、雲居寺の浄蔵法師は観世音の示現(じげん)によって天竺(てんじく)の雷音寺に参詣し、如来を拝み奉り、象頭山におわします金毘羅天を迎え奉り、並びに金毘羅天童子の経文を受け奉らんと渡天の用意あれば、帝は浄蔵を大内へ召し寄せて、かたじけなくも御弟に準ぜられて御杯を賜れば、浄蔵はこれを頂戴し、「それがしは幼き頃より五戒を保ち候えば、一滴も酒を飲まず、この義は許させたまえかし」と御断りを申せば、帝は「実にも」とうなずいて、やがていと清らかな土(つち)一トつかみを取り寄せたまいて、御杯に入れ、
「聖、これは酒にあらず。伝え聞くに天竺は十幾万里ありとかや。遙(はる)けき旅路につついがなく帰り来て、またこの国の土を踏み候ように酒の内へ土を入れたり。かくては破戒の咎はあらじ」と理(わり)無く勧めたまうに浄蔵は辞する言葉も無く、且つ帝の浅からぬ叡慮(えいりょ)に感じ奉り、御杯を受けにけり。
かくて帝は浄蔵法師に太政官の勘合とあだし、恵比須(えびす)の国々の通り切手一通に黄金の錫杖(しゃくじょう)を取り添えて、餞(はなむけ)として賜れば、浄蔵はこれを頂戴して次の日に渡天の門出(かどいで)しつつ、是空(ぜくう)という弟子の法師と法六という下部一人を従えて、釈尊より贈られた錦の袈裟と鉢を携え、難波の浦より船出して、まず筑紫まで赴きけり。此の時、浄蔵法師の父三好の清行、母親の玉梓御前はなお筑紫の太宰府に逗留中の事なれば、事の由を伝え聞いて、その喜びは大方ならず、
「日の本の始まりてよりこの方、渡天の名僧はなかりしに我が子が出家の冥加に叶って仏の導きにあい奉り。あまつさえ帝の御弟に準ぜられて貴所とさえとなえらるは、これ法門の大面目、何物かこれにますべき。真に目出度し目出度し」ともてなし大方ならざりけり。
かかりし程に渤海国の貢ぎの船が筑紫の港にありけるが、早船出すと聞これば、浄蔵法師主従三人はその船に便船して、まず朝鮮へ渡り、それより唐土を過ぎて▲天竺へ赴くべしとて既に同船する時に、清行、玉梓御前はさらなり、およそ筑紫にありとある法師、修験者、民、百姓□を慕い、別れを惜しんで皆磯端で見送りける。
○されば浄蔵主従は朝鮮国へ渡り、また唐土(もろこし)へ赴くと、この時唐土(もろこし)の唐の世は既に滅んで、梁(りょう)の大祖(たいそ)の世となりぬ。しかるに後唐の李氏が怒って戦い止む時なかりしが幸いにして一両年は穏やかなりと聞こえれば、浄蔵法師はささはることなく梁の天子に見参して事の由を述べれば、梁の君は深く感じて渡天のくわんもん一通を相添えて、駿馬一匹をたまわりければ、浄蔵は次の日に梁の都を立ちいでて、その馬に乗りつつ西を指して赴くと、また幾ばくの日を重ねて□州城(きゅうしゅうじょう)、河州衛(かしゅうえい)なんどと言う唐土西の外れの国々を過ぎるに、この日は福原寺と聞こえた山寺に宿りを求めて、長途の疲れを慰めけり。
かくて浄蔵法師が次の日、馬に乗って発ちいでんとする時に、福原寺の法師どもが相戒めて言うは、「長老、これより西の行く手の山には妖怪多く猛き獣も少なからず、よくよく用心したまえ」と心つくれば、今さらに胸安からずと思えども相やむべきにあらざれば、その寺を発ちいでて、覚束(おぼつか)なくも主従三人は西を指してぞ急ぎける。
時に延喜十一年春も弥生の頃になりぬ。日の本をいでしより早幾千里の道を来て、二年(ふたとせ)近くなれども、なお唐土の地をも離れず、いずれの年いずれの日に天竺の雷音寺に至るべき。思えば遙けき旅の空に事とう方も嵐吹く、山また山をたどり行く、心細道つづら折、行き悩みたる折こそあれ、果たして木立、岩の陰よりいと恐ろしき妖怪変化の面魂は凄まじく、彪(ひょう)と言う獣に似たのが前後左右に現れ出て、どっとおめいて走りかかれば、馬はたちまち驚き騒いで、足折り伏して打てども走らず、「こは何とせん」とばかりに主従は生きた心地もなく等しくどうと伏し転んで、仏の御名を唱えつつ、助けたまえと叫びけり。
その時くだんの妖怪らは浄蔵主従三人をひしひしといましめて、なお山深く引き立て行くと、向かいに石の台(うてな)あって、面体(めんてい)はさながら虎に等しき一人の妖王がいたりける。その時、彪の化け物らは台のほとりにひざまづき、
「大王、今日は思いがけなき良い獲物が三人あり。いかが計らい申さんや」と言うと妖王は喜んで、
「我、此の頃はたえて人の肉を食らわざりしに、▲一人ならず三人まで捕らえ来つるはちゃうでうちゃうでう。さぁさぁ料理仕れ」と言うと皆々心得て、大まな板をなほす折から、たちまち二人の珍客あり。「山猫君(さんみょうくん)、犬良子(けんりょうし)、お見舞い申す」と音ないて、しずしずと入り来にけり。およそこの二人の化け物の山猫君(さんみょうくん)と称えるは山猫が化けたるにて、犬良子(けんりょうし)と名乗るは狼が化けたるなり。その時二人は言葉を揃えて、
「寅将軍(とらしょうぐん)、近頃は参会も絶えて、思わず疎遠にうちすぎたり。いかが渡らせたまうぞ」と問われて寅王はうなずいて、
「只今、ここより使いをもて招き奉らんと思う折、揃っての来臨はこれ幸いの事ぞかし。先に手下の者どもが良き獲物を引き来たれり。あれ見たまえ。そのうち二人は法師にして一人は俗人なり。かく珍しき今日の獲物をそれがしのみが賞翫(しょうがん)することあたらことに思ゆるなり。いでや、きゃつらを肴にして、各々(おのおの)がたと一献汲むべし。まずくつろいで語りたまえ」と言うと二人は喜んで、
「そは思いがけもなき口果報(くちかほう)ある幸せなり。さりながらあの三人をことごとく今宵の肴にすべきにあらず。一日の美味珍膳(ちんぜん)も後日の飢えを救うに足らねば、あの色白で人品よろしき旅僧を一人残し置き、その供人と思しき二人を料らせたまえば事足るべし」と言うと寅王は微笑んで、
「実に言われればその理あり。あの色白の旅僧の肉は格別に柔らかで味わいも一塩ならん。しからば奴を繋ぎ置き、明日の夜の肴にすべし。まずその供の両人をさぁさぁせよ」と急がせば、手下の化け物は心得て、やがて是空と法六を大まな板に仰向けにして、名工工(めいこうこう)の包丁を胸の辺りへ付き立てて、鰻の如く切り裂けばアッとたまぎる声と共に血潮がさっとほとばしり、三焦(みのわた)細腸(ほそわた)現れて、目も当てられぬ有様なり。浄蔵法師はとても逃れぬ命と思えば目を閉じ胸を鎮めて、心の内に読む経文も今は此の世の名残にこそと思い絶えたる身の覚悟。騒ぐ気色はなかりけり。さる程に化け物どもは思いのままに料理して、あるいは煮もし炙(あぶ)りもしつつ、卓袱台(しっぽくだい)に置き並べ、客と主に勧めれば、いずれも喜びうち向かい、大杯を引き受け引き受け、さしつおさえつ二人の肉をあくまで喰らえば、またその化け物らは粗(あら)をおのおの賞翫しつつ、酔いにまかして舞い踊る、楽しみ尽きて暁の星まばらなる空の色、春の夜なれば短くて▲東方早く明け渡れば、化け物どもはたちまちにかき消す如く失せにけり。
○浄蔵法師は呆然と夢現(ゆめうつつ)ともわきまえず、既に覚悟を極めしが不思議につつがなけれども痛ましく是空、法六は儚(はかな)く命を失って、その亡骸は妖怪変化の腹を肥やせし不憫さよ。既に我が供人を二人までをも失っては今日より誰を友、誰を力に十万余里の遙(はる)けき道をたどるべき、悲しきかなと彼を思い我が身を思う哀情(あいじょう)悲嘆に流れる涙は泉の如く衣の袖を濡らす時、いとたくましき二人の異人がいずこともなく現れて、浄蔵法師に向かい、
「長老、さのみ嘆きたまうな。死するも生きるも宿世の定業。供人是空、法六らは前世の悪業この世に報いて、あえなく命を落とせしなり。されば人の成し難き大願を起こす者は火にも焼かれ水にも溺れ、幾そ許(ばく)もその苦言を受けねば遂に望みを遂げ難し。長老、今よりいかばかりの大厄難に会いたまうとも命の限り天竺の雷音寺に赴いて如来を拝み奉り、遂には金毘羅大王を迎え取り奉り日本へ帰らんと思う心が変わらずば、道に不思議の助けが来て、大願成就せざらんや。嘆くは無益(むやく)の事にこそ」と世に頼もしく諫めると、浄蔵「実にも」と心に悟って立ち上がらんとする時、今までありつる二人の異人は能忍(のうにん)善神、摂伏諸魔(せっふくしょま)の大善神と現れて、松の梢にかからせたまい、「善哉善哉、浄蔵法師、我々をこれ誰とか思う。観音薩たの仏意によりて、日夜御事の影身に沿って、代わる代わるに護りとなる十六善神これなり。大和を発ちしその日より十六の善神の二柱づつが付き添って、相護らずという事なし。御法(みのり)のために命を投げうち、心真に叶いなば大望成就疑いなし。もし中途にして心怠り疲れを厭う事あれば、願いの叶わぬのみならず、命をそこに失うべし。夢々疑うことなかれ。よく務めよ」と励ます御声と共にたなびき下る紫の雲にたちまち包まれ姿は見えずなりたまうに、浄蔵法師は思いがけなき示現に驚き、尊さに憂いの涙に引き替えて、また感涙にむせびつつしばらくそなたを伏し拝み、初めて夢が覚めるが如く、ようやく辺りを見返ると我が馬はつつがもなくて方辺の松に繋いであり、また旅荷物も元のままにて巌の元にありければ、荷物を取って馬に付け、轡(くつわ)つらを引立てて、独り山路をうち越えたまうと、行く先はなお高山で木立は深く、人に得会わず、既にしてその山をやや七八里越え行く時に、獣の鳴く声しきりにして道には毒蛇横たわり、猪(しし)、荒熊、狼などがいくつともなく群がり出て、此方を指して駆けんとする勢い猛し有様に、馬は驚き人は恐れて再び生きた心地なく、如何にすべきとためらうとくだんの毒蛇、猛獣はふんふんとして逃げ走り行方は知らずなりしかば、浄蔵はいぶかりまず喜んで向かい遙かを見渡せば、一ト群茂き木陰より走り出た独りの狩人。背中(そびら)に数多の猟矢(さつや)を負って、腰に一丁の半弓を掛け、手に一筋の矛をひ下げて、そわ道、岩かど嫌いなく此方を指して来にければ、浄蔵は声を振るわせ「大人(たいじん)我を救いたまえ、救わせたまえ」と叫ぶと狩人もまたいぶかって、ほとりに立って、と見かう見つつ、「長老は何処の人ぞ」と問えば浄蔵は胸撫で下ろし、
「それがしは大日本国雲居寺より遙々来た浄蔵法師と▲言う者なり。先に帝の勅命を承り、天竺雷音寺に参詣して如来を拝み奉り、金毘羅王を迎える為に既にここまで来つる時、妖怪に出会って、弟子の是空、下部の法六と言う二人の供人を喰らい尽くされ、それがし一人が幸いに善神の応護(おうご)によって、つつがなき事を得たり。しかるに今またこの山で毒蛇悪獣に取り巻かれ、命も既に危うかりしが図らず大人に行き会わしたる一期の幸い、願わくば麓まで送りてたべ」と侘びしげに頼む言葉に狩人はにっこと微笑みうなずいて、
「□は御身は日の本の聖にておわせしよ。それがしの親も筑紫太宰府の雑色にて、勇部(いさべ)のみち彦と呼ばれし者なり。古里に在りし時、漁(すなどり)を好みしが、ある時南風に吹き流されてこの辺りに漂泊せしより帰国の願いも容易からねば、是非なくこの地の民となり、妻を迎えて世を渡りつつそれがしを産ませしなり。父は武芸をよくすれば、それがしもこれを受け継ぎ、山狩りで世を送れども、日本の風俗を今に至って変えることなく勇部の綾彦と呼ばれるなり。父は先に見まかって家には母あり、女房あり。それがしは親の時よりこの地の開発(かいほつ)なるにより所を和国の庄と唱え、この一ト村におる者共は皆それがしの手に付いて山狩りをするにより、彼らも全て日本の風俗に異なる事なし。いざたまえ、今宵のお宿つかまつらん」と言うと浄蔵は喜んで、
「さては和殿の親人は我が日の本の者なりしか。既に年ふり世を変えても日本風を変えずして、里を和国と唱える事はいとありがたき心延え、感ずるになお余りあり。去年(こぞ)の長月に便船して朝鮮国に来るまで風俗言語に同じからねば、ただ古里の空をのみ慕わしくこそ思いしが、たまたま和殿の風俗を見ればさながら古里人に巡り会った心地ぞする。いざ標(しるべ)してたまいね」と言いつつやがて立ち上がる折からにわかに吹く風に、草木は等しく吹きなびきおどろおどろと振動し、山荒れ渡る程こそあれ、現れ出たる一つの虎。眼(まなこ)怒らし爪をけたててまっしぐらに馳せ掛かるのを綾彦は得たりと鉾(ほこ)取り直して突くをひらりと飛び上がる気色鋭き猛虎の勢い、なおも駆けんと馳せ寄せるを綾彦はすかさず引き外し、やり違え立ち巡る手練の手の内あやまたず、虎の喉を突き止めたり。さすがに猛き悪獣も急所の痛手に弱り果て、ようやく息は絶えにけり。その時勇部の綾彦は腰よりせこ縄(せこなわ)取り出して、特牛(ことい)に等しき大虎をからげて背負う覚えの力量、浄蔵法師を馬に乗せ先にたちつつおのが住む和国村にぞ伴いける。
○かくて勇部の綾彦は浄蔵法師を伴って、峯を越え麓に下りておのが宿所に帰りつつ、背負った大虎を門口に下ろして、「者共、只今帰りしぞ」と言う声聞いて、妻の笠志江(つくしえ)、子分、子かたの荒男らも皆慌ただしく出迎えて、
「思いしよりは早帰りし。そは又今日の獲物にこそ。さて大きなる虎なりけり。親方さこそ重かりけん。小牛よりなお勝れるを▲おいらは二人で担ってもあの山坂を越えてここまではちと難しい。さてもさても」とどよめくのを綾彦はとどめて
「やかましい。わいらは早く此の虎を料いて夜食の支度をしろ。笠志江はこの聖を奥へ伴い参らせよ。この聖は日本国雲居寺の名僧で浄蔵貴所(きしょ)と申すとよ。天竺へ渡って金毘羅神を迎えたまう世に有り難き難行苦行と聞いては尊く痛ましさにお宿せんとて伴うたり」と言うに笠志江は浄蔵のほとりに寄って腰をかがめ、
「予て噂に伝えた大和と聞くも懐かしく、いとど尊く思いはべる。見たまう如き山里の一つ家なれば、参らせる物とて無けれども、うちくつろいで休らいたまえ」と誘(いざな)いたてて奥の座敷に伴えば、綾彦の母の笠ぜ(ちくぜ)も喜び迎えて、
「わらわの夫は大和の筑紫とやらの人なれば、わらわの名も竹ぜと呼び替え、嫁を笠志江と名付けたり。夫は世を去りしかども綾彦もまた亡き親の志を受け継いで、御覧の如く宿の住まいも日本風に作りなしたり。しかるに思い掛けなく日の本より遙々と渡天したまう長老様を泊め参らせるは神仏の導きにこそはべるらめ。まずまず休息したまえ」と言い慰めつつもてなして、やがて風呂にぞ入れにける。しばらくして綾彦は着物を着替えて浄蔵法師に挨拶しつつ、さて言う様、
「聖は肉食したまうや。先に打ち取りしあの虎の鍋焼きが出来たり。苦しからずば参らすべし」と言うのを浄蔵は聞きあえず、
「それがしは母親の胎内に在りし頃より生臭物(なまぐさもの)を食べたことなし。只うち捨てて置きたまえ」と否むと綾彦は頭を傾け、
「それがしの家では皆獣(けだもの)の肉を日毎の糧とするなれば、鍋釜五器に至るまで生臭からぬは一つもなし。そはいかにして参らすべき。これには困り果てたり」と眉根をひそめる屈託を浄蔵法師は慰めて、
「否、それがしは野ざらしの斗僧(とそう)行脚の旅僧なれば、例え一日一泊まり物食わずとも▲ 苦しからず。心遣いをしたまうな」と言うと母親は案じて、
「良き物がはべるなり。亡き人の忌日(きにち)毎に麦飯を炊く土鍋あり。その折に用いる仏器あり。この品々は隠居所でわらわ一人が取り扱えば、露ばかりも生臭き移り香は無き物ぞかし。あの土鍋で別火にていざかしぎして参らせん。さは」とてやがて火を改めて、くだんの土鍋、仏器で糧飯(かていい)炊いて勧めると浄蔵は膳に向かって数珠押し揉んで合掌し、今この施主の方便で今宵の飢えをしのぐこと、厚禄(こうろく)無量の善根なり。願わくば此の功徳で先祖類世一切精霊、二世安楽抜苦(ばっく)菩提と回向して、さてさば経を読誦(どくじゅ)して、その斎(とき)を食べにける。かくて斎も果てしかば綾彦は浄蔵に獣倉(けものくら)を見せんとて、その所へ案内す。およそこの倉の内には虎、豹(ひょう)、猪(しし)、鹿を始めとして、ありとある獣の皮をうず高く積み重ねたり。また二棟の檻の内には熊の子、虎の子、猪の子などを皆々繋いで飼い置きけり。綾彦はこれを指し示し、
「出家に向かって、かかる業を誇り申すは烏呼(おこ)ながら、それがしは天然(自然)と山狩りに妙を得て、撃たんと思う獣は遂に捕らずという事なし。さるによりここらの山に棲む獣は皆それがしの影でも見ればたちまち逃げるなり。先に聖を取り巻いた毒蛇、猛獣がたちまち恐れて走り失せたは、それがしが来つる故なり。ここをもてそれがしが異名を山のさちをと言えり。聖の為には浅ましき業とや思われ候わん」と託言(かごと)がましく語りける。■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第八編下(ほぼ原文)

