傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

傾城水滸伝をめぐる冒険とは

2017-03-04 12:43:52 | 解説・楽しみ方
冒険とは大げさな。
そもそも「羊をめぐる冒険」のパクリじゃん。
とのご指摘は、後者については反論いたしませんが(^^)
私にとって「傾城水滸伝」は、今、冒険の舞台なのです。
少し長くなりますがお付き合いください。

そもそも「傾城水滸伝」とは

(引用 Wikipedia 2012.3.29)
「傾城水滸伝」(けいせいすいこでん)は、曲亭馬琴作、歌川豊国・国安・貞秀画。の合巻本。
13編。文政8年(1825年)~天保6(1835年)年刊行。
当時大変人気を博したため版木が磨耗してしまい、二度彫り直して3版まで出版されたという。
中国文学の『水滸伝』の翻案。『水滸伝』の英雄豪傑を日本の賢妻烈婦にかえたもの。
また、登場人物全員の性別がほぼ逆転しており、三人の女性好漢等も男性に変えられている(ただし、登場する108星のうち名前が設定されているのは106星のみで、関勝・董平にあたる人物が登場しない)。
傾城とは国を揺るがすほどの絶世の美女のことであり、本来は褒め言葉だが、本作品では宿敵、亀菊の蔑称として使われている。
後鳥羽院の時代、後鳥羽院から寵愛をうけた白拍子亀菊の専横に世をはばまれた烈婦たちが、執権北条義時のために討たれた鎌倉の源頼家の息女三世姫を擁立し、近江賤ヶ岳江鎮泊にたてこもって亀菊および義時とたたかうという内容。
曲亭馬琴が本作品の完成を見ずに死去したため、笠亭仙果が「女水滸伝」と題をあらため、13編下帙より15編までをもって完成させた。
1984年に河出書房新社から初版挿絵つきの「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」として2巻まで出版されたが、現在は入手困難。

上記のように、発刊当時、大人気で贋作も出たような状態だったにも関わらず、同じ馬琴の「南総里見八犬伝」が現代訳され、出版だけでなく、人形劇としてテレビ番組にもなったのに比べ、この「傾城水滸伝」ほぼ世の中から埋もれてしまいました。

どのくらい埋もれているかっていうと

基本的に書店では買えません。
100年前に発行された馬琴全集が1990年くらいに再販されてますが、国会図書館を含めて全国のいくつかの図書館でようやく借りることができるくらいレア。
その馬琴全集も1910年に発行されたものなので現代訳されてなく、一般の方が楽しく読めるのは河出書房新社「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」のみなのですが、残念ながら二編まで。
ということで、現在、「傾城水滸伝」は、ほぼ埋もれております。

といいつつも原書は美術品として近年価値が急上昇。
全巻を神保町の大屋書房などで買うとすると、ウン十万円から百ウン十万円します。
復刻版は出版されていないので万事休す。

そんな中でも、便利なIT時代。
早稲田大学と立命館大学でそれぞれデジタルアーカイブにしてくれています。
まずは、ご覧になってみてください。

早稲田大学アーカイブ

立命館大学アーカイブ ※「傾城水滸伝」で検索


歌川豊国、国安の浮世絵に目を奪われると思います。
でも、読むためには「変体がな」を学ばなければなりません。
*変体がなは、この記事の文末にある画像の右端(原書)のような文字です。

見る事は易し、されど読むことは難しです。

あなたは、変体がなを読めますか?
もしくは、変体がなを学びますか?

NOであれば次に進みましょう。

現代の文字で、全13巻を出版されたのは、以下の2つのみ。

・校訂傾城水滸伝 曲亭馬琴/作:博文館編輯局/校訂 博文館 1900年
・滝沢馬琴集 第13巻 滝沢馬琴/著:本邦書籍 1990年

博文館版は、1900年の発刊なので、読むことができるのは国立国会図書館のデジタル版のみの筈。
本邦書籍版は、絶版で首都圏でも2・3ヶ所の図書館にしかありません。
さらに、現代語訳ではないので古語と戦わなければなりません。

古語が分らなくてもなんとなくは読めますが楽しく読むには程遠いでしょう。

あなたは、我慢して読みますか?
もしくは、古語を学びますか?

NOであれば、またまた次です。

現代語訳も実はあります。
「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」(校訂:林美一/河出書房新社/1984年)。
比較的多くの図書館にある可能性があります。
だったら解決じゃん・・・・・・・・というわけにいかないのです。
13巻のうち2巻までしか出版されていません。
林さんは、全巻出版に意欲を持っていらっしゃったようですが、残念ながら既に、お亡くなりになっています。

もし、傾城水滸伝を読みたければ、ここから入るのがおすすめですが
気に入った場合に、3巻目以降をどうするかという問題は残ります。

実は、私はこの「江戸戯作文庫 傾城水滸伝」で、初めて傾城水滸伝に出会った一人。
変体がなの勉強のために、古書の復刻を探していて、図書館で見つけたのがこの本でした。
ここが冒険の始まりだったのです。
前置き長いですね。(^^)

初編・二編と読み進み、水滸伝を読んだことのない私は、傾城水滸伝で水滸伝の面白さを知り、
日本を舞台に、登場人物を女性に置き換えた冒険物語が気に入ってしまいました。
しかし、三編が手に入らない。
皆さんは博文館版か本邦書籍版を探されるのでしょうが、私の楽しみの一つである変体がな読みのためには
原書でなければならなかったわけです。
ネットで調べるうちに、早稲田大のアーカイブを発見。
数十万の古書を買うお金などない私にとって、一気に道が開け、飛び上がって喜びました。
読み始めると何とか読めるようです。

そこで私は考えました。
私のようにこの作品を読もうとして、二編で夢破れる人たちのために
私がこの作品を掘り起こさねばならないのではないか。
亡き馬琴翁の悲痛な叫びさえ聞こえたような気がしました(^^)

古語も詳しくなく、文才もない私がそんな大それたことができるのだろうかと
思いつつも・・・・・・・・・・・始めてしまったというわけです。(^^)

最終的に、現代語訳まで完成したいと思っていますが、完成がいつになるのかまだ分りません。
これを書いている2013年1月時点は、下のステップで説明すると原書から変体がなを読み起こして
それに漢字をつけている状態です。
古い本だけに虫くいあり、かすれ汚れありで、読めない部分も少なくありません。(各編記事の●部分)
早稲田大のデジタル原書を元に、読みにくい部分を立命館大のもので補完し、
それでもダメな部分のみ博文館版に頼ろうと思ってます。

冒険は、まだまだ続きます。
もし、興味持っていただけたら、年に1度くらい覗いてもらえるとうれしいです。
長々とお読みいただきありがとうございました。

<2013年6月時点>

傾城水滸伝(初編~十三編上)については校訂をほぼ完了しましたので、次に原文の味わいを残しながら現代語に近づける作業をしました。
女水滸伝は、校訂完了前ですがなんとか読める程度のレベルにはなってると思います。
どこまで現代語にするかのさじ加減が難しいなぁと。

<2013年7月24日時点>

古語の訳を補足して、より読みやすくする作業を進行中です。
本日時点で七編までは、ほぼ意味が分かるまでの文章にできていると思います。
なお、翻刻させていただいた元資料の所有者である早稲田大学さんからの許可がいただけましたので底本表示をしております。

<2014年2月22日時点>

原文の味を残しながらも読みやすさを研ぎました。
お米で云えば玄米を七分付きまで精米した感じでしょうか。
下の段階では漢字付けと現代訳の中間です。
これ以上、糠を取ってしまって良いのかとも考えますが、
一部読みにくい部分もありますのでそこには手を加えて行きますが
ほぼ翻訳完了って感じです。
※ルビがないと読めないのでPDFで読んでください。


どなたかこの作品を世に出してくださる方がいらっしゃったら、ご連絡お待ちしています。
出版以外にもマンガ、演劇、講談などなど、アマチュアの方も大歓迎です。
当方、一般の会社員のため、お金儲けは考えていません。

<冒険の道程>




では、ごゆっくりお楽しみください。
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傾城水滸伝が生まれた経緯(いきさつ)

2017-03-04 11:44:16 | 解説・楽しみ方
傾城水滸伝が生まれた背景を考えてみたい。

作者の曲亭馬琴がもともと水滸伝のファンであったことが発端なのだが
本家の水滸伝が既に人気のあった書物であったことが背景にはある。

商業小説家である曲亭馬琴としては、売れると踏んだから書いたのであって、
というか売れるように書いたということをベースに考えるべきだろう。

どうすれば売れるのか。と考えた馬琴は、中国の物語である水滸伝を
より多くの人々に読んで(買って)もらうためには
読みやすい物語りに作り変えることがポイントだと思った筈。

そこで、まず日本を舞台にして描こうと決めたと思われる。
今でも中国は近くて遠い国。
江戸時代の庶民が、今以上に中国の情報を持っていたとは考えにくい。
そこで、覚えにくい中国の名前や地名ではなく、
普段から聞きなれた日本の地名、文化、歴史で
水滸伝のストーリーの面白さを描くことになった。

まずは、日本を舞台としたのが一つ目の選択。

それによって、曲亭馬琴の洒落心が一気に展開することになった。
傾城水滸伝の人名などは遊び放題だ。

足高蜘蛛平(あしだかくもへい)、戸蔭の土九郎(とかげのどくろう)
渋川栗太夫(しぶかわくりだゆう)、早道葉四郎(はやみちはしろう)などなど

しかし、日本に設定を移し替えたことでいくつかの不具合が生じる。

まず、時代設定。
江戸にするのが最も簡単だが徳川幕府の世の中で
表現の自由などあるわけもない。
実在の藩や武将の名前を使うことはもちろんのこと
それを匂わすことさえも首が飛ぶ可能性がある時代。

全くの架空地域を作り上げる選択肢もあっただろうが
それではそもそも舞台を日本に置き換えた意味が全く無くなる。
そこで、馬琴は考えた。

その結論が、平安末期から鎌倉時代。
勇者達を源氏の縁ある者たちとし、
敵を北条(義時)氏とした。
源氏も北条もとっくの昔に滅んだ家。
誰でもが知る歴史物語を下地にすることで
ぐっと話が分かりやすくなった。

この時代設定が馬琴の巧さの二つ目。

そこで馬琴は考えた。
水滸伝の話の筋は、勝負をして負けた者が勝った者の
下に入り、そして大きな群が作られていくのだが、
どうも当時の日本人の感情では割り切れないとこがある。
「潔(いさぎよ)くない」という感情。

で、それを解決し反転する妙案を考えた。
それが主人公達の性別逆転だ。
女性は男性に比べて、
その頃から現実的な考えであったのだろうと思われる。
忠義のために命を投げ出す男の美学を傷つけず、
図太い女の生き方をうまく利用して
日本人にも水滸伝の話の筋を納得できるようにした。

これにより傾城水滸伝は、非常にユニークな小説として
誕生することになった。

まず性別逆転ありき、ではなかったのではないか
というのが翻刻中の現在の私の考えである。

はからずも性別逆転がしっくりする時代が今なのでしょう。
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傾城水滸伝 PDF版 現代訳進化版

2017-03-02 19:52:42 | 解説・楽しみ方
2013年の9月にPDF版を初リリースしましたが
翻訳具合を精米に例えると五分づき状態。
今回は七分づきまで翻訳を進めました。
ほんの一部を除けばお話の筋は読んで楽しめると思います。
白米にしてしまうと面白味がないので
時間をかけて八分づきまでは進めたいと思っています。


傾城水滸伝 初編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政八年(1825年)乙酉春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207shohen.pdf

傾城水滸伝 第二編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)           
 文政九年(1826年)丙戌春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207nihen.pdf

傾城水滸伝 第三編之壱 曲亭馬琴著(歌川国安画)
 文政十年(1827年)丁亥春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207sanhen.pdf

傾城水滸伝 第四編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十一年(1828年)戌子春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207shihen.pdf

傾城水滸伝 第五編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十一年(1828年)戌子春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207gohen.pdf

傾城水滸伝 第六編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画) 
 文政十二年(1829年)巳丑春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207rokuhen.pdf

傾城水滸伝 第七編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207shichihen.pdf

傾城水滸伝 第八編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)庚寅春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207hachihen.pdf

傾城水滸伝 第九編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)庚寅春正月吉日新版  江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207kuhen.pdf

傾城水滸伝 第十編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 文政十三年(1830年)庚寅春正月吉日新版 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyuhen.pdf

傾城水滸伝 第十一編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 天宝元年(1831年)辛卯春正月吉日新板 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyuichihen.pdf

傾城水滸伝 第十二編 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 天保三年(1832年)壬辰春正月吉日新板 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyunihen.pdf

傾城水滸伝 第十三編壱・二 曲亭馬琴著(歌川豊国・国安画)
 天保三年(1832年)壬辰春正月吉日新板 江戸通油町書林鶴屋喜右衛門梓
傾城水滸伝/女水滸伝 十三編ノ三・四 笠亭仙果編次(一陽斎豊国画)
 嘉永三年(1850年)庚戌春新板 東都両国大黒屋平吉板
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyusanhen.pdf

傾城水滸伝/女水滸伝 十四編 笠亭仙果編次(一陽斎豊国画)
 嘉永四年(1851年)辛亥春新刻 松寿堂梓 
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyuyohen.pdf

傾城水滸伝/女水滸伝 十五編 笠亭仙果編次(歌川国貞画) 
 嘉永七年(1855年)乙卯春新刻 東都両国大黒屋平吉梓
http://book.geocities.jp/keitaro2060/KS2/20140207jyugohen.pdf
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜(コンピラフネリショウノトモヅナ) 初編(上) 曲亭馬琴作

2017-02-27 09:17:49 | 金毘羅舩利生纜
                            ▼=改ページ、□=未解読
※利生(りしょうの)=利益、纜(ともづな)=もやい綱
登場人物========================================================

金比羅毎歳詣(こんぴらとしまいり)の行者 金野伍(きんのご)平(へい)太(た)
長堀橋の船宿金(こん)ひら野(の)屋の女児(むすめ) 阿柁(おかじ)
金比羅毎歳詣の行者 御神酒(おみき)講十郎(こうじゅうろう)

天地開□夫婦権輿(あめつちひらけしときいもせのはじまり)
陽尊神(おのみことかみ)  陰尊神(めのみことかみ)  火神軻遇突智(ひのかみかぐつち)

東方陽徳(とうほうゆうとく)の母神(おものかみ) 
西方陰徳(さいほういんとく)の師表(をしえのおや) 
神通不測(しんつうふしき) 天石折神(あめのいわさくのかみ)

役行者(えんのぎょうじゃ) 小角(しょうかく)
後鬼(ごき)の変相 山妻高峯(しづのめたかね) 
前鬼(ぜんき)の変相 樵夫陀羅介(きこりだらすけ)

==============================================================

疑わず、差(たが)うことなき、これを信という。
信が至って深きもの、これを深信(しんしん)という。
深信おこたりなき者は、禍(わざわい)をひるがえして福(さいわい)となすことあり。
さればその願いが成就せずということ無し。
あぁ深信の徳偉(とくおおい)なるかな。

賛曰(さんいわく) こころ直(なお)き獣なればや 山の名の象(さき)の頭(こうべ)に神宿るなり▼

千早振る神世の昔、火神迦具土(ひのかみかぐつち)が生まれた時、母の尊(みこと) 伊耶那美(いざなみ)は焼かれて神去(かんさ)りたまいしかば、伊耶那岐尊(いざなぎのかみ)怒って迦具土(かぐつち)を斬りたまう。
今、火を鑽(き)って薪に移し、また婦女子の月経(つきのさわり)を火が悪しというもこれ縁故(ことのもと)なるべし。

賛曰、吾妹子(わきもこ)の月のさわりを火という、始めはかくや 迦具土の母▼

火の神迦具土が斬られた時、凝血(これがちしお)は石となり、その石の中より一箇(ひとはしら)の神が化生(なりいで)たまう。これを石折(いわさく)(岩裂)の神という。仏教でいう金比羅天王また金比羅天童子、本地不動(ほんちふどう)は、この神によく似たり。それ然(しか)らんか。然らんか。

賛曰、百伝う磐石(いわお)の卵生出(なりいで)て、動きなき世を守りこそすれ▼

小角(しょうかく)は加茂役公氏(かもえんのきみうじ)で、大和葛城郡卯原村(うはらむら)の人なり。三十二歳で葛城山に分け入って、松子(まつのみ)を食とし、藤葛(ふじかずら)を衣とす。よく孔雀明王の呪文を持して、飛行自在を得たり。一日(あるとき)山神(やまのかみ)をして金峯山(きんぷせん)に石橋を造らせるが、速(すみやか)ならざるを怒って、一言主(ひとことぬし)の神を呪縛(いましめ)たり。また常に小角に使役する二童鬼(ふたりのおにわらわ)あり。その中の前童鬼(ぜんどうき)は男なり、妙童鬼(みょうどうき)は女なり。またこれらを前鬼、後鬼という。この鬼は大和の生駒嶽(いこまだけ)に住めり。後に小角に捕(とらわ)れて大峯に置(おか)れる。その後に寺を建て、鬼取寺(おにとりじ)と名づけたり。いだし小角はその名なり。世の人は役行者(えんのぎょうじゃ)と唱う。天性至高(てんせいしこう)なれば、その母を鉢に載せて、渡□(とたう)せしといい伝う。これ我が国の大神仙(だいしんせん)、後世(こうせい)には諡(おくりな)を賜って、神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)と称せられる。

賛曰、葛城や高間の山を踏み分けて 入りにし君が後の白雲▼

==========================================================

昔々、江戸の片ほとりに金野伍平太(きんのごへいた)という知ったかぶりの男あり。
金比羅の信者で暇のある身なれば、たえず大阪へおもむいて長堀橋の金ひら野屋という船宿から船に乗り、讃岐の象頭山(ぞうずさん)へ詣でる回数は既に三十三度に及んだ。
その頃、京都の片ほとりに御神酒講十郎(おみきこうじゅうろう)という者あり。
これも劣らぬ金比羅の信者なれば毎年のように長堀橋の同じ船宿より乗り合いして金比羅へ詣でるので、いつとなく伍平太と心安くうち語らうようになった。
この度の参詣は船中に追い手(おいて/追い風)が稀(まれ)にして、船掛り(ふなかかり/停泊)に日を経ると皆は退屈に耐えざりけり。その時、講十郎がふと言うには、
「さても、金比羅大権現の御利益は世がこぞって知るところで申すもなかなか愚かなり。しかれども、その本地垂迹(ほんじすいじゃく)は如何(いか)なる神で、如何なる仏と定かにこれを言う者はまれなり。まして当山の開闢(かいびゃく)もいずれの年にいずれの聖(ひじり)が開かれたかを定かに言う者は聞いたこともなし。金野氏は物知りで、しかも信心浅からねば、きっと事の事情を詳しく御承知の事なるべし。船中の眠り覚ましに、あの神の本地垂迹、また開山の霊験奇特を物語りして聞かせたまえ。事の始めは如何なるか。お聞かせくだされ」と言う言葉に乗り合いの人は皆こぞって小膝を進めて、
「これは真(まこと)に尊い事なり。我らも聴聞(ちょうもん)つかまつらん、さぁさぁ語りたまわずや」とすすめけり。されば金野伍平太は乗り合いの人々におだてられ、知ったかぶりの癖なれば、いなふねならぬ金比羅船の客の間におし直り、□兜羅綿(とろめん)の紙入れの隅を裏へと折烏帽子(おりえぼし)、さらしの襦袢を引き脱いで、前より着たほやうえのこじつけ、講十郎は心得て船荷を引き出し高座をこしらえ、恐れず臆せず伍平太はゆったりとよじ登り、扇をばちばち咳払い、こりゃ、聞き事じゃと諸人は押し合いへし合い取り巻いて耳をすませて聴聞す。
その時金野伍平太は扇を笏(しゃく)に膝組み直し、
「さても金比羅大権現の縁起、根本、霊験、利生のあらましを凡夫のつたない我の口から申すは恐れ多い事。言わんや、また幾千歳(せんざい)の昔の事、人の嘘は我が嘘にて、伝え誤り聞き違えて神仏(かみほとけ)を□ひなるは要無き業(わざ)でござれども、それも善行、方便で、凡夫のしゃくをまさせん為なれば、しばらく虚実はさて置いて、我が予て伝え聞いたそのあらましを講じましょう。□□」と咳払い、長物語りの序が開き、皆は興をもよおしける。

○そもそも金比羅の神号(しんごう)は、増一阿含経(ぞういちあごんきょう)、宝積経(ほうしゃくきょう)、天台妙文句、金比羅天童子経こうに見え、王舎城(おうしゃじょう)を祀(まつ)りたまう諸天、夜叉の善神(ぜんしん)なり。▼金比羅とはゐによ主と申すに同じ。言う心はこの神の威勢(いせい)通力(つうりき)、例えば世の中の天子、将軍、萬(よろず)に自在を得たまうが如し。よってこれをゐによ王と言う。ゐによ王はすなわち金比羅なり。昔、釈尊が王舎城に居られし時、提婆達多(だいばだった)と言う大悪□□長さ三丈広さ一丈六尺ばかりの大石で打ちひしぎ奉らんとした時に、その山の神の金比羅王がその石を受け止めたことは宝積経のてんじゆ□品、また天台妙文句にも見えたり。
今、この事を例えて言えば、昔、石橋山のほとりで股野五郎景久(またのごろうかげひさ)が頼朝卿を討とうとして、一抱(ひとかか)えにも余る大石を投げ落とした時に真田の与市義定(よしさだ)が受け止めたのにさも似たり。股野の心は大悪(おおあく)で提婆達多に異ならず、真田の忠義と力量は金比羅王の功徳に等しい。これはこれ仏説の趣旨を申すのみ。また和漢三才図絵では金比羅は須佐之男(すさのお)の尊(みこと)だと言い、また三輪大御神だとも言えり。あるいは今、山彦の尊などと申す者もある。□いづれも正(まさ)しき証文は無けれども、象頭山に神職あれば仏説によって、これは我が国の神には非(あら)ずと一向(ひとむ)きには言い難し。かかれば神仏両部の神なり。それがしが予てより伝え聞いた事には、この御神には名号(みょうごう)多く、仏説ではへ□らと言い金比羅と言い、ぐへいらと言い、また宮毘羅神(くびらしん)とも言えり。また神道にて言う時は、天(あめ)の石折(いわさく)の神、すなわちこれなり。例えば牛頭天王(ごずてんのう)と須佐之男の尊のごとくに石折の神と金比羅とその名号は異なれども、祀(まつ)る所は同じかるべし。
さて、これまでは物語の大意なればまじめなり。これより岩裂(いわさき/石折)の神の始めを申すべし。
昔々、神の世で火の神の迦具土の御母は伊耶那美(いざなみ)の尊なり。火の神が生まれた時に御母の尊がその火に焼かれて遂に神去りたまいしかば、御父伊耶那岐の尊は怒って、迦具土を斬りたまう。その血潮は凝り固まりて遂に二つの石となった。伊耶那岐の尊は見そなわして、この石をここらに置くべからずと遙か遠くに投げ捨てたまうと、一つの石は讃岐(さぬき)に落ちて、たちまち一座の山となった。今の象頭山はすなわちこれなり。もう一つの石は西の方(かた)の十万里を飛び行って、無辺無量(むへんむりょう)という国の方便山(ほうべんさん)にとどまりける。この石の高さは三丈六尺、回り(めぐり)は二丈四尺で石の肌に自(おの)ずから黄金のめさの形が現れて金色に輝けば、鳥獣(とりけだもの)も触れ汚さず、雪霜も石の上にはいささかも積もらざりけり。いわゆる無辺無量国の金幣石(きんへいせき)これなるべし。この石は方便山に落ちとどまって、後(のち)に幾万年を経たれば、既にして大山と地神いづれの御時にや、ある日おのずから二つに裂けて石の内より一柱の荒神が化生(なりいで)たまいけり。これを岩裂(いわさく)の神と言い、また天の岩裂の神とも言った。その形は人にして▼面(おもて)の色は朱の如く、その鼻はいと高くて鼻の先が尖って、さながら鳥のくちばしに似たり。かつ手を上げれば羽根となって大空をも飛行し、足を上げれば筏(いかだ)となって大海(たいかい)をも渡るべし。されども生まれたままで、まだ神□(しん□)を得てなければ、羽根あれども高くは飛べず、例えばあひろの溝に遊んで遠く飛び去り難きに似たり。かくて岩裂の荒神は石の内よりなりいでて、谷川で身を濯(そそ)ぎつつ天地四方を拝すると身の内が光り輝いて、例えば黄金の砂(いさご)の浜に朝日が照らすに異ならず、その光りが天地に通って大千世界を照らしけり。
この時、天(あめ)の若宮で天照大神(あまてらすおおみかみ)が遙かに下界を御覧じて、驚いて思兼の神(おもいかねのかみ)に問われるには、
「ただ今、西の方で怪しい光が世界を照らせり。何にかあらん」と宣(のたま)えば、思兼の神は承って、しばらく眺めてにっこり微笑み、
「さまでの事も候わず。かれはこれ、その昔に迦具土が斬られた時、その血潮が石となって、しかじかの国にあり。その石が自ずから二つに裂けて岩裂の神が出現せり。今、西の方に怪しい光が候うは、かの神の身より出て照り輝かすにて候」と事もなげに申せば、天照大神はうなずいて、
「さもありなん、さもありなん。籠(こも)るものは出(いづ)ることあり。孕(はら)めるものは生まれる事あり。天の精気の地に下ってく形を成さずと言う事なし。▼その精気がことに優れて清い者は神で、濁れる者は鳥獣となる。また歩むに足らず」と再び問わせたまう事なし。さる程に岩裂の神の荒神は水を飲み、木の実を食し、藤葛(ふじかずら)を衣とし、谷に下り峰に上って幾年月を経るままに、身より照らす金色の光は遂に失せにけり。
さればこの山にありとある夜叉天狗(やしゃてんぐ)のみを友として終日(ひねもす)遊び暮らす程に、山の半ばに大滝あり。岩走る音が遠く響いて幾引きの白根を掛け渡したに異ならず。しかもこの滝壺より金色の光が立ち上って中空にひいる事が時として絶えざれば黄金の滝と名付けたり。
かかりし程に天狗共はある日、岩裂の神と共にくだんの滝のほとりで遊んで、立ち上る気を仰ぎ見つつ、
「我々は飛行自在なれども水の底に入ることかなわず。この滝壺の底にこそ得難き宝がありもやせん。滝にもせよ、水底を見極める者があれば我らの主君と仰ぐべし」という言葉が終わる前に岩裂の神が進み出て、「我、この底を見極めん。どれどれ」と言いながら、そのままざぶんと飛び込めば、夜叉天狗らは驚きあきれて、
「哀れ、要(えう)なき我慢なり。滝より先にその身は砕けて再び帰る瀬はあらじ。哀れむべし、哀れむべし」と言わぬ者は無かりける。さる程に岩裂は滝壺に入るといえども思いの外に身は濡れず、底はいと広くしていささかも水なくて、別(べち)に一つの世界に似たり。足に任せて行く程に、果たして一宇の高殿あって、威如天堂(いにょてんどう)という扁額(へんがく)を掲げたり。その高殿の様子は黄金を延べて柱とし、錦を重ねて筵(むしろ)とす。綺麗、壮観、中々に言葉には述べ尽くし難し。しかのみならずこの所には耕さずして五穀あり、年中萎まぬ花もあり、木の実、草の実、様々の物が乏しからねば、岩裂の神は喜んでまた滝壺より躍(おど)り出て、夜叉天狗らにしかじかと事の様子を告げ知らせ、相伴って始めのように水底に入れば、天狗どもはいよいよ呆れて喜ぶ事も大方ならず、これより岩裂を威如大王と尊(とうと)んで、眷属となって仕え、昼は方便山で遊んで、夜は天堂に帰って眠る。されば山彦、山の神、山姫、山姥(やまうば)に至るまで岩裂の神の通力に恐れて、媚び従わぬ者はなく、ある時はしやくをとり、ある時は舞い歌って酒宴の興を添えにけり。
かくてまた幾千歳を経る程に、楽しみ尽きて悲しみ来たる。その日も遊興たけなわなりしが岩裂の神は何をか思いけん、只いさめいさめと泣けば、夜叉天狗どもは驚いて、「こは何事がおわしまして、かくまで楽しき酒宴の席にて嘆きたまうや」と問われて岩裂は、
「さればとよ、我には父も母もなく、この国に成りいでてから幾千歳の月日を経たり。命長きに似たれ共、およそ形のあるものは各々(おのおの)の齢(よわい)に限りあり。一朝にして命終われば▼今の楽しみも皆夢なり。言わんや、またこの国は物乏しきにあらねども、我が輩(ともがら)以外に他に住む人はなし。四方僅かに百余里の此の所のみで天地の広さを知ること無いは、これ井の中の蛙に等し。今は国々にその道開けて天竺(てんじく)には仏の教えあり。また唐土(もろこし)には儒の教えあり、道家の教えもありと聞く。また日本は四大部州(よんだいぶしゅう)かみにあり、例えば人の頭(こうべ)のごとし。ことに目出度き国なれば神の教えのいと尊く、今人王の世になっては儒仏道家の教えも伝えて人多く国富めりとほのかに伝え聞ける事あり。いでや只今門出(かどいで)して、かの国々を経巡って神儒仏の教えは更なり、かの仙術に長けたる者、天地と共に尽きる事なく齢(よわい)を保つ人があれば、我はその師に従って学ぼうと思うのみ。さなくて命終わる時は後悔そこに絶ち難し。我は飛行の術があり、船筏を用いずに海のほかに遊ぶべし。汝らはいよいよ心を合わせて国を守って怠ることなく我が帰る日を待つべし」とて、ねんごろに別れを告げて、早端近(はしちか)く立ち出て、両手を開くと左右の腕(かいな)が羽根となり、雲をしのぎてひらひらと飛ぶ鳥よりも速(すみ)やかに舞い登りてぞ失せにける。
○さる程に、岩裂の神威如王はまず天竺に渡り、また唐土に赴いて国々の教えを見るが未だ心にかなわねば、なおも東に渡って日本国に赴いて、その風俗を見ると、聞きしに勝る上国(じょうこく)で君臣男女(くんしんだんじょ)の礼儀は正しく、天地(あめつち)開け始めし時より百王一姓で、天津日嗣(あまつひつぎ)たまる事なく万民は富み栄え、国に逆賊ある事もなし。その国は東の果てにあって大国にはあらねども、実(げ)に万国の神(かみ)たること、人の頭は小さけれども五体の神にあるが如し。かつ人の心が素直なのは神の教えを守ればなり。未来を恐れて施しを好むのは仏の教えを尊めばなり。かかる目出度き国にこそ天地と共に滅ばない神仙はあると、あちこちの人に問うと
「大和の国の葛城山に役(えん)の君小角と言う仙人あり。常に五色の雲に乗って仙郷(せんきょう)に往来し、よく孔雀明王の呪文を唱えて、神をも戒め鬼をも仕(つか)う。三十二才の時に山に入って仙術を得た後に、その母を鉢の内に乗せて唐土(もろこし)に赴いた事さえありと予て聞けども、その齢は幾百才か幾千歳になるやらん、確かに知る者はなし」とそのあらましを告げれば、岩裂の神は喜んで大和の国に赴いて、既に早くも葛城山のふけこにして日は暮れたり。その時に裾野の茅(ちがや)の中より賊の男(しずのお)、賊の女(しずのめ)が走り出て、その賊の男は鉞(まさかり)を振りひらめかし、その賊の女は利鎌(とがま)を持って挟んで討たんとするのを岩裂は早く身をかわし、両方等しく受けとどめ、「こは狼藉なり、何者ぞ」と問うと二人は言葉を揃えて
「我らの事を問わんより早く汝の名を告げて、この二振りの刃(やいば)を受けよ。汝の衣装、身の回りは旅人に似たれども怪しき曲者(くせもの)なる由は天眼通(てんがんつう)をもて知れり。我々を誰と思う。▼役の小角に仕え奉る木こり陀羅介(だらすけ)、賊の女高峯(たかね)と知らざるや。小角の命を受けて夜な夜な山の麓を守るに、怪しき奴と知りながらいかでかここを通すべき、観念せよ」と罵るを岩裂は聞きつつうなずいて、
「さてはこの頃この国の人の噂に聞き及ぶは、生駒が嶽の山の神、男は前鬼、女は後鬼。陀羅介、高峯と仮初めにその名を変えて小角に仕える者共よな。我も小角仙人の徳を慕い術を慕って、師弟の因み(ちなみ)を結ぶために十万余里の西の果ての無量無辺国より遙々と渡り来た岩裂の威如王と言う者なり。我はいささかも野心なし。願わくばこれらの由を小角仙人に告げたまえ、只見参(けんざん)を願うのみ」と他事もなく頼めば陀羅介、高峯はようやく疑い解けて、そのまま岩裂のために導(しるべ)をしつつ、葛城山によじ登り、小角の岩室に相伴って、しかじかと事の由を申せば、小角は拒む気色なく岩裂の神に対面して、その事の来歴と素性を詳しく尋ねけり。
役の君小角が入門の者を呼び入れて来歴、素性を問えば、岩裂の神は答えて、
「それがしは西牛賀州(さいぎゅうがしゅう)の海の外(ほか)の無量無辺という国の方便山のほとりの者で、父もなく母もなし。金幣石と言う石の内より産まれたれば、自らその名を岩裂と言う。我が国の輩は尊んで岩裂の威如大王と称するなり。萬(よろず)に不足無き身なれども、およそ形あるものは死に失せずという事なし。しかれども世に神仙というものあり、形をねり、せいを養い天地と共にその命限りなしと伝え聞く、もしかかる人があらば我が師として教えを受け、不死の術を学ばんために四大部州(しだいぶしゅう)を遍歴したが、これぞと思う師に会わず。しかるに聖(ひじり)は世に伝え聞く神仙で、その術高く、その徳高しと告げる者あるにより遙々と推参致したり。願わくば不死の術を教えたまえ」と言う程に、小角は袖の内にて占いつつ、うなずいて、
「我は早くも御事(おこと/お前)の素性を知りぬ。いかでか父母が無からんや。御事が父はこれ火なり、御事が母はこれ石なり。御事を育てし者は西の土地、西を五行に象(かたど)る時はすわち金なるを▼知らずや。金石(きんせき)は撃(げき)して火を生ず、これ御事が産まれる由縁、父母なしと言うべからず。しかれども産まれて死なぬ者はなし。我が国神仙の神々ですら命に限りあればこそ根の国へ帰らせたまいぬ。しかれどもその荒御魂(あらみたま)は今もこの国を守りたまえば、死して滅びざる。これを名付けて神と言う。仏もまたこれに等しく、釈尊と申せどもその寿命に限りあり涅槃(ねはん)の室に入りたまえども、その教えは尽きる時なく、一切衆生(いっさいしゅじょう)を救わせたまう。これもまた死して滅びず術のいたれる由縁なり。しかれどもこれらの事は一朝には諭し難く、また一朝には悟り難し。今より我に従って務め学べば、後遂(のちつい)にその冥応(みょうおう)を知る事あらん。今日より御事の法名を岩裂の迦毘羅(かびら)と呼ばん。学寮に退いて兄弟子たちと諸共によくよく学びたまえ」とそのまま山にとどめられる。
○さる程に、岩裂の迦毘羅は役の行者の教えその□にかなって、さもあるべしと思えばこれより心を傾けて、師に仕えること昼夜をいとわず、下□の□橋に黄石公(こうせきこう)の靴を取った張良もこれにまさらじと見えれば、小角もまた深く愛して神しゅくの妙計をいささかも惜しむ事なく法術、呪文を教えると、一を聞いて十を知る、その才もまた優れたり。かねて飛行、通力あるが、今また形を変じて姿を隠し、雲を呼び風を起こす術を習い得れば、迦毘羅坊は密かに喜び、今は早天地の間に我に及ぶ者なしと思えり。かくてある日、迦毘羅坊は相弟子の山伏五七人と共に岩室を発ち出てあちこちと眺め渡すと、山伏らが皆で言う様、
「和主は行者に従ってまだ十年にも及ばねども、師の心に適(かな)った故か、我らに教えられぬ事をもそこには習い得たりと思う。何なりともおもろ奇術を施して見せたまえ、いざいざ」とそそのかせば、迦毘羅坊は予てより術に誇る心があり、今思わずも山伏らの所望に否む気色なく、「そはいと易き事なり」としばらく呪文を唱えれば、何処(いずこ)ともなく一羽の鶴が忽然と舞い降りて、迦毘羅を乗せて空中へひらめき上ると不思議なるかな迦毘羅の姿はあでやかな遊女となって、内掛け捌(さば)きもしなやかに鶴の背中に座を占めて、手に長文(ながふみ)を繰り返し繰り返しつつ読む様は▼花の顔ばせ月の眉(まゆ)に□ひこぼれる愛嬌に一度(ひとたび)笑めば、国を傾け城を傾けるとうたわれた唐土(もろこし)の李夫人(りふじん)なりともこれにいかでか及ばんやと山伏らは皆我を忘れて見とれるもあり、誉めるもあってしばらくなりは静まらず。この時、役の小角は室の戸の方で人々が笑い興(きゃう)ずるのは何事やらんといぶかって、自ら立ち出て見たまうと岩裂の迦毘羅坊の仙術で遊んで人々笑い興ずるなり。こは浅ましと思いつつ、なおも木陰に立ち隠れ、事の様子をうかがうと迦毘羅坊は師の行者が立ちいでたまうと早知って、たちまち術を収めて元の姿になりにけり。その時ようやく山伏らは行者が垣間見たまうを知って、ついで悪し事とひそめいて、皆学寮へと退けば迦毘羅坊も続いて帰り入らんとするのを小角は急に呼びとどめ、木陰を出て形を改め、
「我は始めより御事の素性が人間の種ならずと言うが故に、抜きん出て教え導いたが、何ぞや術を弄(もてあそ)び相弟子らに誇りたる。既に御事が行うところ、世に麗しき(うるわしき)美女に変じて凡夫の眼(まなこ)をたぶらかすのは外道の幻術にて正ぼう□あえば必ず破られる。もし疑えば試みに姿を変じて見せよかし。我がその術を破り得ずば、我は今より改めて、御事の弟子になるべきなり。再び術を施さずや、さぁさぁ見せよ」と急がすと迦毘羅坊は行者の怒りに上辺ばかりは恐れ入る面持ちはすれども心の内に思う様、
「・・・・・・・昔より弟子としてその師に勝る者が無きにあらず。我が術は既に成就したれば行者というとも何ぞ及ばん。この折りに小角をかえって我が弟子にすれば快(こころよ)き事なるべし」と腹の内に思案をしつつ、
「□まことに逃れる道なし。しからば術を施して御笑いに備えまつらん。いざ御覧ぜよ」と言いながら、たちまち口に呪文を唱えて姿を変ぜんとすれども術を行うこと得ならず、こはいかにと驚き怒り、かつ恥じて憤りに耐えざれば、遂に小角を害せんと思う心あり。
さるにより迦毘羅坊はその夜、小角の臥所に(ふしど)に忍び近づいて、刃を抜いてぐさっと刺すがはや空蝉(うつせみ)のもぬけにして小角は臥所にあらず。こはいかにと驚き慌てて走り去らんとする程に、何処(いづこ)ともなく吹き入る山風さっと下ろし、身を切るごとくに思えしが、不思議なるかな、迦毘羅坊の五体はにわかに発熱して身を焼く如くもんらんしつつ、あっと叫んで倒れけり。
かかりし程に役の行者は行衣(ぎょうえ)の上に玉襷(たまたすき)して、しずしずと現れ出て、
「如何(いか)に迦毘羅坊。我は予てじゆうに入りて御事は火の神迦具土の子なる由をよく知れり。火は風を得て熾(おこ)るものなり。故に今、風かく神尊(ふうかくしんそん)の呪文をもって風を熾しつつ、前世の業因(ごういん)▼しかじかと明らかに悟らせる。早く野心をひるがえし、故郷に帰って時を待ち、只世の為、人の為に悪魔外道を退治して大善神と仰がれよ。さる時はそれがしもいかでか御事に及ぶべき。忘れても今日の如くに術をもてあそび、人に誇ればこれ身を失う仲立ちなり。我が戒めはここにあり。今は早これまでなり。速(すみ)やかに下山して元の国へ帰るべし。さぁさぁ」と急がしたてて再び呪文を唱えれば、迦毘羅坊の身より出る妙火(みょうか)は消えて跡もなくたちまち我に返りけり。
ここに至って迦毘羅坊は行者の威力(いりき)に感服し、初めて夢が覚めたるごとく、身の過ちを懺悔して衆生利益(しゅじょうりやく)の為にして、悪魔退治の折ならずは術を施さずと誓いをたてて詫びれば、小角はしばしば戒めて、
「御事の形術(ぎょうじゅつ)は大千世界に敵無きに似たれども、我には敵し難きがごとくに漫(そぞ)ろに敵を侮(あなど)る者は小敵にも謀(はか)られやすし。されば無辺無量国ではかの夜叉天狗などが皆御事を尊んで、よく仕えると言うといえども、もし一旦、事に触れて背く者がある時は密かに害せんとこそ謀るべけれ。その外心(がいしん)を防がんには風かく(ふうかく)の呪文に増すものなし。彼らが怒らんとする時に早くその術を唱えれば、夜叉天狗らの身の内より妙火がたちまち燃えいでて、その身を焼かれてもんらんせん。かれば、彼らを従えて長く背かざらしむべき。この呪文をもって餞(はなむけ)とせん。よくよく心得たまえ」とねんごろに説き諭して、くだんの呪文を授ければ、迦毘羅はますます喜び、行者を拝して別れを告げ、そのまま雲にうち乗って、西を指してぞ飛び去りける。
されば天狗道の苦しみで、日に三度夜に三度、身より出(いず)る火に焼かれ五体を焦がすと今の世に語り継ぎ言い伝えるのは迦毘羅坊の餞別に役の行者が授けた呪文の故なるべし。
○さる程に、岩裂の迦毘羅坊は神変自在の通力で早くも無辺無量国の方便山に着ければ、やがて雲より下り立って、部類眷属(ぶるいけんぞく)を呼び集めると六万八千の夜叉天狗どもがあちこちより集い来て、或いは喜び、或いは嘆いて、皆諸共に告げる様、
「大王、何故に遅かりし。物学びの為に仮初めに旅立ちたまいしより既に七八年を経たり。しかるに近頃これより遙か北の方に黒暗魔王(こくあんまおう)と言う者あり。彼は我が王が此の所におわしまさぬをうかがい知り、この山を奪い取り、威如天堂を横領せんと数万の悪魔を従えつつ、時となく押し寄せ来て、攻め討つこと大方ならず。我々ずいぶん▼手を尽くして防ぎ戦いしが、大王の身の丈は一丈六尺、しかも三つの頭(こうべ)あり左右の腕(かいな)は六本あり。その二つの手は弓を引き、また二つの手は鉾(ほこ)を回し、一つの手は棒を使う。相従う悪魔どもさえ一人当千の手並みあれば勝ちを取ること叶い難くて、討たれたる者も少なからず、もし重ねて押し寄せ来るを如何にして防ぐべき、枕を並べて討ち死にせんか、また和睦して此の山を譲り渡して大王が帰られるを待って恨みを返さんかと評議まちまちに候」と大息ついて物語るのを迦毘羅坊は聞きながら、
「そは易からぬ事にこそ、□□□□□□□□□□□□□」と問われて皆々頭(こうべ)をかき、「奴らが来る時は霧を起こし、帰る時は雲に乗り、所を指して飛び行くのみ。住みかは知らず候」と言えば迦毘羅はうなずいて、
「汝ら、心を安くせよ。我がその大王をうち殺して首取って土産に得させん。しばらく待て」と言いかけて、ひらりと雲にうち乗って、天眼通で所の方を遠く遙かに見渡すと、ここをさること千余里にして黒暗州(こくあんしゅう)という一つの島あり。その地は魔王の住みかにして、山をうがちて城となし、岩をたたみて塀(へい)となし、数多(あまた)の悪魔が籠もり居たり。迦毘羅は早くも見定めて、通力でその所へまたたく間に赴いて、門戸を守る悪魔らに向かい、
「我は無辺無量国の威如天堂の主にして岩裂の迦毘羅神威如大王という者なり。汝らが主と頼む魔王に対面するために自らここに来臨せり。さぁこの由を通達せよ」と言うと外道らは驚き騒いで魔王にかくと告げ知らせれば、魔王は聞いてあざ笑い、
「奴は身に鎧(よろい)も付けず手に弓矢も携(たずさ)えず、身一つにして来たるは自らその死をおくるなり。今、目(ま)の当たりにうち殺して、手並みの程を見せん」と例の打ち物を取り揃え、ゆうゆうとゆるぎで、
「汝は命に掛け替え▼あるのか、我に会わんと一人で来るは身の程知らぬ痴れ者(しれもの)なり。言う事あれば早く言え、望みに任せて素頭(すこうべ)引き千切って得させん」と罵(ののし)る声は木霊(こだま)に響いて、くわっとにらんだ六つの眼(まなこ)は闇の星かと疑われる。迦毘羅はこれを聞きながら、
「憎っくき外道の似非(えせ)広言(こうげん)。汝は我の留守をうかがって、我が眷属を攻め悩ませし報(むく)いが早く来たのを知らずや。観念せよ」と詰め寄せたり。
その時魔王はますます猛(たけ)って、やみやけんがき黒金(くろがね/鉄)の棒を隙間もなくうち振りうち振り、まっしぐらに馳せ向かえば、従う悪魔は数を尽くして、おっとりこめて討たんとす。されども迦毘羅は少しも騒がず一人(いちにん)まんえい分身の呪文を口に唱え、乳脇(ちちわき)の下の小羽根を抜いて、ふんふんと吹きかければ、その羽根は幾百□の迦毘羅坊の姿に変じて、支(ささ)える敵を攻め伏せ攻め伏せ、その手の悪魔を一人も残さず斬り倒して踏み殺せば、黒暗魔王は驚き慌てて逃げんとするのを逃がしもやらず大喝一声(だいかついっせい)、迦毘羅坊があびせかけた刃(やいば)の稲妻、もろくも魔王の三つの首は、只一ト討ちに斬り落とされて、骸(むくろ)も共に倒れけり■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 初編(下)曲亭馬琴作