2017-02-01 14:02:41 | 金毘羅舩利生纜
かくて浄蔵法師は岩裂、八戒、沙和尚らかの国王と共に全て五人既に王城に近づく程に浄蔵左右を見返りて岩裂らに囁く様今日見参する偽王は元これ妖怪なりと言えども未だその事表れず逸りて無礼を行わばかえって不測の咎めにあわんこの義を心得たまえと言うに岩裂あざ笑いて長老様さな宣いそ彼奴はまさしく魔王なるを知りつつ何故に敬うべきとかく我らにうち任してちっとも恐れたまうべからず我が身進まば御身も進み我が身退かば退きたまえいでいでと言いつつも早城門に近づきて門守の司人に日本国より渡天んぽ旅僧浄蔵法師師弟五人関手形をかえんためにすなわち推参いたしたりこれらの由を申したまえと言うに司人ら心得て事しかじかと聞こえ上げけりその時くだんの偽王は数多の臣下を従えて殿上に立ちいでつつ浄蔵らを呼び入れるに太子はさらなり后まで皆日本の法師を見んとて御簾の内にぞ集いけるさる程に岩裂は一人まっさきに進みつつかの偽王をきっと見てちっとも敬う気色なければ王の臣下ら驚き怪しみ等しく声を振り立てて汝らはなはだ無礼なり至尊(しそん)に見(まみ)え奉るに烏滸(おこ)の振る舞いすることかは皆とく拝み奉らずやと言うを岩裂見返りもせであざ笑いつつ立ちたりければ臣下らいよいよ絶えかねて皆々走り掛かりて捕りすくめんと▲する程に岩裂早く禁身(きんしん)の秘文を唱えたりければ臣下ら等しく手足痺れて将棋倒しに○転び叫ばんとするに身は動かず只人形に異ならでおめおめとして眺めており魔王は今この体たらくに是非なく自ら声をかけて岩裂をきっと睨まえ汝ら異国の者なりともちとの礼儀は知りたらんに我を侮り奇怪の振る舞いそも汝等は何処の者ぞと問えば岩裂声高やかに汝知らずや我が師の坊は大日本延喜(えんき)の帝の御弟と称せらる浄蔵法師すなわちこれなり先に帝の詔を受け奉り天竺象頭山へ赴きて金毘羅神を迎えん為に早年頃の旅寝を経てこの所まで来るにより関手形をかえんと欲すまた我々は恩顧の徒弟岩裂の迦毘羅坊、羽悟了八戒、鵜悟定沙和尚この余一人の供人あり、そもそも我が日本は百王一姓の君子国世界に類いあることなければ唐天竺に従わずさんかんりうきゅうをを臣として年々にその貢ぎを受け唐朝と言うといえどもなお外藩ととなえらる汝等はこれ異国の邑長臣(ゆうちょうしん)と称し子ととなえて敬うべき筈なるにかえって我らを無礼として咎むるはそも如何にぞやと言われて魔王は怒りに得絶えず高座を離れて岩裂に走りかからんとする程に太子はあなやと御簾の内より進みいで魔王の袂にすがり付きつつ諫め様御憤りはさる事ながら彼らは天竺象頭山に赴きて金毘羅神を迎える者なりほのかに聞くに金毘羅神は霊験最も著しく善を助け悪を罰する荒神とこそ言うなるに只今彼らが無礼を咎めて▲自ら罪ないたまいなば恐らく神の怒りに触れて祟りあらんも計り難しまげて許させたまいねと言葉せわしく諫めけり太子の今かく諫めしは魔王が怒りに耐えかねてここにて岩裂と戦わば浄蔵法師を損なう事のありもやせんと思えばなりまた岩裂はあくまでに魔王をたしなめ怒らせて打ち倒さんと図りしになまじいに小賢しき太子の諫めにそのことならねば益無き事ぞとつぶやきけり魔王は太子に諫められて怒りを収めうちうなずき再び高座に返り上りてまた岩裂にうち向かい汝らこれまで国々にて取り替え来つる関手形あらん、とくとく見せよと急がせば岩裂は一義に及ばず懐にしたりける巻物を取りいだしていざとて魔王に渡すにぞ魔王はこれを受け取りて押し開きつつ高やかに読みもてみればこは如何に関手形にはあらずして予て岩裂が印置きたる我が身の悪行事つまびらかに三年以前に国王をばせをの井に押し沈めてその身を国王と変じたる事の元末一つも漏らさず書き尽くしてありければ魔王はたちまち胸うち騒ぎて只顔の色赤くなり青くなるのみ詮方もなく大息をつくばかりなり岩裂これをきっと見て高座に近づきたち向かいてやおれ魔王め思い知るや既に真の国王は我先だってばせをの井よりその亡骸を引き上げて三輪明神の洗米もて甦生させつつ供人にいでたたして具し来たれり真の国王ましませばいかでか逃れる道あらんや国王とくとくいでさせたまえと言うに真の国王はおそる恐る恐る進みいでて八戒、沙和尚諸共に彼が悪事を責めしかば魔王は返す言葉なく逃れ去らんと思えども身に寸鉄を帯びざりければいすくまりたる侍衛(じえい)の臣下の剣を奪い走りいでて雲を起こしつうち乗りて虚空遙かに逃げて行くを岩裂すかさず追っかけて耳の間に隠し持ったる金箍の棒を引き伸ばし悪魔め待てと呼び止めてうち倒さんと近づく程に魔王はきっと見返りてものものしやと剣を引き抜き丁々発止と戦うたりいずれに愚かあらざれば一上一下(いちじょういちげ)と手を尽くす雲の内なる奮撃突戦(ふんげきとつせん)しきりに挑み争うものから魔王は遂にただむき衰え敵し難きと思いけん隙をうかがい引き外してまた城中に飛び降りつつ浄蔵法師の姿に変じて相並びてぞ立つたりけるその時岩裂追っかけ来て黒金の棒ひらめかし既に討たんと近づくままにと見れば魔王は師の坊の姿に変じてありければいずれを偽と見定めかね討つに討たれず手を止めてまず八戒と沙和尚に二人の浄蔵を守らせていすくまりたる臣下らにくだんの魔王の事の趣、真の王の甦生の由を言葉短く告げ知らせて禁身の法をかえせしかば▲臣下らは皆諸共に手足自由なるままに時を移さず身を起こして一度は驚き怪しみまた国王のつつがなきを喜ぶこと大方ならず太子と共にうやうやしく真の王を上座(かみくら)におし上しかしづきて皆々等しくいたわりけりしかれども浄蔵と魔王を見分ける由のなければ岩裂しばし思案してふたりの浄蔵にうち向かいその越し方を尋ねるにその答えさえこれかれ等しく声音(こわね)も異なることのなければ岩裂再び思案して我が師の坊はいぬる年烏巣(うそう)禅師に伝授せられし般若波羅密多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)を朝夕よく読みたまえりまだ世に稀なる経なればそらんじたる者なかるべしこの経文をよく読む者こそ真の長老様にして読み得ざる者は魔王ならめとくとく読じゅしたまえと言うにうなずくふたりの浄蔵声高やかによどみなくこれかれ等しく読みしかばさすがの岩裂呆れ果てて顔うちまもるばかりなりその時八戒あざ笑いて師兄が早く魔王めを引きずり下ろしてうちも殺さばかかる難儀はあるまじきに先にはいらざる長台詞にて手のびにしたれば捕り逃がして今さら詮方なきに至れり日頃は我らを阿呆阿呆とたくさんさふに呼ばれれど世に言う藪にも香の物我らが知恵を貸すべきか長老様の観世音より伝授せられし緊頭呪を唱えさせて師兄の頭の痛みなばそれこそ真の師の坊なれこれより他に仕方はなしと言うに岩裂うち笑みて真にこれは言われたり我が身の苦痛は望ましからねど魔王をあらわす為ならば是非に及ばず辛抱せんとくとく呪文を唱えたまえと言うにうなずく真の浄蔵くだんの呪文を唱えるにぞ岩裂七転八倒してあら苦しや耐え難や許したまえと叫びたる奇特は覿面、偽浄蔵の魔王は呪文を知る由なければ黙然として眺めており八戒、沙和尚これを見て呪文を得知らぬ一人こそ問わでも知るき魔王なり逃しはせじと左右より熊手、仕込み杖をうち振りて捕りひしがんと競いかかれば魔王は事の勢いに敵し難きと思いけん引き外し雲を起こして西を指して飛び行くを八戒、沙和尚おし続きていずこまでもと追っ掛けたり魔王の本体表れければ真の浄蔵喜びてくだんの呪文を止めめりその時岩裂苦痛を忘れて再び雲にうち乗りつつまたかの魔王を追っ掛けしが八戒と沙和尚をこやこやと呼び留め魔王退治は我らに任して汝たちは師の坊と国王を守護すべし早く早くと急がせば両人この義に従いてとって返しつ雲より降りて元の所へ入りにけり○さる程に岩裂は遂に魔王を追い詰めてうち倒さんとする程に紫の雲にうち乗りて西の方より来る者ありたちまちに声を掛けてやよや迦毘羅坊しばらく待ちね我その変化を捕らえん為に遙々いでて来つるぞやと言われて岩裂いぶかりながら眼を定めてつらつら見るにこは思いがけもなき文殊菩薩でありければ岩裂不審の眉をひそめて事の心を尋ねるに文殊答えて宣う様この年頃烏鶏国なる王にその身を変じたる魔王はこれ▲別物ならず我が乗り慣らせし青毛の獅子なり彼が烏鶏王を井におし沈めて三年その国を横領せしは元是因縁あることなりかの国王は始めより先王の心に違いて仏法を信ずることなく只殺生を好みしかば狩りにいずることしばしばなりき我只彼を諫めん為にある日その山狩りにいずるをうかがい一人の旅僧に身を変じて因果の道理を説き示せしにかの王かえっていたく怒りて我が身を厳しく戒めさせ辺りの川へ捨てさせてふしつけにしたること既に三日に及びし時情けある里人が密かに我を助け上げにきされども我は王をうらみずをりもあらばまた身を変じて済度とせばやと思いしに我が年頃飼い慣らしたる青毛の獅子王この義を怒りて我がほとりを走りいで一人烏鶏国に赴きて道士全真と身を変じ図りて国王を井におし沈めてその身国王となりしことここに三年后も太子も臣下らも偽王なりとは知らずして皆々これに仕えしは我が身をふしつけにせし輪廻応報逃れ難く遂に三年の厄難ありしかれども年を経て厄難解ける時の来ぬれば死したる国王黄泉路返りて再びその国の君となれりこれしかしながら三輪の神の冥助にはよるものから神の恵みも時節ありこの獅子我らに告げずして人の国を奪いし事は世に浅ましき業なれども三年の今まで国治まりて万民太平を楽しまぬはなく偽国王となるといえども后を汚せし事なしこれらの道理を思い汲みて獅子を我らに返せかしと言われて岩裂初めて悟りてしか宣えば詮方なしそ奴は御身に参らすべしと言うに菩薩はうなずきて魔王を捕らえ引き寄せて汝は我らに告げもせでまさな事せし愚かさよとく行かずやと叱り懲らして背中をはたと打ちたまえば魔王はたちまち青斑毛(あおまだらけ)なる獅子と変じて頭をうなだれ恐れ入りたる気色なりその時文殊はくだんの獅子にひらりと乗りて岩裂に別れを告げて西の空遙かに飛び去りたまいけり○さる程に岩裂は王城へ帰り来て浄蔵法師と国王に文殊菩薩に会いし事またかの因果の理を落ちもなく告げ知らせるに太子、群臣いえばさらなり御簾の内なる后まで等しく恐れ尊みて喜び涙にかき暮れけりかかるところに宝林寺の法師らは岩裂が教えに違わず国王の残し置きたるかむり装束を携え来つつ魔王退治の由を聞いて皆万○(まんぜん)とぞ唱えけるその時国王はまず礼服を着けんとて▲御簾の内へ退きしを待ちわびたりし后はさらなり方辺にはべりし女官さえ誰とて泣かぬはなく絶えし夫婦の再会は喜ばしさと悲しさの片身に恥じて思うこと言いも尽くさぬ袖の雨降るとはなしにしめやかなりかくてあるべきにあらざれば国王は宝林寺の法師に数多の布施を取らせてそがまま寺へ帰し使わしやがて后を携えて元の所へいでて来つ浄蔵法師と岩裂らを夫婦右より左より数多度伏し拝みて我が身聖の助けによりて黄泉路返りしのみならず夫婦親子の再会は世に類いなき大恩願うは聖いつまでもこの国に留まりて王の位に着きたまえ我らが親子は臣下となりて仕えて高恩を奉ずべしと言うを浄蔵聞きあえずこは何を宣うやらん我々はこれ出家なり何故に国土の主となるべきまたこの度の働きは迦毘羅坊が功にして愚僧がよくせし事にはあらずと否めば国王強いかねてまた岩裂にうち向かいて願うは聖この土を治めて国王になりたまえかしと言うを岩裂うち笑いて我が身古里に在りし日は無量国の王なりしが仏法に帰依せしより我が師に仕えて難行苦行も衆生済度のためなればかばかりの楽しき事はなし無益の事を言わんよりとく関手形を渡したまえと答えて請け引く気色なければ国王是非なく位に返りて喜びのむしろを開き浄蔵師弟をもてなすこと既に三日に及びしかば浄蔵しばしばこれを否みてそれがしらは酒をたしまず元より美食を願わねば御もてなしも甲斐無きに似たり一日も早く金毘羅神を迎え奉らんと思うの他に浮き世の願いはなきものなりとくとく放ちやられんこそ御もてなしに増せし喜びなれといろひて行く手を急ぐになん国王今さら咎めかねてすなわち路用のためにとて数多の金を贈りしかども浄蔵それすらちっとも受けず別れを告げ手形を受け取り元のままなる師弟四人またかの白馬を引きいださせて西を指しつつ発ちいでけりさる程に国王は后、太子と諸共に数多の臣下を引き連れて香を焚き伏し拝みて浄蔵師弟を見送りけりこれよりして国王は深く仏法に帰依しつつ山狩りの殺生せず一宇の寺を建立してその本堂に文殊を安置し寺号をやがて文殊寺と呼びなしつ民の貢ぎを薄くしてただ仁政(じんせい)を施しければその国いよいよ治まりけりかくて位を太子に譲りて心にかかる雲はなく后と共に百余才の寿命を保ちけるとなん○かくてまた浄蔵師弟は露に宿り雨に湯浴みしなお行くと行くままにまた幾ばくの日頃を経てある日いとも険しかりける高峰を越えんとする程に浄蔵しばし馬を留めて岩裂を呼び近づけなう迦毘羅坊この山は猛獣、毒蛇の憂いあるべし如何にすべきとひそめき問えばいわ岩裂聞いてうち微笑みそれがしかくて候えば何の恐れか候べきいざいざと先に立ちて茅(ちがや)茨(いばら)を刈り払いしきりに道を急ぐにぞ八戒と沙和尚は馬の左右に従いて共に浄蔵を守護しけりさればまたこの山に小化け物を従えて自(おの)がままに世をへにけるがこの日山巡りの小化け物早くも浄蔵師弟を見て▲走り帰りて告げる様大王ただ今斯様斯様の旅僧同行四人にて馬と荷物を負い担いこの山を越え候なりと言うに魔王はうなずきてそは予て伝え聞いたる日本の浄蔵らならん彼は金蝉子(きんせんし)の初めより四世再来の名僧なればそのししむらを喰らう者寿命に限りあることなく天地に等しき幸いあり我自らうかがいてとくかいさらいてもて来つべしいでいでと言いつつも早身を起こし雲に乗りて密かに様子をうかがいけりかかるべしとは知らざりし浄蔵は険しき山路を馬をあがきに任せつつ辛くして登り行く程に岩裂雲気(うんき)をきっと見てうち驚きつつ声を掛けて妖怪来たれり長老様とくとく馬より降りさせたまえと言うに浄蔵胸うち騒ぎてあわてて馬より飛び降りれば八戒と沙和尚も心驚ききょろつきてどこじゃどこじゃと言いながらいよいよ左右に引き沿うたりその時魔王は思う様あの旅僧ら四人の内にて年若く色白なるは問わでも知るき浄蔵なり従うその余の者と言うとも恐るるに足らねども鼻いと高くて烏髪(うはつ)なる山伏ばかり眼あり軽々しく手を動かし難しと思案をしつつ雲を収めて早く谷陰へ退きけり岩裂かくとは知らねども既に妖気の失せたるを見て僅かに心を安くしつ浄蔵を見返りて長老様馬に乗りたまえ妖怪は早通り過ぎたりやよこの暇にと急がせば浄蔵不信の眉をひそめて妖怪変化はかかる深山を住処としてこそあるべきに通りがかりの者もやある心得難しとつぶやくを岩裂は聞きあえずさな宣いそ妖怪も彼に等しき変化の者に招かれて会(かい)に赴く事ありその類にこそ候らめと言うを八戒あざ笑いて長老様、迦毘羅坊が脅すを真聞きたまうな我々が目に遮らぬ妖怪変化の何処行くべきただ怖がらせて遊ぶこそと言うに浄蔵実にもと思いて再び馬を早めけり○さればくだんの妖怪は谷陰に退きてとさまこうさま思い見るに力をもって浄蔵を奪い取らんとする時はかの山伏めに妨げられて速やかに手に入るべからず姿を変えて図るにしかじと再び思案を巡らして年六つばかりなる里の子の戒められたる如くに変じて行く手の松の梢にかかりていと苦しげに叫びて降りさる程に浄蔵法師は谷を隔てて幼子(おさなご)の泣く声を聞いて深くいぶかり先に立ちつつ昇り行く岩裂を呼び留めやよ迦毘羅あれあの声を聞かざるかかかる山路に幼子の捨てられたるか苦しげに泣き叫ぶはそも何処ぞや尋ねて由を問わずやと言うを岩裂聞きあえずそはまた宣う事ながら人跡(じんせき)絶えたる深山の奥に子を捨てる痴れ者あらんやあらば真の人にはあらで妖怪変化の業なるべしただ聞き捨てて急がせたまえと諫めていよいよ導く行く手にと見れば六つか七つばかりなる幼子の荒縄をもて縛られて松の梢に吊されたるが遙かにいでて来る浄蔵らを見つたちまち声をかけてなう聖たち救わせたまえ助けてたべと叫びつついよいよ泣きて止まざりければ浄蔵馬を乗り進めてつくつくと見て嗟嘆(さたん)に耐えずかかる山路に幼子の戒められしは故こそあらめやよ羽悟了よ鵜悟定よ共に眺めておることかはとくとく助け下ろさずやと言うに八戒荷をうち降ろして早木の元へ寄らんとせしを岩裂ヤヤと呼び留めて阿呆よそ奴に構うことかはやようち捨てて行かずやと言うを浄蔵聞きとがめてさても迦毘羅が▲邪険さよ助け降ろして事訳を聞いて疑わしき事あらばその時にこそ捨てても行かめ人を救うは弥陀の本願まいてやかかる幼子の命あやうき大厄難を救わずはこれ人に非ずと言うを岩裂押し返して真に人の子であらばそれがしいかでか止むべき彼はまさしく妖怪なり先にもかの銀面魔王が一人の尼に姿を変じて御身をたぶらかさんとしつる時我が諫めを聞きたまわで巧く謀られたまいしを早くも忘れたまうにやあらん漫ろなりきとたしなめれども浄蔵聞かず頭を振りて言われる如くあの幼子が妖怪なるか妖怪ならぬかそなたの他には知る者なしまさしき証拠もなき事をなお疑いて救わずば後悔ここにたち難しとにもかくにも降ろしてよと言うに八戒ほくそ笑みてそりゃこそ見たり師の坊の勢いは実に鶴の一声また格別なものじゃてやいでいで降ろして得させんずと言いつつ幹に結び止めたる縄を緩めつ引き降ろしてその戒めを解き捨てけりその時浄蔵馬より降りて幼子にうち向かいそなたは何処の人の子にてかく辛き目にあうたるやらんその訳告げよ如何にぞやと問われて妖怪涙を止めわらわはこの山の麓なる木こり某がひとり子にてはべるなり産みの母は身まかりて継母(ままはは)の手に育てられやや年頃を経るままに今の母御にみそかをあり遂には誘いいだされて蓄電をしてけるにわらわが親に告げんかとて父御(ててご)の余所へいでし折わらわを欺き伴いてこの所まで具して来つさて殺さんとしたりしをしきりに嘆き悲しみて露の命を乞いしかばさる鬼々(おにおに)しき継母ながら三年この方親子となりたる恩義に恥じけんみそかををなだめて刃を収めさせ生きんとも死なんとも此奴が運に任せんとてかたの如くに戒めつつこの松が枝に吊り上げて二人はやがて手を携えて早くも影を隠したりかく辛き目にあいしより今日は早三日になりぬ助ける人のいでも来よ親の尋ねて来よかしとはかなき事を心当てに泣き暮らし泣き明かせば微睡みもせぬ暁(あかつき)の夢にも人には会わざりし我が身は遂に弱り果てて死を待つのみにはべりしに命運強く聖たちに会いまつりしこそ嬉しけれかくとは知らぬ父親の心苦しく思うらめ願うは宿所へ送りてたべと言いつつもまた泣き沈めば浄蔵もまた涙を流してそは不憫なる事ぞかし世に恐ろしき継母ながらその孝心と賢しさに恥じて命を取らざりけんそはせめてもの幸いなり西なる麓村ならば今我々が行く手にて道の頼りもあしからず送り届けて得さすべしと言うを岩裂押し止めまたしても長老様この妖怪めに化かされたまうな親が木こりであらんにはここらの山は案内なるべししかるを今日まで尋ね来ることもなく三日梢に吊り上げられて飲み食いもせず幼子が死なでありしも心得難しと言うを妖怪見返りて御身は知らざる所ありわらわが親は木こりなれども虎、狼の恐れあればかく山深く分け入らず常に麓より遠からぬはやまの柴のみ刈りはべり人も通わぬ高嶺の奥に捨てられてあらんとは神ならぬ身の知る由なくて尋ねても来ぬ者にこそと言うに浄蔵うなずきて真にしかであらんずらん三日梢に吊されても死なざりけるは孝心を哀れみたまう神仏の守らせたまいしものなるべしやよ我が馬に乗りねかし宿所へ送り届くべしと言えば妖怪頭を▲振りて見たまうごとくわらわが身骨のかくまでに腫れもし痛みもすればその馬の鞍の上には耐え難からんと言いつつ岩裂を見返りてこのおじ様は背中広くて負われよくこそはべるらめ願うは負わせたまえかしと言うに浄蔵またうなずきてしからば迦毘羅負いねかしと言うを岩裂あざ笑いて背負うべし背負うべし全て変化に化かされるばその魂を奪われて日頃にはにぬものなればとても諫めをきかるべからず要こそあれと思案をしつつくだんの変化を背負い上げて少し遅れて行く程に心の内に思う様先に銀面を背負いし時山をうつす魔術におされて不覚を取りし事あれば此度は我先立ちて此奴を早く押し片づけんと腹に目論む程しもあらず妖怪は早重身(じゅうしん)の術もて次第に身を重くして押し倒さんとしたりしを岩裂すかさず引き外して肩ゆり下げて方辺の石に微塵になれと投げつければ怪しむべき幼子と見えたる変化は消え失せてハッと立ったる炎の光と共に山風吹き荒れて砂(いさご)を飛ばし木を倒す空の景色もすさまじくあやめもわかずなりしかば八戒と沙和尚は驚き慌てて前後も覚えず吹き倒されじと方辺なる巌にすがり眼を閉じて呆然としてついいたりしばらくして風おさまり空さえ晴れて朗らかなりその時八戒、沙和尚は頭をもたげて辺りを見るに馬も四足を折りかがめ砂に鼻面を掘り埋めて風を防ぐ用心したり荷物は後辺に吹き飛ばされしを幸いにしてこりを破らずただ浄蔵の見えざりければこは如何にといぶかりて遙か向かいにたたずみたる岩裂がほとりに至りてまず浄蔵の行方を問うに岩裂遺恨の歯を食いしばりて口惜しや師の坊はかの妖怪にさらわれたまえり我ただ一人始めより彼奴を変化と知りたる故に背負いし時に引き巡らせして投げ殺さんと謀りしに彼は脱蝉(だつせん)の術をもて火炎となりて消え失せたるその折にわかに風を起こして和主らの眼をくらませ事のまぎれに師の坊をかきさらいしに疑いなし我は忠義の心もて常に争い諫めれども師の坊かえって我を疎(うと)みて用いられねば詮方なくなし各々これより立ち分かれて元の古巣へ帰りねかし我もまた方便山に帰りて安く月日を送らん是非もなき事ならずやと託言(かごと)がましく怨(えん)ずれば八戒しきりにうなずいて師兄の了見真に良し様々なるうき苦労して十万里に余る旅をせんより我また芙蓉を妻にして楽しき浮き世を渡るべしというを沙和尚押し止めて師兄の恨みは理なれども我々世尊(せそん)と観音薩多の仏恩によりて悪しゅをまぬがれかの師の坊を助け引きて年月を経てここまで来つるに今中途にして退散せば世の物笑いにならんのみ手立てをもって師の坊を取り返す術(すべ)なからずやと言えばまた八戒ももじもじしつつ頭をかきて我とてもさは思いしかと今さら師兄に捨てられては詮方なさにいなんと言えりいかでよろしくよろしくと言うに岩裂にっこと笑みて各々その義に違わずば我また別れて何処へ行くべき今の如くに言うたるはそこらの胸を探りしのみ始めありて終わりなくは大丈夫あらずかしいでいでと言いつつも金この棒を取り出して木とも言わず石とも言わずあちこちしきりに叩きちうしていでよいでよと叫ぶになん八戒はまた肝を潰して師兄は乱心したるにや大変なりとぞつぶやきけるさる程にあちこちに潜まりいたる山の神らは岩裂に叩き立てられて恐る恐るいでて来つ神尊遅参を許させたまえ如何なる御用の候て呼び寄せたまう事やらんと問えば岩裂つらつら見て呼び寄せしこと別義にあらずこの山に住む▲妖怪めは元これ如何なる化け物ぞと問えば山の神ら皆答えてさん候くだんの魔王は牛魔王(ぎゅうまおう)の一人子にて羅刹女(らせつじょ)に養われたる紅孩児(あかつこぞう)すなわちこれなり数多の手下を従えて三百年来この所にありそもそもこの山は六百里讚頭号山(さんとうごうさん)と呼びなしたるが彼が住処を火雲洞(かうんどう)と名付け自ら聖嬰(せいえい)大王ととなえたり彼その神通広大なれば我々住処を奪われてかえってかの魔王におい使われ日毎に数多の獣を捕りて貢ぎ物となす故に暇もあらで遅参に及べり無礼を許させたまいねと言うに岩裂うなずきて火雲洞へ行く道筋をよく問い極めて山の神には暇を取らせ退かせて八戒、沙和尚らに告げる様我が師の坊をさらいしは紅孩児と呼ばれる者にてこの号山なる火雲洞におるなり彼は牛魔王の一人子にて養母は羅刹女と聞こえたりさてもくだんの牛魔王は五百年前我もまた魔界に横行(おうぎょう)したる時交わりは浅からず彼は形の我にましていと大きやかなれば兄ととなえし者ぞかし紅孩児は生まれぬ先にてこれらの由を知らずとも我しかじかと名乗りなば必ず師の坊を返すべし各々はここにありて馬と荷物を守れかしと言葉せわしく解き示して火雲洞にぞ赴きける○さればまた紅孩児は浄蔵法師をかきさらいひさげて洞に帰り来つやがて手下の小化け物らに浄蔵を戒めさせて奥の柱に厳しく繋がせしばらく休息する程にたちまち岩裂が尋ね来てたてたる鉄門(かなど)を打ち叩き主の魔王に対面せん開けよ開けよと呼ば張りけり○さる程に聖嬰魔王紅孩児は浄蔵法師の師弟なりけるかの迦毘羅坊が▲尋ね来て対面せんと呼ば張る由を伝え聞いていたく怒りてしゃつ肝太くも我が住処へ推参せしこそ奇怪なれいで生け捕りてくれんずと言うより早く身を固めて小化け物らを左右に従え予て用意の鉄輪(かなわ)の車を三輌真っ先に押させつつ門押し開きて現れいで来たりしはそも何者ぞと問えば岩裂うち笑みて甥御(おいご)は未だ知らざるか五百余年のその昔我も魔界にありし時そなたの親御と義を結びて同胞の思いをなしたる我はそなたの叔父分威如神尊岩裂なりかかる好(よしみ)のあるなれば我が師の坊を返せかしと言わせも果てず紅孩児は眼を怒らし声苛立てて此奴はなはだ大胆なり師匠を捕られて苦しきままに昔我が親と義を結びし兄弟分といつわるとも誰かはそれを真にすべきとく退かずば手取りにして浄蔵法師と諸共に寝酒の肴にしてくれんずとののしるを岩裂はなおもしばしと押し鎮めて解き悟さんとする程に紅孩児はいよいよ怒りて鉾をひねって突いてかかればまた岩裂も怒りに得耐えず金この棒もて受け止め半時ばかり戦うたるいずれも愚かはなきものから紅孩児はただむき乱れて叶うべくもあらざれば引き退くを岩裂はなお逃さじと追っかける向かいに押し出す車の内より火炎たちまち燃えいでて岩裂が身を焼かんとせしを岩裂これにもひるまずして金この棒もて火の車を打ち砕き打ち散らしいよいよ進む勢いに小化け物らは辟易して逃げ籠もらんとする程に紅孩児は取って返して呪文を唱えてつく息さえ火炎となりて岩裂が面へ煙を吹きかけ吹きかけ隙もあらせず攻めたりければさすがの岩裂は衣も脚絆も焼き損なわれて元の所に帰り来つさて八戒と沙和尚に紅孩児が事の趣火術の事を告げ知らせて我は昔天上にて湯立ての釜もて七十五日煮られし時も熱さを覚えずつつがもまくてありけるにいかなれば紅孩児が神通かくのごとく広大にて彼が火攻めには敵し難しされば如何なる手立てをもて勝ちを取るべき各々の存念聞かま欲しけれと言われて沙和尚頭を傾け物は五行の理によって剋(こく)にする時は勝たざる事なしされば紅孩児の火どくの如きよく万物を焼くというとも水をもって征しなばなどかその術をくじかざらんやかかれば戦いの時に臨みて雨を降らせてその火を消せばこれ水をもて火を剋する勝利疑いなきものなりと言うに岩裂喜びてその謀り事極めて妙なりおよそ四海の龍王には元より知られし我なれば今より西海に赴きて頼みて大雨を降らすべしさはとてやがて身を起こしてはや海べたに立ちいでつつ金この棒もて波を開きて龍宮城をへぞ赴きけるその時西海龍王はいそがわしくいでむかえて上座に押し進め安否を尋ねてさて言う様神尊今はひたすらに仏法に帰依したまいて日本国の名僧の渡天の供をしたまう由ほのかに伝え聞いたるに今日は如何なる所要ありてここらへ来臨せられしやらんと問えば岩裂膝を進めてさればとよそれがしがにわかに来つるは大敵を討ち滅ぼして師の坊を救わんために候なりその故は斯様斯様と紅孩児に浄蔵法師をかきさらわれし事の趣彼が火術に▲焼き討ちせられて難儀の由を告げ知らせ願うは龍王大雨を降らして我が戦いを助けたまえこの義を頼み参らすると言うに龍王眉をひそめて一日一夜の大雨は日の神に聞こえ上げて御許しを受けざれば異国と言うとも行い難しと否むを岩裂聞きあえず否、一日の仕事にあらず魔王の住める号山にのみしばし大雨を降らせたまわば我十二分の勝ちを取るべしとくとく用意をしたまえと言うに龍王うなずいてさばかりの事ならばわたくし雨にて間を合わせん心得て候と答えてやがて手配りしつつ稲妻なる神らに触れ知らせまた岩裂と諸共に号山にぞ赴きけるその時岩裂は早先立ちて帰り来てすなわち西海龍王を語らいおおせし事の由を八戒、沙和尚らに告げ知らせ八戒は我と共に火雲洞に押し寄せて小化け物らを討ち平らげよ沙和尚はここにありて馬と荷物を守るべしと言葉せわしく解き諭して黄金の棒脇挟み魔王の洞へ押し寄せれば八戒も熊手をひさげて等しく道を急ぎける○かくて岩裂は火雲洞へ押し寄せて鉄門を割れよと打ち叩き紅孩児とくいでよ汝は親の好を思わで輪をれ拒める大胆不敵此度はいかでか許すべきいでて勝負を決せよと声高やかに呼ば張りけり魔王はこれをもれ聞いてからからとあざ笑い先度に懲りぬ迦毘羅めが再び来つるは夏虫の火虫に似たる痴れ者なりいで焼き殺してくれんずと言うより早く身を起こして小化け物らに下知しつつかの火の車を押しいださせて鉄門口(かなどぐち)より現れいで鉾脇挟みて岩裂をきっとにらみて声を振りたて愚かなり迦毘羅坊手並みは予て知りつらんに百万騎にて攻め寄せるとも浄蔵法師を返さんやまいて同行三人我汝らを殺さん事はゐのこをほふるに異ならず覚悟をせよと罵れば岩裂怒りに耐えずしていよいよ進みて声を振り立てほざいたり小僧めが我また汝が火を恐れんやそこ動くなと息巻き猛く金この棒をうち振りて▲走り掛からんとする程に遮り止める三両の車の内より炎々(えんえん)と紅○児がつく息の炎となりて散乱しつつ面を向くべきようもなければ岩裂空をうち仰ぎて龍王雨をとくとくと促す声と諸共に大雨にわかに降り注ぎてはたたかみなり稲光天地等しく振動してさしもに広き深山路を江河(えかわ)の如くなすと言えども炎は少しも消えずして薪に油を注ぐが如くいよいよ盛んに燃えたりける故あるかなくだんの火炎は天火(てんひ)にあらず野火にもあらずすなわちこれ魔王の修練にきりいだす真の三昧火(さんまいか)なりければ水にも消えず雨にも湿らずされば三両の車の数も元よりこれ火の数なり九紫(きゅうし)火旺(かおう)の時を得て金をとらかし石を焼く実に未曾有の魔焔(まえん)なれば岩裂謀り事遂にその甲斐なかりけりされば八戒はこの火に恐れていち早く逃げ失せしかど岩裂は火炎に巻かれて進退そこに極まりしを辛くして切り抜けてようやくに必死を逃れるものから身の内ほてりて耐え難ければ谷川に身を浸して冷まさんとしたりしに金石(きんせき)に異ならぬ不死身なれども火の熱気と水の冷気にとじられて心神うちに衰えければ我にもあらで死せるが如くくだんの河に伏しておりさる程に羽悟了八戒は紅孩児が火術に恐れて一太刀も攻め戦わずいち早く逃げ走りて元の所へ帰り来つさて鵜悟定の沙和尚に敗北の由を告げかの魔王めが手練の火は雨にも水にも消える事なく例えば燃える薪の上に油を注ぐ如くにていよいよ盛んになりしかば焼き殺されじと一足いだしてようやく逃げて返りしなりしかるに師兄は三両の火の車に取り込められて逃れるべくも見えざりければ十に八九は焼き損なわれて無惨や灰になりつらんと言うに沙和尚驚き憂いてそは嘆かわしきことなりかししかりとも我思うに師兄は火にもよく耐えたる元より不思議の本事(てなみ)ありよしや魔炎に取り巻かるとも死するまでには至るべからず痛手を負うて引きかけたるかこれもまた知るべからずいざたまえ尋ねて見んと言うに八戒実にもと答えて諸共に木陰をいでて行くこと未だ幾ばくならずと見れば右手なる谷川に伏したる者のありしかば両人等しく立ち寄りて見れば果たして岩裂なりさればこそ言わざる事か師兄はここにありけりとてとかくして引き上げるに身内冷えて氷の如く僅かに息の通うになん元の所にかきもて帰りて沙和尚、八戒代わる代わるに息を吹きかけ温めて半時ばかりいたわりければ岩裂ようやく我に返りて口惜しや師の坊は魔王の腹に葬られて念願仇になりぬべし如何にすべきと息巻きて立たまくせしを左右より八戒、沙和尚押し鎮めて師兄よ心を確かにしたまえ御身痛手を負いながらなお師の坊の事をのみ思いたまうこそ頼もしけれまた談合せば長老様を救い取る手立てもあるべしまずまず保養したまえと言い慰めれば岩裂はこの時までも▲空にありける龍王らをかえし使わしさて八戒と沙和尚らに言う様千々に心を砕くとも紅孩児の魔術の火炎は観世音仏力ならで誰がまたよくこれを征せん我南海に赴きて頼み奉らんと思えどもまだ立ち走りの自由ならねば思うのみにて心に任せずさればとて時遅れなば長老様はほふられて白骨をのみ残したまわん八戒和主は我に代わりて補陀落(ふだらく)山に走り行き菩薩に告げて紅孩児を滅ぼす手立てを願えかしと言うに八戒うなずきてその義真にしかるべし我らが行きて頼み申さば菩薩も萬を差し置きて必ず影向(えいごう)したまわんさはとてやがて身を起こして雲に乗りつつ遙かなる補陀落へぞ赴きける○さればまた号山の魔王紅孩児は再び魔焔術をもて岩裂を攻め破りしかども彼懲りずまに手立てを変えて寄せ来る事のありもやせんと思えば未だ浄蔵を食らわず心利きたる腹心の小化け物らに言いつけて岩裂らが事の様子を密かに見て来よとて遣わせしにその者やがて走り帰りて彼らが手立ては斯様斯様と岩裂は病み伏して物の用にたたざれば観世音をかたうどに頼まんために八戒を補陀落山へ遣わす事の一部始終を告げ知らせかの八戒は雲に乗りて南海を指して赴くなりと言うに喜ぶべ紅孩児は幾たびとなくうなずいてそはくっきょうなる事ぞかし我斯様斯様に計らいてその八戒めを生け捕るべし汝らも手筈を違えなと下知して雲にうち乗りつつ飛ぶ鳥よりも速やかに今八戒が指して行くその道筋を彼より先へ行き抜けて観音菩薩の姿に変じて待ちておりかくとは知らぬ八戒しきりに急ぐ道の行く手にと見れば観世音菩薩の紫の雲にうち乗りて此方を指して来たまいけり元より阿呆の癖なれば偽と魔物の思案に及ばず近づくままに小腰をかがめてこは思いがけもなき良き所にて会い奉りぬ菩薩は▲何処へ渡らせたまうと問えばうなずく紅孩児は微笑みながらたたずみて我らはここらに所要ありて一人漫ろに来にけるが汝は何処へ行くやらんと問い返されて八戒はうやうやしく額を突きさん候号山という深山路にて師の坊に厄難ありその故は斯様斯様と紅孩児が火術の事、浄蔵をかきさらわれしその事の始めより岩裂は再び三度焼き討ちに攻め悩まされて病み伏してある事まで事落ちもなく物語りいかで菩薩の助けを願いてくだんの魔王をうち滅ぼし我が師の坊を救い取らんと思うばかりに御住処へとて道急がして参る折からここにて行き会い奉りしは図らざりける幸いなりすぐさに御供仕らん願うは早く号山へ立ち寄りたまいてかの魔王を退治して師の坊を救わせたまわばそれがしさえに面を起こす師弟の喜び大慈大悲の観世音念願成就なさしめたまえと額を雲に掘り埋めて合掌しつつ乞い願えば紅孩児は笑いう忍びて聞きつつしばしばうちうなずき思うに増したる御事が真心いかでかは救わざるべきかの号山の魔王紅孩児は神通広大なるによりおよそ神にも仏にも相親しまずという事なしこの故に我もまた予て一面の交わりあり今より火雲洞へ赴きて浄蔵法師をもらわんと言えば異議なく返すべしこれに増したる近道あらんやわなみと共に彼処に至りて早く師の坊を受け取れかしと言われて喜ぶ八戒はちっとも疑う心なくそは手短かなる御扱い師の坊をだに返されなば恨みは晴れて言い分なししからば御供仕らんと言うに魔王はしすましたりと思う心を色にはいださずしからば行きねと先に立ちて火雲洞へおびき寄せなお奥深く伴って者共此奴を戒めよと喜ば張る声と諸共に待ちもうけたる手下の化け物承ると左右なる物の陰より現れいでて驚き騒ぐ八戒を突き倒し押し伏せて起きんともがくを▲動かせずその暇に紅孩児は元の形を現してからからとうち笑い愚かなりづく○うめ浄蔵のみでは食らい足らねば惣菜にせんために我観音の姿に変じて汝をおびき寄せしを知らずや者共そ奴は袋に入れてしまうておけと言いつくれば小化け物らは心得ていと大きなる皮の袋を厨(くりや)の方よりもて来つつなおも大勢立ちかかりてしきりにもがく八戒をもたげて袋へへし込み口を厳しく結びしかば弥勒の世まで八戒はまたいづくべくもあらざりけるただ憤り胸に満ちて声を限りに罵れども息さえ籠もる皮袋柱の釘に掛けられてその甲斐夏のかき餅かと人に問わるる身の辛さ我も茶うけにせらるべき命末間の物思い苦しさ限りなかりけり○さる程に岩裂は沙和尚と諸共に八戒が帰るを待ちしに既にその日もはかなく暮れて明けの朝になりしかどその訪れだに聞こえねば深く心にいぶかりて沙和尚にささやく様今までもかの阿呆めが帰り来ざるは故こそあらめもしや機密を魔王に知られて道にてからめとられしかこれもまた知るべからずここにて物を思わんより魔王の住処に忍び込みて事の様子を探るべしと示して苦痛を忍びつつ火雲洞に赴きて一つの蠅に身を変じあちへ飛びこちへ飛びて内の様子をうかがうに浄蔵法師は戒められていでいの柱に繋がれたるがしきりに仏の御名(みな)を唱えて必死の覚悟哀れなり、また八戒は大きなる皮の袋に入れられて厨の柱に掛けられたるが紅孩児が観音に化けたる事をくどくどと独り言罵りて手足を張りつつ悶えしかば彼が魔王に謀られて捕らわれたる体たらくも既に定かに知られたりされどもついで悪しければ岩裂は師の坊もまた八戒にも言葉を掛けずなおも様子をうかがう程に紅孩児は腹心の化け物二人を呼び近づけて汝らも知る如くあの浄蔵は古今の珍味そのししむらを食らう者は寿命を延べる功能(こうのう)ありて天地とともに死することなしこの故に我が親にておわします牛魔王大人様を招き参らせ諸共に賞翫して寿を成さんと欲す汝ら早く迎えに参りてこれらの由を告げ奉り御供して帰り来よ御つえさしがさをもたらして参るべし抜かりなせそと下知するを岩裂早く聞き取りてうち驚きつつ思う様彼奴は親を呼び迎えて我が師の坊を蒸して食らわば救わんとするともその甲斐なし牛魔王は五百年前我と交わり浅からざりし兄分でありければその顔ばせも声音さえ今とてもよく覚えたり我牛魔王に姿を変じてうまくしゃつらを欺きて我が師をりょうるくすりぐいの日柄を延ばすに増すことあらじと思案をしつついそがわしく窓のひまより飛びいでてくだんの二人の使いより先へ走りて牛魔王の姿に変じて道のほとりの花を眺めていたりけりかくて紅○児が二人の使いは牛魔王の住処を指してひたすら道を急ぐ程に思い掛けなく中途にて牛魔王に行き会いければ岩裂とは▲夢にも知らず紅孩児が口状をつまびらかに述べて迎えに来つる使いの由を告げしかば岩裂聞いてうちうなずきしからば汝ら供をせよと答えてやがて先に立ちて火雲洞に来にければ紅孩児は出迎えて設けのしとねに座さしめてうやうやしく額を突きさて浄蔵を諸共に食らうて齢を延べんと欲せし事の心を告げしかば岩裂聞いてうち微笑み得難き珍味を身一人食べず親を招きて諸共に齢を延べんと思いぬる和殿の孝心感ずるになお余りありしかるに我は近き頃より道教にも心を寄せれば月六さいの精進日あり今日はすなわちその日柄にて一日精進するにより百億万年生き延びるとも人の肉は食べ難しその義は明日にせよかしと否むをいぶかる紅孩児は眉をひそめて小膝を進めそは仰せでは候えども親人様は昔より常に人まれ獣まれ捕り食らいたまうにより精進なんど言う事は仮にもしたまう事なかりしにいかなれば今日に限りて似気なきことを宣うやらんとなじれば岩裂さればとよ次第に年の寄るままに心弱くもなる筈なりまげて明日まで延ばせかしと言うを疑う紅孩児は厨の方に退きて先に使いに遣わせし小化け物らを招き寄せ汝らは我が親の宿所まで行きたるかと問えばこれかれ言葉等しく否図らずも中途にて御目にかかりたるによりそがまま御供仕りぬと言うに紅孩児は眉をひそめてこはいぶかしき事ぞかし彼は真の我が親ならで偽物にこそあらんずらん再びなじりて真偽を知らん汝ら油断すべからずとささやき示していそがわしく元の座敷に赴きてまた岩裂にうち向かい御精進日と宣うにつきて尋ね申したきことありそれがしが誕生日は何月幾日で候ぞと問われて岩裂さんつまりしをさらぬ様にて小首を傾け年寄りたれば物忘れして只今空には覚えぬなり母こそよくも覚えておらめと言うを紅孩児あざ笑いて親人様はそれがしが誕生日に当たる度毎に寿の酒宴をなされて忘れたまいし事はなきに今日は何とてしか宣うぞ隠さず知らせたまいねとしきりになじる受け答えに息詰まりたる岩裂はそれはとばかり口ごもるを偽物なりと見破りたる紅孩児は声いらだてて我が誕生日も知らざるは真の親にあらずして紛れ者に疑いなしそこ動くなと息巻きて長押(なげし)に掛けたる手鉾を取りて突き倒さんと走りかかるを岩裂騒がずきっと見て親に刃向かう不孝者天罰思い知らずやとたしなめらるる紅孩児は恥じて思わずひるみたる隙を得たりと岩裂は早門外へ走りいでて元の形を現しつ紅孩児のうつけ者我らを親と▲思いなして三拝しつつ敬いしはこれせめてもの腹いせなりたわけ面めとあざ笑えば紅孩児はいよいよ怒りてあれ逃すなと呼ば張り呼ば張り数多の手下諸共に続きて追っ掛けたりけれども岩裂は早影を隠してそこらに見えずになりしかばもし浄蔵と八戒を取り返さるる事もやと思い返して遠くは尋ねずそがままに内に走り入りて用心の他なかりけり○さる程に岩裂は元の所に立ち返りて馬と荷物を守りおる沙和尚に由を告げ、師の坊はなお食らわれず八戒中途にて紅孩児にたぶらかされて生け捕られたる事の趣見聞きしままに解き示して今日という今日日頃のうつ気を晴らすに足りて快く可笑しき事のありしなりその故は斯様斯様とかの牛魔王に姿を変じて紅孩児に三拝させあくまで彼を弄びたる体たらくを告げ知らせこれらはわずかに一旦の憤りを漏らせしのみさればとて我が力にも彼が魔術の炎には勝ちを取ることありとも覚えず我が身の痛みも既に癒えたりいでや南海へ赴いて観音薩たの助けを借るべし和僧はなおもここにありて必ず油断すべからずと言葉せわしく心を得さして雲を起こしつ飛び乗りて補陀落山へと急ぎける[作者曰]西○記には相似たる趣向多くあり例えばこの編なる紅孩児が幼子の姿に変じて浄蔵をかきさらう時に臨みて岩裂に背負われしは銀角の銀面が事の趣と相似たりまた岩裂が牛魔王の姿に変じて紅孩児を欺く趣向はこれもまた岩裂が眠りの姥(うば)に姿を変じて銀面、玉面両魔王を欺きたるととう類なりこれのみならで玉面がばせを扇のやきうち紅孩児の火の車としなこそ代われ相似たるを悟一子(ごいつし)の批評にはこれすら深意(しんい)ある由にて助けて論じ置きたれども実は尺壁寸暇(しゃくへきすんか)と言うべし、しかれども今ことごとく作り変えんとする時は原本の大意を失う障りあれば元のままにす、これよりの後似たる趣向は省きてこの書に載せぬもあるべしこれ必ずも九十九八十一なんの数にあはするにもあらねばなり、そもそもこの紅孩児の事はきんさう本に像賛(ぞうさん)あり篇内一個の大眼目にて似たる趣向のありといえども火剋金(かこくきん)の義を取りたる作意の妙を見るに足れりよりてこれらは省(はぶ)かずしていささか綴り置きなひたるのみ切おとしなる見物には向かぬ長口上なれども好みてよく見る人のために此の理を述べるになんあだし繰(く)り言はさて置きつかくて岩裂は補陀落山に赴きて観音菩薩に浄蔵の厄難を告げ奉り紅孩児が魔焔の術を破るに手立てあらざれば菩薩の助けを願わんために参りし由をつぶさに述べてそれがし昔天上にて湯立ての釜にて煮られあし時すら苦痛もあらず候しに如何なる故にやかの魔王めが火攻めには悩まされてしになんとしたること心得難く候と申すを観音笑わせたまいて知らずや迦毘羅汝が身はこれ金に属するなり石は土の骨にして金はすなわち土の膸(すい)なり金は火によりて用をなしまた火にあうて必ずやぶらるまた魔王らは火に属す姿は赤くえがくは鬼は太陽の邪気なればなりこの故に汝が魔王の火に悩めるは火剋金の致すところ今さら何をか疑うべきしかるに昔天上にてその身を湯立ての釜にて煮られてさのみ苦痛を覚えざりしは金の火剋を得てうつわものとなれるものとこれ同じ一度形を成したるを再び魔王の火にあう時は悩まされずということなし今かの魔王の火に勝ち難きも五行相剋(ごぎょうそうこく)の義によるものなりまた汝が他にも八戒は木に属し沙和尚は土に属し浄蔵は水に属すと言えどもその徳未だ広大ならず一柄杓(ひとひしゃく)の水の如し、この故に魔王の妖火にせんじられしばしば危うきに到れども幸いにしてつつがなきは水剋火の徳あるによれりされば金水土木火(きんすいどもくか)の五行の功用を兼ね備えてよく生(しょう)じよく剋するものは仏菩薩の大徳なりこの義をよくよく思えかしとねんごろに解き諭したまえば岩裂言下(ごんか)にたちまち悟りて感涙の▲こぼれるを覚えずしばらくして申す様五行の徳を兼ね備えて衆生を済度したまう菩薩を物の数ともせざりける紅孩児大胆不敵は今さら言うに及ばねどもくだんの一義を願わんために先にそれがしが八戒を此の御山へとて遣わせしにかの魔王めが中途へいでてその身を菩薩の姿に変じ上手く八戒をたぶらかし生け捕りてこそ候なれと告げるに観音御気色良からずそ奴真に憎むべし神明仏陀(しんめいぶっだ)をはばからぬ妖怪鬼畜なりと言うとも我がこの姿に変ぜしは許し難き罪悪なりしからんには我自らかの号山に赴きて手取りにして得させんずと妙音高く息巻きたまいてはちすの台(うてな)を下りさせたまい静かに磯辺に立ちいでていと小さなる壷を海に投げ入れたまいしかば荒波にかにたち騒ぎていと凄まじく見えたるがしばらくして静まりけりその時沖の方よりして一つの蓑亀浮かび現れくだんの壷を甲に載せて此方を指して泳ぎ来つ磯端にうち登りしを観世音見そなわして、迦毘羅坊その壷をとく取り上げよと宣えば岩裂やがてくだんの壷を取り上げんとしてけるにその重きこと言うべうもあらずちっとももたげ得ざりしかば岩裂驚きいぶかりてそれがしは万斤(まんきん)の重きをも物とも思わで心のままに取り扱いしにかばかり小さき壷一つを取り上げ難きは故もやある心得難く候と言うを観音笑わせたまいて迦毘羅坊この壷には四海の水をたたえたりこの故に汝が力猛しと言うとも取り上げ難き筈ならずやと諭したまうをなお疑いてそは仰せでは候えどもかく小さなる壷の内に四海の水を入れられんや我らを欺きたまうにこそと言うを観音見返りたまいて愚かなり迦毘羅坊須弥山(しゅみせん)の高大(こうだい)なるをも芥子(けし)一粒の内に収めて余さずこれを仏法の不可思議と言うされば四海の水気(すいき)を取りてこの壷に入れたれば汝が力に絶えずしてもたぐる事の得ならぬなり、いでいでと言いながら御手を伸ばしてくだんの壷を安らかに取り上げたまい柳の小枝を折り取りて五色の糸をひぢに掛け恵岸童子を御供にて岩裂と諸共に雲にうち乗りまたたく暇にかの号山に赴きたまえば岩裂は数多度菩薩と拝み奉るその喜び大方ならず導のために先に立ちてしきりに道を急ぎけり○既にして観世音はくだんの魔所に下らせたまいて岩裂を呼び近づけやおれ迦毘羅坊我は恵岸を従えてしばらくここにあるべきなり汝は火雲洞に押し寄せて紅孩児をのり辱めかつ戦いかつ走りてこの所へ誘い来よその折ちとの法術をもて彼が魔術の火を鎮めんさればとて必ず勝たんとすべからずとくこの所へおびき寄せよ我自ずから手立てありと教えてやがてくだんの壷の水を柳の枝もて注ぎ散らしてしばし呪文を念じたまえば扶霧(さぎり)たちまち立ちこめてただ何となく肌寒くこの一山の木も草も全てしめりて陰々(いんいん)たり岩裂は▲この有様になお心得ぬ面持ちしつつ由を菩薩に問い奉れば観世音微笑みて天地は元よりこれ一個の気のみされば金水土木火の五行と言うとも皆気をもって成就せり見よこの壷に込めたるはすなわち四海の水気にて今この山にまき散らせしもまたこれ四海の水気なれば例えかの紅孩児いかなる魔術の火をもてするとも我がこの水気に剋せられておとなう事を得べからずとくとくと急がしたまえば岩裂ますます感心して金この棒を脇挟み一人火雲洞へ押し寄せて思いのままに罵りければ紅孩児はいたく怒りてかの火の車を先におさせて鉾を引き下げ現れいで早岩裂に突いてかかれば岩裂得たりと黒金の棒もて丁と受け止めしばらく挑み戦うて引き外して逃げ走れば紅孩児はいよいよ勇みて小化け物らを駆り立て駆り立て隙間もなく追っかけたりその時岩裂踏みとどまりて既に近づく小化け物らを前後左右にうち散らせば紅孩児は秘文を唱えて火をもて攻めんとしつれども車よりも口中よりもほたるばかりの火だにいでねばこは如何にといぶかりて再び鉾をうち振りうち振りまた岩裂に突いてかかるを岩裂はただあしらうてかつ戦いかつ走り観世音のおわしますほとりへ遂におびき寄せて菩薩の後ろへ隠れけりさる程に紅孩児は勝つに乗りたる癖なれば向かいにたたずみたまいたる観世音をも討ち取らんと思えば今さらちっとも疑義せず鉾を回して突かんとするを菩薩はきっと見たまいて柳の枝もて受け止め御手に掛けたる五色の糸を早くも投げかけたまいしかばその糸たちまち紅孩児が首筋手足にまつわりて大地へだうと引き倒しきりりきりりと締めければ紅孩児は苦痛に得耐えず絶えなんとする声を絞りて許させたまえ観世音今仏罰を思い知ったり向後悪心を改めていかで御弟子にならまく欲す許させたまえと詫びしかば観世音はさもこそとてなおこの後を戒めて五色の糸を緩めたまえば紅孩児は身を起こして大息をつくばかりなり実に有り難き菩薩の方便世々に伝えて著しきこれや仏の御手の糸因縁かくと知られけりその暇に岩裂は紅孩児に従うて追っかけ来たる小化け物らをことごとくうち殺して元の所へ立ち帰れば観世音は紅孩児が懺悔の由を告げ知らせて此奴はこのまま引き立てさせて我南海へ連れ行かん汝は早く浄蔵法師を救いいだして由を告げよさらばさらばとばかりに再び雲にうち乗りたまえば恵岸童子はそのままに紅孩児を引きたてて菩薩に従い奉り補陀落山へぞ帰りけるこれよりの後紅孩児はいよいよ心を改めて仏の御弟子になりしかば善才童子(ぜんざいどうじ)と名付けられ剃髪せしめたまう時彼が二つの角さえ落ちて永く観世音へ仕えけり○さればまた沙和尚は岩裂を待ちかねて馬を引き荷を背負いて木陰をいづる折からに岩裂向かいより走り来て観世音の助けにより紅孩児を退治したる趣を告げ知らせ相伴って彼が住処の火雲洞へ赴きて彼処に残り留まりいたる小化け物らをうち殺して浄蔵を救いいだしまた八戒をも袋の内より助けいだしてしかじかと観世音の利益の事魔王退治の事の趣▲始め終わりを解き示せば浄蔵法師は夢かとばかりに感涙のすすむを覚えず南に向かい伏し拝みて観世音の仏恩を謝し奉り今に始めぬ岩裂がいさおしを誉めて止まざりければ八戒もまた喜びて沙和尚と諸共に洞の中なる米を授けてかしぎて浄蔵、岩裂に膳をすすめその身その身もあくまで食べてこの夜は師弟ここにねまりて初めて安堵の思いをなしけりかくてその明けの朝浄蔵はまた馬にうち乗りて岩裂、八戒、沙和尚と諸共に西を指してぞ立ちいでけるさてこの次は車遅国(しゃちこく)にて岩裂の迦毘羅坊が大神通を表して変化の道士を三人まで退治する物語に到れりさればかの車遅国の一編はこれまでに無き趣向にて見る者の飽く事を忘るるの妙案多かりそは第九篇に著して来春必ず出板すべしまた新編金瓶梅(きんぺいばい)という愚作の合巻物初編八冊は今年○続きて出板す、こは柔らかみを旨とせしせわ○多ければ必ず求めて御覧の上金瓶梅と諸共に御評判を願うという板元の代わりも兼ねて余計の筆を走らせるのみ、目出度し、目出度し。

※第九編は出板されなかったため、お話はここで止まります。
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第八編上(ほぼ原文)

2017-01-15 08:32:39 | 金毘羅舩利生纜
日本(やまと)にもありてふものを親知らず子知らずの磯に誰が迷いぬる

空の波月の兎もはしるやは株(くいぜ)をまもる人の待つらむ

烏鶏国王妃(うけいこくのきさき)
烏鶏国遅明太子(ちめいたいし)
岩裂変体榔導白兎(いわさきへんたいしるべのうさぎ)

愚かならうえびすくすりよ咲く花の大君としも欺かれけり
道士全真(どうしぜんしん)

繰り返せたえも果てたる玉の緒をつなぎ止めてよ三輪のおだ環(おだまき)

烏鶏王

春来れば野辺の若草燃ゆるとも消ゆるに早き里の淡雪(あわゆき)

岩裂変体牛魔王(ぎゅうまおう)

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さればまた浄蔵法師は銀面、玉面両魔王の厄難を逃れてより岩裂の迦毘羅坊、羽悟了八戒、鵜悟定沙和尚と共にまた四人龍馬のあがきに任せつつ西を指して行く程にまた幾ばくの日頃うぇお経てある日木立いと深き山元遠く分け登るに雲にそびえる五重の塔の遙か向かいに見えしかば浄蔵しばし馬を留めて岩裂を呼び近づけナウ迦毘羅坊彼処に塔の見えたるはここらに名だたる大寺ならん日は早西に傾きたるに見渡す限り人里なしいざたまえ彼処に至りて今宵の宿りを求むべしと言われて岩裂うちうなずき宣う如く彼処は寺なりとくとくと急がして馬追いやりつ皆諸共にやや近づきてまた見るに果たして目出度き古寺にて向かいに高き山門あり、その時岩裂は浄蔵を見返りてやよ長老様この所は何と呼ばれる寺ならんと問うを浄蔵聞きあえずこはそぞろなる事を言うものかなそなたすら知らぬ寺の名を我如何にして知る由あらんと言えば岩裂うち笑いて御身は幼き頃よりして儒書仏経を見尽くしたまえば字として読めぬはなからんにこの山門にうちたる額の読めぬ事かはとなじられて浄蔵しばらくうち見上げそはまたそなたの言う事ながら此の山門の高かるに雨風に吹きさかされて塵さえいたく積もりたるかの額をよく読む者あらんや無理なる事をとつぶやくを岩裂いよいようち笑いてしからば読みて参らせんいでいでと言いながら足踏み鳴らし身をひねれば怪しむべし岩裂が両足飴を伸ばすがごとく長くなること三四丈くだんの額に手を掛けて塵を払いととくと見て長老様御覧ぜよ疑うべくもあらぬこの額に勅建宝林寺(ちょくげんほうりんじ)と印したり国に由ある伽藍にこそと言いつつやがて身を縮まして元の背丈(せたけ)になりしかば浄蔵法師は呆れ果ててさらにまた物Iwazu八戒と沙和尚は思わずかかとうち笑いてよしなや師兄がからかいつらなるくたびれつらしにてんごうすな、暮れ果てぬ間に寺内に入りて今宵の宿りを求むべしと言うを浄蔵押し留めてやよ待ちねそなた主は眼つぶらに鼻高く人並みならぬ面魂の物言い様も無骨気なればおそらく所下(しょげ)たちを驚かして事あやまたばいかがはせんわなみ自ら行くべしとて馬乗り放ち只一人寺門の内に進み入りてあちこちと見巡るに本堂には丈六の阿弥陀如来を安置したる綺麗壮観言うべくもあらず只これのみにあらずして経蔵あり学寮あり客殿方丈具足して思うに増したる古寺なり、その時浄蔵はまず本尊を礼拝してなおあちこちと見巡るにわずかに一人の寺男夕掃除をしてありしかばそがほとりへ近づきてナウちと頼み申したし我ら事は日本国なる帝の勅を受け奉り天竺象頭山に赴きて金毘羅神を迎えはべる浄蔵という▲旅僧なり同行の徒弟三人あり今宵の宿を求め遅れて事に難儀に及びたりよりて今宵一夜さの宿りを乞わまく思うのみこれらの由を取りなしてたまわれかしと他事もなく言われてうなずく道人(てらおとこ)そは気の毒なる事にこそなるかならぬか知らねども役僧たちに申してみんしばらく待たせたまいねと答えて内に入りたるを待てども待てどもいでて来ず浄蔵法師は待ちわびて心ともなく方丈の庭口より進み入るに折しも住持は只一人縁側にいでており浄蔵を見て驚きいぶかりこは推参なる痴れ者かなとおとないもせでここらまで来ぬる和僧は何処の人ぞと問われて浄蔵小腰をかがめ先にも申し入れたりし拙僧は日本国より天竺へ赴きて金毘羅神を迎える者なり同行ここに全て四人宿とり遅れて難儀に及べり願うは今宵を明かさせたまえと言わせも果てず住持の老僧頭を左右にうち振りてそは宣うな叶わぬ事なりとくとくいでて行きたまえと否むを浄蔵押し返して見ればいと広やかなるかかる御寺に只一夜さ我々四人を泊めたまうとも何ほどの事やはあらんさるをつれなく宣うは慈悲善根(じひぜんこん)を旨としたまう出家には似気もなし但し故ある事にやと問われて住持は眼を見張りその故なくて否まんやいぬる頃行脚の僧の宿りを乞いしが不憫さに一夜さここに留めしにあに思わんやくだんの法師はいと恐るべき盗人にて小夜更(さよふ)けし頃戸さしを外して同類数多引き入れつつ金銀衣装言えばさらなり、ありとあるものかきさらいてうち連れ立ちていでて行きにきこれより後一夜さもここに行脚の僧を留めず足下の明きうちとくとく行きねとつれもなく追い立てられもたちかねし浄蔵法師は嘆息してそはさることのありとても我々は日本国より渡天の僧にまぎれなしまげて宿りを許したまえと繰り返しつつ頼めども住持は耳にもかけずしてかの寺男を呼び立ててやよこの旅僧を門前へ送りいだせと言いつくる勢い止むべくもあらざれば浄蔵法師はすごすごと外の方指していでにけりさればまた岩裂は八戒、沙和尚らと諸共に浄蔵法師を待つほどにおよそ半時ばかりにして浄蔵ようやくいでて来ついでて来ついとうれわしき面持ちにて住持に言われし事の趣斯様斯様と告げ知らせかかれば今宵此の寺に宿借る事は叶い難し如何にすべきと侘びしげにかこつを岩裂うち聞いてその住持めが盗人に懲りて我々を拒めるはかのあつものにほうを焼きて酢の物をふく類いなり此度はそれがし彼処に至りて宿取り済まして参らせん嘆く事かはと慰めて寺内に進み入る程に耳の間より隠し持ちたる金この棒を取りいだし引き伸ばし突き立てて方丈へは赴かず早本堂にうちのぼりて左右二側に安置せられし十六羅漢をと見かう見つつ奥まで響く声を振り立て和僧らは朝夕に飯菜茶とうを供えられても木像なれば飲み食いせず人の痛さを知らであらんが我々はこれ同行四人ここに宿りをからまくすれども住持は邪険で受け引かず人の難儀を思いやりせぬ仏達はありても要なし我がこの棒を食らわして今宵野宿の薪にせん覚悟をせよと罵ったる声に驚く▲夕勤めの所化(しょけ)らは見つつかつ恐れてあわてて住持に告げる様今本堂へ恐ろしげなる旅山伏が一人来て罵る声を聞きたまわずやうち捨て置かば御仏を残らずうちも壊されんそも如何にしてよからんやと問われて住持はいぶかりながらそとたちいでて岩裂を垣間見しより勢いに肝を潰して腰立たずさてあるべきにあらざれば密かに知客(ちか)の役僧に事しかじかと言いつくれども役僧恐れて受け引かずそれがしなんどが弁舌にて彼を否する由あらんやその義は許させたまえかしと否むを住持は押し返してなれどもそこの役目なりともかくもしていなしねと言われて役僧逃れる道なく恐る恐る立ちいでて岩裂にうち向かいそもそも聖は何処よりここらを過ぎらせたまうやらん何事の御気に障りて腹立てたまうか知らねどもまげて許させたまえかしと言わせも果てず岩裂は眼を怒らし声いらだてて此奴とぼけて何をか言う我が師は遙々日本国より天竺へおし渡り金毘羅神を迎えたまうもとこれ帝の弟分当今(とうぎん)の勅命にて世の旅僧とは同じからぬ浄蔵法師を汝らさえ盗人ならんと疑うて宿貸さざりし住持の邪険聞き捨て難さに大徒弟岩裂の迦毘羅坊が手並みを見せに来つるなりこの本堂なる木仏を打ち砕かれるが愛おしくは住持をいだせ物言いつけんと息巻き猛く罵られたる役僧いよいよおののき恐れて逃げるが如く退きて住持の衣を引き動かし只今聞かせたまうが如し自らいでて詫びたまわずは聞き入るべうもそうらわずと言うに住持は詮方もなく鬼にとらるる心地はすれどさて止むべきにあらざればもじもじしつつ立ちいでて岩裂にうち向かい今しも仰きけられし御腹立ちの趣は恐れ入りて候なりそれがしは当山の住持職でそうらえども聖たちを疑うて泊め参らせずというにはあらず如何にせん客殿大破に及びしかば宿し参らすべき座敷なし願うは余所(よそ)へ赴きて宿りを求めたまえかしと詫びれば岩裂あざ笑いて余所に宿借るものならば我またここへ来る由あらんやもし客殿が大破して臥所(ふしど)がなくは汝らは何処へなりとも立ちいでて座敷を空けて我らに貸せかくのみ言えば汝らはなお口賢(くちさか)しく否みもせん、此の黒金の棒を見ずや、此は千余斤の重みあり否と言えば汝らが素頭(すこうべ)を打ち砕くべし、手並みを見よと罵りながら見返る弓手にいと大きなる石の狛犬ありけるをこれくっきょうと棒振り上げてや声を掛けつつはたと打つ響きと共に狛犬は微塵に砕けて飛び散ったり今この事の勢いに住持は魂身に添わず歯茎も合わぬ声振るわしてやよなう聖許させたまえ今宵のお宿を仕らんやよなう許させたまいねと詫びるを岩裂見返りてそはもちろんの事ながら我が師の坊も徒弟(あいでし)らも皆門前に待ちており今この寺にありとある法師はさらなり住持まで皆いで迎えて▲導をせよとくとくせずやと急がしたる勢い止むべくもあらざれば住持、役僧一義に及ばずにわかに鐘を突き鳴らさせて所化らを落ちなく集えけり、さる程にこの寺の学寮にある法師五十余人知らせの鐘に法衣を整え皆本堂に集い来つ何事の候てにわかに招かせたまうぞと問えば住持は声を潜めてにわかの会合余の義にあらず日本国より渡天の旅僧浄蔵法師師弟四人を今宵当山に泊め参らすれば皆いでむかえて導をしたまえその故は斯様斯様と迦毘羅坊に懲らされたる事の趣始め終わりを言葉世話しく解き示せば皆々恐れて舌をはき行儀正しく練りいだすらつばちゃるめらどらにゆうばち音楽のやくはきそうぢなおざりならぬにわかのほんそう実に物々しく見えたりけりかかりし程に岩裂は先へ進みていでて来つ浄蔵法師にうち向かいて今宵の宿を取り済ましたることしかじかと告げ知らせるを方辺聞きする八戒、沙和尚ほくそ笑みてぞいたりけるかくて住持は五十余人の法師ばらを引き連れてはや浄蔵のほとりに来つ御迎えのため参れりと言うに浄蔵呆れ果てて聖たちも我々も皆これ仏の御弟子なるにかく慇懃なることやはあると言えども聞かずおしたてて皆先に立ち後に従い等しく寺に伴いて客殿に招待しつつまず茶をすすめ菓子をすすめるそのもてなし大方ならず膳部(ぜんぶ)は二汁五菜にて中酒(ちゅうしゅ)の肴も手を尽くしたる皆是精進物ながら心を用いずということなし浄蔵と岩裂は元より酒を飲まねども八戒と沙和尚は余す物なく飲み食らいして良き宿取りぬと囁きけりかかりし程に役僧らは寺男にに言いつけて馬にもあくまで馬草をかわせまた浄蔵師弟のほとりへは二人の稚児をはべらせて茶の給仕にだもなおざりなく法師ばらも両三人づつ代わる代わるに四方山の物語りして慰めしを浄蔵法師は固くいろいて我々は行脚の身なりかくもてなしに預かりてはかえって心安からずただ打ち捨てて置きたまえとしばしば言うに所化ばらは従わざらんもさすがにてさはとてようやく浄蔵師弟の臥所を設け稚児諸共に暇乞いしてまかりけりこの時既に日は暮れて夜はいなかの頃なるに空よく晴れて隈も無き月影窓より差し入れしかば浄蔵法師ははしいして岩裂、八戒、沙和尚らと片身にしを賦(ふ)し思いを述べて旅寝の憂さを慰めたるそが中に浄蔵法師は岩裂を見返りて迦毘羅は何と思うらん昔安倍の仲磨呂が学問の為から国にありて帰らん年つる折明州のうらわにて青海原ふりさけ見ればかすがなる三笠の山にいでし月かもと詠みたりし心は同じ旅の空忘れ難きは故郷にこそと言うを岩裂うち笑いて御身は数多の経文を読みそらんじたまえどもかの多心経(たしんきょう)に無眼耳鼻舌身意とある要文(ようもん)を忘れたまいしか我が輩出家の人は眼に色を見ず耳に声を聞かず鼻に匂いを嗅がず口に味わいを舐めず身に暑さ寒さを▲知らず心に妄想を思うことなかるべししかるに御身は一足も早く天竺象頭山に赴きて金毘羅神を迎え奉りまた一足も早く日本へ帰らんとのみ思う心の止む時なければ一日も心安からで魔界に迷う者に似たりかくては天竺に赴きて本意を遂げんこと難かるべし、ただ目と口と耳と鼻と身と心の六賊(ろくぞく)をことごとく退けて一心全て空(むな)しくば故郷も何ぞ慕うに足らんこの義を悟りたまわずやと浄蔵うち案じつつたちまち心に悟りつつうら恥ずかしく思いけりかくて夜も早更けしかば各々臥所に入りたるに浄蔵はいも寝られず一人経文の紐解きて読誦(どくじゅ)すること一時ばかり夜は丑三つと思しき頃いささか眠りをもよおして寝るとも知らず微睡みけんにわかにとき風吹き起こりてさと音するに驚かされ頭をもたげて辺りを見るに灯火(ともしび)消えんとしてまた明くただ何となく胸騒ぎて襟元寒くおぼえしかば心を静めてなおよく見るに遙か向かいに人ありて今水中よりいでたる如く衣もかむりもしたたるまでに身はいといたう濡れたるづ黙然として佇みたりじょう浄蔵驚きまた怪しみてそもそも御身は何者ぞと問えばその人手を挙げて聖よさのみ驚きたまうな我は当国烏鶏国(うけいこく)の主にてはべるなりと言うに浄蔵また驚きてうやうやしく下座に居直りさてはこの土(ど)のい君王にておわしまし候かなどてや一人かろかろしおく小夜更けたるに供をも具せずここらへ渡らせたまいしぞ再び問われてさればとよそのい疑いは理なり今さら何をか包むべき我はこの世の人ならず身まかりしより三年になりぬこの身の仇のある故にいかで聖の助けを借りて恨みを返さん為にのみようやくここに来つるぞやと告げるに浄蔵また驚きてさては御身は亡き魂の幻に立ちたまいぬる烏鶏王にてましますよな只今告げさせたまいたる御身の仇は何者ぞと問えば国王うなずきて未だつぶさに告げざれば心得難く思わるべしことながくとも聞きたまえ父王の位を継ぎて此の烏鶏国を治めしより国豊かにして民安く異なる事もなかりしに一とせ春より夏までもただ日照りのみうち続きていささかも雨降らざりければ耕す業のたつき無き民の嘆きは大方ならずこれにより天津神、国津神に祈りつつ雨乞いに日を重ねしかどもちっとも印なき折から道士全真(ぜんしん)という者あり一人他国より渡り来て雨乞いの術ありと聞こえしかば召し入れて祈らせしに法げん遂にあやまたずたちまちに雨降り注ぎて五穀豊かに実りたり是より我ただ彼を愛して国師と称え尊敬しつつ常に座右にはべらせて食する時もむしろを共にしいぬる時も床を共にし早年頃を経るままに彼の者いつしか悪心きざして暇をうかがいたりけるを我夢にだも知らざればある日全真と諸共にそぞろに園に立ちいでて花王亭(かおうてい)のほとりなる牡丹を眺めありけるににわかに風荒れ砂(いさご)を飛ばしてあやめもわかずなるままに全真早く我が身を捕らえて辺りに近き井の内へ真っ逆様に投げ落としいと大きなる切り石を引き起こしまた投げ入れて蓋としたれば死骸も浮かずかくてくだんの全真は早くも我が身に変じつつ姿顔ばせ物言い様までちっとも違わざるにより后も太子も臣下さえ見わくる者のある事なければ皆々彼奴を我ぞと思いて露ばかりも疑わずかのとき風の吹きし折全真は雲にうち乗りて昇天したりと言うによりそれすら皆々さなりと思いて尋ねもやらずなりにたり聖は大方明日の頃▲城に入りて通り手形を変えんとこそしたまうらめその折に由を太子に告げて恨みを返させたまわらばこれ莫大の恩にこそと告げるを浄蔵うち聞いてそは世に稀なる災いなり御頼みの趣は心得てはべれどもまさしき証拠あるにあらずはしい事なりと思われて災いこの身に及ぶべしと言うに国王進み寄りてそこらの遠慮は理なり年頃我が身に話さざりける傳国の玉璽(ぎょくじ)ありかの折も腰に付けたるを全真とるに及ばずしてこの身と共に井の底へ押し沈めたりしかば后にも太子にもまざまざと偽りてかの大風の吹きし時失いにきと言いくるめて今日までも過ごしたりかかればこの玉璽をもて太子に示したまいなば彼らが疑い解けぬべしひとえに頼み参らすると言いつつやがて懐より錦の袋に入れたりける玉の璽(おて)を渡すにぞ浄蔵やおら受け取りてなおも問わんとする程に国王は早いでて行くをこやなうなうと呼び止める声に我から驚き覚めればこれうたた寝の夢にして玉璽はまさしく方辺にありかかりし程に岩裂のみ今師の坊のうなされたる声に驚きて起きて来つまずその故を尋ねれば浄蔵法師は国王の夢枕に立ちし事の趣斯様斯様と囁き示してこは夢にして夢ならぬくだんの玉璽はここにありいといと不思議の事ならずやと告げるに岩裂小首を傾けその事まさしき示現なるや今彼処にある国王はかの全真か全真ならぬかそれがし王城に忍び行きて見極めて後にこそ、ともかくもつかまつらめしばらく待たせたまいねと言うより早く外にいでて雲にうち乗りまたたく暇にかの王城に飛び行きしが程もなく帰り来つさて浄蔵に告げる様それがし王城に赴きて事の様子をうかがい見しに妖気城中に満ち満ちたれば夢の告げに違う事なく只今の国王は妖怪変化に疑いなししかるに幸いなる▲事こそそうらえかの太子は明日の朝城をいで勢子(せこ)を率いて山狩りをしたまうなりその折それがし身を変じて太子をここへ誘うべし御身はなおここにありて釈迦如来より賜りたる錦の袈裟と傳国(でんごく)の玉璽をもこりに入れてそをうち守りてかの太子をいで迎えたまうべからずそれがしはまたいと小さく形を変じこりに入りて斯様斯様に計らうべし太子は御身の無礼を怒りて絡め捕らせんとする事ありとも驚き恐れたまうべからずか斯様斯様に宣う折それがしこりより立ちいでて太子を諭して傳国の玉璽を見せて証拠とせん、かくても太子はなお迷うて真せずは力及ばず通り手形を請い受けてこの地を走り去らんのみその余の手筈は斯様斯様とつぶさに示し合わせる折八戒、沙和尚も起きて来つその時浄蔵はかの国王の亡き魂の夢枕に立ちたりし事の趣斯様斯様とその大略を告げしかば八戒も沙和尚も半ばは信じ半ばは疑い心許なく思いけりさればまたくだんの変化全真は烏鶏王を井に押し沈めてその身国王に変ぜしを疑う者はなけれどもただ夫婦の間のみいささか異なる由あれば機密の漏れん事を恐れておよそこの三年の程事にかこつけて后と太子と対面をあえて許さず奥と表に遠ざけて胡越(こえつ)の如くあらせしかども太子は孝心深ければ密かに嘆き恐れるのみうらむる気色なかりけりなれどもその国よく治まりて五穀年々に実りしかば万民全て太平を楽しまずという者なしかかりし程に偽国王はある日太子に勅して近頃は猪(しし)鹿の折々山田を荒らす由昨日民の訴えあり太子は明日とく城をいでて獣狩りをせられよといとおごそかに聞こえしかば太子は異議なく用意を調え数多の臣下を引き連れてその次の日の未だきより獣狩りにぞいでたりけるさる程に岩裂は予て計りし事なれば一人その道筋に立いでつついと大きなる兎に変じて勢子に負われしものの如く早くも太子の馬先へ走りくるひて近づきけり太子はこれをきっと見て我が物得つと弓に矢つがいてよっぴき固めてひょうと射る狙い違わず兎のうなじへうらかくまでにたちしかど兎はなおも倒れずして矢を負いながらも走り行くを逃しはせじと追う程に馬は駿足(しゅんそく)なりけれども兎に追い付くこと叶わずわずかに四五間隔たりて馬とく走れば兎も走り静かに追えば兎も走らずされば太子はただ一騎何処までもと追う程に来るとも覚えず宝林寺の門前までぞ馳せ着きける○さる程に岩裂は思いのままに計らいて太子をおびき寄せしかば密かに抜き取るくだんの矢を門の柱にぐさと立てて元の姿になりつつも早客殿に帰り来て浄蔵を指し招き長老様よ計りし如く太子はここへ早来たれり示し合わせし事をしも必ず忘れたまうなと囁きながら身を縮まして▲行李(こうり)の内へぞ隠れける○この時太子は追っかけ来つる兎はたちまち見えずなりて彼に射付けしくだんの矢の門の柱に立ちたるを早見いだしていたく驚き怪しいかな怪しいかなまさしくここまで追っかけ来つる兎は行方なくなりて我が矢のみここに立ちてありこはそも如何に
とばかりに呆れてしばし佇む程に追々馳せ来る太子の近臣、雑兵、勢子らも一足いだしてあえぎあえぎぞ追い付きけるその時太子は近臣にくだんの矢を抜き取らせてこの寺の名を問いたまえば近臣答えてさん候先代に建てさせたまいし宝林寺にこそ候なれと言うに太子はうなずきてさては由ある道場なり、今図らずもここまで来つればいざ本尊を拝むべしこの由早く伝えよと仰せに近臣走り入りて住持にかくと告げにける○さる程に宝林寺の住持、法師らはこの日思いがけもなく太子来臨の由聞こえしかば皆々慌てふためきて早門前までたちいでつつ太子を迎え奉る奔走大方ならざりけりその時太子は雑兵、勢子らを皆門前に残し留めて近臣をのみ左右に従え静かに寺内に進み入りてまず本堂にうち上りさて本尊を拝み果てて人馬の足を休めん為に引かれて客殿に赴きけり○さればまた浄蔵法師はこの朝も宝林寺の法師ばらにもてなされて朝飯も果てしかば八戒と沙和尚は漫ろ歩きを事として所化寮へや赴きけん師の坊のほとりにはべらず住持も大しゅも皆いでて太子来臨のもてなしに暇なき折なればただ一人客殿に袈裟と玉璽を納め置きたる行李を守りておる程に太子は既に客殿なる設けの椅子につきながら浄蔵法師をきっと見て此奴はなはだ無礼なり今我がここに来つるを見つついで迎えぬは如何にぞやそもそも汝は何処の僧ぞと問われて浄蔵恐れる色なく拙僧は日本国より帝の勅によりて遙々と天竺象頭山へ赴きて金毘羅神を迎え奉る浄蔵と言う者にこそ候なれと言わせも果てず太子は怒れる声高やかによしや和国の旅僧なりとも国に入りては知らでやあるべきかくまで汝が尊大なるその故あらば言え聞かんと激しく問われてさん候それがしが此の行李の内には釈迦如来よりたまわりたる▲錦の袈裟の候なり世に国王と申すとも御仏をば皆敬いたまえりまいてやこれは世尊の御袈裟それがしがいで迎えざる無礼は此の袈裟ある故なれどただこれのみにも候わず親を討たれてその仇を親としつかふる不孝の人をば仏も見放ちたまうをもていで迎えぬは仏の御心我が無礼には候わずと言うに太子はいよいよ怒りて出家に似気なき大胆不敵日本にありし身の釈尊よりたまわりたる袈裟なんどという空言を誰が真と思うべきまいてや親の仇敵を親としつかふる痴れ者は我が此の烏鶏国にはあることなし物な言わせそ戒めよと激しき下知に近侍(きんじゅ)の輩承りぬと答えも果てず早浄蔵に走りかかって小かいな取ってねじ上げる勢い止めるべくもあらざれば浄蔵法師は岩裂が教えしままに言いつる事の今更悔しく思うのみ顔色たちまち青ざめておののき恐れる折しもあれ行李の内より声高くやよ人々待ちたまえそれがし太子に見参して申すべき事候ぞと呼ば張る声に太子は更なり近臣らも皆怪しみ迷いて思わずも手を止めけりその時太子は怒りを静めて怪しきかな行李の内より今しかじかと声を立てて我が近臣らを止めしはくだんの袈裟にりょうありてかかる不思議を現せしかさらずは魔法幻術かと言うに浄蔵形を改め御疑いはさる事ながらまったく袈裟の業ならず我が同行の徒弟にて候岩裂の迦毘羅坊と呼ばれる者此の行李の内にあり彼は神通無量にして上(かみ)五百年下(しも)五百年過去未来の事を知れり今それがしが申せし事をただ疑わしく思いたまわば迦毘羅坊に尋ねたまえ自ら悟らせたまう由これあるべしと答えつつ蓋かい取れば岩裂は忽然として行李の現れいでたるその有り様豆人形に異ならねば太子主従驚きて益々怪しむばかりなりその時岩裂は辺りをつらつら見返りてからからとうち笑い人々は我が形のささやかなるを嫌いたまうかしからばただ今人並みになりて問答仕らんいでいでといいながら手を伸ばし足を伸ばせば形たちまち五尺余りの元の如くになりにけり事皆奇異に過ぎたれば太子は呆れてうちまもりまた言う由もなかりしを岩裂さこそと微笑みて再び太子にうち向かい我が師の坊に言われたまいし親の敵(かたき)を親とし仕える事の訳を示し申さんまさしき証拠ここにありしばらく近習を遠ざけたまえと言うに太子は否む由なく実に此の者の体たらく神通を得し者なるべしと思案をしつつ左右にはべりし近習を遠く退けてくだんの由を聞かんと言うその時岩裂進み寄りて太子に囁き申す様御身は元より賢明にて孝心なきにあらねどもなべての凡夫にましませば今なお悟りたまわぬのみまず問い申すべきこと候なり一とせ久しく旱魃(かんばつ)にて民の難儀に及びし時道士全真と言う者雨を祈りて雨たちまちに降りしかば御身の父王信仰の余り彼を宮中に留め置きて食する時も寝る時もむしろを共にしたまいにきこれらの事の候べしと問えば太子はうなずきて言われる趣ちっとも違わずその事ありありと言うに岩裂また問う様彼の全真は迅風(ときかぜ)の吹きける折に雲に乗りて昇天せしと聞こえしのみにて▲その後訪れなかるべしと言うに太子はまたうなずいてその事もまた相違なしこれらは人も知ったる事なりその余の事は如何にぞや故もやあると問い返されていわ岩裂辺りを見返りつつなおもほとりへ近づきてさればとよ親の仇を親とし仕えると申しつる事の起こりはここにあり只今の国王は御身の父にはましまさずかの全真が化けたるなれども姿言葉の露も違わねば今日まで知る者なかりしのみその故は斯様斯様とかの全真が国王をばせをの井戸へ押し沈めてその身を王に変じたる事つまびらかに囁き示してこの義は昨夜我が師の坊の夢に御父王の亡き魂のまざまざと告げ知らせたまいてこれらの由を太子に告げて恨みを返させたまえとて頼ませたまいし事あれば今朝しもそれがし兎に変じて御身を誘い参らせたりかくのみ言うとも証拠なくばなお疑わしく思されん父王害されたまいし時まで腰に帯びさせたまいぬる傳国の玉璽あり全真それを取るに及ばでかの身と共に井の底へ押し沈めたりしかば迅風の吹き荒れし折失いにきと言いくるめてあくまで欺き澄ましたりさるを父王の亡き魂の太子に見せて証拠にせよとて我が師に渡したまいたるくだんの玉璽ここにありまずこれを見て疑いを払させたまえと細やかに囁き示して懐より玉璽をいだして渡すにぞ太子やおら受け取りてつらつら見つつ眉をひそめて思いがけなき夢物語はあるべき事とも思われず言われる如くこの玉璽は我も定かに見覚えあり実に紛れ無き物なれどもかの迅風に吹き持て取られて余所へ落ちたりしを人ありて拾い取りしか知るべからずそれはともあれ我が父を疑い奉らんは罪深かりこの義はつやつや信じ難しとなじるを岩裂あざ笑って証拠ありても疑いたまわばさのみ言葉を尽くすも益なしそれがしは手形を取りてこの地を発ちも去らんのみさりながら御身こそなお迷いたまいて思いたまわずとも妹背の仲にはちとばかり異なる事のなからんやそこらの訳を御母君に尋ねたまわば自ずから思い合わさせたまうことあらんこれより他に詮方なしと言うに太子はうち案じてそはさる事もあらんかし我今密かに走り帰りて母上に問い奉りて虚実をそこに定むべしさりながら供人数多具して返れば疑われて事の障りにならん我はなお此の寺にありつる如くもてなして機密を漏らずべからずとて腹心の近習をのみ三四人従えて馬にうち乗り門より馳せて▲城中へ帰りしを知る人絶えてなかりけり○かくて太子は只一人母君のおわしますほとりへ密かに赴きたまえば后は早く見そなわして懐かしの我が子や父王の仰せにて三年この方遠ざけられ顔見る事のなかりしにやや御許しを受けたまいしかやよ此方へと招かれる太子はわずかに膝を進めてそれがしここへ参りしは密かに尋ね奉るべき一大事の候えば左右を遠ざけたまいねと言うに后は心得て女官らを退かせさてその由を問いたまえば太子はなおも膝を進めて事新しく候えども御身と父王との御仲は三年以前もその後も変わらせたまう事なきやと問われて后は涙ぐみあら恥ずかしの問いことやこれらの訳は我が子にもいと言い難き事なれども今更包むべくもはべらず父王は三年以前も今とても大方変わらせたまう事なけれどここに一つの不審あり三年以前は御肌のいと温かにおわせしがかの大風の吹きし頃よりその冷たきこと氷の如し只それのみにあらずして三年このかた一夜さも枕をかわしたまわねば故もやあると問い申せしに夜は身の冷えて耐えられねばその義は許したまいねとて夜の親しみ絶え果てにきこれより他には変わりたる事はあらずと囁きたまうを太子はつらつら聞き果ててそれにて我が身の疑い晴れたり暇申すといそがわしく立たまくせしを母君はやよなうしばしと引き留めて心得難き御身の問い事訳も告げずに気色を変えて何処へとてか行きたまうぞと問われて太子も涙ぐみ母上もまだ知らでおわさん只今の父王は真の父王ならずして変化にこそ候なれその故は斯様斯様と浄蔵法師の夢の事、また迦毘羅坊に解き示されたるかの全真が野心の元末言葉せわしく囁き告げて懐より傳国の玉璽をいだして見せ参らせかかる証拠のありと言えどもそれがしなおも疑いしをかの迦毘羅坊の教えに任せ御身に尋ねまいらせて親の横死(おうし)も変化の事も今こそ定かに知られたりと明かす密議に母上は驚きつまたうち泣きてそれにて思い合わせれば言われし如くかの人こそ真の父上ならずして妖怪変化に疑いなししかりとも日本より来つる聖に神通あらばそれを頼みて親の仇滅ぼすまでは心に秘めて余所にな漏らしたまいそと言われて太子はうちうなずきそは心得てはべるなり、はやまからんと暇乞い密かに一人走りいでて再び馬にうち乗りつつかの近臣を従えて跳ぶが如くに帰り来つ宝林寺の裏門よりまた客殿に赴きてさて浄蔵と岩裂に母上に問い定めたる事の由を告げ知らせかかれば言われし親の事我が疑いは既に解けたり明日は必ず城に入りて仇を滅ぼしたまわれかしと頼めば岩裂喜びてそは心得て候なりとくとく帰らせたまえかしと言えど太子は立ちかねて我はたまたま偽父王の命を受けて狩りにいでしに獲物なくして帰りなばその咎めを免れ難しそも如何にせんと当惑の気色に岩裂微笑みてその義は御心安かるべしそれがしも手立てをめぐらして狩りの獲物を参らすべしと答えてやがて外にいでて野山の神を招き寄せ▲斯様斯様の故あれば汝たち獣を早く穫りて太子の帰る道へ置けとくとくと急がしてさて客殿に帰り来つさらにまた太子に向かいて帰らせたまう道すがら鳥獣数多あらんそれを落ちなく携え帰りて咎めを逃れたまえかしと言うに太子は喜ぶものから心もとなく思えども日は早西に傾きしかば別れを告げて帰り行くに果たしてその道のほとりに猪、鹿、兎、猿、狐あるいは雉、山鳥なんど半死半生にてありしかば太子は喜びて雑兵、勢子らに下知してことごとく穫りもたらし日暮れて城へぞ帰りけるこれ岩裂の通力なるを太子の他に知る者なければ供人らはおしなべてこは只太子のせい徳(せいとく)なりとて奇異の思いをなしにけりされば宝林寺の住持、法師らは浄蔵と岩裂を太子の敬いたまいしを見て故あるべしと思いしかばこれよりなおまた心を用いてもてなし始めにいや増しけり○さる程に岩裂はその夜つらつら思う様かの国王は偽者にて変化なりと言う事を太子と后は悟りたりともその形真の王にちっとも異なる事なる所なければ数多の臣下はなお迷うてかえって我らを疑うべししからば明日城に入りて我その事を正すともこれらの障りあらざらんや所詮今宵八戒を伴うて王城に忍び入り真の国王の亡骸を井の底より取りいだして妖怪にも臣下にも見せなばその事ふんみょうにて妖怪退治に障りはあらじと思案をしつつ浄蔵法師に思う由を告げ知らせ長老様は年頃日頃負け惜しみの癖おわしましていと愚かなる八戒をとかくに贔屓したまえども此度は我らにうち任して何事も宣うなと言うに浄蔵うち笑みてその義は我ら心得たり思いのままに計らいてよととみの答えに岩裂は心おちいて退きつつこの時既に臥所に入りたる八戒(原文ママ、沙和尚の間違い、以下同)を呼び覚まし阿呆よ和主は今日太子の言われし由を聞いたるかと問えば八戒(沙和尚)目を擦りて俺はその事未だ知らずと言うに岩裂声を潜めて此の烏鶏国の王城には金銀珠玉言えば更なり世に類いなき宝あり今宵彼処に忍び入りて物して行く気はなからずやと言うに八戒起き直りてそはくっきょうの事ぞかし山分けにせよ行くべしと答えてやがていそがわしく身ごしらえしつ諸共にかの王城へ行く程に岩裂は先に立ちてついひぢを声奥深き園のほとりに赴きて見れば果たして花王亭のほとりに釣瓶(つるべ)なき井戸ありて一群のばせを繁りたり是なるべしと思うにぞ八戒もまた後より来つつ何処じゃ何処じゃとひそめき問えば岩裂笑みつつ指さして、見よこの井の内に宝あり和主は元より水練を得て水を潜るも安ければとくとく入りて取りいだせよと言われて頭を傾けそはいと難儀な役ぞかし夜寒つらしに幾ひろあるか底をも知らぬ井に入りて宝がなくば徒骨(あだぼね)折りなり、その義は許せと言わせもあえず岩裂声を振り立ててここまで来ながら骨惜しみて手を空しくして帰られんやとくとくせよと罵るを八戒▲急に押し止めてあな声高し人もや知らん物せぬ先に生け捕られて憂き目を見んよりいっそのくされに我れ入るべしと衣脱ぎ捨てて井戸かはに手を掛けたるがあぁ待てしばしこの井戸に釣瓶なければ手掛かりあらずと言うに岩裂黒金の棒取りいだし引き延ばしてこれにすがれと井の内に入れれば八戒頼りを得てくだんの棒にすがりつつ水をくぐりて探り見るに中底(ちゅうそこ)に石の蓋ありさてはこの石の底にこそ宝はあらんと推量しつつ辛くしてくだんの石を引き起こし寄せ掛けてなお探らんとする程に岩裂上より覗き見て時分は良しと黒金の棒を手早く引き上げれば八戒思わず手を離して井の底まで落ちてけるその時八戒あなやと叫びて伏し転びつつようやくに身を起こして辺りを見るにこの井の底には水もなくいと広やかにて明きことさながら白昼(ひる)のごとくなるに向かいに一つの門ありて水晶宮と印たる扁額をかかげたれか知るべきこの所には年頃潜み居る龍王あり折からここらをうち巡る手下の蛇卒はからずも八戒を見て驚き怪しみ曲者ありと呼ば張りつつ組み止めんとする程に八戒いよいよ驚きてこはそも如何にとばかりにうろたえ騒ぐ小かいなねじ上げ襟髪つかんで動かせず早門内へ引き入れたりその時龍王たちいでて八戒を見て驚き怪しみあら思い掛けもなき和殿は是稚鳶(わかとび)の命にはあらざるや近頃仏法に帰依したまい浄蔵聖に従いて渡天の由を聞きたるにそも何らの故ありてこの所へ来たまいしぞと問われて八戒思う様この者は我が先の世の名を知りたれば我を害する者にはあらじと心おちいて頭をもたげてよく見るに果たして昔天上にありし時互いに相知る者にしてかの近江の湖水なる悪龍王の弟なりければこれはこれはとばかりに面目もなき赤裸今宵岩裂にそそのかされて宝を取りに来つる由を言葉短く告げ知らせここには必ず宝あるべし惜しまで我らにたまわれかしと言えば龍王頭を振りて如何にして我宝を持つべき先に我が兄の悪龍王が日の神の御咎めをこうむりて六そん王つねもとに誅罰(ちゅうばつ)せられたりし時我も縁座の咎によりこの所へ追い離され今は世を捨て引き籠もりおる浪々の身であるものをと否むを八戒押し返してしかりとも龍王なれば一つ二つの玉はあるべしせめてそれでもたまわれと言うに龍王方辺を見返りここに目出度き宝ありあの亡骸を見たまえかしあれはこの烏鶏国の王なるが妖怪のために謀られてこの井に▲落ちて身まかりたりしかれどもその王の帯に名玉のあるをもて三年の今に至るまで形はちっとも朽ちただれず生けるが如くにあるぞかし御身あの亡骸を背負い帰れば玉を得んこれより他に物はなしと言うに八戒もつらつら見て良き玉ならば取り持て行かんが死人を背負うは難儀なり玉のみ渡したまいねと言えば龍王頭を振りてあの亡骸は厄介者玉諸共にもて行かずば此の相談も整い難しと言われて八戒舌打ち鳴らしままよそれならもらうまいあの蟹守めにだまされていら酷い目にあわされた暇申すと立ち上がれば龍王、蛇卒に目をくわせて八戒を押し上げる時かの国王の亡骸を諸共に投げ上げて早くも石の中底を下より降ろし掛けしかば八戒は中底の上になりつつ身の丈立たぬ水中にありて足下を見れば国王の亡骸も我が身と共にここにあり、とてもかくても腐れ縁この亡骸には良き玉のありと聞きたる事あれば背負い上げて心静かにとるにはしかじと思案をしつつしきりに声を振り立てて棒よ棒よと呼びしかば岩裂やがて金この棒を上より静かに差し降ろすを八戒弓手に取り留めてかの亡骸を背負いつつ引かれて井戸よりいでにけりさる程に八戒はまず亡骸をうち下ろして身をかき拭い着る物を着つつ岩裂をいたく恨みてかの龍王に会いし事また国王の亡骸を押し上げられて是非もなく負いもて来つる事の元末王の事さえ解き示せば岩裂聞きつつうち笑いて阿呆よかくてもまだ悟らずや我は元よりこの亡骸を御身に上げさせんと思いしかば宝ありと偽りてここまで連れて来つるなり我この王を甦らせて王城へ伴い行きかの妖怪を退治するに障りあらせじと思いしのみ背負うて寺へもて行きねと言うに八戒眼を見張りてむしの良きことを言う者かな俺をだまして井に入れてえら酷い目に合わせた上に例え形は朽ちただれずとも三年に及ぶ亡骸を背負うて何処へ行かるべき嫌じゃ嫌じゃと言わせも果てず岩裂はたと睨まえてこの阿呆めが言うこと聞かずばこれ食らわせんと黒金の棒振り上げて打たんとすれば八戒慌てて頭を抱え是それは短気じゃ短気じゃそれで打たれてたまるものか死ぬにはましじゃとつぶやきながらまた亡骸を背負うにぞ岩裂は先に立ちてまた塀を越え堀を渡りて共に法林寺へ帰り行くその道すがら八戒は腹の内に思う様我蟹守めに欺かれて死人を負い行く腹いせに長老様にそくろをかふてえら酷い目に合わしてくれんと思う心を色にはい出さずうち連れ立ちてぞ帰りける○かくて岩裂は浄蔵法師を呼び覚まし国王の亡骸を八戒に背負わせ来つる事の由を告げ知らせしかば浄蔵やがて起きいでて亡骸を見て涙を流しこの一国の君なるに妖怪のためにあたら命を失いたまいしいたましさよ弥陀仏(みだぶつ)弥陀仏と念ずれば岩裂回向を押し止めて長老様よくご覧ぜよこの王死して三年になれどもちっとも腐れただれずして今もさながら生けるが如しそれがし手立てを巡らして甦らせんと思うなりと言うに八戒進み出て長老様迦毘羅坊が道にてそれがしに囁きしはこの国王を甦らするに我が身▲冥土へ赴きて閻魔王に由を告げこの魂を返さすればたちまち甦生(そせい)すべけれども我は左様の業をせず薬を飲まして生かすべしと誇り顔に言いしことあり薬をもって生かさせたまえと言うを岩裂押し止めて阿呆よ滅多に嘘をなつきそこの魂をかえさずに生かす薬のあるべきやと言えば八戒あざ笑いてしか言う師兄が嘘つきなり薬をもって生かさんとまざまざ言いしを押し隠して師の坊様を欺くは才に誇りてあなどるならん長老様だまされたまうな薬がないと申すならば呪文を唱え痛い目させて薬をいださせたまいねとそくろをかふは今宵の遺恨を返さん為とは知る由もなき浄蔵しばしばうなずきて人の命を助けん事はその功徳無量なりしかるに冥土の閻王に候苦労もかけずして薬をもって生かしなばこれにましたる事はなし迦毘羅よ薬をとくいだせ否まば痛い目させんずと言い懲らしつつ緊頭呪(きんとうじゅ)の秘文を厳しく唱えるにぞ岩裂七転八倒して許させたまえ長老様それがしは薬の事を言いし覚えはなけれどもひたすら阿呆を贔屓して讒言(ざんげん)を受け入れたまえば今更に是非に及ばずそれがし天上に赴きて甦生の薬を求むべし許したまえと詫びしかば浄蔵やがて呪文を止めてとくとくと急がしけりその時岩裂身を起こし八戒にうち向かいて阿呆めよくも無きこと言うてえら酷い目にあわせしなと恨めば八戒あざ笑い宵には御身が我らを騙(だま)してえら酷い目にあわせたる報いは覿面(てきめん)覚えたかと言うを岩裂聞き捨てて早外の方にたちいでつつ雲にうち乗りて飛び去りしが一人心に思う様かかる薬は道家の秘伝太上老君(だじょうろうくん)にあらざりせば余所には決してあるべからずと思案をしつつ紫微玉城(しびぎょくじょう)に赴きて老君に見参しかの国王の事を告げて願うは一粒(いちりゅう)金丹(きんたん)を授けたまえと求めしかば老君頭をうち振りて神尊和主にねだらるを惜しむにはあらねども我が金丹は只人の齢(よわい)を延びる奇特あるのみ死したる人を生かす事はたえて功能あることなし気の毒ながらまた他を求められよと愛想なく匙を投げたる挨拶に岩裂ほとんど当惑しつつ暇乞いしてたちいでしがさらに心に思う様頼みにしたる老子すら▲甦生の薬なしと言えば今更余所に求むるも益なしもしやと思うは日本なる大あなむちの尊なりくだんの尊は神代の昔すくな彦男(ひこな)と心を合わせて薬師(くすし)の業を始めたまえば目出度き薬方多かるべしとく日本へ赴きて求めてみんと思案をしつつまたたく暇に大日本大和の国三輪の里に飛び来つつ三輪の神に見参して烏鶏国の事を告げ願うは甦生の妙薬を授けたまえと乞い申しけりされば大あなむちの神号はその地によりて様々なれども大和にては三輪明神といわわれたまうこと著しくこの時三輪にましましければ岩裂に対面してその願い事をうち聞きたまいやや案じつつ宣う様神は物の生をよみしてその死をいとうものなれども甦生の薬は我もなししかれども病によりて命危うき者にても胃どうの脈の絶えざれば決して死することはなし病危うく見えずとも胃どうの脈の絶える人は必ず死するものぞかしよりて思うにかの国王は死して三年の今日までも形生けるが如くなるは胃どうの脈の通うなるべしおよそ脾胃(ひい)を養う物は米穀に増す物なしこれをかの王に飲ましめて試みたまえ印あらんと言いつつ一包みの洗米を取りいだして渡したまえば岩裂喜び受け頂いて暇申しついそがわしく再び雲にうち乗ってまたたく暇に烏鶏国なる宝林寺へ帰り着きしにその夜は未だ明けざりけりさる程に岩裂は浄蔵法師にしかじかと三輪明神に乞い申して洗米を得たる事の始め終わりを告げ知らせ八戒、沙和尚に言いつけて清き水に火を切りかけてとくもて来よと急がすにぞ両人等しく心得て師の坊の鉢を取りいだし水を汲み入れてもて来る程に岩裂は楊枝をもて国王の歯を押し開きさて口中へ洗米を残りなく摘み入れてくだんの水もて注ぎ下せば浄蔵は東に向かいて幾たびとなく三輪明神の神号を唱えけり故あるかなかけまくは賢き日本神国の神の威徳はあやまたず産まれし時よりパンと獣朝夕三度の食とせし烏鶏国の王なるに大千世界に類いなき日本国の五穀の第一しかも薬師の祖神(そじん)たる大あなむち三輪明神の洗米喉を通りしより争い難き奇特は厳然この国王の腹の内ぐわらぐわらぐわらと鳴る程に次第次第に呼吸通いてその手を動かし足を動かしたちまち黄泉路返りしかば浄蔵限りなく喜びてにわかに住持、役僧らを招き寄せとくとく粥を参らせたまえと言うに皆々肝を潰して白粥を炊きもて来つつ早く国王に勧めけりかくて国王は粥をすすりて心気(しんき)既に定りしかば人々を見て驚きいぶかり我が身を怪しむばかりなり、その時岩裂は国王にうち向かいて妖怪全真が偽王となりし事また太子の事その余の事まで言葉短く解き示し我が師は日本より渡天の名僧浄蔵法師すなわちこれなり我、神通を得たるにより日本国へ飛び行きて三輪の神に乞い申せし洗米の奇特によりて御身は甦生したまえりかかれば密かに王城へ伴い行きてかの妖怪を退治すべし我は岩裂の迦毘羅坊彼らはしかじかしかじかと名乗りて八戒、沙和尚らをも引き合わせたりければ国王感涙を押し拭いて浄蔵と岩裂らを伏し拝み伏し拝みて喜ぶこと大方ならずしからばこれ聖たちは我が身の為に命の親天地に等しき大恩なり我全真にばせをの井へ投げ入れられると思いしのちは何事も知らでありしにさてはかの全真が我が身に変じてこの国を押し奪いしこそ奇怪なれと言うに浄蔵進み寄りて国王の亡き魂の夢枕に立ちしこと一部始終を解き示めすに王はかえって覚えずとて不思議不思議とばかりに只この師弟の御徳を感ずるより他なかりけり▲その時岩崎はまた国王にうち向かいて今日も我々は王の城へ赴きて関手形を請わんと欲すよりて御身を伴い参らせかの妖怪を取りひしぎて退治すべく思うなりつきてその御姿にてはかえって事の障りありいと恥ずかしく思さんが姿をやつして我が師の坊の供人になりたまえかしと言うに国王一義に及ばずともかくもしかるべくはからいたまわれと答えしかば岩裂すなわち国王には寺男の衣を着せて日本人の如くにいでたたせ旅風呂敷を背負わせて後に立たしていでんとすれば宝林寺の法師ばらは皆々送り行かんと言いしを岩裂固く押し止め各々送りて行く時はたちまち機密の漏れることあらん一人たりとも無用なり今日昼過ぎて国王の御衣とかむりを携えて御後より王城へ参るべし此の義に違うべからずと厳しく教えて従えず浄蔵師弟と国王とこれかれ五人、龍馬を引きて王城指して急ぎけりこれより変化退治の段は後板五の巻きにつぶさなり、今年も変わらず御評判御評判■
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第七編下(ほぼ原文)