2017-02-27 09:17:31 | 金毘羅舩利生纜
※宮毘羅(金毘羅童子、宮比羅)くびら・こんぴら 十二神将の亥神 本地:弥勒菩薩

かくて岩裂の迦毘羅坊は黒暗魔王の首を引き下げて、雲にひらりと乗って飛行自在のいつとくは、またたく間に無量国の方便山へ帰って、魔王を始め数多の悪魔を討ち平らげた事を手に取るごとく告げ知らせ、その首を見せると六万八千の天狗どもの誰が喜ばざる者あらん、かつかすかつを吹いて、かの天堂へかしずき入れて、やがて酒宴をすすめける。
その時迦毘羅は一座を見渡し、
「各々(おのおの)何と思うやらん。此の所は離れ島で浮き世に遠く隣国が絶えて無きには似たれども、数千里を隔てた黒暗州の魔王すら我が天堂を奪わんと、先に押し寄せ来るにあらずや。しかれば今更、仇(あだ)する者が無くても油断すべからずと言えども、汝らはここに一振りの太刀もなく、手に一丁の弓矢も持たずに木太刀(こだち)、竹槍で仇(かたき)に向かって勝つ事あらんや。我はこの事を思うに、黒暗州で悪魔らの刃(やいば)をぶん取ればとこれかれと選べども、よろしき切れ物が絶えて無ければ、一つも取らず立ち帰れり。これらの用意を聞かまほし」と問われて、実(げ)にもと思うのみで誰とて所存を言う者なし。
その中に第一の眷属の太郎坊という天狗が進み出て、
「大王、お知り召されずや。▲此の所より北の方五千八百里に一つの国あり。器械国(きかいこく)と名付けたり。此の国の鉄(くろがね)は余の国に勝って、鉄(くろがね)の切れ味、類(たぐい)なし。よってその国の王たちは、剣(つるぎ)は言うに及ばず、弓矢、鉾、槍、鎧兜(よろいかぶと)を幾万と作らせて蓄え置くと伝え聞く。只その道は遠くして奪い取ることは叶い難し」と言うと迦毘羅はうなづいて、
「我もまた予てより機械国の事を聞きしが、事に紛れて忘れたり。海山万里を隔てるとも何程の事があらん。されば彼処(かしこ)へ赴いて、武具を奪って立ち帰らん。しばらく待て」と言いながら端近くたち出てひらりと雲にうち乗り北を指して飛び去りける。
さる程に迦毘羅坊は通力自在の事なれば、ただ一時(ひととき)に五六里の海山を飛行して、機械国に来て見れば聞きしに違わずその王城(みやこ)に数多の武具蔵を建て連(つら)ね、太刀、剣(つるぎ)、鉾(ほこ)、鎧(よろい)を数限りなもなく蓄えたり。
その時、迦毘羅は心の中に謀り事(はかりごと)を思い起こして、しばらく雲より降りも下らず、手に[ばうごう]の印を結んで口に呪文を唱えれば、不思議なるかな▲その国の都の内に霧立ち上り、四方常闇(とこやみ)となり荒れ風さっとおとし来て、木を抜き砂(いさご)を飛ばせば、国王を始めとして誰かは驚き恐れざらん。およそ貴(たか)きも卑(いや)しきも、その家毎に門戸を閉じて出る者は一人もなし。その間に迦毘羅坊は静かに雲より降り立って、その通力でことごとく数多の倉を押し開き、武具を選んで引き出すが我が身一つで持ち運ぶ事は叶うべくもあらざれば、脇の下の小羽根を抜いて、呪文を唱えて吹き散らせば、たちまちに数万の迦毘羅と変じて、いくらともなき太刀、鎧を手に手に取って引き出して、各々の肩に掛けて方便山へと飛び去りけり。
既にして迦毘羅坊は黄金の滝のほとりにその武具を下ろさせて、山の様に積み重ね、小羽根を取って術を収め、元の一人になりし時、眷属の夜叉天狗どもがあちこちより集い来て、その通力に舌を巻き喜びいさんで天堂へ太刀も鎧も運び入れ、これより日毎に群を定めて、太刀を合わせ鉾を回して武芸の稽古も油断なく、いよいよ迦毘羅をおし尊んで、威如大王と唱えける。
その時迦毘羅は主だちたる眷属の中より選んで太郎坊、次郎坊、山水(やまみず)坊、木の葉坊という四人を大将として駆け引きを司らせ、事十分に整えども未だ心に飽き足らず、ある日その四人に言う様、
「我が眷属は武具に富んで敵を防ぐに足るといえども、我には未だ心に叶う武具はなし。昔、日本に在りし時、師の坊より賜った快刀の御腰(かいとうのみこし)を帯たり、そもそも刃は敵を討つとも一両人を斬るにすぎず、只一打ちに数多の敵を取りひしぐには棒こそ良けれ。伝え聞くとこの山の黄金の滝の水上は竜宮へ通じるといえり。竜宮城には世の中に得難き宝が数多あり、定めて他に作るべき最上の金(かね)なからずやは、我が竜宮へ赴いて鏨(たがね)を盗らんと思うなり。汝らは萬(よろず)に心を用いて留守をせよ」と示しつつ、その滝壺の水上へさかのぼり、流れを渡って千尋(ちひろ)の底を物ともせずに竜宮城へ赴きける。
時に東門を守る水母(くらげ)の次官(じかん)、栄螺(さざえ)の衛士らが迦毘羅坊を見て大きく驚き、その来歴を尋ねれば迦毘羅坊は間近く進み向かって、
「我はこの竜宮とは隣国の無辺無量国の主にて▲岩裂の迦毘羅尊、威如大王と言う者なり。竜王に対面せんと自らここへ来た由をさぁさぁ伝えて案内せよ。早く早く」と急がせば、水母、栄螺は驚きあわてて、そのまま内へ走り入り、やがて事の事情(おもむき)をしかじかと申すと東海竜王は眉をひそめて、
「予てよりほのかに聞く岩裂の迦毘羅坊は神変不思議の曲者(くせもの)なり。彼は何の所望あって、この所へは来つるやらん。対面せでは叶わじ」とにわかに装束を整えて、鯛の宰相、ボラの納言(なごん)、ブリの中将、鯉の左大げんらを従えて、昇殿(しょうでん)に迎え入れ、上座(かみくら)に招いて事の心を問えば迦毘羅坊は膝を進めて、
「それがしはこの頃手にかなう武具を作らんと思えども、未だよろしき鏨(たがね)を得ず。此の竜宮には良き武具が数多あらんや。一振りを我に贈りたまえ」と言われて竜王は小首を傾け、「たまたまの所望なれども左様な物はたえて無し」、迦毘羅はそれを聞いて眼(まなこ)を怒らせ、
「竜王、何で一振りの武具をかくも惜しんで、たえて無しと言われるか。よしよしその義ならば我が自ら宝蔵を家探(やさが)しして選び盗って行かん。後悔すな」と罵りながら立ち上がらんとしたりける。迦毘羅坊の勢いあたり難ければ、竜王は慌てて押し止め、「客人、さのみ腹立てたまうな。宝蔵を詮索して良き物あらばたてまつらん。まずまずしばし待ちたまえ」ととどめて奥に走り入り、黄金造りの太刀一振りをうやうやしく携え来て迦毘羅坊に贈らんとす。
迦毘羅はこれを一目見て、此の太刀は真(まこと)に良しと言えども、我はこの武具を好まず、なおこの他に良き物あらんや。残らず出して見せたまえ」と言うと竜王ぢだいも得ならず、「しからば客人が自ら行って、心に叶うを選びたまえ。さぁさぁ」と言いながら先に立って案内すると、迦毘羅坊は宝蔵でこれかれと見てみるが鉾、弓の類(たぐい)など世に珍しい武具はあれども、それすら未だ心に叶わず、むなしく望みを失って退き出んとする時に、水門の傍(かたわ)らに苔(こけ)むしたる物が横たわり、半(なか)ばは砂(いさご)に埋(うず)もれて、是、鉄の柱に似たり。迦毘羅は目早くこれを見て、これは何ぞと指さし問えば、竜王は見て、
「さればとよ。▲そもそも黄金の柱は竜宮城の開闢(かいびゃく)の始めよりここにあり。いにしえ日の本(ひのもと)神世(かみよ)の時に、伊耶那岐、伊耶那美の二柱の神が数多の浮き橋にたたせたまいて、天の逆鉾(あまのさかほこ)を差し下ろし、下界を探らせたまいし折に、第一の滴(したた)りは凝り固まって国となり、その滴りの余れるは此の竜宮へ落ちとどまって、これらの物に成りたる由を聞き伝えてはあれども、その重き事、金輪際より生え抜いたごとくなれば、誰とて動かす事は叶わず、まして掘り取る事などは思いもよらず候」と答えれば迦毘羅はうなずいて、
「それこそ年頃に我が望む武具になるべき物なれ。どれどれ」と言いながら両手をかけて引き起こすと柱には非ずして、その丈およそ二丈ばかりのまさしく黄金の棒にして、自然と彫りなす十四の文字(もんじ)がその裏の方にあり。皆々等しくこれを見れば「神作如意金箍棒(しんさくのにょいきんこぼう)一万三千五百斤」と鮮(あざ)やかに読めれば、迦毘羅は大きに喜び、いと軽がるとうち振りうち振り秘術を尽くす棒の手に、見る目まばゆき黄金の光も辺りをはらう神通(しんつう)怪力(かいりき)、胸騒ぐばかりにて東海竜王がうがのうろくず(雑魚)は皆、舌を吐き肝を潰してえへるが如くに呆然たり。その時、迦毘羅が棒の手を止め小脇にかい込めば、不思議なるかな黄金の棒は迦毘羅の心に従って縮める時は短くなり、細くなること針の如く、その軽さは塵の如し。また引き伸ばせば元のごとくに二丈余りの棒となる。実(げ)に如意棒(にょいぼう)と言い、金箍(きんこ)と名付けし言われある事にこそとて迦毘羅は針の如くになりたる棒を耳に挟んで竜王に向かい、
「今、此の棒を得たれども、未だよろしき甲冑なし。とてものことに鎧兜(よろいかぶと)を選び出して贈りたまえ。しからずばいつまでも此の所に逗留せん。帰さんとも留めんとも竜王の心にあり。如何(いか)に如何に」とせりたてられて、竜王はしきりに頭(こうべ)を掻き、
「今更惜しむにあらねども、この所にはしかるべき鎧兜はたえてなし。西海(せいかい)、南海、北海の三竜王はそれがしの弟なり。彼らの元を詮索して奉るべきなり」とにわかに鐘を突き鳴らせば、その鐘は四方数千里に響き渡り、西海竜王、南海竜王、北海竜王は驚いて、またたく間に集い来て、迦毘羅の所望の由を聞き、心の内には憤りいと憎しと思えども、敵すべくもあらざれば、西海竜王は我が宝蔵よりしま黄金の兜を取り寄せ、北海竜王は水牛の皮で縅(おどし)た▲鎧を取り寄せ、南海竜王は海豹(あざらし)の革靴と小手脛当て(こてすねあて)さえ取り寄せて、ひとしく迦毘羅に贈れば、迦毘羅はこれを受け取って、鎧投げ掛け兜の緒を締め、耳の内に収めた黄金の棒を引き伸ばして、杖に付きつつ悠々と別れて古巣へ帰りけり。
これより迦毘羅の威勢は四面八方へ隠れなく、招かざれどもあちこちの山の主もおぢ恐れて、その手に付かんと願いけり。詳しき事は次ぎに見えたり。
されば岩裂の迦毘羅坊は竜宮城を騒がしつつも如意金箍の棒を得て、方便山に帰りしより威風いよいよ辺りをなびかせ、あちこちの山の主は数千里を遠しとせずに方便山に往来し、その手に付かんと願う者、白狼王(はくろうおう)と称するは、これも歳ふる熊の化けたるなり。また錦馬王(きんばおう)と称するは、その毛色が錦に似た鹿の化けたるなり。また巴蛇王(むじゃおう)と称するは、山に千年、海に千年、川に千年住んだ蟒蛇(うわばみ)の化けたるなり。この四人(よたり)の妖王どもは招かざるのに付き従って、迦毘羅は彼らを一方(いっぽう)の大将として、太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将とともに山の八方を守らせて、自分は如意天堂に起き臥して、酒宴遊興に日を送る時、ある日、酒に酔い伏してまどろんだ▲夢の中で五道の冥官(みょうかん)とおぼしき者が地獄の獄卒を従えて忽然と立ち現れ、
「いかに迦毘羅坊。汝の命数(めいすう)尽きたれば、閻魔王(えんまおう)が召されるなり。さぁさぁ参れ」と引き立てて、飛ぶが如くに馳せ去りけり。かくて五道の冥官は迦毘羅坊を引き立て来て、閻魔殿の前に額(ぬか)ずかせ押し据えて、この由をかくと聞こえ上げれば、冥府の主の閻魔大王はちやうぜんに出させたまいて、まず浄玻璃(じょうはり)の鏡に照らさせ、見る目嗅ぐ鼻で在りし世の罪の重さ軽さを考え、業の計りに掛けんとて、牛頭(ごず)馬頭(めず)の獄卒どもが迦毘羅の左右の手を取り引き立てんとする時に、迦毘羅は酒の酔い覚め、驚き怒って突っ立ち上がり、「こは何するぞ」と罵りながら、耳に挟んだ金箍の棒を引き伸ばし、かぶりて当たるを幸いになぎ倒せば、牛頭馬頭の獄卒らは肩をひしがれ、足をくじかれ、見る目嗅ぐ鼻は消し飛んで芝居の切り首見るごとく、「こは狼藉や」とばかりに右往左往に逃げ迷う。地獄の騒動大方ならず、実(げ)にその神通怪力(しんつうかいりき)に敵すべくもあらざれば、五道の冥官たちは声張り上げて、
「岩裂、聊爾(りょうじ/無礼)したまうな。およそ生きとし生けるものは終(つい)には死なずと言う事なし。その命が終わる時は冥土黄泉(めいどこうせん)に召される事、誰が一人も逃れるべき。疑わしくばこれを見て、その疑いを晴らしたまえ」と押し止めつつ、鉄の帳を開き差し出すのを見れば、真に我が名あり。無辺無量方便山の主岩裂の迦毘羅坊、何万何千何百何十年にして寿命終わると記されたり。それ見て迦毘羅はあざ笑い、
「世には同じ名の者が数多あり、例え十号(じゅうごう)限りありとも、我は仙術上手の者なり。いかでかおめおめ死して冥土の餓鬼となるべきや。詮術(せんすべ)あり」と筆取って、墨黒々と我が名を塗り消し、後先を開き見ると我が眷属の名も皆帳面に記しあれば、それらも残らず塗り消して閻魔王に向かい、
「我が輩(ともがら)は天地と共に寿命の尽き時無きに、物実(ものざね)と我らを呼べば閻魔でも▲十王でもその度は許し難し。汝の命に掛け替えなくば今日の手並みをお忘れなさるな」と息巻き猛くにらみつけ、筆を投げ捨てゆうゆうと帰ると思いしは、これうたた寝の夢なりけり。
されば迦毘羅は夢から覚めて、在りし地獄の有り様を眷属どもに物語れば、あるいは驚き、あるいは喜び、いよいよ迦毘羅の神通力の類無きをぞ感じける。
実(げ)にも夜叉天狗の類全て、幽冥(ゆうめい)につく者は、その寿命に限りなきにや。その死を知る由無き事は地獄の帳を塗り消した迦毘羅坊の業にして、その名の無きによれるなるべし。
○この時、日の若宮では天照大神(あまてらすおおみかみ)が遙か下界を御覧じて、天児屋尊(あまつこやねのみこと)に向かって、「近頃、西の方にあたって、いと騒がしく聞こえるのは何らの故ぞ」との勅問(ちょくもん)に児屋尊は頭を傾け、
「知るが□・・・・・・・・遙かに西にあたって、無辺無量という□山あり。その□山を領する者を岩裂の迦毘羅と言えり。彼は神通を得しままに、五月蠅(さばえ)なす悪しき神をいくらともなく招き集め、鉾を回し太刀を合わせ、また夜となく日となく酒宴して笑い興ずるその響(どよ)みが遙かに聞こえ候なり」と申す言葉も終わらぬ折から、
「海神(わだつみ)の主、東海竜王、その弟の南海竜王を日の若宮へ参らせて、岩裂の迦毘羅のために神さく如意の黄金の棒を奪い盗られし事のおもむき、また南海、北海、西海の竜王らも鎧、兜、革靴を是非なく渡せし事の由、彼の通力自在の次第を日の御神に訴え申して、願わくば臣等(しんら)のために天兵を向けられて迦毘羅坊を討ち滅ぼし、大千世界の災いを払わせたまえば、上も無き天恩ならん」と奏しける。
かかる所に黄泉路(よみじ)の国におわします▲伊耶那美の尊より黄泉醜女(よもつしこめ)を御使いとして、岩裂の迦毘羅坊が地獄の掟を破り、おのが名を記されし鉄の帳を塗り消したる体たらく、閻王の愁訴のおもむきは斯様斯様と訴えたまえば、日の神もいよいよ驚きたまいて、
「しからばその岩裂は捨て置き難き悪しき神なり。早く討っ手の神兵(かみいくさ)を差し向けて、その罪を正すべし。用意をせよ」と急がせたまえば天児屋の尊が申す様、
「岩裂の罪は逃れ難しと申せども、彼は始め迦具土の血潮にてなれる神なり。たとえ今その身は外国(ことくに)にあるにもせよ、これもまた日の本の神の胤(たね)には候わずや。さるを今一朝に討ち滅ぼさせたまわんことは御慈しみ浅きに似たり。早く勅使を使わして岩裂を召し上し、官職(くわんしょく)を授けたまえば、彼もまた天恩を感じて過ちを改めるべし。此の義はいかが」と諫(いさ)め申せば、日の神は実(げ)にもとうなずき、南海竜王、醜女らにしかじかと聞こえ知らせて、おのおのを本国へ帰させたまい、さて誰をか無辺無量国へ遣わすべきと勅問(ちょくもん)あるに児屋の尊はまた申す様、
「かばかりの御遣いに名だたる神たちを遣わしたまえば、返って事の破れとならん。昔、天稚彦(あめわかひこ)を召し返さんと頓使い(ひたづかい)にたてられつつ葦原(あしはら)の中つ国にて天稚彦(あめわかひこ)に射殺されし名なし雉の妻が女官となって、この大宮に仕え奉れり。この雉(きぎす)の命婦(みょうぶ)などがしかるべけれ」と奏せしかば、日の神はこの義に任せたまいて、雉の命婦を遣わさる。
さればまた雉の命婦は昔、夫の名無し雉が頓使いを仕損じて犬死にをした恥を清めるのはこの時なりと思いにければ、喜んで勅命を承り、雲をしのいであまつ空、幾千万里を飛び行きて、無量国方便山の如意天堂のほとりに降り立ち、天照大神の勅使として、雉(きぎす)の名代(みょうだい)来れりと音(おと)なえば、岩裂の眷属の天狗どもは驚き慌てて内に入って、迦毘羅坊に告げにける。されども迦毘羅はちっとも騒がず、そのまま名代を天堂へ迎え入れ対面す。その時、命婦は袖かき合わせ、
「天照日の大神、そもじの神通が類無き事の由を聞こし召し、天上へ召しのぼして司を授けたまわんと□らる。さぁさぁ参りたまえかし」としとやかに述べれば迦毘羅坊は喜んで、
「それがしは先には日本国へ赴いて仙術を学びし事、寿命を天地ともにした事は、遂には天上へ昇り八百万(やおよろず)の神たちと肩を並べんと思えばなり。しかるに今図らずも日の神より召される事は、何事かこれにますべき。まず杯(さかずき)を勧めんためにしばらく休息されたし」と言うのを雉(きぎす)は押し止めて、
「日の神を待たせん為にはしばしも時を移し難し。さぁさぁ参りたまわるこそ、もてなしにます喜びなれ」と言うに迦毘羅は押しても止めず、眷属の夜叉天狗らに▲しかじかと説き示し、
「我、日の神に仕え奉りて、しばらく天上にあるべきなり。任官果てて帰りくる日まで太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四人の者共にここを預け置くなり。よく留守をせよ」と下知しつつ、遂に雉と連れ立って、雲にうち乗りたちまちに日の若宮にぞ参りける。
しかれども岩裂は遠き島根に成りいでし五月蠅(さばへ)なす荒神なり。みだりに天顔(てんがん)を拝させるべからずと、しやうでんをゆかされず、彼に司を授けよとて、日の神の勅により天児屋の命、太玉の命(ふとだまのみこと)は承って、神議り(かみはかり)に図りたまうに、諸々の神たちが申す様、
「今、天上に欠けたる司はなし。只、一院の掃守(かにもり)はなし。まず岩裂を掃守になさるべうもや」と申すに、やがてその義に定めらる。これにより岩裂は天安河原(あまのやすがはら)に赴いて掃除の事を司り、また折々、鰯雲(いわしぐも)を起こす事を司りて、下界へ海の幸を示せと□わたされたり。けれども岩裂はいと遠き□になりいでて、都の手振りを夢にも知らねば、位の高き低きをも司の良きも卑(いや)しきも露ばかりだもわきまえず、今、掃守になりたるを良き司ぞと心得て、いささか辞する気色はなし。只、日の神に見参せぬをいといぶかしく思うものから、これもまた遠からず御目見えの日あるべしと思い図って、ちっとも疑義せず、やがて安河原の役所に入り、望み足れりと思いけり。
元よりこの所は日の若宮へ遠からねど、さしたる務めも無きままに、岩裂は同役の掃守神と酒を飲み、あるいは河原に出て漁(すなどり)しつつ、そこはかとなく日を送るに、折ふし春の事なれば、月読の尊(つきよみのみこと)に仕え奉るいかひ姫、おほがひ姫の神、天のざざ女などと言う女官たちは河原の水菜(みずな)を摘まんとて、安河原にいでたるを岩裂は遙かに見て、その所へ走り近づき、
「汝ら、何ぞ掃守の我々に断りなく、そこらの水菜を摘み取るぞ」と声高らかに咎(とが)めれば、いかひおほかひの二神は▲顔うち赤めて退きける。その中に天のざく女は口の悪き神なればちっとも騒がず見返って、
「わらわは月読の宮に仕え奉る女官なり。月読様の□により、この河原の水菜を摘めば、私(わたくし)の事ならず、職分卑しき掃守の和主なんどが知ることならず」と言われて岩裂は心を得ず、「我は真に掃守なり。そもそも掃守は卑しき司か。その位は二位か三位か、我は未だ知らず、詳(つまび)らかに我に告げよ」と言うとざざ女は吹き出して、
「笑止(しょうし)じゃ。さては知らぬじやまで、掃守と言う者は河原の蟹(かに)を払う役で人の世ではもんという掃除番の仕丁(しちょう)の事なり。その頭を掃部守(かもんのかみ)と言うけれど、それすら六位の官ぞかし。いわんや仕丁の掃守に何の位のあるべきぞ。笑止笑止」と言い捨てて、袖振り払って帰り行く。岩裂は我が職分の卑しき由を初めて知って、恨み憤ること限りなく、烏帽子、衣装をかなぐり捨てて、罵りつつ、南大門より古里の方便山を指して飛び去りけれ。さればこそあれ、後の世に金比羅を信じる者が蟹と鰯を断つ由はこれらの故によるなるべし。
かくて岩裂の迦毘羅坊は憤りに耐えず、またたく間に天上より方便山に帰りにければ、数多の眷属が出迎えて、「大王、先に日の神に召され天上したまいしより早十余年になり候。天上にてはいかばかりの司位(つかさくらい)を得たまいしぞ」と問われて岩裂は頭を掻いて、
「我は天上に在りし日が只十余日と思いしが、早十余年になりけるか。実に天上の一日は人間の一年なりと言うは空言ならざりけり。我は日の神に仕えんと遙々と天に昇りしが、日の神は我をよくも用いず、わずかに掃守とせられしかば、日ならず走り帰りしなり」と言うと皆々は吐息をつき、
「大王、何ぞさばかりの卑しき職分を守りたまわん。神変不思議の通力は八百万の神たちもおそらく及ぶ者はあらじ。かかればまた今更に王と申すもなお足らず、今より再び尊とんで威如神尊と称すべし」と言うと迦毘羅は喜んで
「諸々の意見は極めて理あり。しからばその義に任すべし。今より我を威如神尊と称せよかし」と誇り顔にてあご掻き撫でていたりける。
○この時、日の若宮では、天照大神に岩裂の掃守がその職分の低きを恨んで罵り猛って、日の御門(みかど)を破って走り去りたる由を櫛石窓(くしいわまど)の神、豊石窓(とよいわまど)の神が奏するに驚きたまい、「かくまで無頼の曲者を今はしも許し難し。早く討つ手を遣わして犯せる罪を正せよ」とにわかに十万の神兵(かみいくさ)を▲起こさせたまい、建御雷命(たけみかつちのみこと)を討つ手の大将として、その子天鳥舩神(あまのとりふねのかみ)を副将軍とし、天兵命(あまつつわもののみこと)を軍監(ぐんかん)として方便山へ遣わされる。
かかりし程に岩裂は討つ手の大群が向かうと聞いて、「さらば手並みを現して、似非神(えせがみ)どもの目を覚まさせん。者共、戦の用意をせよ」と六万ばかりの眷属を三手に分けて、巴蛇王(はじゃおう)、子路王(しろおう)、錦馬(きんば)、白狼(はくろう)の四大将を先陣とし、太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将を後陣に定め、その身は竜宮より得たしま黄金の兜をいただき、水牛の鎧、海豹の革靴、小手、脛当てに身を固め、中軍に控えたり。
時に神兵の先手の大将の天兵の命(あまつつわもののみこと)が鉾を回して真っ先に馬を馳せ駆け出せば、その手の神兵は鬨(とき)をつくって、我遅れじと押し寄せるのを、岩裂の先手の大将巴蛇、白狼らは迎え進んでしばらく挑み戦うが、岩裂方はさんざんに討ち破られて、皆散り散りに逃げ走るを何処までもと追っかけたり。その時、岩裂は大きに怒って逃げ来る味方に入れ変わり、黄金の棒を隆々(りゅうりゅう)と水車(みずくるま)のごとくに打ち振り打ち振り、しきりに進んで防いだり(ささえたり)。兵尊はこれを見て、望む敵ぞと天馬にかく入れ、ひとまぜもせず戦うが、岩裂がひらめかす棒の手はことに鋭く、遂に刃を打ち落とされて、余る棒にて二の腕をしたたかに打たれれば、馬引き返して退きけり。
二陣に控えた天の鳥舩の神はこれを見て、「岩裂の掃守め無礼なり。汝は一旦は拒むとも天意を犯していつまでか安穏(あんおん)にかくてあるべき。命惜しくば降参せよ。天の鳥舩の神ここにあり」と名乗りかけて戦いたまう。しかし岩裂は恐れる気色なく、
「あら物々しき討つ手呼ばわり。元より我が身に野心なし。日の神が我を用いずして、掃守にせし故に我はこの所へ立ち帰れり。今より我を押し昇し、威如神尊と称せられずば十万の兵一人も□を生きては帰すまじけれ。観念せよ」と罵って、面も振らず打ってかかれば鳥舩の神は迎え進んで、互いに現す神変通力は雲をしのいで地をくぐり、姿を隠し形を変じて一時ばかり戦いしが、鳥舩の神は腕(かいな)を突かれて左の肩先したたか打ちくじかれて▲大きに驚き、馬引き返して退きたまうを岩裂は追い捨てて、皆相引にぞ退きける。
さる程に、兵尊、鳥舩の神は本陣に立ち帰り、岩裂の通力の体たらく、味方敗軍のおもむきを建御雷(たけみかつち)の命に告げれば、御雷の命は驚いて、
「しからばこれ大敵なり。今またこれを討たんとせば多く味方を失うべし。一度(ひとたび)は天へ昇り帰って、事の由を相聞せん。必ず逸(はや)るべからず」ととどめて戦を引きまとめ、日の若宮へ昇り帰って、天照大神に奏するする様
「岩裂の通力は世の常に非ず。臣□手を尽くして戦いしが兵尊は腕をくじかれ、鳥舩の神は肩を打たれて未だ勝ちを取る事あたわず。もし軍勢を増し下されて、例え彼を滅ぼすとも味方も数多討たれるべし。よりて思うにあの者は元より逆心なし。只その職の卑しきを恥じ憤って古巣へ走り帰りしのみ。もし威如神尊という官号を下されれば仕え奉らんと申すなり。願わくばその罪をなだめたまいて、これらの官位を授けたまえば天地人の幸いならん」と恐る恐る奏し申せば、御側にはべりたるあまのかほの命はこれを聞いて、
「御雷(みかずち)が申す所はその理あり。今、岩裂に威如神尊の官位をたまうは過ぎたるに似たれども、官あっても司なければいわゆる散□散官(さんゐさんかん)の類なり。何か、苦しく候べき。勅きにあれかし」と取りなし申せば、日の神は遂にちしてめんありて、「されば岩裂の罪をなだめて召し昇せよ」と仰せらる。
これにより此の度も雉(きぎす)の命婦を勅使として方便山に遣わさけり。岩裂はやがて対面して雉の命婦を責めて言う様、
「汝は我をたばかって、天上へおびき行きつつ掃守のいと卑しき者にさせた恨みの数々、言わでも心に覚えあるべし。今更何の面目あって再び来つるか。その故聞かん」と居丈高(いたけだか)に罵れども雉は騒がず微笑んで、
「それは了見違いぞかし。およそ大宮に仕え奉る者は無位より初位八位七位と昇進して、正一位にも昇るなり。御身は初めて天上へ参り昇りし事なれば、掃守になされしとて、さのみは恥じることならず。しかれども日の御神はそもじの神力(しんりき)を感じおぼして、望みのごとく威如神尊の官を授けたまわんと、再びわらわを遣わしたまえり。過ちを▲改めてさぁさぁ参りたまえかし」と言葉賢(さかし)くこしらえれば、岩裂はたちまちに恨み解けて、雉の命婦と連れ立って日の若宮へ参りしかば、やがてせうでんを許されて天顔(てんがん)を拝し奉り、威如神尊という官号を勅き(ちょくき)にありて、威如の社(やしろ)を建て下され、みやつこの神を幾人(いくたり)か使われ人に付けさせたまえば、岩裂は深く喜んで、また天上にとどまりつつ、威如の社に静まりいたり。
しかれども官位ありと勤る業の無き身なれば□・・・・・・・□ありきてあまつ神と交われば、ふと玉の命は奏する様、
「威如神尊は官あって勤めなければ遊興に耽(ふけ)る由の聞こえあり。そのまま打ち捨て置きたまえば良からぬ業をしだすべからん。仮に山田守の司になされて、天安田(あまのやすだ)、天平田、天邑田(あまのむらあわせだ)を守らせたまえば事の災いなかるべし」としきりに奏し申せば、日の神はその義に任せたまいて、岩裂の威如神尊を田守の神に成されけり。しかるに天安田には三千年に一度はつかほを結ぶ稲あり。この米(よね)は日の神も常には供御(くご)になされる事なし。只年の十月毎に出雲の大社(おおやしろ)に八百万(やおよろず)の神が天下りて、新嘗(にいなめ)の事を行われ、その米を供御にかしぎて日の神に参らせたまうごうれいとぞ聞こえける。もしこの稲をはむ者は、その命は天地と共にとこしなくに尽きずとかや。しかれども秋穂はむ雀(すずめ)すら恐れてその田に寄り付かず、まして位低き神たちはなむることだに叶わざりけり。頃しも九月末なりければ、素戔男(すさのお)の尊の御舅(おんしゅうと)足名稚(あしなつち)、手名稚の神、その御娘くし稲田姫もろともに天安田を刈り取って、みずから籾(もみ)をひき、米(よね)をしらげうがの御霊(みたま)の命に渡して、大社(おおやしろ)へぞ運ばしたまう。岩裂はこれらの由を□□初めて伝え聞いて、足名稚、手名稚に打ち向かい、
「今年十月の神集めには、わしらも出雲の大社へ呼ばせたまうと仰せやありしか」と問えば頭を振って、「いやいや左様の沙汰はなし」と言うと岩裂は本意(ほい)なくて、
「我、いかにもしてその供御を一口食わばやと思いつつ、心の内に十月のその日を遅しと待ちたりける」
○されば今年も十月のその日も既に近づけば、八百万の神たちはその月の一日(ついたち)より次第次第に出雲の大社へ集まって、その三千年に一度実りし、天安田(あまのやすだ)の刈り稲のしかげたる米をもて、半ばは蒸して麹(こうじ)とし、これを酒にかもさせて日の神の神酒(みき)とし、またその半ばは餅に突かせ、あるいはまた飯(いい)にかしがせて日の神の▲供御になさるしも司の神たちは火を焚き水を汲む者あり、米を蒸して強飯(こわいい)とし麹に寝かす者もあり、臼に入れ突きやわらげてぐさい餅にするもあり、事の混雑は大方ならで上を下へと返しけり。
さる程に岩裂は時分を計って天下り、出雲の大社に近づく時に、図らずも途中にて保食(うけもち)の神に行き合いけり。互いに見知れる仲(どち)なれば、保食の神はいぶかって、「神尊和主は何らの故にここらを徘徊するやらん」と問われて岩裂たちまちに謀り事を得ていれば、ちっとも疑義せず、
「さればとよ。それがしは日の神の御使いを受けたまわって、御身のために来つるなり。日の神のお召しにより、早く日の若宮へ参りたまえ」とまことしやかに誘(いざな)うと、神は元より正直を旨としたまう事なれば、岩裂が偽(いつわ)り言うとは思いもかけず、
「・・・・・・・我はこの年毎に供御(ぐご)の事を執り行えば、わきてこの月のにひまめ命には萬に暇なき身なるを予ては知ろし召されんに、何らの火急の御用あって召し帰されることやらん」と心の内には思えども、否み申す由なければ、岩裂と連れ立ちってかへりのぼうたまう程に、岩裂は遅れた体にもてなし、引き外して取って返して大社へ入る時に姿を変じて、うけもちの神になりたり。
よりて大社を預かりたまう大己貴(おおあなむち)の尊を始め、萬の神たちは岩裂を咎める者はなかりける。さる程に岩裂は厨(くりや)の方に行って見るに、その八束穂(やつかほ)の稲で、只今かもした大神酒(みき)あり。また飯もあり餅もあり。いっぱい飲みたや食いたやと思えども、その辺りには下司の神が数多おればそぞろに手をもかけられず、詮術(せんすべ)ありと脇の下の小羽根を抜いて吹きかければ、その羽根は数多の眠り虫と変じつつ、下司の神たちの頭(つぶり)に止まり身に付けば、たちまち眠りをもよおして我を忘れる高いびき、枕を並べて臥したりける。
その暇に岩裂は酒を飲み、餅を食い、飯さえ□□はつしてやつたる例えの節の盗人上戸(ぬすびとじょうご)、仕合わせ良しと口舐めずりして腹を撫でつつ天上へそのまま帰り昇りけり。▲
されば岩裂は大社の新嘗(にいなめ)に日の神の供御となるべき八束穂の酒をして、やりか餅を喰らい飯を喰らいて酷く酔いたる癖なれば、天上へ昇るに我が社へは入らずして、あやまちて月読の尊の宮へ惑い入りけり。
かかりし程に内殿には月読の尊に仕え奉る兎(うさぎ)どもが声面白く歌いつつ不老薬(おいせぬくすり)を突いており、畢竟(ひっきょう/要するに)、岩裂はこの体を見て、またいかなる事をする。

この合巻は常に変わりて長物語の事なれば、これを初編の終わりとす。第二編、三編はまた年々に継ぎいだして、遂には全部の草紙となさん。まずこの初編を御覧じて、それより二編三編と次第次第に御評判。古い趣向を新しく書き換えたるも方便の大和魂勇ましき、また来る春を待ちたまえかし。目出度し目出度し■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第二編上

2017-02-27 09:17:12 | 金毘羅舩利生纜
白龍(はくりゅう)の魚腹(ぎょふく)たる余諸の網を脱(のが)れること易からず、老狐(ろうこ)のれいたる□先(もせん)が才をはかること難(かた)かり、高明(こうめい)もまた天機を漏らさば、鬼神の憎みを恐れざらんや、その智をさること、その智にあり、汝が智慧(ちけい)を施す事なかれ

賛曰 人をのらば例えの節の穴二つ走る野狐蟠(わだかま)る蛇

書生 村崎志賀蔵(むらさきしがぞう)
三善清行(みよしきよゆき)
水海屋 樽奴川太郎(たるひらいかわたろう)

念々億萬慮(おくまんりょ)すべてこれ莫妄想(まくもうぎょう)
迷うが故に衆生(しゅじょう)なり、悟れば終(つい)に仏とならん、迷悟(めいご)本来我に在り、また何処をか求めんや、また何処をか求めんや

賛曰 渋柿のしぶしぶに世を捨てしかど早尼法師となるぞ目出度き

大見の次官 仲起(なかおき)
清行が妻 玉梓(たまづさ)
新菩提寺のこしょう 細江水之助

大和物語に中興(ちゅうこう)の近江のすけが娘物の怪に患(わずら)いて、浄蔵(じょうぞう)大とくをげんざにし奉るほどに人とかく言いけり、しのびてありへて後しかじかと記し付けたり、或いは浄蔵子どもを産ませて後、我が法力の衰えやしつるとて、その子二人を膝(ひざ)の下しきながら祈りけるに、なお談ありけるなどもいえり、かかる有□(うげん)の名僧にもこれらの説あるはいかにぞや、宜(むべ)なり、元弘(げんこう)釋書(しゃくしょ)には右の異説を収めざりけり、今またたすけてかのちやうの物語をつぐること古□をおもに老婆心、もし浄蔵を世に在らせなば実は道具に使わるるといわまし
賛曰 ながれての余のことぐつにぬれ何もとき洗ひせんの里をちからに

太郎□(子+需)
乙□
雲居寺(うんこじ)の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)
大見仲起が娘 小鮮姫(わかおひめ)