2016-12-26 21:18:23 | 金毘羅舩利生纜
かくて岩裂の迦毘羅坊は玉面、銀面の魔王らが此の年頃住みなしたる稲花の洞に近づきて身を山蜂に変じつつ飛びて門内に進み入り奥の方へ至りて見るに浄蔵法師は戒められて南の方の廊下にあり、また八戒と沙和尚は北の方なるうつばりに吊されてありしかばさては師の坊も徒弟(あいでし)らも未だつつがあらざりきと思うのみにて名乗りあう便りなければひさしを伝うて奥の方をぞうかがいける○これより先に銀面は浄蔵、八戒、沙和尚を生け捕りて▲小化け物らに引き立てさせて稲花の洞に帰り来つ玉面魔王にしかじかと事の由を告げ知らせて浄蔵らを見せしかば玉面ななめならず喜びて既に和殿の智勇によりて今此の珍味を得たれどもさりとてうかとは喰らい難し如何にとなればかの岩裂の迦毘羅坊という奴は神変不思議の荒者なりまず彼奴から押し片づけずば後の憂いを残すべしと言うを銀面聞きあえずその義は心安かるべしそれがし既に山を移す法術を施して富士山をもて岩裂めを厳しく押し伏せ置きたれば身を動かすこと叶うべからずかかればまたそれがしが行きて引きもて来るにも及ばず和君も知らせたまう如く我がこの洞には瑠璃の壷、黄金の瓢(ひさご)なんどいうその数五つの宝あり壷と瓢は人をもてかのうちへとりこむる最も不思議の霊宝なれば心利きたる者共にくだんの二品を持たせ使わし岩裂をもり入れてもて来よと言いつけなば過つことはあるべからずこの義に任せたまいねと言葉せわしく説き誇りて奇顛(きてん)、考老公(こりこう)と呼びなしたる出頭(しゅっとう)の小化け物両人を呼び寄せて事しかじかと説き示し汝らも此の二品の奇特は予て知りつらん此の内へ岩裂めをもり入れてとくもて来よさばれ彼奴は神通ありもし一品にて奇特なき事しもあらんと思うにより二品共に渡しおくなり此の壷にて奇特なくば瓢をもてもり入れよよくせよかしとねんごろに示してやがて渡しにければ奇顛、考老公は心得はてて山路を指していでにけり○さる程に岩裂は山蜂に身を変じてくだんの由を聞きしかば手だてをもってかの二品を取りて魔王らを討ち滅ぼし我が師の坊を救わんずと思い定めつ先立ちて稲花の洞を走りいで一人の道士に身を変じて奇顛、考老公らを待ちており程しもあらずかの二人は早向かいより来にければ岩裂これを呼び止めて和主たちはいそがわしげに何処へか行きたまうぞと問うに二人の小化け物はいぶかしげに見返りて我々は大王の仰せによりて岩裂という剛の者をもり捕らんとてしかじかの所へ行くなり御身はここらに見慣れぬ人なりそも何処より来たまいたると問い返されてさればとよ我らは蓬莱山の仙人なるが天竺へ行く用事あれば今この山を過ぎるなりそもそも和殿らはいかばかりの宝をもて岩裂とやらんをもり捕るぞやと再び問えば二人の化け物その疑いは理なり我が君玉面、銀面の両大王は五つの宝を所持したまえりそが中に瑠璃の壷と玉の瓢の▲二品は人をもり入るるの奇特ありされば壷まれ瓢まれこれもて人の名を呼びかけるにその人只一声なりとも答える時はたちまちに吸い寄せられてもり入れらるその時早く蓋をして「とうかみえみたみかんごん神尊りこんだけん無常霊峰加持」と唱えればよしや神通あるものなりとも遂にいずる事を得ず一時三刻(ひとときさんこく)ばかりの程に骨もとどめず腐れただれて水にならずということなし見たまえ小さきものなれば懐へも入れつべく袂へ入れるも自由なれども人をこの内へもり入れるに人の形も小さくなりて容易く内へ入るぞかし真に奇妙の物ならずやと言葉等しく説き誇るを岩裂聞いてあざ笑いそはまた奇妙とするに足らず我も一つの壷を持てるが人はさらなり天をももるなりされば此の壷をもて秘密の真言を唱える時は天たちまち壷の内に入りて月日も照らすこと叶わずこの故に大千世界は常闇(とこやみ)になる奇特あり、僅かに人ひとりをもるを何ぜに奇特とすべけんやと言うに奇てんもこり公も呆れること半時ばかり驚き歎(たん)して談合する様此の品々の悪きにあらねど天をもる壷の奇特に及ばず我が壷とかの壷と取り替えてもて帰れば両王喜びたまうべしさはとて等しく微笑みながら岩裂にうち向かいてものは談合ということありこの壷とそなたの壷と取り替えてたまわれかしと言うを岩裂聞きあえずむしのいい事を言われるよ天をもる我が壷と人をもるそなたの壷と換え替えに誰かはせん思いもかけぬ事にこそと言い捨てて早行かんとするを奇てんは急に呼び止めハテ気の短い待ちたまえすどり換えには気がなくは玉の瓢も参らせん此の二品とその一品と交易したまえ損はあらじこれでも嫌かと取りいだして見すれば岩裂うなずきて二品ならば換えもせんよく見せたまえと手をいだせば奇顛は頭をうち振りて談合はやや整いたれども御身の壷の奇特を見ず言われる由に違いなくば天をもり入れて見せたまえと言われて岩裂たちまち困りて心の内に思う様、神通、法術あるものなりとも天をもり取る由あらんや此の化け物らをうち殺して奪い取るこそ近道ならめと思案をせしがまた思う様例え師の坊のためなりとも彼らを殺して宝を奪えばこれすなわち盗人(ぬすびと)の行状(ぎょうじょう)にことならず、かなわぬまでも欺きて取り替えるにますことなしと思い返しつ毛を抜きて密かに一つの壷にして懐より取り出してまた奇てんらにうち向かいて見たまえ壷はすなわちこれなり望みのままに今天をもり入れて見せんずと言いつつやがて捧げ持ちて心の内に念ずる様天照大神今それがしが法術を助けていかで我が師の坊の厄を救わせたまえかしと真心もて祈りたる一念早くも天に通じて天津神たちに知られしかばふと王の命(みこと)驚きて日の神に奏する様かの岩裂の威如神尊只今斯様斯様の願いありそは天竺に赴いて金毘羅神王を迎えとらんと欲したる浄蔵の大厄難を救わんとての為なれば元これ忠義の真心なり願いを遂げさせたまえかしと申すを日の神きこし召して例え岩裂が祈るとも天を▲もることのなるべきやこの願いは叶え難しと仰するをまた奏する様真に天をもり取ることは成し難き業なれども願うは天のくしいわま戸の神たちにここ得さしてしばし岩戸をたてさせたまわばかの土は常闇になりむべしこの義を許させたまえかしとしきりに取りなし申せしかば日の神すなわちいわま戸の神にしかじかと勅じょうあり天の岩戸の西の小門をしばしたてさせたまいしかば西の国々暗うなりてしばらくあやめも分かざりけりこり公、奇てんはこれまったく道士が壷へ天を込めたる奇特なりきと思いしかば諸共に声をかけて先生壷の奇特は見えたりやよ天を放ち返して元の如くにしたまえとひたすらに叫びけりその暇に岩裂は天上にうち上りふと玉の命に見参して日の神の神恩を謝し奉り今は早程もよし世を明くしてたまいねと申してやがて天下りて元の所に立つ程にくしま戸の神心得て岩戸の小門を開きしかば西の国々晴れ渡りて元の如くになりにけりされば考老公、奇顛らも壷と瓢を岩裂に渡せば岩裂受け取りて毛をもて仮に壷と見せたる一品をそのまま二人に渡してでたらめなる真言をさえよく教えて早く形を隠しけりその時奇顛、考老公は今までありける仙人の見えずなりしをいぶかりて別れも告げず行きたるは何とやらん心許なし壷へ天をもり取ることの始めの如くに相違なきや試して見んと談合しつつ考老公壷を捧げ持ちて教えられたる真言をひたすらに唱えれどもたえて印のなかりしかばこは如何にと疑い迷いて奇顛に渡すを受け取りてまた捧げ持ちてしかじかと真言を唱えれどもちっとも奇特ある事なければさては彼奴に謀られて二つの宝を奪われたり思うに道士と見えたるは岩裂にてありつらんいざ彼の所へ行きて見ん真にさなりと足を早めて等しくそこに至りて見るに教えられたる所にはその影だにも見えざりければいよいよ道士は岩裂にて謀られたりと悟るものから今更に詮術なし立ち返りてこれらの由を告げなば頭をはねられん蓄電するより他はあらじと考老公は言いしかど奇顛はしばしうち案じてよしや蓄電するとてもさして行方のあるにもあらず和主は日頃銀面王の第一の切り者なればありのままに告げ申すとも殺される事はあるべからず生きんとすればかえって死し死なんとすればかえって生きる命をまとに立ち返りて二人が運を試すべしこの義に従い▲たまいねと言うに考老公うち案じて実に言わるればその理あり此の偽壷は今更に見るもなかなか忌まわしくとて草むら陰へ投げ捨てて稲花の洞へ帰り来つさて玉面と銀面に岩裂に謀られて瓢と壷を失いし事の趣斯様斯様と恐る恐るつぶさに述べて過ちを詫びしかば玉面魔王いたく怒りて此の痴れ者らが何を言う岩裂をば走らせて壷と瓢を奪われしを仏に等しき主なりとも誰が許して使うべき覚悟をせよと息巻きて剣を抜きて斬らんとするを銀面急に押し止めてその憤りは理なれども只今彼らを殺したまわば二つの宝を失うてなおまた二人の手下を失う損の上のこれ損なり彼らはしばらく助け置きて後に功のあらん時此度の罪をあがなわせん岩裂神通自在なりともそれがしかくて候えば遂には彼奴を生け捕りて二つの宝を取り返さんさのみな怒りたまいそとなだめて考老公、奇顛らを厳しく叱りて向後を戒めとく退けとて追い立てけり、ここに至りてこり公は奇顛が思案に違う事なく危うき命を拾いしをこれかれ密かに喜びけりその時玉面刃を収めて銀面にうち向かい和殿いかなる手だてをもてかの岩裂に勝たんとするやと問えば銀面微笑みて玉の瓢と瑠璃の壷は既に失いたりけれどもこの他に二つの宝ありそは黄金の綱とばせを扇(せん)とあまつかりねのまが大刀なり、大刀と仰木はここにあり黄金の綱はいぬる頃我が叔母の所望によりて独鼓(どくこ)林へ使わしたりかかれば今使いをもて叔母御前眠りの老婦人へ浄蔵法師を生け捕りたれば此方へ来ませ諸共に酒の肴に賞翫して千万年の齢を延ばさんつきて預け参らせたる黄金の綱を携えたまえと言い使わさば喜びて使いと共に来たまわんかの綱我が手にある時は岩裂なりとて恐れるに足らずこの義に従いたまいねと言うに玉面うなずきてにわかに文を書きしたため走馬走帆と呼びなして道を行く事の速やかなる二人の小化け物を呼び近づけ汝らは叔母御の元へしばしば行きたるものにして面を見知られたるにより火急の使いを命ずるなりその故はしかじかとくだんの由を説き示し汝ら叔母御の供をして速やかに具して来よとくとくせよと急がせば走馬、走帆心得てくだんの文を受け取りて独鼓林へ急ぎけり、これより先に岩裂は考老公、奇顛が帰り行く時此度はその身を蠅(はえ)に変じて後を付けつつ洞に至りて銀面が背中におり一部始終を聞きしかば黄金の綱をも奪い取りてその品々もて此の魔王らを討ち滅ぼさんと思案しつかの者どもらが後につきて門外へ飛びいでて既に走馬、走帆をうち殺さんと思いしが只今彼らを討ち殺して我その姿に変ずるとも眠りの叔母の宿所を知らねば事に臨みて頼りよからずまず彼奴らをたばかりてその行き先を見定めんと思い返してたちまちに考老公の姿に変じて後よりややと呼び掛ければ走馬、走帆は見返りて和主は何故来つると問う岩裂答えてさればとよもし和殿らが道草食うて怠る事もあらんかと銀面大王我らにも▲諸共に行きて心を付けよと仰せによりて来つるなりと言うに二人はうち笑みていかでかは怠るべきしからば供に行きたまえと答えてやがて先に立ちてひたすら道を急ぎけりその道すがら岩裂は走馬、走帆らに言う様我らは未だ一度もどくこ林へ行かざりければ道の程も定かならずここよりなお遙かなりやと問えば走帆指さして向かいに見ゆる森の内に高く屋の棟の現れしが老婦人の宿所なりさて大門を進み入れば南の方に折戸ありそこに至りておとなえば取り次ぎのいで来るなり年頃洞にありながらどくこ林を知らずと言うは空言ならんとうち笑う岩裂は行く先を聞き定めてみとめしかば今はかうと思うにぞ二人を少しやり過ごして耳の間に収め置きたる金この棒を取りいだして走りかかりつ声をかけて見返る走馬、走帆を続けざまに打ちしかば彼らは逃げる暇もあらず真っ向襟首打ち砕かれて血潮にまみれて倒れけりその時岩裂は走馬が持ちたる文箱を奪うて二人の亡骸を辺りの谷へはたと蹴落とし手早く棒を耳へ収めてその身は走馬の姿に変じまた一筋の毛を抜きて走帆が姿にしつつ独鼓林に赴きしが心の内に思う様我は日の神と釈迦如来と観世音と師の坊ならでは拝する事のなかりしに大敵を討ち滅ぼす手立ての為と言いながら今この二人の使いに変じて得知らぬ婆の化け物にはいつくばはん口惜しやと密かに嘆息したりしがさて止むべきにあらざれば早門内へ進み入りて折戸の方に赴きけり、かくて岩裂の迦毘羅坊は折り戸口に立ち寄りて声高やかにおとないければ内より女鬼立ちいでて何処よりの使いと問うその時岩裂小腰をかがめて奴がれは三燈山稲花洞なる両大王の御使いにて走馬、走帆と呼ばれる者なり老婦人には予てより知られ奉りし者にこそ候えもたらしたる御文ここにあり此の由申したまえと言う女鬼は心得てそがまま奥に赴きつしばらくしてまたたちいでていざ此方へと導をしつつ客の間にぞ誘いけるその時主眠りの姥(うば)は女鬼らを従えて奥よりやおらゆるぎいで岩裂にうち向かいて我が甥(おい)たちはつつがなきやにわかの使いは何事ぞと問えば岩裂さん候両大王は此度日本国の大名僧浄蔵という者を生け捕りにしたまいければ老婦人を招待して共に賞翫したまわんとて奴がれをさしこされたり先に預け参らせたる黄金の綱を携えたまえと▲申せとの御事なりこの余の事は御文にのせられてこと候わめと述べて文箱を差し寄せるを眠りのうばは引き寄せて押し開き見てうちうなずき我が甥玉面、銀面は稀なる珍味を得たりしとて遙々我らを呼び迎えるはこれ孝順(こうじゅん)の真心なるにいかでかは行かざらんもちろんにわかの事なれば只この走馬、走帆を具してとく来よと文にもあればあだし供人は連れるも要なし乗り物をのみ用意せよとくとくと急がして退きて衣服を改め黄金の綱を携えて早乗り物にうち乗れば輿(こし)かき四人の小化け物乗り物をもたげ起こしてしきりに道を急ぎけりさる程に岩裂の走馬、走帆はその乗り物に従って行くこと既に二三十里今ははや稲花の洞へ程遠からずなりし時岩裂密かに金この棒を取りいだし引き伸ばして声をかけつつ後辺なる輿かき二人をはたと打つ打たれて二人の化け物は等しくあっと叫びもあえず首の骨を千切られて輿を捨ててぞ倒れけるこれに驚く先なる化け物乗り物だうと投げ捨てて逃げんとするを岩裂はすかさずひらりと走りかかりて続け様に打ちしかば一人は首をうち千切られ一人は肩骨を砕かれて血煙立てて臥したりけるさる程に眠りの姥は投げ捨てられし乗り物と共にきもさえとんぼ返りて仰け反りたりし身を起こしこは何事ぞと叫びつつ這いいでんとする所を岩裂早くとって返してしたたかに打ちしかば眠りのうばも肩先より胸骨かけて打ち砕かれ血潮にまみれて死んでけりその時岩裂は打ち殺したる化け物の亡骸をよく見るに眠りのうばはいと大きなる山猫の化けたるなりこの余四人の輿かきはまみてんの類いにていずれも千歳(ちとせ)を経たりと思しき古化け物にてぞありけるそが中に肩骨を打たれたる一人の輿かきの化け物のみ半死半生にてありしかは岩裂これを責め問うて眠りのうばが独鼓林に住みけることの来歴を尋ねるに苦痛に耐えず答える様くだんの林は昔より狸のみ多く住みてまみてん、むささびの年経たるが従えりこれによりかの所を独鼓林と呼びなしたりに先に猛き山猫のいづくよりか渡り来て狸らを責め従えやがて林の主になりて眠りの姥(うば)ととなえたりされども林の▲名を改めず住みなす座敷の間毎間毎を八畳敷きに作りなせしも萬の印に鼓を作るも皆これ元のままにして相従う腰元は全て狸の化けたるなりまた林より北の方に吾各岡(ごかくこう)という岡あり、ここにはふい五郎という化け物住めりこは眠りの姥が弟分にて、これまた変化自在を得たりさるにより稲花の洞なる玉面、銀面の両魔王は眠りの姥と義を結びて叔母甥ととなうるのみ骨肉にては候わずと事詳らかに告げしかば岩裂しばしつなずきてそれさえ聞けば汝に用なしさらば暇を取らせんずとて討ち殺して五つの死骸を草むら陰へ押し隠してかばかりの似非化け物らに骨を折りしはおぞましや再び用意をすべけれと独りごちて毛を抜きて走馬、走帆と輿かきら四人の姿に変じさせ黄金の綱を奪い取りてその身は眠りの姥になり乗り物に乗りてしずしずと稲花の洞に至りしかば偽物の走馬、走帆高やかに声を立てて老婦人の来ましたり門を開けと呼ば張れば門守の小化け物いそがわしく門を開きて半ばは地上に額を付き半ばは奥に走り行きて両魔王にぞ告げにけるされば玉面、銀面は諸共に眠りを迎えて座敷に誘い茶を勧め安否を尋ねてつつがなき喜びを述べなどす此の時八戒と沙和尚はほそとののうつばりに吊されてありけるが八戒遙かに此方を見て沙和尚に囁く様我が弟喜びたまえ蟹守が眠りの姥に変じてここに来つるなりというに沙和尚いぶかりてここの主の両魔王すらなおかの姥ぞと思いおるに和主はまたいかにしてかの人なるを知りたるぞとなじれば八戒微笑みて手づまは更なり変化でもその後ろより見る時は現れること常にありいわんや我らは高みにありてその後ろより見下ろす故にかの蟹守が化けの皮をいち早く見いだしたりと言うを沙和尚押し止め漫ろなる事をな言いそ小化け物らに聞かれなば事の破れにならんずと密かに口をつぐめけりこの時、また座敷には玉面、銀面うやうやしく眠りの姥にうち向かいて使いをもって申せし如く浄蔵法師は天竺日本四世再誕の大徳なり彼が肉を喰らう者はその命限りなしよりて叔母御を迎え参らせ共に賞翫せまく欲すと言うに岩裂うなずきながら遙かにほそとのを見返りて○○はいたく老いたれども歯はまだ若き者には劣らずあの八戒の身の皮とろとろ肉は固げに見えたるに浄蔵よりも八戒を食べとうはべる用意を頼むと答えて密かに気を揉ませれば八戒聞いて驚き怒りあの蟹守めが何をか言う師の坊よりもだい○○○に俺が食われてたまるものかと思わず罵る高声の早く座敷に漏れしかば皆々いぶかり疑う折から山巡りの小化け物慌ただしく▲走り来て御注進と呼ば張るにぞ玉面、銀面きっと見て何事かあるとくとく申せと言うにくだんの小化け物それがし只今あちこちをうち巡り候いしに独鼓林の老婦人と供人四人討ち殺されて草むら陰に捨ててあり察するに此の叔母御前は岩裂にもや候わん御用心あれかしと告げるに驚く玉面、銀面さては曲者心得たりと言うより早く剣を抜きて斬らんと進むを外す岩裂ちっとも騒がずして元の姿を現しつ金この棒を取りいだして当たるに任せてうちなびけたる手練に向かう者もなく上を下へと悶着すその暇に岩崎は走馬、走帆、輿かきらの姿と見せたる六筋の毛を取り集め足場を計りて外の方指していでにけりかかる所に小化け物らは眠りの姥の亡骸をかきもて座敷に来にければ玉面魔王うち嘆きて悲しきかな我が叔母は岩裂めに討たれたまえり只今彼奴を絡め捕りて生きながらその肉を喰らわずはいつの時にか我がこの恨みを晴らすべき口惜しや腹立たしやと足摺りしつつ息巻くを銀面魔王慰めて我が兄さのみな嘆きたまうな壷と瓢と黄金の綱は岩裂めに奪われたれども大刀とばせを扇(せん)はここにありいでや彼奴を生け捕りて叔母御の恨みを返すべし者共いでよと急がしてひしひしと身を固めくだんのかりねのまが大刀をこじり高に横たえてみつはの鉾(ほこ)を脇挟み小化け物らを従えて石門を押し開かせまっしぐらについていずれば待ちもうけたる岩裂も金この棒をうち振りて人混ぜもせずただ二人雲を起こし風を呼びて中空に立ち上り片身に勇を振るいつつ幾打ちとなく戦う程に岩裂心に思う様、壷と瓢にもり入れんとて今彼らが名を呼び掛けるともくだんの二品我が手に入りしを知られたればこたうべからずさればまた黄金の綱は敵に向かいて▲投げ掛ければこの綱かの身にまつわりて絡め捕らるる奇特ある由先に走馬、走帆が独鼓林へ行く道にて問わず語りに言いいでしを詳らかに聞いたれば黄金の綱もて銀面を絡め捕らんと思案しつ隙をうかがい黒金の棒を弓手に取り直してくだんの綱を取りいだしおっとおめいて投げ掛けたりしかるにこの黄金の綱には緩急二つの唱え言あり敵に投げ掛けられたる時緩(かん)の呪文を唱えればその綱解けて縛られず急の秘文を唱えればその綱固く結ばれて如何にするとも解ける事なし岩裂この義を知らずしてただ投げ掛けたるのみなれば銀面が身に結ばれず既にして銀面魔王はこれ我が黄金の綱なりとい早くも推して投げ返し口に秘文を唱えればその綱かえって岩裂が手にも足にもまつわるを銀面得たりとあまたたびきうの呪文を唱えるにぞ岩裂遂に絡め捕られて逃れる事を得ざりけりその時銀面は岩裂が懐をかき探りてかの瑠璃の壷と玉の瓢を取り返しまた岩裂が地上に落とせし金この棒を分捕りして小化け物らにかき担わせ稲花の洞に引き立て来て由を玉面に告げしかば玉面魔王喜びて剣を携え走りいで岩裂をきとにらまえて叔母御の仇思い知るや覚悟をせよと罵りて剣を抜きてその首を幾大刀となく打ちしかどちっとも切れず傷だに付かねば玉面ほとほと呆れ果てて此奴が頭は袂より固し不死身にこそあらんつらめまづほそとのに繋ぎ置きて煮殺して恨みを返さん者共そ奴を引き立てよと言うに縄取りの化け物らは岩裂を引き立ててほそどののほとりなる柱へ厳しく繋ぎけりさればまた八戒は岩裂がおめおめと生け捕られしをあざ笑い師兄よどうじゃ八戒が肉を食べたうはござらぬかたくんだ事をやり損なうたるまずそなたから煮て食われぬ用心をしたまえかしと言うを岩裂聞きあえず無益の口を叩きなせそ我自ずから手段あり押し黙りて見ていよとたしなめてちっとも騒がず守る者方辺になき折に手早く綱を抜けいでてまた毛を抜きて呪文を唱えその身の姿と黄金の綱を作りいだしつ▲元の如く柱へしかと繋ぎ止めて真の綱を奪い取り先に分捕りせられたる延べ金金この棒を尋ねて縮めて耳の間へ収め更に薮蚊(やぶか)に身を変じて早門外へ飛びいでしを知るものたえてなかりけり、かくて岩裂の迦毘羅坊は早門外へ飛びいでてたちまち元の姿を現し延べ金の棒脇挟み声高やかに名乗る様我は是岩裂の迦毘羅坊が弟なる裂岩(さきいわ)の毘羅迦坊(びらかぼう)と呼ばれる者なり我が兄は誤って銀面が為に生け捕られ縄目の恥に及びし由を人ありて告げたればいかで恨みを返さんとてただ独り寄せ来たれり玉面、銀面は何処にあるいでて勝負を決せよと呼ば張りつ棒をもて一の木戸を打ち破りやらじと支える小化け物を打ち倒し蹴散らして辺りをにらんで立ちたりけるさる程に小化け物らは慌てふためき奥に至りて二人の魔王に告げる様大王また思い掛けなき災いの起こりたり先に生け捕りたまいたる岩裂の迦毘羅坊が弟なる裂岩の毘羅迦坊と名乗れる者兄の仇を返さんとて一の木戸を打ち破り支える者を打ち倒して進み入らんとひしめきたり御用心候えかしと告げるに玉面うち驚きて○はかの岩裂には弟さえありけるよ迦毘羅坊を生け捕りて後安しと思いしに劣らぬ武勇の同胞ありてまたもや押し寄せ来つるならば勝負の▲程も計り難し浄蔵、岩裂、八戒、沙和尚師弟四人の生け捕りを返して無事を図るべしと言うを銀面押し止めて我が兄などて只独りの裂岩とやらんにいたく恐れて浄蔵ら四人の者を返さんと宣うぞや岩裂すらそれがしが手の暇入らず絡め捕りて繋ぎて今ほそとのにあり言わんやその弟たるものちとの神通ありとても何の恐れか候べきそれがし只今打ち向かいて生け捕って参らせんしばらく待たせたまいねと世に頼もしく慰めてひしひしと身を固め瑠璃の壷を袂に入れ数多の小化け物を従えて二の木戸開かせ現れいでて岩裂にうち向かいやおれ毘羅迦坊とやらん兄の仇を返さんとて小賢しくも押し寄せ来つるは自らその死を求めるなりさばれ志の健気さに我は汝と刃を交えず今我汝が名を呼ばんにこころよく答えなば浄蔵、岩裂、その余の者を許して汝に返すべし如何にこの義を受け引くやと問えば岩裂あざ笑いて汝は瑠璃の壷をもて我をもり捕らんと欲するならんそをいかでかは恐れんや幾度なりとも答うべしとくとく我が名を呼べよかしと言うに銀面喜びて空中に立ち上りくだんの壷を取りいだし両手に捧げ声振り立てて裂岩の毘羅迦坊やよ裂岩の毘羅迦坊と再び三度呼び掛けしを岩裂答えざりければ銀面魔王あざ笑いて汝先には答えんと言いつつ今更答えをせぬは我が此の壷に恐れるならん卑怯なりとたしなめれば岩裂心に思う様あの壷は人をもる奇特厳然たるものいなれども我偽りて裂岩の毘羅迦坊と名乗りしかば真の名ならぬ作り名なりかかれば彼に呼ばれるとも応験(おうげん)はあるべからず答えてみんと思案してからからとうち笑い銀面何でうその壷に我はばかりて答えざらんや汝が声の低ければ定かに聞こえざりしなり、今一度呼びてみよと言うに銀面さもこそと一トほ声を振り立てて裂岩の毘羅迦坊、裂岩の毘羅迦坊と呼ぶに任して岩裂はおうおうと答える程に怪しむべし身はたちまちに虚空遙かに吸い上げられて五体小さくなるままに壷の内に入りしかば銀面手早く蓋をしてとうかみえみたみかんごん神尊無常霊峰しんとう加持と繰り返しつつ唱えるにぞ岩裂遂に壷の打ちよりいずる事を得ざりけりおよそこの壷の奇特といいばその名は真の名ならずとも呼ばれる時に答えればたちまちにもり入れられる応験あらずという事なしこの故に岩裂が思案はここに仇となりておぞくも壷にもられしなり既にして銀面は力を用いずやすやすと岩裂をもり取りしかばくだんの壷を携えて元の所へ天下り小化け物らに由を告げて戦をまとめ破られたる門の修復を言い付けて洞の内にぞ退きける○さる程に銀面魔王はくだんの壷を携えて洞の内へ退きて玉面魔王にしかじかとまたかの仇をもり取りたる事の趣を告げしかば玉面斜めならず喜びて▲岩裂といい裂岩といいいずれも手強き敵なりしを容易く退治したまいぬる御へんの智勇感じるなに余りありおよそその壷にもられし者一時余り経る時はその身は泥の如くに溶けて骨も留めずなるなれば裂岩めも遠からず溶け失せんこと疑いなしまずまず休息したまえとて酒宴を設けてねぎらいけりさればまた岩裂は壷の内に取り込められて心の内に思う様先にかの黄金の綱の戒めを抜けたるが此の壷ばかりはいでんとすれども遂にいずる事を得ず一時三刻たつ時は身はどろどろに溶けるといえば我が身も遂にこの内にてはかなく溶けてや失せぬらん命運ここに尽きらばたこの身は惜しむに足らねども我死なば誰かまた師の坊の厄難を救うて渡天の供をすべき悲しきかなと師を思う嘆きの霧さえ立ちこめて無念の歯噛みをなしたるがまたつくづくと思い返せば我はいにしえ天上にて湯立ての釜にて煮られし折数多の日数を重ねしかども煮えただれたる事もなくこの身につつがあらざりしを思えば今またこの壷の内にありとも腐りただれる事あるべうもあらずかしたばかりいでばやと思案をしつつ声を立てて我が半身は既に早溶けたるはと言う声の漏れ聞こえたりけれども玉面も銀面もさぞあるらんと思うのみ共に杯をめぐらして笑い楽しみて見返らずしばらくしてまた岩裂はいと苦しげなる声を立てて悲しきかな早腰まで腐りただれたりけるはと言うを漏れ聞く玉面、銀面顔見合わせてうち微笑み先に岩裂めは既に早腰の辺りまで溶けたらば蓋押し開きて見るとてもいずることは叶うべからず密かに蓋を取りて見んいでいでと言いながら二人が間にくだんの壷をおし据えつ手を掛けて蓋かい取りて見る程に岩裂は予てより一筋の毛を抜きてその身の姿に変じさせ半身溶けたる如くにしつつその身はちやたてむしとなりて蓋の裏に止まりており今魔王らが壷の蓋を開くに任せて躍りいでしを玉面も銀面も知らでくだんの似せ姿の溶け終わらぬを見てあわただしく元の如くに蓋をして封じて膝のほとりにさし置きまた杯をめぐらして共に酒をぞ飲みておるその時玉面は銀面にうち向かいてこの頃は▲事に紛れて碁の勝負を試みず和殿は岩裂、裂岩を退治の事に心を使うて疲れもあらん、さりながら保養にもなるべきに一番教えたまわずやと言うに銀面うなずきて真に久しく碁盤に向かわずそはいちだんきょうあるべしいざいざと急がして等しく盤にうち向かう白と黒との先手後手片身にユふうのつらつえにはやつ抑え果てしなき勝負に余念あらざりけりされば給侍の小化け物らは久しき酒宴と碁の争いに耐え難きまで退屈しつつ皆月の間に退きてそこにおる者なくなりたる折こそよけれと岩裂はかの考老公に姿を変じていでて銀面が後ろにおり彼らがユふうの折々にまた杯を取ることあれば岩裂すなわち酌をして共にその碁をうち見ており銀面魔王は日頃相する考老公が酌をすなればいささかも心を置かずくだんの壷を方辺なる卓袱台(しっぽくだい)にうち乗せて勝負に余念なかりけりその時岩裂はまた一筋の毛を抜きてかの瑠璃の壷に変じさせ真の壷とすり替えて早懐へ納めつつ去らぬ様にて立ち退き物に紛れて身を隠して早門外へ走りいでしを知るもの絶えてなかりけり、既にして岩裂は先に奪い取りたりし黄金の綱は身を離さず今また壷を得たりしかば元の姿を現して石門をうち叩き玉面、銀面とくいでよ我を誰とか思うらん岩裂、裂岩らが末の弟にきさ岩の羅毘迦坊とは我が事なり、二人の兄の仇敵(あだかたき)なる汝らを皆退治して浄蔵師弟を救わん為に独り押し寄せ来つるなりいでて雌雄を決せよと声いかめしく呼ばはりてしきりに門戸を叩くにぞ小化け物らは驚き騒ぎて奥へ注進してければ玉面魔王驚きてこは如何に岩裂をば絡め捕り裂岩を壷へもり入れ今はしも手にあう敵は余もあらじとのみ思いしにまたもや彼らが弟なるきさ岩の羅毘迦坊という猛者ありて兄の恨みを返さん為に押し寄せ来つるこそ煩さけれかかれば他にも岩裂が眷属はいくらもあるべしよしや幾人生け捕るとも果てしなきことならば和睦して浄蔵らを返して無事に収めんのみと言うを銀面押し止めて我が兄心を安らえたまえ此度もそれがしうち向かいてそのきさ岩めを生け捕るべし裂岩をもり取りしより二時余り過ごせしかば彼は身の内皆溶けたらんと言いつつ壷を取り上げて蓋を開いてにっことうち笑み見たまえかの裂岩は溶け果てて骨もなし此度も是をもていでて羅毘迦とやらんをもり取るべしいでいでと身を起こして鎧投げ掛け小化け物らを左右に従え石門を押し開かせて現れいでやおれきさ岩の羅毘迦坊とやらん我は汝と刃を交えず▲我今この壷をもて汝が名を呼ぶべきに汝一声答えんやと言うを岩裂聞きあえずそはいと易き事なるに我幾度でも答うべしさりながら我も一つの壷をもてり我今汝に名を呼ばるる時答えても印なきならば我また汝が名を呼ぶべし汝もその時答うるかと問えば銀面うなずきて答うべし答うべし汝が持ちしは如何なる壷ぞ真にあらば見せよかしと言うに岩裂もうなずきて懐の内よりしてすり替えたりし真の壷を取りいだして見せければ銀面眉をうちひそめて怪しや汝が持ちたる壷は我が壷にちっとも違わず如何なる所で得たるぞと問えば岩裂うち笑みてこれにはまさしき伝来あり汝が壷の伝来よりつぶさに述べよ如何にぞやと言うに銀面ちっとも疑義せず我が壷は天土(あめつち)の初めて開けしその頃にいんようぞうかの自然によりてなりいでし宝なり汝が壷は如何にぞやと問えば岩裂さればとよ我が壷もまた天土の開け染めたるその頃になりいでし宝なりかかれば奇特も等しかるべし汝まず我が名を呼べ答えて印ありやなしや今目の当たりに試さんずと言うに銀面喜びて我今彼より先にせばもり捕らん事疑いなしと思えばやがてひらひらと中空に立ち上りてくだんの壷を捧げ持ちきさ岩の羅毘迦坊と呼び掛ける声を聞きしより岩裂はおうおうと幾度となく答えれどもちっとも印あらざれば銀面いたくいぶかりて此の壷の印なきはさき岩が○○し別に行う術あるか不思議不思議とばかりにすりかえられしを夢にも知らねば術もなく天下りて元の所に立ちたりけりその時岩裂進みいでて如何に銀面汝が壷は奇特なししからば此度は我が番なり呼び掛ける時答えよと言いつつ雲にうち乗りて虚空遙かに立ち上りくだんの壷を手に持ちて銀面と呼び掛けしを銀面答えておうと言う声諸共に吸い上げられて思わず虚空にひらめき上り吸い寄せられておめおめと壷の内に入りしかば岩裂得たりと蓋をしてとうかみえみたみかんごん神尊しかじかと唱えたる呪文によりてぎんは弥勒(みろく)の世までその壷よりまたいずべくもあらざりりけ岩裂は既に早銀面をもり取りて心安しと思いしかば元の所に天下りてうろたえ騒ぐ小化け物らを四角八面にうち散らす勢いあたるべくもあらざれば皆々洞に逃げ籠もりて玉面魔王にしかじかと銀面がもり取られたる事の由を告げしかば玉面驚きうち嘆きて悲しきかな我が弟はきさ岩めにもり取られしかしからんには程もなく壷の内にてどろどろに骨も留めず溶けぬしべ我は浄蔵、岩裂らを先に生け捕りたりしかど殺しもやらず食いもせずそがまま繋ぎ繋ぎ置きたるにかのきさ岩の羅毘迦坊とやらんに我が弟を殺されしは返す返すも恨みなれ時を移さずうっていでて羅毘迦を殺して銀面が亡き魂を祀(まつ)るべしと息巻き猛く罵りしがようやくに心を鎮めて奇顛、考老公を招き寄せ只今洞にある所の宝物は何々ぞと問えば奇顛ら答える様黄金の綱は岩裂を繋がれて彼処にあり瑠璃の壷は銀面王の持たせたまいしが共に返らずこの外に玉の瓢と刈稲(かりね)の勾大刀(まがたち)、ばせを扇はしかじかの所にありと言うに玉面うなずきてしからば大刀とばせを扇をとくもて来よと急がしてくだんの大刀を腰に帯びばせを扇を携えて稲花の洞にありとある▲小化け物らの数を尽くし一人も残さずこれを従えどっとおめいてうっていずれば石門のほとりに憩いいたる岩裂これをきっと見て金この棒を取り直し寄せなば討たんと身構えたり、その時、玉面声高やかにやおれきさ岩の羅毘迦坊我は浄蔵、岩裂らを未だ殺さで繋ぎ置きしに汝はかえって我が弟をもり取り殺せしこそ恨みなれ銀面を元のままに生かして早く我に返せもしそのこと叶わずは頭を延べて刃を受けよと勢い猛く罵れば岩裂からからとうち笑いて小賢しや悪魔ども汝らをいかばかり殺したりとも何かあらん先に岩裂が弟なるさき岩の毘羅迦坊と名乗りしもまたきさ岩の羅毘迦坊と名乗りしも皆これ一人一体にて我はすなわち岩裂なり黄金の綱の戒めを抜けいでて身代わりに我が影武者を残し置き瑠璃の壷をも抜けいでてその後壷を奪い取り銀面悪魔をもり取りしはこれ汝らが壷なるを知らずやかくまで神通自由を得たるこの岩裂に及ばんや命惜しくは兜を脱ぎて降参せよと呼ば張れば玉面魔王驚き怒りて鉾を回して突いてかかるを岩裂すかさず受け止めて丁々はたと戦うたる互いの掛け声こだまに響きてひるまず去らぬふんげきとっせんいつはつべしとも見えざりければ玉面後辺を見返りて者共かかれと下知したる激しき声と諸共に幾百人の小化け物岩裂が前後左右をおっとり込めて討たんとすその時岩裂ちっとも騒がず毛を引き抜きて呪文を唱え迎える敵に吹きかければ幾百人の岩裂と変じて手に手に棒をうち振りまたたく暇に小化け物らをなぎ倒しうち殺して死骸の山をついたりける、さる程に小化け物らは岩裂が影武者に大方ならずうち殺されて残るも深手を負わぬはなく皆散り散りに逃げしかば玉面魔王いよいよ怒りて腰に差したるばせを扇を抜きいだし差しかざして九紫(きゅうし)の型にうち向かいり火巽為風(りかそんいふう)の呪文を唱えてひたすらに仰ぎしかば怪しむべし忽然と冥火団扇の内よりいでて草に移り木に移り岩裂が影武者を一人も余さず焼き捨てけりその勢い盛んにして面を向くべくもあらざればさすが岩裂辟易して雲に乗りてぞ逃げたりける○さればまた岩裂は玉面に焼き討ちせられて影武者を皆失いしかど惜しくもあらぬ髪の毛なれば今さらこれを救うに及ばず救い取るべきは師の坊のみと独りごちつつ稲花の洞の門前におり止まりてと見れば逃げたる小化け物皆ただ深手に弱り果てて門の内外にへたばり伏したり助け置くべき者ならねば今この時に災いの根をこそたためと携えたる金この棒を取り直して片端より討ち殺し一人も漏らさざりければ
考老公、奇顛を始めとして両魔王に従いたるこの洞の妖怪らはこの時全て滅びけり岩裂これに慰めてこの暇に▲長老様を救い取り参らせんいでやとばかり独りごちてそがまま奥へ赴く程に一間にわかに照り輝くを見つつ思わず驚きてこは如何に玉面がまた焼き討ちをするにやあらんと言いつつ再びよく見れば火の起こるにはあらずして上座(かみくら)の机の上に飾り置かれし玉の瓢のかたの如くに光れるなり良き物得たりと喜びて取りて懐へ収める程に外の方にうち投げて人声の聞こえしかば岩裂はまた引き返して密かにこれを垣間見おり、さる程に玉面魔王はばせを扇の冥火をもて岩裂が影武者を焼き滅ぼしたりけれども真の岩裂を討ち漏らししばし行方を尋ねしにいづち行きけんある事なければ稲花洞へ帰り来つるにあに思わんや小化け物らは皆ことごとくうち殺されて一人も残る者のなければこはそも如何にとばかりに驚きつうち嘆きてそがまま地上にはたと座しああ何とせんうれはしや弟銀面といい手下の者さえ皆岩裂に殺されたれば今よりしてまた誰と共に彼奴をば滅ぼすべきすること毎(こと)にかくばかりなりもゆきぬる浅ましやと独りごち足摺りして不覚の涙にかきくれたり様子をうかがう岩裂は姿を隠し近づきて玉面が方辺に置きたるばせを扇を奪い取りまた門内へ退きしを玉面ひたすら嘆きに紛れてこれを知らずしばらくして辺りを見るに方辺に置きたるばせを扇のたちまちあらずなりしかば呆れること半時ばかりとさまこうさま思いみるにこれもまた岩裂が巻き上げたるに疑いなしかかれば彼奴は先立ちてここらに隠れおるなるべしとは思えどもばせを扇さえ奪い取られては身一人にて彼奴に勝ちをとり難し独鼓林に退きて残党をかり集め再びここへ押し寄せて重なる恨みを返すべし覚えていよと恨めしげに罵りつつ見返り見返りすごすごといでて行きにけり岩裂これを垣間見て玉面既に退きたれば今は誰にかはばかるべきまず師の坊をといそがわしく細殿に赴いて浄蔵、八戒、沙和尚らの戒めの縄を解き捨てて懇(ねんご)ろにいたわり慰め二人の魔王を滅ぼして師を救わんと思うばかりに心を苦しめ身を労したるその事の始め終わりを一つも落ちなく告げ知らせ銀面をもり取りたる壷は更なり、黄金の綱も只今得たるばせを扇も玉の瓢をも取りいだし浄蔵らにこれを見せて此の品々はそれがしが金この棒に異ならで小さくせんと思う時は芥子(けし)よりも小さくなり大きくせんと思う時は五尺六尺の骸(むくろ)をも緩やかに入れるなり、これらの宝全て四品それがしが手に入りたれば玉面をもうち滅ぼして後ろ安く当所を発たんまずまず休息したまえと言うに浄蔵喜びてその恩義をぞ感じけるかくて八戒、沙和尚は洞の内なる米をいだしてかしぎて浄蔵と岩裂に齋をすすめその身も共に飲み食らいして馬にも馬草をかいなどしつこの夜は師弟全て四人こころよく枕につきて洞の▲にぞ明かしける○さる程に玉面魔王は独鼓林に赴きておとないしつつ進み入れば女鬼どもいで迎えて一人ここに来ぬるを怪しみまずその故を尋ねるに玉面は眠りの姥が岩裂に殺されたる事の始めより銀面が事の趣かつ手下の小化け物さえ皆ことごとく岩裂に討たれたる由を告げ知らせ我が身一つになりしかば彼と戦う事を得ず思うに此の所にはなお数多の○類ありよりて和女らを語らうて岩裂をうち滅ぼし叔母御と弟の恨みを清めてかの亡き魂を祀らんと思うて密かに来つるなりと言うに驚く女鬼らはこはそも如何にとばかりに声を合わせてうち泣きしをようやくに皆涙を止めて宣うごとく此の所には我々を始めとして男女の小化け物百五十名はべるなり早く手分けを定めたまえ大王に従いてかの岩裂を攻め滅ぼし今の恨みを晴らすべしとくとくと急がす折吾各(こかく)が岡のふい五郎腹巻きに身を固め長柄の矛(ほこ)を携えて慌ただしく来にけるが玉面を見て深く喜びそれがし只今手下の者が知らせによって姉眠りも銀面王も岩裂に討たれたる事の由を聞きしより鬱憤(うっぷん)たちまち胸に満ちていかで恨みを返さんと思うものからそれがしは手下の妖怪多からずよりて此の林の輩を借りもよおし押し寄せて御身の加勢をせん為に道を急ぎて来にけるに図らずここにて対面せしは嘆きの中の喜びなりと言うに玉面も喜びて岩裂に眷属(けんぞく)を皆討たれたる事の趣くわいけいの恥を清めん為にここへ来たりし由を告げて味方の妖怪を招き集めるにその夜のうちに集いしかばふい五郎を先陣として玉面は後陣より進みその明け方に三燈山なる稲花の洞にぞ押し寄せけるその時岩裂走りいでて雲に乗りて敵の陣を見渡していそがわしく返り来つさて浄蔵らに告げる様、長老驚きたまうべからず玉面悪魔が残党を集めて押し寄せ来つるなり察するに先陣は予てその名を伝え聞いたるふい五郎とかいう妖怪なるべし何者にもあらばあれそれがし一人いで向かうて皆殺しにして根を断つべし八戒と沙和尚はここにありて長老様をよく守護せよと言い捨てて金この棒を脇挟み早石門より現れいでて寄せ来る敵を待つ程に吾各が岡のふい五郎、女鬼らを従えて真っ先に押し寄せ来つやおれ岩裂の蟹守め我が名は予て聞きつらん吾各が岡のふいご老人汝が為に討たれたる姉眠りの弔い戦銀面王の恨みをも返さん為に玉面王と示し合わせて寄せ来れりよりて勝負を決せよと息巻き猛く罵りたり岩裂これをうち聞いてあな小賢しき似非化け物一人なりとも汝らを生かし置かんはいといたう残り惜しく思いしに皆連れ立ちて寄せ来つるは虎住む山の○ひつじ▲鷹の絵を彫る群雀(むらすずめ)身の程知らぬ似非てんごう望みに任せて往生させん覚悟をせよとあざ笑うものないはせそ討ち取れと下知に従う女鬼、小化け物さえうち混じりどっとおめいて群立ちかかるを岩裂左右に引き付けて延べ金の棒ひらめかしうちなびけたる勢いにはっと退いてはまた寄せる粟の穂影の朝取りの鳴子に騒ぐに異ならず多勢を頼むももさえずり共にひしめくばかりなり浄蔵法師は岩裂に過ちあらん事を恐れて八戒、沙和尚とくいでて迦毘羅坊を助けずやと言われて二人は勇みたち各々得物を引き下げて外の方指して走りいで師兄しばらく休息したまえここは我らが受け取ったと名乗りかけ引き分かれて八戒はふい五郎と刃を交えて相戦い沙和尚は女鬼らを当たるに任せて突き伏せ突き伏せいよいよ進んでかりたてるその暇に岩裂は一人後陣に討ってかかり更にその手の小化け物らを皆ことごとく討ち取りけりさる程に八戒はふい五郎らと戦いて互いに鎬を削りしがふい五はようやく切っ先乱れて遂に八戒に討たれけり死して後にこれを見ればいと大きなる狢(むじな)なり、狢は鞴(ふいご)になるものなればふい五郎と名乗りしも名詮自姓(みょうせんじしょう)と知られけり既にして先陣、後陣の化け物どもはことごとく岩裂、八戒、沙和尚に討ち滅ぼされたりければ玉面魔王は雲に飛び乗り虚空遙かに逃げて行くを岩裂すかさず追っかけて玉の瓢を捧げ持ち玉面王と呼び張りしを玉面味方の者ぞと思いて一声おうと答える程にたちまちに吸い寄せられて瓢の内へもり入れらるその時大刀を落とせしかば岩裂これを取り上げて手早く瓢の口をしつ呪文を唱え瓢を携え立ち返らんとする折から東の方より一人の老翁白き狐にうち乗りたるが忽然として現れ来つ岩裂を見て微笑みながら神尊つつがもあらざるやと言うを岩裂見返えれば此の翁は▲別人ならず倉稲魂(うがのみたま)の命なり、その時命は岩裂にうち向かいて壷と瓢にもり込められしその玉面、銀面は我が社の石の狐なり彼らは数百年の者なりければ自ずからに魂入りて夜な夜ないでて遊びしかば我厳しく戒めしを恐れて遂に逐電したりしばらく行方を知らざりしに昨日清水寺なる観世音に対面の折噂によりて彼らが此の三燈山に落ち留まりて住める事も浄蔵法師の厄難をも伝え聞いて驚き思いすなわち彼らを捕らえん為に遙々ここへ来つるなりされば彼らが宝として黄金の綱と唱えしは我が社の御注連縄なりまた瑠璃の壷、玉の瓢ととなえしは我が社壇の神酒の瓶子(へいし)なりまた刈稲の勾大刀ととなえしは我が社の鍵なりまたばせを扇ととなえしは我が田を守る御田扇(おんたおうぎ)なりし此の五品を盗みいだして逐電したるものなれば我に返したまわれと事つまびらかに告げたまえば岩裂聞いて眼を見張り魂入りたる石の狐をなまいましめして遠く走らし我が師の坊をもそれがしをもはなはだしく苦しめしは皆是教えの行き届かぬ御身の過ちに候わずやかつ神かきにおかれし者が悪魔になりしは如何にぞやとなじればうなずく倉稲魂その疑いは理なり彼らは我が社にありし程は夜な夜ないでて遊びしのみちっとも魔性の業をせず此の所へ逃れ来て遂に魔王になりたるは是その土地の悪き故なり例えば江南のたちはなの江北へ移し植えられて枳(からたち)となるが如しなれども彼らは浄蔵師弟を捕らえしのみにて害せざりしはその道心を堅固にして渡天の功を果たさせんためこれ観音の方便なれば我らを恨みたまうなと諭したまえば岩裂は実にもと悟りてうちうなずき謂(い)われを聞けば腹も立たれずしからば品々を返し参らすいざいざ受け取りたまえとてかの品を返せしかばうがのみたま喜びて壷の蓋、瓢の口をそがままにうち開きたまえば内より二匹の石の狐いでて御前にかしこまりしをうがのみたまはいたく叱りて厳しく彼らを戒めつつすなわち後辺に従えて五つの宝を携えたまい岩裂に別れを告げて東へ飛び去りたまいけり○さる程に岩裂は稲花の洞へ帰り来て浄蔵法師に由を告げかの玉の瓢をもて玉面をもり取りしに倉稲魂(うがのみたま)の神えうごうありて五つの宝を請いたまいし事またかの玉面、銀面は稲荷山の社の前なる石の狐にてありし事観世音の方便さえ聞いたるままに示せしかば浄蔵▲驚きかしこみて、八戒、沙和尚諸共に遙かに東を伏し拝み苦中(くちゅう)の苦労をしのがすはいかでか渡天の功を遂ぐべき我々が一日も心に油断なからん為に観世音の方便こそ今さらにありがたけれ如何なる難儀にあうとても恨むべからずと戒めてやがて白馬にうち乗りつ岩裂、八戒、沙和尚ら師弟ここにまた四人西を指してぞ立ちいでけるこれより後の物語は八編に著すべし八編も程なく出版今年も変わらず御覧(ごろう)じろ御覧じろ■
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第七編上(ほぼ原文)

2016-12-17 17:39:45 | 金毘羅舩利生纜
姫と呼ばれ鬼と言われて咲く百合の花にも思え外面内心

三燈山暇樵子(さんとうさんのかしょうし)
三燈山銀面魔王(さんとうさんのぎんめんまおう)

稲の花二百十日の魔風なぎて菩薩の実り秋○たりけり

稲華洞玉面魔王(とうかどうのぎょくめんまおう)
小妖奇顛(こばけものきてん)
小妖考老公(こばけものこりこう)

雲のいる山に隠れて雨を知るに穴の狢(むじな)も幾世ふるらん

腰皷林睡眠老瑪(ようこりんのねむりのうば)
五各岡布緯五郎(ごかくこうのふいごろう)

さてもその後羽悟了の八戒は波月洞に赴きて黄袍の変化と戦いし時叶うべくもあらざれば沙和尚に敵を譲りて引き外し逃げ走りしより再び彼を見返らず遠く麓の方に至りて一人つらつら思う様、あの黄袍めは思うに増したる武芸神通の広大なるに如何にして勝ちを取るべき、なまじいに戦うてあたら命を失わんよりまず一休み休まんとて草を折り敷き肘枕前後も知らず臥したりしが夜なりの頃に一人覚めてさらにまた思う様、先に黄袍にうち負けて沙和尚が安否を知らざればとて今更に波月洞へ立ち返りて国王に由を告げ軍兵多く借りもよおして再び彼奴と戦うべしと思案をしつつまたたく暇に宝象国へ帰り来て旅宿を見るに人気はあらで浄蔵法師の乗り慣らしたるかの白馬のみ馬屋にあり心ともなく立ち寄りて見れば怪しきくだんの馬はあちこちに手傷を負うて玉なす汗を流したり八戒驚きかついぶかりてそもこの馬は何者に打たれて手傷を負うたるやらんこは盗人が引きもて行かんとせしをすまいて打たれしかと独りごちつつたたずみたるその時馬はたちまちに人の如くに物言うてやよなう師兄(あにき)遅かりしと呼び掛けられて八戒は飛び上がり肝を潰してこはいかにこの馬もまたこれ黄袍の眷属の化けて我をや欺くらんさらずばいかでか物を言うべき不思議不思議とばかりに後しさりをして逃げんとせしを馬は再び呼び止めて師兄よ驚き怪しみたまうな我が身は日本近江なる小龍王金鱗が観世音の方便にて龍馬となりて師の坊の渡天の供にたちたるなれば御身とは相弟子なり、さても師の長老様は先にしかじかの厄難あり、その故は斯様斯様と黄袍の変化が幻術もて国王をたばかりて浄蔵を虎になせし事白馬は黄袍を討たんとて姿を変じて彼に近づきかえって手傷を負いしこと始めより終わりまで事つまびらかに囁き告げれば八戒いよいよ驚き呆れて、さては黄袍はこの国へ来て国王をうまくたばかり我が師を虎になしたらば渡天の願いもその甲斐なし我波月洞に赴きてくだんの変化と戦いしに叶うべくもあらざれば沙和尚にうち任せて一休みして帰り来つるに沙和尚未だ帰らぬは討たれたるか生け捕られしかいずれにしても安穏ならんや今はしもこれまでなり和主も早く古里へ帰れ▲我はまたあはん州なるはじ村へ立ち返りて再び芙蓉と夫婦にならん暇(いとま)申すと言い捨てて行くを白馬はまた呼び止めて心強き事をな言いそ、今師の坊の大厄難を救わで何処へ行かるべき黄袍が幻術○りやうにて我々敵し難しと言えども威如神尊迦毘羅坊の岩裂ここにあるならば何でう黄袍を滅ぼして我が師を救い得さらんや願うは御身速やかに無量国へ赴きて岩裂殿を誘い来たまえこれに勝る手だてはあらじと言うを八戒聞きあえず言われる趣悪きにあらねど我と岩裂は睦ましからず遙々彼処へ赴くとも彼は決して来べからずそは益も無き事にこそと否むを白馬は押し返してそは浅はかなる了見なり世の常の者ならば恨みを思う事もこそあらめ迦毘羅坊は聡明叡智義を守り信(まこと)を重んじちっともひがめる心なければいつまで御身を恨むべきやよ疑わでも行きたまえ、さばれ彼処へ赴くともまず厄難の事をば言わで師の坊の今更に懐かしく思いたまえば迎えに来つと言いこしらえて誘いて来たまえかしとくとくと急がせば八戒実にもとわずかに悟りて真にさなりと答えつつそがまま雲にうち乗りて方便山へと急ぐ程にかの守護神の助けやありけん、折良く追い風なりければ八戒は時の間に幾万里を隔てたる無量の国に来て方便山にぞ着きにける○この夜岩裂の迦毘羅坊は威如の滝のほとりにいでて数多の眷属をうち集え隈無き月を眺めつつ笑い楽しみてありける程に八戒は恐る恐るそのほとりに近づくものからいぬる頃師の坊に悪し様にのみ取りなして追いやらせたる事あれば世に言う敷居のいと高くてき○もつ足の進まねば数多の天狗にうち混じりてしばらく様子をうかがう程に岩裂辺りをきっと見て怪しむべし▲この内に紛れ者の入りたるぞ者共早く詮索せよとくとくと急がしたる激しき下知に左右なる山水木の葉の両天狗承ると答えも果てず早八戒を見いだして襟髪つかんで引き据えるを八戒なお顔を見られじとのみ後ずさりして袋をかぶりし猫の如く詮方もなく見えしかば岩裂いよいよ苛立ちてやおれ曲者頭を上げよ汝は何処の忍びの者にて我がこのまといに紛れ入りたる速やかに白状せよとく言わずやと息巻けば八戒声を震わせてさのみいたくな叱りたまいそ我らは怪しき者にあらず元より主の知る人なりと言うに岩裂あざ笑いて此奴は我と知る人ぞと言いつつもなお面を隠すはいよいよもって心得難しまずその面をよく見せよと言うに天狗ら八戒が額に手をかけ仰向かせるを岩裂はと見らう見て汝は羽悟了ならずやと問われて八戒包むに由なく師兄早くも見忘れられしなつつがもなくて目出度しと言えば岩裂あざ笑いて汝はなどて師の坊に具して天竺へ赴かで一人ここらに来つるぞやと再び問われてさればとよ長老様のいといたう懐かしく思いたまうにより御身を迎えに来つるなりと言うを岩裂聞きあえずいかでかはさる事あらん我師の坊に破門せられて手切れの証文ここにありしかるを今さら懐かしいとて呼ばれる事のあるべきやそれ○○別にに訳あらん包まず告げよ如何にぞやと詰れば八戒頭を振りて疑いたまうな此の事はいささかも相違なし過ぎつる事は思い捨てて願うは我らと諸共に行きて対面したまいねとくとくと急がせば岩裂しばしうち案じてしからば供に行きもせん御事はしばらく逗留して山の風景を見よやとて自らやがて導をしつつあちこちを見せけるにい花れい草の種々(くさぐさ)なる真に目出度き仙境なれども八戒それには心を止めず只速やかに岩裂を伴わんとのみ思いしかばよき程にして立ち止まり師兄よさそな師の坊の待ちわびしてぞおわすべきいざ諸共に行きたまえと言うを岩裂見返りてハテせわしなき事をな言いそ威如天堂へ伴うて酒をも飲ません飯をもはませんやよ急がずに逗留せよと言うを八戒押し返して我らは酒も飲みたからず只ご馳走には一時も早く師の坊に見参したまえいざとくとくと引く袖を岩裂は振り払いしからばここにて別れんのみ汝▲自ら思いみよ我は真の心もて只師の為に災いを払わんとのみ欲りせしに師の坊かえって我らを憎みて再び対面すべからずと誓いて破門せられしに今さら何の面目ありて行きて彼の人にまみえや汝帰らば一人帰れしいて我らを伴わんと欲するならば目にもの見せんとくとく帰れと追い立てられて八戒は返す言葉もなく只あいあいとばかりにおめおめとして立ち去りけり岩裂遙かに見送りて左右にはべりし山水木の葉に汝ら後より付きて行きて彼奴が何と言うやらん聞いて告げよと急がせば二人の天狗は心得て羽ばたきしつつ飛び去りしがしばらくして返り来つさて岩裂に告げる様それがしらが八戒が後を付けて候いしに彼奴はいたく神尊を恨みて独りぐとぐとそしること大方ならず言いつる由は斯様斯様とありつるままに告げしかば岩裂勃然といたく怒りて憎っき阿呆めがたわごとかなとく追っかけて引きずり来よと激しき下知に天狗ども承りぬと答えも果てず皆々等しく立ち上がりて虚空を駆けりて追うたりしが程しもあらず八戒をぐるぐる巻きに戒めて宙に吊してかきもて来つ早岩裂が目前へそがままはたと押し据えけりその時岩裂声振り立ててやおれ羽悟了言う事あらば目の当たりにこの所で言いもせで立ち去り手後あくまで我をしかじかとそしりたる今はしも許し難し覚悟をせよと息巻けばs八戒僅かに頭を上げてそれがしいかでか御身をそしらん只師の坊の招きたまうを心強く受け引かでゆきたまわぬを嘆きしのみと言わせも果てず岩裂はからからとうち笑いて愚かなり羽悟了師の坊我を呼びたまわんやそは皆汝が偽りなり思うに今師の坊に大厄難のあるをもて汝ら我を呼び迎えてそを救わせんと欲するならんさるをかくして真を告げずはとてもかくても生きては帰さず覚悟をせよと罵りて金こ棒を取りいだしうちひしがんと振り上げれば八戒いたく驚き恐れてやよ待ちたまえ既に早御身に推量せられし上は是非に及ばず白状せん真は斯様斯様なりとて黄袍の変化の事の赴き浄蔵法師はかの邪術をもて虎にせられし体たらくまた沈魚公主のこと小龍王金鱗の白馬さえ手を負いし事すなわちお彼が言うに任せて岩裂を迎えに来たる事の元末しかじかと落ちもなく告げ知らせて願うは師兄宝象国へとく赴きて師の坊の大厄難を救いたまえ一日師となり弟子となれば生涯親子の思いありされば君子は旧悪を▲思わずとこそ言うなるに過ぎつることは思い捨ててただ哀れみをたれたまえと託言がましくかき口説くを岩裂つらつらうち聞いてよしやその黄袍とやらが神通不思議の邪術ありとも汝らなどて我が名を告げてもし師の坊を悪しくせば岩裂神尊後より来て皆殺しにしつべきぞと言うて彼奴を脅さざるをほこれば八戒心の内に気を持たせんと思案してその義は我らにぬかりなく事しかじかと言いしかど黄袍ははばかる気色もなくその岩裂めを誰か恐れん後より来なばひねり殺して肴にせんと言われたると言うに岩裂歯を食いしばりて憎き黄袍が広言かなしからばいよいよ許し難し今より彼処へ赴きてその化け物めを滅ぼして師の厄難を救うべしといいつつやがて八戒が縄解き捨てて諸共に立ちいでんとする程に幾千百の天狗どもは別れを惜しみ押し止めて神尊いでて行きたまえばいつかまた来まさんよしなの渡天三昧やと心細げにかき口説くを岩裂さこそと見返りて汝達女々しく嘆くべからず我師の坊に具し参らせて渡天の功になり名を遂げなばまた此の所へ帰り来つべしよく留守せよと言い慰めて魔服を脱ぎてまた元のときん鈴かけかいがいしく装いを改めてさらばさらばと暇乞い早八戒と諸共に雲にうち乗りまたたく暇に椀子山に着きけるその時岩裂はやおら雲より降り立ちて八戒に囁く様宝象国へ赴きて黄袍を討たんと欲するならば彼処の君臣驚き恐れて宮中いたく騒動せん斯様斯様に計らいておびき寄せて滅ぼすべしさはとてやがて波月洞の奥に深く忍び入るに黄袍の変化が沈魚姫に生ませたる子供二人あり兄を天然と名付けしが年は九つばかりなるべし次の子を自然と名付けて今年は七つになりにけりさればくだんの二人の子供は奥庭に遊びいて守りする人もなかりしかば岩裂得たりと走りかかりて襟髪左右にかいつかみ小脇にしかととり縛れば天然自然は猿の子の鷲に捕られし如くにてアレよアレよと泣き叫ぶ声聞き付けたる沈魚姫は奥の方より走り来つ此の有様にまた驚いて岩裂にうち向かいそもそもそなたは何者にて我が子を手込めにしたるぞと問わせも果てず岩裂は眼を怒らし声振り立てて汝知らずや我は是浄蔵法師の大徒弟威如神尊岩裂の迦毘羅坊とは我が事なり御事は国王の娘にして妖怪変化の妻となり十三年の月日を送りし不孝の天罰今ここに報い来つるを知らざるやと言われて沈魚は涙ぐみわらはいかでか心より求めて変化の妻になるべき年頃ここに囚われて親同胞に遠ざかりしは止むことを得ざればなり浄蔵聖の御弟子には八戒▲沙和尚と聞こえたる只この二人のみなるにそなたもまたかの聖の御弟子というは心得難しとなじれば岩裂うなずきて事の元を知らざればその疑いは理なり我先つ頃師の為に災いを払わんとてしばしば物の命をとりしに師の坊は殺生を忌み嫌いたまうをもて勘当せられて他所におりしかるに今師の坊は宝象国にて御事が夫の幻術に謀られて姿を変ぜし厄難あり我その厄を救わんためにただ今ここに来つるなり御事子供の愛おしくば沙和尚を我に返せしからばこの子を返さんずと言うに沈魚は一義に及ばずそがまま奥へ走り入りて沙和尚を伴い来つ早岩裂に渡しにければ沙和尚は岩裂を見てかついぶかりかつ喜びまずその故を尋ねるにぞ八戒は進みいで沙和尚にうち
向かいて事しかじかと告げにけりその時岩裂は八戒と沙和尚に天然自然を抱かせて和主らはこの童を宝象国へ連れ行きて斯様斯様に計らえかしさらば黄袍は驚き怒りてその子の仇を返さんためにこのところへ来べきなりその余の事は斯様斯様と言葉せわしく解き示せば八戒沙和尚心得て二人の童を受け取りて宝象国へぞ飛び去りける沈魚姫は約束の違えるにまた驚き怒りてあなこの人は真なし我が子供らと沙和尚と取り替えにせんと言いながらなどて我が子を帰さぬぞやと言わせもあえず岩裂はからからとあざ笑いて愚かなり沈魚姫妖怪変化の胤なりける二人の子供を養わばこれ災いを残さんのみ十三年来連れ添うとも夫婦親子の恩愛を思うて嘆くは愚かなりその子をも只思い捨てて事皆我らに任せなば故郷へ帰る喜びあらん親をも身をも忘れしかと言われて沈魚はようやく悟りて言われる趣真にしかなり夫は元より妖怪なれば夫婦の恩愛あることなし我が子と言えど人間の胤ならざるを如何はせん今より故郷へ立ち帰りて親の心を休めなば何をか嘆きはべるべきとにもかくにも図らせたまえと言うに岩裂喜びてしからば御身は深く隠れて黄袍に逢わずであるべきなりとくとくと急がせば沈魚姫はそがまま奥に入りてぞ隠れけるかくてまた岩裂は沈魚姫に姿を変じて黄袍が帰るを待つ程に八戒と沙和尚は宝象国に赴きて王城の空中より両人声を振り立てて黄袍の変化は何処にある威如神尊岩裂の迦毘羅坊が師の厄難を救わんために再びこの土に出現して汝が子なる天然自然を捕らえて征伐せしむるものなり口惜しく思いなば波月洞へ▲立ち返りてとくとく勝負を決せよかしと繰り返しつつ呼ばはりて天然自然をさけきりに等しく首を打ち落として地上へだうと投げ捨てけりされば国王も臣下らもその死骸をみてうち驚き評議まちまちなりけるにこの時までも黄袍の変化は昨夜の酒の醒めずしてかの別殿にうち臥しいたるが今八戒と沙和尚が呼ば張る声に驚き覚めてさては岩裂とか言う奴めに我が子供らは捕らわれて殺されたるか口惜しやとく我が山に立ち帰りて事の虚実を正すべくこの事果たして真にして岩崎彼処におるならば打ち殺して恨みを返さんさわとてやがていそがわしく雲を起こしつうち乗りて椀子山へぞ飛び去りけるさる程に宝象国なる臣下らは慌てて国王に奏する様昨夜もてなしたまいたる婿君もまた妖怪にて給仕の女官を引き裂き食らい今また雲にうち乗りて飛び去りてこそ候なれと告げるに国王驚き迷いて恐れおののくばかりなりかかる所に八戒、沙和尚静かに雲より降り立ち来て黄袍の変化が邪術の趣また岩裂の迦毘羅坊を方便山より迎え来て彼を退治の手だての元末斯様斯様と告げしかば国王わずかに胸を静めてその訪れを待ちたりけるさればまた黄袍の変化は波月洞に帰り来て沈魚姫を訪ねるに岩裂は既にはやかの姫上に姿を変じてきぬ引きかづきて臥しており黄袍が帰り来ぬるを見て我が妻遅しと呼び掛けて只さめざめと泣きにけり。その時岩裂はさめざめとうち泣きて我が妻先に御身の留守の程岩裂とか言う修験者が天然自然を虜にして沙和尚を助けいだし八戒と沙和尚に二人の子供を抱かしてそがままいでて行きしかど折から手下の者共はそのほとりにあらざれば捕り止めんとする由もなくうたてや奪い取られたり思うに二人の子供らは彼らに殺されたるならん心の憂いやるかたもなくつかえ起こりて耐え難しと言うを黄袍は慰めて我もそこらの趣を宝象国にて漏れ聞きしかば急ぎて帰り来つるなりかの岩裂めはその昔天上を騒がしたる神品無双の曲者なれども我に一つの名玉ありて露の玉と名付けたりよしや岩裂猛くともわれこの玉の奇特をもてうち勝たんこと疑いなしされば此の玉をもてしゃくを押せばそのしゃく治まり頭痛をなづれば頭痛治すそなた此の玉をもて痛むところを押したまえと言いつつ玉を取りいだして渡すを岩裂受け取りてそは良き玉にてはべるかしと言うより早く頬張りて只一口に呑みければ黄袍の変化は驚き慌ててこは如何に大切なる玉を漫ろに呑みたるぞやと問わせも果てず岩裂は真の姿を現して耳のほとりに収めたる金この棒を脇挟み愚かなり黄袍の妖怪今数ふるに暇もなき汝が暴悪天の冥罰とても逃さぬ岩裂の威如神尊が覚えの手の内受けても見よやと呼び張りて面も振らず討たんと進めば黄袍の変化は驚きながら剣を持って受け止めしばらく挑み戦いしが邪術を助ける露の玉をおぞくも岩裂に呑まれしかば勢い始めの如くならず遂に剣を打ち落とされてひるむを得たりと岩裂は▲金この棒をひらめかして黄袍が肩先はたと討つ討たれて黄袍はたちまちに光を放ち散乱して姿は見えずなりにけり此の物音に驚きてあちこちより走り来る黄袍が手下の妖怪を岩裂左右に引きつけて一人も漏らさずうち殺し黄袍が行方を尋ねるに地上には見る由もなければ彼は必ず天上の悪しき神にてあるべしと思えば天にうち上りて日の神に訴え奉り黄袍の在処を詮索しけるに天津神には一柱も下界には知りし者はなしもし星宿(ほしたち)の内ならずやと言うもののあるにより南斗北極の両星に斯様斯様と由を告げてさらにまた詮索しけるに多かる星のそが中にただ牽牛星(ひこぼし)のみ十三ヶ日当宿をおこたりていづち行きけん見えざりしが今日にわかに立ち返りて手傷に悩みて臥しておりと事既に聞こえしかば南斗北極は時を移さず神将を遣わしてかの牽牛星を呼びいだしすなわち事の趣をいとも厳しく問いただせば牽牛星今は包む由なく恐る恐る申す様それがしは昔より織女星(しょくじょせい)といもとせの契りを結び候しが七月七日の一夜さのみ逢うことを許されたりされどもその夜雨降れば天の川の水増して逢わですぐせしこと多かればいかで夜毎に逢わまく欲せし情欲の迷いによりて織女は下界に天下り宝象国王の娘なる沈魚公主と生まれたりその後またそれがしも慕って下界に走りしが遂に心の迷いによりて思わず魔界に堕落して黄袍の変化と呼ばれたりしかはあれども本意を遂げて織女と夫婦になりにたるすなわち下界の十三年は天上の十三日にて今さら思えば夢より儚(はかな)し悪魔となりし迷いより浄蔵法師を苦しめたる冥罰によりて岩裂にうち懲らされて今さら後悔願うは罪を許したまえと陳謝の言葉を尽くせしかば二十八宿の星たち評議の上僅かに牽牛星の罪をなだめて後に功○○○たびの落ち度をあがなうべしと厳しくおきてて退かせ織女星はなおしばらく人間に流し置きて彼もまあた功徳を積まば召し返さんとおきてらるこれにより岩裂は日の神に謝し奉り二十八宿の星たちに別れを告げて椀子山に▲立ち返り沈魚姫を伴うて宝象国の王城に来にければ国王、后、同胞の御子たちは絶えて久しき沈魚公主に再会の喜びは例えるに物なかるべしされば沈魚は嬉しさの袖にも余る千筋の涙に過ぎ越しかたを語りいでて身の薄明をうちなげき親に物を思わせたる不孝の罪を詫びたまうかかりし程に八戒と沙和尚も立ちいでてまず岩裂に黄袍の変化の事の由を尋ねるに岩裂はしかじかと退治の趣を告げ知らせ黄袍は元これ牽牛星にて沈魚姫の前身は織女星にてありしことをつぶさに解き示せば八戒、沙和尚言えばさらなり宝象国王、后、同胞、数多の臣下に至るまで不思議の思いをなさざる者なく先に討たれし天然と自然が亡骸を再び見るにいつほどにか頭も骸(むくろ)もひとしく化して石になりけり、実に星落ちて石になるという本文真に故あるかな星の子なれば雲の内にて斬り殺されて地に落ちしよりかく石にこそなりけめとて岩裂が告げたる事の偽りならぬを感じけりその時岩裂は八戒らに言いつけて檻の内に捕り込め置かれし浄蔵法師を助けいださせ更にまた一柄杓の清き水を取り寄せて浄蔵の虎にうち向かい口に呪文を唱えつつくだんの水を吹き掛ければ怪しむべし虎と見えたる浄蔵法師はたちどころに元の姿になりにけりここに至りて八戒らは岩裂を迎え来て黄袍を退治せし事の始め終わりを落ちもなく浄蔵法師に告げしかば浄蔵喜び○恥じて岩裂に詫び先非を悔いてそのいさほしを誉めること大方んらず今よりまた隔てなく元の師弟たるべしとて世に頼もしく見えにけりさる程に国王は岩裂を伏し拝みて我々凡夫の悲しさは邪術の為にくらまされて浄蔵聖を害せんとしたること今さら後悔限りもあらずしかるに御身の情けにて生き別れして行方も知らざる娘沈魚を得たる事これありがたき大恩なり、しばらく休息したまえとて▲にわかに喜びの筵(むしろ)を開き浄蔵、岩裂を始めとして八戒、沙和尚をもてなすこと始めにもいや増して金銀珠玉巻絹なんど物多く贈りしかども浄蔵師弟は一つも受けず次の朝別れを告げて西を指して立ちいずれば国王は臣下を従え皆諸共に城をいでて遠く師弟を送りけり、さればまた沈魚公主はこの後また人に嫁がず宮中に籠もりいて父王后に孝を尽くし日毎に宝海経と観音経を読誦して年月を経る程に王も后も世を去りて兄の王の時に至り公主は患う事もなく眠るが如く息絶えけり波月洞より帰りて後三十九年とぞ聞こえけるかかればかの十三年を今またここに三つ折り返せし年月に功徳積もりておきての如く天上へ召し返されしものならんと故老はこれを評しけり○それはさておく浄蔵師弟はまたかの白馬にうち乗りてこれより師弟また四人西を指して行く程に既に数多の月日を重ねて、ある日いと険しく見えたる高嶺の麓に来にければ、浄蔵しばし馬を止めてナウ迦毘羅坊この山は何となくものすごく見えたるに、妖怪変化のなからずやはと言うを岩裂見返りて山には猛獣毒蛇あり妖怪変化もなからんやさればとて今此の山を越えずば他に行くべき道なし、それがしかくて候えば何事の候うべき急がせたまえと慰めて馬引き向けて分け登る山道に一人の木こりあり浄蔵師弟を呼び掛けてナウ聖たち此の山は三燈山と呼びなしたるがいと恐るべき二人の魔王あり、されば此の峰を越えんとする者捕り喰らわれずという事なし、よくよく用心したまえと言うに浄蔵胸うち騒ぎてなおよく事の趣を問いたださんとて近づく程に木こりは見えずなりにけり岩裂是をいぶかりて空中に上りつつ眼を定めて辺りを見るに木こりと見えしは守護神にて岩裂に会釈しつ神尊無礼を許したまえ実にこの山には悪魔あり、山踏みして後に長老を具して越えさせたまえかしと言うに岩裂あざ笑いて和殿はなどて目の当たりにしかじかと告げずしてまわりどおなる事をして姿を変えることやはあると叱りて元の所に下り立ちまた浄蔵に告げる様実に此の山には妖怪あるべし、まず八戒に山踏みさせて様子を試みたまえかしと言うに浄蔵うなずきて八戒を呼び近づけ事しかじかと言いつくれば八戒否むに由なくて熊手を携えいそがわしく峠を指して登り行くを岩裂遙かに見送りて彼奴は大方怠りてよく見定めずに帰るならんとつぶやきつ後を付けて事の様子をうかがうに思うに▲違わず八戒は行くこと未だ幾ばくならずたちまちに怠りて山道のくいぜに尻を掛け、あるやらないやら定かならぬ妖怪を見極めんとて足つからしに何処まで行くべきまず一休みと独り言早眠らんとしてければ岩裂は可笑しさをこらえて啄木鳥(きつつき)に身を変じ早とろとろに微睡(まどろ)みし八戒が鼻柱をしたたかにつつきしかば八戒驚き身を起こして妖怪ありと叫びつつ辺りを見るに異なる事なし、さては夢にてありけるよと言いつつやがて肘枕また眠らんとする程に岩裂の啄木鳥はまた飛び降り来て八戒が額をはたとつつきしかば八戒はあなやとばかり叫びて再び身を起こし、啄木鳥を見てきっと睨まえあの畜生めが我らの面を百日紅(さるすべり)とや思いけんこう突かれてはここでは寝られずいざ行くべしと立ち上がりて僅かに登りて立ち止まり行く手の当てののないものをうかうか歩くはこれ無駄なり師の坊如何に妖怪はありやと問わせたまいなばさん候妖怪はいくらもありと答うべしその妖怪は如何なる物ぞと再び問わせたまいなば赤鬼黒鬼豆腐小僧三つ目見越しの大入道この他数多候と言ってのけんと高やかに独りごちつつ引き返して麓を指して急ぎける、さる程に岩裂は八戒に先立ちて元の所へ帰り来つ浄蔵法師にしかじかと八戒が事を告げけるに浄蔵はなお疑うてさはあらじとぞ思いけるかかりし程に山道より八戒帰り来にければ浄蔵招き近づけて御事は何処まで行きたると問われて八戒さん候それがし予ての通力もてあちこちとなくこの山中をうち巡り候と言うを岩裂方辺よりくいぜに尻をうち掛けて眠らんとせし折に鼻柱を啄木鳥に突き覚まされしにあらずやと言えば八戒驚きてそを如何にして知られしぞと問わんとしつつ口ごもる浄蔵重ねて如何に羽悟了この山中に妖怪あるやと問われて八戒さん候妖怪数多候と言うを岩裂方辺より赤鬼黒鬼豆腐小僧三つ目見越しの大入道この他数多候と言われて八戒驚き恥じて逃げんとせしを岩裂は引き止めて動かせず怒れる声を振り立てて横着者めが何事も我は知らずと思えるか汝が後を付けて行きて言いつる事まで皆聞いたり言いつけられし山踏みを怠りて師の坊を欺くは言語道断覚悟をせよと罵りて金この坊を取りいだし既に打たんと振り上げれば八戒恐れおののきて長老様詫びしてたべ今一度山踏みして見極めて参るべし許させたまえと叫ぶにぞ浄蔵さこそと岩裂をなだめて八戒を戒め諭し此度はよく見て来よとてまた山踏みに使わしけり○さる程に八戒はまた岩裂が付けてくるかと思えばちっとも油断せず鳥を見ても獣を見ても岩裂ならんと疑って山道を落ちなく巡りけりしかるに此度は岩裂は八戒が後を付けず浄蔵法師を守護しつつ麓にありて八戒が帰り来ぬるを待ちており▲とは知らざりし八戒はいささかも休らわでしきりに走り巡りけり○ここにまたこの三燈山に二人の魔王あり、そが第一を玉面魔王と呼びなしつ次を銀面魔王と称えたり、さればこの魔王らは数多手下の妖怪を従えて年頃とうか洞にありこの日玉面魔王は銀面魔王にうち向かいて近頃聞くに日本の名僧浄蔵法師という者渡天せんとてこの所を過ぎると言えり、彼は金蝉子(きんせんし)の始めより役の小角、空海なんどと四世再誕(しせさいたん)の大とこなり彼が肉を喰らう者は寿命天地に等しといえりかかれば道に待ち伏せしてかきさらわんと思えどもそが同行には岩裂の迦毘羅坊という神変自在の荒者あり、古(いにしえ)天宮を騒がせたる威如神尊すなわちこれなり我只彼奴にはばかりていかにせましと思うのみこの余の同行に羽悟了の八戒、鵜悟定の沙和尚と呼びなす者ありといえどもそれらはさのみ恐れるに足らずただ岩裂は○○者なりと言うを銀面聞きあえず貴殿はなどて心弱くも他人の神通をのみ誉めて、味方の英気を落としたまうぞ岩裂なりとて何ほどのことかあるべきそれがし今日より山巡りしてしゃつらが来ぬるを見るならば一人も漏らさず生け捕りてあつものにして賞翫すべしいでいでと言いかけてひしひしと身を固め数多手下の妖怪を先に立たせ後に従え自ら山を巡りけるかかる所に八戒は岩裂に懲らされて再び山道に赴きしよりまたもや後を付けられると思えば心安からず道のほとりにありとある木を見ても石を見てもこれ岩裂が姿を変じて我をうかがうなりけれと思えばきっと見返りて師兄よ此度は怠らでかくの如くに山踏みするを必ず見違えたまうなと一つ一つに言葉をかけてなお山深く分け入る程に銀面魔王は既に早妖怪らを従えて山巡りしてはしなくも八戒を見て密かに喜び予て浄蔵法師らの面体(めんてい)形を伝え聞きしに彼奴は第二の徒弟(でし)と聞こえしかの八戒にてあらんずらん者共彼奴を逃がすなと激しき下知に手下の妖怪は承ると一足いだして早八戒を捕り込めて絡め捕らんとひしめくを八戒これをさえまた岩裂が姿を変じて我を脅すと▲思いしかば師兄冗談したまうな此度はちっとも怠らずよく山踏みをするものをコレサよしねぇ話ねぇと言わせもはてず妖怪らは手取り足取り押し伏せて早ひしひしと戒めけり○かくて銀面大魔王は八戒を生け捕りて稲花洞(とうかどう)へ引きもて来つ玉面に由を告げて予てより伝え聞いたる浄蔵らが面体をもて案ずるに只今生け捕り来つる者はその師弟羽悟了八戒なりかかればまた浄蔵法師も引き続きてこの山を越えるべしこの八戒はつなぎ置きて浄蔵らと諸共に蒸して肴にすべきのみと言うに玉面喜びてあっぱれ高めうお手柄お手柄さばれこの八戒はわかとびの化身と聞きぬしからば肉に臭みあり羽虱(はしらみ)も多かるべければ食料には成り難からんと言うを八戒うち聞いて違いなし違いなしどうして俺を食われるものかと言うをは聞かで銀面はからからとうち笑い臭みも虱もあらばあれ煮え湯を掛けてよく毛を引かば食われざることあるべからず我ら再び山巡りして浄蔵を捕らえ来つべdし此奴は柱に繋ぎ止めて必ず走らせたまうなと言いつつやがて身を起こしてまた山道にぞ赴きける○さる程に浄蔵法師は八戒が帰るを待つに二時(ふたとき)余りに及べども絶えて訪れなかりしかばいつまでかかくあるべきそろそろ行かば道にて会わんと言うに岩裂うなずきて八戒はまた怠りて昼寝してこそ候わめ待ちわびしく思いたまわば行かせたまうもしかるべしと答えて馬にうち乗せつ沙和尚と諸共に先に立ち後に従い峠を指してぞ急ぎける○さる程に銀面魔王は高きおのへにうち登りて遙かに麓の方を見るに浄蔵師弟が来にければ喜びて○思う様力をもってとらんとせば岩裂めに支えられて仕損ずる事もあるべし要こそあれと思案をしつつたちまち一人の尼と変じて道のほとりに倒れており浄蔵法師の近づくを見つつしきりに声を立てて救いたまえと叫びしかば浄蔵法師いぶかりて馬より下りて由を問うに銀面答えてわらわ事は此の峰のあなたなる尼寺の同宿なり今日しかじかの用事ありて姉弟子の尼と供に寺男を供に従えてこの山を越える程に二つの虎にいで会って連れの尼と供人はたちまちついばみ去られたりわらわはようやく逃れしかどもかくのごとくに手傷を負うて一足も歩き難し只一遍の慈悲をもて寺まで送りたまわらばこよなき御恩にはべるめりと言えば岩裂▲あざ笑いて長老此奴に化かされたまうな此の辺りには人里なし何故に尼寺のあるべきやこは妖怪に疑いなしと言うを銀面見返りて情けなき事を言う人かなこの山には虎あるのみ妖怪変化は絶えてなし例え出家にあらずとも人の難儀を救うもあるにつれなき人の心やと恨みごちつつうち泣きけり浄蔵さこそと哀れみて迦毘羅よさのみな疑いそ仮にも三衣を着せし人の難儀を見つつ救わずは仏の慈悲に違えるなりと言いつつ尼にうち向かいてとく我が馬に乗りたまえ寺まで送り参らすべしと言うに銀面頭をうち振りそは喜ばしくはべれどもわらわは腿(もも)に傷あれば馬に乗ること叶い難しお弟子に負わせたまいなばなおこの上のお情けならんと言えば浄蔵うなずきてしからば鵜悟定この尼ぜを背負うて寺まで送れかしと言うを銀面押し止めてあの御出家は痩せ型なるに負われなば身の痛むべしと言いつつ岩裂を指さしてこの御出家は背中も広く力もあり実に見えたまえば願うは負わせたまえかしと言うに浄蔵やよ迦毘羅望みに任して背負えかしと言われて岩裂ちっとも疑義せず背負うべし背負うべしこの化け物めが言葉巧みに我が師の坊を欺くともいかでか我を欺き得んいざ負われよと背中を向けてそがまましかと背負いけりかくてまた浄蔵はいそがわしく馬に乗りて沙和尚に口を取らせ先に立ちつつ行く程に銀面魔王は岩裂に負われて心に深く喜び早重身(じゅうしん)の術をもて次第にその身を重くして取りひしがんとしたれども岩裂騒ぐ気色なく此の化け物めがいかばかりにその身を重くすればとて押されることのあるべしやと独りごちつつ背負い行くにさすがに重荷を負うたれば足の運びのはかどらで浄蔵法師に遅れること早いくまちにかなりにけり、さればまた銀面は重身の術をもて岩裂を押さんとせしに岩裂ひるむ気色なければこれではゆかぬと手を変えて山を移す術をもてまず天竺の清涼山を移して岩裂が背中に押し掛けこれをもて▲押さんとせしに岩裂それにもたゆまねば唐土に五岳(ごがく)と聞こえし泰山、華山、衡山(こうさん)、恒山(ごうさん)、嵩山(すうさん)という五つの高嶺を取り寄せてこれをもておさんとしてけるに岩裂はこの山々の重みを背中の上に受けてもなおいささかもたゆまずして静かに歩み行きしかば銀面は更にまた日本国の駿河なる富士山を移し来てこれもてであうと押したりければ神通自在の岩裂も万国に優れたる日の本の霊山の威徳にやよりたりけん思わずはたと押し据えられてちっとも動くことを得ずこは口惜しやとばかりに跳ね返さんとしたれども叶うべくもあらざれば眼を見張り歯を食いしばりて憤れどもかひそなき遺恨ゆるもたなかりけり○さる程に銀面魔王は日の本の富士山もて遂に岩裂を押し据えたれば今はしも心安しと思いほこりつあちこちに忍ばせ置きたる妖怪らを招き集め従えて浄蔵法師を追っかけけりかくとは知らぬ沙和尚は浄蔵法師に従いて山もと遠く分け登れば追っかけ来つる銀面魔王まっしぐらに馳せ寄せて浄蔵法師を馬上より引き下ろしつつつかみて小脇にしかと引き付けたり沙和尚は此の有様に驚き怒りてちっともゆよせずさては妖怪ござんなれ逃せしはせじと言うままに仕込み杖を引き抜きて勢い猛く▲銀面を討たんと進むを手下の妖怪さえぎり止め取り巻きて手に手に棒をひらめかし打ち倒さんと競いかかるを沙和尚はものともせず右に支え左になびけてしばらく挑み戦うものからげにかたいとはいとにならず一つたなそこは鳴らし難きに似たる身一つにていかでか多勢に叶うべき遂に刃を打ち落とされひるむを得たりと妖怪らは折り重なって押し倒し押さえて縄を掛けにけりさる程に銀面魔王は手ずから浄蔵にも縄を掛けて馬をもその旅荷物をも手下の妖怪らに分捕りさせて浄蔵、沙和尚を引き立てつつ稲花の洞(ほら)に帰り来て玉面魔王にしかじかとおのが働きの赴きを誇り顔に解き示して浄蔵弟子をほとり近く引き据えさせて見せしかば玉面斜めならず喜びて我その始めは岩裂が神通に敵し難し思いたりしに御へんのはたらき山を移す術をもて彼を押し伏せたまいし事感ずるに余りあり、この浄蔵は得難き珍味齢を延ばす妙薬なれば軽々しく喰らうべからず岩裂、八戒沙和尚らも皆同じ日に料らせて手下の者にも賞翫させんまずそれまでは細殿(ほそどの)に繋ぎ置かせたまいねと言うに銀面うなづきて浄蔵をば柱に繋がせ沙和尚は八戒と並べてうつばりに吊し置かせ玉面魔王と諸共に酒うち飲みて笑い楽しみかの浄蔵らを生け捕りたる邪術に誇れば妖怪らも目出度しとのみ称えける○○○○程に岩裂は銀面○○○○術にて身をふ○○○○られ心の中に思う様む○○○釈迦如来の方便にて両界山に押し据えられしこれより後はかくの如き法術に苦しめらるる事はあらじと思いしにあの銀面に図られて身を動かされぬ口惜しさよ我が身はとまれかくもなれ察するに師の坊は彼奴が為に捕らわれて命危うくおわすべしそを如何にせん口惜しやとと独りごち身をもがきて無念の涙にかきくれたる一心天地に通じけん土地の神と山の神は嘆きの声に驚き感じて密かに集いて談合○○○威如神尊迦毘羅坊は銀面魔王に謀られて富士山もて押し据えられたりそを知りつつも救わずは恨みて後に仇をせられんいでいで山を取り除けんとてそのほとりに進み近づき神尊遅参を許したまえ我々は幸いに山を除く術あれば御身を安く仕らんと言いつつ口に秘文を唱えてくだんの山を退けければ岩裂ようやく身を起こして汝たちなどて早く来て我に力を合わせざるとしかれば二神言葉等しく我々は日毎日毎にかの両魔王にかりとられておい使われ候えば思いながらも自由を得ざりき▲この義を察したまえかしと言うに岩裂嘆息してかの銀面らはいかなる術もて土地の神と山の神さえ従えておい使うやらん侮(あなど)り難き大敵なり我らが事の趣をなおつまびらかに告げ知らせよと言うにうなずく土地の神と山の神は膝を進めてさん候かの魔王らはしかじかと名付けたる五つの宝を所持したりその宝ある程は神尊猛くおわするとも勝ちを取りたること難かるべしよくよく用心したまえかしとその余の事は斯様斯様と告げるを岩裂聞き果てて山の神と土地の神に暇をとらせて退かせまず師の坊の安否を探りてその後にかの魔王らを討ち滅ぼさんと思案をしつつ身を山はちに変じつつ稲花の洞に忍び行きて事の様子をうかがいけり■
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第六編下(ほぼ原文)