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かくて岩裂の威如神尊は大社(おおやしろ)の新嘗会(にいなめえ)に日の神へ参らせる神酒を飲み、餅飯を喰らって、また天上へ昇る時に思わず月読尊(つきよみのみこと)の宮へ迷い入り、あちこちと見歩くと、ここには数多の兎(うさぎ)どもが不老(おいせぬ)薬を突いており、彼処(かしこ)には天乙女(あまおとめ)が甘露の酒を升で測ってすいせちの壷に、その香りは得も言われず、岩裂はこれを垣間見て腹の内に思う様、
「・・・・・月読がおわします月宮殿(がつきゅうでん)には甘露の酒あり。これを飲む者は老いせず死なずと予てより伝え聞きしはこれなるべし。宝の山に入りながら手を空しくして帰らんや。要(えう)こそあれ」と心でうなずき、例の小羽根を引き吹き掛ければ、不思議や小羽根はたちまちに眠り虫と変じつつ皆その背中に取り付くと、さしも今までべちゃくちゃと朋輩仲(ほうばいなか)のいと良きままに、四方山話(よもやまばなし)に興じた乙女は眠りをもよおし、こくりこくりと漕ぐ船の舵(かじ)にはあらぬ肘枕(ひじまくら)、一人も残らず臥したりける。
「サア、してやった」と岩裂はその壷を引き出して瑠璃の升にて汲み取り汲み取り、いくらともなく飲む程に、その美味き事は今更に例えるものなし。三千年に一度実ると言う天安田の□□をもて作る神酒(みき)に増すとも劣りはせずと舌打ちしつつ早一壷を飲み干したり。その時、岩裂は思う様、
「・・・・・我、出雲の大社にて神酒を飲み餅を食べ、今また此の月宮殿で甘露の酒を飲みたるに、事遂に現れれば日の神は必ず怒らせたまいて、ゑうどき咎めにあわせやせん。うかとしているところでなし。これまでなり」とそのまま走り出て、ひらひらと下界を指して飛び去りけり。
さればまた無量国方便山の夜叉天狗らは数十年の月日は経れども訪れ絶えて帰り来ぬ岩裂を待ちかねて、噂のみして居るほどに、岩裂は神通力にて、またたく間に数万里の雲をしのいで風を起こして方便山へ帰りにければ、天狗どもは喜んで皆諸共に出迎えて、威如天堂の設けの席へかしづき入れて言葉を揃えて、
「神尊、先には日の神へ仕え奉るといでたまいしが、既に六千余年を経たり。天上にはいかばかりの楽しき事が候しぞ」と問われて岩裂は心を得ず、
「我が天上に在りし日は二月(ふたつき)ばかりと思いしが六千余年になりたるか。実(げ)に天上の一日は人間の一年なりとことわざにすら言う事のかえすがえすもしるしあり。我、日の神に仕え奉り、威如神尊の位をたまわり、不足無きには似たれども大社の新嘗にもらされし事の遺恨に耐えず、斯様斯様にたばかって、神酒を飲み、また餅を食べ、その帰り道に月宮殿の甘露の酒を飲みしにより▲後の祟(たた)りの後ろめたさににわかに帰り来つるなり」と告げると皆々微笑んで、
「それは我らの幸いにて、その事なくばいかにして神尊が今日(けふ)しも帰りたまわんや。まず一杯を傾けて疲れを休めたまえかし」と大方ならず慰めて、酒肴を並べ、早杯をすすめれば、岩裂はその酒を飲みも終わらず眉をひそめて、「これは余りに悪酒なり。今少し良き酒あらば銚子を替えよ」と急がすと天狗共は聞きながら、
「神尊、何故に此の酒を悪しと宣うぞや。そは此の年頃、天上にて良き酒ばかり飲みたまいし口がおごれる故ならん。されば隣のぢんはみそこなたになきをいかがわせん」と言われて岩裂はうなずいて、
「実にさる事もあらんかし。遠きが花と世にも言う天上へ飛び行って、甘露の酒をかいさらい、汝らにも飽くまで飲ませて百万年も生き延びさせん。さぁさぁ」と言いかけて、端近く出るとそのまま飛行自在のいつとくはたちまち雲にうち乗って、またたく間に月宮殿のぎかくと門へ飛び行って奥深く忍び入ると、この時あの天乙女らは始めのままで眠りこけ、同じ枕に前後を知らず、岩裂はこれをと見かう見て、「うまいわろじゃ」と舌を吐き、僅かに一壷残る甘露の酒をう□・・・□て、方便山へ飛び帰り、壷を開いて我も飲み、眷属どもにも飲ませれば、天狗共は岩裂の今に始めぬ通力と、またその酒の世の常ならぬを喜び勇んで、寄って酒盛りしたりける。この時、日の若宮では天照大神が出雲の大社より参らせる新嘗を聞こし召さんと、天のうずめらの女官たちに供御(ぐご)の用意をせさせたまうが、かかる所に保食神(うけもちのかみ)が大社より帰り参りて、「お召しにより参内(さんない)せり」と慌(あわ)ただしげに奏したまえば、日の神は驚きいぶかり、「朕(ちん)は保食を呼ばせし事はなし。そは聞き違えたるならん。心得難し」と宣えば、保食もまたいぶかって
「さん候、先の程、岩裂の神尊を御使いにたてられて、にわかに召させたまうにより、萬を差し置き参りたり。聞き違えには候わず」と重ねて奏したまうと日の神はますます驚いて、
「朕は決して岩裂を使いにたてた事はなし。しかるにあの神が偽って大社へ赴きしは良からぬ訳のあるにこそ」と宣う言葉も終わらぬ折から、大社を預かりたまう大穴牟遅(おおあなむち)の尊より下司の神をもて、
「さても今日(こんにち)誰とも知らず供御に用意の神酒、餅、飯を盗み喰らいて候なり、よりてぬらふる神たちを厳しく詮索すれども、その事未だ定かならず、只これ□□(わくら)が過ちにて申わけなしと言えども包み申さん由のなければ、御沙汰を仰ぎ候なり」と恐る恐る訴えたまう。これのみならで月読の尊より天乙女を使いとして、甘露の酒の二壷までも紛失したる事の事情は斯様斯様と奏させたまえば、日の神はしきりに驚いて、
「かれこのひこれと言い、察するところに岩裂の正無事(まさなごと)にぞあらんずらん。さぁ岩裂を呼ぶべし」と御使いを遣わされしが▲しばらくして使いが帰り、
「それがし急ぎ神尊の社へ赴きしが岩裂は彼処におらず、その下司に尋ね問うと神尊は今朝早く何処へか立ち出て帰りたまわずと申すにより、八方へ手分けして行方を尋ね候いしが、その影もなく候」と息付きあえず奏すれば、日の神はいたく怒らせたまいて、
「そは蓄電(ちくでん/とうそう)せしならん。一度ならず二度三度とよからぬ業をしだせしは実にさばへなす悪しき神なり。今はしも許し難し。早く討つ手の神兵を遣わして召し取るべし」とぞ勅定(ちょくじょう)ある。これにより此の度も建御雷命を総大将として天兵命を差し添えて、更に十万の神兵を起こさせて方便山へぞ遣わしたまう。
その頃、岩裂は甘露の酒に酔い臥して威如天堂にありけるに、眷属の天狗どもが慌(あわ)ただしく走り来て、「神尊、眠りを醒まさせたまえ、討つ手の軍兵が向かうたり」と声々に呼び張れども岩裂は騒ぐ気色なく、「そは何ほどの事があらん。只うち捨てて置けかし」と答えて起きも上がらねば、天狗どもは気を揉んで、「いかがせんか」と躊躇(ためら)う時に太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将がおいおいに走り来て
「神尊、何故に起きたまわぬぞ。大手門の方は御雷を大将にして五六万騎が押し寄せたり。また搦(から)め手門には鳥船と兵の神を大将に四五万騎もあるべきか、これも間近く寄せ来たれり。さぁさぁ起きさせたまわずや」と皆々しきりに揺り起こせば、岩裂はむっくと頭をもたげ、
「あながまや、さもこそあらめ、汝ら四人は白狼王と巴蛇、錦馬、子路王の魔王らと諸共に搦め手門の討つ手を防げ、我は大手門を押し開いて御雷を打ち散らさん。急げ急げ」と勇気の広言、鎧をさっくと投げ掛けて八万四千の眷属を二手に分かちて下知を伝えて大手の門を押し開かせ、金砕棒を打ち振り打ち振り、込み入らんとする敵を四角八方へ打ち散らせば、さすがに勇む神たちも進みかねてぞ見えたりける。▲かかる折にも搦め手門には太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将、またその四人の魔王と共に数多の天狗を前後に備え、面も振らず突いてかかれば、鳥船、兵の二柱の神たちは得たりやおうとひらき合わせて、「かかれ。かかれ」と下知したまえば、その手の神たちはちっとも疑義せず、追いつ返しつ戦いたまう。音に聞こえし神兵(かみいくさ)、石の矢尻(やじり)の飛び違う音もすさまじき憤激吶戦(ふんげきとつせん)、しばし勝負は分かざりけり。
かかる所に日の神の御使いとして手力雄命(たちからをのみこと)、彦五十瀬命(ひこいせのみこと)が手勢を引き連れ、戦の勝負を見んために方便山の搦め手門へ天下りたまうに、思うに違わぬ戦の最中、何かはちっともゆよすべき、岩裂勢の後ろより鬨(とき)をどっとつくかせて、突き伏せ、突き伏せ攻めたてれば、岩裂方は思いがけなく後陣の方より斬り崩されて防ぐべうもあらざれば、只蜘蛛の子を散らすごとくに威如天堂へ逃げ籠もる。されば鳥船、兵の二神はその機にかなう戦の駆け引き、思いがけなき助けに勇んで、そのづをぬかず追い討ちたまえば引き遅れた四人の魔王の白狼、錦馬、巴蛇、子路らは枕を並べて討たれたり。
既にして天狗どもは一人も残らず逃げ失せければ、鳥船、兵の両大将は手力雄命、彦五十瀬命と共に談合して、この手の戦に勝つといえどもあの岩裂は大手門にあり。彼処(かしこ)の勝負は心許(こころもと)なし。いざや戦を一つにして岩裂を討ち取らんと只その所を打ち捨てて、大手門へ押し寄せれば、果たして戦のただ中で、只一人の岩裂に数多の神たちはかけ破られて、既に危うく見えしかば鳥船、兵、手力雄、彦五十瀬の神は諸共に名乗り掛け名乗り掛け、岩裂の前後より隙間もなく攻めつけたまうと、岩裂は騒ぐ気色もなく▲一万三千五百斤の金砕棒を水車の如くに振って四人の神を左右に受け止め、ひるまず去らず戦う程に、ややもすれば四人の神たちも受け太刀になりたまう。建御雷命はこれを見て、采配うち振り諸軍を進めてしきりにかけたてたまいしかば岩裂の手の天狗どもは先陣遂に崩されて、主を捨ててぞ逃げ迷う。岩裂も心猛しといえども逃げる味方に引きたてられて、かつ戦い、かつ退き、威如天堂へ閉じこもり金戸(かなど)を固く差させけり。
その時、搦め手門の負け戦に逃げ籠もる四人の眷属太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の天狗どもは忙わしく出迎えて、さめざめと泣きつつ、またからからと笑えば岩裂はこれをいぶかって、まずその故を尋ねれば、四人の天狗は、
「さればとよ、初め我らが泣きしは、さしも腹心と頼まれし四人の魔王が討たれしを深くも痛み嘆きしなり。されども神尊はつつがなく立ち帰らせたまえば、喜ばしさに思わずもひとしく笑いをもよおせり」と言うと神尊はうなずいて、
「汝ら、心を安くせよ。あの魔王らは討たれしとても蛇なり、鹿なり、狼なり。元より我が種類に非ず。今日は全く勝ち得ずとても我が眷属は一人も討たれず。しからば何をか嘆くべき。あの似非神どもが懲りず間に重ねて押し寄せ来る事あれば、皆殺しにして腹をいん。休め休め」と鷹揚に騒ぐ気色は無かりけり。
さる程に建御雷神たちは本陣に立ち帰り、日の神の勅(みことのり)を謹んで承り、再び軍議をこらしつつ、御雷の神は頭を傾け、
「今日の戦で岩裂の四人の魔王を討ち取って、勝利あるに似たれども、彼の真の眷属を只一人だも討ち止めず。いわんや岩裂の神通勇力(しんつうゆうりき)には容易(たやす)く勝ちを取り難し。いつも互角の戦して徒(いたずら)に日を送れば曲者に侮(あなど)られん。所詮助けの大将を申し下して力を合わせ、短兵急に捕りひしがねば、いたずらに後悔するのみ甲斐なからん」とこれらの由を相聞(そうもん)あれば、こよなき幸いなるべしと思い入りて述べたまえば、彦五十瀬、手力雄の二神は、
「この義は真にしかるべし。我々は帰り上って相聞をとどけるべきに、そなたからも一人の使いを差し添えたまえ」と急がして早立ち去らんとしたまうに、御雷の神は喜んで二人の御使いに鳥船の尊を差し添えて、日の若宮へ参らせたまう。これにより日の神は御雷の神の願いの趣(おもむき)、その義は如何にと勅問あるに、天のやこねの命、太玉(ふとだま)の命が承り、ひとしく奏したまう様、
「今また助けの大将を下界へ下したまわんには、日本武尊(やまとたけるのみこと)にます者なし。あの神が知勇に優れし由は世もって知れる所なり」としきりに聞こえ上げれば、日の神はこの義に従い、その尊を大将として重ねて神兵をおこさせたまい、更にまた手力雄と彦五十瀬の神を差し添えて方便山へ差し向けたまう。
出陣またたく間なれば鳥船の神は先立って本陣に立ち帰り、事の事情を斯様斯様と父の尊に告げたまうと、御雷の神は喜んでしばらく戦を止めつつ助けの勢を待ちたまう。
かかりし程に日本武尊は彦五十瀬、手力雄と共に方便山のほとりの本陣に天下り、建御雷の神たちと神議(はか)りに計りつつ、戦の評定したまう様
「あの岩裂は熊襲(くまをそ)にも建部(たける)にもます大敵なり。されども知謀を巡らせれば生け捕らんことは難くもあらじ。明日の戦いには我が岩裂と戦うべし。鳥船、兵の二神は五万騎を従えて、彼の眷属を討ち取りたまえ。岩裂は通力ありと言えども▲味方が敗北するのを見れば心慌てて逃げ走らん。その時、彦五十瀬、多力雄の二神は五万騎を従えて、その逃げ道を切り塞ぎ、彼を城へ帰したまいそ。御雷の神はおんとしやくに此の所にとどまって本陣を守りたまえ。その余の手分けは斯様斯様」と軍議は既に定まりぬ。
さて、その明けの朝、日本武尊は新手(あらで)を従え、方便山へ押し寄せたまえば、岩裂もまた八万四千の眷属を従えて、真っ先に馬を乗りすえ、来たる者は誰ぞと問う時、尊も馬乗り出して、
「知らずや、我は日本(やまと)だけしう□の□神なり。天地(あめつち)開けそめしより、帝(みかど)に背きまつりし者、誰かは滅び失せざるべき。汝はしばしば天意を犯し、いかでか逃れる道あらんや。前非を悔いて降参せば、命ばかりは助けんず」と声高らかに呼び張りたまえば、岩裂は怒りに耐えずして、「ほざいたり。その顎(おとがい)を叩きくじかん。覚悟をせよ」と罵りながら金砕棒(かなさいぼう)をひらめかしつつ打たんと進むを尊はすかさず叢雲(むらくも)の御剣をもって戦いたまう。互いに得たる道なれば、受けつ流しつ、劣らず増さず、三百余打ちに及べども勝負も分かず見えしかば、岩裂の眷属どもは等しく呆れて目も離さずに眺めをる油断を見すまし、思いがけなき後ろより多力雄の神、彦五十瀬の尊の伏せ勢が一度にどっと起こって無二無三に討ってかかれば、天狗共は驚き騒いで更に戦う擬勢もなく、方便山へと逃げ籠もれば、岩裂はこれに心慌てて隙を見合わせ引き外し、山路を指して退く折に鳥船、兵の二神は数多の神たち引き連れて、遮(さえぎ)りとどめて声々に
「岩裂、逃げるとも道はなし。降参せよ」と呼び張りたまえば、岩裂はいよいよ驚いて虚空遙かに飛び昇るのを日本武尊は引き続き、また空中にて戦いたまう。
しかれども岩裂は身を逃れんと思うのみにて、更に戦う心なければ、身をひるがえして天下り、小鳥と変じて草むらに隠れんとする所を日本武尊はご覧じて白き鷹と変じつつまっしぐらに落とし来て、かいつかまんと追っかけたまえば、岩裂は驚き身を逃れ、その山の麓の山の神の祠(ほこら)に変じて息をこらしてをる時に、尊はすかさず追っかけたまうが、早岩裂は逃げ失せて山の神の祠のみあり。ここらにあるべき物ならぬに▲これは岩裂が化けたるならんと早くも悟って手鉾を持って走り近づき扉に打たれる金物を突き破らんとしたまえば、岩裂はますます驚き騒いで扉に打たれた金物と見せしは眼(まなこ)なるものを突き破られてはかなわじと、再びそこをも逃げ去って道のほとりの池に飛び入り、小鮒と変じている間もあらせず、尊はひたすら追っ掛けたまうに早岩裂が見えざれば、そこかここかと尋ねたまうと池の内に小鮒あり。その鮒の色は常に変わって緋鯉(ひごい)のごとく朱(あか)ければ、これもまた岩裂の化け損ないに疑いなし。詮術ありと立ち寄って、水に向かって御息をふっと吹きかければ、その息たちまち大きな川獺(かわうそ)と変じつつ、くだんの小鮒を飲まんとす。岩裂はあなやと身を逃れて、また空中へ逃げ昇れば、尊も続いて追っ掛けたまうが早岩裂は見えざりけり。
されども尊は予てより八方遠見の神たちに天眼鏡を照らさせて、あちこちに置きたまいしかば、またその所に立ち寄って、各々(おのおの)は岩裂の行方を見留めざりけるかと一人一人に尋ねたまうが見留めし者がなかりしかば、尊はしきりにいらだって、なほしも残る隈(くま)もなく尋ね歩かせたまいけり[物語二つに分かる]
ここにまた、天の中国(なかつくに)におわします八百万(やおよろず)の神たちの御中(おんなか)に仏の道にも疎(うと)からぬを両部神道(りょうぶしんとう)と唱え申して両部の宮におわしますその神たちは三十番神、五番の若神、日吉の七社、熊野権現、富士白山その数も多かる中にわきて八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は両部の宮の主として仏法帰依の御神なれば南海のきやうしゆ観世音と御交わりも浅からず、これにより観世音はある日両部の宮へ来まして八幡宮と衆生済度の御物語りをしたまいけり。なお詳しくは次に見えたり。
そもそも八幡宮と申し奉るは応神天皇(おうじんてんのう)の神号なり。この帝は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の御子にして日本武尊には御孫にてぞおわします。しかるに御祖父日本武尊が岩裂退治の大将に選ばれて重ねて方便山へ向かいたまいしかば安否はいかにと思(おぼ)し召す八幡宮の御心おだやかならぬ折からに、補陀落山(ふだらくさん)の観世音が両部宮へ影向(えうごう)あれば、八幡宮は岩裂の事の事情、再度の討つ手を遣わされたる始め終わりを御物語りましまして、この事はいかがあるべきと思い入りてぞ問いたまうに観音はつくづくと聞きたまいて、
「あの尊の武略においては大功疑いなしと言えども神は正直を旨として、仮にも偽りの謀(はかりごと)を好みたまわず。これによりてその戦のはかどらぬこともあるべし。それがしがあの地へ赴いて戦難儀に及ぶと見ればいつひの力を尽くさん事、元より願う所なり。この義はいかが」とまめやかに問い返されて、八幡宮は御喜び大方ならず
「大士、あの地へ赴きたまえば朕が心は初めて安し。よきに図らせたまえかし」とねんごろに頼ませたまえば、観音は重ねて一義に及ばず、御供にはべる恵岸童子(えいがんどうじ)を引き連れて雲に乗りつつまたたく暇に無量国へぞ赴きたまう。
これはさておき岩裂はようやく身を逃れ、威如天堂へ帰らんと思えども方便山には数万の神たちが隙間もなく陣取って、行くべき方は風も通さず、空へ昇って隣国へ逃げ行かんと欲すれば、遠見の神たちが空中に天眼鏡で護りおれば、如何にとも詮方なく、しばしよそ目を忍ばんために日本武尊に変じてその本陣へ赴くと、この陣所を護る神たちはいかでか見知るべき、只これ尊が帰りたまうと思いにければ、出迎えて設けの床机(しょうぎ)にいざない参らせ、建雷の神にさえ▲しかじかと告げ申せば、建雷の神もまた忙わしく立ち出て、戦の様子を尋ねつついとねんごろにもてなしたまう。
かかる折から日本武尊は岩裂を見失い、心ならずも手勢を引き連れ本陣指して帰りたまえば、門守(かどもり)の神がそれを見て、「こはそもいかに。またひとり日本武尊が来ましたり。それかあらぬか」とばかりに呆れ迷って立ち騒ぐのを尊は心得ずとそのことの事情を尋ね問いつつうなずき、
「神たち、必ず騒ぐべからず。先に来たのは岩裂ならん。奴(しやつ)が我が身に変ぜしのみ。捕り逃がすな、討ちとめよ」と言いかけて、早ずかずかと進んで奥へ入りたまえば、岩裂はこれを見返って驚きながら減らず口、さては真の尊めが立ち帰ってはここにもいられず、お暇(いとま)申すと足早に逃げんとするのを数多の神たちが逃がさじ行かじと取り巻いた後ろの方には日本武尊、御雷の神が諸共に弓矢を取り上げよっ引き固めて射て倒さんとしたまえども、鏃(やじり)は砕けてかの身に足らず、されば数多の神たちも支えかねた折しもあれ、方便山より退き来た鳥船、兵、多力雄、五十瀬の神たちはこの体(てい)を見てちっとも疑義せず、とうまの如く取り込めて絡め捕らんとしたまえども岩裂は物とも思わず、多勢を相手に早速(さそく)の働き、ここに現れ彼処に隠れて千変万化と□を砕く古今無双(ここんぶそう)の神通力に勝ちを取ること難ければ、捕り逃がさじと神たちは思わず時を移しけり。
かかる所に観世音は紫の雲にうち乗って本陣近く影向(えうごう)あり、遙かにこれを見そなわして、恵岸ゆみやに持たした楊柳水(ようりゅうすい)の壷を取り、しきりに水を振りかけたまえば、さすがに猛き岩裂も道のぬかりに足元乱れて滑ってはたと転びにければ、得たりやおうと手力雄、鳥船、兵、彦五十瀬の神四人はひとしく折り重なって手取り足取りようやく押さえて縄を掛けけり。
しかれども身を変じて逃れることもやと、琵琶骨(びわこつ)という骨をしたたかに捕り縛り、仕合わせよしと神たちは勝鬨(かちどき)上げて皆諸共に岩裂を引きつつ日の若宮へ凱陣(がいじん)し、勝ち戦の事の趣、観音大士の楊柳水が味方の助けとなりたる事まで斯様斯様と奏したまえば、日の神の御感は浅からず、
「しかればこれ岩裂は西の聖の助けにより容易く絡め捕られしものなり。かかる因(ちな)みのあるなれば両部の宮へ引き立てて、ともかくも計らわせよ」と掟(おきて)させたまいしかば、御雷、日本武(やまとたける)の両尊は勅命に従い岩裂をは絡めたままにて両部の宮へ渡したまいぬ。
これにより両部の主の八幡宮は三十番神の神たちと計りたまうに、岩裂の罪は莫大なり▲さぁさぁ頭(こうべ)をはねるべしとおのおの定め申すにぞ、さらば頭をはねよとその神どもを急がせたまうが、司の神が申す様、
「岩裂の五体へはいかなる剣もたち候わず、しひて斬らんとする時は刃砕けて詮方なし。また大石をおし掛けて押し潰さんといたせども、その石砕けて岩崎の身には少しもつつがなし。かかればいかがつかまつらん」と大息ついて奏し申せば、八幡宮も呆れて、また神議りに計りたまうが、武内宿禰(たけのうちのすくね)かうらの□神が進み出て申す様、
「そもそも両部宮(りょうぶきゅう)には開闢(かいびょう)の昔より用いられたる湯立(ゆだて)の釜あり。その竈火(かまどび)は二六時中しばらく消えることなく、湯もまた増減あることなし。かかる不思議な熱湯なればあの岩裂をその釜へ押し入れて湯で殺し候わば、いかなる神通ありとても煮えただれんこと疑いなし」としきりに進め申せしかば、遂にその義に任されけり。
これにより下司の神たちは岩裂に八重縄掛けて湯立ての釜に押し入れつつ蓋の上には千引(ちび)きなす大盤石を押しとして、薪(たきぎ)をすえ、湯をたぎらせ、昼夜暇なく煮たりける。
既に日数は七十五日に及びしかば、武内の神は思案して八幡宮に申す様、
「岩裂を釜茹でにして七十五日になりて候。今では煮えただれて、どろどろになりつらめ。蓋を取らせて釜の内を見候ばや」と申すに、八幡は実にもうなずいて、「しか計らえ」と仰せけり。さる程に武内は下司に下知しつつ釜の蓋を取りのけて、あらため見よとぞ急がせける。さればまた岩裂は二月余りも煮られし故に戒めの縄は煮え切れたれども、その身はちっともつつがなく精神健やかなるものから、ただその釜の奇特によって蓋押しのけて出て行き難かりに、今下司が立ち寄ってそろりと蓋を取るより早く釜の内より躍(おど)り出て、耳に挟んだ金砕棒を引き伸ばし打ち振りて、荒れに荒れたる有様に、下司の神は驚き騒いで得物得物と引き下げ引き下げ、逃がしはせじと取り巻くも岩裂は物ともせずに当たるに任せて打ちかえせば、数多の神たちはどよめくのみで支えかねたる折しもあれ、日本武尊の御使いとして八幡宮へ参りたる火灯しの童(わらわ)はこれを見て、「岩裂、天意を恐れずや。無礼なせそ」と呼びとどめ、しばし支えて戦う程に、武内の神もまた鉾を持って立ち向かい、力を合わせて挑みけり。
この時までも観世音は西天(さいてん)へ帰りたまわず両部の宮におわせしかば、岩裂の体たらくを伝え聞きつつ驚いて八幡宮に言う様、
「真に、かかる曲者は法をもって征すべし。力をもって勝ち難し、奇妙の者を速やかに降伏せんと思し召さば、それがしが西天へ赴いて釈迦如来を迎え来つべし。御心安くおわしませ」と言いも終わらず、紫の雲にうち乗って、瞬(またたく)く間に西を指してぞ飛び去りたまう。▲
この時、仏祖釈迦牟尼如来は霊山(りょうぜん)の沙羅双樹(さらそうじゅ)の元に趺坐(ふざ)して法を説いておわせしに、観音大士が参りたまいて、あの岩裂が体たらくかつまた如来の智力(ちりき)をもて降伏させたまわん事を乞い願いたまえば、釈尊はしばしばうなずきたまいて、
「良きかな良きかな。八幡宮は仏法帰依(ぶっぽうきえ)の神にして、本地大日におわします。いわんやまた苦をぬいて楽しみを与え、迷いをさまえて陥(おちい)る者を救わんとは元より仏の請願なるに、いかでかは行かざらんや。さらば急げ」と仰せもあへず第一の御身なる阿難如来(あなんにょらい)を従えて、観世音を先に立て、両部の宮へぞ影向(えうごう)ある。
さればまた、武内かうらの神、火灯しの童らは下司の神で岩裂を取り巻かせ、八幡宮のとりいさきにておめき叫んで挑み争うまっただ中へ釈尊は早くも影向ましまして、まず神たちを退かせ、一人自ら進み寄り、「やおれ岩裂、ものにや狂う。我はこれ釈迦牟尼仏なり。無礼なせそ」と制したまえば、岩裂はそれ見てあざ笑い、
「汝は世にも無き事を作りて□俗をなかする痴れ者(しれもの)なるか。我が通力は神も及ばず、まして仏を恐れんや。汝がただ今取り持って、我をこの両部天の主となさば許すべし。さなくば決して許し難し」と声すさまじく罵ったり。釈尊は聞いて微笑みたまい
「良きかな良きかな。汝の神通、我が妙法に勝つとあらばならず望みに任すべし。例えば今、汝を我が手の平へ乗せんに汝は容易(たやす)く逃れいでんや。いかにいかに」と問いたまうを岩裂はせせら笑って、
「それははなはだ易き事なり。さはとて持った金砕棒を針の如くに押し縮め、耳の内に差し挟み、その身も一寸余りになって、釈尊の御手の底へひらりと乗ると釈尊はそのまましかと握りたまう。その時に岩裂は通力で釈尊の指の股より逃れ出て、走り行くこと五六余里、その地に一座の高山あって、その峯は五つに分かれたり。岩裂はやがて走り登り、中なる巌にうち向かい小羽根を抜いて筆となし、つを吐いて墨となし、岩裂迦毘羅(かびら)大神尊、それの月それの日にこの所に来たりて遊ぶなりと墨黒(すみぐろ)に書き付けて、身をひるがえして釈尊の御手の平へ立ち帰り、内より高く声をかけ、
「釈迦坊、釈迦坊、我は既に指の股より漏れ出て、五六に里の外に遊べり、その所の山の岩にしかじかと書き付けて、確かな証拠を残したり、約束のごとく我を両部の主にせよかし」と言わせもあえず釈尊はからからと笑わせたまい、
「さても嗚呼(おこ)なる痴れ者かな。汝が何処(いずこ)へか漏れ出られんや。眼を定めてよく見よ」と言われても岩裂は心を得ず、辺りをつらつら見返ると五つの峯と思いしはこれ釈尊の御指にて、その中指へしかじかと我が書き付けし筆の跡はまがうべくもあらざれば、さすがの岩裂も呆れ果て、これはとばかり呆然たり。
さもこそあらめと釈尊は御手を開いて岩裂を二つ三つ四つ手玉に取って、ただ一弾きに弾きたまえば、不思議なるかな岩裂は幾万里をか落ち下り、唐天竺(からてんじく)の境の両界山(りょうかいざん)という山のほとりへどうと落ちたりける。その時にまた釈尊は大法力を施して大盤石を岩裂の背中(そびら)の方へ投げかけて▲右の人差し指でヲムマニハニウンと書かせたまうとその文字たちまち石に入って彫れるがごとく鮮やかなり。
かくてまた釈尊はその国の山の神と金剛神を呼び寄せて、
「汝たち今より油断なく岩裂を守るべし。後に名僧あってこの神は世界に出現せん。夢々怠るべからず」とねんごろに掟(おきて)たまえば、山の神、金剛神は昼夜も巌の左右を離れず、もし飢えたりと見る時は岩裂に一尺(いっしゃく)の金生水(きんじょうすい)を飲ませつつ、厳しく守っていたりけり。
既にして釈尊は岩裂を静めたまい、八幡宮に別れを告げて帰り去らんとしたまいしを八幡宮は押しとどめ、三十番神、熊野権現、富士白山の神たち諸共に喜びを述べて様々な布施物を参らせたまえば、釈尊は再び坐に立ち返り、両部の神たちに告げたまう様、
「あの岩裂の始めは火の神迦具土(かぐつち)の血潮なりしを伊耶那岐(いざなぎ)の尊が嫌わせたまいて遙かに投げ捨てたまいしに、そのこれる血潮は二つになって、一つは讃岐の国に落ちとどまり、一つは方便山にとどまりぬ。しかるに方便山にとどまりしは悪血で悪しき血なる故に岩裂の神と現れて良からぬ業を事とせり。また讃岐の国へとどまりしはその精血(せいけつ)にて良き血なれば金毘羅大王と現れて、仏法守護の誓いを起こし、年ごろ我らに仕えるなり。さればまた薬師十二神の内にも入りて宮毘羅大将と唱えられ、第十二なる亥童子(いどうじ)これなり。されば岩裂、宮毘羅、金毘羅と三つの名ありて、一つの神なり。また一つの神にして善悪二つの神となれり。かくて今その悪しき者は石より生じて石に入り、その悪は遂に滅び失せて、皆良き神となる時は必ず国土に利益あり。夢々相違あるべからず」と説き示したまうに両部の神たちはかしこみたまいて、「金比羅が国土に出現あらば喜びこれにます事なし。ただその時節を待たんのみ」と等しく答えたまえしかば釈尊は座を立ち、阿難如来を伴いつつ早西天へ帰りたまえば、観世音も続いて恵岸童子と諸共に趺陀落山へ帰りたまいぬ。
かくてまた釈尊は霊鷲山(りょうじゅせん)におわしまして法を説き衆生を救い数多の年月を送りたまう。ある日、観世音に宣う様、
「昔、我が両部天に赴いて岩裂の神を鎮めしより既に数百の春秋を経たり。我が法は大千世界に伝えて、至らぬ所はなけれども南瞻部州(なんせんぶしゅう)日本国には未だ金毘羅金天童子経が伝わらず、この他あの神の利益を説いた阿含(あごん)宝積(ほうしゃく)の経文も先に唐土で翻訳せしはすこしづつの過ちあり。よりて我は唐文字でこれを補い正したる経文ここにあり。金毘羅王と諸共に我この経を日本へ渡さんと思いしかども未だその人を得ざりしに、あの土に名僧誕生(たんぜう)せり、太士、あの国へ赴いて、その法師を導きつつ金毘羅の行者とせば、これより利益いやちこならん。先には役の行者小角が初めて讃岐の象頭山を開き、その後、弘法大師空海もまたあの山に登るといえども衆生に利益薄かりしは金毘羅一体分身で、その一つは我に仕えまた一つは岩裂の神にして無量国にありしに分かり。
しかるに今わがさす法師この経文を信心して金毘羅王の神徳を世に知らせんとするに至れば▲悪魔の障げ(しょうげ)多かるべし。その時に助けとなるものは両界山に鎮め置いた岩裂にますものなし。大土、あの坐に赴いて斯様斯様に計らいたまえ。またこの金襴(きんらん)の袈裟(けさ)と鉢(はち)は年頃我が身に触れし物なり。これをあの名僧に与うべし。
しかれども時なお早し、今より三十余年を経て、その願は成就すべきなり。その余の事は斯様斯様」と詳しく示したまいけり。この時、大大和(やまと)人王六十代の帝、宇多天皇の御宇にあたって文章博士(もんじょうはかせ)三好清行(みよしきよつら)と言う止ん事無き儒者のありけり。易学、天文の上までもその妙を得し学者なれば、帝の御おぼえ浅からず萬に不足なき身なれども、歳三十に余るまで未だ子供がなけれかば、これのみ心にかかりけり。
かくてまた清行は妻の玉梓(たまずさ)諸共に、ある日端近く立ち出て庭を眺めていた時、忽然(こつぜん)として白い鶴に乗った仙人が目の前に降り下り、清行夫婦に向かって、
「我は役の小角なり。仏法が渡り始めた頃より葛城山に山籠もりして、数百年を経て後に文武(もんむ)天皇の御時に人間に身を現し、その後また淳仁(じゅんにん)天皇の御時には弘法大師と再誕(さいたん)して、その法力を現したる。国土に利益多しと言えども本願なおも飽きたらず今より御事(おこと)の子となって大名僧の名をあげん。我は金蝉菩薩(きんせんぼさつ)の再来。弘法もまた我なり。かかれば御事がもうける子は金蝉菩薩にして小角なり。小角にして弘法なり、弘法にしてその身なり。その徳おして□・・・・・・□▲

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第二編下

2017-02-27 09:14:33 | 金毘羅舩利生纜
されば三好清行はかかる不思議を見せられても、万巻の書を胸に修めて物に動じぬ儒者なれば、ちっとも騒がず膝立て直し、
「化けたな、野狐め。我が子を欲しく思う心を知ってたぶらかすとも、うかうかとして誘(いざな)われんや。世に申し子の再来のと事ごとく言いふらすのは愚俗(ぐぞく)をあざむく似非法師(えせほうし)の似非方便なり。女子(おなご)童(わらべ)は信じるとも、いかでか我らを化かしえん。そこな退(の)きそ」と罵りながら走りかかって丁と斬る、役行者(えんのぎょうじゃ)は消え失せて、鶴のみはっと舞い上がり、行方も知れずなりにけり。
討ち漏らしたか悔しやと清行が辺りを見ると、今まで鶴がいたほとりにいと大きな卵あり。こはあの狐が落とした白狐の玉と言うものかとよくよく見ると、さわあらで大鳥の卵なり。これも狐が化けたるならん、その手にゃ乗らぬと庭下駄を履いたままにてはたと蹴ると、卵は少しも破れずして、足は痺(しび)れ五体すくんで尻いにだうと転べば、さすがの清行にも疑念起って、卵はそのまま下部らにすざか野へ捨てさせけり。
しかれども清行は今更心にかかれば明けの朝の未だきよりすざか野に行って見ると卵はなおもつつがなく、地を走る獣も踏まず、空飛ぶ鳥は翼に被って代わる代わるに温めければ、清行は奇異の思いを起こして、昔唐土(もろこし)の湯王(とうおう)の遠祖は玄鳥(げんちょう)の卵より生まれ出たと物に見えたり。しかれば今この怪しき卵もその類にやあらんと思い、自ら懐に抱きつつ宿所に帰ってしかじかと妻の玉梓に告げれば、玉梓は深く喜び、「こは何にもあれ、仏菩薩の授けたまいし物なれば」と南向きの一間の内に布団を重ねて卵を据え置き、夜は臥所(ふしど)に抱き代えて温めなどする程に、それよりおよそ▲十月に及んで自ずから卵は割れて一人の男の子(おのこ)生まれ出て、産声高く上げれば、清行夫婦はこもそもいかにと或いは驚き或いは喜び、公(おおやけ)へは清行の妻が産んだ由に申して浄若(きよわか)と名付けつつ乳母(めのと)をかかえて乳を飲ませ、塵(ちり)さえすえず育てけり。
かくて早、浄若が二三才になりし頃、ある日、母の玉梓はその子を乳母に抱かせつつ若党、下部を引き連れて東寺へ参詣する折に、本堂の此方(こなた)に年老いた旅僧が行き違いつつつくづくと浄若を見返って、「あら尊(とうと)や。弘法大師がおわしにけり」と言いながら数珠を取り出し立ちどまり、拝んでやがて行き過ぎけり。玉梓も乳母らも気違いならんと思えば、足早に御堂へ参って大師を拝み奉ると、弘法大師の木像と浄若の顔が違わぬまでに似たりければ、玉梓は今さらに再び驚き、
「・・・・・・・さてはあの旅僧がしかじかと言いつるは、気違いにあらざりけり。先にこの子が生まれる頃の役行者の示現(じげん)の趣を思い出し、いと尊しかれば今日の旅僧も役行者にあらざりせば弘法大師に疑いなし」と心の内に思うのみ。乳母らはさる心もつかねば玉梓もそれとは言わずに只丹精(たんせい)を凝らしつつしばし念じてさりげなくその夕暮れに宿所に帰って密かに夫清行に東寺でありし事の趣は斯様斯様と告げしかども清行は微笑んで、
「物はその身の思いなしにて、不思議と思えば不思議もあり、似たりと見れば似たるもあり、浮いた事を人に知られて我を笑わせたまいそ」としのびやかに戒めて信じる気色はなかりけり。
かくて早、浄若は歳四つばかりになりし頃、また教えしにあらねども千字文(せんじもん)をもて遊び、一字も漏らさずよく読みければ、清行は深く愛で喜んで、それより日毎に手習いさせて、自ら読書を教えると一を聞いて十を知るその才智は年長(とした)けた書生も及ばぬばかりなれば、見る人聞く人驚き感じて▲神童(かんわらわ)とぞ称しける。
さればまた浄若が六つ七つになりし時、四書五経は空でも読んで唐大和の歴史まで大方ならず諳(そら)んじれども、さのみは儒書を読むも要なし、仏書を読まんと思うのみ。父は名だたる儒者なれば仏の文を読む事は喜ばず、この事をのみ嘆いて密かに乳母に囁く様、
「我が身は出家を願うなり。しかれども目に見えぬ冥土の事を旨として衆生を済度する事はいと覚束(おぼつか)なき業なれば、我は只人のために師となるべきなり。さればよく修行してその法を伝えれば災いを翻(ひるがえ)して幸いとし、死するとするをも生かすべし。死んだ人のためよりも生きた人の苦を救えば、その功徳は莫大ならずや。そなたは密かに我のために斯様斯様の経文を買い求めて得させよ」と思い入りてぞ語らいける。乳母は驚きかつ感じて、
「只その望みに任せま欲しく思えども、親が許さぬ事を我がわたくしには計らい難し。しばらく時を待ちたまえ」と、さうなく請けも引かざりければ、浄若(きよわか)はそれよりして乳母にも語らず一人心を苦しめて、もし使う奴婢(ぬひ)などが病み患う折など或いは物の失せた時は密かにこれを祈る時、患う者はたちどころに病が癒えずと言うことなく、失せたる物が幾程もなく自ずからに出て来れば乳母らいよいよ驚き感じて、先に言われた事をさえ斯様斯様と落ちなく玉梓に囁くと、玉梓もまた驚き感じて、清行にこれを告げると清行はなお疑って、
「いかでかはさる事あらん。我が自ら試してみん。浄若を呼びたまえ」とほとり近く招き寄
せて、
「御事は日頃、何事でも祈れば印ありと聞けり。もしその事に相違なくば今宵のうちに庭の梅を咲かせて見せよ。いかにぞや」と言われて浄若はちっとも否まず、「仰せは真に逃れ難し。心許なき技なれども祈りてこそ」と答えつつ、やがて一間に閉じこもり、その夜もすがら祈りけり。
頃は十月の初めにして庭の古梅の枝に少し蕾は恵めども、なお二ヶ月も過ぎざれば開くべくもあらざりしが夜明けてみればこは如何に、一夜のうちに花が咲き匂いは遠く聞こえるまでに、春にもまして麗しき。事の奇特(きどく)を今さらに不思議というも愚かなれば、玉梓、乳母はいえば更なり清行も我が子ながら浄若はあなどり難しと思いけり。
さればこの事は隠れなくあちこちへ聞こえれば、折に触れて浄若を▲大内に召されしが、浄若は只これらの奇特のみにあらずして、糸竹の技をよくすれば、帝を始め奉り雲の上人とりはやして感嘆せぬはなかりけり。
しかれども浄若はこの事を嬉しいとは思わず、出家の願いしきりなれば、歳十ばかりになりし頃、父にも母に急に身の暇を乞いけれども清行はこれを許さず、御身は儒者の子と生まれて、いかでか仏の道へ入るべき。ひとえに家業を受け継いで帝に仕え奉れば、我が国の孔子と言われん。出家の事は思いもよらずと固くとどめて聞かざれば、浄若は今は是非に及ばず心一つに思い定めて、人無き折をうかがって自ら髻(たぶさ)を切り捨てて「いでて行かば 庭の松風ふたつなき みのりの道に入ると答えよ」と一首を障子に書き残し、その夕暮れに忍び出て比叡の山によじ登り、玄照法師(げんしょうほうし)を師と頼み、遂に剃髪受戒して法名を浄蔵(じょうぞう)と呼ばれたり。
かくてまた浄蔵は大慧法師★(だいけいほうし)に従って、密教の旨、悉壜(しったん)の奥義までその源を極めれば梵字に詳しい事は更なり、よく天竺の言葉に通じて天台、真言の両宗に秀(ひいで)でたり。
さる程に、清行夫婦はその夜、浄若が書き残した句を見て驚き嘆いて、八方へ手分けして残る方なく尋ねさせると比叡山に忍び行って姿を変えた事の趣がようやく聞こえれば、今は力も及ばずと遂に出家を許しつつ、折々衣服を使わすと浄蔵もまた手紙(せうそこ)して親の心を慰めけり。
さる程に浄蔵法師は比叡の山に在りしこと既に十年ばかりにして□□を行脚せんために、遂に比叡山を立ちいでて四国、九州を落ちなく足に任せて巡る程に、人のために祈祷をしつつ、その災いを払うこと幾人ということなければ、里の老若は敬い信じて、弘法大師の再来ならんと言わぬ者なんなかりける。
かかりし程に浄蔵法師はその年の十月ばかりに出雲の国へ赴いてつづき?の社へ参りけり。そもそもつづきの□神は大穴牟遅の尊にして世に大社と申すはこれなり。およそ年の十月には八百万の神々がこの社へ集まりたまいて、世の中にあらん限りの男女の縁結びをしたまうと言い伝えあれども、浄蔵法師はさる心もつかずにたまたま参りし御社に一夜の法施を奉らんと一人拝殿に籠もりつつ経を読みつつおる程に、夜は早子(ね)二つと思う頃、遙かに社段の方にあたりて数多の人の声したり。浄蔵は心にいぶかり耳をそばだてよくよく聞けば、不思議なるかな神々がこの社に集まりて世の中の男女の縁結びをしたまうに、それの国なるなにがしにはなにがしの娘を合わせん。それの里の誰だれの子には誰だれの娘を合わせんと語らいつつ結びたまう。その有様こそ目には見えねど御声が定かに聞こえれば、浄蔵は奇異の思いをして、つくづくと聞くに▲当代の帝に仕え奉る文章博士三好清行の子浄蔵には越前の国敦賀(つのが)の国つこ大見の次官仲起(なかおき)の娘わかを姫を結ぶべしと高やかに語らいたまえば、また一柱の神の声がして、子は幾人あるべきかと宣うに男の子二人と答えたまいて、その後は音もせず、浄蔵法師は思いがけなき我が縁結びに肝潰れて心の内に思う様、
「・・・・・我が身は幼き時より仏の道に志し深く、遂に出家を遂げればいよいよ潔斎精進(けっさいしょうじん)して五戒を破りし事なきに、転(うたて)かりける神託かな。よしそれとても神々の我がこの後の道心(どうしん)を戒めたまうものにや」と或いは疑いあるいは嘆いて、いよいよ祈念(きねん)を凝(こら)しつつ、なおあちこちと霊場霊地を拝み巡って西の国々を残るかたなく三年(みとせ)ばかりの旅寝を重ねて、また陸奥(みちのく)の方へとて、ある年の秋の頃、越前の国まで来つ、敦賀(つるが)のほとりを過ぎる時に、この日は宿を取り遅れて、ある塚原に野宿をせしに、いと若き男女が慌(あわ)ただしく走り来て、茅(ちがや)の中に立つ石の地蔵を伏し拝み、涙を流し念仏を諸共に唱えつつ、既にしてその男は刃をきらりと引き抜き、女を殺して我も諸共に死なんと誓う覚悟の体ぞ無惨なる。
浄蔵法師は木の間漏る月を明かりにつくつくと見て驚き哀れみ、走りかかって押し止め、
「何人(なんびと)なるかは知らねども、添うに添われぬ訳あって共に死なんとせらるるならん。人を救うは法師の役なり。まずその事の趣を包まず告げて名乗りたまえ。否々(いないな)殺さぬ殺さぬ」と身を立て伏せし、情けの言葉に男は驚き見返り、人はあらじと思いし野末(のずえ)に思いがけなき御出家に止められた面目無さに
「今は何をか包みはべらん。これなるは敦賀の国つこ大見の次官仲起主の息女にて、わかを姫と呼ばれたまえり。またそれがしは近き辺りの里人の子で父母は早く世を去って孤児(みなしご)になりしかば、叔母(おば)の計らいで▲新菩提寺へ縁(よすが)求めて寺の小姓となり、水の介と呼ばれたり。数ならねども先祖より氏は細江(ほそえ)と申すなり。しかるにその新菩提寺は大見殿の菩提所なれば、この姫上も母君と諸共に折々詣でたまう時に、いかなる宿世(すくせ)の悪縁なりけん、互いに思い思われて、人目の関をやや越えし只一度の転(まろ)び寝に姫上は身ごもりたまいつつ、人の目二つ程なれば姫上あるにもあられずとて、この宵の間に館を出て忍んで寺へ来ませしかば、逃れる道の無きままに共に死なんと手を引いて、ここまで走り来つるなり。我が身は親の菩提のために法師とならん願いあれば、御寺の小姓となりたるに色に迷うてあまつさえこの国の姫上を非業に殺す罪状は後の世をさえいかにせん。只この上の情けには回向(えこう)を頼み奉る」と言いつつ涙を押し拭えば、姫上はよよとうち泣いて、
「とても逃れぬ二人の命。今に及んで御出家に会い参らせしは恥ずかしけれど、なお後の世に頼みあり。亡骸(なきがら)隠して賜れば此の上もなき功徳ぞよ。やよ水の介、追っ手やかからん。さぁさぁ殺してたまいね」と最後を急ぐ二人の有様、迷いさこそと浄蔵法師はなお様々に諫め諭して
「両人共に死するに及ばず。只これまでの縁(えにし)とあきらめ、別れて時を待つならば男は早く影を隠して新菩提寺へ帰るべし。決して祟(たた)りあるべからずにしや。また此の息女は追っ手の者に引き戻されて館へ帰りたまうともいかでか親の手に掛けて害せんとまでせられんや。我は浄蔵と言う旅僧なり。浮き世の人の災いを払うための抖藪(とそう)行脚(あんぎゃ)の者なれば、よしや御身二人の代わりに命を失う事ありともいささか恨む所にあらず。これすなわち仏の慈悲なり。我が謀り事は斯様斯様」と心の機密を説き示すと、わかを姫も水の介も始めは従わざりけれども死に遅れたる悲しさは男は女を助けんと思い、女は男を助けんために、ようやくに受け引けば、浄蔵は深く喜びなおも諫(いさ)めて水の介をそこより寺へとて帰し使わし、その身は姫を送らんと敦賀の方へ赴く時に道にて追っ手の武士に出会い、事の難儀になりにけり。
浄蔵法師はわかを姫をようやく諫(いさ)めて、敦賀の館へ送らんと先に立って行く程に、向こうより来る追っ手の兵(つわもの)が松明振り上げきっと見て、「すわ、姫上にておわするぞ。この生白き法師こそ不義の相手に違いなし。逃がすなやるな」とひしめいて有無を言わせず浄蔵をおっとりまいて三寸縄(さんずんなわ)で腕(かいな)も折れよと戒めたり。わかを姫はこれを見て、「ノウ浅ましや。この聖(ひじり)に過ちは無きものを」と言うも聞かずに人々はわかを姫を守護しつつ浄蔵法師を引き立てて、その明け方に敦賀の大見の館へ帰り着き、しかじかと聞こえ上げれば仲起はわかを姫を一間の内へ厳しく押し込め、時を移さず書院の庭へ浄蔵法師を引き据えさせて不義の子細を責め問うが、浄蔵法師はちっとも臆せず、
「それがしは此の春の頃まで新菩提寺のほとりにおりし野伏せりの法師なり。しかるに姫上があの寺へ参詣の折に見初め、耐えぬ思いのゆるかたなさに先つ頃より夜をこめて姫の臥所に忍び入り、理(わり)無く枕を交わせしより姫上身重くなりたまえば、こと表れん事の惜しくて昨夜(ゆうべ)密かにうかがい寄って、得心(とくしん)もなき姫上を無体に盗みだせしなり。されば姫上は思いがけなくその身を汚したまえども、初めよりしていささかも得心の不義ならねば、その咎(とが)は我が身一つにあらん。▲ともかくも計らいたまえ」と真しやかに述べれば、仲起は怒りに耐えず、姫をも共に斬って捨てんとしきりに息巻き苛立つを仲起の奥方のあさの井御前は様々に夫を諫(いさ)め、
「あの法師こそ憎んでも憎み飽かざる者なれども。聞くが如きはわかを姫を同じ咎にて失うは、真に不憫の事ならずや。逸(はや)りて後悔したまうな」と涙とともにかき口説けば、仲起の嫡子(ちゃくし)太郎仲実(おきさね)も諸共に父を諫めて、
「只今妹を害したまえば、この事たちまち世間に聞こえて、先祖を汚す家門の瑕瑾(かきん)この上や候べき。妹の事は穏便の御計らいこそ寛容ならめ」と言葉を尽くして止めると仲起はわずかに怒りを溶かして、遂にその義に任せつつ、さらばその悪僧の頭(こうべ)をはねよと下知すると、逸り雄(はやりお)の家臣は早くも土俵(どひょう)を突き立てて浄蔵法師を土壇(どだん)に押し据え、斬り手の家臣は刀をひ下げて後ろの方に立ち回り、咎の趣数えたて既に斬らんと身構えたり。浄蔵法師は咎なく浮き名を残す今わにも騒ぐ気色もなく予て心に思う様
「・・・・・我はこの世の人のために厄難を払わんと大願を起こし、年頃人を救いしが、わかを姫、水の介らは加持祈祷の力でも助かり難き命なれば、破戒の恥をかえりみず我が身を捨てて二人に替わるは立てし誓いに違わじと思い定めし事ながら、今さら思えば出雲にて神が結びたまいし事、真の縁(えにし)ならねども遂に逃れぬ因縁なりき」と過ぎ越しかたを思いやる臨終正念(りんじゅうしょうねん)潔(いさぎよ)く、口に絶えぬ読経の声のいとも殊勝(しゅしょう)に聞こえけり。さる程に大刀取りは浄蔵法師の後ろより今が最後ぞ観念せよと掛け声高く振り上げる刃は不思議や鍔元(つばもと)より三段(みぎた)、四段(よぎた)に折れ飛んで、その身も共に退(の)け様にたちまちだうと転べば、人皆驚き怪しみながらさてあるべきにあらざれば三人まで斬り手を代えて頭をはねんとしたれども、皆大刀は折れ、主は転んでいかにとも詮術なさにかくと注進してければ、仲起もまたいぶかって、察する所、悪僧めは幻術魔法に長けたるならん。詮術ありと忙わしく自ら弓矢を脇挟み、縁側に立ちながら射殺さんとすれども、その弓の弦もたちまち切れたり。仲起はしきりに苛立って取り替え引かえ引かんとするも、弓は折れ弦も切れ、これもまた詮術なければ、さすがの仲起は呆れ果て、この悪僧めの幻術は速やかには破り難し、厳しく繋ぎ置くべしと再び牢屋(ひとや)へ使わしけり。
かくてその夜、仲起夫婦が見た夢に羅刹(らせつ)の如き一人の菩薩が忽然と現れて、仲起夫婦をはったと睨(にら)み、「汝らの罪状、最も重し。いかなればきんぜん菩薩を害せんとしたるぞや。その菩薩はこの国に初めは役行者と現れ、中頃はまた弘法大師と再誕して世に著し、今の浄蔵法師に至って三度に及ぶ菩薩の再来。凡夫(ぼんぷ)の眼(まなこ)に見知らずとも仏を敬う心あれば、害せんとまではすまじきに。憎きをこの痴れ者かな。冥罰(みょうばつ)思い知らせん」と持ったる三鈷(さんこ)を投げ打ちたまうに、仲起の肩先へ当たると思えば、また跳ね越えて方辺に伏したあさの井御前の額(ひたい)にはたと当たるとそのまま夫婦等しくあっと叫んで諸共に驚き覚めれば、仲起は右の肩先痛む事はなはだしく、あさの井御前は額のただ中が鞠(まり)の如くに腫れ上がり、いと大きなる瘤(こぶ)になりたり。
かくまで不思議な正夢(まさゆめ)に夫婦は恐れ懺悔(ざんげ)しつつ、明けるを遅しと浄蔵法師を牢屋から助け出し、衣服を与えて上座に勧め、仲起夫婦は病をおして嫡子(ちゃくし)仲実(なかざね)もろともに浄蔵法師を伏し拝んで夢見し事を物語り、
「さても昨夜(よんべ)の正夢にこの冥罰(みょうばつ)を与えたまえし羅刹は如何なる神やらん。その体たらくは斯様斯様」と告げるを浄蔵は聞きながら、
「それこそ蔵王菩薩(ざおうぼさつ)ならめ。蔵王は魔性降伏(ましょうごうぶく)の怒りの姿を表して右の御手には三鈷(さんこ)を取り、弓手(ゆんで)で腹を押さえたまう。釈迦牟尼仏の変相で吉野山に現れたまう蔵王権現これなり」と事明らかに説き示せば、仲起夫婦はますます恐れて
「真にあの菩薩は▲役行者に因(ちな)みあり。我々凡夫の悲しさは権化の再来におわします貴僧とも知らずして、こよなき罪を作りたり。願うは娘を参らせん。我々のこの病を加持して救いたまえかし」と涙とともにかき口説けば、浄蔵法師は一義に及ばず数珠さらさらと押し揉んで、しばらく祈念をこらす程に不思議なるかな仲起の肩の痛みはたちまち癒えて、あさの井御前の額のこぶも日向(ひなた)に雪が溶けるが如くに早痕もなくなくなれば、仲起夫婦親子は更なり一家の男女はあっとばかりに等しく随喜(ずいき)がっこうの信心肝に銘じける。この時にまた仲起夫婦は浄蔵法師を伏し拝んで
「法言(ほうげん)真にあやまたず、利益は例えんものもなし。この喜びの引き出物に娘わかを姫を参らすべし。昔より唐天竺にも大徳智識(だいとくちしき)が妻をめとり、子を産ませし例(ためし)ありと聞く。願うはこの地に杖をとどめて、わかをと夫婦になりたまえ。娘は早身ごもって五ヶ月に及ぶと聞けり。かかる尊き聖の胤(たね)を宿せしこそ幸いなれ。今さら違背あるべからず」とまめやかに語らえば、浄蔵法師うなずいて「候、真に逃れ難し。まづ吉日を選びたまえ、さのみは急ぐ事ならず」と言うと喜ぶ仲起夫婦は心を尽くして様々に浄蔵法師をもてなしけり。
その中にわかを姫は浄蔵法師の心の中を計り知るべき由のなければ、どうなることぞと人に問われぬ胸の苦しさは言うべくもあらず、只、水の介の事をのみ嘆いていたりしが、その夕暮れに浄蔵法師は人無き折をうかがって、わかを姫に囁く様、
「我、かくまで計らい、ようやく無事に収めたり。なおこの上を慎みたまえ。御身の腹の嬰児(みどりご)が七つばかりになる時に、再び計らう術(すべ)あれば水の介に会わすべし。よくよくその子をもり育て、親御の心を慰めたまえ」と忍びやかに戒めて、その夕暮れに庭口より何地(いずち)ともなく逃げ失せけり。
さる程に浄蔵法師は夜もすがら道を急いで五六里ばかり来たと思う頃、早明け方の星もまばらになれば、ここまで追っ手はよもやかからじ、しばらく疲れを休めんとあちこちを見返ると東の方の森のほとりに一つ家がありとおぼしくかすかに火の光が見えれば浄蔵はそこに赴いて門(かど)打ち叩き湯を乞えば、内より誰(た)そと答えつつ火燭(かそく)を取って戸を引き開けるをと見れば思いがけもなき細江水の介なれば、こはそもいかにとばかりに互にいぶかりかつ喜んで、水の介は忙わしく簀の子の塵を打ち払い、浄蔵をうやうやしく上座に招ずれば、浄蔵法師は水の介が新菩提寺にあらずして此の所にあることを如何にぞやと尋ねると、水の介は浄蔵を伏し拝んで、さて言う様、
「それがしは聖の教えに任せて命を全(まっと)うしたれども、そのまま寺へ帰りおらんは後ろめたき業なれば、再びここに影を隠して浮浪の身となりはべりぬ。此の里の名をくち(くら?)と呼べり。縁の者の宿所なれば、まずゆるやかにおわせよ」と様々にもてなすと浄蔵は敦賀で斬られんとせし事の趣、蔵王権現の無双の霊験、我が法力の始め終わり、敦賀を走り去りし事までつまびらかに物語れば、水の介は驚き感じて
「真に聖はありがたき生き菩薩にてましますなれ。それがしは色に迷いしより遂に出家の望み叶わず、あまつさえ我ゆえに大徳の聖をさえ刃の錆(さび)となさんとしたるは悔やんで返らぬ罪状なり。とても時節を待つとても、あの姫上といかにして夫婦になれる身にもあらず。これを菩提の種として行脚の御供を仕らん。御弟子にさなれ下されよ」と涙ながらに乞い願えば、浄蔵法師はいとど不憫におぼえて、やがて望みに任せつつ、剃髪させて法名を水月沙弥(すいげつしゃみ)と名付けたり。
さる程に、浄蔵法師は水月入道を伴って飛騨より越後を勧化して、陸奥(みちのく)の果てまで赴く時に、あちこちに逗留して七年を経れば、十年(ととせ)に及ぶ長旅に父母のことも心もとなく、一度都へ帰らんと加賀の国まで来る時に、水月法師は病み患って、心地死ぬべく見えしかば、浄蔵は哀れみいたわり、
「我、予てより思いしは、わかを姫の腹に宿りし汝の子も今頃はさこそ大きくなりつらめ。今度も道の便宜(びんぎ)なれば必ず敦賀へ▲立ち寄って親子の対面させんずものをと心構えをしたりしが、妹背(いもせ)の縁の絶えたるのみか親子の因みもここに尽き、今隣国まで帰り来ながら永き別れにならんこと嘆くにあまりありと言えども、恩を捨てて無為に入りしその功徳は莫大なれば仏果を得んこと疑いなし。心静かに往生せよ」とねんごろに説き示せば、水月法師は嬉しげに
「ありがたの引導や。先に我が師の教えによって煩悩の闇をいでしより真如(しんにょ)の月を鷲の峰に眺めんとのみ願う身のいかでか浮き世に心をとどめん。願うは我が師百年(ももとせ)の齢を保って衆生のためになおも利益(りやく)を施したまえ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱える声と諸共に眠るがごとく息絶えけり。享年二十二才なり。
かかりしかば浄蔵法師は水月の亡骸を次の日荼毘(だび)の煙となし、その白骨を頭陀袋に収めて襟に掛け、また五六日旅寝を重ねて越前の国敦賀(つのが)の郡(こおり)気比(けひ)の社のほとりまで来にけり。
この御神は当国に名だたる大社なれば、拝殿に杖を進めてしばらく念じ奉り、退き出んとする時に我より先にこの御社へしかるべき人々が詣ったとおぼしくて、その人々が内陣より連れだって出て来たり。浄蔵法師を見返って、
「こは、聖にておわしけり。いかにやいかに」と呼び掛けるのを浄蔵もまた忙わしく頭を巡らせ見るに、先に立ちしはこの地の国つ子大見の次官仲起なり。後に続くはあさの井御前とその娘わかを姫にて、六つ七つなる幼子(おさなご)の手を引きながら立ちいでたり。その時、仲起、あさの井は浄蔵法師に向かって、
「絶えて久しや浄蔵聖。などてや後をくらまして、年頃□を思わせたまいし、早七年の昔になりぬ。御身の行方をあちこちと尋ねれども消息なし。もとより権者(ごんじゃ)の事なれば、また巡り会うこともやと思うばかりを心あてに、かく年月を送りたり。これ見そなわせ。此の幼子はすなわち御身の胤にして、しかも双子でありければ先に生まれしを太郎若(たろうわか)と名付け、後に生まれしを乙若(おとわか)と名付けたり。さればまた娘わかをは他に男を持つまいと誓いを立てて、垂れ尼(たれあま)の髻(たぶさ)を切りし心映え。哀れとは見たまずや。なふ、太郎若や乙若よ。これぞ御身同胞(はらから)が年頃恋しや懐かしやと慕いし父御(ててご)なるものを」と言われて幼き兄弟(あにおとうと)□は「この聖こそ父上にてましますか。なう懐かしや嬉しや」と右と左に取り付いて喜び涙の孝心(こうしん)に浄蔵もまた引き寄せて、「親はなくとも子は育つ、さても大きうなりけるな。いでいで父に会わせんず」と言いつつやがて頭陀袋より取り出す一つの位牌を弓手に高く取り上げて、
「見よや兄弟。この位牌に延義(えんぎ)二年四月八日水月沙門(すいげつさもん)と印したる俗名は細江氏水の介と言いし者。それこそ真の父なれ」と告げるに「さては」とわかを姫は包むに余る袖の雨、一声よよと泣き沈む事の心を得知らぬ仲起、あさの井御前もいぶかりおて、「心得難き聖の言の葉。御身の□ふこの孫どもの真の父とは如何にぞや」と問われて浄蔵うなずいて、
「今は何をか包むべき。わかを姫の密か男(みそかお)は新菩提寺の小姓の細江水の介と言いし者。斯様斯様の事によりそれがしの弟子となりて水月と名を改め、七年行脚の供にたち諸国を修行し歩きしが▲去(い)ぬる日、加賀の国境なに立花のほとりにて、にわかに空しくなりにたり。始めを言えばしかじか、終わりは斯様斯様ぞ」と始め水の介とわかを姫と死なんとせしを押しとどめ水の介を帰しつかわし、二人を無事に救わんために我が身が破戒の恥を厭(いと)わず、命を捨てても浮き世の人の災いを払わんと思い定めし志を仏菩薩が哀れみたまいて不思議に命を助けられ、あまつさえわかを姫をめあわせんと言われしかば、さりげなくもてなして、その夜密かに逃れ出て計らずもくちの里にて水の介と巡り合い、彼の願いに任せて剃髪させて弟子として従え、七年諸国を行脚してやや立ち帰り来る程に加賀越前の国境立花の里で水の介入道は大往生を遂げれば、その亡骸を火葬して白骨を我が襟にかけたり。
かくのみ言わば亡き人に破戒の汚れを塗りつけて身を潔くするにやと疑わしくも思われん。親子の虚実を試し見るには、その血をもってその血に注ぐと真の親子はその血は集まり親子ならねばその血潮は分かれて寄らずと言い伝う。これ見そなはせんに」と言いつつやがて懐より戒刀(かいとう)を取り出し、小指をつんざき血潮を取って水飲み柄杓(ひしゃく)にこれを受け、また太郎若と乙若の小指を少し突き破り血潮を柄杓に絞り入れると、兄弟の血が一つに寄るのみで浄蔵の血とは分かれたり。
かくてまた浄蔵法師は水月法師の白骨を頭陀袋より取り出して再び太郎若、乙若の小指の血潮を絞り注ぐと、その血はたちまち染み付いて、拭き拭(ぬぐ)えども失せざりけり。
仲起夫婦は目の当たりにかかる証拠を見れば、初めて悟る娘の密かを驚き恥じて、かくまで目出度き清僧を我が孫どもの父なりと思いし事の愚かさに許したまえと詫びるに、わかを姫はあるにもあられず
「恥ずかしいや、もったいなや。七年このかた親を欺(あざむ)き聖に無き荷を負わせた身の罪咎をいかにせん。面目なや」とばかりに懐刀手早く取り上げて喉を突かんとする程に、浄蔵は急に押しとどめ、
「こは物にや狂いたまう。今さら御身が自害してまた何の益あらん。我が上にかこつけて水の介に立てる操の髻(たぶさ)を既に切りたれば、これよりまさしく受戒して菩提の道へ入りたまえ。それこそ貞なれ孝なれ」といさめて刃を引き離せば、「さては死なれぬか」と声をたてて泣き沈む。二人の子供はもらい泣きの涙を等しく拭い、「母上、さのみ泣きたまうな。親に非ずと宣うとも此の聖こそ我々が年頃慕いし父上なれ。離ちはせじ」とまつわれば、浄蔵はしきりに嘆息しつつ仲起夫婦にうち向かい、
「それがしに一つの願いあり。この兄弟をたまわるべし。我が子として出家させ、我が法力を受け継がせん。これ一朝の因縁ならず、十年ばかり先の秋に出雲の大社にて斯様斯様の示現(じげん)あり。それがしとわかを姫とに妹背の縁(えにし)を神々が結びたまうて、あまつさえ持つべき子供は二人ぞとまさしく聞こえさせたまえり。妹背の縁は真ならで、真にもます恩義あり。此の子供らは真の子ならで親子となるべき因果あり。出雲の神託、今ここにいよいよ虚しからぬを知れり。受け引かれれば幸いならん」と事つまびらかに説き示す一トかたならぬ▲奇異妙契(きいみょうけい)に、仲起夫婦は一義に及ばず
「しからばこれ神仏の計らせたまう縁(えにし)なり。この孫どもの行く末は聖に任せたまわん。わかを姫の受戒の事も一重に頼み奉る。敦賀の館へ立ち寄りたまえ」とねんごろに誘って皆諸共に宿所へ帰って様々にもてなしけり。
かくて浄蔵法師はわかを姫に受戒させ、法名を指月(しげつ)と授け、また二人の子供らの髻も剃り落とし兄を浄空(じょうくう)、弟を浄寂(じょうじゃく)と名付け、仲起夫婦に別れを告げて二人の子供を携えつつ都を指して急ぎけり。
さればまた大見の仲起は新菩提寺に水月の墓を建て、指月の尼にその菩提を弔わせ、その後、家督を嫡子仲実(なかざね)に譲り渡し、仲起夫婦はしゅく髪入道して、息女の尼指月と共におこないすましてまた幾ばくの年月を送りしとぞ。
○これより先に都では浄蔵法師の父三好の清行が不慮の勅勘(ちょくかん)をこうむって、はなしめしうとくなりにけり。事の子細を尋ねるに、
「去ぬる延義元年春の頃、菅丞相(かんしょうじょう)道真(みちざね)公は時平公(しへいこう)の讒言(ざんげん)により無実の罪に沈ませたまいて、筑紫の太宰府へ左遷せられけり。しかるに清行は官家(かんけ)と睦(むつ)まじければ、その前年の師走ばかりに密かに官家へ書状を参らせ、やつがれは近頃天文時運(てんもんじうん)を考え候に、昨年の春に至って御身にこよなき災いあるべし。早く大臣の職を辞し、その災いを避けたまわずば、御後悔もや候わん」とひたすら諫め参らせるが官家はなお思し召す由やありけん、元のままにておわせしかば、遂に筑紫へ流されたまえり。この事をいかにしてか時平公は伝え聞いて、
「清行は予てより道真に語らわれて帝をおろし奉り、斎世(ときよ)親王を位につけ参らせんと謀りし欲の聞こえあり。早く追放あるべし」と聞こえ上げたまうに、帝はその義に任せたまえば、清行は思いがけなく位司(くらいつかさ)を止められ、たちまち都を追われけり。
この時、宇多大王の日つぎの御子(みこ)敦仁(あつひと)親王は既に御譲りを受けたまいて、御位(みくらい)に着きたまいしかば、醍醐天皇と申し奉るすなわち寛平十年を改めて昌泰(しょうたい)と改元あり。それよりまた四年に至って延喜元年と改めたまえり。
この帝は御歳のいと若くおわしませしに中宮は基経(もとつね)公の御娘時平公の御妹にてましましければ、或いは道ならぬ妬(ねた)みにより、或いは私(わたくし)のひきをもて讒言(ざんげん)内外より止む時なかりしかば、官家は無実の罪に落とされ清行も思いがけなく勅勘(ちょっかん)の身となりしなり。
しかれども清行は易学、天文、古(いにしえ)にも類い希なる儒者なれば、帝は密かに惜しみて、遠き国々へ追いも流しもしたまわで、洛外の地に閑居(かんきょ)してかしこまりおるべしと掟させたまう。清行は遠くも得去らず大津のほとりに侘び住まいして売卜(ばいぼく)を生業(なりわい)とし、元より得たる道なればその占いは妙ありと日々に卜筮(ぼくぜい)を求める者がしばしも絶える暇なければ、清行(きよつら)は中々に貧しからず世を渡りぬ。
しかるに妻の玉梓は十年に及ぶ浄蔵法師の訪れ無きを思い侘び、胸安からぬ年月の積もり積もりしつかえさえ、なおまた夫清行が勅勘の身となりしよりいとど病のかずそひて、延喜二年の春の頃より大方ならぬ病気(いたつき)の神も薬も印しなく、その年の五月半ばに遂に空しくなりにけり。
▲されば親しき里人らが遠近(おちこち)より集い来て、野辺送りの事を助けて、既に棺(ひつぎ)をもたげ出さんとする時に、たちまち庭の槐(えんじゅ)の木に喜びのカラスが鳴きければ清行は密かにいぶかって、今我が家の憂(うれ)いにあたって喜びカラスが来て鳴く事は故こそあらめと心にうなずき、袖の内にてこれを占い、さればこそとて忙わしく出す棺を押しとどめ、人々にうち向かい、
「その棺を出すべからず。今日より三日の内に我が子浄蔵が帰り来つべし。彼は二十年ばかりの昔、比叡の山に赴いて仏法修行十年に及べり。かくて世の人の厄難を払わんと言う大願を起こしつつ、諸国を巡ると聞こえしのみ。それよりまた十年を経たれども一度も訪れなし。母の病もこれより起こりて年頃を経るままに、かくは空しくなりにしを彼が立ち帰るを待たずして速やかに葬れば死したる母も本意なからん。しかるを言わんや浄蔵の名残惜しさは□□□にますべし。しばらくかくとあるこそよけれ」とみせんを察せし言の葉に、人々もまた予てより清行の占いに妙あることを知らぬもなければ、実(げ)にさることもあらんかと棺を一間にかき据えて暇乞(いとまご)いして帰るもあり、なおとどまるも多かりけり。
かくて早第三日の七つ下がりになれども、浄蔵法師は帰り来ず、里人らは覚束(おぼつか)なしと、また清行の宿所に集まり、親しき者どもひたすら清行を諫める様、
「先生の占(うら)かたは元より百発百中で、これまで違いし事はなけれど、上手の手より水の漏る考え違い無き由もあるべからず、当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦とは世話にも言わずや。今夏の日の暑きも中に死したる人を便々(べんべん)ととどめ置くことは人聞きもよろしからず。同じくは今宵の内に葬りたまえ」と勧めると清行は心の内ではいかでかはさる事あらん、今宵のうちには浄蔵が必ず帰るべきものをと思えども、里人らがとにかく言うを争いかねて、実に浄蔵が帰るを待って葬りの業をするとも死したる者が黄泉路帰るにもあらず。今宵只一夜にして我が子の帰るを待ち難きも宿世(すくせ)あっての事ならんとたちどころに思い返して、里人らにうち向かい、
「言われる趣はよん所なし。さらば今宵葬るべし。しかれども浄蔵が帰り来ることは疑い無きに道で法師に行き会えば、一人一人に名を問いたまえ。彼は年十ばかりの時に出家してより一度も帰り来しこと無き者なれば、よしや道にて行き会うとも各々(おのおの)はその顔を知らず、彼もまた母親の棺なりとは知らざるべし。必ず抜かりたまうな」とねんごろに指図をすれば里人らは皆心得て、その夕暮れより人数多で松明を振り照らしつつ各々棺を送りけり。
さる程に浄蔵法師は思いがけなく子供をもうけて、その兄弟を助け引きつつ越前の敦賀を発ち出て、幼き者を助け引く心苦しき旅寝を重ねて近江の国まで来にければ、まず叡山に赴いて師の坊の安否を尋ね、浄空、浄寂兄弟を我が子にした由を告げ、浄空は玄照(げんじょう)法師に教育の事を頼み、その坊に残し置き、また一人の師の大慧(だいけい)法師を訪ねるとそは近き頃仮初(かりそ)めに一条それの橋の辺りの何がしの院にありと聞こえしかば、また浄寂を携えて大慧法師のもとに赴き、しかじかと物語って浄寂を頼み置きけり。
されば玄照、大慧の両法師は浄蔵法師の行脚の利益を尋ね聞き、かつ感じかつ喜び▲世に名僧のいでたるは我が道の幸いなり。言わんやまたその恥を厭(いと)わず義により子を養いしはいと成し難き功徳なり。藍よりいでて藍より青き浄蔵は我らが及ぶ所にあらずとて各々浄空、浄寂を教え育めば、この兄弟も人となりて名僧の聞こえあり。後には越前に赴いて母の心を慰めけり。
かかりし程に浄蔵法師はこぞ(去年)の春、都の騒動で父清行も思いがけなく勅勘をこうむって、今は大津にある由を大慧法師の元で初めて聞けば、大方ならず驚いて、官家左遷の御事は陸奥(みちのく)にて聞いたれども親の上は知らざりけり。聞きつつ今宵大津に行かずばいよいよ不孝のもととなるべし。さはとてやがて別れを告げて忙わしく立ちいずるに、既にして日は暮れたれども五月の空は珍しく名残無く晴れたるに、折ふし望月なりければ真昼の如く明かりけり。
かくて浄蔵法師は早一条の橋まで来て渡らんとする時に、肉叢(ししむら)動き胸騒ぎただならず覚えしかば、こはそも如何にと怪しみながらと見れば、棺を送り来る人数多が引き続いて橋の半ばで行き会いけり。その時先に立ちし者が高やかに声をたて、「そこへ来ゆる御僧は浄蔵聖にあらずや」と呼び掛ければ、浄蔵は聞いて「真にさなり。その亡き人は三好殿□からにはあらずや」と再びこれを問い返されて、里人らはどよめきつつしばらく棺をたてさせて浄蔵に向かい、母玉梓が死せし事、父清行が言いつる事の始め終わりを取り摘(つま)んで斯様斯様と告げるにぞ、浄蔵は驚き悲しんで
「父の先見まことに妙なり。仏法修行のためではあれど二十年余り父母に遠ざかるが、只四五日の程にして我が母の臨終に得会わざりし悲しさに、我、この年頃国々で人のために病を祈りその必死を救いし事は幾度という事を知らず。今この功徳によるならば母の命に限りありとも一度は蘇生して親子の対面したまわざらんや。やよ待ちたまえ、人々に祈りて見ん」とうやうやしく棺に向かい、数珠押し揉んで半時ばかり祈ると、棺の内で声をたてて玉梓が蘇生すれば、人々は驚きかつ感じて、そのまま助けいだすに、浄蔵は深く喜んで薬を取り出し母に進め、なお様々にいたわって棺を砕いて川へ流させ、母親を背負いつつ、また里人に送られて大津の宿所へ帰りしを感ぜぬ者なんなかりける。
さればくだんの橋より死した母が帰れば、一条の戻り橋としてその名は末世に残りけり。
さる程に清行は我が占いに違わずして、その夜の内に浄蔵法師が帰り来るのみならず、玉梓が蘇生したりしかば斜めならず喜んで、妻をいたわり臥所に休めて粥をすすめるなどすると玉梓は遂に本復して常よりもなお健やかに若やぎけるこそ不思議なれ。
されば此のこと隠れなく親も親なり、子も子なりと清行の易学と浄蔵の法力と世に一対の奇特と讃えて、帰依する者ぞ多かりける。かくてまた浄蔵法師は年頃の疎遠を詫びて二親の心を慰め、出雲の大社また越前の敦賀にてありし事々を告げれば、二親は聞いて一度は驚きあるいは喜び、我が子はかくのごときに法力あって▲
清行密かに様子をうかがう此の所は、皆々無言なれば言葉書きなし。只作者のみ言う事あり。画はおかしからぬ所を略して本文にて詳しくする故、ややもすれば筆耕は画より大きに遅れるなり。しかれども五丁の末にてにえこぼさずに書き取れば、ことのほか読みであり、徳用向きの草紙と言うべし。
かつ神仏の冥助(みょうじょ)にあえり、よく慢心を起こさずばこの後いよいよ利益あらん。かくては出家も厭(いと)わじからずと密かに向後を戒めて、いとねんごろにもてなしけり。さる程に浄蔵法師は二親に言われし事を今さらに心に徹していよいよ務めて、いささかもおごり高ぶる心なく父清行が罪なくて勅勘の身となりしをひたすら嘆き、ある日二親に申す様
「いついつまでもここに在りて仕え奉らんと思わざるにあらねども、よしや親子の親しきも出家として在家におらんは事のよろしきに候らわず。されば雲居寺(うんこじ)に退いて勅免(ちょくめん)の祈りをすべし。例え速やかに印なくとも遂には帰洛(きらく)の喜びあらん。御身を愛してゆるやかに時の至るを待ちたまえ」とてねんごろに別れを告げて雲居寺に赴きつつ、徳を積み光をうずめて行いすましていたりけり。
さる程に延喜三年の春二日に官家は筑紫にて隠れたまい、同じき九年には時平公も悪病で世を去りたまい、その後続いて雷(いかずち)が大内に落ち下り、藤原の清貫(きよつら)左大弁、まれ世藤原の菅根(すがね)など公卿数多がうち殺されて人の心も安からざりしに、物の怪ようやく薄らいで、世の中のどかになりし頃、近江の瀬田の方ほとりに海野幸六(うみのさちろく)という漁師あり。その頃また三上山の方ほとりに山野幸平(やまのさちへい)という狩り人ありけり。そもそもこの両人は菅丞相(かんしょうじょう)に仕えた牛飼い舎人(とねり)なれば、菅丞相が左遷せられし時、都の住まいも物憂(ものう)しと密かに近江路に退いて、一人は漁(すなどり)を生業とし、一人は獣を狩り暮らして静かに世を渡りける。
かくて幸平、幸六はある日湖のほとりにて図らず行き会いけり。昔は疎(うと)くもあらぬものの今は生業同じからず道のほども近からねば絶えて久しき対面に、こは珍しやと立ち止まる長物語り果てしなければ、各々石に尻かけてしばらく時を移す程に、山野幸平は嘆息して、
「かく山稼ぎをする者は浮き世に遠く友もなし、心安きに似たれども幾日も獲物のなき折は顎(あご)を吊しておらねばならず、しかるに和主は近き頃、続いて仕合わせよく内証(ないしょう)豊かになりし由を予て噂に聞きしなり。しからば山の稼ぎより漁は良きものならん」と言うと幸六頭を振って、
「いやいや山でも湖でも稼ぐは辛き世渡りなれど、我らはちとの訳あって日毎に獲物が多かるなり。和主に我は隠すことなし。まずその訳を如何にといつ□大津に奇妙な易者あり。そは和主も予て知るあの勅勘をこうむりし三好の清行主になん。我はしばしば彼処へ参って占ってもらい、明日は西の方へ網を下ろせ、明後日は南へと教えたまう指図に任せて漁すれば、獲物は常に人に増して利を得たること少なからず、妻子を安く養うこと清行様の陰(かげ)なれば、これ見たまえ、二三尺の此の鯉を毎日必ず一つづつ清行様へもて行って御礼を申すなり。和主も今より彼処へ参って清行様に頼みたまえ」と言われて幸平は額を撫でて、
「そは良き事を聞きたるなり。我らも大人を頼むべし」さはとてやがて連れだって大津の方へ赴きけり。
この時、近江の湖に年を経た川太郎(河童)が龍王の下知を受け、湖水のほとりを巡る時に、思わず幸六、幸平らが語らうのを立ち聞いて、心の内に密かに驚き、イデこの由を注進せんと言うより早く身を躍らせて波の底へ沈みしを知る者絶えてなかりけり。
また近江の伊吹山に年を経て千歳になる狐あり。この日山城の稲荷山へ詣でた帰りに、これもまた幸六らの物語りを立ち聞いて心の内に思う様
「・・・・・あの清行は音に聞こえし易学の名人なり。さるにより此の湖の鯉鮒が皆、幸六に捕られることは清行が指図によれり。しかるに今また幸平も清行に▲占わせて山々を狩り暮らせば災い遂にこの身に及ばん。かつ三上山のほとりにも我が眷属は数多あり。彼らはいよいよ危うかるべし。詮術あり」と思案をしつつ、まず三井寺まで退いて清行の事を聞き定め、年古(としふ)る楠(くす)の洞(うろ)に入って姿を変ぜんとする時に、この楠の木霊(こだま)の神が声をかけ、その故を尋ねるに狐は包まず誇り顔に斯様斯様と説き示せば、木霊の神は眉をひそめて、
「そは由も無き事ぞかし。例え和主に通力ありとも、いかでか清行に勝つことあらんや。その身を失うのみならず必ず我を巻き添えせん。やみねやみね」と止めるを狐は聞かずにあざ笑い、一人の書生に姿を変じ、清行の宿所に行って、
「それがし事は筑紫より易学の修行のために此の度都へ上りたる村崎志賀蔵(むらさきしがぞう)と言う者なり。先生の高名は都にもその類なし。よって教えを受けんと推参(すいさん)せり」と言えば、清行やがて対面して一つ二つ問い試みると弁舌は水の流れるごとくで真に博学多才なり。その時、志賀蔵は膝を進めて、
「それがし不才なりと言えども、藪(やぶ)にもまた香の物あり。今互いに論ずる赴きで我が先生に負けたらば思いのままに計らいたまえ。先生が我らに負けたまわば売卜(ばいぼく)の技をやめ、生涯めど木を取りたまうな」と言う傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の広言に清行は心憎くて、そはともかくもと答えつつ、それよりして易学、天文、気運の事を論ずるとややもすれば清行も及び難きところあり。既にして日も暮れれば清行はさり気なくしばらく休みたまえと酒肴をもてこれをもてなし、しきりに数献すすめれば、志賀蔵は酩酊して肘を枕に酔い伏しけり。さる程に清行は密かに親しき里人を招き寄せ、志賀蔵の事を告げ知らせ、
「我は問答せし時に袖の内にて占い見しに彼は年古る狐なり。しかれども化けの皮を表さねば漫(そぞ)ろには手を下し難し。我が聞く三井寺の門前の楠の木はあの寺を建てたその昔よりありし木にて千余年になると言えり。各々は我のために早く彼処へ赴いて、東へ指したる楠木の大枝を切り下ろして細々に砕いてもて来たまえ。切ること一枝なりと言うともその木は遂に枯れるなるべし。さぁさぁ」と急がすと里人らは心得て、三井寺に走り行きつつ教えの枝を切り下ろすと、血潮がさっと滴り流れ、木の洞に声ありて、「さればこそ、いぶきめが我が諫めを聞かずして、災いこの身に及びにき」と定かに聞こえれば、里人らは驚きながら、さてにむべきにあらざれば、手早く枝を細かく砕いて背負うて大津に馳せ帰り、清行にかくと告げるに清行は聞いてうなずき、
「そは楠木の木霊なるべし。我、煙焼(えんしょう)の法術あり。決して祟りあるべからず。斯様斯様に計らいたまえ」と密かに示し合わせけり。
さる程に清行は村崎志賀蔵が伏した四方へ四つの香炉を据え置いて、あの楠木の切り屑を一度にはっとくゆらせれば、前後も知らず伏したる志賀蔵は一声叫んで飛び上がり、たちまち古りたる狐となって表の方へ逃げんとするのを、待ちもうけたる里人ら六人が棒で打ちたて打ちたてて、蚊遣(かやり)の如くに楠木の煙を暇なく仰ぎかければ、狐はこらえず引き返し、また内庭より逃げんとするのを清行すかさず弓に矢つがいて、よつ引いてひょうと放せば、狐は喉をうなじまで、はぶくらせめて射通され、仰け反り倒れて死んでけり。
人々喜び紙燭(しそく)を灯して再び死したる狐を見ると大きなること犬に等しく、その毛は金糸をかけたるごとし。実に千年も経たりけん世に珍しき物なればとて、清行はその皮をもて皮衣にすれば、厳寒の冬の日も温かなること春のごとし。しかれども清行は常に慎み深くして技に誇らず奇を好まねば、これらの事すら深く悔いして里人らを戒めつつその狐の事を言わせず、程経て後に都へもしかじかと聞こえしとぞ。
かくてその楠木も立ち枯れになれば、里人らはこれにさえ清行の博識多才を感じていよいよ敬いけり。ここにまた近江の湖を司る龍王あり。琵琶湖の小龍王(しょうりゅうおう)と称せられ▲幾億万の川魚の頭たる勢いあれば、常に非常を戒めんため、瀬田の橋の下に住む河童(かっぱ)を清湖使者(せいこししゃ)として汀々(みぎわみぎわ)を巡らせれば、河童は日毎に水海屋の川太郎という樽奴(たるひらひ)に姿を変じてあちこちを見回ると、あの漁師幸六が清行の占いにより鯉鮒を多く捕る由を山野幸平に物語りしを立ち聞いて、大きに驚き急ぎ湖水の龍王に注進して
「斯様斯様の事こそ候へ、あの清行を安穏(あんおん)にうち捨てて置きたまえば、例え湖広しと言うとも魚類(うろくず)の種は尽きるべし。いかが計らい候わん」と大息ついて訴えける。畢竟(ひっきょう)、龍王これを聞き、また如何なる企みをするや。
第三編も引き続いて程なく出板遅滞(ちたい)なければ、そは三編の始めに説くべし。必ずもといて見たまえかし、目出度し目出度し■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第三編上