2016-11-30 15:22:32 | 金毘羅舩利生纜
されば観音薩たの妙ちりきによりてさしも枯れ果てたる人参果のたちまち生きて栄えにければ鎮元子喜びて大士の御徳を謝し奉り、すなわち本堂に招待してもてなし奉らんと申せしを観世音否みたまいて我らは近頃日本国なる縁(ゆかり)の寺々をうち巡りてここに一月(ひとつき)彼処に二月逗留して一斉衆生の掛けたる願を取り調べ、彼らがために応報利生(おうほうりしょう)の有無を判断するに暇なければしばらくも留まり難し、まげてこの地にえう向せしは迦毘羅坊が願いもだし難く浄蔵師弟を救わんためなり、今ははやこれまでなり、さらばさらばとばかりに東を指して飛び去りたまえば鎮元子は止めかねて浄蔵、岩裂、八戒、沙和尚、清風、名月、その余数多の弟子ばら諸共にそなたの空をうち仰ぎて合掌してぞ見送りける○かかる所に福禄寿星は白き鹿にうち乗りて五庄観に来臨あり、鎮元子に対面して岩裂の威如神尊人参果の事につきて遙々と問われしかども枯れたる彼の木を生かさん事は愚老が力に及ばねばほいなくもそがままに神尊を返したり、しかはあれどもその事の心にかかればうちも置かれず已後(いご)の安危を問わんために遙々と来つるなり、いかが収まり候やらんと問われて鎮元子大仙は喜びすなわち観世音の利益によりて人参果は再び生きて元の如くに栄えし由を告げ知らせ、客殿に誘いて茶を勧め菓子を勧め、浄蔵師弟にしかじかとその由を告げにければ浄蔵法師喜びて岩裂、八戒、沙和尚らと諸共に寿星に拝謁し奉り、自らこの地に▲えう向ありし喜びを述べしかば岩裂もまた過ぎつる日の事も問いいでてその親切をぞ謝しにける、その時鎮元子は清風、名月らに言いつけて人参果を六つ採らせてその一つを寿星に勧め、また一つを浄蔵に勧め、また岩裂、八戒、沙和尚らにも各々ひとつずつ分け与え残る一つをその身も食べて、すなわちここに人参果の珍会を催しければ誰か鎮元子の客を愛する志を喜ばざらん、浄蔵法師も人参果の果物なる由を知りてければすなわちこれを食べけるに実に仙薬の印過(あやま)たず、心地たちまち爽やかに気持ち日頃に十倍してこれより後いささかも病み患う事なかりけり、かくて福禄寿星はこの日終日(ひねもす)語り暮らして遂に鎮元子、浄蔵に別れを告げ、再び鹿にうち乗りて雲をしのぎて飛び去りたまいぬ、是より先に鎮元子は岩裂と義を結びて異姓の兄弟となりしかば、その喜び大方ならずひたすらに別れを惜しみて五六日留めしを浄蔵法師は行く手の道の遙々なるに急がれて五庄観を発足してす、この日鎮元子は数多の弟子ばらを従えて麓路までぞ送りける○されば又浄蔵は再び龍馬にうち乗りて西を指して発ちいずれば羽悟了の八戒と鵜悟定の沙和尚は代わる代わるに旅荷物をかき担い岩裂の迦毘羅坊は先に発ち道を開きてまた行くと行く程に幾ばくの日を重ねてある日深山の麓まで来にけり、既にしてこの山を二十五六町登る程に浄蔵は馬を止めて岩裂を呼び止め、やよやなう迦毘羅坊、我らはいたく飢え疲れて物欲しきことしきりなり、何処になりとも赴きて斎を求めてはませよかしと言うを岩裂聞きあえず御身は余りに心なし、よく思うてもみたまえかし人跡絶えたる深山路にて何処に斎を求むべき、この山をだに越え果てなば人里のあるべきに、しばらく待たせたまいかしと言うに浄蔵喜ばず、あな惨(むご)き心かな汝は両界山の巌の下に五百年来押し伏せられて生きもやらず死にもせず生くその苦げんを受けたりしを救いいだせし我なるに喉元過ぎて熱さを忘れるたとえに漏れず心おごりて骨を惜しみ足を厭(いと)い我が飢えたるを救わぬは恩を思わぬ痴れ者かなと託言がましくつぶやくにぞ、岩裂これを慰めてしからば我が師はこの所にしばらく憩わせたまえかし、あるべき事をは思わねども、それがしまずあちこちを訪ねて食物を求め来つべし八戒と沙和尚は師をよく守れと言いもあえずたちまち雲に飛び乗りて青空に飛行しつ、里もやあると尋ねるにおよそ此の辺百里四方は山に連なりて人里とてはあることなし、岩裂ほとんどこうじ果てて南の方を見渡せばいと遙かなる谷陰の紅に見えしかば、あれはまさしく山桃ならんと思いつつその所へ至りて見れば果たして桃なり、すなわち此の桃を鉢の上に摘み取りて更にきびすを巡らせて元の山路へ急ぎけり○この時浄蔵法師は▲馬より下りて道野辺なる草を折り敷き座をしめて八戒、沙和尚ら諸共に岩裂が帰るを待つこと半時ばかりに及びけり、実に山深ければ必ずれいあり、さればこの山中に元より一人の悪魔住めり、彼既に浄蔵師弟の憩いおるをうかがい知りて腹の内に思う様、今日本より渡天の始めより四世道徳の名僧なり、彼が肉を食らう者は寿命限りなしとぞ言うなる、しかれども左右に従う異形の弟子あり、もし軽々しく手を下さば妨げせられて後悔あらん、まず彼奴らを試みて隙をうかがいかきさらうに増す事あらじと思案をしつつたちまち齢十七八なるいと麗しきおなごと変じて手に一組の食籠(じきろう)を携えあなたの山路より歩み来るを八戒早く遙かに見て、上人喜びたまえかし此のほとりには人里なしと迦毘羅坊は言いしかど、あれ見そなはせ、あしこよりじきろうを引き下げる一人のおなごの来つるなり、語らいよらば差し当たる飢えをしのぐのたつきもあらん、いでいでと言いながらいそがわしく身を起こして近づく女にうち向かい、女中何処へ行きたまうぞと問われて悪魔はうち微笑み、わらは此の山のあなたなる里人の娘にはべるが二親もわらわが夫も深く仏の教えを信じて門辺を過ぎる法師には斎を参らせずと言う事なし、しかるに今日は今までも門辺を過ぎる出家を待ちしにたえて一人も過ぎらねば余りの事に待ちわびてちとの斎を携えつつ出家に会えば参らせんと思うてここまで来つるなりと言うに八戒喜びていそがわしく浄蔵のほとりにまいりて申す様、上人聞こし召されしかあの女中は大施主にて出家に斎を施さんとて手づから携え来つるなり、飢えたる由を告げ知らせて申し受け候わん、奇妙奇妙と小躍りしつつ立たんとするを浄蔵師弟は慌ただしく呼び止めて八戒そぞろの業をなせそ、このほとりには人里のなしとは予て聞きたるに年なお若きおなごの身として供をも具せずただ一人恐れ気もなく来し事を思えば真に怪しむべし、我いかにしてその斎をうくべき思いがけぬことにこそと言うを悪魔はうち聞いて微笑みながら歩み近づき、上人などてさばかりにわらわを疑いたまうやらん、わらわが夫はそまではべれば日毎にこの山に分け入りて木を切りいだすを生業とす、されば真はこのじきろうは夫におくらんとてもて来たれど上人たちのここに憩うて飢えさせたまいし気色あるを見るに耐えねば始めの如く申せしなり、しかはあれども我が夫はまれなる仏法の信者にはべれば、この弁当を各々様へ参らせたりと聞きはべらばさこそ喜びはべるべけれ、いざとくとくと勧めれども浄蔵頭をうち振りて、よしや我が身の飢えたりとも人の弁当を横取りして食べらるべき事にはあらず、そは早くもて行きておとこに勧めたまえかしと否むを悪魔は聞かずしてなお様々に言葉を尽くして説きすすめんとする折から岩裂の迦毘羅坊はからくして摘み取りたる桃一鉢を携えていそがわしく帰り来つくだんの女をきっと見て間に入りて▲押し隔て、上人そぞろにこの化け物に欺かれたまうべからず、彼は此の山の悪魔なり、化けの皮を引き剥ぎていで招待を現わさん、これ見たまえと言いも終わらず耳の間に挟み置きたる黒金の棒を取りいだし押し伸ばしつつやごえを掛けて微塵になれとぞ打ちたりける、しかるに悪魔も予てよりかかることもあらんかとて死して程なき女の死骸を我が身代わりに取り寄せ置きて、その備えにしてければ今岩裂が打たんとしてひらめかす棒と諸共に脱蝉(だつせん)の邪術をもて早くその身を逃れつつかの屍(しかばね)を打たせにければくだんの死骸は眉間より脳骨砕けて倒れたる、これらの事の趣を岩裂ならで知る者なければ八戒驚きかつ恨みてあな浅ましや咎もない大施主慈悲の一善女(いちぜんにょ)を迦毘羅坊が殺したり、上人かくても岩裂を叱りも得せでおめおめと許したまうか如何にぞやと刃向かい火を焚き付ければ浄蔵怒りに耐えずしてやおれ迦毘羅坊と呼び近づけ、御事出家の身にしあるをややもすれば人の命を損ないぬるこそ落ち度なれ、かかる無惨の曲者は我決して弟子にせん、この所より速やかに立ち去るべしとぞ息巻きける岩裂これをうち聞きて上人御憤りは理あるに似たれどもそれがしいかでか故なくて漫ろに物の命をとるべき、この者既に妖術あれば死して形を変ぜざれども妖怪たるに疑いなし、その証拠にはあれを見たまえ彼が携えたる食籠の内なるは皆食物にあらずして蛇、みみずの類なり、よくこれを見て疑いを晴らしたまえと説き諭せば浄蔵ようやく心付きてかの食籠の物を見るに実に蛇、みみずか蛭(ひる)の類をいくらともなく入れたるなり、ここに至って浄蔵は半ばは信じ半ばは疑い黙然たること半時ばかり思い返して面を和らげ、この食籠のみをもて死したるおなごを妖怪ならずと定むべきにはあらねども岩裂汝が言い訳もいささかその由あるに似たればこの度は許すなり、もし重ねて人を殺さばその度は決して許さず、たちまち破門に及ぶべきに向後をきっと慎むべしと言うに岩裂喜びて、この後はなお慎みて物を害し候わばその義は御心安かるべし、先には仰せに従いて斎を求め候えどもこの辺り百里が程には里人絶えてあることなし、よりて五六十里南の方なる谷陰になりいでたる山桃を摘み取りてもて参り候なりと言うに浄蔵喜びて、出家はもとより美食を願わず桃は最もしかるべし、とくとくと急がすにぞ岩裂やがてくだんの桃を浄蔵に勧めけり、既にして浄蔵法師は桃二つ三つうち食うて、その余れるを八戒と沙和尚に分け与え、いささか飢えを忘れしかば再び馬にうち乗りて山路を西へぞ急ぎける、されば悪魔は空蝉(うつせみ)の術をもて身を逃れて一人心に思う様、我が予てより謀りしに違わず彼ら同行四人のうち一人はなはだ眼力あり、さもあらばあれ今一度たばかりて見ばやとてたちまち齢▲八十路余りの一人の婆に変じつつ、杖にすがり声をたてて、なう娘なう我が子よと呼び掛け呼び掛け来にければ八戒早くこれを見て上人果たして災い起これり、如何にすべきとてうてうしくそくろをかはれて浄蔵驚きながら見返りて八戒何を見定めて災いありと言えるぞやと問われて八戒、さればとよ向かいより来るあの婆は迦毘羅坊に殺されたるおなごの母にあらんずらん、もしよく彼をなだめずは彼怒りて我々を下手人(げしにん)にこそとるならめ、ここをもて災いの起こりにけりと言えるなり、それがし彼をなだむべしと言うを岩裂押し止めて八戒戯(たわ)けき事をな言いそ、先の女はいと若くて十七八と見えたるにあの婆はいたく年寄りて八十余才とおぼしきものなり、その年六十余りの時子を産む者のあるべきや、妖怪なること疑いなしと言うをば聞かで八戒は一人先立ち進み向かいて婆様誰を訪ぬるとて何処へ行きたまうぞと問えば悪魔は杖を止めてやさしき人のことのはかな我が身に一人の娘あり、先には婿へ送るとて昼食の弁当を携えて宿をいでたるが道にて人に殺されしと只今告げし者あれば胸潰れ驚かれて心の憂いやる方なし、そは空言か真なるか安否を知らんと思いつつかくは尋ねにいでたるなりと言わせも果てず岩裂は曲者やらぬと言うより早く黒金の棒ひらめかして眉間をのぞんではたと打つ、狙いはちっとも違わねど悪魔は早く脱蝉の術をもて身を逃れまたただ老女の亡骸をその身の代えにしてけるを岩裂ならで知る者なければ浄蔵いたく驚き怒りて、やおれ岩裂汝は既に故もなく人の娘を殺害せしをいささかも悔いずして、またその親を殺せし事そもそも如何なる悪行ぞやいまはしも許し難しとくとくここを立ち去るべし、真に言語道断なる曲者かなと行き巻くにぞ岩裂はひざまづきて上人さのみ怒らせたまうな、これもまた妖怪なり、およそかくの如き妖怪は空蝉の術をもてその身をもぬけて死したるものの殻を代わりになす事あり、それがし早くこれを知らずは上人はかいさらわれて遂に彼奴が腹の内に入りたまうべきものにこそ自ら悟りたまえかしと言えば八戒あざ笑いて上人かならず岩裂が弁舌にな欺かれたまいそ、それがしも雲に乗り風を起こす事をしれども空蝉なんどいう術は未だ聞きも及ばぬ事なり、ただ口でのみ叱りたまわば岩裂いかでか懲り候べき、かの緊頭呪の秘文をもて思いしらせたまわずやとまた向かい火を焚きつければ浄蔵法師いよいよ怒りてかの緊頭呪を唱えしかば岩裂七転八倒して、あな痛や耐え難や我が頭の砕けやせん、上人呪文を緩べたまえ、この後如何なる事ありとも決して手荒き事をせじ許したまえと叫ぶになん浄蔵わずかに呪文を止めて、しからばきと慎みてこの後悪事をすべからず、もし道ならぬ事をせば千百万げん詫びるともちっとも許さで勘当せん、その折我らを恨むなと更に向後を戒めて再び山路を登りけり、その時岩裂思う様、かの妖怪めは手段ありて身を逃れること早ければ一度ならず再び三度討ち漏らせしこそ口惜しけれ、要こそあれと姿を隠して山陰に退きつつ呪文を唱えてこの山の山の神を招き近づけかの妖怪の事を問うに山の神答えて言う様、神尊未だ知りたまわずや此の山は蛇回山と言う魔所なり▲またかの妖怪は戸魔老怪と呼びなす者なり、彼大仙の術をもて身を逃れるに妙を得たれば神尊彼を討ちたまうとも逃れる道を遮り止めねば幾たびなりとも労して功なし此の義を計らいたまえかしと言うに岩裂うなずきてしからば彼奴懲りずまに姿を変じてまた来たらば汝は数多の眷属と諸共に早く四方を取り囲みて走らせぬ様にせよ、その度彼奴を退治せん、もしなおざりの計らいあらば我決して汝を許さじ、よくせよかしと問い示せば山の神は心を得てその手配りをぞしたりける、かくてまた岩裂は浄蔵法師に従いて山路の露をかきて払い先に進みて急ぐ程に向かいよりまた来る者あり、これすなわち別物ならずまたかの悪魔が一人の翁に姿を変じ杖にすがりてたどるたどるも来つるなり、八戒遙かにこれを見て上人あれはかのおなごの父親にこそあらんずらん、迦毘羅坊がいたく逸りて既にその娘を殺し、またその母を殺したれば彼は必ず我々をその妻娘の仇として絡め捕らんとこそ謀るらめ、迦毘羅坊が粗忽によりて上人は申すも更なり、我々までも巻き添えせられて身の難儀に及ばん事是非もなき義に候わずやと言うに浄蔵驚き憂いて馬をぞ止めける、その時岩裂はいち早く進み寄りてかの妖怪にうち向かい、翁は誰を訪ねるぞ、今殺されたる娘と婆を訪ねるにあらずやと問えば魔王は涙ぐみてさればとよその意なれ、我が娘は此の山路にて旅行く人に殺されしとある人の告げしかば婆は驚き悲しみてその所へとて走りいでしにまたその仇に討たれし由をただ今告げし者あれば嘆きいやますこの身の薄命いかでその亡骸を取り収めて葬らん、仇を尋ねて国の神に訴えて恨みを返さん、ただやはやまんと耐え難き志を励ましてこの所まで来にけるに聖たちに行き会いしはせめてもの幸いなり、我らが宿所に泊め参らせ葬りのこと追善読経の回向を頼み奉る、つきて妻子の討たれし所を知りておわさば教えてたべと言いつつやがて浄蔵法師の仇として絡め捕らんとこそ謀るらめ、迦毘羅坊がそこつによりて上人は申すもさらなり、おぞくも謀る化け物めがその手は食わぬ覚悟をせよと言うより早く隠しもつたる黒金の棒ひらめかして眉間をのぞんではたと打つ気色に悪罵は驚きながらまた空蝉の術をもて身を逃れんとしたれども岩裂に頼まれたる山の神は予てより眷属を従えて四方を囲みたりければ悪魔はその術行われず身を逃れるに由なくて遂に岩裂に討たれけり、浄蔵法師は驚きながら立ち寄りてこれを見るに実にすさまじき悪鬼にて肩先より胸骨まで微塵になりて倒れたり、羽八戒は始めより我が物言うたるかのおなごを岩裂が殺せしを▲心に深く恨みしかば今またこれを喜ばず浄蔵法師にうち向かいて上人必ず此の変化を真となしたまいそ岩裂既にその娘とその母を殺せしかば今この親父を助け置けば恨みを返すこともやあらんと思うによりて有無を言わさずまたたちどころに殺したり、しかれども上人の怒りたまうてかの緊頭呪を唱えたまわん事を恐れてすなわち彼が幻術もて仮に妖怪と見せたるのみ二十四ときすて置けば元のおやじにならんこと今更に疑うべからず○しなしたり何とせん不憫の事やと水鼻をすすりあげつつそくろをかへば浄蔵これを真としてかつ驚きかつ怒りに耐えず露にはあらぬ声を振り立てやおれ迦毘羅坊汝今また人を殺してその亡骸を変化と見せ我を欺かんと謀ること類まれなる僻事(ひがごと)なり、汝が如き大悪人は我決して弟子にせず七生までの○たうなり、速やかに立ち去るべし見るもなかなか汚らわしと足踏み鳴らして息巻くにぞ岩裂は呆れ果ててそは上人に似気なきことなり、それがしいかでかまさな事して御身を欺く者ならんや自ら察したまえかしと言わせもあえず浄蔵は再び声を振り立て全て出家は慈悲にして虫けらたりとも命を取らずただ善根を旨とすなるにおさおさ殺生を事とする汝が悪行今日に限らずいかばかりに詫びるとも我決して弟子にせずただ速やかに去るべしとて天に誓い地に誓いて聞き入るべくもあらざれば岩裂いたくうち嘆きて上人賢しくましませども人の讒言を受け入れて忠心をおいたまうは千慮の一失是非に及ばずそれがし露ばかりも罪なくておわるること三度に及ぶをなおくどくどと言い訳せば是大丈夫の業にあらずしかれどもこの後に我が身に所要ある時かあるいはまた思いいだしてねたましき折などにかの緊頭呪を唱えたまわば例え幾万里を隔てたりとも我が身の頭はたちまち痛みて世に耐え難く苦しむべし、この義は如何と後を押すを浄蔵は聞きあえず既に汝を追い失わんに我如何にしてかの呪文を唱える事のあるべきやさばれ心許なくは証文(あかしぶみ)を取らせんずいざいざと言いながら旅硯(たびすずり)を取り寄せて貶書(かまいなしのじょう)一通を書きしたため名印を押して与えにければ岩裂これを受け取りて既にこの期に及びては申すべき由なしといえどもそれがし両界山にありし時救わせたまいし恩義の為に今八はいの礼を行うてさてその後に別れまつらん願うは杯を受けたまえと言えば浄蔵頭を振りて我は仏身仏体なり汝が如く汚れし者の杯をやは受くべきとつれなく否みそがひになりてうち向かうべくもあらざれば▲岩裂は分身の術をもてその身を七八人たちまちに作りいだして早八方にとりまわしつつ八はいの礼を行いければ浄蔵は彼方此方へ顔を背けて受けじとすれども前にあるも後ろにあるも岩裂ならぬ者なければ逃れる道のあらずして彼が杯をぞ受けにける、かくてまた岩裂は鵜悟定にうち向かいて沙和尚和主は○○○○の人なり、今日よりよく上人を守護して怠りたまうなと言うに沙和尚慰めかねて、その義は心安かるべし八戒と心を合わせて上人を守護せざらんやと言えば岩裂うなずくのみしうぜんとしてありければ八戒密かにあざ笑いて迦毘羅坊がしびれを切らすは上人彼が旅荷物を分け与えたまわぬ故なり、取り分けて与えたまえかしと言うを岩裂見返りておぞましの八戒や我はなんでういささかなる旅荷物に懸念して立ち去りかぬるものならんや、戯言(たわごと)言うなとにらまえて静かに雲にうち乗りつつその古里なる無量国の方便山へぞ飛び去りける○かくて岩裂の迦毘羅坊は空中飛行の速やかなれば幾日もあらで無量国なる方便山に立ち帰り威如の滝のほとりに至るに我が眷属は一人も見えずありしに変われる有様なればこは如何にといぶかりて呆然として佇む折からここの谷陰彼処の杉の梢より三人四人の天狗どもいそがわしくいでて来つほとり近くひざまづきて、こは神尊思いがけなく今日立ち帰らせたまいけるよ、いよいよ益々健やかにつつがなくまします事喜ばしくこそ候なれと言うに岩裂うなづきて我五百余年以前日の神の勅罰(ちょくばつ)を受けし時釈迦如来に取り込められて両界山の巌の下に押し伏せられてありけるに斯様斯様の事により日本国より渡天の名僧浄蔵法師の弟子になりて供して西域に赴く程にしかじかの事により我が師の坊に勘当せられて止む事を得ず帰り来たれり、しかるに今この山は木を切り倒し草を払いてありし昔の景色もなくまた汝らもまれにしていで迎える者少なきは故にてあらめ如何にぞやと問えば天狗ら皆言う様、昔神尊捕らわれてこの山を去りたまいし後、我々なおもこの地を守りて逃れ帰りたまう日を相待ちて候ひしに近頃隣国より武勇の強者(つわもの)押し渡り来て石火矢なんどを放ちかけ鳥獣(とりけだもの)を狩り捕ること月に幾たびという事なければ我々ひとしく手を尽くしてしばらく防ぎたりけれども彼らは弓矢、石火矢の飛び道具を放ち掛け掛けつつ攻めける故に我が輩は多く討たれ残るも散り散りになりしかば今はこの地に留まる者かくは少なくなりにたりしかるに思いかけもなくも神尊帰らせたまいしかば百万の味方を得たるに異ならずこそ候なれ願うはなおいつまでもこの所に留まりて仇を報わせたまえかしと皆諸共にかき口説きて喜び涙に暮れにけり岩裂これをうち聞いてしからばかの太郎坊次郎坊山水なんど呼びなして頭だちたる者共はいかにかしたる心許なし今なおこの地に残り留まる者共をとく呼び寄せよと言うに皆々喜びて時を移さず触れ知らせれば太郎坊、次郎坊、山水を始めとして我遅れじと集まり来る者一千ばかりに及びけり、その時岩裂はつらつらとこれを見て昔我この国の主たりし時四万八千の眷属ありしに仇のために狩り尽くされてかばかりになりしこと恨むべし恨むべし天地(あめつち)開け始めし時より我が領内であるものを隣国の奴ばらが欲しいままに渡り来て味方を損なう▲のみならず木を枯らし山を荒らして楽しみとしつること最も非道と言いつべし、もし重ねて渡り来ば皆殺しにして恨みを返さん汝らは手分けをさだめ磯辺磯辺に遠見してしゃつらが寄せ来る事あらばとく知らせよとぞ言いつけける○かくてその次の日に遠見の木の葉天狗らは慌ただしく走り来つ、神尊かの隣国なる強者数多寄せ来たれりご用心候へかしと告げるに岩裂ちっとも騒がずただ一人立ち出て山のいただきによじ登り寄せ来る敵を待つ程に隣国の強者数十人、大将は皆馬にうち乗り列卒(せこ)かり人は弓矢を携え、石火矢を用意して方便山の麓まで早近づかんと急ぎけり、岩裂遙かにこれを見て手に巽風(そんふう)の印を結びて口に秘文を唱えつつ敵に向かいて吹き掛ける息はたちまち風となりて石を飛ばし木を倒し天地も供に振動してとこ闇となりしかば馬は驚き人は恐れてこはそも如何にとばかりに避け隠れんとする程しもあらず人馬ひとしく吹き倒されて石に打たれ木に押されて一人も残らず死に失せけり、これよりして隣国の者どもは恐れて渡り来ることもなく岩裂が帰り来つる由早遠近に隠れなければ、始め他国へ落ち失せたる夜叉天狗ら喜びて皆々集い来にければ部類眷属再び栄えて二三万にぞなりにけるかくて岩裂は敵の物の具打ち物を取り集めて眷属に分け与えまたこの山の主となりて数多の天狗に敬われ日毎に遊び戯れて世を楽しくぞ送りける▲さる程に浄蔵法師は八戒沙和尚らに助け引かれてまた幾千里の道を行く程に半年余りの月日を経てある日いとすさまじき山路にぞさしかかりけるその時浄蔵馬をひかえて八戒この山は何とやらん恐るべき木立多かり思うに妖怪変化もあるべし用心せよと心を告ぐるを八戒聞きあえず上人さのみ恐れたまうな山には木かやのあるべき筈なり、何事か候べきと言うを沙和尚押し止めて師兄(あにでし)さは言いたまうな、妖怪の有り無しは只今ここに定むべからずただ用心にますことなしと言いつつもなお登る程に浄蔵再び馬を止めて八戒我は飢え疲れて物欲しくなりにたり何処へなりとも赴きて斎を求めて来よかしと言うに八戒否みも得ならず承りぬといらえつつやがて熊手を引き下げて別れて人里を尋ねるにここより四方はし○たる森林のみにしてたえて人里あることなければ八戒ようやくうみつかれて心の内に思う様、先に迦毘羅坊がありし日はかかる事には彼の者のみ走り巡りてよりしに迦毘羅坊がおらずなりしよりかのしし食った報いにて我が身の難儀になりにけり、世のことわざは故あるかなむす子かぶなりや白根も道理米は安いか高いやら子をもって知る親の恩と言うことあるは我が上なり、無き人里を尋ねんよりしばしここらに足を休めて時を延ばす鵜にますことなしと独りごちつつ草うち敷きてそのままそこに肘枕臥すより早く高いびき前後も知らずうまいけり○かくとは知らず浄蔵法師は八戒が帰り来るを今か今かと待つ程に一時余りに及びしかばいといたう待ちわびて沙和尚と噂をしつつその遅かるをいぶかれば沙和尚は眉をひそめて彼はその性惰弱なれば火急の事にも怠りて道草食うておるにやあらん、それがしそこらへ立ち戻りて尋ねべうもや候わんと言うに浄蔵うなずきてしからばそなた訪ねて来よ、斎ありとても無きとてもそれらの事には構わずにとくとく彼を伴い来よと言うに沙和尚心得て元来し方へぞ赴きける○さればまた浄蔵法師は二人の弟子の帰り来るを更にまた待つほどに日陰ようやく傾きければさすがに心苛立ちて立て見いて見思いかねて馬と荷物は元の如く木陰につなぎしままにして一人自ら立ちいでけるに方角を取り過ちて西の方に赴く程に古たる石の門ありて内に五重の塔見えけりその時浄蔵思う様、此の所は名のある寺のたいはせしにぞあらんずらん、まず早塔を拝まんとてかの石門より進み入りて塔のほとりに赴く程にと見れば破れたる御簾を掛け渡せし青石のすず御台の上にいと恐るべき妖怪の昼寝してありしかば浄蔵いたくおののき慌てて走り退く足音にくだんの妖怪目をさまして、誰かある塔のほとりなる曲者をとくとく捕らえよと呼ばはるにぞアッと答える手下の妖怪つむじの如く追いかけて浄蔵法師をかい掴み高手に小手を縛り上げて臺(だい)の元にぞ引き据えける、その時魔王は浄蔵をつくづくと見て多きに喜び思うに此の法師はよき国の者なるべしかかる者を食らわんこと多く得難き幸いなり、やおれ坊主め汝は何処より何処へ赴く旅僧なるぞ由を告げよと言うに浄蔵おののきおののき、それがしは日本国なる帝の勅を受け奉り天竺象頭山へ参詣して金毘羅天王を迎え奉らんと欲する者に候と言うに魔王はうなずきて実に日本の者ならば上国の人物なり味わい最も妙なるべしと言いつつ剣を抜き持ちて早ほふらんとしたりしがたちまちに手を止めてまた浄蔵にうち向かい▲汝は今遙々と日本国より象頭山へ赴くと言うが真ならば供人などもあるべきに身一つここへ来つる事心得難し如何にぞやと問えば浄蔵さん候それがしが同行には羽悟了八戒、鵜悟定沙僧という二人の弟子ありこの余じゅう馬一匹と旅行李も候が斯様斯様のことによりそれがし一人ここに来たれり請い願わくば御慈悲もて許して返したまえかしと言うに魔王は喜びて既に二人の同行あり馬さえあらば皆諸共に料理して賞翫すべしまずこの者をば庫裡(くり)やの方なる柱に厳しく繋ぎ置きて早く門戸をたてよかし、かの八戒と沙和尚が訪ね来て門を叩く時引き捕らえて一つにせん、者共よくせよ心得たるかと言うに手下の妖怪らは承りぬと答えつつ浄蔵法師を引きたてて奥の方にぞ赴きける○かかりし程に沙和尚は八