2017-02-26 12:38:30 | 金毘羅舩利生纜
鋭(と)き風や刃(み)は三尺の霜柱
六孫王(ろくそんおう)経基(つねもと)
小龍王(しょうりゅうおう)金鱗(きんりん)

蒔く種に日の恵みあり金銭花(きんせんか)
宰府(さいふ)の良民 白大夫(しらたいふ)
錦織判官代(にしごりのはんがんだい)照国(てるくに)

さらし井の奈落に届く吊桶(つるべ)かな
延喜聖主(えんぎのみかど)簑笠(みのかさ)
左大辨(さだいべん)希世霊鬼(まれよのれいき)

下もみじつづれのうらの錦かな
竹田日蔵(たけだにちぞう)が妻 世居(よをり)

おちぬ夜の地獄をかまるねずみかな
菅家忠臣(かんけのちゅうしん)竹田日蔵(たけだにちぞう)
節折(よおりの)内親王

鶯や経読まぬ日もササぼさつ
観世音の権化 袈裟売りの癪法師(かたいほうし)
従三位菅原文時卿

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さる程に、近江の湖の龍王鱗長(りんちょう)は川太郎の訴えに驚き、怒り、その弟小龍王金鱗(きんりん)、千年の簑亀(みのがめ)、近江鮒源五郎、すっぽんの沼太郎など、宗徒(むねと)の□類、眷属を皆ことごとく呼び集め、
「汝らは未だ知らずや。近頃大津の方ほとりに三好の清行という売卜者あり。彼は当今に仕える文章博士なるが、しかじかの罪あって、退けられし者なり。しかるにくだんの清行めがあちこちの漁師に教えて、この湖の鯉鮒を捕らせること大方ならず。さればこそあれ近頃は我が手下のうろくずの数がいたく減り失せ、水底寂しくなりにたり。もしこのままうち捨て置けば、遂に我がこの湖の魚の種は尽きるべし。我が大津の宿に赴いて、思いのままに清行を巻き上せ巻き下ろして微塵になさんと思うなり。所存はいかに」と尋ねれば龍王の切れ者のなまず坊ぬら倉が人をも待たずに進み出て
「候、真にしかるべし。唐土の賢き人は釣りすれども網せずと言う事もあるものを、清行はもとより儒者なるに漁師のために獲物を占い、我が輩(ともがら)を捕らせる事は実に憎むべき曲者なり。六王自らが荒れ出たまいて御征伐あらんことは万魚の幸い此の上なし」とはばかる気色もなく答えるのを簑亀はしばしととどめ、尾を引き首を長くして、のたりのたりと進み出て、
「この事はなはだしかるべからず。大王が世界へ出たまえば、さきに雲あり、□□に雨あり、大風(たいふう)、雷電(らいでん)を相従えて、木を倒し家を覆(くつがえ)し、田畑を損なわざることなし。例えあの清行に恨みを返したまうとも、日の神の御咎めをいかでか逃れたまわんや。再び御思案あれかし」と言葉を尽くして諫(いさ)めれば、小龍王、金鱗、大鮒の源五郎、三尺の鯉之進らのなみの子老だうは
「簑亀が申すところ、真に道理至極せり。漫(そぞ)ろに荒れいでたまえば、御後悔もや候わん」と言葉等しくとどめると、龍王はしばし頭を傾け、
「しからば我は雲を起こさず、また一滴の雨をも降らせず、しのびやかに立出て清行を謀るべし。謀り事は斯様斯様、しかじかなる」と説き示すのを簑亀らはなお危ぶんでしきりに争い諫めれども龍王は遂に聞かずして、独り汀(みぎわ)に立ちいでて、いと荒くれた武士に変じて清行の宿所に赴き、
「我は近頃田舎より糸上りせし者なり。明日よりの照り降りを占ってたまわれ」と言うと清行は心得て、めどぎをひねり卦(け)をしきて、
「明日は必ず雨降るべし。巳(み)の刻(とき)より雲起こり、午の刻より雨降り注ぎ、未(ひつじ)の刻にその雨止まん。水が増すこと三尺三寸四十八てんなるべし」と言われて龍王はあざ笑い、
「しからば貴殿と賭(かけ)をせん。占うところに相違なくば五十両を参らすべし。もしいささかも相違あれば貴殿はこの地を立ち去って生涯占いすべからず。▲この義はいかに」と後を押せば、清行はにっこと微笑んで、
「この事に少しでも相違あれば思いのままに計らいたまえ。それがし決して恨みなし」と言うと龍王はうなづいて、
「しからば言葉を番(つが)えたり。その後に及んでとやかくと逃げ口上は言わさぬぞ」といかめしく言葉をかためて、三好の宿所を発ちつつやがて湖水へ走り帰って、うろくず(魚)らを呼び集め、
「我は今日、斯様斯様に謀って清行と賭けをしたり。此の近江路に降る雨は我が司るものなるに、我が降らせずして誰が降らさん。さるをかやつは知らずして賭けをするこそ可笑(おか)しけれ。明日は必ず三好めに日頃の恨みを返すべし。心地良し心地良し」と誇り顔に説き示す言葉も未だ終わらぬ折から、思いがけなく日の神より御遣いを下されて、龍王に神勅(しんちょく)あり。
近頃は雨がまれにして下界の百姓が難儀に及べり。これにより明日の巳の刻(とき)より雲をしき、午の刻より雨を降らせて、未の刻に雨を止めよ。水の深さは三尺三寸四十八てんと定める。これは近江一国の田畑の損益にかかつらう事ぞかし。夢々粗略(そりゃく)あるべからずといと厳(おごそ)かに聞こえたまう神の恵みぞありがたき。さる程に龍王は思いがけなく日の神の勅状を承り、こはそも如何にと心驚き肝潰れ、呆然としていたが、たちまち息をほっとつき
「・・・・・さてもさても清行めは奇妙不思議の易者なり。既に日の神の詔(みことのり)がある上は明日は雨を降らせしと思いし事も仇(あだ)となり、我が力にも及び難し。さもあらばあれ、その後を伸ばして降る雨さえ少なくすれば彼には口をきかせまじ。詮方あり」と心でうなずき、さて次の日に辰の刻より雲を起こして午の刻に雷(いかつち)を鳴らし、未の刻より雨を降らせて申の刻に雨を止め、水を増すこと二尺ハ寸三十五てんにしたりけり。これにより田畑の為には潤い足らぬ所あり。しかれども龍王は清行を押し倒さんと思うばかりに心勇んで昨日の如くいかめしい田舎侍の姿に変じて清行の宿所に赴いて、門の格子を蹴放ちて進み入りつつ清行をはったとにらんで声をいらだて、
「この売卜(ばいぼく)めが、おめおめと面の皮のいと厚さよ。汝は昨日何と言った。巳の刻より雲起こりて午の刻より雨降り注ぎ、未の刻に雨止まん。水の増すこと三尺三寸四十八てんなるべしと定かに占ったにあらずや。そのこと全て当たらずして、辰の刻に雲起こり午の刻に雷(いかつち)鳴れり。かくて未に雨降って申の刻に晴れたるに、水の増すこと二尺ハ寸三十五てんなるぞかし。もしその占いが当たらずば我が存分になるべしと確かに言いしを忘れはせじ。そこ動くな」と罵りながら刀をきらりと▲引き抜いて、机をはたと切り倒せば、足はくじけつつ転んで、筮(めどき)、算木(さんぎ)もあちこちへ散り乱れる武者の狼藉、雨晴れしより幾人か裏問いに来た老若男女は、すは喧嘩とたち騒ぎ驚き恐れて押し合いへし合って表の方へ逃げいでて、行方も知らずなりにけり。しかれども清行は座したままにてちっとも騒がず、それ見て一人あざ笑い、
「こは理不尽なる狼藉かな。我が占いは皆当たれり。しかるを汝が私(わたしく)して時を延ばし雨を減らし、あの天勅(てんちょく)に背き、かえって我を罵るのは身の程知らぬ痴れ者なり。我は汝をよく知れり。汝は湖水の龍神なるべし。汝が密かに我を恨んで押し倒さんと謀る事の心を推するに、我がこの辺りの漁師に教えて鯉鮒なんどを捕らせるのをねたく思いし故なるべし。汝は知らずや。うろくずは人のために食となる天より賜(たま)うものなれば、ひとつの魚に数万の子あり。さるにより海川にていくらともなく捕れども尽きず、只これ天のはいさいにて、人を肥やすはうろくずの自ずからなる持ち前なり。いわんや近江、山城は海遠くして魚肉に乏しく、わずかに人の腹に満ちるは湖にて捕る鯉鮒のみ。その川魚が数多捕れて値安ければ人に益あり。我は世のため人のためにその方角を占って漁師に教えて捕らせしを、汝が私(わたくし)心で恨む事の愚かさよ。我は汝を許すとも天勅に違いし罪あり。天道いかでか許したまわん。かくても我を謀るや」と天地を見抜きし易者の明察、星を指されて龍王は心驚き慌ただしく刃(やいば)を収めてかしこまり、
「あら恐ろしき易学かな。実に明察せられるごとく、それがしは既に日の神の天勅に背いて刻を延ばし雨を減らせり。このこと重ねて御定めあれば、真に罪を逃れ難しと心ついても今さらに後悔臍(ほぞ)を噛めども甲斐なし。願わくば大先生、それがしを救いたまえ、救わせたまえ」とひれ伏して詫びつつしきりにかき口説けば、清行は聞いて、
「さればとよ、我、今、袖の内でその吉凶を占い見しに汝の命は助かり難し。大方は六尊王経基(つねもと)君に斬られなん。あの大君は清和の御孫貝すみ親王の御子なれば、今の帝も大方ならず召し親しませたまうぞかし。かかれば帝に願い申して、命乞いをしたならば助かることのありもやせん。この他には詮方なし。よくせよかし」と説き示せば龍王は清行を伏し拝みつつ涙を拭って暇乞いして帰りけり。
○されば龍王鱗長は清行に説き示されて、我が過ちを今さらに後悔すれどもその甲斐なければ、只すごすごと湖水を指して帰る折から、早くも日の神も勅使として海神(わだつみのかみ)、数多下りて引き連れ来つる下司の神たちに下知したまえば、皆々雲より下りたちて勅定(ちょくじょう)ざふと呼びはり呼びはり、驚きあわてる龍王をおっとりこめて動かせず、押さえて縄をかければ、龍王は只呆れに呆れて、こはそも如何にと▲問わせもあえず、海神は下知を伝えて波を開かせ、水をけたてて湖水遙かに引き立て引き立て、龍宮城へ赴きけり。
さる程に龍宮には思いがけなく日の神の討つ手の勅使が天下り、早龍王は召し捕られ引かれて帰り来つる由、おぼろげならず聞こえれば、龍王の弟の小龍王金鱗、千年の簑亀、三尺の鯉之進、大鮒の源五郎らは驚き騒いで、衣服を改め皆々勅使を出迎えて上座に招すれば、海神はし笏(しゃく)取り直して小龍王らに向かい、
「龍王鱗長、先だって天勅を受けながら、私(わたくし)の恨みをもって刻を延ばし、雨を減らして田畑の潤いをよくせざりし罪は最も軽からず。これにより龍王をかたのごとく召しとりぬ。日の若宮へ引きもて参って、頭をはねるべきものなり。その弟小龍王金鱗はさせる過ちなしと言えども、兄の非法を知りながら早くも訴え申さざる、これまた不忠と言いつべし。さればこれらの落ち度によって日の本の地に居る事を許されず、□むり司を召し放ちて、□□ての国へ流すべき者なり。さてまたなまず坊主ぬら倉は龍王に媚びへつらって折々悪事をすすめしよしきと罪すべき者なれども、高(たか)のしれたる下魚の事なり。□□□遠からず漁師の針□けさせて、遂に逃れぬ天罰を思い知らせよとの神勅なり。この余のうろくずささやかなるは□田し□にいたるまで御咎めはなきぞかし。この湖の頭の龍王兄弟は罪ありてかいえきせ□るる上からは千年の簑亀、三尺の鯉之進らのうろくずどもを支配して、ちちぶ□の神に仕え□□ちょくすべてかくのごとし。皆々□□□候え」といと厳重に言い渡して、早しずしずと座を立てば、その□□の神たちは引き分かれて海神に従い、ひさかたの日の若宮へ上りたまえば、その一□の神たちは小龍王をおつ□□雲に乗り、またたく間に筑羅(ちくら)が沖まで追い払い、皆々帰り上りけり。
[物語は二つに分かる]この時、天竺国(てんじくこく)の雷音寺(らいおんじ)では仏説釈迦牟尼如来がある日観世音菩薩に向かい、
「先にも説き示したる日本国に赴いて、かの名僧を引接(いんじょう)すべき時節が既に到来せり。かかれば菩薩をわずらわさん。さぁさぁあの土(ど)へ赴きたまえ。但し我はその昔、両界山に鎮め置いた岩裂の迦比羅こそ年頃我に仕えたあの金毘羅大王と一体で、例えば影(かげ)と像(かたち)の如し。あの者ようやく菩提に入りて、あの名僧の助けとならん。菩薩、此の度、済度(さいど)してあの名僧に救わすべし。されどもあの者は凡心を失せず、よからぬ心を起こさん事、またこれなしとすべからず。もしさる事のあらん時、斯様斯様に唱えれば、あの者苦痛なからんして、あの名僧に従うべし。昔、役行者小角が呪文で迦比羅坊を懲らせども、またその呪文をそのままあの者に授けたり。我がこの秘文ばそれにもまして彼を捕りひしぐ妙法たり。金毘羅、岩裂一体して日本国にとどまれば、利益(りやく)は類(たぐい)なかるべし。この余の事は先だって示せし如く心得たまえ」と▲いとねんごろに仏勅(ぶっちょく)あり。あの名僧に授ける袈裟と鉢を渡したまえば、観世音はうやうやしくその二宝を受け納め、如来に別れを告げ奉り、恵岸(えがん)童子を従えて、雲にうち乗りしづしづと東を指して赴きたまう。
かくて早、観音菩薩は流沙河(りゅうさがわ)まで来た時に、たちまち河の中より怪しき曲者が現れ出たと見れば、その鼻は高く尖って、さながら鳶(とび)のくちばしのごとく、身のうち全て栗色なり。腰には数多の髑髏(どくろ)をかけて、手には両刀の鉾(ほこ)に似た長き錫杖(しゃくじょう)を脇挟み、早水底より躍り出て、突き倒さんと競いかかるを恵岸は騒がず迎え進んで、金剛杖をうち振りうち振り、ちっともたゆまず戦うたり。
その時その者声をかけ、
「やよ、しばらく待ちたまえ。それがし、この河に住みしより数多の人を捕り喰らえども、かくまで激しき相手に会わず。そもそも御身は何人ぞ」と問われて恵岸はにっことうち笑み、
「知らずや我は救世(ぐせ)大悲観音菩薩の御弟子なる恵岸童子、すなわち是なり。今、現に観世音が彼処(かしこ)に立たせたまうぞかし。汝は如何なる化け物ぞ」と問い返されて、その者は慌てふためき手鉾を捨てて、遙かに菩薩を伏し拝み、
「それがしはその昔、日の若宮に仕えた天登々根命(あまつちおとねのみこと)なり。犯せる罪があるにより、唐大和の住まいが叶わず、この流沙河へ流されて身の置き所なきままに、うの□のたいに宿りて、かかる姿になりしかどさすがに命惜しかれば数多の人を捕り喰らいしが、そのうちに唐土より天竺へ渡って経文を取らんと欲する法師を害せしこと九人に及べり。この者共の髑髏(しゃれこうべ)はちっとも水に沈まねば、瓢(ひさご)に変えて腰に付けたり。大慈大悲の観世音、我が此の願を救わせたまえ、南無阿弥陀仏」と唱えると、観音は間近く立ち寄り、
「よきかな、よきかな、懺悔(ざんげ)には五逆の罪も滅びてん。仏法無量の方便あり。さばえなす悪しき神も過ちを懺悔して三宝に帰依する事ははなはだこれ神妙なり。いで法名を授けん」と悟定(ごじょう)と名付けたまい、
「御事はしばらく時を待て。遠からずして日本より名僧が渡り来て、金毘羅神王を迎うべし。その時、汝は力を尽くしてその名僧の助けとなれば、我仏如来(がぶつにょらい)に見参して両部の神と仰がれん。ゆめ務めよ」と諭せば天登々根(あまつととね)の羽悟定(うごじょう)はかつかにし、かつ喜びて水の底へ沈みける。
かくてまた観音、恵岸がとある山路を過ぎりたまうと忽然と怪しき曲者が行く手の道に現れたり。と見れば面(おもて)は紅(くれない)を八色に染めていと赤く、鼻高くして眼(まなこ)鋭く、手には熊鷹(くまたか)の足に似た熊手を引き下げ、走りかかって引き倒さんとするところを恵岸は得たりと引き外し、熊手を丁と受けとどめ▲
「あら物々しき悪魔の振る舞い。観音薩垂(さった・つちへん)の御供して東土(とうど)へ赴く恵岸を知らずや。後悔すな」とたしなめれば、その者は驚いて膝まずき、
「それがしはこれ、悪魔にあらず。昔、神日本(しんやまと)磐余彦(いはれひこ)の天王(神武天皇)が大和の国で御戦して、長髄彦(ながすねひこ)をうち滅ぼした時に御旗の手に立ち現れて軍功ことに高かりし稚鴟命(わかとびのみこと)なり。しかるにそれがしは功に誇って、無礼の振る舞い多かれば、日の神の逆鱗がなはだしく、遂に天上を追い払われて勅勘(ちょくかん)の身となれば、遠くここらにさまよって、人を喰らって月日を送る罪状をいかにせん。哀れ大悲の観世音、救わせたまえ」と詫びにけり。観音はこれを聞きたまい、やがて雲路を下りたちつつ言葉を尽くしてねんごろに諭したまう事は初めのごとく、また法名を賜って、すなわち悟了(ごりょう)と名付けたまい、日本国より金毘羅を迎えんために渡天(とてん)すべき名僧に従って大功をたて罪を贖(あがな)い深釈両部(しんしゃくりょうぶ)の神となる時節を待つに如(し)くことあらじと説き示したまうと、稚鴟(わかとび)の羽悟了(うごりょう)はしきりに喜び伏し拝んで森の内に退きける。
かくてまた観世音は恵岸童子を先に立たせて東を指して進みたまうと雲の中に龍神あって悶え苦しむ声がして、こは何故ぞと尋ねると龍神は菩薩を伏し拝み、
「それがしは日本国の近江の湖の龍王鱗長の弟で小龍王金鱗と呼ばれし者なり。兄の龍王は斯様斯様の罪により日の若宮へ召し捕られ、それがしは追い払われて遠くここらにさまよいつつ人を喰らって飢えをしのぐ身の不幸せを嘆くあまり悶え苦しみ候」と告げると観音は哀れんで、
「汝、宿世の業を感じて仏の道に入るならば、日本より来る名僧を助けて功をたてよ。さる時は兄鱗長の罪業もまた消滅して成仏せんこと疑いなし。その故は斯様斯様」と事つまびらかに示せば小龍王は感涙を止めかねつつ見送りけり。
さる程に観世音はまた幾ばく里の道を走って両界山(りょうかいさん)まで来た時に恵岸童子を見返って、
「昔、我仏釈迦牟尼如来が岩裂の威如神尊を(いにょしんそん)をいと容易くも鎮めて既に数多の年を経たる両界山はすなわちここなり。いざ立ち寄って見て行かん」となお山深く分け入りたまうと果たして千曳(ちびき)の巌の下に岩裂は押し据えられて、目は見えれども身は動かず、上には松かや生い茂り、下は茅(ちがや)に閉じられて無惨と言うも余りあり。その時岩裂は眼(まなこ)を見張って、いと苦しげなる声をはげまし、「なうなう(もしもし)観世音菩薩。それがしを救いたまえ、救いたまえ」と呼び張ると観世音は静かに立ち寄り、
「如何に岩裂、なほ見忘れずや。▲我は如来の仰せを受けて日本国の名僧を導くために東土へ行くなり。御事が真に前非を悔いて仏法守護の心を起こせば、自ずからあの名僧に救い出される時あるべし。そもそも御事の本体は始め讃岐に化生(なりいで)て、更に天竺国に赴き釈迦牟尼仏に仕えまつりて今もなお天竺の象頭山におるぞかし。さればその名僧は遠く雷音寺(らいおんじ)に赴いて釈迦牟尼仏を拝み祀り、金毘羅天を迎え祀(まつ)りて日の本に鎮座すべき。これらの因縁あるにより御事はひとえに心を尽くしてその名僧を助け引き、天竺国に赴いて、如来に見参するならば、本体用体(ようたい)合体して、御事はすなわち金毘羅なり。金毘羅すなわち御事なり。かくて利益を日の本に永く施すものならば、それにましたる神仏あらじ。しばらく時を待ちたまえ。これ只、如来の仏勅なり」初めて夢が覚めたごとく仏法無量の方便をかつ悟り、かつ感じ、いよいよ前非を悔やみけり。かくて観世音は恵岸童子を急がして、唐土さえも越えて早日の本にぞ着きたまう。
○延喜の帝(醍醐天皇)が御夢で龍王を哀れみたまう、この時なり。絵の訳は次の巻に詳しく見えたり。
さればこの時、大大和人皇(にんおう)六十代の天子を醍醐天皇と申し奉る。去る寛平九年七月三日、御父宇多天皇の御譲りを受けたまいて、その翌年に昌泰と改元あり。その後また延喜、延長と改めて、御治世すべて三十三年、そのうち延喜の年号のみ二十年まで続けば、世には延喜の帝とも唱え奉りぬ。此の君は文学に御志深く、治世安民の御政(おんまつりごと)みちにかなわせたまいしかば、耕す者は畦(くろ)をゆずり、商人は値を二つにせず、夜戸をささず、道に落ちた物を拾わずという唐国の禹湯(うとう)文武の時にもかなわせたまう聖王(みかど)なれども、惜しいかな御代(みよ)の初めに讒言をうけさせたまいて、罪なき官丞相(かんしょうしょう)を筑紫へ流させて斉世(ときよ)親王を閉じこめて、三好清行を追い退けて、その余の官家に縁ある輩を皆追い失いたまえば、怨霊しばしば祟りをなして世の中遂に穏やかならず、去る延喜九年には藤原の時平公、悪病により世を去り、あるいは洪水、雷電の災いあり。全て官丞相を悪し様(あしざま)に申しなしたる寧人(ねいじん)ばらは皆雷(いかずち)に打たれて死にけり。これにより帝は深く恐れたまいて官家を元の位に返して、その菩提をとわせたまい。官丞相の御子たちはいずれも都へ召し換えさせて、位司を授けたまえど、天変地妖(てんぺんちよう)やや静まってのどかになりし頃、帝のある夜の御夢にいと怪しげな一人の男が後ろ手に縛(しば)られて御側近くひざまづいて嘆き訴え申す様、
「それがしは近江の湖の龍王なり。斯様斯様の罪により日の若宮へ召し捕られ、既に死刑に定めらる。明日の午の刻に至れば、必ず▲六孫王(ろくそんおう)経基(つねもと)に斬られなん。哀れ経基をとどめさせ、命を救わせたまえかし」と繰り返しつつ申しけり。帝は不思議に思し召し、
「怪しや、罪を天に得た湖の龍王を経基が斬ることは心得難しと思し召せども、何にもせよ不憫のことなり。朕(ちん)が必ず救うべし、心安く思うべし」と他事もなくおおすれば、龍王は深く喜び、只感涙を流しつつ退き出ると見そなはして、早御夢は覚めにけり。
かくてその明けの朝、帝は昨夜の御夢が御心にかかりしかば、まず参内(さんだい)の殿上人(でんじょうにん)をたれたれぞと問わせたまうに、大方は参りしかども経基一人が参らねば、さぁさぁ呼べと呼ばしたまいつ。この日萬の訴えを聞こし召し果てる頃、経基、参りぬと聞こえしかば、ほとり近くはべらせて、さて昨夜の御夢を説き示さんとは予てより思し召したれども、
「・・・・・いやいや彼は心が猛くて武芸に秀でし者なるに、かくもはかなき夢物語を漫(そぞ)ろに説きも示しなば、必ず彼にさげすまれん。虚実は定かならずとも経基を今日一ト日内に引き止め置くならば、彼、いかにして龍神を斬り殺すことあらんや。要(えう)こそあれ」とたちまちに思し召し返しつつ、只さり気なく宣う様、
「朕、この頃はこれかれの政事(まつりごと)に暇なく、久しく囲碁の遊びをせず、経基、間近くはべれかし。それそれ」とおおすると女官たちは心得て、唐木の碁盤、螺鈿(らでん)の碁笥(ごけ)を御前にぞ据えたりける。かくて帝は経基と碁を打ちたまうと君臣工夫に時移り、更に余念もなき折ながら経基は眠りを催して、我にもあらぬ有様に女官たちは驚き呆れて呼び覚まさんとすれども帝は左右を見返って、
「いささかも苦しからず。只此のままに置きねかし。経基、歳なお若しと言えども常に武芸に心をゆだねて一ト日も怠(おこた)りあらずと聞けり。しかるを今かく安座して、これらの工夫に時を移せば、思わずも疲れて眠りたるにぞあらんずらん。そを咎むべきことか」と覚めるを待たせたまうと、しばらくして六孫王は忽然と驚き覚めて、いたく恐れかしこまり。臣、思わずも居眠りした大不敬の罪は逃れ難しと申すを帝は押しとどめ、
「否、その事は苦しからず。武芸にその身を砕く者はかかる時に疲れはいでん。さらば勝負をつけん」と再び石を取り上げて、なお興ぜさせたまいけり。
かかる所に使の廳(ちょう)よりにわかに相聞しつる様、
「先に午の刻ばかりに八坂のほとりに怪しき事あり。その丈、二十尋(はたひろ)余りの龍(たつ)が二つに斬られて空より落ちたり。その響きでか八坂の塔はたちまち戌亥(いぬい)の方へ傾きぬ。真に不思議の事なればと里人らが龍の頭をかきもて参りて訴えの事の趣、くだんのごとし」と聞こえ上げ奉れば、帝はいたく驚き、
「さればこそ、正夢なりけり。▲経基も承れ。朕が昨夜見し夢に近江の龍神が命乞いして斬り人はすなわち経基なり。救わせたまえと乞い願えり。朕、夢心に哀れんで救い得させんと言いし事あり。しかれども儚(はかな)き夢を大人気(おとなげ)なくしかじかと告げる事はいと恥ずかしき事なれば、まさしげには言いも知らせず囲碁にことよせ経基を大内に留め置けば龍を斬る事あらじと思いしが皆仇となりぬ。経基もまたその身に怪しと思いしことは無きや」と問わせたまえば、
「さん候、臣、先に思わずまどろんだ夢の内で日の若宮へ召されたり。その時天児屋命(あめのこやねのみこと)がそれがしに宣う様、「近江の龍王は威勅(いちょく)の罪あり。よって御辺(ごへん/お前)に斬らせよと日の神の勅定なり。さぁさぁ」と急がせたまうに、心得がたく思えども否み奉るには候はねど、天上にはいと猛き神たちが数多おわしまさんに、何らの故に経基に討たせる仰せやらん」と問わせもあえず、児屋命は「さればとよ、昔、スサノオの尊が出雲の日野川上のほとりにて山田(やまた)の大蛇(おろち)を斬りたまいし古事(ふるごと)のあるにより、今もなお龍を斬るにはその子孫に仰せつけられる。世を隔てたる事なれば、知れざる事もありぬべし。御辺はスサノオ七世の御孫の事代主命(ことしろぬしのみこと)の当今(とうきん)守護の御為に人間に数多下らせて貞純(さだすみ)親王の子とせらる。これすなわち日の神の御計らいによるものなり。されば御辺の子孫の者、天下の武将にそなわりて富み栄えたまわんこと、よしや我らが子孫と言うとも遂に及ばぬ所あらん。かかれば辞退は要(えう)なき事なり。これをもて斬りたまえ」と天叢雲(あめのむらくも)の宝剣を取り出して、貸させたまい□かくて牢屋に繋ぎ置かれたその龍を神たちが引き出せば、それがしは御剣(ぎょけん)を引き抜き、龍の頭を只一ト討ちに斬り落とすと、たちまちに驚き覚めて候」とことつまびらかに奏じれば、帝はいよいよ驚いて、
「返す返すも不思議の事なり。しかれば経基は国つ神にてありながら五位の位は足らざりき」とますます愛でさせたまいけり。
かくてその龍の頭は骸(むくろ)とともに焼かせて、灰を鳥部山(とりべやま)に埋めさせて、また御夢の趣をこれかれに示させれば、摂家大臣(せっけだいじん)を始めとして地下(じげ)の青じ(せいじ)に至るまで語り継ぎ聞き伝えて奇異の思いをせざるはなし。
しかるに帝は龍神を救い得させんと言いつるに救わざりし事、只これ朕が怠りなり、真に不憫の事にこそといとど悔しく思し召す御心が遂に結ぼれて(憂鬱)、その夜は御目も合わざりしに丑三つの頃よりして寝殿に物の怪おこりて、
「帝、などてや。我が一命を救わんと宣いながら知らず顔して斬らせたまいし。あら情けなの御計らいや。我が魂を返してたべ。頭を継いでたまわらずば遂には黄泉路へ伴わん。あらうらめしや」と叫ぶ声が御耳を貫き、御目にさえぎり、しばしばおびえたまいけり。
これより御悩(ごのう/病気)しきりで弱らせたまうばかりなれば、左の大□忠平公を始めとして公卿(くぎょう)、殿上人は驚き騒ぎ、典薬頭(てんやくのかみ)に勘文(かんもん)あって、御薬をすすめ奉るが露ばかりも印なし。あまつさえ夜毎夜毎に異形の物の怪が現れ出て、帝を悩ませば、宿直(とのい)の女房、生上達部(なまかんだちめ)も恐れおののくばかりで、いとど詮方なかりしかば、▲公卿しきりに詮議あって、こんえの大将兵状(へいじょう)を帯し諸□士(しょえじ)を率いて寝殿を守護し奉り、あるいは叡山三井寺の碩学(せきがく)うげんの名僧を選んで物の怪を祓(はら)わせたまい、あるいは経基の大君に仰せつけられて、蟇目(ひきめ)を行わせたまいし程に物の怪もようやく遠ざかり、六孫王の宿直(とのい)の夜は襲われたまうこともなく、夜もすがら眠らせたまう。
さりとて全く物の怪が退き去りしと言うにもあらず、これにより諸卿が再び詮議あるが評論まちまちにして事果てず、その時大臣忠平公は遙か末座の都良香(とのよしか)を見返って、「そこには何と思わるる。存ずる旨もあるならば、皆これ君の御為なり。さぁさぁ申し候へ」とねんごろに仰すると良香はわずかに小膝を進めて、
「さん候、愚案なきにも候わず。あの物の怪を鎮めるには雲居寺(うんこじ)の浄蔵ならで誰かまた候べき。浄蔵法師を召し寄せて、玉体に近づかせ加持せさせたまえかし。法げん過ち候わじ」と他事もなく申しけり。大臣は聞いて、
「さればとよ、我もあの法師の事は伝え聞きつる事あれども、如何にせん、彼は勅勘をこうむりし三好の清行の子にあらずや。しかるを玉体に近づけて御加持に召さるべき。こはなり難し」と宣えば、良香は重ねて、
「否、清行の勅勘はその罪に候わず。かつ法師の者は親に離れ世を捨てて仏に仕える者なれば、その親の故をもて遠ざけらるべきものにあらず。召されて法げんあらんには恩賞として清行を召し返したまわん事、何の子細が候べき」とはばかる所もなく申しけり。
そもそもこの都の朝臣(あそん)良香は先には官丞相と親しみ深く、去る頃羅生門で鬼神のつぎたりし名誉の学者なりけるに、忠平公も心映え兄時平公には似ずに、私(わたくし)なき賢相(けんしょう)なれば、遂にその義に従って、浄蔵法師を召されけり。
かくて浄蔵は参内して玉体をうかがい奉り、退いて申すには、
「丹精(たんせい)を抜きんでて法力を尽くせば印なきとは候わじ。但し、その物の怪が一旦立ち去り候とも幾程もなく返り来るべし。永く祓い鎮めるには経基をも等しく召されて重ねて蟇目を行わせ、武術、法力合こ(がっこ)せば、いよいよ魔性の雲切り晴れて、再び祟りのある事なからん。これすなわち父清行が申しこしたるうらかたの趣にこそ候え」と確かに奏し申せば、さる事もあるべしと六孫王をも召し寄せて、しかじかとぞ仰せける。さる程に浄蔵法師は寝殿に壇を構えて護摩を焚き上げ、呪文を唱え、秘術を尽くして祈ると、その夜の丑三つとおぼしき頃、寝殿しきりに鳴動し、血潮に染みたる悪霊が忽然と現れ出て、走り去らんとする所を経基はすかさず弓取り上げて、弦音高く引き鳴らせば、不思議なるかな御殿の内に鏑矢(かぶらや)の音が鳴り響き、▲さすがの悪霊たちも得去らず只弱々となる所を浄蔵たちまちおっとおめいて持ったる独鈷を投げ付ければ、悪霊やにわに微塵になって秋の蛍の群れ飛ぶごとく四方へぱっと分かれ散り、行方も知れずなりにけり。
これを見た月卿雲客(げっけいうんかく)はあっとばかりに声を合わせてしばし感じ止まざりけり。さればその暁(あかつき)より帝の御悩が半ばおこたれば、御感もっとも浅からず、臨時の除目(ぢもく)を行われ、すなわち経基大君の位一階(いっかい)上せたまい、また浄蔵法師にも僧位、僧官望みのごとく授けさせたまわんとしきりに仰せいだされしが浄蔵は否みて受け奉らず、
「およ此度の大功は六孫王の武徳によれり。それがしにいかばかりの功があるべき。しかれども武術を助けしそれがしの加持にも奇特ありけりと思し召さば、父清行を勅免ありて、召し返させたまえかし。この余の事は願わしからず」とひたすら申しはなちて、只一ト種(くさ)の被け物(かずけもの)をも固く否んで受け奉らず、そのまま内裏を走り出て、八坂のほとりまで来つる時、所の者共が待ちてやありけん。皆あちこちよりたちいでて、浄蔵法師を引き止めて、
「聖、この八坂の塔は名高き塔にて候いしが、去る頃、斬られし龍(たつ)が空よりだうと落ちし折にその響きにや寄りたりけん。アレ見そなわせ、あたら塔が傾いて、倒れもすべくなりにたり。しかれども此の塔を元の如くに起こす事は幾千人の工手間(くでま)かかれば、数多の財(たから)なくては叶わず、哀れ聖の法力で祈りを起こしたまえかし」と乞い求めつつ離さねば浄蔵ほとほともてあまし、
「こは思いもかけぬ事かな。人の病や諸願の事は祈りて印ある由あれども、かく大層なる塔がいたく傾きたるものを祈って起こす法やある。我が力には及び難し。この事のみは許せかし」と否めども、「印なくてはさてやみなん、まず試みに祈りたまえ」とせちに求めて帰さねば、浄蔵はここぞ一世のふちんとその塔に立ち向かい、心を澄まし眼を閉じて半時ばかり祈ると不思議なるかな戌亥(いぬい)の方へ酷く傾く塔が次第次第に立ち直り、元のごとくになりにけり。この時、南海観音菩薩が恵岸童子を引き連れて雲の内に現れて、二十八部の諸天に下知して、その塔を起こさせたまうと浄蔵法師の目にのみ見えて、諸人の目には見えざりけり。
さればこれらの法げんが世に隠れなく聞こえれば、その加持を請い、祈祷を請う者、日毎に運居寺へ群集(くんじゅ)していとかしがましかりければ、浄蔵今は□ぐみ果て詮方もなく思う程に、ある夜の夢に観音菩薩が浄蔵に告げたまわく、
「祈りて人を救うもの、只是(これ)有漏(うろう)の縁にして、大功徳と言い難し。昔、東寺の空海法師はしばしば法げんを現して、世のために利益ありしも多くは水無き所に泉を出し、あるいは出で湯なき所に湯を出せば、その利益は今の世まで幾万人の助けとなれり。世の衆生は限りなし、例え日毎に幾百人、幾千人に加持するとも世界の人に比べれば、九牛(きゅうぐ)の一毛(いちもう)なり。かくささやかな功徳をして、かえってその身を苦しめるは愚かなる業ならずや。只名聞(みょうもん)を捨てて施を積んで、その法力を現すことなく一心仏(いっしんほとけ)に仕えんと乞い願うものならば、求めずして世を救い人を救う功徳あらん。よくよくこれを思うべし」とまさまさしく示現あれば、浄蔵は感涙胸に満ち、かつ恐れかつ喜び、たちまちに先非(せんぴ)を悔いて、これより人の為に加持祈祷の求めに応じず、しばらく群集を避けるために密かに▲寺を逃れ出て、熊野の那智に参りつつ観音賛(かんのんさん)を修行して行いすましていたりける。
○これはさておき三好の清行はその子浄蔵法師の法力の功により、遂に都へ召し返されて元の位に一級を増し上し、五位の上を授けられ、式部(しきぶ)の少輔(しょうゆう)にぞなされける。さてまたその妻玉梓は名僧の母なればとて、これも等しく召し出され、浄蔵が辞退した黄金、白金、巻き絹をたまわりつ、恩賞大方ならざりければ、清行夫婦はたちまちに喜びの眉(まゆ)を開いて、元の屋敷に帰り住み、帝に仕え奉り忠勤おこたりなかりけり。
これしかしながら浄蔵法師の孝心の徳なりとて、皆人感じうらやんで初めよりなお清行を敬う人が多ければ、帝はいよいよ愛でさせたまいて、何事の詮議にもまず清行に問い定めてよくよく聞けとぞ仰せける。■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第三編下

2017-02-25 09:06:14 | 金毘羅舩利生纜
さる程に、延喜の帝は浄蔵法師、経基らの法力、武芸の徳により物の怪も遂に消散して、御悩はこれよりいささかづつも御心良きに似たれども、なお御枕は上がりかね、再び危うく見えさせたまえば、御自らも今は早頼み少なく思し召しけん。ある日、三好の清行を寝殿に召し近づけて、
「先には汝の子の浄蔵らの修法により物の怪はやや退きしが朕の病は癒えずして、臨終を待つばかりなり。朕が誤ってその昔、罪なき菅丞相を筑紫へ流し、かつ骨肉を疑うて、斉世(ときよ)親王におもひ死をいたさせて、あまつさえ菅丞相に縁(ゆかり)ある者どもをあるいは流し、あるいは害した此の罪障をかえりみれば、恨むせ絶えてあるべからず。今更いかなる功徳をもって冥途の苦患(くげん)を助かるべき。浄蔵などが予てより言いつる事は無かりしか」と御心細げに問わせたまうと清行はこれを承って、
「御心安く思し召されよ。それがしの学問の師の菅原是善は死して泰山府君(たいさんふくん)となれり。その由、年頃、まざまざと夢に見て候えば、それがし密かに是善に状を送って、君を守護させたまわん。菅家の輩(ともがら)が冥土にて君に仇する事ありとも、かの是善は▲菅丞相の親なり。呵責を防ぐ御後見には彼にます者候わじ」とて御前においてその書状をしたためて奉れば、帝は女官に心を得させてやがて書状を御髻(もとどり)の内にぞ納めたまいける。
かくて帝は次の日に御歳二十五歳にて遂に崩御したまいしかば、女御(にょうご)后(きさき)の御嘆きは更なり、上一(かみいち)の大臣より諸司(しょし)百官に至るまで涙に束帯の袖を濡らして、皆呆然たるばかりなりしを、さてあるべきにあらざれば左の大臣忠平公はまず万民に触れ知らせて、東宮(とうぐう)寛明(ひろあきら)親王を御位に付け奉らんと用意取り取りなる程に、清行は密かにこれをとどめて、
「その義は急がせたまうべからず。帝は日頃の御悩によって一旦事切れたまいしかど、御寿命未だ尽きさせたまわず、今より三日の後、御喜びの事あらん。しかるを逸らせたまえば御後悔もや候わん」としきりに諫め申すと忠平公は余りの事に心得難く思えども、事みな百発百中すという易学者の申す事なり、要あるべしとうなずいて、帝崩御の御事はなおしばらく披露に及ばず、公卿おのおの宿直(とのい)して、御亡骸を守りつつ儚(はかな)く日をぞ送りける。
さる程に帝は事切れたまいし時に御魂やさまよいけん。いと茫々(ぼうぼう)たる荒野(あらの)のほとりに独り佇みたまいつつ、つらつら辺りを見返りたまうと、いと暗くして文目(あやめ)を分かず、ただきらきらときらめく物は向かうに高き山ありて、林のごとく植え並べた剣の光なりければ、帝はしきりに驚きたまいて、「浅ましや、我は早地獄にこそ落ちたりけれ、いかにせまし」といとどなお思いかねさせたまう折から、数多の人の叫ぶ声してたちまち鬼火が燃え上がり、昼よりもなお明かりけるに、痩せさらばいた餓鬼どもがいくらともなく現れ出て、「あつ仁(ひと)□来たりたれ、日頃の恨みを返せや」と、おっとり囲んで鞭(しもと)を上げて打ち奉らんとひしめく時に、たちまち後ろに人あって、「無礼なせそ」と止めれば、餓鬼どもはこれを見返って、「府君がとどめたまうなり。皆引け引け」と罵り合って、いつちともなく失せにけり。その時そのとどめし人が静かに雲より下りたって、帝の御前に膝まづき、
「君がいとけなくおわせし時、それがしは既に世を去れば、御見覚えあるべからず。それがしは従四位の上大学の頭(かみ)菅原の▲是善(これよし)にて候なり。されば学問の徳により死して泰山府君となれり。この身はすなわち南山にあり。人の命の長き短き、それを司る職役なれば、もし定業(じょうごう)ならぬ者が非命に死する事もあらんとそれらを改め正さんために、かく地獄へも通い候。しかるに今君臣の義をわきまえず恨み奉る者どもが打ち懲らし奉らんとてひしめきたる折に、参り合わせしは思いなき幸いなり。今一ト足遅ければ真に危うき事なりき」とまた他事もなく申すに、帝は御感浅からず、
「さては是善なりけるか。先には朕が過って菅丞相を筑紫へ流し、その方様(かたざま)の人々を追い失いし祟りによって、飢饉、洪水がうち続き、あまつさえ時平は悪病で既に身まかり、その余の輩、藤原の清貫(きよつら)、たびらのまれ世なんどまで、皆雷にうち殺されて悪名をのみ残したり。こは菅丞相の祟(たた)りぞと人も申し、朕も思えば、近頃あの丞相を元の位に返し上せて、その子らを召し返せしが怨霊なおも空(あ)かずやありけん。朕の齢が長からで死しては餓鬼の□□□□□□、これらの事は予てより三好の清行が考え定めて御事に寄せた書状あり。頼むは是善ひとりのみ、とにもかくにも計らいてよ」と心細げに仰せつつ、その書状を取り出して是善に渡したまえば、是善は受け取り開き見て、にっこと微笑み、
「この状がなくともそれがしいかで君の御為なおざりに存ぜんや。天災地妖怪うち続き雷火に撃たれし者さえあるを、世ではただ道真の祟りと申せども、道真がいかでか君を恨んでさる祟りをいたすべき。その身は人の讒言にてさすらい人とまでなりしかど、天をも恨まず人をも咎めず、君悪しかれと思わぬ由はその歌その詩に表れて、知る人ぞ知ることながら、さしも咎なき大臣を無実の罪に苦しめたまい、その輩をいと酷(むご)く罪なわしたまえば、神は怒り人憤りしその気の下(しも)に結ぼれて、飢饉、洪水うち続き、あるいは内裏(だいり)に雷落ちて打たれて死せし者さえあり。これすなわち天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)の御計らいにて、道真の業にはあらず。ただやいしんの徳により我が子ながら道真は自在天に忠信して天部の神となりて候。しかれどもその輩は道真が心延えに似たる者がなければ、なお冥土には今のごとく君を恨み奉る怨霊なしとすべからず。これらは幾人ありとても何事をかしいだすべき、それがしいささか計らう旨あり。閻魔王に見(まみ)えたまえ、御道しるべつかまつらん。こなたへこそ」と先に立って導き奉れば、帝はたちまち是善が言うことを悟って御感いよいよ浅からず、
「実に菅原の丞相は類少なき大忠信、多く得難き賢人なり。またその父の是善もただ者にはあらざりけり。これより□三好の清行、都のよし香らにいたるまで、皆神□に通じたる博物の学者にして忠義の輩なるを、朕は疎(おろそ)かにしてこれを遠ざけ、寧人(ねいじん)ばらに惑わされ、そしりを後の世に残し、恥を冥土に輝かさんは実に浅ましき事なりき」と御後悔しきりに引かれて森羅殿(しんらでん)に赴けば、閻魔王が御橋(みはし)を下りて帝を迎え奉ると帝はいたくへりくだり、
「朕は冥土の罪人なるに、大王などてねんごろなる。ただここもとに」と否みたまうを閻王は理無(わりな)く御手を取り、客人(まれびと)の座におし据え参らせ、
「君はこれ南贍部州(なんせんぶしゅう)大大和の陽王なり。我が身はすなわち冥府の陰王。自ずからにその品(しな)異なり。さのみは辞退したまうべからず。先には時平に憎まれて無実の罪で死せし者が君を恨んで訴えいで、近頃はまた近江の龍王は君があの約(やく)に背いて救いたまわざりし由をしきりに恨み憤りて愁訴すること暇もなきに、君が命数(めいすう)今早尽きたまひぬる由を冥官らが申すにより、ここへ迎え取りしなり」と説き示し申すと是善はこらえず進み出て、
「そは間違いにて候べし。この君の御命がただ今尽きさせたまわんや」となじれば、閻王は方へなる鉄の帳を取り、「しからば府君、改め見たまえ。よも間違いはあるべからず」と言いつつ渡すその紙を是善は受け取りおし開き、繰(く)りつつ見ればちっとも違わず、南贍部州日本国人王六十代の天子諱(いみな)はあつ仁(ひと)、在位一十三年にして薨(こう)ずとあり、是善は大きに驚き、密かに早くも筆を取り、一十三の一の字に▲二画を加えて三となしぬ。からぬか木にうち微笑み、「大王これをよく見たまえ、在位は三十三年なり。およそ昌泰元年より今年延喜十年までは十三年にこそ候え。しかる時はこの君はなお二十年の果報あり。冥官達の粗忽(そこつ)にこそ。よく見たまえ」と差し寄せれば、閻王もまた驚いて、
「泰山(たいざん)府君(ふくん)なかりせば、民に父母□たるこの君の寿命をほとんどあやまつべし。粗忽を許したまいね」と詫びつつもてなし参らせれば、帝は深く喜んで
「思いがけなく大王の恵みをこうむるかたじけなさよ。それがしも娑婆へ帰れば何にもまれ参らせん」と他事もなく宣えば、閻王はしばし案じて
「それがし好んで折々に抹香(まつかう)を舐めるが、冥土の抹香は全て色黒くして匂い薄し。日本国伊豆山の樒(しきみ)をもって製する物は、その色は樺(かば)の如くにして匂い高しと聞き及べり。もしちとの抹香を贈りたまうことあらば、何よりもって賞翫(しょうがん)すべし」と言うに帝はうなずいて、「そは殊更(ことさら)に易き事なり。必ず贈りまいらせん。さても朕の族(うからゆから)の誰が命の短からん」と問えば閻王は再び頭を傾けて
「君の同胞、妃(きさき)たちはいずれも命長かるべし。但し御妹節折(よをり)の内親王のみ世を早失わん。その余の上は憂いなし」とねんごろに示し申せば、帝は遂に別れを告げて返り去らんとしたまうにぞ、親王すなわち菅原の是善を見返って、「生ける人の差し引きは泰山府君の職分なり。帝をよきに導いてさぁさぁ帰し参らせてよ」と言うと是善は欣然(きんぜん)とやがて帝の御供して、森羅殿をたちいでて初め行き合い奉りし剣の山のほとりまで送り付け参らせて、さて帝に申す様、
「それがしがなお何処までも送り奉らんとは思い候へども、大方ならぬ職分あれば、ここより御暇をたまわるべし。先には君に仕えし左大辨(さだいべん/左大臣)希世(まれ)は冥土にあって、その役重く亡者の採用を司れり。希世を代わりに御道しるべに参らせん。召され候え」と申すと帝は眉根をひそめ、
「怪しや希世はその昔、時平にへつらって菅丞相を傾けたねじけ人なるにより雷火に打たれて死せしにあらずや。しかるに死しては呵責もなく、かえって重き司人(つかさにん)となる事のいぶかしさよ。故もやある」と問わせたまえば是善が答えて、
「さん候、希世は萬に私(わたくし)なく心正しき者なれども、不幸にして藤原の清貫(きよつら)らと諸共に雷に打たれて死したれば、世には時平の方人(かたうど)で悪人なりと言われるは、いよいよ希世が不幸なり。これらによっても天災地妖は皆道真が業ならぬ道理を悟らせたまえかし」と申す言葉も終わらぬ折から、たひらの希世が来たりて、帝にまみえ奉り、是善に立ち替わって御道しるべをつかまつれば、是善はそのまま帝に別れ奉り、早南山へぞ帰りけり。かくて帝は希世に引かれて焦熱地獄(しょうねつじごく)を見そなわするに、牛頭馬頭が獄卒ら痩せさらばいた罪人を大釜で茹でるもあり、あるいはいたく縛り付けて釘抜きで舌を抜く、目も当てられぬ有様に帝は深く恐れたまいて、
「さても無惨や。在りし世にいかばかりの罪を作ってかかる呵責にあうやらん。真に不憫の事なり」と深く哀れみたまうに希世は声を潜まして
「君は見忘れたまいしか。ただ今舌を抜かれるは菅丞相を虐(しいた)げて無実の罪に▲落とした時平公にて候なり。またあの釜で茹でられるのは時平にへつらって菅家を悪し様に申しなしたる藤原の清貫(きよつら)なり。されば三好の清行とまた藤原の清貫は文字こそ変われどきよつらと唱えるその名は等しけれども心延えを尋ねれば善悪邪正(ぜんあくじゃしょう)、雪と炭なり。彼らの上を見そなわして寧人を遠ざけたまえば何の恐れか候べき」と密かに諭し奉れば、帝はしばしばうなずいて、
「さるにてもこの人々の菩提を弔い得させんには如何なる功徳を良しとせん」と問わせたまへば希世答えて、
「もし千本の卒塔婆を立てて菩提をとわせたまえば成仏せん事疑いなし。今は早これまでなり。さぁ此方(こなた)へ」と急がし申して剣(つるぎ)の山の麓を過ぎると数多の人の叫ぶ声して、此方を指してくるに似たり。帝はこれに進みかね、「またもや以前の怨霊どもが朕を討たんとするにやあらん。いかにすべき」とたゆたいたまえば希世は帝に申す様、
「これらの事は御心安かれ。かくあるべしと存ぜじれば、白太夫の五千貫の銭を密かに借りうけ施餓鬼(せがき)に引かせ候なり。あれ見そなわせ」と申しも果てぬにくだんの銭を車に引かせて、三途川の婆をひきそい来つ、「御背牛(せぎゅう)ざふ」と呼び張れば、何処ともなく数多の餓鬼がおびただしく集い来て、くだんの銭を百二百ずつ施すままに受け頂いて皆喜びて帰ると見えしが、ただこの功徳によりたりけん。帝を恨み奉りしその人々は仏果を得て雲に乗りつつ皆諸共に極楽国へ飛び去りけり。
その中に近江の湖水の龍王鱗長は三十六禽(きん)流天の内の金龍王と表れて遙かに帝を伏し拝み、弥陀(みだ)の浄土へ飛び去れば、三途の婆は獄卒らに唐車(からぐるま)を引かせつつ、帝と希世に会釈して川辺を指して帰りけり。帝は希世の働きを大方ならず褒め、
「汝は朕が為に白大夫とか言う者の数多の銭を借り出して、施餓鬼の功徳を行いしは返す返すもいみじき業なり。朕がまた生きて浮き世に帰ればその銭を返すべし。そもそも白大夫と言う者はいかなる人ぞ」と問うと希世は答えて、
「さん候、彼は太宰府の民なるが菅丞相が左遷の折に心を尽くして仕えたり。かくて丞相が世を去りては只その菩提の為にと日毎に一銭ニ銭づつ手の内を施すこと今に至りて怠らず、さればこれらの功徳によって来世は必ず幾万貫の分限(ぶげん)となるべき果報あり。その徳は遂に冥土へ通じて来世に持つべき金銀が今早ここに積んであり。それがし今は財用(ざいよう)を司る職役なれば、その白大夫の銭を借りて背牛(せぎゅう)には引きしなり。君がまた浮き世に帰りたまえば▲これらの事を忘れたまわで銭を白大夫に返させたまえ。これよりあなたは山路なり。これに乗りたまえ」とて斑(まだら)の牛を引き寄せると、その牛頭(うしかしら)は人にして五体は獣に異なる事なし。帝は怪しと思し召し、まずその故を尋ねたまうと希世は答えて
「およそ世に在りし時、牛馬をむごく使って、その苦しみを思いやらず、あるいは養父母、養子の類、密かに相犯せし者は、死して必ず畜生道の苦しみを受けることは全ては此の牛のごとく」と説き示し奉れば、帝はいとど浅ましくことさら不憫に思し召せども、かくてあるべき事ならねばその牛に打ち乗って一つの山を越えたまえば、ここぞ名に負う血の池のほとりに近づきける。かくて帝は血の池の有様をご覧ずるに、池水は皆血潮にて生臭きこと言うべくもあらず、男女の亡者が幾人か獄卒どもに追いやられ、あるいは沈みあるいは流れるくれんの波の間より冥火(みょうか)しきりに燃え出れば、水に溺れてまた更に火にまた焼かれる大叫喚(きょうかん)、火水の責めに耐えかねて、泳ぎ着きつつようやくに岸に上らんとする者は剣のごとき岩かどに身を裂かれて転び落ち、叫び苦しむ有様を見るに目もくれ胸潰れ、身の毛もよだつばかりなり。帝はかかる罪障(ざいしょう)の浅ましくも哀れにも例える物の無きまでに、いとど不憫に思し召し、御涙をとどめあえず、
「やよ、希世。この血の池と言うものは世に難産で死せしおなごが落ちる地獄と聞きたるが見れば男も数多あり。いかなる故ぞ」と問いたまえば希世は答えて、
「さん候、血盆経(けつぼんきょう)は偽経にて、いとうけられぬ事のみ多かり。死して黄泉路へ来る者の悪人は地獄に落ち、また善人は極楽へ必ず至るものなるに、難産で死したりとも犯せる罪の無き女がいかでか此の血の池に落ちて地獄の苦患(くげん)を受けんや。彼らは全てありし世に利欲の為に兄を虐(しいた)げ弟を害し、妻を売り子を売り、親の悪事を表し、あるいは叔父姪と争うたぐい、血で血を洗うて恥とせざりし、およそこれらの報いにて此の血の池地獄へ落ちたり。さるによりおなごより男が多く候」と説き諭し奉れば帝はたちまち御疑い解け、いとど恐ろしき因果の道理を▲悟らせたまいて、牛を早めて行き過ぎたまいつつ、また幾里をか来ぬらんと思し召すと、たちまち空は明るくなって初めて草木を見そなわするに、遠山のたたずまいも在りし冥土に似ざりけり。その時希世は忙わしく帝の御裾を引き動かして
「是の所は既に早あの世この世の境にて、向こうの橋を越えれば現世にいでさせたまうなり。さぁさぁ」と急がし申して牛を追いつつ行く程に、その橋で帝は牛の上より遙かに下をご覧になるとその丈三尺あまりの鯉の内全て紅(くれない)の鱗(うろこ)に黄金の色を交えて辺りも輝くばかりなれば、しばらく牛を留めさせ見とれておわします程に、希世もつくつく見下ろして、「実に珍しき鯉にこそ、よく見そなわせ」と言いながら御ほとりに立ち寄りて、やにわにはたと突ければ、帝はあなやと叫びもあえず、たちまち千尋(ちひろ)の水底へ落ち入りたまうと思し召せば、忽然と御息が通って黄泉路返らせたまいつつ、なおもしきりにおびえたまいて、「希世が朕を□□□□□□□□」と叫びたまうにおん始めとして、むまたの公いいおんなきがらをうち守りてありしかば、皆々驚きかつ喜んで、「すはや御蘇生ましませしぞや。あな目出度や」とどよめいて御薬を勧め参らせ、その後に御粥をたてまつるとようやく陰気が失せて、御心地すがすがしく遂に本復ましましけり。
帝が事切れたまいしより、ここに至って三日なり。清行の占い申せしその事すべて違わずと忠平公は感涙にむせびたまうぞ理(ことわり)なる。さればまた女御、妃の御喜び、冥婦、うねめに至るまで、憂いの袖をひるがえして、いきまざる者なかりけり。
かくて帝は人々に地獄の有様を告げさせたまいて、菅原の是善が泰山府君となりし事、かつ左大辨希世の事、すべてこの両人がいたわり導きまいらせる事の体たらくを物語りつつ、また宣う様、
「菅丞相は天部の神と現れたる由、確かに聞けり。さても年頃の飢饉、洪水、雷火の災いありし事はあの丞相の業にはあらず。こは賢人を追い失い罪無き者を罪したる政治(まつりごと)の道ならぬをあまつ神が咎めて、さる災いを下せしなり。かかればあの丞相のいささかも私なきその忠信を知るに足れり。増官(ぞうかん)増位(ぞうい)あるべし」と菅丞相を押し上し、正一位太政大臣を贈らせたまい、さらにまた天満大自在天神という神号をたまわりて、社(やしろ)を建立すべき□□□□□□□□(ここの文章の不明)神になされ雅規(まさのり)を四位の右大辨になされ、この余、淳茂(あつしげ)、清よしらにも司位(つかさくらい)を上せたまうが菅原の文時(ふんとき)のみいたわる事ありと申して、この日の除目(じもく)にあわざりけり。かくてまた帝は三好の清行を呼んで、
「汝の易学に妙あること今に始めぬ事ながら、なかんづく冥土黄泉(こうせん)へ書状を寄せて朕がために計りしは昔の小野の篁(たかむら)なりとも及ぶべきところにあらず。しかのみならで▲朕の齢(よわい)が尽きざりしをよく知って大臣をとどめたは鬼神不思議の先見なり。そを賞せずにはあるべからず」と四位の位を授けて、式部(しきぶ)の大夫(たいふ)になされけり。かくてまた宣う様
「朕が冥土にありし時、恨みある亡者どもに取り巻かれんとした時に希世が早くも計らって白大夫という者の鳥目(ちょうもく)五千貫文を借り受けて施餓鬼に引けば、たちまち此の功徳によって呵責を逃れしのみならず朕を恨みし亡者は更なり、あの近江の龍王さえ皆たちどころに成仏して、極楽浄土に赴きぬ。かかればその鳥目を大夫に返さずはあるべからず。さてもその白大夫は元より筑紫の民にして菅丞相の左遷の時、三年の間、心を尽くしてよく仕えた者なりとぞ。かくて丞相が世を去りてはその菩提の為にと常に一銭ニ銭づつ手の内なる施行(せぎょう)をして怠る事が無きにより、その功徳が冥土へ通じて来世は必ず幾万貫の大福長者となりぬべき。これらの果報あるにより、その銭積み冥土にあり。さるを希世が借り出して朕が為に背牛に引きたり。汝は元より菅家の親是善の弟子にして丞相とも親しかりき、大方ならぬ好(よしみ)あれば、急ぎ太宰府にまかり下って朕の心を告げ知らせ、その白大夫に物を取らせよ。なおざりにすべからず」とつまびらかに示して、その五千貫に一倍の息(そく)を加えて一万貫をたまわるべき由を掟させれば、
清行は謹んで勅(みことのり)を承り、旅装いを整えて、その御銭を船に積ませて雑色数多引き連れて、その身も同じ船路より太宰府を指して走らせけり。さる程に清行は早その地に着けば太宰の大弐(だいに)に案内して勅命の旨を伝え、次の日その御銭の唐櫃(からひつ)をかき担わせて、自ら白大夫の宿所に赴き、近頃帝が冥土に於いてしかじかの事により五千貫の鳥目を借りし由を告げて、今また五千貫を増し下され一万貫の青差しをもたらし来つる事の趣、大方ならぬ勅(みことのり)を伝え知らせて、御賜物を置き並べ早渡さんとしてければ白大夫は驚いて、
「そは思いがけぬ事なり。それがしに何の徳あって来世の果報をこの世から承る由あらんや。菅丞相に仕えしは、あの君の無実の罪を哀れみ奉りしのみにして、またその菩提を問い奉るは三年の間浅からぬ御恩を受けしによりてなり。それがしは帝様に銭を貸した覚えなし。得知らぬ銭を一文なりとも賜る言われは候わず。この事のみは許させたまえ」と田舎親父の片意地にいかばかりと説き諭しても受け引く気色がなければ、清行はほとんど持て余して飛脚を都へ上せつつ、事の趣を告げ奉ると帝はその白大夫が利欲に疎(うと)き朴訥(ぼくとつ)なるを大方ならず御感ありて、すなわちその一万貫になお数多の宝を加えて、天満天神の御社(みやしろ)を太宰府に立ちさせたまい、白大夫を末社として生きながらに神に祀(まつ)らせ、その子供らを召し上して、牛飼い舎人(とねり)になされけり。今も天満宮の末社の白大夫の社はこれなり。かくて三好の清行はこれらの御用を承り、その御社が成就の後に都へ帰り上りけり。
○かくてまた帝は忠平公に宣う様、
「朕は去ぬる頃、冥土で閻魔王に相見(あいまみ)え、そのもてなしを受けし時に伊豆山の樒(しきみ)で製した抹香を贈り遣わすべき由を約束せしことしかじかなり。かかればその身の命を捨てて冥土へ遣いすべき者を尋ねてこれを得たならば早く冥土へ遣わすべし。しかれども権威につのって人の命を取らん事は最も不仁の沙汰なれば、左様の事はすべからず▲さればとて助け難き罪人などの命を取って仮にも勅使とすべきにあらず。あるいはいたく年寄りて養うべき子も無き者、あるいは生まれて片輪なる者、浮き世に捨てられ娑婆に飽きて死なんと願う者あらば望みのままに黄金を取らせてくだんの遣いに任ずべし。これらの旨を遠近(おちこち)へ知らせてよ」と仰すれば、忠平公は承ってやがてその趣を国々へ触れ知らせ、また使(し)の廳へ下知を伝えて、都近き里々は更なり、五畿内までも巡らせて、その人を求めたまうが賜る金は欲しけれども命を惜しまぬ者もなければ、求めに応じ、身を捨てて我承らんと申す者は何処の地にも無かりけり。
[物語二つに分かる]ここにまた津の国難波村の片ほとりに竹田日蔵という浪人あり。元菅丞相の家臣にて忠義の若者ければ、今よりして十年の昔に菅家が筑紫へ左遷の折に、なお揚巻(あげまき)にておわしませし末の公達(きんだち)菅秀才(かんしゅうさい)文時(ふみとき)朝臣(あそん)にかしつけて、何処の浦にも世を忍べと黄金一ト包みをたまわりしに、なお思し召す由やありけん、菅家のご先祖天穂日命(あめのひのみこと)より伝えらた天国(あまくに)という宝剣を菅秀才に伝えて、これが人となるまでは日蔵よくよく守れとその剣を日蔵に預けけり。かくて竹田日蔵は菅秀才、文時の御供して津の国難波村に隠れ住み、主君を養い参らせるに手跡(しゅせき)は菅丞相の弟子にて走り書き見事なれば、里の揚巻牛うつ童の手習う者を集えつつ寺子屋をしてようやくに細き煙を立てたりける。手習鑑(てならいかがみ)の浄瑠璃に武部源蔵と作りしは、この日蔵が事なるべし。しかるに日蔵の女房はその名を世居(よおり)と呼ばれたり。見目形(みめかたち)は醜からず、その身はニ八の春の頃より日蔵の妻となり、わずかに中一年を置いて疱瘡(ほうそう)をして松皮とかいう痘瘡(もがさ)で辛く命をとりとどめれども花の姿はたちまちに生まれもつかぬ片輪となって、かためはしいて色黒く、あばたは指もて押したるごとく、肌へは全て引きつって松の木肌に似たれども、心延えは始めに変わらず夫にかしずき、主君を敬う萬につけて甲斐甲斐しく貧しき暮らしをとにかくに年頃まかないたりければ日蔵も今更に顔ばせ醜くとても、さすがに捨てる心なく、十年このかた連れ添う程に、延喜十年の秋の頃、親しき友が密かに告げて、
「・・・・・菅丞相の公達(きんだち)がなお世を忍んでおわしますをも召しだし候べき由既にその風聞あり。遠からずして吉相あらん。いと目出度し」と囁きけり。日蔵これを聞きしよりいと喜ばしく思えども、また差し支える事あれば、さすがに心安からず女房世居にしかじかと聞きつる由を告げ知らせ、
「もしその事が真ならば念願成就の時が至れり。いと喜ばしき事ながら十年に及ぶ浪人の蓄えは早尽きし頃、菅秀才はかんろうで二年余りの板付きにより薬の代の才覚なく、あの天国の宝剣を八十両の質として値たつ□薬□□□□ままに□□せつ今ではちとも病気(やまいけ)なく健やかになりし事、御身も知る事ながら都へ帰らせたまわんには、あの宝剣を受け戻して君に帰し奉り▲我が身もお供をすべき事、また言うまではなけれども八十両に利を重ねて早百両に及ぶ質を受け戻すべき手当てはなし。言うて返らぬ事ながら御身の顔が変わらであらば、よしや盛りは過ぎるとも江口の里に身を売らせ少しの金は整うべきに、うたてき今の顔ばせや」と言うと世居は涙ぐみ、慰めかねし身の憂さに夫の繰り言は理(ことわり)なれば、また今更に恥ずかしく我が身を恨むるのみなりし。志を励まして、それより日毎に走り巡って金整えんとしたれども海女が鹽焼く辛き世に親しき者も頼もしからで、その金少しも整わねば、只身一つに託(かこ)たれて、
「うたてや、昔の顔ばせならば例えこの金整わずとも、先の如くに夫にまで世に疎(うと)ましげに言われはせじ。二世と契りし人にすらいつしか疎み果てられて、まさかの用にたちはせず、何面目(めんぼく)に長らえてなおこの上に憂き目を見るべき。いっそ死ぬるがましならめ」と女心の一ト筋に思い詰めては死に神に誘われて散る花に風、その入相(いりあい)の鐘てより用意の短刀人目を計って喉(のど)をぐさとかき破り、自害してこそ伏したりけれ。かかる折から日蔵は金才覚のために堀江村まで行きしが、その夕暮れに帰り来て、この体(てい)を見て大きに驚き、抱き起こして呼び行くれども、早喉笛をかき切れば救うべき由もなし。枕に残せし書き置きで事の心を知れるのみ。死ぬべき事にはあらざるをさすがに女の胸狭く、我が仮初めに言いつる事を心に掛けて命を捨てしは真に不憫の事なりきと思えば涙が胸に満ち、由なき口の過ちを今更悔しく思えども、さてあるべきにあらざれば、村長(むらおさ)に告げ、辺りに知らせて、次の日、妻の亡骸を頼み寺へ送らせて、かたの如くに葬りけり。
この時より三日以前に菅秀作、文時朝臣は春の頃より都にましますこのかみ高視(たかみ)朝臣より消息あり、今は世の中広くなりぬ。召し出されるべき御沙汰もあるに難波におるはいと遠し、都へ上りたまえかしと密かに招かれれば、文時朝臣は喜んで、まず日蔵に由を告げ、あの宝剣を求めたまえば日蔵ほとんど困り果て、
「その天国の宝剣はそれがし予て確かなる人の倉に預け置いたり。君はまずまず上洛したまえ。それがしは後より宝剣を取り出して馳せ参らん」とさり気なくこしらえて主君を都へ上せ参らせ、なお金の才覚に夜の目もあわぬ苦労のうちに妻の世居は自害して、かててくわえし憂き事に成す由もなく日を送るが、文時朝臣はかくとも知らず都より消息して、
「昨日臨時の除目(じもく)あって我が同胞はしかじかの司位をたまわりぬ。しかれども我が身は宝剣無きによりしばらく病にかこつけて、その除目にあわざりき。さぁ宝剣を持参せよ。何故に斯様に延び延びなるぞ」としきりに催促すれば、日蔵はいよいよ憂いもだえて、只此の上は腹かき切って死ぬるより術(すべ)なしと既に覚悟をする折に、錦織(にしこり)の判官代照国が勅命を承り、五畿内を巡りつつ既に難波の旅宿にあり。死なんと願う者あらば、数多の金をたまわりて冥土へ御使いに遣わされるべし。その故は斯様斯様と残る隈なく触れれば、日蔵はこれを伝え聞き、心喜び忙わしく照国の旅宿に赴き、それがしは竹田日蔵という浪人なり。最愛の妻に遅れてこの身も多病なるにより、世に長らえん▲事を願わず、金百両を賜れば命の御用にたつべきなり。この事偽りと候わず神文をもって申すに、照国もまた喜んで、なおまた自ら問い正すとたえて相違もなかりしかば望みのままに金を取らせて人を付けて宿所へ遣わし、なすべき事をなさせけり。
さる程に、日蔵はその金で天国の宝剣を受け戻し、確かなる人をもて都へ上せて文時にその宝剣を返しまいらせ、その夕暮れに照国の旅宿へ再び赴いて、「既に用事はし果てたり。さぁさぁ計らいたまえ」と言う覚悟の体に照国は感じて、
「真にもって神妙(しんみょう)なり。但し、一ト折櫃(おりひつ)の抹香を閻魔大王へ参らせる御使いなるに身に傷付けては悪かるべし。さればとて、此方(こなた)より殺さん事はいよいよせず、汝の心一つでそのままにして命を落とせ、御贈り物はこれなり」とその折櫃を渡せば日蔵これを風呂敷に包み、しっかと背負い長押(なげし)に縄を投げ掛けて、遂にくびれて(首吊り)死んでけり。照国はこれを見届けて、
「我は都へ立ち帰り、まず此の由を相聞せん。重ねて御下知あるまでは、この日蔵の亡骸は折櫃を背負いしままで大きな瓶(かめ)に納めて、村長らがよくよく守れ。しばらく葬る事なかれ」と厳重に言い渡し、照国は次の日に供人数多を引き連れて、都を指して急ぎけり。
されば竹田日蔵は忠義の魂迷うことなく死して冥府へ赴いて、日本延喜の帝より抹香を贈らせたまう御使いの由を言い入れると閻魔王が対面せんとちゃうぜんに呼び寄せて自ら帝の安否を尋ね、贈り物を受け納め、日蔵をねぎらいたまい、見るめかがはなの冥官(みょうかん)にしばらく囁き問い定め、また日蔵にうち向かい、