戒を尋ね巡るに草むらの内にして人のいびきの声してければいぶかりながらかき分け見るにこれすなわち八戒が前後も知らず臥したるなり、沙和尚驚きかつ呆れて揺り起こしつつ呼び覚ませば八戒ようやく眼を開きて沙和尚を見て身を起こし、和主は何故ここへ来つると問わせも果てず沙和尚は腹立たしさに声を苛立て、阿呆も限りのあるものなるに求めにいでし斎を忘れて昼寝しておることやはある上人の呼ばせたまうにとくとく帰りたまえかしと言われて八戒目をこすりゆるりと寝る間もないものをモウ待ちかねてかせわしないそんなら行こうと熊手を引き下げうち連れ立ちてまた元の山路へ走り帰りける、かくて沙和尚は八戒を伴うて元の所に立ち返るに馬と旅荷物はありながら浄蔵法師は何処へ行きけんたえて影だも見えざればこは如何にといぶかりつつ八戒とまたうち連れだってふもとの方へ赴く程に道の方辺に石門ありて五重の塔の見えしかば沙和尚遙かにうち仰ぎて師兄あれを見たまえかしあそこに見えるは寺なるべし▲我が師の坊は道々にて寺あれば仏を拝み塔あれば塔を拝みて掃除して過ぎりたまうを身の務めにしたまえば我々を待ちわびて漫ろ歩きをしたまうままにここに塔ある由を知りて詣でたまいしものならん、早く彼処へ赴かば相奉らんこと疑いなしと言うに八戒うなずきて足の運びを急がせつつ門のほとりに走り着きて小石を取りて戸を打ち叩きここ開けてたべ開けてたべと両人等しく呼びはりけり、その時門を守る化け物ら戸の隙間より覗き見て走りて奥の方に赴きかの妖怪に告ぐる様、大王只今門前に鼻いと高き大入道と面は緑青の如く青くて▲くちばしの尖りたる旅僧の連れ立ち来て門を開けよと呼びはり候如何計らい候わんと問うを妖怪聞きあえず、そはかの羽悟了八戒とまたかの鵜悟定沙和尚ならん我が謀りしに違わずして自ら来つるは幸いなり、皆引き捕らえて浄蔵もろとも今宵寝酒の肴にせん、いでいでと言いかけて剣をひ下げていそがわしく門を開きて現れいでやおれ八戒、沙和尚とは汝が事ならずや我を誰と思うらん、この碗子山(わんしさん)波月洞(はげつどう)の主たる黄袍老怪(おうほうろうかい)とは我が事なり、すなわち我が名号を大和言葉に訳して言わば黄袍(ききぬ)の老怪(へんげ)と言われんのみ、浄蔵は既に早絡め捕って奥にあり、今汝らをも生け捕って供に料理て賞翫せん、覚悟をせよと罵ったり、八戒、沙和尚驚きながら仰ぎて石門の額を見るに実に碗子山波月洞と印たり○はこの石門はこれ妖怪の住処なり、さもあらばあれ討ち滅ぼして我が師を救わでやむべきやとて八戒は熊手をうち振り、沙和尚は仕込み杖をきらりと抜きて両人等しく面も振らずうってかかるを黄袍(ききぬ)の変化は物ともせず剣を持って受け止め二人を相手に切っ先より火花を散らして戦うたり、されば八戒沙和尚らはさせる武勇の者ならねば黄袍が相手に足らざれども三十番神五番の善神片身代わりに浄蔵法師を守りてかげ身に添いたまえばこの時もまた浄蔵を守護してここを離れたまわずこの故にくだんの神たち今八戒と沙和尚を守りて戦いを助けたまえば勝たずと言えどもちっともひるまず右左より差し挟みて時移るまで戦いけり○これはさて置き浄蔵法師は柱の元に繋がれてかかるべしとは知らねどもとしよの羊の死を待つのみ沙和尚は如何にしけん八戒はまだ帰らずや今我がここに捕らわれて命危うき事の由を神ならずして誰かは告げん、とく来て我を救えかしと胸に思えば湧きかえる涙の他に物もなし生死流転の理を悟りたる名僧もまた御法(みのり)のために本意遂げ難きをうち嘆く心の内は哀れなれかかるところにいと麗しき三十路ばかりなる一人のおなごの奥の方より立ちいでて浄蔵法師をと見かう見つつ聖さのみな嘆きたまいそ戒めの縄の厳しくて痛みはせずや如何にぞやと問われて浄蔵ひざまづき妖夫人とてもかくてもそれがしを食わんとならば只一思いにとくとく殺したまえかし覚悟極めて候なりと言うにおなごは顔うち赤らめて否、わらわは妖怪ならずいかでか聖を切害して食らわんとする者ならんやそもそも聖は何処の人ぞと再び問われて浄蔵法師は顔つくづくとうちまもりそれがしは日本国なる帝の勅を受け奉り天竺象頭山へ参詣して金毘羅天王を迎え奉らんと欲する者なり、同行の弟子二人あり斯様斯様の事によりてそれがし一人ここへ来つかく捕らわれて候ひし大慈大悲の方便もて救わせ賜えば再生の御恩を忘れ候わじと言うにおなごは哀れみてさては只今門前へ来て我がせと挑み戦う者は聖の弟子たちならんのみわらわ思う由あればともかくもこしらえて御身を救い参らすべしいと恥ずかしき事ながらわらわが故郷は遠からずここより三百里西のかた宝象国(ほうぞうこく)なる国王の第三番目の娘にて▲沈魚公主(ちんぎょひめ)と呼ばれし者なり、我が父王にはおの子なくてめの子のみ三人あり、今より十三か年先の秋の頃わらわは姉上たち諸共に高殿にうち登りてその夜の月を眺めつつ琴をかき鳴らしてはべりしに更けゆく空のかき曇りていと生臭き一陣の風さっと起こし来て灯火を皆うち消しぬ、こはそも如何にとばかりに人々驚き惑う程に一人の妖怪忽然と雲に乗りつつ走り来て矢庭にわらわをかきさらいて此の所へ連れ来たれりいと恐ろしくも悲しくてながらうべくもあらぬ身のさりとて此のまま虚しくならば誰かまた古里へ事しかじかと告げ知らせて身のなる果てをかぞいろは申す者のあるべきや折をうかがいて此のところを逃れいずる縁(よすが)もがなと思いかえしつおめおめとかの妖怪に添い臥しせしにあさましくも身ごもりて二人の子さえもうけたりさりとて親を思うこと一日片時も胸に絶えねど助ける人のなきにより古里のかた懐かしみ絶えぬ嘆きにあくがれて十年余りを過ごしたり、しかるに聖は天竺なる象頭山へ詣でたまえば宝象国を過ぎりたまわん、願うはわらわが手紙を父王へ届けたまいてわらわがここにある由をしかじかと告げ知らせ早く討つ手の兵を使わしてわらわを救いたまわんことを言付けてたまえかしと密かに頼む言の葉に真心見えて哀れなり、浄蔵つらつらうち聞いてさては御身は宝象国の姫上にてましませしか、御頼みの趣は心得て候なり、とく手紙を書きたまえと言うに沈魚姫喜びてまず浄蔵の戒められたる縄解き捨てて方辺に忍ばせり用紙硯を取りいだして一通の文さらさらと書き終わり固く封じてもていでて浄蔵に渡せば浄蔵受け取りてそれがしここを逃れいでなば姫上の難儀とならんこの義はいかがと囁けば沈魚姫うなずきてしか思わるるは理なり御身はしばしそこにおわせよ、わらわ今斯様斯様御事に告げて御身を救わんさはとてやがていそがわしく一人の小化け物を呼び寄せてわらわ今にわかにわがせにあいまいらせて申すべき事いで来にたり汝は早く我つまにこれらの由を告げ申してとく誘い参らせよ、とくとくせよと急がせば小化け物は心を得て承りぬと答えもあえず門のほとり馳せいでて木霊に響く声を振り立て大王に申し上げ候わん奥様火急の要事あり、只今対面せまほしけれと仰せられ候なり、しばし戦いを止めさせたまいて此方へ入らせたまえかしと繰り返しつつ呼ば張りけり、この時黄袍の変化は八戒沙和尚としのぎを削る戦いたけなわなりけるが今小化け物がしかじかと告げるを聞いて刃をとどめ八戒沙和尚しばらく待て、我妻火急の要ありと告げ越したるを聞きつらんよりてしばらく退きて事を弁じて勝負を決せん、しばし休めと言いも終わらず門内へ早走り入れば小化け物らは心得て門戸を早く閉ざしけり▲されば八戒沙和尚らは戦い疲れし折なればこれを勿怪の幸いにして門のほとりに佇みつつ喘ぎ喘ぎぞ待ちたりけるかくて黄袍老怪はいそがわしく奥に至りて我が妻なにらの所要ありてかくはにわかに呼ばれしやらんと問えば姫上にこやかに微笑みながらいで迎えて、我が妻不思議の事こそはべれ、わらわは年頃宿願あり一人の法師を供せんと御仏に誓いはべりにき、そは子供のため古里なる父母の世につつがなくながらえたまえとはかなくも願うがためではべれども御身に添って十三年一人の僧にも会うことなし、かくて今思わずもうたた寝をせし夢の内に金色の御仏の枕上に立ちたまいて汝が願い時至れりとく宿願を果たさせかしと宣う御声に驚き覚めたり事の不思議に起きいでて見れば庫裡やの此方の柱に一人の法師の戒められて只さめざめと泣きており事の様子を尋ねしに彼は日本の者なるがしかじかのことにより思わずここに迷い来てかく捕らわれてはべりと言えり今見し夢に符合していと尊くも痛ましければその戒めを解き許して方辺に忍ばせ置きたりき、されども御身に告げずして放ちやるべきものならねばにわかに招き参らせて命乞いをしはべるかし、願うは哀れ彼の聖を放ちやらせたまえかしと言葉賢しくこしらゆれば黄袍は聞いて頭を傾けくだんの法師は上国の人物なればその味わいのよろしかるべき者なるを放ちやらんは惜しけれども御身の願いもだし難し、とくとくいだしやりたまえと答えてやがていそがわしく門を開かせて現れいで八戒、沙和尚確かに聞け、我汝等を露ばかりも恐れたるにあらねども我が妻の願いに任して浄蔵法師を返すなり、とく受け取りて伴い行きねと高やかに呼びはりけり、しばらくして浄蔵法師は走りて内よりいでにければ八戒、沙和尚喜びて事問う暇もあらばこそ慌てふためき誘いて元の所へ赴きつつ浄蔵を馬に乗せて旅荷物をかき担い師弟三人辛くして虎のあぎとを逃れてぞ西を望みて走りける○さる程に浄蔵法師はその道すがら八戒らに沈魚公主に救われたる事の趣を物語れば八戒、沙和尚も黄袍の変化と戦うたる事の由をぞ告げにける○さる程に浄蔵法師は幾日もあらで宝象国の城下まで来にければすなわち八戒と沙和尚をそがまま旅宿に残し置きて一人城中に進み入り日本国より象頭山へ参詣の法師の由を司人らに告げにけり、かくて国王は事の由を伝え聞いて浄蔵法師を召し近づけ、すなわち正殿(せいでん)において対面す、時に文武の官人袖を連ねて斉々(せいせい)としていながれたり、かくて浄蔵法師は国王に見参してえんきの帝よりたまわりたる万国通行の勘合の勅書を取りいだし、開きて宝象国王に見せ参らせれば国王すなわち列国の王の印あるそのつぎへしかじかと書きのせさせて御印を押していだされけり、浄蔵これを受け頂きてさらにまた申す様、それがし当国へ立ち寄りたまいしは通行の御印を賜らんため、また一つには御縁の方様より参らせたまい玉梓(たまずさ)を届け奉らんためにこそと言うに国王眉をひそめて、そは思いかけざりき縁の人とは誰が事ぞやと問われて浄蔵さん候、殿下の姫上沈魚公主は碗子山波月洞なる妖怪に捕らわれて今なお彼処におわしますなり、それがし不思議に見参して初めて事の由を知れりここをもて彼の姫上に頼まれ奉る由ありて御手紙をもたらしたりと言うに国王驚きて真にしかる事こそあれ彼は▲失せてより十三年絶えてその訪れなければ初め両三年のその間は国中に下知を伝えてひたすら訪ね求めしにあに図らんや妖怪に捕らえられて三百里あなたなる碗子山にあらんとはまずその文を読むべしと涙さしぐみ宣えば一人の官人承りて浄蔵法師の携えたる手紙を受け取りて声朗らかに読むを聞くに彼の妖怪にかいさらわれて心ならずも妻にせられて二人の子さえもうけし由をいともつぶさに書き連ねれてか妖怪に身を汚されて憂き年月を送りはべるも今一度二親にまみえ奉らん事を願う故のみ、いと恥ずかしき事ながら告げ参らせず虚しくならば只これわらわが不義悪戯にて走りにけりとおぼされん、さらば黄泉路のさわりにはべり哀れ武勇の大将を選びて討つ手を向けさせたまい早く妖怪を退治して我が身を救わせたまえかしといとも哀れに書かれたる手跡に相違なかりけりされば妃を始めとして二柱の姉君たち三宮の官女らまで屏風の後ろに立ち集いて聞くものなかぬはなかりけり、そが中に国王はようやく涙を止めて浄蔵法師を招き近づけ図らず聖の手引きによりて沈魚が行方の知れたる事を喜び例えんに物もなし、そもそも聖の供人は幾人か旅宿にある身一つにして日本より数多の魔所をつつがなくうち越えんこと難からずやと問われて浄蔵さん候それがしは勇力なし但し八戒、沙和尚という同行の弟子あり全て彼らが助けによりて数多の魔所をうち超えつつここまで参り候と申すを国王うち聞きてその同行の弟子あらばなどてや早く見参に入れざりけるぞといぶかり問われて浄蔵再び申す様、かの両人は面魂の恐ろし気なる者なれば殿下の恐れたまわんかとて旅宿へ残し置き候と言うを国王聞きあえず面は人並みならずとも聖の同行たらんには何でうはばかる事のあるべきその者呼べと急がしたまえば官人ばら旨を伝えて時を移さずかの両人を殿上へ召し寄せたりその時国王は八戒、沙和尚が恐ろし気なる面魂に驚き恐れてわななきわななきおわせしを浄蔵さこそと膝を進めてこの者共はかくの如く形見苦しく候えども元より降魔(ごうま)の法術あり、さのみな恐れたまいそと諭せば国王ようやく悟りて浄蔵法師と二人の弟子にすなわち御盃(ぎょはい)を賜りけり、されども浄蔵は酒を飲まず八戒と沙和尚のみ▲三度続けて杯を干し傾けてぞ退きける、その時国王は並みいる臣下を見渡して誰か数多の軍兵を従えて碗子山へ馳せ向かいかの妖怪をうち平らげて沈魚姫を救い取るべき如何に如何にと押し返しつつ再び三度問いたまえども各々顔を見合わせて我承らんと言う者なし、その時大臣進みいでて国王に申す様、およそここに候者共は皆これ凡夫の事なれば変化不思議の妖怪を退治せん事叶うべからず幸いなるかな日本国より通行(とおりがかり)の聖こそ降魔有験(うけん)の行者と聞こゆこの聖を頼ませたまいてかの妖怪を退治せしめばその功踵(きびす)を巡らすべからずこの義はいかがと奏すれば国王しきりにうなずいてまた浄蔵法師を招き近づけ只今大臣らが申せし由を大方は聞かれしならん願うは聖我が為に碗子山にうち向かいてかの妖怪を滅ぼしたまえこの義を頼むと他事もなき言葉に浄蔵こうじ果ててしばらくして申す様、仰せ承りて候えどもそれがしは経を読み仏を念じ奉るのみ妖怪をうち滅ぼし悪魔を退治せん事はいささかも成し難し、但し同行の弟子にて候羽八戒はさる業に心を得たる者なれば仰せにしたがい候べしと恐る恐る申すにぞ国王はまた八戒をほとり近く呼び寄せて如何に聖は碗子山なる妖怪を退治せんやと問われて八戒ちっとも疑義せずさん候頼ませたまわばかの妖怪を退治すべしそれがし形はかくの如く人並みならず候えどもそのかみ天上に在りし日は若とびの尊なり犯せる罪のあるにより日の神のちょくかんをこうむりてかくは下界にさそらえり、さるにより変化三十六番の妙術あり、此の術をもて妖怪を滅ぼさんこと手の暇入らず御心安く思し召されよと誇り顔に答え申せば国王斜めならず喜びてしからば聖の法術をいささか見まくほしけれと言われて八戒うち微笑みとてものことに御好みの術を施し候わんと申せば国王うなずきてさらば形をいと大きくして見せたまえとくとくと急がしたまえば八戒は身を起こし庭にいでて口に呪文を唱えれば怪しむべし八戒が形たちまち大きくなりて身の丈およそ十丈あまり日本奈良の大仏もこれには過ぎじと見えければ宝象国の君臣かつ驚きかつ恐れて再び仰ぎ見る者なしその時国王声をかけて法術真に奇妙なり、とくとく術を治めよかしと言うに八戒心得て再び呪文を唱えれば元の姿になりにけり、かくてまた国王は八戒を招き寄せて聖今碗子山へ押し寄せるに軍兵いかばかりを従えたまえるまた打ち物は如何なるを用いんと欲するやと問うを八戒聞きあえずそれがし彼処へうち向かうとも軍兵は一人もつるるに及ばずまた打ち物は年頃手慣れしこの熊手の候えば▲別に求める事もなし早まからんと身を起こすを国王しばしと呼び止めてまた杯を賜りければ八戒は続けざますこんを重ねて立ち上がり再び庭へ走りいずれば足の元より雲起こりて早八戒を空中へうち上すると見るままに東を指してぞ飛び去りけるその時沙和尚は浄蔵にうち向かいてかの黄袍老怪は勇力早業世の常ならねば恐らく八戒が相手に過ぎたりそれがし後より追いつきて力を合わせ候ばやと言うに浄蔵喜びてしからば和主とく行きて八戒を助けよかしと許す言葉に沙和尚も同じく雲にうち乗りて碗子山を指して急ぎけり国王はこれらの有様にあきるること半時ばかり浄蔵法師を我が方辺に引きつけて茶を賜り聖もまた雲に乗りて漫ろに飛び去りたまうなと言われて浄蔵うちほほえみそれがしは如何にして飛行の術の候べき、地上を歩き候すら道べたにこそ候と申すに国王ようやくおちいてなお殿上に止めつつ様々にもてなして八戒と沙和尚が吉相遅しと待ちたりける○さる程に沙和尚は道にて八戒に追い付きて事の心を告げにければ八戒斜めならず喜びてうち連れ立ちて碗子山なる波月洞に押し寄せつつ思いのままに罵りて既に門戸をうち破れば小化け物ら驚き騒ぎてやがて黄袍に注進す黄袍の変化はこれを聞いてそは心得ぬ事にこそ、その八戒と沙和尚は浄蔵法師を受け取りて此の所を立ち去りたるに今また何の恨みありて両人押し寄せ来つるやらんよしさもあらばあれ何ほどの事を成すべきイデ物見せんと剣を引き下げ門押し開きて現れいで八戒、沙和尚汝等は我が情けを仇もて返すか今何故に狼藉するぞと言わせもあえず八戒は先に進みて声を振り立てやおれ黄袍の化け損ないめが汝は宝象国の姫上を奪い取り子さえ産ませて十三年影を隠せし無惨の曲者事ようやくに表れたればかの国王に頼まれて只今汝を討ち滅ぼし姫上を救い取る覚悟をせよと罵って熊手を打ち振り討たんと進めば黄袍の変化大きに怒りて剣を抜いて戦うたり既にして八戒はただむきようやく衰えて叶うべくもあらざれば沙和尚頼む折や大便がしたうなった引き外し足に任せて逃げ走れば沙和尚やがて立ち代わり仕込み杖を引き抜きてしばらく黄袍と戦いしが遂に仕込み杖を打ち落とされて生け捕られつつおめおめと波月洞へぞ引かれける○かくて黄袍の変化は生け捕りたりける沙和尚をうつ梁(ばり)へ吊し置きて心の内へ思う様我が沈魚姫を奪いし事は十三か年宝象国なる人々の知らざりしに今八戒と沙和尚を語らうて取り返さんと謀りし事は故あるべし思うにこは沈魚姫が密かに文を浄蔵法師に頼みて父王に送りしならん子さえなしたる夫婦の恩義を忘れて我を害せんと謀りし女のいと憎けれいでや彼奴を殺さんと思案をしつつさりげなくいでいの方に赴けば沈魚姫はにこやかに我が瀬よ先に表の方のにわかに騒がしかりつるは何事のはべりしぞと問わせもあえず老怪は▲歯を食いしばりにらまえて腐り女がこの期に及びてなお欺かんと欲するか汝は先に浄蔵に頼みて古里へ文を遣わし我を滅ぼさんと謀りしならずやさるにより八戒と沙和尚が押し寄せ来つるを我たちまちに討ち散らして沙和尚を生け捕りたり、夫に仇する人非人覚悟をせよと罵りながら胸逆(むなさか)取って押し据えつつ剣を抜いて刺さんとすしかれども沈魚姫はその性賢しき夫人なればちっとも騒がず声をかけて我が妻それは無実の咎なりよく思うても見たまへかし十三年の恩愛を忘れて御身を滅ぼさんと謀りしという証拠やはべるもし疑わしく思いたまわば彼の沙和尚に問いきわめて事の虚実を知りたまえもし沙和尚がしかじかと言えばわらわは感心して御身の刃を受けはべらんまた沙和尚しかじかと言わずばすなわち無実の罪なり、必ず後悔したまうなと言われて黄袍は実にもと悟りて沈魚姫を引き起こししからば来よと襟髪つかみて沙和尚を戒め置きたる一間へそがまま引きずり行きて沙和尚にうち向かい、やおれづくにゆう汝等が宝象国に頼まれて我を討たんとせしは此の女めが父王に文を寄せたる故なるべし、包まず告げよ如何にぞやとくとく言えと責めたりけるその時沙和尚思う様、事の元をありのままに言わば姫上は殺されるべし、此の姫上の情けによりて我が師の坊を助けられしに今我が言葉一つにて姫上を損なわば是恩をもて仇をするなり要こそあれと思案をしつつたちまち声を励まして黄袍の変化粗忽を言うなその姫上の如何にして我が師の坊を語らうて文を父王へ参らせんや我々宝象国へ至りし時国王四方(よも)やもの物語のついでに身の悪行を悔い嘆きて一人の息女の行方知れざる事の由を告げたまいしかば我々すなわち汝が妻は彼の姫上にあらずやと思いあわする由あれば事しかじかと聞こえ上げしに国王深く喜びたまいて、そは我が娘にあらんずらんその妖怪を退治して姫を救うてたまわれと頼ませたまうにもだし難く我と八戒と事請けして再びここへ来たれるなり殺さば早く我を殺せその姫を疑うて過ちするなと呼び張ったり、黄袍は聞きて慌ただしく姫をいたわり塵打ち払うて我が妻さこそ恨みけめ粗忽を許したまえかしと詫びれば姫は喜びてさては疑い溶けたまいしかさるにても沙和尚はいと潔き出家なりかかる聖を殺しなば世の優れ者に笑われるべし願うは許したまえかしと言うに黄袍はうなずきて沙和尚を引き下ろしつ戒めの縄を解き捨ててこの坊主めは此のまま沈魚御身に預けるなりもし密かに放ちやらば我また御身を疑うべしと言うに姫上一義に及ばずそは心得てはべるなりと答えて沙和尚に物を食わせなどしたる情けを感じる沙和尚は人のためは我がためなりきと心に悟りてこの日よりしばらくここに留まりけり○かくて黄袍の変化はまた沈魚姫にうち向かいて御身が父王は我が舅なるに未だ一度も対面せず今より彼処へ赴きて見参に入るべきなりと言えば沈魚はうち笑いて御身の顔ばせ人並みならでいと恐ろしく見えたまえば父王必ず驚き恐れて不思議の事もやいで来なんと言うを黄袍は聞きあえず▲しからば我が姿を変じて恐ろしからぬ人とならん是見たまえとたちまちに美男の姿になりしかば沈魚姫うち笑みてかくては父王恐れたまわじとくとく行かせたまえかしと言うに黄袍は雲を起こして宝象国へぞ飛び行きける○されば黄袍は時を移さずかの王城に赴きてそれがし事は沈魚姫に連れ添い奉る大王殿下の御婿にて波月洞の黄太郎と呼ばれる者なり、此の由奏したまわれと言うに人皆疑うてやがて国王に告げ申せば国王いたく驚き騒ぎて沈魚が婿と称すればかの妖怪にあらんずらんとしてよけんかくやせんと評議まちまちなりける程に早くも黄袍は昇殿して国王に見参すその時国王は初めてその人を見たまうにいと麗しき秀才なればたちまちに心迷いてほとり近く召し近づけ汝は沈魚姫の婿なる由何時の程に何人の仲立ちによりて娶りたる事の元をとく申せと仰せに黄袍はちっとも疑義せず御疑いは理なり、それがしは此の年頃獣を狩りて世を渡り候程に十三か年先の秋の頃一つの大虎一人の乙女を引きくわえて走りて山へ入らんとせしをそれがし追っかけい倒してくだんの乙女を救い取りぬされども虎も死ざりければ檻に入れて飼い置きつかくて乙女の古里とその親の名を尋ねしに親もなく家もあらずと言うのみにして定かに告げねば大王の御娘なるべしとは思いもかけず遂に夫婦になりて候ここに至りてつらつら思えばくだんの虎は我がために良き妻を仲立ちしたる恩義あるものに似たり放ちやらんと思案をしつつ遂にそがまま放ちたりかくて夫婦睦まじく子供二人をもうけつつ数多の歳を古里の懐かしきにたえずやありけん姫上は近き頃初めて素性を明かしたまえばそれがしいたく驚き恐れて由を訴え申さんためにかく推参を仕りぬしかるにかの大虎は年月をふるままに形を変ずる術を得たり、ここをもてそれがしを恨みて仇を返さん為に年古る狐狢(きつねむじな)を従えてその身は日本の旅僧浄蔵法師となりすましまた狐と狢にはその弟子八戒、沙和尚と言う者に化けさせて大王を欺き奉りかえってそれがしを妖怪なりと申しなして姫上を奪い取り▲かつそれがしを害せんと深くも巧みし者に候それがしかつて山中にて異人に逢うて妖怪を察しあらわす術を得たりこの故に浄蔵師弟を変化なりと定かに知れり此の義も聞こえ上げんためににわかに参内仕りぬとまことしやかに述べしかば国王並びに百官ら凡眼俗骨(ぼんがんぞっこく)の事にしあれば玉と石とを弁ずるに及ばずこれを真と受け入れてさてもさてもとばかりに只大息をつくばかりなりその時黄袍はまた言う様、かくのみ申して証なくばなお疑わせたまうなるべしいでや変化の招待を現してご覧に入れんと言いつつやがて器物に一柄杓の水を取り寄せて王のほとりにはべりたる浄蔵法師にうち向かいて呪文を唱えてくだんの水を面へふっと吹きかけければ怪しむべし浄蔵法師はたちまち虎に変じけり国王百官これを見てまた驚く事大方ならずしゅく衛の兵らは鉾もて突かんとする者あり弓に矢礫射るもありされども予て守護神の浄蔵法師を守りたまえばその矢も鉾も通らずしてちっともつつがなかりけりとは知らずして国王は武士に仰せて浄蔵法師を檻の内に繋ぎ置かせすなわち別殿において婿君をもてなすべしと下知あって二三十人の官女を給仕に定めその夜もすがら酒宴を設けて厚くもてなしたまいけり○さる程に黄袍の変化は数多の官女に給仕をせられていたく酒に酔いしかば我を忘れてたちまちに元の形を現しつつ一声くわっと叫びもあえず酌に立ちたる一人の官女をやにわにむづと引き捕らえて腕引き抜いてうち食らうこの体たらくに女房たちは等しくあっと叫びもあえず将棋倒しに伏し転びて生死も知らずなりにけり○ここにまた浄蔵法師の乗り慣れたるかの白馬は日本近江の湖水なる龍王の弟なる小龍王金鱗が観音の方便に従いて馬に変ぜし者なればこの時馬屋にありと言えどもこれらの由を既に察して心の内に思う様、岩裂の主追いやらわれて我が師の助け無くなりたるに今また八戒、沙和尚すら如何になりけん帰り来ずさりとて我が師の厄難を救わでよそに見られんやと志を励まして一人の官女に変じつつ黄袍がほとりに赴きて婿君寂しくおわすべし、御酌をはべらんかと言うに黄袍は喜びて、そは一段の事にこそ夜はしめやかにて興もなし汝は舞いを舞うやと問う金鱗答えてさればとよ舞いも少しは舞いはべれどかざしにせん物はべらずかしと言うに黄袍は身に帯びたる剣を取りて差し出してこれもて舞いねと急がせば金鱗いささか頼りを得てくだんの剣を抜き持ちてしばし立ち舞う様にしつ油断をうかがい飛びかかりてたちまち丁と斬り付ければ黄袍は早く身を避けて方辺にありし燭台もて受け止めつつ広庭へ躍りいずれば金鱗の龍馬も続きて追っかけいでて互いに雲を起こしつつ空中に立ち向かいて時移るまで戦いけり○さる程に小龍王金鱗剣を黄袍に取り返されて既に浅手を負いしかば隙をうかがい引き外してようやくに身を逃れ王城の堀の底に深く隠れて息をつきその明け方にすごすごと元の馬屋に立ち帰りて▲始めの如く馬になりて八戒なりとも沙和尚なりとも帰れば事の由を告げんと思いつつ夜を明かしけり。
作者曰く、これより末、黄袍老怪を退治の段までは物語なお長かり、そは第七編に著すべしおよそこの黄袍怪の物語は西遊記中にて一二を争う妙趣向なれども紙中狭き画の内に描き収まる技なれば文をもて余せいをほのめかすに由なし、わずかにその筋を違えず事を漏らさずして書き取りたるのみ、全て本文あるものはその本文にからまれて新たに作りいだすものよりなかなかに安からぬ所あり、作者の自由を得ざる故なり、看官(みるひと)これを察したまいね、目出度し目出度し■
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