「汝は真に忠臣なり。命数(めいすう)未だ尽きざれば娑婆へ返し遣わすべし。妻の世居に対面せよ」と厚くもてなしたまいけり。その時、冥官が進み出て閻魔王に申す様、
「日蔵の女房世居は若き時にもがさにより顔ばせ悪くなりし者なるが、斯様斯様の事により世をはかなみ夫を恨んで自害した者なれども□ごうには候わず、命数いまだ尽きざりしを身に傷つけて死したれば、その魂を返すに由なし。いかが計らい候わん」と聞こえ上げれば、閻魔王は
「それは真に不憫のことなり。例えその身に傷付けたりとも死して日数のたたずもあらば、なお魂を返すべし。死して幾日になるやらん」と問えば冥官は、「さん候。四十九日も過ぎたれば、その身はくわ□腐りたり」と言うと閻王はうなずいて、
「しからば体は用い難し。その歳も名も同じくて命数つきし女があらば、今その死する女の体へ世居の魂を返し入れよ。それらのおなごはあらずや」と再び問えば冥官は答えて
「日本延喜の帝の妹節折(よおり)の内親王は命数尽きたり。その死せん事は遠からず、その姫宮は歳も名も日蔵の妻世居に同じ、これをや用いたまわん」と言うと閻王は微笑んで、
「それは真に妙なり妙なり。その期に及べば、こなたの世居の魂を返し入るべし。あたかもよし、あたかもよし」と言いつと日蔵を見返って、
「汝も全て聞いたがごとく、妻の体は用い難し。されども命数尽きざれば、あだしおなごの亡骸へその魂を返し入れん。此は只汝が主のために命を捨ててこの旅の使いに来たのを賞するのみ。世居は後より遣わさん。汝は早く娑婆へ帰れ。さぁさぁ」と急がして、帝に参らせる受け文を渡せば、日蔵は閻魔王に喜びを述べ、別れを告げて、元来し道を心当てにそのまま走り出たりける。
○これはさて置き、菅秀才文時は日蔵夫婦が死したる事を夢にだも知らず、天国の宝剣がようやく手に入れば斜めならず喜んで、これを携え参内して、父丞相より相伝の事の趣をしかじかと聞こえ上げると帝はつぶさに聞こし召し、「家第一なる宝剣を末の子に伝えしは才のすべきし故なるべし」と文章詩作を試みたまうと玉を連ねし大才なれば、帝は深く愛でて、抜きん出て三位を授け、大内記にぞなされける。これにより文時はこの守(かみ)たちを越えて、帝に仕えたまいしをうらやまぬ者は▲なかりけり。
○さる程に判官代照国は日蔵がくびれ死したその次の日に、都に帰ってありし事々もしかじかとつぶさに相聞すれば、帝はさこそと思し召し、
「さるにてもその日蔵と言う者の最後の趣は不憫の事なり。照国を今一度あの地へ遣わし、死骸をあらため、異なる事も無きにおいては、厚く葬り得させよ」と仰せければ、照国がその次の日に再び難波の旅宿に至ると村長らは怠りなくその棺を守っており、照国はしかじかと勅命を述べ知らせ、更に死骸をあらため見んとそのまま棺を開かせると日蔵たちまち黄泉返り、瓶(かめ)の内より這い出たり。皆々等しく驚き騒いで、故もやあると訪ねれば、日蔵はちっとも包まず、冥土へ行きし事の趣、閻魔王に見参の体たらくを物語ると、
「実に空言にはあらざるべし。死骸と共に棺に納めた抹香の折櫃が風呂敷のみにて物はなし。しかのみならず日蔵の懐に閻魔王の受け取りの手形一通があれば、照国は不思議の思いをなして、こは未曽有の□事なり。こと私(わたしくし)には聞き置き難し。日蔵も都へ上って共に相聞しけれ」と相伴って京へ帰り、事の由を聞こえ上げると帝はつぶさに聞こし召し、
「そは真に不思議の事なり。朕が自ら聞くべきに、その者を伴って萩(はぎ)の戸まで参れ」とて立ちいでんとしたまう時に、帝の御妹の三の宮の姫上を節折の内親王と申せしが、この時数多の女房にかしずかれ、秋の草花の色々なるを眺めてをわしませしが、御顔の色がたちまち変わり、そのまま絶え入りたまいしかば皆々等しく驚き騒いで、しきりに呼びいけたてまつり、典薬(てんやく)の守が走り参って御脈をうかがうと、「医道の脈絡が絶えたまえば御療治も届き難し。是非もなきことにこそ」と申すより他なかりしかば、女房達はしのびかねて声を合わせて泣きにけり。帝は此の由を聞こし召し、御涙をとどめあえず、
「かかる頓死(とんし)も定業(じょうごう)なるべし。先に朕が冥土でうからやからの寿命を延魔王に尋ね問いしが、一人節折の内親王のみ短命ならんと言われし事を今さら思い合わせるかし。必ず嘆くべからず」と女官達を制したまうに、日蔵は先より参りて萩の戸の局(つぼ)のほとりに祗侯(しこう)せしと聞こえれば、それ聞かずはあるべからずと端近くいでさせたまい、冥土の事の趣、日蔵が申す由を御簾を隔てて聞こし召し、閻魔王より渡された受け取り手形を開かせて見そなわす折しもあれ、鬼火が忽然と閃(ひらめ)き来て、死に絶えたまいし姫宮の御胸先へひらひらと落ちかかると見えたりしが、怪しむべし内親王はたちまちむっくと御身を起こし、遙かあなたにいたる日蔵の声を導(しるべ)に慌てふためき走り出て、
「ノウ懐かしや。こちの人は冥土でちらと会い見し時に、何故に物言うてはくださらぬ。我が身も共にと言いはせず、一人振り捨て先立ちて立ち帰りたまいぬる心ずよや」と恨みの数々、その顔ばせは身も知らぬいと老(らう)たけたる姫宮なれども、物言う声と立ち振る舞いは女房世居によく似れば、日蔵は呆れ惑って、「こはそも如何に」と押しとどめ、冷や汗流してもじもじと後退(あとじさ)りするばかりなり。怪しき事の体たらくに帝を始め奉りありあう人々は片腹痛く驚くその中で帝は賢(さか)しくましませば早くも叡慮(えいりょ)を巡らしたまうに、
「事切れた三の宮の蘇生はあるべき事ながら、物の言いざま立ち振る舞いは更に三の宮ならず。思うに物が憑いたるならん。日蔵はその身に思い合わせる事あらば▲包まず申せ」と勅(ちょく)しゅうに日蔵は止む事を得ず、女房の世居が自害せし事、また冥土にて閻魔王に後より世居の魂を返し遣わさんと言われた事、そのくだりの趣、始めより終わりまで聞こえ上げ奉れば帝はうなずいて、
「それにて朕の疑い溶けたり。しからばこの三の宮は朕の妹にして朕の妹にあらず。身は空蝉(うつせみ)のもぬけとなって、今は早、日蔵の妻の魂が入れ変われり。かつその名さえ世居と言いしはいよいよ奇なり。さてもこの日蔵は素性いかなる者やらん。聞かまほしさよ」と宣えば御後辺にはべりる官三品文時卿はおそるおそる進み出て、
「彼処(かしこ)にはべる日蔵はそれがしの父の時より仕えし譜代の家の子なり。年頃難波の侘び住まいにそれがしをもり養って忠義無二の者なれば、あの天国の宝剣を預け置きたまいしが、それがしが久しく病み患い、薬の代(しろ)の尽きし時、その宝剣を質として数多の金を整えつつ、療治の手当てを尽くす程に病は本復致したり。それがしはたえてこれを知らず、召し返される頃よりして、しきりにその宝剣を求めて催促すれば、日蔵はその金を償(つぐな)いかねて、詮方なさに遂に冥土の御使いにその身の命を奉り、百両の金を賜り、さて宝剣を受け戻してある人をもてそれがし方へ送りこしたる時に至りて、そのこと初めて聞こえれば、それがし驚き、かつ哀れんで押し止めんと欲せども、早時遅れてその義に及ばず。しかるにことの怪しくも日蔵は蘇生して、閻魔王の御返事を申し上げるのみならず、その妻の魂は世を去りたまいし三の宮の御骸(おんむくろ)に宿り入り、言葉を交わす不思議の一条。今見も聞きもしたれども御前なればはばかって言葉をかけず候」と事つまびらかに奏したまえば、帝はいよいよ御感あって、
「しからば彼は今の世に多く得難き忠臣なり。素性はいかに」と問えば、「先祖は菅家と同姓で土師(はじ)の姓(かばね)に候」と申すと、「しからば菅家の陪臣(ばいしん)なりとも召し使うべき者なり」とにわかに五位の大夫になされて節折の宮を妻に賜り、また宣う様、
「土師氏はその昔、御陵(みささき)の事などを司りたるためしあり。朕は四ケの大寺において千人の卒塔婆を立てさせ、時平以下の人々の菩提をとわせんと思うにより、竹田の大夫を卒塔婆使としてその寺々へ使わすべし。一ト度、冥土へ使いせし試しもあれば、これにます司人(つかさびと)はあらじ」と仰せつけられれば、竹田の大夫は勅使として叡山、三井寺、東寺、興福寺へ赴いて、勅(みことのり)を伝えれば、その寺々でおのおの御願の法事を修行し、二十本の卒塔婆を立てけり。その後、帝の御夢に時平以下の輩(ともがら)が地獄の責めをまぬがれて成仏せしとぞ見たまいける。
さる程に竹田の大夫は思いがけなき妻を迎えて男(お)の子二人をもうけつつ、その子供が成人して帝に仕え奉る頃、その身は遂に世を逃れて墨の衣に様を替え、初めの名の日蔵は大日と胎蔵の両義に叶えばと元の俗名をそのままに日蔵法師と称(とな)えつつ、遂に名僧の聞こえあり。されば世に言うせいのい□の日蔵法師はこれなるべし。かくてまた妻の世居も夫に等しく尼となり、行いすましておる程に、二人の子供は幼き時より文時卿を師として学び、学問ことに優れれば司位も次第に上って、その家は繁盛したりける。
○これはさておき延喜の帝は日頃思し召したる事を皆行わせたまえども、なおあやにくに雷雨洪水す疫神(ときのけ)の憂(うれ)いあり。民の嘆きは大方ならねば、帝は宸襟(しんきん)安からず、再び思い巡らすに、
「これまで朕が執り行わした功徳は後世の事にして現在の災いを祓(はら)うになお足らぬなるべし。今よりりやう山▲大寺において一千五百の法師を集えて大般若を読ませれば国平らかに民安く天変地妖なかるべし。ただこの法事の導師たる者は道徳高き名僧ならではその甲斐も無きことなるべし。誰をがなと選ませたまうに忠平公を始めとして、浄蔵法師がしかるべし、召させたまえと申せしかば、帝はしきりにうなずきたまいて、朕もさは思いしなり、さらば浄蔵を召し寄せと熊野へ勅使を遣わされて浄蔵法師を招かせたまい、さてその事を仰するに、浄蔵法師は詔(みことのり)を承って、雲居寺に立ち帰り、一千五百の法師を集えて大般若を読みたりける。さる程に観音菩薩は時ようやく至りぬと、恵岸童子と諸共に乞食(かたい)の旅僧に姿を変じて洛中を徘徊しつつ、我には目出度き袈裟と鉢あり、値を惜しまず買う者あらば売るべし、売るべしと呼ばはりたまうと、その姿が汚げなれば人皆これを真とせず、たまたま買わんと言う者あっても値の高きに肝を潰して再び見返る法師もなかりき。かかる所に菅三位文時卿が参内の折に、これを怪しみ車のほとりへ呼び寄せて、その二品を見たまうと類稀なる物なれば、心の内で驚いてその値を問うと菩薩は答えて、袈裟の値は千五百両、鉢は千両と宣うに、菅三位はまた驚いて、しからばこの袈裟と鉢にいかばかりの徳あるやと問われて菩薩は、
「さればとよ。この二品を所持する法師は天魔(てんま)も障礙(しょうげ)をなすこと無く、変化も害すること叶わず。しかれども人によっては値を増してもこれを売らず。またはその人によっては値なくともこれを売らん。そはそれがしが元よりの志なり」と宣えば文時卿はうなずいて、「我思う由あれば共に大内へ参れ」と相従えて参内しつつ、事の由を奏したまうと帝はその由聞こし召し、
「その品いよいよ良き物ならば、此度の布施として浄蔵法師にたまうべし。さぁさぁ呼べ」とて出させたまえば菩薩は恵岸童子と共に御階(みはし)の元に膝まずき、袈裟と鉢とをうやうやしく文時卿に渡しけり。その時、帝がつくつくとその二品を御覧なると世に未曾有の宝なれば御喜びは浅からず、これらの値は申すままに取らせよと宣うと、菩薩はこれを漏れ聞いて、「いかで値を賜るべき。さればこそ、その人によって▲値なくとも売らんと言えり。早まからん」と言いながら恵岸と共に走り出て行方も知らずなかりけり。
さる程に帝の御願円満の日になれば雲居寺へ行幸(みゆき)あって、一千五百の法師ばらに数多の御布施をたまわりて、別に導師の浄蔵にはその袈裟と鉢とを御布施として賜れば、浄蔵は謹んで重恩(ちょうおん)を受け奉り、戴き捧げ退いて、その袈裟を掛け、鉢を持って進みいでつつしずしずと高座に着いて威儀(いぎ)正しく法義を述べる有様は、さながら羅漢(らかん)に異ならねば帝を始め奉り、道俗(どうぞく)ひとしくがっこうして、あら尊やととで褒めたりける。その時二人の弱(よろ)法師が高座のほとりに近づいて、浄蔵を見てあざ笑い、「今かばかりの功徳では天変地妖を祓い難し。あら笑止(しょうし)や」とつぶやくのを帝は遙かに見そなわし、
「あの法師らは先の日に袈裟と鉢とを値も取らずに走り失せたる者ならずや。しかるに今またここへ来て、いと託(かし)がましく法縁を妨げるは心得難し。あれを止めよ」と勅じゅうに近衛(こんえ)の官人はむらだちかかって引きずり除けんとする時に、二人は等しく身を交わし近づく者を投げのけ投げのけ、忽然として金色の光を放って雲に乗り、庭の梢(こずえ)に現れたまう観音薩多(さった)の妙相(みょうそう)に、恵岸も真の姿を現し、菩薩に従い立ち去りける。
思いがけなき来迎に、上一人(かみいちにん)より群集(ぐんじゅ)の道俗、皆庭上(ていしょう)に走り出て拝まぬ者は無かりける。その時、観音は妙音高く、
「良きかな良きかな。我はこれ世尊(せそん)釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)の仏勅を受け奉り、国土のために浄蔵法師を印声(いんぜふ)せんと来迎せり。知らずや天竺の象頭山に金毘羅神王という神あって、元これ日の本の神代の昔に、讃岐の国うたるの山に成りいでし神にして、その後天竺に渡り、我が釈尊に仕えて仏法守護の諸天となれり。この神のい神通力衆生のために災いを退け、幸いを下すこと不可思議の利益のあり。早く天竺に赴いて、十万八千里の苦行をしのぎ、釈迦牟尼仏を拝み祀(まつ)りて、不伝の経文を聴聞(ちょうもん)し、金毘羅神王を迎え来て、讃岐の国に鎮め祀れば天変地妖(てんぺんちよう)は長く絶え、国土太平、民安全の利生は日ここに新たなるべし。そもそも金毘羅神王には影と形の二神あり。その影の一ト柱の荒神はこれまた世尊が仏力で両界山に閉じ込めたまえり。浄蔵が渡天の折はその荒神が助けとなって、よく導きをする事あらん。おめおめ疑う事なかれ」と示現の御声は耳に残れど早御姿は恵岸と共に西を指してぞ飛び去りたまう。
○是により浄蔵法師は帝の勅(みことのり)を受け奉り、天竺へ赴かんとする時に、帝が自らはなむけの御杯を下されて、大法師の位を授け、かたじけなくも帝の御弟に準ぜられれば、世の人は長く浄蔵貴所(きしょ)と唱える折から渤海国(ぼっかいこく)より貢ぎの使いが参りしかば、浄蔵法師は便船(びんせん)して三かんより唐土(もろこし)におし渡り、更に天竺に赴くことどもは▲第四編に著すべし。四編よりして怪談(くわいだん)いよいよ多く物語りもまた甚(はなは)だ長やかなり。なお年々に継ぎ出して、遂には全部の冊子となさん。こは世の常の合巻物(ごうかんもの)と同じからぬ。作者の苦心を味わいたまえ、目出度し目出度し■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第四編上

2017-02-24 09:07:20 | 金毘羅舩利生纜
異国(ことくに)にすみつきぬともか名かきの 世をふる筆よ日本毛(やまとげ)ぞよき
虎穴山猫王(こけつのとらおう)
勇部綾彦(いさべのあやひこ)

舎利といひ菩薩ともいう米(よね)かしき 後の世たのむ旅のもてなし
綾彦が妻 笠志江(つくしえ) 笠=竹にユ
綾彦が母 笠ぜ(ちくぜ)
              
繋ぎとめて狂う具合をなつせかし 欲にすぎ戸の猿と駒寄
観音院の広念(こうねん)
悪僧 広謀(こうぼう) 悪僧 広智(こうち)
観音の化身 鞍掛(くらかけ)の刀自

福神(ふくのかみ)の道具めかしてさく花は 枇杷の木陰に鹿鳴草(しかなぐさ)かな
偽(にせ)神女(しんにょ)白花嬢(はくかじょう)
偽神仙 大禄(たいろく)

雲を起こし風をおこして破団扇(やれうちわ)蚊遣(かやり)火鉢に夏ぞくれゆく
黒風洞(こくふうとう)の黒風大王

==================================

延喜十年庚午(かのえうま)の秋の九月、雲居寺の浄蔵法師は観世音の示現(じげん)によって天竺(てんじく)の雷音寺に参詣し、如来を拝み奉り、象頭山におわします金毘羅天を迎え奉り、並びに金毘羅天童子の経文を受け奉らんと渡天の用意あれば、帝は浄蔵を大内へ召し寄せて、かたじけなくも御弟に準ぜられて御杯を賜れば、浄蔵はこれを頂戴し、「それがしは幼き頃より五戒を保ち候えば、一滴も酒を飲まず、この義は許させたまえかし」と御断りを申せば、帝は「実にも」とうなずいて、やがていと清らかな土(つち)一トつかみを取り寄せたまいて、御杯に入れ、
「聖、これは酒にあらず。伝え聞くに天竺は十幾万里ありとかや。遙(はる)けき旅路につついがなく帰り来て、またこの国の土を踏み候ように酒の内へ土を入れたり。かくては破戒の咎はあらじ」と理(わり)無く勧めたまうに浄蔵は辞する言葉も無く、且つ帝の浅からぬ叡慮(えいりょ)に感じ奉り、御杯を受けにけり。
かくて帝は浄蔵法師に太政官の勘合とあだし、恵比須(えびす)の国々の通り切手一通に黄金の錫杖(しゃくじょう)を取り添えて、餞(はなむけ)として賜れば、浄蔵はこれを頂戴して次の日に渡天の門出(かどいで)しつつ、是空(ぜくう)という弟子の法師と法六という下部一人を従えて、釈尊より贈られた錦の袈裟と鉢を携え、難波の浦より船出して、まず筑紫まで赴きけり。此の時、浄蔵法師の父三好の清行、母親の玉梓御前はなお筑紫の太宰府に逗留中の事なれば、事の由を伝え聞いて、その喜びは大方ならず、
「日の本の始まりてよりこの方、渡天の名僧はなかりしに我が子が出家の冥加に叶って仏の導きにあい奉り。あまつさえ帝の御弟に準ぜられて貴所とさえとなえらるは、これ法門の大面目、何物かこれにますべき。真に目出度し目出度し」ともてなし大方ならざりけり。
かかりし程に渤海国の貢ぎの船が筑紫の港にありけるが、早船出すと聞これば、浄蔵法師主従三人はその船に便船して、まず朝鮮へ渡り、それより唐土を過ぎて▲天竺へ赴くべしとて既に同船する時に、清行、玉梓御前はさらなり、およそ筑紫にありとある法師、修験者、民、百姓□を慕い、別れを惜しんで皆磯端で見送りける。
○されば浄蔵主従は朝鮮国へ渡り、また唐土(もろこし)へ赴くと、この時唐土(もろこし)の唐の世は既に滅んで、梁(りょう)の大祖(たいそ)の世となりぬ。しかるに後唐の李氏が怒って戦い止む時なかりしが幸いにして一両年は穏やかなりと聞こえれば、浄蔵法師はささはることなく梁の天子に見参して事の由を述べれば、梁の君は深く感じて渡天のくわんもん一通を相添えて、駿馬一匹をたまわりければ、浄蔵は次の日に梁の都を立ちいでて、その馬に乗りつつ西を指して赴くと、また幾ばくの日を重ねて□州城(きゅうしゅうじょう)、河州衛(かしゅうえい)なんどと言う唐土西の外れの国々を過ぎるに、この日は福原寺と聞こえた山寺に宿りを求めて、長途の疲れを慰めけり。
かくて浄蔵法師が次の日、馬に乗って発ちいでんとする時に、福原寺の法師どもが相戒めて言うは、「長老、これより西の行く手の山には妖怪多く猛き獣も少なからず、よくよく用心したまえ」と心つくれば、今さらに胸安からずと思えども相やむべきにあらざれば、その寺を発ちいでて、覚束(おぼつか)なくも主従三人は西を指してぞ急ぎける。
時に延喜十一年春も弥生の頃になりぬ。日の本をいでしより早幾千里の道を来て、二年(ふたとせ)近くなれども、なお唐土の地をも離れず、いずれの年いずれの日に天竺の雷音寺に至るべき。思えば遙けき旅の空に事とう方も嵐吹く、山また山をたどり行く、心細道つづら折、行き悩みたる折こそあれ、果たして木立、岩の陰よりいと恐ろしき妖怪変化の面魂は凄まじく、彪(ひょう)と言う獣に似たのが前後左右に現れ出て、どっとおめいて走りかかれば、馬はたちまち驚き騒いで、足折り伏して打てども走らず、「こは何とせん」とばかりに主従は生きた心地もなく等しくどうと伏し転んで、仏の御名を唱えつつ、助けたまえと叫びけり。
その時くだんの妖怪らは浄蔵主従三人をひしひしといましめて、なお山深く引き立て行くと、向かいに石の台(うてな)あって、面体(めんてい)はさながら虎に等しき一人の妖王がいたりける。その時、彪の化け物らは台のほとりにひざまづき、
「大王、今日は思いがけなき良い獲物が三人あり。いかが計らい申さんや」と言うと妖王は喜んで、
「我、此の頃はたえて人の肉を食らわざりしに、▲一人ならず三人まで捕らえ来つるはちゃうでうちゃうでう。さぁさぁ料理仕れ」と言うと皆々心得て、大まな板をなほす折から、たちまち二人の珍客あり。「山猫君(さんみょうくん)、犬良子(けんりょうし)、お見舞い申す」と音ないて、しずしずと入り来にけり。およそこの二人の化け物の山猫君(さんみょうくん)と称えるは山猫が化けたるにて、犬良子(けんりょうし)と名乗るは狼が化けたるなり。その時二人は言葉を揃えて、
「寅将軍(とらしょうぐん)、近頃は参会も絶えて、思わず疎遠にうちすぎたり。いかが渡らせたまうぞ」と問われて寅王はうなずいて、
「只今、ここより使いをもて招き奉らんと思う折、揃っての来臨はこれ幸いの事ぞかし。先に手下の者どもが良き獲物を引き来たれり。あれ見たまえ。そのうち二人は法師にして一人は俗人なり。かく珍しき今日の獲物をそれがしのみが賞翫(しょうがん)することあたらことに思ゆるなり。いでや、きゃつらを肴にして、各々(おのおの)がたと一献汲むべし。まずくつろいで語りたまえ」と言うと二人は喜んで、
「そは思いがけもなき口果報(くちかほう)ある幸せなり。さりながらあの三人をことごとく今宵の肴にすべきにあらず。一日の美味珍膳(ちんぜん)も後日の飢えを救うに足らねば、あの色白で人品よろしき旅僧を一人残し置き、その供人と思しき二人を料らせたまえば事足るべし」と言うと寅王は微笑んで、
「実に言われればその理あり。あの色白の旅僧の肉は格別に柔らかで味わいも一塩ならん。しからば奴を繋ぎ置き、明日の夜の肴にすべし。まずその供の両人をさぁさぁせよ」と急がせば、手下の化け物は心得て、やがて是空と法六を大まな板に仰向けにして、名工工(めいこうこう)の包丁を胸の辺りへ付き立てて、鰻の如く切り裂けばアッとたまぎる声と共に血潮がさっとほとばしり、三焦(みのわた)細腸(ほそわた)現れて、目も当てられぬ有様なり。浄蔵法師はとても逃れぬ命と思えば目を閉じ胸を鎮めて、心の内に読む経文も今は此の世の名残にこそと思い絶えたる身の覚悟。騒ぐ気色はなかりけり。さる程に化け物どもは思いのままに料理して、あるいは煮もし炙(あぶ)りもしつつ、卓袱台(しっぽくだい)に置き並べ、客と主に勧めれば、いずれも喜びうち向かい、大杯を引き受け引き受け、さしつおさえつ二人の肉をあくまで喰らえば、またその化け物らは粗(あら)をおのおの賞翫しつつ、酔いにまかして舞い踊る、楽しみ尽きて暁の星まばらなる空の色、春の夜なれば短くて▲東方早く明け渡れば、化け物どもはたちまちにかき消す如く失せにけり。
○浄蔵法師は呆然と夢現(ゆめうつつ)ともわきまえず、既に覚悟を極めしが不思議につつがなけれども痛ましく是空、法六は儚(はかな)く命を失って、その亡骸は妖怪変化の腹を肥やせし不憫さよ。既に我が供人を二人までをも失っては今日より誰を友、誰を力に十万余里の遙(はる)けき道をたどるべき、悲しきかなと彼を思い我が身を思う哀情(あいじょう)悲嘆に流れる涙は泉の如く衣の袖を濡らす時、いとたくましき二人の異人がいずこともなく現れて、浄蔵法師に向かい、
「長老、さのみ嘆きたまうな。死するも生きるも宿世の定業。供人是空、法六らは前世の悪業この世に報いて、あえなく命を落とせしなり。されば人の成し難き大願を起こす者は火にも焼かれ水にも溺れ、幾そ許(ばく)もその苦言を受けねば遂に望みを遂げ難し。長老、今よりいかばかりの大厄難に会いたまうとも命の限り天竺の雷音寺に赴いて如来を拝み奉り、遂には金毘羅大王を迎え取り奉り日本へ帰らんと思う心が変わらずば、道に不思議の助けが来て、大願成就せざらんや。嘆くは無益(むやく)の事にこそ」と世に頼もしく諫めると、浄蔵「実にも」と心に悟って立ち上がらんとする時、今までありつる二人の異人は能忍(のうにん)善神、摂伏諸魔(せっふくしょま)の大善神と現れて、松の梢にかからせたまい、「善哉善哉、浄蔵法師、我々をこれ誰とか思う。観音薩たの仏意によりて、日夜御事の影身に沿って、代わる代わるに護りとなる十六善神これなり。大和を発ちしその日より十六の善神の二柱づつが付き添って、相護らずという事なし。御法(みのり)のために命を投げうち、心真に叶いなば大望成就疑いなし。もし中途にして心怠り疲れを厭う事あれば、願いの叶わぬのみならず、命をそこに失うべし。夢々疑うことなかれ。よく務めよ」と励ます御声と共にたなびき下る紫の雲にたちまち包まれ姿は見えずなりたまうに、浄蔵法師は思いがけなき示現に驚き、尊さに憂いの涙に引き替えて、また感涙にむせびつつしばらくそなたを伏し拝み、初めて夢が覚めるが如く、ようやく辺りを見返ると我が馬はつつがもなくて方辺の松に繋いであり、また旅荷物も元のままにて巌の元にありければ、荷物を取って馬に付け、轡(くつわ)つらを引立てて、独り山路をうち越えたまうと、行く先はなお高山で木立は深く、人に得会わず、既にしてその山をやや七八里越え行く時に、獣の鳴く声しきりにして道には毒蛇横たわり、猪(しし)、荒熊、狼などがいくつともなく群がり出て、此方を指して駆けんとする勢い猛し有様に、馬は驚き人は恐れて再び生きた心地なく、如何にすべきとためらうとくだんの毒蛇、猛獣はふんふんとして逃げ走り行方は知らずなりしかば、浄蔵はいぶかりまず喜んで向かい遙かを見渡せば、一ト群茂き木陰より走り出た独りの狩人。背中(そびら)に数多の猟矢(さつや)を負って、腰に一丁の半弓を掛け、手に一筋の矛をひ下げて、そわ道、岩かど嫌いなく此方を指して来にければ、浄蔵は声を振るわせ「大人(たいじん)我を救いたまえ、救わせたまえ」と叫ぶと狩人もまたいぶかって、ほとりに立って、と見かう見つつ、「長老は何処の人ぞ」と問えば浄蔵は胸撫で下ろし、
「それがしは大日本国雲居寺より遙々来た浄蔵法師と▲言う者なり。先に帝の勅命を承り、天竺雷音寺に参詣して如来を拝み奉り、金毘羅王を迎える為に既にここまで来つる時、妖怪に出会って、弟子の是空、下部の法六と言う二人の供人を喰らい尽くされ、それがし一人が幸いに善神の応護(おうご)によって、つつがなき事を得たり。しかるに今またこの山で毒蛇悪獣に取り巻かれ、命も既に危うかりしが図らず大人に行き会わしたる一期の幸い、願わくば麓まで送りてたべ」と侘びしげに頼む言葉に狩人はにっこと微笑みうなずいて、
「□は御身は日の本の聖にておわせしよ。それがしの親も筑紫太宰府の雑色にて、勇部(いさべ)のみち彦と呼ばれし者なり。古里に在りし時、漁(すなどり)を好みしが、ある時南風に吹き流されてこの辺りに漂泊せしより帰国の願いも容易からねば、是非なくこの地の民となり、妻を迎えて世を渡りつつそれがしを産ませしなり。父は武芸をよくすれば、それがしもこれを受け継ぎ、山狩りで世を送れども、日本の風俗を今に至って変えることなく勇部の綾彦と呼ばれるなり。父は先に見まかって家には母あり、女房あり。それがしは親の時よりこの地の開発(かいほつ)なるにより所を和国の庄と唱え、この一ト村におる者共は皆それがしの手に付いて山狩りをするにより、彼らも全て日本の風俗に異なる事なし。いざたまえ、今宵のお宿つかまつらん」と言うと浄蔵は喜んで、
「さては和殿の親人は我が日の本の者なりしか。既に年ふり世を変えても日本風を変えずして、里を和国と唱える事はいとありがたき心延え、感ずるになお余りあり。去年(こぞ)の長月に便船して朝鮮国に来るまで風俗言語に同じからねば、ただ古里の空をのみ慕わしくこそ思いしが、たまたま和殿の風俗を見ればさながら古里人に巡り会った心地ぞする。いざ標(しるべ)してたまいね」と言いつつやがて立ち上がる折からにわかに吹く風に、草木は等しく吹きなびきおどろおどろと振動し、山荒れ渡る程こそあれ、現れ出たる一つの虎。眼(まなこ)怒らし爪をけたててまっしぐらに馳せ掛かるのを綾彦は得たりと鉾(ほこ)取り直して突くをひらりと飛び上がる気色鋭き猛虎の勢い、なおも駆けんと馳せ寄せるを綾彦はすかさず引き外し、やり違え立ち巡る手練の手の内あやまたず、虎の喉を突き止めたり。さすがに猛き悪獣も急所の痛手に弱り果て、ようやく息は絶えにけり。その時勇部の綾彦は腰よりせこ縄(せこなわ)取り出して、特牛(ことい)に等しき大虎をからげて背負う覚えの力量、浄蔵法師を馬に乗せ先にたちつつおのが住む和国村にぞ伴いける。
○かくて勇部の綾彦は浄蔵法師を伴って、峯を越え麓に下りておのが宿所に帰りつつ、背負った大虎を門口に下ろして、「者共、只今帰りしぞ」と言う声聞いて、妻の笠志江(つくしえ)、子分、子かたの荒男らも皆慌ただしく出迎えて、
「思いしよりは早帰りし。そは又今日の獲物にこそ。さて大きなる虎なりけり。親方さこそ重かりけん。小牛よりなお勝れるを▲おいらは二人で担ってもあの山坂を越えてここまではちと難しい。さてもさても」とどよめくのを綾彦はとどめて
「やかましい。わいらは早く此の虎を料いて夜食の支度をしろ。笠志江はこの聖を奥へ伴い参らせよ。この聖は日本国雲居寺の名僧で浄蔵貴所(きしょ)と申すとよ。天竺へ渡って金毘羅神を迎えたまう世に有り難き難行苦行と聞いては尊く痛ましさにお宿せんとて伴うたり」と言うに笠志江は浄蔵のほとりに寄って腰をかがめ、
「予て噂に伝えた大和と聞くも懐かしく、いとど尊く思いはべる。見たまう如き山里の一つ家なれば、参らせる物とて無けれども、うちくつろいで休らいたまえ」と誘(いざな)いたてて奥の座敷に伴えば、綾彦の母の笠ぜ(ちくぜ)も喜び迎えて、
「わらわの夫は大和の筑紫とやらの人なれば、わらわの名も竹ぜと呼び替え、嫁を笠志江と名付けたり。夫は世を去りしかども綾彦もまた亡き親の志を受け継いで、御覧の如く宿の住まいも日本風に作りなしたり。しかるに思い掛けなく日の本より遙々と渡天したまう長老様を泊め参らせるは神仏の導きにこそはべるらめ。まずまず休息したまえ」と言い慰めつつもてなして、やがて風呂にぞ入れにける。しばらくして綾彦は着物を着替えて浄蔵法師に挨拶しつつ、さて言う様、
「聖は肉食したまうや。先に打ち取りしあの虎の鍋焼きが出来たり。苦しからずば参らすべし」と言うのを浄蔵は聞きあえず、
「それがしは母親の胎内に在りし頃より生臭物(なまぐさもの)を食べたことなし。只うち捨てて置きたまえ」と否むと綾彦は頭を傾け、
「それがしの家では皆獣(けだもの)の肉を日毎の糧とするなれば、鍋釜五器に至るまで生臭からぬは一つもなし。そはいかにして参らすべき。これには困り果てたり」と眉根をひそめる屈託を浄蔵法師は慰めて、
「否、それがしは野ざらしの斗僧(とそう)行脚の旅僧なれば、例え一日一泊まり物食わずとも▲ 苦しからず。心遣いをしたまうな」と言うと母親は案じて、
「良き物がはべるなり。亡き人の忌日(きにち)毎に麦飯を炊く土鍋あり。その折に用いる仏器あり。この品々は隠居所でわらわ一人が取り扱えば、露ばかりも生臭き移り香は無き物ぞかし。あの土鍋で別火にていざかしぎして参らせん。さは」とてやがて火を改めて、くだんの土鍋、仏器で糧飯(かていい)炊いて勧めると浄蔵は膳に向かって数珠押し揉んで合掌し、今この施主の方便で今宵の飢えをしのぐこと、厚禄(こうろく)無量の善根なり。願わくば此の功徳で先祖類世一切精霊、二世安楽抜苦(ばっく)菩提と回向して、さてさば経を読誦(どくじゅ)して、その斎(とき)を食べにける。かくて斎も果てしかば綾彦は浄蔵に獣倉(けものくら)を見せんとて、その所へ案内す。およそこの倉の内には虎、豹(ひょう)、猪(しし)、鹿を始めとして、ありとある獣の皮をうず高く積み重ねたり。また二棟の檻の内には熊の子、虎の子、猪の子などを皆々繋いで飼い置きけり。綾彦はこれを指し示し、
「出家に向かって、かかる業を誇り申すは烏呼(おこ)ながら、それがしは天然(自然)と山狩りに妙を得て、撃たんと思う獣は遂に捕らずという事なし。さるによりここらの山に棲む獣は皆それがしの影でも見ればたちまち逃げるなり。先に聖を取り巻いた毒蛇、猛獣がたちまち恐れて走り失せたは、それがしが来つる故なり。ここをもてそれがしが異名を山のさちをと言えり。聖の為には浅ましき業とや思われ候わん」と託言(かごと)がましく語りける。■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第四編中

2017-02-22 06:03:36 | 解説・楽しみ方
その夜、綾彦夫婦の夢に先に世を去りし父みち彦が手に黄金の蓮の花を携えて、枕に立って告げて曰く、
「我、日の本に在りし時、太宰府の雑色たりしが時平公がまたへつらい申して、菅丞相をつれなくもてなし、大方ならぬ罪を作りし報いによって、幾程もなく吹き流されてこの地にとどまり、異国の土となるのみならず、死しては地獄の呵責に苦しみ浮かぶ瀬なしと思いしが、図らずも実に日本国の名僧の回向によって地獄の苦言をまぬかれて、極楽ここにうまるるなり。疑わしくばこれを見よ」と言いつつその蓮の花を空へひらりと投げれば、不思議なるかな黄金の蓮は三尊の弥陀と現れ、西を指して飛び去りたまえば、みち彦も紫の雲に乗って御後を慕って共に飛び去りぬと思えば夢は覚めにけり。
夫婦は奇異の思いをして、その夜が明けるを待ちわびて母に告げんとする時に、母の笠ぜはまず言う様、
「わらわは不思議の夢を見たり。その夢は斯様斯様とみち彦の事の趣一部始終を語り出すと、綾彦夫婦が見たる夢とちっとも異なる事なければ、夫婦はいよいよ驚き感じて、我々が見た夢も御身の夢と寸分違わず、この事を告げ申さんと両人等しく参りしなり」と言うと笠ぜもますます奇として
「疑いなく亡き人は名僧の回向によって既に成仏したまいぬ。長老様に御礼を申して布施を参らせてよ」と言われて夫婦は感涙を拭いつつたちにけり▲かくて笠ぜは昨日の如く清く別火(べっか)に飯をかしぎて浄蔵に斎をすすめれば、綾彦夫婦もほとりに居寄りて、親子三人見し夢の趣を告げ知らせ、
「かかれば聖は世に稀なる生き菩薩におわすなり。こはいささかなる物ながら見かけに寄りて亡き親の成仏した喜びに参らせんと思うのみ、受け納めたまえかし」と言いつつやがて一ト包みの銀子をとうでて贈れども浄蔵法師はこれを受けず、
「斗藪(とそう)行脚の身であれば路用なども絶えていらず、財(たから)を持てるはなかなかに災いの元なれば、志に従い難し。おのおの信心なおざりならずば今より忌日毎に殺生の業を休めて、貧しき者に施したまえ。しからば只今それがしにその金をたまわるより、亡き人のため、身のためにこよなき功徳なるべし」といとねんごろ諭すと親子は等しく感服して、
「しからんには、せめてもの御礼なれば国境まで送るべし。なれども今はなお早し、両三日も足を休めて緩やかに発ちたまいね」と言うと浄蔵は頭を振って、
「末遙かなる旅なれば、故なく逗留すべきにあらず。暇(いとま)申す」と言いかけて早発ち出んとせられしかば、綾彦は遂にとどめかね、にわかに矢を負い弓を携え、浄蔵法師を馬に乗せて両三人の若者に荷物をかかせ轡(くつわ)を取らせて共に宿所を発ちいでて国境まで送りけり。
○既にして名にしおう両界山まで来れば、綾彦は馬をとどめて、
「聖、この所は唐と韃靼(だったん)の境の両界山に候なり。名残惜しくは候えども、ここより暇をたまわるべし」と別れを告げる折しもあれ、をのへを隔てて何やらしきりに物のうめく声して、「我が師来たれり、来たれり」と叫ぶと浄蔵は驚き怪しんで、「あれはいかに」と問われると綾彦が答えて、
「さん候、昔日本雄略(ゆうりゃく)天皇の即位三年、唐土にては劉宋(りゅうそう)の孝武帝の大明三年にあたって、この山がにわかに出現せり。峰の形が五つに分かれて仏の御手に似たるをもて五行山とこれを名付け、また唐と韃靼の境なれば両界山と呼びなしたり。しかるにその頃この山にいと恐ろしき夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)が大盤石(だいばんじゃく)に押し据えられて四五百年の今までも動きもやらず死にもせず、折々声を立てる事あり。さるにより▲この山を越える者、木こり炭焼きの類は更なり、鳥獣と言えども恐れて近くに寄りつかず、只今高く叫びしはその夜叉にて候わめ」と言うと浄蔵はうなずいて、
「そは不思議なるものになん。いざ立ち寄って見て行くべし」と言われて綾彦は一義に及ばず、先に立ちつつ導(しるべ)して早その所へ至りて見るに、実に凄(すさ)まじき大盤石の下に押されし妖怪あり。色赤くして棗(なつめ)の如く髭髪白く針に似たり。眼の光は辺りに輝き鼻高くして唐辛子味噌の擂り粉木(すりこぎ)かと疑わる。その顎の辺りは苔むし芒(すすき)生い茂って幾百年(いくももとせ)を経たりけん、誠に奇怪の曲者なり。その時その妖怪は浄蔵を見て声高やかに、我が師などて遅かりける。さぁそれがしを救いたまえ」と叫ぶに浄蔵はいよいよ怪しんで、
「そもそも汝は何物ぞ。我を師の坊と言われるは故あることか、心得難し」と問われてその者は
「さればとよ。それがしはその昔、天地と共に成りいでて無辺無量と言う島国の方便山に成長しつつ幾万の眷属にかしずかれ、威如天堂の主となった岩裂の神、すなわちこれなり。神通高大(こうだい)なれば、天に上って日の神に仕え奉り、威如神尊といと貴き官名をたまわりしが、ある年に出雲の大社で新嘗会(にいなめえ)の神酒(みき)、餅飯(もちいい)を盗み喰らい、更に月読の宮へ忍び込んで甘露の神酒を盗みつつ逃げて方便山に帰れば、日の神がいたく怒って、建雷(たけいかつち)の神を大将として攻め討たせれども、それがしはちっとも恐れず、かつにのらずと言う事なかりき。さる程に加勢の大将白鳥の神の武勇と観音薩たの知略によって遂にこの身を絡め捕られ湯立ての釜で煮られしが我が神通によって物ともせず、程経て釜より現れ出て似非神たちを薙ぎ倒し、いたく天上を騒がせしに釈迦牟尼如来の方便に心鈍(おぞ)くも乗せられて、大盤石に押し据えられ、ここに在ること今は早四五百年の月日を経たり。しかるに近頃観音菩薩がこの山を過ぎりし時、先非を悔いて嘆けば、観音菩薩は我に示して今日本に名僧いで来て遠く天竺へ渡り金毘羅天を迎えんと近きにここを過ぎる事あらん。その名僧に助けを求めて弟子となり供をせよ。しからば作りし罪は滅びてその身も等しく神となるべし。夢々疑うことなかれと示されしより喜んで▲久しく御身を待ちわびたり。これより先は悪魔多し。それがしが従い行くならば御身につつがあるべからず、さぁさぁ救いだしてたべ」と言うを浄蔵は聞きて、「観音菩薩の示現なれば否むに由も無き事ながら、如何にして救い出さん。そはまた手立てがありもやするか」と問われて岩裂は、
「さればとよ。その昔、釈尊がそれがしを封じた真言は今なおあり。その封を剥がしたまえば、我は自ずからたちいずべし。やよさぁさぁ」と急がすと浄蔵は仰いで巌を見ると、果たしてオンマニハニウンという真言を幾つともなく書かれた文字はさながら彫れるが如く紙は巌に貼り付けあり。浄蔵は辛くして藤葛(ふじかずら)にすがりつつその封印を剥がすとそのまま風に巻き上げられて、幾ひらとなく書かれたその真言は失せにけり。その時雲の内に声あって、
「浄蔵法師、よく聞かれよ。我々は釈尊の仰せによって昔よりこの岩裂を護る山の神と金剛神なり。岩裂の解脱の時が来れば、我々は退いて釈尊へ申し上げん。さらばさらば」と言うに声さえもかすかに聞こえて失せにけり。岩裂は深く喜んで、又浄蔵を呼び近づけ
「それがしここをいずる時、この山は荒れて振動すべし。早く麓へ下りたまえ」と言うと浄蔵は心得て、綾彦ら諸共に馬を引きつついそがわしく麓を指して赴く時に、たちまち天地も裂けるが如く山鳴り動いて凄まじく、しばしあやめを分かざりしが如何の程にか岩裂は早抜けいでて片辺に立てり。浄蔵法師に向かい、
「それがしが今、長老の助けによって四五百年の苦言を免れたことは高大無量の厚恩なり。願わくば師と仰ぎ弟子となって御供せん」と言うと浄蔵は喜んで、「御事が出家を遂げんとするならば法名なくばあるべからず」と言うを岩裂は聞きあえず、
「それがしはその昔、役行者に従いしその頃より法名を迦毘羅坊と呼ばれしなり」と言うと浄蔵はうなずいて、「そはしかるべき法名なり。烏髮(うはつ)の僧にてあるべし」と師弟の契りを結びける。かくて勇部の綾彦は浄蔵法師に別れを告げて、なお再会を契りつつ皆々家路に帰れば岩裂の迦毘羅坊は浄蔵法師を馬に乗せ西を指して行く時に、忽然として一つの大虎が木立の陰より現れ出て、まっしぐらに走りかかれば、浄蔵は「あなや」と驚き馬より転び落ちんとするを岩裂は早くおし隔て、耳の間に隠し持った金砕棒(かなさいぼう)を取り出して六尺余りに引き伸ばし迎え進んでその虎を只一ト打ちに打ち殺し、手早く皮をはぎ取って、「こは良き物を得たり。まず早腰に巻かん」とそのまま身にぞ付けにける。浄蔵法師はこの有様に呆れること□ときばかり、
「先に勇部の綾彦は半日ばかり戦ってようやく虎をしとめたが只今迦毘羅(かびら)は一ト打ちでこの大虎を打ち殺した勇力は類無きものなり。かつその始めは一筋の杖だも持てる事はなきに、いと重けなる金砕棒を取り出せしも不思議なり」と言うと岩裂は微笑んで、この金砕棒は斯様斯様と昔竜宮で得た事の由を告げれば浄蔵はいよいよ舌を振るって奇異の思いをなしにける。
かくてまた行くと早黄昏になれば、とある草の家に宿りを求め、岩裂は主の女房に針を借り、糸をもらって虎の皮を裁ち縫いしつつ道服(どうふく)にして着たりける。さればこの宿の主は名を居停(きょてい)と呼ばれ年は百歳に余り、その妻は旅籠ぜ(はたごぜ)とてこれも九十余歳になりぬ。その子は▲七十ばかりにして孫あり、曾孫(ひこ)あり、玄孫(やしゃご)あり。皆、岩裂に怖(お)じ恐れ初めは宿を貸さざりしが浄蔵は彼らに由を告げてこれは我らが弟子にして始めは斯様斯様なりと事つまびらかに諭せば皆々ようやく納得して、
「さては我らが幼き時より両界山で折々見た巌に敷かれた夜叉にこそ。かく恐ろしげなる物を弟子とし従えたまうのは真に貴い聖なり」と家の内の者共は皆十念(念仏)を授かって浄蔵法師を敬いつつ余に浅からずもてなしけり。
○かくてその明けの朝、浄蔵師弟は宿りを発って馬を引き荷を担い西を指して行くと人里遠き荒野(あらの)に来にけり。浄蔵はしばし馬をとどめて
「迦毘羅坊、先に御事を救い出した両界山は唐と韃靼の国境と聞くが、釈尊のおわします雷音寺へはここよりしてなお幾ばく里あるべき」と問うと岩裂は微笑んで、「雷音寺へはこの所より十万八千余里あるなり。いと遙かなる道にこそ」と答える言葉も終わらぬ折からいと恐ろしげなる荒夷(あらえびす)六人が等しく現れ、行く手の道に立ち塞がり、「ここらに見慣れぬ行脚坊主ら、命惜しくば路用はもちろん身の皮脱いで置いて行け」とわめきかかれど騒がぬ岩裂は
「ほざいたり。盗人らが出家と思いあなどって、物しに出るとは不了見。道おっ開いてそこ通せ」と言わせも果てず六人の盗賊は「こいつはこいつは大それた。ふさぶさしいことぬかしたな。ばらしてしまえ」と鉾剣(ほこつるぎ)得物得物をうち振って、討たんとすすむを岩裂はものものしやと言うままに耳に挟んだ金砕棒をかい取り早く引き伸ばし、ひらめかしたる覚えの手の内、真っ向微塵に拝み撃ち、左右にかかるを薙ぎ倒す勢いさながら飢えたる虎が群がる羊を追うごとくまたたく間に六人の盗賊どもは骨を砕かれ脳味噌出して死んでけり。浄蔵法師はこの体たらくに驚き哀れんで岩裂を招き寄せ
「出家は虫けら一つだも命を取る事を▲許さず、しかるに御事は六人まで人の命を絶ちしこと、これ如何なる行いぞや」と言われて岩裂はあざわらい、
「そは又人にもよるべき事なり。それがしがきゃつらを殺さずば必ずきゃつらに殺されるべし。出家なりとて二つ無き命を惜しまぬ者やある」と言うと浄蔵は押し返し、「仏の慈悲はさにあらず。よしや彼らに殺されるとも既に逃れぬ定業(じょうごう)と思えば恨み無かるべし。もし止むことを得ざりせば絡め取ってこの国の領主に渡してその後に命乞いして得させるを出家の本意と言うべけれ」と言うと岩裂は大きに怒って、
「御身は我らが力によって命につつがなければこそ言いたい事を言われるならん。我がせし事が気に入らずばここより暇申すなり。ゆるりとござれ」と言い捨てて、ひらりと雲にうち乗って、たちまち飛び去りたりければ、浄蔵もまた腹立たしさに独りくどくどつぶやくのみ。今、岩裂に捨てられてはさして行方もおぼつかなさに頭を傾け、手をこま抜きて思いかねつつつくづくとしばらく時を移しける。かくて岩裂の迦毘羅坊は雲井(くもい)遙かに飛び去る時に、たちまちに思う様、
「・・・・・昔、我が竜宮に渡って金砕棒を得たりしより、名を天上に表して威如神尊の位を賜り、また勢いを冥土に示して限りなき寿命を得たり。かかれば今このついでに竜宮に立ち寄って、あの東海竜王にその喜びを言わずや」と青海原に降り下りつつ波を開いてたちまちに竜宮城へ赴けば、東海竜王が出迎えて、客座に招じて厚くもてなし、
「神尊、先には如来の為に両界山に押し据えられて四五百年に及ぶ由、ほのかに伝え聞きたるがその厄難を免れて無量国に帰りたまう。思いしよりは健やかにて、いと目出度し」と寿くに岩裂は聞いて
「さればとよ、先に我は誤って釈迦如来を侮(あなど)った咎めによって四五百年いら酷い目にあえば、先非を悔いて嘆く時に、近頃観世音の情けにて日本より渡天の名僧浄蔵法師の弟子となり、師の坊を助け引き天竺の雷音寺を指して赴く程に、斯様斯様の事により浄蔵が我をいたく叱って、口やかましく言われるのを聞くもうるさく腹立たしさに道より別れて来つるなり」と告げれば竜王は微笑んで
「神尊、たまたま良き師を得て、久しき苦患(くげん)を救われしに少しの事を憤って捨てたまわんは恩を受けて恩を知らざる者に似たり。昔、唐土の張良(ちょうりょう)は黄石公を師と頼む時、その靴をすら取りしにあらずや。さるをわずかの事で恩ある師匠を捨てたまわんは神尊には似合わぬことか。よくよく思案したまえかし」とことわり責めて諫めれば、岩裂は実にもと心に悟ってたちどころに胸開けしかば、早竜王に別れを告げて波を開いて▲忙わしく雲井遙かに上りつつまた数千里をまたたく間に元の所へ帰ろうと揉みに揉んでぞ急ぎける。
○さる程に浄蔵法師は思わず岩裂に捨てられて、よくよく思いみるに釈迦如来のおわします雷音寺までの道のりは十万八千里ありと聞くが身一人にしてつつがなく行けるべき事にはあらず、いかにせましと今更に思いかねつつ道の辺の株(くいぜ)に尻を掛けて思案に時を移しけり。かかるところに一人の女が風呂敷包みを引き下げて、そのほとりを過ぎると浄蔵を見て立ち止まり、「ここらに見慣れぬ御僧は何処より来ていずれの国へ赴きたまうぞ」と問えば、浄蔵は答えて
「それがしは日本国より来つる者なり。先に我が帝の詔(みことのり)を受け奉り、天竺雷音寺へ参詣し如来を拝み奉り、かつ金毘羅天王を迎えん為の渡天にこそ」と言うと女子(おなご)はうなずいて、「このところより雷音寺へは八十万八千里あるに、供人をも召し連れず一人旅をやしたまうか」と再び問われて、
「さればとよ。一人の弟子を伴いしが心猛くて教えを受けず斯様斯様の事によりたちまち我らを振り捨てて何処ともなく行きたる故に、案じ患うのみにこそ」と言うを女子は聞きあえず、
「既に供の御弟子であれば一旦蓄電したりとも帰り来ること疑いなし。わらわは予て宿願あり。衣服一領(いちりょう)、衣、鈴掛け、頭巾(ときん)まで取り揃え、一人の行者に施さばやとその品々をもたらせどもまだその人を得ざりしに、そは幸いの事ぞかし。只今この品々を残らず御身に参らすべし。その御弟子が帰り来し時に、斯様斯様にこしらえてこの品々を着せたまえ。かくてまた緊頭咒(きんとうじゅ)というまじないの秘文を唱えたまう時は、その人にわかに頭痛んで臥しつ転びつ苦しむべし。ここをもて何事も御身の心に背く事なく雷音寺まで供すべし。そのまじないは斯様斯様」と秘文を唱えて教えつつ、くだんの頭巾、鈴掛けを皆浄蔵に贈れば、浄蔵は深く喜んで、「そもそも御身は如何なる人ぞ」と問うにその女はたちまち身より光を放って観音薩たと現れたまい、
「善哉(ぜんざい)善哉(ぜんざい)、浄蔵法師、教えし秘文を忘れる事なく、もし岩裂がとにかくにわがまま言うて従わずばその折唱えてあの者を思いのままに従えよ。なお行く末を護るべし」と妙音高く示させたまいて雲にうち乗り飛び去りたまえば、浄蔵は驚き尊み、あら有り難やとばかりにしばしそなたを伏し拝む、感涙袖に余りけり。
○かかりし程に岩裂は竜宮城よりとって返して元の所へ近づく時に、思いがけなく雲の上にて観音菩薩に行き会うたり。その時観音は声をかけ、
「岩裂、などて恩を受けたる師の坊を粗略にして何地(いずち)へか赴きたる。よく浄蔵を助け引き、真の金毘羅天王と遂には一体分身の徳を全ういたさずや」とのり励まして▲行き過ぎれば、岩裂はいよいよ心決して元の所へ帰りけり。さればまた浄蔵法師は思いがけなき観音菩薩の示現を尊み伏し拝み、ようやく頭をもたげつつ初めて辺りを見返るといつの間にか岩裂はたち帰り来て後辺にいたり。浄蔵は密かに喜び
「迦毘羅よ。先には何地へ行きたる。もしや忘れた物などあって道よりとって返せしか」と問われて岩裂は微笑んで
「先には御身がとやかくと難しく言われし故に無量国へ帰らんと思い定めしが、ふと龍宮に立ち寄って東海竜王に諫められ、今また観音に行き会うてしかじかと言われれば、思い返して帰りたり。物欲しくおわすべし。それがしが里へ赴いて斎(とき)をもらって参らせん」と言うを浄蔵は押しとどめ、
「否、蓄えの干し飯を水に浸して食べしなり。先より和殿が帰るやと待ちわびつつおる程に思い出せし事こそあれ。去年の秋、釈尊よりたまわった金襴の御袈裟は我が旅包みの内にあり、また鈴懸(すずかけ)、頭襟(ときん)、衣(ころも)もあり。これをば和殿に取らすべし。和殿は初め日の本の役行者に従って迦毘羅と名付けられしと言えば、くだんの頭襟、鈴懸は身にふさわしき物ぞかし。さらば今より我もまた和殿を行者と言うべきなり。虎の皮の胴服(どうふく)は獣(けだもの)めきて見る人ごとに怪しみ恐れざる者なきに、さぁ脱ぎ替えよ」と言いかけて、鈴懸、頭襟、衣さえ取り出しつつ取らせれば、岩裂は喜んで、まず小袖を着て衣を着て、頭襟を戴き、鈴懸を掛けて、にこにこと笑みて、「いかに我らがこの出で立ちは天晴(あっぱ)れにあい候か」と問うと浄蔵はうなづいて、「よく似合うたり、似合うたり。しばらく待ちね」と立ち寄って、観世音より授かったあの緊頭咒(きんとうじゅ)を唱えれば、岩裂はあっとばかりに伏し転び苦しんで、「あら痛や、耐え難や。頭(つぶり)が痛んで割れるが如し。許したまえ」と叫ぶが浄蔵はさこそとちっとも緩めず、
「いかに岩裂、今より心を改めて物の命を取ることなく、またわがままを言うことなく雷音寺まで供をするや。我が言う事を用いずば、なおも秘文を唱えんず。いかにいかに」と責めつけられて、岩裂はいよいよ苦痛に耐えられず、「そは仰せにや及ぶべき。殺生をせずわがまま言わず、御身を守って供をすべきに、さぁさぁ秘文を止めたまえ」と誓いをたてて詫びるにぞ、浄蔵はなおも戒めて秘文を唱えざりければ、岩裂はようやく我に返ってくだんの頭襟を取らんとすると、こは如何に、たちまち額(ひたい)にいて着いて、ちっとも離れることなければ、ますます呆れて舌打ち鳴らし、
「昔、我が役の行者に懲らされて、神尊の呪文をもて、この身を焼かれし事がありしかど、今日の苦痛はそれにもましたり。思うにこれは観音めが我が師に教えしものなるぞ。補陀落山(ふだらくさん)まで追っかけて恨みを言わでおくべきか」と怒るを浄蔵は押し止めて、
「その憤りは迷いなり。真の道へ導きたまうこれも菩薩の誓いなるに返って恨み奉らば、我また秘文を唱えるべし」と言うと岩裂は怒りを収めて、
「実に実に、我が身が誤ったり。今宵の宿りを求むべし。いざ発ちたまえと忙わしく旅風呂敷を背負いつつ浄蔵法師を馬に乗せ、西を指してぞ急ぎける。▲
かくて岩裂の迦毘羅□□は浄蔵法師を助け引き、夜に宿り日に歩み行くこと十日あまりして蛇盤山(じゃばんさん)という山のほとりを過ぎる時、向かいに深き谷山あって鷹愁谷(たかうれたに)と名付けたり。この所の水清ければ淵にも住める魚(うろくず)なし。この谷を渡る鳥はおのれの影が水に映るを驚き恐れ、めくるめいて落ち水中で死するによって世に鷹愁と呼びなしたり。ここで鳥が命を落とすのは鷹に捕られる愁いに似たりと言う心で名付けしなり。さる程に岩裂は谷のほとりに師の坊の馬をとどめ、あちこちと渡し船を尋ねる時に谷川の水が逆立って、いとすさまじき景色なれば、慌てふためき浄蔵法師を馬より下ろしかき抱き山陰に走り退き、再び□とり取って返して元の所へ来て見れば、いと大きな龍(たつ)が半身を現して馬を呑んでいたりける。岩裂はこれに驚き怒って「こやつ曲者、ござんなれ。逃しはせじ」と息巻いて、隠し持った金砕棒を▲伸ばして打ち振り、「微塵になさん」と打ってかかればその龍は波をけたてて巻き倒さんとしたれども、神変不思議の岩裂に叶うべくもあらざれば、たちまち水の如くに変じて波の底に隠れるを、岩裂はすかさず追いかけて、波を開いて水底をあちこちと尋ねるも行方知れずになりしかば、是非なく汀に立ち返り、法術をもて山の神と所の神を招き寄せ、その龍の行方を問うと所の神たちは答えて言う様、
「あの龍は此の谷川に住まいつつ、水に溺れて死ぬ鳥を喰らって命をつなぐのみ。されどもこの谷川の水底には八方への抜け穴あれば、神尊が尋ねたまうとも速やかには知れ難からん。先に南海の観世音が日本国へ赴くとて、此の所を過ぎらせたまい、その龍を済度して宣いし事あれども、事の訳はよくも知らず。自ら思案したまえかし」と言うに岩裂はうなずいて、その神を退かせ、一人浄蔵のほとりに行って、馬を龍に呑まれたその事の趣と山の神と所の神の言う由を告げれば、浄蔵法師は驚き呆れて、「今、我が馬を失ってはいかでか十万八千里の長き旅路をたどるべき。こはいかにせん」とばかりに詮方もなく見えれば、岩裂はこれを慰めて、「さのみ心を苦しめたまうな。元この事は観音が由無きものを道に住ませてかかる難儀に及びしかば、補陀落山に赴いて由を告げ、伴い来て、あの悪龍を尋ね出させて呑まれた馬を取り返さん。いで一ト走りに行きて来ん、さは」と発つを浄蔵は慌ただしく押しとどめ、「和殿がしばしもここにおらずば、あの龍がまた来て我をも飲むべし。行くこと決して無用なり」と言われて岩裂は小首を傾け、「では十六善神が陰身(かげみ)に沿って日夜御身を守ると言えば、今日当番の善神を補陀楽山へ遣わして観世音を迎うべし」と言う言葉未だ終わらず、雲の内に声あって
「今日守護の当番なるぞ。うえき善神、多聞善神ここにあり、我々が彼処へ赴いて観音菩薩を迎えて来ん。しばらくそこに待ちたまえ」といと高やかにぞ示しける。かくてその神たちはまたたく間に南海の補陀落山に飛び行きて、事の由を告げ申せば、観世音はうなずいて、恵岸童子を御伴って早くもその谷川のほとりに影向(えいごう)したまえば、岩裂は出迎えて馬を呑まれた事の趣は斯様斯様と告げ申して、
「ここにて馬を失いしは由無き者を道に住ませし、元これ御身の業なれば、とにもかくにも計らいたまえ」と言わせもあえず、観世音はからからと笑って、
「愚かやな岩裂。その龍は因縁(いんえん)あり。彼は元日本国近江の湖の龍王鱗長の弟で小龍王金鱗と言いし者なり。斯様斯様の事により、日の神に罪こうむって遠くこの地へ流されたり。我はこれを哀れんで先に済度した時に、浄蔵法師に従ってその身の罪を滅せよと説き諭し事あれども、汝はかえって初めより渡天の由を言わざれば、彼知らずして隠れしならん。我がまた計らうべき事あり。しばらく待て」と説き諭しつつ恵岸童子に心得させて、その龍をよばじめ▲「馬を呑みしは如何にぞや。この過ちを繕ろうには汝が一匹の名馬に変じて浄蔵法師を乗せつつ共に雷音寺へ赴けば、遂に仏果を得る事あらん。務めよかし」と戒めれば、金鱗は大きに後悔して、
「今の苦患(くげん)を逃れるならば、大智大悲の方便でともかくも計らいたまえ。仰せに背き候わじ」と身を投げ伏して願うに、観世音はうなづきたまうて、携えた柳の枝で小龍王金鱗の背中をしきりに撫でれば、不思議なるかな小龍王は早一匹の龍馬(りゅうめ)となって、身震いしてぞ立ったりける。観音これを迦毘羅に渡して補陀楽山へ帰りたまえば、岩裂は深く喜び仏恩を謝し奉り、その馬を引き行きて、浄蔵法師に事の由を斯様斯様と告げれば、浄蔵は驚き喜んで南の方を伏し拝み、普門品(ふもんぼん)を読みにける。かくてまた岩裂はその馬を引き、浄蔵を導いて再び谷川のほとりに至ると山の神筏(いかだ)を組み人馬を向こうに渡しけり。さればまた浄蔵、岩裂はその夜は草の家に宿を求めて思わずも馬具を得たり。これにより浄蔵はまたその馬に乗って道の便宜を得たりける。これらの訳はなおつまびらかに五の巻きに記すべし。ここにはその画を著すのみ■
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第四編下

2017-02-21 05:05:09 | 解説・楽しみ方
かくて浄蔵師弟はその夜ある草の家に宿りしに、主の女房で鞍掛(くらかけ)の刀自(とじ)と言う者が浄蔵の馬を見て、「こは、いずれの所より盗み来たるや」と言うと岩裂は怒って、「いかでかは盗み来つべき。何を見とめてしか言うや」と問い返されて、
「さればとよ。御身の従馬(じゅうめ)なら鞍鐙(くらあぶみ)があるべきに、これはさもなき裸馬なり。よってわらわは盗み物ならんと推量するなり」と言うと浄蔵は微笑んで、しか思われるは理(ことわり)ながら此の馬は斯様斯様と愁鷹の谷川で馬を龍に呑まれた事、また観世音の利益によってこの馬を得たれども、先に馬具さえ呑まれればこの馬に馬具なき事は斯様斯様と説き示すと鞍掛は聞いて大きに驚き、
「さては聖は多く得難き名僧にこそおわすなれ。わらわが夫は馬を好んで良き馬を多く持ったが、世を去ってより家は衰え寡婦(やもめ)暮らしとなれば、馬とてなけれども秘蔵の馬具がはべるなり。結縁のために参らすべし」と言いつつやがて鞍鐙▲一式を取り出して皆浄蔵に贈れば、浄蔵も岩裂も喜ぶこと大方ならず、その馬具を馬に掛ければ、鞍掛は甲斐甲斐しく浄蔵師弟をもてなして、馬には馬草をかいにけり。かくて師弟は道の疲れにその夜の明けるを知らざりしが烏の声に驚かされてひとしく覚めて辺りを見ると昨夜泊まった家はあらず、朽ち傾いた堂の内にその夜を明かせしなりければ、浄蔵はことに驚き、本尊を見奉るにこれすなわち馬頭観音で方辺の柱に大慈大悲の方便で当所に収めある所の馬具一領を浄蔵法師にたまうものなりと書き付けあれば、
「□は主の女房は観世音の化身なりけり。こはありがたや、尊や」と感涙すこうに及びつつ、身を投げ伏して本尊をしばらく拝み奉れば、岩裂もまた驚いて、今に始めぬ観音菩薩の利益を深く感じける。
○かくて岩裂は浄蔵法師を馬に乗せ、また行くとも行く程にある日観音院という額を打った大寺のほとりに来にけり。浄蔵はこれを見て喜んで言うには
「我は日の本を発ちし日より堂に会うては堂を祓(はら)い、寺に会うては仏を拝み奉らんと誓いしが、両界山を越えてより初めてかかる大寺を見たり。いざ本尊を拝まん」と本堂に赴きつつしばらく祈念をこらすと、寺男が立ち出て七つの鐘を突きにけり。その時岩裂は堂のほとりにたたずんで浄蔵を待つ程に、一人退屈に耐えざれば鐘突き堂によじ登り、しきりに鐘を突き鳴らせば、一山の宗徒は驚いて、皆本堂にぞ集まりける。
そもそもこの観音は七堂伽藍(しちどうがらん)の大寺で二百七十余人の法師あり。住持(住職)は廣念(こうねん)上人(しょうねん)と呼ばれ、今年二百三十歳になりぬ。その時法師ばら(ども)は岩裂を見て再び驚き、事の由を尋ねると浄蔵は斯様斯様と渡天の由を告げ知らせ、その夜の宿を求めるに廣念上人はこれを聞いて早く客殿に招き入れ、浄蔵、岩裂に茶をすすめ、菓子をすすめてもてなすと、その器物(うつわもの)は得も言われず皆珍しき細工なれば、浄蔵はしきりにこれを誉めるのを廣念上人は聞きあえず、
「そは誉めらるべき物にはあらず。伝え聞くに日本には萬の宝が多いとなん。携えたる宝物があるならば、見ま欲しくこそ候」と言うと浄蔵は頭を撫でて、「長き旅寝の事なれば、携えたるものは候わず」と言えば岩裂が進み出て、「我が師はなどて隠したまうぞ。旅包みに入れられたあの金襴の袈裟を取り出して見せたまえ」と言うのを浄蔵は押しとどめ、
「ことわざに言う事あり。得難き宝を欲深き人に示せば災いあり、人の心も知らずしてそぞろなること言うべからず」と忍びやかに戒めるとは知らずして、廣念上人は「袈裟衣はそれがしも年頃多く所持したり、取り出して見せ奉らん。まず見たまえ」と色々の錦の袈裟を四五十くだりを衣桁(いこう)に掛けて誇り顔に見せれば、岩裂はあざ笑い、「かばかりの袈裟は見るに足らず、我が師の袈裟を見たまえ」と浄蔵法師の止めるを聞かぬふりして取り出す袈裟は上無き▲宝にて、これなん如来の賜物なれば世にまた類あることなく、辺り輝くばかりで廣念上人、法師ばらは見とれてしばし呆然なり。その時廣念は涙を拭って浄蔵法師に言いけるは、
「それがしらは幸いにしてかかる尊き仏の袈裟を見る事を得たれども、早夕暮れに及びし故に老眼の悲しさは、これを定かに拝むに由なし。今宵一夜さ貸したまえ。明日の朝とくと見てそのまま返し奉らん」と言うと浄蔵は困り果て、黙然として答えをせず、岩裂はこれを聞いて、
「住持の懇望を黙(もだ)し難し。貸しても何ほどの事あらんや。明日の朝は相違なく返したまえ」と後(ご)を押して、その袈裟を貸しにければ、廣念は大きに喜んで、袈裟を戴いて急いで早方丈へ退きける。浄蔵法師は此の体たらくに岩裂をいたく恨んで、
「人の心も知らずして由なや袈裟を見せびらかし、例え一夜の約束なりとも彼返さずばいかにせん。うかうかと貸すことやあるか。誠に烏呼の痴れ者なり。もし間違いの事あらば後悔そこにたちがたし」と繰り返しつぶやくを岩裂は聞きあえず、
「さのみは思い過ごしたまうな。彼、何ほどの事をかすべき。只それがしに任せて明日まで待たせたまいね」と言い慰めて、なかなかに騒ぐ気色はなかりけり。
○さる程に住持廣念はその袈裟を借り受けて、見れば見るまま欲しければ、浄蔵法師が察せしごとく大悪心を起こしつつ腹心の法師ばらを方丈へ招き集めて、その袈裟を奪い取るべき謀り事を問えば、廣謀(こうぼう)と言う弟子坊主が進み出て言うは、
「もしこの袈裟を寺にとどめて彼に返さじと思いたまわば、得心ずくでは叶うべからず。今宵客殿に忍び寄り、あの旅僧を殺したまえ。これより他に手短なる了見なし」とすすめける。その時、また廣智という僧が進み出て、
「その謀り事は良しといえども、あの面赤く鼻の高き一人は手強かるべし。漏らせば毛を吹いて瑕(きず)を求める後悔なしと言うべからず、所詮客殿に火をかけて、両人ともに焼き殺せば後腹(あとばら)病めず祟りもあらじ。この義はいかが」とささやけば廣念しきりにうなずいて、「そは究竟(くっきょう)の計略なり。よく計らって仕損ずな」と言うと廣智は心得て、廣謀と諸共に寺男らを語らいつつ、その夜人静まってから幾輪(いくわ)ともなき柴焼き草を客殿の出口出口におびただしく積み重ね、火をかけんとぞしたりける。
○この時岩裂は未だ眠らずに、何とやらん外の方に人の足音が聞こえれば、こはただ事にあらじとて、身を小さき虫に変じて明かり窓の格子の隙より立ちいでて密かに見ると、果たして二人の悪僧らが焼き草を積み重ねて焼き殺さんと企るなり。岩裂はこれを見すまして
「・・・・・我が師が▲推量せられし如く、袈裟欲しさに彼奴らは我々師弟を焼き殺さんと巧む事の愚かさよ。詮術あり」と心にうなづき、例の法術で火を司る天津神(あまつかみ)の廣日天(こうじつてん)を招き寄せ、
「斯様斯様の事あれば、客殿と方丈とただ此の二カ所を残し置き、この寺を皆焼くべし。この義を心得候え」と言うと廣日は頭をかいて、
「それがしは火を司れども日の神の仰せなくては、私(わたくし)には焼き難し。かかる事はまず火の神が折々するものなれば、あの禍津日(まがつひ)と示し合わせてともかくも仕らん。風は神尊が起こさせたまえといそがわしく答えつつ、そのまま早く退いて事の用意をしたりける。
○さる程に岩裂は白雲に乗り客殿のほとりにあり。既に廣智、廣謀らは柴を積んで用意し急いで退く時に、岩裂がすかさず風尊の秘文を唱えれば、大風さっと吹き起こり、その柴を吹き飛ばせば、その火は本堂に燃え移り、炎四方に散乱すれば哀れむべし、経蔵、輪蔵(りんぞう)、庫裏(くり)、所化寮(しょけりょう)、甍(いらか)を並べし七堂伽藍にたちまち煙が立ち上り、わずかにつつがなき物は客殿と方丈のみ。此の二所は離れ家で、かつ岩裂が指図によって廣日天王が守れば、猛火(みょうか)を逃れて現前(げんぜん)たり。されば観音院の法師どもは毛を吹いて瑕を求めた火難に慌てふためき、水を汲み炎を防ぎ働く者も少なからねど、禍津火(まがつひ)の神がなす業なればいかでかは逃れるべき、煙にむせび身を焼かれ半死半生の者は十人にして五人に及べり。その中に悪僧廣智、廣謀は早くも煙に取り巻かれ燻(ふすぼ)り返って死んでけり。さればまたこの寺より二十里ばかりあなたなる黒風山(こくふうさん)という山に黒風大王という曲者あり。黒風洞に城を構えて数多の手下を集めつつ年頃観音院の住持廣念と交わって、ちとの仙術を伝えれば廣念は深く信用して二百三十の齢(よわい)を保ちぬ。しかるにその黒風はこの夜観音院の辺りに火が燃え上がるのを見て大きに驚き、自ら行って火を消さんと手下の妖族を従えつつ雲に乗って来てみれば、客殿の屋根のほとりにいと怪しき修験者あって、しきりに風を呼べども方丈はつつがもなければ、住持の安否を問わんと一人方丈に進み入ると、そこらに人はおらずして辺りも輝く金襴の袈裟一ト下りあれば、手に取り上げてつらつら見ると如来の御袈裟なれば、大方ならず喜んで火を消さんとする心もなく、その袈裟を奪い取り、更に手下を従えつつ再び雲にうち乗って黒風山に帰りしを知る者絶えてなかりけり。▲
かくてその明け方に火はようやく鎮まりしを浄蔵法師は知らずして起き出て、大きに驚き事の由を尋ねれば岩裂はありし趣(おもむき)は斯様斯様と告げ知らせると浄蔵は再び驚き、
「汝、またいかなれば風を起こし火を起こしてこの寺を焼きたるぞ。真に言語道断の悪行なり」と罵るを岩裂は騒がず微笑んで、
「それがしは此の寺を焼くべしと思わぬに、彼奴らかえって我々を焼き殺さんとしたるによって、たちまち寺を焼かれしなり。こはその悪の報いなれば、さのみは憤(むつか)りたまうべからず。いざ方丈へ赴いて貸した袈裟を取り返えさん」と言うと浄蔵はうなずいて、連れ立って行く時に、住持の廣念上人は廣智、廣謀らが仕損じて客殿を焼かず、かえって寺を焼き失って、その身も焼け死んだ由を伝え聞いて大きに驚き、またあの袈裟を尋ねると、早何者かが盗み取り行方も知らずなりにけるに浄蔵、岩裂らはつつがもなくて客殿を起き出て袈裟を求めて催促すと法師ばらが告げると、面目なくや思いけん、長押(なげし)に布を投げ掛けて、たちまちくびれて死んでけり。かかる所に岩裂は住持法師諸共に方丈に赴いて袈裟を返せとわめくと、法師ばらはおののき恐れて袈裟が紛失した事、またあの悪事を目論見た廣智、廣謀は焼け死んで住持はくびれ死したる由をあからさまに告げ知らせ、死骸を見せて詫びれども岩裂はなお疑って、一山の法師ばら、寺男まで呼び集め厳しく詮議したけれど、袈裟の行方が知れざれば浄蔵は恨み憤り、またあの秘文を唱えれば岩裂は七転八倒して、「あら苦しや頭が割れる。それがしが袈裟を取り戻すべし。行かせたまえ」と叫ぶと浄蔵は秘文の唱えをやめて、さぁ取り戻せと催促す。その時岩裂は身を起こして法師ばらに向かい、「いかにこの寺の近きほとりに怪しき者は住まざるや」と問えば皆々、
「さん候。これより二十里隔たって黒風山と言う山に黒風大王と言う者あり。よく仙術を得て、空を飛行し、数多の手下を従えたり。我が住持の廣念はその黒風と交わって行き通い候」と言うと岩裂はうなずいて、
「□は袈裟はその魔王めが盗み取りしに疑いなし。この廣念はさる妖怪と近頃深く交わりたるにて悪僧なりとは知られたり。我、今その山に赴いてその魔王をうち殺し、袈裟を取り返して来たらんに、汝らは我が師の坊をなおざりならず饗応し、我が返るを待ちていよ。もしその袈裟の行方が知れずば汝ら始め此の寺の人種を絶やすべし。心得たるか」と説き示せば、皆々一義に及ばずして浄蔵、岩裂に席をすすめ、また様々に機嫌を取って、厚くうやまいもてなしけり。▲
さる程に岩裂は早くも雲に乗り黒風山に赴いてその山中をうかがうと、岩を組んで台(うてな)としたその中央に魔王はいたり。その身の黒きこと漆(うるし)を塗るが如く、筋骨太く力士めいて、真に希有の曲者なり。かかる所に大禄仙人(たいろくせんにん)と名乗る者が白花仙女と言う者と連れ立って来れば、黒風はこれを出迎えて、
「只今これより遣いをもって申し入れんと思いしが揃っての来臨はいと喜ばしくこそ候へ。それがしは昨夜観音院に赴いて図らずも如来の袈裟を得たり。□明後日(あさて)は例の如くにそれがしの誕生日に候えば、寿のむしろを開き、続いてまたその次の日は此の袈裟を披露して仏衣会(ぶつえかい)を催すべし。両日共に来臨あれ。待ち奉る」と言えば、大禄、白花女は喜んで、「そはいと目出度き会合なり。必ず推参仕り、御席を汚すべき。あな目出度し」と寿いて歓談数刻に及びけり。岩裂はこれを聞きすまし、大盗人ども動くなと声をかけつつ金砕棒を引き伸ばし、振って既に打たんと進むになん、思い掛けなき事なればその妖怪らは驚き迷いて周章(しゅうしょう)大方ならざりけり。その時黒風は身構えて、何者なれば理不尽に無礼をなすぞと罵れば、岩裂は眼を怒らし、「汝は知らずや。我が師の坊は日本国の大名僧。勅命を受けての渡天の道中。我はその弟子にして天上天下に隠れ無き威如神尊岩裂の迦毘羅坊なるを知らざるや。汝は我が師の袈裟を盗んで仏衣会を催す事まで今つまびらかに聞き知ったり。覚悟をせよ」と息巻き猛く打つを早くも引き外す、黒風と大禄は煙の如く消え失せたり。続いて逃げんとするあの白花女を岩裂が躍りかかって丁と打つ、拳の冴えにしばしもたまらずあっと叫んだ声ともに頭を二つにうち割られ仰け反り倒れて死したるを岩裂が再びよく見れば、白き蟒蛇(うわばみ)の化けたるにて、その本体を現しけり。岩裂はこの体たらくにからからと笑い、
「この者がかくの如くなれば、残る二人の曲者らも幾年(いくとせ)か経る獣の化けたるにあらんずらん。行方は既に見とめたり。イデ追っかけて我が師の袈裟を取り戻さん」と一足出して後を慕うて追うて行く。▲岩裂がまたたく間になお山深く分け入ると大きな石門あって、緑林黒風洞という大字の額を掛けてあり、ここなりけりとうなずいて割れるばかりにうち叩き、「似非(えせ)魔王め、袈裟を返せ返せ」と呼び張れば、黒風の手下の妖怪が狭間の陰より覗き見て驚き騒いで奥へ赴き、事しかじかと告げれば黒風は聞いてあざ笑い、「しやつ何ほどの事かあらん。いでうち殺してくれんず」といそがわしく身を固め、長き鉾を引き下げて手の者引き連れ石門を押し開かせて現れ出て、
「あな鼻高の蟹守めが。我が昨夜観音院にて火を救わんとしつる時、拾い得たあの袈裟を汝に返すことやせん。これでもくらえ」と罵って鉾取り直して突かんとすれば、岩裂は怒ってちっとも疑義せず、金砕棒をうち振って踏み込んで戦うこと半時余りに及べば、黒風は力衰えて叶わじと思いけん、黒風洞に逃げ籠もり門を閉ざしていで合わず、岩裂は押し続いて攻め討たんと思えども日は早西に傾いて、師の坊の事が心許なければ再び雲にうち乗って観音院に立ち帰り袈裟の行方が知れた事、かつ黒風らの事の由を浄蔵法師に告げれば、観音院の法師ばらもこれを聞いて大きに喜び、「袈裟の在処(ありか)が知れたれば疑い解けて明かりは立ちぬ。我々の露の命につつがはあらじ」と喜ぶと岩裂はきっとにらみつけ、「袈裟の在処が知れたとて未だ我が手に入らざれば、汝らがいかで安穏なるべき。戯言(たわごと)を言わずとよくよく我が師をもてなさずや」と噛みつく如くに叱られて皆々慌てふためいて、早夕膳の用意をしつつ浄蔵法師と岩裂に進めて厚くもてなしけり。
かくてその明けの朝、岩裂は観音院の法師ばらに我が師の坊をもてなせと早朝飯も果てれば、今日は必ずあの袈裟を取り返さんと寺を発ち出て黒風山を指して行く時に、あの山の麓にて黒風の手下の妖怪が状箱を携えて使いに行くとおぼしきがこなたを指して来にければ、岩裂は早くも耳に挟みし金砕棒を引き伸ばし、ただ一ト打ちに打ち殺し、その状を開いて見るに、是黒風が観音院の住持廣念に送る一通で、それがし先に釈尊の袈裟を得たれば明後日に仏衣会(ぶつえかい)を催し候。当日ひとえに来臨あれ。待ちまち奉ると書き記して子路再拝(しろさいはい)廣念上人と名宛あり。岩裂はとくとこれを見て、
「あの黒風めは何者が化けたるにやと思いしが自ら子路と称すれば年ふる熊の化けたるなり。我、今廣念となって彼処に赴き、黒風めをたばかって術良く袈裟を取り返さん。さは」とてやがて身を変じ、あの老僧となりすまし黒風洞に赴いて石門をうち叩き「観音院の廣念来たれり。ここ開けたまえ」と音なえば門番の妖怪は奥に至ってしかじかと言い継ぐに、黒風は聞いて眉をひそめ、
「・・・・・そはいぶかしき事ぞかし、彼処へ使わせし我が使いが未だ行き着く頃にはあらず。かつ仏衣会は明後日なるに、如何にして廣念が思い違えて只今来べき。これには様子のある事ならんにあの袈裟は秘め置いて今日は見せぬにますことあらじ」と思案をしつつ出迎えて、
「上人、先に使わした使いには会いたまわずや。招き申しは明後日なるに、只今の来臨は心得難し」となじり問えば岩裂は答えて、
「さればとよ、使わされた使いには折良く道で行き会うたり。久々疎遠に過ぎたれば安否を問わんと思いつつそれとは知らず来つる折に▲たまわりし書状より、早くその袈裟を見たく欲しさに道を急いで参りしなり」と言うと黒風はあざ笑い、「その袈裟はそこの寺にて拾い得たる物なれば、上人もよく見られしならん」となじれば岩裂は微笑んで、
「見る事は見たれども、黄昏時のことなれば未だしかとは見ざりしなり。さぁ取り出して見せたまえ」とまことしやかに欺(あざむ)く折から手下の妖怪が走り来て、
「大王、大変いできたり。先に観音院へ使わされた使いの者はこの山の麓であの岩裂にうち殺されて御状を奪い取られたり。必ず御油断なされるな」と告げるに驚く黒風はいそがわしく立ち上がり、長押にかけた鉾取り早く小脇に脇挟めば、岩裂は謀り事が現れしを見てちっとも騒がず元の形を現して金砕棒を引き伸ばし、打つを支える黒風は黒雲に乗って表の方へ立ち出ると岩裂はすかさず追っかけて石門のあなたにて丁々発止と戦うたり。
既に黒風は次第に拳も衰えて、敵し難く思いしかば、洞(ほら)の内に逃げ籠もり門戸を閉じて出て合わず、岩裂は詮方なきに無念ながらもそのままに観音院へ立ち帰り、事の赴きを告げれば、浄蔵はいよいよ憂いもだえて、
「これ皆、汝の過ちで始め漫(そぞろ)ろにあの袈裟を見せびらかせしに事起これり。速やかに取り返さずば、またあの秘文を唱えんず」と言うと岩裂は驚き慌てて
「秘文はしばらく許したまえ。つらつら物を案ずるに、この寺は観世音の憩い所の別院なるに、妖怪変化と交わる悪僧を住持せしめ、この災いに及ぶ事、あの菩薩もまた手抜かりあり。それがしは南海へ走り行き、観世音に由を告げ、あの黒風を滅ぼして袈裟を必ず持ち来るべし。南海は遙かなれども神通で往来すれば明日は吉相あるべきなり。しばらく待たせたまえ」とたちまち雲にうち乗って南を指して飛び行きけり。
○さればまた岩裂は南海で観世音に見参し、廣念ならびに黒風の事の趣を斯様斯様と告げ奉り、
「菩薩、いかなれば休息所のあの寺にあの悪僧を住持として袈裟を盗ませたまいたる。かくても仏と言われるや」と言えば観音は笑わせたまいて、
「この痴れ者の舌の長さよ。人の心も知らずしてあの袈裟を見せびらかし、あまつさえ我が別院のあの寺を焼き失いしは此の上もなき汝の罪なり。しかるに我を咎めるはこれいかなる道理ぞや」と苦々し気に宣うと、岩裂は観世音の過去未来をよく知りたまう妙智力に舌を巻いて、
「それがし実に誤ったり。あの袈裟を取り返すために日を過ごす時は▲師の坊が怒って菩薩が教えた秘文を唱えられるなり。願わくばそれがしを助けて黒風を退治せしめたまえかし」と乞い願えば、観世音は受けひきたまいて、その夜は岩裂を竹林の元にとどめ、明けの朝未だきより岩裂諸共に雲に乗りまたたく間に黒風山に近づきたまう。かかる所に一人の仙人が水晶の台に乗せた薬籠(やくろう)を捧げ持って黒風山の方へ行く姿あり。岩裂はこれを見て、雲の上より飛び降りて金砕棒を引き伸ばし、や声をかけてその仙人を只一トうちに打ち殺す。観音はこれを御覧じて、「こは岩裂、何事ぞ。さしたる咎もなき者を打ち殺すことやはある。まだ悪行を止めずや」と叱りたまえば、岩裂はからからと笑って、
「菩薩は知ろしめされぬならん。こやつは黒風の友達で大禄と名乗れる者なり。この仙丹(せんたん)を携えて黒風山へ赴くは今日黒風の誕生日に招かれし故なるべし。よく見たまえ」と言うと、うち倒された大禄は元の姿を現して馬よりもなお大きな鹿となって死んでける。その時岩裂は小首を傾け、「それがしに今謀り事あり。力を費やす事なくて黒風を退治すべし。菩薩、従いたまわんや」と言うと観音はうなずいて、その謀り事を問えば岩裂は答えて、
「これ見たまえ。大禄めがもたらしたる丸薬は二粒(にりゅう)あり。それがしがこのうちの一つの丸薬に身を変じて薬籠の内にあるべし。菩薩はまた大禄に身を変じて元の如くに薬を携え黒風洞に赴いて斯様斯様に謀りたまえ。その丸薬には大小あり、大きなるはそれがしが変じたる物なれば是をもて目印とすべし。この義はいかが」と囁けば観音は微笑えんで、「岩裂、いみじく謀りにけり。さは」とてやがて身をひるがえし、その大禄に変じたまえば、岩裂は一粒の丸薬を摘み捨てて、その身を丸薬に変じつつ早くも薬籠の内にあり。
かくて観世音はその薬籠を捧げ持ち、黒風洞に赴いて、友人大禄に不老の仙丹を呈上(ていじょう)して黒風大王の誕しんを寿き奉ると言えば、黒風はやがて出迎えて、設けの席にいざなうと観世音はうやうやしくその丸薬をおしすすめ、「これはそれがしが此の月頃に製法した薬なり。大王、一粒きこしめし齢を延ばしたまえかし」と言うと黒風は受けいただいて、「かく有り難き仙薬をそれがし一人が飲むべからず。貴老も共に用いたまえ」と譲れば観音は心を得て、小さき方の丸薬を摘み取り飲めば、黒風も残る一つを摘み取って飲む時に、岩裂は黒風の腹の内にて姿を現し、
「大盗人(おおぬすびと)め、思い知れ。只今袈裟を返さねば五臓をつかみ破るべし。如何に如何に」と呼ぶと黒風は七転八倒して、「あら苦しや耐え難や。只今袈裟を返すべし。許せ、許せ」と叫ぶと岩裂は黒風の鼻の穴より飛び出けり。その時に観世音も真の姿を現して、
「如何に黒風。仏法▲微妙(みみょう)の尊き事をただ今思い知ったるや。志を改めて真の道へ入らんとならば汝の命を助くべし。如何にぞや」と責めれば黒風は我慢の角折れて血の涙を流しつつ観世音を伏し拝み、「南無大慈大悲の観音薩た、速やかに魔法を去って正法に帰依いたしたり。助けたまえ」と念じつつ奥の間へ走り行き、金襴の袈裟を取り出して岩裂に返せども岩裂はこれを受け取って金砕棒をひらめかし怒りに任せて黒風をうち殺さんとするを観音は急にとめて、
「ヤレ待て、岩裂。此の畜生は今や真実に悪心をひるがえし、早仏法に帰依すれば命を助け得させよ」と仰すと岩裂は棒取り直し、
「しかりとも、なお此の所に置きたまえば、焼け木杭(ぼっくい)に火が付き易き例えにも似て、遂にまた世の人に害をなさん」と言うと観音は押し返し、
「いやとよ。我が住む補陀落山には未だ山の守護神なし。我はこの者を召し連れ帰り山を守らせんと思うなり。黒風もしかと心得よ」とこれかれに示したまいて、緊□咒(きんそうじゅ)と名付けた秘文を唱えて黒風の身をわがままになさざるように向後を厳しく戒めて、頭を撫でて五戒を授け、また岩裂を見返って、「汝は観音院へ立ち返り、事の由を師の坊に告げ知らせて安心させよ。我は南へ帰るぞ」と御手の糸を投げ掛けて黒風の大熊を繋ぎ留めつつ引き立てて、補陀落山へ飛び去りたまえば岩裂は是を見送って、大慈大悲の方便は物一つだも損なわず真の道へ伴いたまう、実に有り難き御得やと喜びを述べ恩を感じてしばらく残りとどまりつつ、黒風の手下の化け物どもをうち殺し、祠(ほこら)に火をかけことごとく城郭を焼き崩し、観音院へ立ち帰り、観世音の助けによってあの黒風の大熊を退治した一部始終を浄蔵法師に告げ知らせ、あの袈裟を渡しにければ浄蔵は深く喜んで感涙を流しつつ遙かに南の方に向かって観世音を拝み奉れば、この寺の法師ばらも事の由を伝え聞いて、我々ようやく生きたりと喜ぶこと大方ならず更にまた斎を勧めて浄蔵、岩裂をもてなしけり。さればまた浄蔵法師はあの黒風が熊なりと聞きしより心に深くいぶかって
「よしや数多の年をふるともさる畜生が如何にして仙術を得たりけん。まいて仏の道に帰依して観世音の御手に従い、五戒を受けしと言う事は心得難し」と言うを岩裂は聞いて、
「さればとよ、身に九つの穴ある者は熊にあれ鹿にあれ仙術を皆得つべく、また仏法に帰依すれば成仏せずと言うことなし。それがしなども人にはあらねど修行したれば人にも勝れり。これにて思い合わせたまえ」と言うと浄蔵はたちまち悟って、仏なるも悪魔となるも心一つによるという教えをいよいよ尊みける。
○かくて浄蔵法師は観世音の利益によって金襴の袈裟が再び手に入れば、岩裂は諸共に観音院を発ちいでて、またあの馬にうち乗りつつ西を指して赴けば、浄蔵法師の道徳を尊み、岩裂の神通に感服した一山の道俗二三百人が▲山門までぞ送りける。さる程に浄蔵法師はまた六七日行く時に、高老(たかおい)荘(わら)と聞こえた富める百姓の家に宿取りし、その夜、ゆくり(思いがけ)なくまた妖怪に出会いしを岩裂の通力でうち従えたる物語は第五編に著すべし。そもそも当時の唐土の都より唐と韃靼の国境の両界山まで五千余里、両界山より観音院まで五千余里、合わせて一万余里を経たり。されば十万八千里の長旅をわずかに三十丁づつの草紙に年々綴れば、年折り重ねて数十編の編を継ぐに至らねば真の金毘羅大王を迎え奉る段に編み着け難し。されども一編一編が分からずと言う事なければ末の長いに退屈なく、なお年々にいやましの評判を願うのみ目出度し目出度し■
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第五編上

2017-02-21 04:07:22 | 金毘羅舩利生纜
野干玉(ぬばたま)のよめにしあれば化けの皮むこともいなじねやの物の怪
羽悟了(うごりょう)八戒(はっかい)  芙蓉(ふよう)

土師太郎官(はじのたろうかん)
土師が妻 華蔓(けまん)

石を飛ばし樹を抜く風の力には敵する神もあらしというらん
黄風山の黄風魔王
北方水徳大黒天

九つの髑髏(どくろ)を腰に繋ぎかけて浮かむ龍沙の鬼は鵜悟定沙和尚(うごじょうしゃおしょう)

言(こと)さえぐえびすの国も姫小松誰に引かれてねの日するらむ
無量 智慧 方便 金蓮

===============================

さてもその後、浄蔵法師は観音菩薩の妙智力と岩裂の迦毘羅坊の神力の助けによって黒風山の黒風魔王を降伏して、釈尊より賜った金襴の御袈裟をつつがなく返せば、観音院の法師どもに別れを告げ、寺を出て、またあの龍馬に跨がって、岩裂を先に立たせて西を指して遙かなる旅に出れば、幾ばくの月日を重ね行き行きて、ある日とある村里近き波松原を過ぎる時に日影は既に傾いたり。浄蔵は遙かに指さして、
「いかに岩裂、彼処を見よ。あの家の屋根の日本風に似たるならずや。さぁあの里へたどり着いて今宵の宿りを求めんず」と行く手を急ぐ師の坊の言葉に岩裂うなずいて、馬のあがきを早める折から向こうより来る一人の下部の頭は半頭(はんこう)剃り下げ、その着る物さえ、何となく日本風によく似たるのが風呂敷包みを背負いつつ余所目(よそめ)も振らず来にければ岩裂はやがて押し止めて
「しばし待たれよ。物問わん。この地は何という国なるか。向かいに見える人里は何と呼ばれる村なるぞ」と問わせも果てず眼を見張り、
「此は心なき山伏かな。我らは旦那の急用で道を急ぐに長々とそれを教える暇はなし。そこ退きたまえ」と押し退けて行かんとするを岩裂は小かいな取ってちっとも離さず、
「ハテ、暇のいる事ではなし、言わずば痛い目しようがの」とぐっとつかめばアイタ痛い痛いと身をもがく。浄蔵は馬上でこれを見て、
「迦毘羅よ。咎なき人をな痛めそ。急ぐとならばさぁやらずや」と言われて岩裂は後辺を見返り、
「否、痛めはいたさねど、今この人に尋ねずば彼処に宿を求めんにも案内知らで不便宜なり。さぁさぁどうじゃ、言わずや」と問いつつ小突き回されて、下部はたちまちよれるがごとく弱り果て舌打ち鳴らし、
「ひょんな手合いに出くわして、遅く帰れば旦那の目玉をいただくは知れてあれども時の災難しょう事がない。さらば語って聞かすべい。そもそもここより西の方の五六千里のその間をヤアハン州と名付けたり。さてまた彼処(あそこ)の人里は我らが旦那の在所で土師村(はじそん)という一ト村なり。ずっと昔はここより西に人里はなかりしがそのかみ土師の連(むらじ)と言いし日本人が遣唐使にたてられて唐土へ赴く折、難舩によりこの国へ流れ着いたが帰朝(きちょう)の望みが叶わねば、その輩(ともがら)と諸共に遂にこの地にとどまって一国を開きしよりヤアハン州ととなえたり。ヤアハンは是日本に同じ。なかんずく我が一ト村は土師の連の子孫なれば、皆、土師を氏とせり。さるにより人の風俗も日本風に相似たり。衣類調度に至るまで唐天竺と同じからず、但し男は総髪(そうはつ)で女の髪は鬢(びん)をいださず。また袴を穿かず両刀(ふたこし)を帯びず、女の帯もその幅狭し。我らが如き卑しき者は月代(さかやき)を半ば剃り、半頭(はんこう)を残すのみ。是いささか日本と異なる所といえり。かくまでつぶさに教えたに、さぁさぁ放してやりたまえ」と言うも岩裂はなお放さずに
「とてものことに我郎(わろう)の主人の名名字(なみょうじ)も名乗り聞かせ、また何処へ使いに行くかその訳も皆言うべし。どうじゃどうじゃ」と圧状(おうじょう)竦(すく)めに下部はほとんど持て余し、腹は立てども力に恐れて争い難く思えば、更にまた示す様
「我らの旦那は近頃のにわか分限(ぶげん)の大百姓で、土師の太郎官(はじのたろうかん)と▲呼ばれたまう。内方の名は華蔓(けまん)の刀自、一人娘は今年齢十九にしてその名を芙蓉と申すなり。しかるに先年あやまって(間違って)怪しき者を婿にせられて今更後悔その詮(せん)なし。これによりあちこちの名僧修験者を招いて、幾度となく祓わせたまえどその妖怪はちっとも恐れず、かえって祈る法師たちを罵り懲らすと数珠をきり壇を収めて皆こそこそと逃げ去りにき。ここをもて二親の御嘆きは大方ならず、なお懲りずまに道徳の験者を求めたまうによりやつがれがその使いを承り、さる方へ赴くなり。我らは庭子の従僕ではじ六と呼ばれたり。事の因縁くだんの如し。離していなしたまえかし」と言うと岩裂は微笑んで、
「さる筋ならば今更に遠く修験者を求めるに及ばず。知らずや我が師の坊は日本国の生き菩薩浄蔵聖と申すなり。先に勅(みことのり)を受けたまい天竺の象頭山に赴いて金毘羅神王を迎えたまうなり。我は聖の御弟子で岩裂の迦毘羅と呼ばれ元より不思議の法力あって、物の怪を追い払い妖怪変化を退治する事はことさら我が得物なり。さぁさぁ宿所へ導(しるべ)して主人にかくと告げよかし」と言われてはじ六は心許なく思えども「・・・・・・実にあの聖は尊げなる。またこの山伏の面魂はさる奇特がある事もや」と思い返してうなずいて、「さらば導を仕らん。此方へ来ませ」と先に立ち、元来し道へ伴いけり。
かくて土師の太郎官の下部はじ六は浄蔵師弟を伴いつつやがて宿所に立ち帰り、浄蔵と岩裂をしばらく門前に立たせ置き、いそがわしく内に入って主人にかくと告げたれば、太郎官は由を聞いて喜ぶこと大方ならず。やがて衣服を改めて、その妻華蔓と諸共に門辺まで出迎えて浄蔵師弟に対面し、互いの口誼(こうぎ)こと終わり、客座敷に招待して茶をすすめ、斎をすすめ、ねんごろにもてなしてさて言う様、
「聞くに聖は日本国より天竺象頭山に赴きたまうか。そもそもこの所は昔日本の遣唐使の土師が昔、難船で漂着し、帰朝のたつき無きにより、この所を開発して子孫繁盛したによりサイヤアハンと名付けられたり。サイはまがいという事で、ヤアハンは日本と言うに同じ。それがしらも皆、その後裔(こうえい)で一ト村の氏は皆土師を▲もて氏とせり。しかるに今日は図らずも日本国の名僧にちぐし奉る事の不思議さよ」と言うと浄蔵はうやうやしく
「愚僧、この身の薄徳(はくとく)を図らず帝の勅命をかたじけのうして十万八千里の旅寝をす。なれば貴地を過ぎって大施主のもてなしにあずかる事は広大無量の幸いなり。今宵の宿を貸したまわれば事足りて候に」と言われて太郎官は望みを失い、「しからば聖は今宵の宿を求めたまわん為のみに立ち寄らせたまいしか」となじれば岩裂が進み出て、
「否、それのみににも候わず。主の家に妖怪ありと聞いたる事も候に、ご所望ならばその変化を退治して参らせん。つぶさに示したまえかし」と言うと太郎官は喜んで、
「そはもとよりの願いなり。それがしは男子なく娘をのみを三人もてり。長女もまたその次も隣村へ嫁がして末の娘が一人おり。これを芙蓉(ふよう)と名付けたり。良き婿をと思う程に先に今参りの農男(のうおとこ)に羽五郎(うごろう)と言いし者、よく耕しの事を務めて、その身一つで十人にも二十人にもなお成し難き働きをするにより、その利得も少なからず。これによりその羽五郎をとりあげて芙蓉に娶(めあわ)せ候しが誰か知るべき羽五郎はいと恐ろしき変化にて、ようやくその本体を現しつ。その面は薄黒青く眼つぶらに瞳光って鼻はさながら熊鷹のくちばしに似たり。娘は更なり、それがしらは恐ろしく疎ましさに追い出さんとすれどもその変化がいたく怒って娘の芙蓉を裏庭の塗り込めの内に取り込め置いて、錠さし固めて親にも会わせず、その身は何地か立ち去って、夜な夜な通って理(わり)なくも夫婦の語らいをするなるべし。この事は世上に風聞せられて面目を失う事いと口惜しき限りなれども名僧験者の法力をも物の数とせぬ妖怪なれば、また更に詮方も無きものからなお祈りの師を求める折から聖たちは魔を下す奇特の法現が増しますとか。これ我が一家の幸いなり。願うは変化を降伏し娘を救わせたまえかし」と夫婦ひとしくかき口説けば、岩裂はしばしばうなずき、
「そはいと易き事なり。まず塗り込めへ案内したまえ。さぁさぁ」と急がしたててその所へ至って見ると、蔵は五間に三間もあるべし。いと大きな錠をさし固め、真鍮を溶かし流し掛けてあれば得開かざるも理なり。内暗ければ見る由もなし。岩裂は太郎官にしかじかと囁けば心得て戸口に立ち寄り、芙蓉、芙蓉と呼ぶ声を内で聞きつけ、「父様(ととさま)わらわはここにはべり。救い出してたまわらずや」と言いつつよよと泣き沈む。岩裂これを漏れ聞いて
「□は息女はつつがなし。▲いでいで対面させんず」と握り拳を振り上げて、差した錠をはたと打てばたちまち微塵に砕けたり。やがて娘を助け出すを疾(と)しや遅しと二親は右と左にすがりつつ親子三人(みたり)の喜び涙そこに流れる三つ瀬川(三途の川)、心くみ見る奴婢らまでひとしく袂(たもと)を濡らしけり。しばらくして太郎官は岩裂に向かい、
「図らず聖の助けによって娘に対面したれども、今宵またあの変化が来れば怒っていよいよ祟りをなさん。この義はいかに」と危ぶめば、岩裂は騒ぐ気色なく
「そこらは気遣いしたまうな。我が娘御になり変わり、この蔵に閉じ籠もり、今宵変化を滅ぼすべし」と言うと喜ぶ太郎官、「しからば加勢は幾人ばかり、また打ち物は弓矢か鉾か何を用いたまうぞ」と問わせも果てず笑い出し、「我は一人も加勢を頼まず、また打ち物はここにあり」と言いつつ耳の間より金箍棒(きんこのぼう)を取り出し伸ばし隆々と振って見せると太郎官夫婦は更なり、その座の者は驚き感じて、皆頼もしくぞ思いける。
○既にその日も暮れ、岩裂は太郎官に我が師の坊をよく守りたまえとねんごろにゆだね、一人でその塗り込めへ閉じ籠もって戸をたてさせて錠をささせてその妖怪が通い来るのを待ちたりける。さる程に岩裂の迦毘羅坊は神変不思議の術で早くも芙蓉の姿に変じて臥所に入りて臥しており。既にその夜も更け染めて母屋もひっそりとなるままに、戸の方にわかに風さわぎ、いと愁然(しゅうぜん)となる時、怪しむべしその妖怪は一朶(いちだ)の雲に乗って来て、蔵の窓より進み入り、芙蓉は寝たるか覚めたるか、こや、もしもしと呼びかけて、かかぐりながら近づいたり。
その時、岩裂は作り声して「我君などて遅かりし。今宵わらわはつかえ起こりて、宵より臥してはべるかし。御身も帯と心をうち解いて、さぁ寝まりたまえかし」と言うと妖怪はうなずいて、「さらば我も共に寝て、温めて参らせん。さは」とてやがて帯解き捨てて這い寄る時に岩裂は早く臥所を抜け出るを妖怪はなお知らずしてそこら一辺撫で回し、
「我妻、何処へ行きたるぞ。常にはあらぬ今宵の振る舞い、身に覚えはなけれども御身は我に飽きたるか。ただし恨みのある故か」と問えば岩裂は笑い可笑しくて
「飽きも恨みもせぬけれど、知られし如く二親が御身をいぶせく思いたまえば、また修験者を招き寄せ加持して祓い除かんと用意とりどりなりと聞きぬ。それ故にこそ此のつかえを少しは察したまえかし」と言うと妖怪は聞きながら
「いかなる験者も祈らば祈れ。我は日の本の国津神わかとびの命と呼ばれて、勲(いさほ)し高き神なれど犯せる咎があるにより日の神が逆鱗ましまして遠くここらへ流したまいき。さるにより此の所より五百里ばかり東の戻天山(れいてんさん)を住処として数多の年を経たりしが思わず御身の色に愛で此の家の婿になりしより我一人の働きで三十石の▲百姓よりたちまちに成り出て今では村で二三と下がらぬ大百姓になりにたる。御身の親が豊かなるは皆これ我の賜物なるに、執念(しうね)くも忌み嫌うて追いやらんと図る事、恩を忘れし者に似たり。かかればいかばかりに物するとも我は何とも思わぬなり。只うち捨てて置きたまえ」と事も無げにぞ諭しける。
岩裂はこれを聞きながら腹の内に思う様
「・・・・・問わずに落ちたるこ奴の愚かさ。今その住処を明かせば討ち漏らすとも追い詰めて滅ぼさんこと手間暇入らず。うましうまし」と微笑みながらなおもさあらぬ面持ちして、
「しか宣うが真ならば、いと頼もしくはべれば此度の験者はこれまでの法師たちとは同じからず、古(いにしえ)日の若宮で威如神尊という冠(かむり)位(くらい)をたまわりしと世に伝う岩裂の神迦毘羅とやらを頼んで退治すべしと用意とりとりなりと聞けば心許なくはべるかし」と言われて妖怪は驚いて、
「その岩裂めが出て来れば我らは勝ちを取り難し。しからば今宵は此のままに古巣へ帰ってまたこそ来め。あな、転(うたて)や」とつぶやきながら忙わしく身を起こすを岩裂は引留めて
「愚かやな、昼鳶(ひるとんび)。太郎官に頼まれてここに汝を退治する威如神尊岩裂の迦毘羅なるを知らずや」と言うより早く我と我が元の姿を現して、耳の間に隠した金箍の棒を取り出して打ちひしがんとおめいてかかれば、わかとびの神もいよいよ騒いで防ぎ戦わんと欲すれども帯さえ解きし事なれば剣だも手持たず、叶うべくもあらざれば、蔵の窓より躍り出て、雲にうち乗りまたたく間に戻天山へと逃げて行くを岩裂はなお逃がさじとすかさず雲にうち乗って後をしたうて追っかけたり。
○さる程にわかとびの妖怪は、此の年頃におのが住む戻天山の洞(ほら)の内へ逃げ帰り、門戸を固く差し固め、大息ついでいたりけるに、岩裂は程なく追っ掛け来て罵る事はなはだしく辱めれば妖怪は怒りにたえずして物の具投げ掛け身を固め、重さ百斤に余る熊手を右手(めて)に脇挟んで門押し開き現れ出て▲
「此の蟹守めが。執念(しうね)くも我が住処までしたい来て、我を罵る舌の長さよ。そこな退(の)きそ」と息巻いて熊手を上げて打ってかかれば、岩裂は得たりと受け流し丁々発止と戦うたり。既にして妖怪はようやく拳も衰えて叶うべくもあらざれば、再び洞に逃げ籠もり門戸を固めて出てあわず、岩裂はなおも進んで勝負を決せんと思いしが師の坊の事が心にかかれば再び雲にうち乗って、土師村に立ち帰り、浄蔵ならびに太郎官らにありし事を説き示せば、太郎官らは聞いて眉をひそめ、
「聖の法力威徳によって一旦あの妖怪を追い払いし事は、いと喜ばしく候えども聖たちは道を急いでここを発足したまえば、あの妖怪がまた出て来て家内の者を皆殺さんか。これもまた図り難し。そをいかにしてよからん」と言うのを岩裂は聞きながら
「毒を食らわば皿まで舐むべし。人を殺さば血を見るべし。いかであのまま捨て置かんや。我は師の坊が待ちわびたまう事もやと思えば由を告げるのみで再び行って根を絶つべし」と言うと太郎官は喜んで、まず岩裂をもてなすとあくまで飲み食いして、またまた雲にうち乗りつつ戻天山へ赴いて罵ること始めの如く、如意金箍の棒で早洞門を打ち砕けば、妖怪さらに怒りに得たえず例の熊手を引き下げてまっしぐらに走り出てしばらく挑み戦いしが叶い難くや思いけん。たちまち少し退いて、
「やよ待て、岩裂。問う事あり。我と汝は恨みも無きに人に頼まれたとて幾たび我らを攻め討つぞや」と言わせもあえず岩裂はからからとあざ笑い、
「愚かなりける問い事かな。我は昔の岩裂ならず、先に観世音の教えによって日本国の生き菩薩浄蔵法師の弟子となり天竺象頭山へ相伴う道の守りの我なれば、汝が如き悪魔外道は討ち滅ぼして□□を清める。これすなわち我が本願なり。覚悟をせよ」と罵れば、妖怪はいたく驚き熊手を投げ捨てひざまずき、
「さる事のあるならば、などて早く告げたまわざる。我もまた先つ頃、観世音の教化によって浄蔵聖の御弟子となって、渡天の供を仕り、その功徳で犯せし罪を贖(あがな)わんととて待ちたるなり。今は決して手向かいせず、ともかくも計らって、この由を披露したまわれ」と言うと岩裂はうなずいて、
「その言う所が空言ならずば、さぁ甲冑を脱ぎ捨てて、汝が住む洞を焼き、我が戒めを受けよかし」と言われてわかとびは一義に及ばず、まず大刀熊手を差し出して岩裂にこれを渡し、鎧を脱いで洞と共に火をかけて焼き失い、「さぁ戒めて□てもゆきたまえ」と腕を回せば岩裂は我が髪の毛を抜き取って大きな縄とし、わかとびを戒めて熊手と▲大刀を肩にうち掛け、そのまま雲にうち乗って土師の里に立ち帰り、浄蔵法師、太郎官らに事しかじかと告げれば、皆々再び驚いて、かつ喜ぶこと大方ならず。
その中に浄蔵は観世音の方便を恐れ尊み、うやうやしく南に向かって念じつつ遙かに拝み奉り、さてわかとびにうち向かい、
「御事は菩薩の教化によって仏法に帰依する事はもっとも殊勝(しゅしょう)と言いつべし。渡天の供にたつべきや」と問われてわかとびは一義に及ばず「御弟子にだに成し下さらばいかなる難儀にあうとてもいかでか御供せざらんや」と誓いを成して願うと浄蔵はこれを哀れんで「岩裂、早く戒めを解き許さずや」と急がせば、岩裂が秘文を唱えるとその戒めは自ずから千切れて地上に落ちてけり。浄蔵は重ねてわかとびに向かい「御事も出家せんとならば、まず法名を授くべし」と言われてわかとびは小膝を進め、
「それがしは先つ頃に、悟了(ごりょう)という法名を観世音よりたまわりぬ。これよりして肉を食らわず五辛(ごしん)も食べ候わず」と言うと浄蔵は喜んで、
「菩薩が授けたまわりし法名はいよいよ目出度し。但し、肉と五辛を断つならば、我がまた御事の別名を八戒(はっかい)と呼ぶべけれ」と師弟の約を成したまう。
是よりしてわかとびを羽悟了(うごりょう)と呼び、また八戒とも称(とな)えけり。■

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第五編中

2017-02-21 03:09:31 | 金毘羅舩利生纜
わかとびの八戒(はっかい)羽悟了(うごりょう)は既に浄蔵を師と仰ぎ、渡天の供を願えば、されば剃髪すべしと浄蔵は迦毘羅坊に言いつけて、その頭髪を剃り落とさせ、岩裂を兄弟子として羽八戒を弟弟子とす。その時、岩裂は□□太郎官に向かって、
「それがしが伝え聞くに、和殿がこの八戒を婿にせしより彼の働きによってかくまで豊かになりたるにあらずや。しからば忌み嫌うことなく、この家を継がせるとも怪しむべき事にはあらず。されども彼が異類の故をもて親子が等しく忌み嫌う八戒は既に出家して我が師の旅路に従えば再会は図り難し。かかれば夫婦の重縁もここに断絶するものなり。せめてもの報いには袈裟衣、頭巾(ときん)、懐刀、頭陀袋、衣服、足袋、ごりの類まで彼の為に整えて餞(はなむけ)にしたまえかし」と言うと太郎官は一義に及ばず、にわかに羽悟了の旅装束を整えつつ、皆具(かいぐ)揃えて送りけり。その時、岩裂は羽八戒に向かって
「賢弟(けんてい)、法師になれば妻子に絆(ほだ)さるべきにあらねど、人の心を休むる為なり。暇の状を書きしたためて芙蓉に取らせたまえかし」と言うと八戒は否むに由なく三下り半は定まりの文句の文言、名印を据えた去り状書いて渡せば、太郎官夫婦は更なり芙蓉も深く岩裂の恩を感じて喜びの気色は表に表れけり。
かくて主の太郎官は浄蔵師弟三人を様々にもてなして、沙金をおのおの二百両、金襴おのおの五巻を布施として浄蔵、岩裂に贈りしが岩裂はあざ笑い、その布施をよくも見ずに浄蔵はこれを押し返し
「我々は是▲出家の事なり。金銀美服も何にせん。いわんや遙けき旅の空に何物を携うべき。志はさる事ながら、いささかたりとも受け難し」と固くいろひて取らざりしを太郎官は言葉を尽くしてしばしば進めて止まぬので、浄蔵法師はこうじ果てて岩裂と談合し、太郎官の下部はじ六を招き寄せ、その沙金と巻絹を指し示して、さて言う様
「我らは思いがけなく八戒という徒弟(でし)を得て、道の助けとすることは元これ観世音菩薩の御計らいと聞くものながら、道で和殿に出会ってここへ導(しるべ)をされたその功徳もまた莫大なり。よってこの沙金と巻絹をことごとく取らせるなり。必ず否む事なかれ」と遂に主に別れを告げて、その明けの朝立ちに馬に乗りいでたまえば、八戒は太郎官親子の者に暇乞いして、
「先には師兄(あにき)が言うに任して去り状を書いたれど世に和尚の隠し妻もそのためし多くあり。今行く道は十万余り八千里の長旅なれば師匠が道にて死なれるか或いは旅に飽き果てて中途より引き返せば、また来て芙蓉と一つになるべし。しばしの別れを悲しんできなきな(くよくよ)思いたまうな」と言うのを岩裂が打ち消して、「さのみは阿呆をつくなせそ。さぁさぁ荷物を担がずや」と叱り懲らして師の坊の馬を追い行けば、八戒は我が熊手に全ての梱(こり)を引き掛けて遅れじとてぞ従いける。されば主太郎官は名残を惜しみ□をしたひて村境まで送りつつ涙を注いで別れけり。
□かくて浄蔵法師は太郎官に別れてからしきりに馬を進めつつ、岩裂を見返って
「迦毘羅は何と思うやらん。我は去年両界山のあなたなる和こくの庄に宿を求めていさ部の綾彦が日の本を慕えることをよく知れり。そも殊勝なる事ながら彼処は唐とだったんの境なればなお近かり。それより万里の道を隔てたここにもサイヤアハン州あり。人物風俗大方ならず日本風に倣(なら)う事、いよいよ奇なりと言いつべし。これを見、かれを思うも我が日の本は万国に優れていとも尊きことと仰ぐべし仰ぐべし」としきりに感心すば、岩裂しばしうなずき「真にさなり」と答えけり。その時、八戒が走り着き、
「これより行く手の霊山(りょうさん)に烏巣(うそう)禅師という名僧あり。それがしは元より相知れり。立ち寄らせたまわずや」と言うと浄蔵はうなずいて、その柴の戸を叩かせて烏巣禅師に対面しつつ西天へ行く旅路の吉凶を尋ねると禅師は頭を振って西天へは行き難し、思いとどまりたまえかしと言われて浄蔵は驚き、「しからば、難行苦行をなすとても行き着くことが叶わずや」と問うと禅師は微笑んで、
「否、行き難きにはあらず、道に魔性の物が多かり。この故に行き難きのみ。貧僧(ひんそう)年頃読誦(どくじゅ)する般若波羅蜜多心経あり。この御経を読む者は一切の災いを逃れずと言うことなし。どれどれ授け参らせん」と読むこと全て五遍(ごへん)にして浄蔵よく記憶せり。今の心経はすなわち是なり。かくてまた禅師は後の吉凶を偈(げ)につくって示すと、その中に多年老石卵(ろうせきらん)木鳶(もくえん)踪歩長(そうほながし)と▲いう二句あり。岩裂はこれを聞いて怒れること甚(はなは)だしく、金箍の棒を引き出して禅師を打とうとする時に禅師は雲に飛び乗って早中空に登りしを岩裂はなお逃さじと続いて追わんとすれば、浄蔵、八戒が押しとどめ、まずその故を尋ねると岩裂は声を振り立て、
「只今、烏巣が唱えた偈句(げく)に多年老石卵(たねんろうせきらん)という句あり。これは我らをそしるなり。また木鳶(もくえん)しかじかという句もあり。これは八戒を笑うなり。奴はいかばかりの徳あって我らをかくもあざけるや。懲らして腹をいん。そこ退きたまえ」と息巻くを浄蔵はいたく戒めて、
「禅師が今我々の後来(こうらい)を戒むるに偈をもって示されたを怒るは要なき事ぞかし。思い捨てて行かずや」と理(ことわり)責めた師の坊の言葉に岩裂は怒りを収めて、三人は庵を立ちいでて、西を指してぞ急ぎける。
○かくて又幾十許(いくそばく)かその月を重ねて行くこといよいよ遙かなる浄蔵師弟三人はある日またいと険しき高嶺の麓に来た時に、一人の木こりに会えば浄蔵はこれを呼びとめ、山路の案内を尋ね問うとその人は答えて、
「この高嶺は黄風山(おうふうさん)と呼ぶいと恐ろしき魔所になん。さるによりこの山に魔王あり。折々いたく風を起こして木を抜き石を転ばす事すさまじなんど言うはかりなし。まいてその風が人の身に当たる時は腕とも言わず脛(すね)とも言わず刃をもって斬られるごとくに破れ裂け、死する者多かり。この故にこの辺りには人が住むことなく、我らも山へは入らずに麓を限りに稼ぐのみ。よくよく用心したまえ」と言い捨てて早行き過ぎける。八戒はこれを聞いて、「さる恐ろしき風の吹く山路ならば越えぬがよし。恐(こわ)や恐や」とつぶやくを浄蔵法師は見返って、「八戒、さのみ恐れる事か。この山を越えずして余所に行くべき道はなし」と言うと岩裂はうなずいて、「師の仰せこそ理なれ。我が山踏みをすべけれ」と先に立ちつつよじ登る山はことさら険しくて、吹く風肌を切る如く、面(おもて)を向くべき様もなければ浄蔵法師は馬より下り立ち、八戒は鼻面を襟に差し入れ進み得ず、岩裂も眉をひそめて、
「この風は是世の常の谷より起こる物にあらず。また虎などが起こすにもあらず。真に由々しき魔風にこそ」と言う言葉が未だ終わらず、現れ来る一手の妖兵。先に進むは大将と問わでも知るべきその出で立ちは荒れた夜叉に異ならず、道を塞いで声を振り立て、
「ここへ来るのは何やつぞ。この山の主の黄風王の股肱(ここう)腹心(ふくしん)と呼ばれた巡官(じゅんかん)ももんぐわと呼ばれるは我なり。名乗れ、聞かん」と呼びはったり。その時、岩裂が進み出て、
「汝、知らばや。我が師の坊は日本国の生き菩薩、浄蔵法師におわします。先に帝の勅に従い天竺象頭山へ赴いて金毘羅神を迎えたまえば、今日この山を過ぎるに導(しるべ)をせずや」と言わせもあえず、ももんぐわはあざ笑い「日本国の坊主でも梵天国(ぼんでんこく)の所化(しょけ)でも我が眼にかかっては引きずり帰って大王の御下知に任すべし。あれ生け捕れ」と息巻く指図に従うその手の妖怪は承るといらえも果てず得物得物を引き下げて群立ちかかるを羽八戒が熊手を持って押し隔て、多勢を相手に戦うたり。その隙に岩裂はももんがに渡り合いしきりに挑み戦う▲勇武自在(ゆうぶじざい)の棒の手に叶うべくもあらざれば、ももんがは辟易(へきえき)して一足いだして逃げ走るをなお逃さじと追う程にたちまち行方を見失って、そこかここかと尋ねれば一群茂き茅(ちがや)の内にももんぐわは隠れており、岩裂は早くこれを見て抜き足しつつ近づいて棒取りのべてはたと打つと例えば張り子を叩くが如く手応えもなくへたばりたる。かかる所に羽八戒は妖卒どもを討ち散らして熊手をひ下げて走り来て、此の有様に喜び勇んで「師兄、しとめたまいしか。手柄手柄」と誉めたてれば岩裂(あにでし)は後辺を見返って、「手柄どころかこれを見よ。これは真のももんぐわならず、彼奴は金蝉脱売(きんせんだつこく)の謀り事を用いしなり。よく見よかし」と言いつつもその骸(むくろ)を引き起こせばももんぐわにはあらずして、得知らぬ獣の顔なりけり。岩裂はいたく後悔して、
「我々が長追いせし故に彼奴は脱売の手立てをもて遠くここらへおびき寄せ、その身は元の所へ至りて我が師の坊を虜(とりこ)にせん。八戒、続け」と一足出して元来し道へ馳せ帰れば羽悟了の八戒も驚き慌てて踵(きびす)を巡らし、遅れじとてぞ走りける。
○かかりし程にももんぐわは金蝉脱売の謀り事をもて岩裂を出し抜いて元の所へ立ち返り、一心不乱に心経を素読じゅする浄蔵法師をかい掴み小脇にしかと引きかかえ、黄風洞に走り帰って風魔王に告げる様、
「それがし今日山中を巡行して候しが日本国より行脚の名僧浄蔵法師の師弟三人が山を越えるに出会って斯様斯様に計らいて浄蔵法師を絡め取り御覧に供え奉る。▲とく料(りょう)らして御酒宴の肴に仰せ付けられよ」としたり顔にぞ述べにける。黄風大王は聞いて
「その浄蔵と言う奴は四世再来(しせさいらい)の名僧なれば最も得難き肴なり。賞翫すべきものなれどもその弟子に岩裂の迦毘羅坊、八戒坊羽悟了とて神通不思議の曲者ありと世の風聞に伝え聞いたり。さるを今早まってこの浄蔵をうち食らわば、岩裂、八戒が深く恨んで我がこの洞を騒がすべし。かかればまず岩裂と八戒をうち捕って後ろ安くして後にその名僧を賞翫せん。しか心得よ」と説き示せば、ももんぐわは感心して、
「仰せは真にその理あり。しからばこの法師を岩室の内に繋ぎ置き、またあの二人の弟子どもを生け捕って諸共に料らせたまわばあきたりなん。手の者を少し貸したまえ。それがし再び向かうべし」と言えば魔王は頭を打ち振り、「岩裂は好敵なり。そぞろに逸りて過ちすな」ととどめて許さざりければ、ももんぐわは苛立(いらだ)って
「大王、などて臆したまうぞ。それがしがもし岩裂に負けて手を虚しくして帰れば、我が頭を召さるべし。いでいで」と言い掛けて屈強な妖怪を一百あまり従えて再び山路にたち出たり。
さる程に岩裂は八戒と諸共に元の所へ帰って見るに、馬と旅荷物はありながら浄蔵法師が見えざれば足ずりしつつ嘆いて、□は我が師は捕られたまいぬ。いざや尋ねて取り戻さんと用意とりどりなる折から早くも来るももんぐわは多勢をもって取り巻いて絡め捕らんと競ってかかるを物々しやと岩裂は例の金棒うち振って、うち倒しうち倒しまたたく間に妖怪どもを残り少なにうち殺せば、ももんぐわは驚き恐れてたちまち逃げ失せしが恥じて洞へは帰り得ず、麓の方に身を潜まして深く隠れていたりける。
○岩裂は再びまでももんぐわを討ち漏らして憤ること大方ならず、元の所には羽八戒を残し置いて、馬と荷物を守らせて一人進んで高嶺の黄風洞に押し寄せて、門うち叩き声高やかに
「黄風悪魔は何処におる。早く我が師を送り返せ。異議に及べば門戸を破って皆殺しにせん。いかにぞや、さぁさぁ返さずや」と呼び張ったり。さる程に風魔王はももんぐわが討ち負けて、手の者を多く討たせし由を伝え聞いて驚き怒り、「さらば自ら討って出て、岩裂めを生け捕るべし。用意をせよ」と急がす折から岩裂は既に押し寄せたりとの知らせに▲騒がぬ風魔王は手の者数多従えて門開かせてゆるぎ出て、
「やおれ、岩裂の迦毘羅坊。我は汝の師を捕らえたりとも未だ殺さで置きたるに虚実も問わず押し寄せ来るは物を知らざる痴れ者なり。その義ならば思い知らせん、観念せよ」と罵って、かたがまの鉾(ほこ)をうち振りうち振り、突き倒さんと競いかかるを岩裂は得たりと棒取りなおして挑み戦うこと半刻(はんとき)ばかり。勝負も果てしなかりしかば岩裂は身の内の毛を引き抜いて吹きかけるとその毛はたちまち数多の岩裂と変じつつ風魔王に討ってかかるを魔王は騒ぐ気色なく口に秘文を唱えれば、にわかに起こる疾(はや)ち風、木を抜き倒し石を飛ばすその風は鋭きこと刃をもって切る如くに岩裂が作り出せし影武者の大勢はこの大風に吹き散らされて今は真の岩裂さえも吹き殺されるべくおぼえしかば、心ならずも逃げ走り麓を指してぞ退きけり。かかる折からももんぐわは岩裂を討ちとめて、先度の恥を清めんと草むら陰から現れ出て討たんとするのを引き外す岩裂の棒の手に立つ足もなく追いまくられて麓の方へ逃げ走る。むかうに立った羽八戒が得たりと熊手を取りのべて、太腹ぐさと刺し貫く所を戒刀引き抜き首打ち落としてよく見れば、これむささびの化けたるにて、その本体を現しけり。
その時、岩裂の迦毘羅坊は先に風魔王と戦ったその体たらくを羽悟了に物語り、
「我もまた雲を起こし風を起こす神通力の人に負けじとは思わざりしがあの魔王めのいらとき風にはほとんど困り果てたり。我は元より不死身で刃も通らず火にも焼かれず、しかるも彼奴が起こせし風に眼をいたく打たれればその痛みは耐え難し。これ見よかし」と指し示せば羽八戒はつくつくと見つつ思わず大息付いて
「恐ろしや恐ろしや。あの風はいかなる風ぞや。山懐に避け隠れた我だにも悪く防げば吹き殺されんと思いしなり。師兄(あにき)すらかくの如し。哀れむべし我が師の坊は命を取られたまいけん」と言うを岩裂は聞きながら、
「否、我が師はなおつつがなし。手立てを持って救い取り参らせんと思えども日は早西に傾きたり。今宵は麓に宿を求めん。此方へ来よ」と先に立てば八戒はその義に従って馬を引き梱(こり)を担ってひとしく麓に下る時に道の行く手の林の内に侘びたる一つ屋があればそこに宿りを求めしに、主は旅のなすと聞こえて四十路余りの女房がただ一人いたりしがいと甲斐甲斐しくもてなしけり。その時岩裂は主の女房に向かって「ここらには目医者のなきや。我が目が痛んで耐え難し」と言うを女房は聞きながら
「見たまうごとくに一つ屋にて、隣村など言うものすら近き辺りにはべらねば薬師(くすし)はたえてなけれども、わらわが家に伝わる日月清明散(じつげつせいめいさん)という目薬がはべるなる。用いたえばまいらすべし」と言うと岩裂は喜んで、「そは幸いの事なりかし。それたまわらん」と急がせば女房は目薬を小皿に溶いてもて来つつ、鳥の羽で岩裂の両眼に付けると痛みは即座に退きけり。
さる程に岩裂は八戒と諸共に臥所(ふしど)に入って眠りしにその明け方に一人覚めて眼を開いて▲辺りを見ると常よりもなお明らかで蚤蚊の眉だもよく見えれば、かつ喜び、かつ感じて真にここの目薬は霊法なりきと独りごちて、その夜が明けるを待つ程に窓の隙より白み染めて山烏の声すれば八戒を呼び覚まし、これかれ等しく身を起こせばこはいかに。ありつる家は跡もなく二人は深き森の内で木の根を枕に臥したるなり。いよいよ不思議の事なれば岩裂は我が目の痛みの癒えたる由をしかじかと八戒に告げ知らせ、心ともなく方辺を見れば決明(けつめい)と言う草の葉に数多の文字が現れて、浄蔵法師を守護の神、昨日当番の虎童子が薬師如来に請い奉りて威如神尊の目の病を療治せしめるものなりと鮮やかに読まれしが、その字は読むに従って次第次第に消え失せけり。かくいちじるき応験奇特にさすがの岩裂も我を折って、
「さては薬師の冥助にて我が目はたやすく癒えたるなり。かかれば再び黄風悪魔を攻めたいらげて師を救わん。さればとて謀り事なく漫ろに進めば彼奴が風に破られん事は疑いなし。八戒は昨日の所に馬と荷物を守りていよ。我は悪魔の洞の内に忍び入り師の安否と敵の虚実をうかがうべし」と言うに八戒はうなずいて「その義はもっともしかるべし。さぁ行って、さぁ帰りね」と言うに岩裂は聞き捨てて又山深く登りけり。
○されば又岩裂は黄風山によじ登り、魔王の洞に近づく時にその身を一つの蝿(はえ)と変じて戸の節穴より内に入り、そこらくまなく見巡るに知る者たえてなかりける。痛ましいかな浄蔵法師は黄風洞の奥座敷の柱に縛り付けられ昨日より一粒の糧(かて)だに与えられざれど、生死の境に迷うことなき徳行無双の聖なればいささか騒ぐ気色なく口の内にて心経を読じゅしていたまいしに、頭の上に声ありて上人上人と呼ばれしかば浄蔵驚き仰いで
「我が名を呼ぶは迦毘羅坊が声にまさしく似たれども、ここら辺りに姿は見えず、あらいぶかしいや何者ぞ」と問われて岩裂は声密やかに
「御疑いは理なり。魔王の虚実を探らんためにそれがしは姿を蝿に変じて忍び入りここにあり」と諭せば浄蔵は喜んで「さぁさぁ我を救えかし。ともかくもして救わずや」と言うを岩裂は押しとどめ、
「あな声高し、頭に耳あり。よしや仰せはあらずとも風魔王を滅fぼして我が師の厄を解くべしと心を苦しめ候なり。今しばし待ちたまえ。それがしかくて候えば救い出さでやむべきや」と励まし慰め、そのままそこを立ち退いて魔王の□室(ゐま)に赴きけり。▲この時、黄風悪魔王は昨日岩裂に戦い勝ったる喜びに手下の化け物ども頭(かしら)だちたるを呼び集めて、を酒飲ませて我も飲み、漫ろに魔術に誇りしかば妖怪どもは言葉を揃えて
「日の神だももて余して威如神尊という司位(つかさくらい)を授けられた岩裂なれども我が大王の風にはかなわず、かかれば大千世界の神というとも仏というとも勝つ者は候わじ」と言えば黄風は微笑んで、
「実に汝らが言う如く、天地の間にあらんもの例えいかなる神通ありとも我は物の数とも思わず、ただ大黒天は恐るべし。今にもあれ大黒がここに来ることあらんには我が術破れて行い難し。恐れる者はただこれのみ」と言えば手下の妖怪はともに恐れる気色にて仰せの如しと答えけり。
この時も岩裂は初めのごとく蝿になり魔王の背中に止まっており、今しかじかと言うのを聞いて、独り喜びにたえざれば一ト声ぶぅんと羽根を鳴らして外の方へ飛び去りつ忙わしく山を下りて元の姿を現しけり。
八戒は遙かにこれを見て「師兄(あにき)、敵地の様子はいかに」と問えば、岩裂は走り寄って蝿になって立ち聞きしたその由を告げ知らせ、
「かかれば我が大黒天をかたらうて魔王を滅ぼさんと思えども、未だ縁あらずして大黒天と相知らねば今は何処におるやらん」と言うに八戒ちりかいひねりて
「伝え聞くに大黒天は北方水徳の神にして北天竺にありとかや。また日本に現れては大黒主の尊(みこと)と言われる。この故にある時は日本にあり、またある時は天竺にあり、只今いずれの国にあるか知る由なければ詮方あらず」と言う言葉未だ終わらずに、たちまち雲にうちって此方を指して来る者あり。岩裂はこれを仰ぎ見て「来たれる者は神か仏か。そもそも悪魔妖怪か。威如神尊ここにあり。名乗れ聞かん」と呼びかけたり。その時その天飛(あまと)ぶ神は静かに雲より下り立ちて、岩裂に向かい
「神尊、無礼を許したまえ。わかとびもつつがなきや。それがしは物を尋ねるために天竺へ赴くなり。用事があらば承らん」と言うと八戒は微笑んで、「この神はこれ別人ならず大黒天におわするかし」と引き会わせれば岩裂は喜ぶこと大方ならず
「それがしは君と語らうべき要用の事があるにより尋ね奉らんと思いしが▲計らずここへ来たまうこと真に得難き幸いなり。その故は斯様斯様」と浄蔵法師の厄難の事、黄風魔王の悪風にうち破られた体たらくを言葉せわしく説き示し、願うはそれがしを相助けて魔王を退治したまえと頼めば大黒は驚いて、
「さては奴めはいつの程にかここらの山に隠れ住みさる悪行をなすにこそ。只今も言うごとくそれがしが此の月頃尋ねる者は彼奴なり。しかるに渡天の聖僧をしばらくも苦しめしはこれそれがしが過ちなり。いかでかなおざりに見過ごさんや。今より神尊に伴って黄風山によじ登り、奴を退治せしむべし。しかれども初めよりそれがしありと知らせれば彼奴は必ず逃げ失すべし。よってそれがしは雲の内に立ち隠れ、戦いたけなわならん時に現れ出て彼奴を捕らえん。神尊はただ独りで彼の岩屋に押し寄せて斯様斯様に計らいたまえ」とせわしく示せば、岩裂は早くも心得、黄風洞に押し寄せつつ門をしきりにうち叩き、「黄風魔王、さぁいでて我と勝負を決せずや。恐れて出ずばたちまちに押し破って師の坊を救い出すに手の隙入らず、後悔すな」と罵ったり。魔王はこれを聞いて、
「おぞましや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・者ども続け」と言うままに門押し開いて現れ出て
「愚かやな岩裂。身の分際を計らずに我と勝負を決せんとは真に烏呼の痴れ者なり。そこな退きそ」と罵って、鉾をひねって突いてかかれば岩裂は得たりとちっとも疑義せず耳に挟んだ金さい棒を引き伸ばし、振って面も振らずに戦うたり。既にして魔王の力もようやくに衰えて敵し難くや思いけん。また悪風を起こさんと口に秘文を唱える時に、様子をうかがう大黒天が雲の上より声高く「この痴れ者、肝太くも我があるを知らずや」と罵りながら雲かき分けて姿を現し近づきたまえば、魔王は早く仰ぎ見て、「いつの程にか大黒天に見つけられては我が術が行われぬぬも理なり。皆々引け」と言い捨てて逃げ隠れんとする時に、さもこそあらめと大黒天は土を飛ばして黄風魔王を馬の上よりうち落とし起きんとするを起こしも立てず膝にしっかと組み敷けば魔王は苦痛にたえずして元の姿を現したり。岩裂は喜び立ち寄り、と見ればこれ別物(べつもつ)ならず黄風魔王と称えしは、これ鎌鼬(かまいたち)の化けたるにて頭はさながら鼬(いたち)のごとく、羽根はいささか蝙蝠(こうもり)にて鎌に似たる剣羽あり。むささびかと思えばむささびにあらず豪猪(やまあらし)かと思えば山あらしに異なり、全てその形の恐ろしさは得も言われぬ化け物なり。その時大黒天は岩裂を見返りて
「面目なし。我ながらこの者を走らせて浄蔵法師を苦しめたのは皆それがしの誤りなり。そもそも我は故あって世の中にありとある鼠(ねずみ)の類を支配するが▲むささび、鎌鼬の類まで皆これ鼠の種類でその字ねずみに従えば、それがしこれらを召し使うがなかんずく鎌鼬は風を起こして人を損なう毒悪の曲者なればかりそめにも放ち飼いにする事なく越後の国の隠れ里ねずの牢屋(ひとや)へ押し込め置いたが牢屋の網を噛み破り、蓄電せし由聞こえればそれがしいたく驚き憂いて、をさをさ行方を尋ねしなり。しかれば思うに違わずしてこの所に隠れ住んで世の人を損なうその罪は許し難しと言えども願うは我が面にめでて此奴の命を助けたまえ。再び厳しく戒めて悪行を止めるべし。命冥加な痴れ者かな」と言いつつ槌(つち)を振り上げ頭をはたと打ちたまえば、鎌鼬はあっと叫んで頭を縮め、羽根をすぼめて、只一ト縮みになるところを大黒はすかさずかい掴んで袋へしかと押し入れて早くも口を締めたまえば、また出る事もあらざりけり。岩裂はこの有様に恨みもようやく溶ければ岩屋の内に進み入り、浄蔵法師を救い出し、さてまた魔王の手に付いた化け物どもを狩るに、皆これ野鼠、てん、鼬の化けたるにてこの時残らず討たれにけり。
さる程に浄蔵法師は大黒天の助けによって厄難解けた由を聞き、驚き、かつ喜んでその神徳を仰ぐまでに身を投げかけて拝みたまえば、大黒天は慰めて、「行く手の道はなお遠し。自ら相して年頃の大願を遂げたまえ。さらばさらば」の声とともに袋を肩に引き掛けて西を指してぞ飛び去りたまう。
○かかりし程に岩裂は黄風洞を焼き払い、浄蔵法師を助け引き再び麓に立ち返り、八戒にしかじかとありしことも告げ知らせれば八戒は大黒天の方便に感服して喜ぶこと大方ならず、「さらば今は妨げなし。さぁこの山を越えん」とてこれよりしてまた師弟三人師の坊を馬にうち乗せ八戒は旅行李をかき担い、岩裂は先に進んで道の露草かき払い、なんなく峠をうち越えて麓の在家に宿りを求め、また朝でたちにたちいでて、しきりに道を急ぎけり。
○かくてまた幾ばくの月日を経て、果てしなき旅寝を重ねた浄蔵師弟三人はある日天竺流沙川(りゅうさがわ)のほとりまで来たけれども船は一漕もなかりけり。聞きしにまさる川幅八百余里と名にしおう大千世界第一の大河に船も筏(いかだ)もあらずして、いかにして渡るべきとしきりに悶えて佇む師の恨みこそ理なれ。岩裂、八戒の身ならば雲に乗り地にも入る神通でこの川を渡る事は易けれども、師はなお凡夫(ぼんぷ)の肉身重くて波を踏むこと叶い難し。されば背に負い肩車に乗せるとも東路(あずまじ)の大井川には似る由もなきかりそめながら八百里に余ると聞こえし川幅の船筏を借りずして人力をもて中々に▲渡すべうもあらざれば岩裂もまた八戒もただこの故は気を揉んでひとしくもだえ苦しむ時に怪しむべし、沖の方より逆巻く波をかき開き現れ出る化け物あり。これいかなる出で立ちぞ、例えて言えば三才図絵に表れた海坊主に異ならず、その面つきは何となく烏(う)の鳥に似たようで口先が尖りし事は鳥のくちばしにさも似たり。身にはみるの如くかきされたる麻の衣を纏えども、生臭き風が辺りに香り、腰には九つの髑髏(しゃれこうべ)を繋ぎ掛けたり。かくてこの化け物は手に一筋の仕込み杖を突き立てつつ浄蔵法師を目にかけて捕り食らわんと近づく時に八戒は早く押し隔てて熊手をもって遮り止め「来れる奴は何者ぞ」と問わせもあえずあざ笑い、
「知らずや。我は年数多この川に住まいして渡天の法師を捕り食らう流沙川の主ぞかし。今日はことさら飢えたるにそ奴をここへ早く出せ、賞翫すべし。さぁさぁ」と人を恐れぬ不敵の振る舞い、憎さも憎しと八戒は岩裂に目をくわせて右膝より打たんとすればその化け物はいよいよ騒がずさしったりと押し開いてしばらく挑み戦いしが叶うべくもあらざれば後ずさりしてたちまちに波の底にぞ沈みける。
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馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第五編下

2017-02-21 01:10:56 | 金毘羅舩利生纜
流沙川の妖怪は岩裂、八戒に斬りたてられて敵し難くや思いけん、早くも波の底に沈んで行方も知れずなれば、両人これを追い捨てて再び汀(みぎわ)に立ち返り、さて師の坊に申す様、
「この川は広大無量なるにいと恐るべき妖怪住めり。例え船筏ありと言えども彼奴を退治せざらんには後難あらずと言い難し。かかれば我々が謀り事を巡らしてあの化け物を打ち滅ぼし、その後に船を求むべし。されば我が師はうかうかとここにいるのは危うし。山陰(やまかげ)へ退いて吉相を待ちたまえかし」と言うに浄蔵はうなずいて、「言われる趣は理なり。ともかくも計らいたまえ」と言うと岩裂は喜んで師の坊を山陰の要害の地に退かせ馬をもそこへ引きもて行って、方辺の松に繋ぎとめ、なお様々に慰めて、両人はまた更に波打ち際に立ちいでて密かに談合する時に、岩裂はしばし頭を傾けて
「八戒は何と思う。およそ水に棲む物は水ならざれば自由を得ず、なまじいに水中にて戦えば逃がしもすれ。彼奴を陸へおびき寄せうち捕らんこと肝要なり。そなたは水を潜(くぐ)ることかいつぶりより早しと聞けり。斯様斯様にたばかって彼奴をおびき寄せたまえ。我は芦辺に立ち隠れ思いのままにおびき寄せ、後先より引き挟んで短兵急に討ち捕るべし。あの者退治せられなば、ただこれそなたの大功なり。よくしたまえ」とそそのかせば、羽悟了しきりにうなずいて、
「実に、言われればその理あり。しからば我も波を潜って彼奴の住処を訪ね求めん。合図を違えたまうな」と示し合わせて八戒は熊手を小脇にかい込んで流沙川へ飛び入りける。▲
さる程に妖怪は岩裂、八戒に斬りたてられておのが住処に逃げ籠もり、門(かど)の戸固く差し込めてもなお息切れて耐え難くあえぐこと大方ならず。「折角(せっかく)見かけし我が食物も悪い奴らが付き添いいれば逸っては手に入り難し、まず一休み」と枕引き寄せ早くもまどろまんとする時に、八戒は既に訪ね来て熊手を持って門の戸を打ち破りつつ進み入り
「流沙川の似非化け物。汝が水を家として底深く隠れても我もまた水中の働きは汝に劣らず。いかで勝負を決せんか」と後を慕って来つるなり。さぁさぁ出て戒めを受けずや、如何にと呼び張る声を妖怪は聞いて怒りに得耐えず、たちまちがばと身を起こし枕に立てた仕込み杖を小脇にかい込み、きっとにらまえ
「またしても鼻高めが。先には相手が二人なればしばらく譲って争わず、休息せんと退いたのを恐れて逃げしと思いしはテモ行き過ぎた自惚れ者。たけの知れたる汝の武芸。一人で来るは猪に似た芋掘り坊主武者、覚悟をせよ」と息巻き猛く刃を上げて討たんとするを八戒はすかさず熊手で受けては流す互いの手練、しばらく挑み戦いしが元より巧みし事なれば、八戒はややもすれば斬りたてられる様にして、戦いかつ走れば妖怪は我を忘れて汚し返せと呼びかけ呼びかけ何処までもと追っかけたり。既にして八戒は思いのままにおびき寄せ、波打ち際まで来にければ予て様子をうかがう岩裂が葦の茂みに身を潜め手ぐすね引いて待ちながら元より性急なれば、まず妖怪をやり過ごして後先より引き挟んで討ち取る合図を早まって葦の中より現れ出て「曲者待て」と呼びかけて持った棒をおっとり延べて共に打たん競ってかかれば、妖怪はいたく驚き慌てて、また八戒を追うに及ばず、あなやと叫んで後ろざまに三間ばかり飛び退いてたちまちにまた波を潜って行方も知れずになれば、八戒はいたく腹立て熊手をはたと投げ捨てて、噛みつくごとくに声を振り立て
「この師兄の阿呆めが。日頃は俺をたくさんそうに阿呆、阿呆とぬかせども、今日の始末は阿呆でないか。酷い□めんで骨を折り、ようやくおびき寄せれども、まだ水離れもせぬうちに大人げもなくせき込んで向かい討ちに▲せぬ故に彼奴を再び走らせたり。モウこの上は詮方なし、馬鹿馬鹿しい」とつぶやけば、岩裂は道理に責められて沖を眺めて頭をかき、
「阿呆よ、さのみ腹をな立てそ。先に合図を違えしを今さら言うとも言い甲斐なし。今一度彼処に行って再びおびき寄せよかし。その度は決して逸(はや)らずやり過ごして討ち止めん。さぁ行けかし」とこしらえるを八戒は聞いてあざ笑い
「例え彼奴が阿呆でも度々うまく欺(あざむ)かれうかうかと来るものか。無益な事と思えども心やかに我がまた行かん。必ず合図を違えな」と怠状(たいじょう)こふて熊手を携え、流沙川に飛び入って波の底にぞ沈みける。
○さる程に岩裂は待つこと一刻余りにして八戒が虚しく帰り来る様子に如何にと問うと八戒は舌打ち鳴らし
「初めから言わざる事か。あの妖怪めは底深き岩の狭間に身を隠し、罵れども遂に出ず、もう此の上は詮方なし。疑わしくば此方がゆかしやれ。俺では行かぬ」とつぶやけば岩裂しきりに後悔し、また言うこともなかりしが憤りに耐えざれば、また八戒に向かい
「事の元をおす時はこの災いは観音菩薩が行き届かぬため事起これり。如何にとなれば我々を師の坊の道しるべとしてかしづけながらも八百余里の流沙川に弘誓(ぐぜい)の船の用意もなく、さる化け物を住まわして得知らぬ顔をせられるを仏の慈悲と言うべきや。我が南海へ赴いて観世音に由を告げ、否と言うとも引きずり来てあの妖怪を退治させん。これより他に思案はあらず」と言うと八戒はうなずいて「その義は誠にしかるべし。さぁさぁ行きね」と進める折から雲の内に物あって、「しばし、しばし」と止めつつたちまち汀(みぎわ)に下り立つを岩裂、八戒はいぶかりながら見れば、これ別神ならず観音菩薩の御弟子の恵岸童子なれば、これはこれはとばかりにその来歴を尋ねると恵岸はにっこり微笑んで、
「それがしは此度、観音菩薩の御使いを承って、南贍部州(なんぜんぶしゅう)日本国の武蔵の浅草寺(あさくさてら)へ赴くなり。しかるに菩薩が宣う様、「岩裂の輩(ともがら)は浄蔵法師に相具して流沙川を渡す時、事の難儀に及ぶことあらん。汝がその折に行き合わせねば斯様斯様に計らえと他事なき仰せを受ければ、道急がして来つるなり。しかるに菩薩が予てより計らせたまうに常違わず御身たちは果たしてここに至って妖怪のために抑留される事の由は彼処で我はやつぶさに立ち聞きせり。彼はもとより妖怪ならず先に菩薩の済度によって浄蔵法師の弟子にならんと渡天の供を乞い願うしかじかの者なれば、御身たちが初めより浄蔵▲法師の由をあからさまに名乗れば、彼いかにして敵すべき。ただ従わん事のみ願うべき者なれども、それらの由を告げざれば彼もまた知る由なくて事がここに及べるのみ。さるをなお悟らずして返って菩薩を恨みたまうは心得違いにあらずや」と言われて岩裂は頭をかき、
「さる因縁を知らざれば、あの曲者を我が師の坊の仇と思うて名乗りも知らせず無駄骨をかした悔しさよ。そもそも彼奴は如何なる者ぞ」と問えば恵岸はうなずいて
「彼は日の本の神代(かみよ)より五月蠅(さばえ)なす荒神で天津務(あまつととめ)の命と言えり。犯せる罪のあるにより先に日の神の勅勘(ちょくかん)を奉り、遠く流沙川へ流されしより身のよる所なきにより烏の鳥にたいを受け、この水中を家として、面青黒く嘴(くちばし)尖って、さながら烏の鳥に似たるところあり。年頃此の川を渡る渡天の法師どもを捕り食らうこと既にして九百九十九人に及べり。しかるにその内の九つの髑髏(しゃれこうべ)のよく水に浮くをもて腰に繋いで浮き沈みのたよりにせしより、人あだ名して髑髏(どくろ)の妖怪と呼びなしたり。かかりし程に去ぬる頃、我が師の観音大菩薩は釈尊の仰せに従い、それがしを従えて日本国へ赴きたまう時に此の川のほとりで彼を済度し、後年日本国の大名僧浄蔵法師が勅命を受け天竺へ渡り金比羅神王を迎え奉ることあらん。その法師に従って渡天の艱難を相助け、昔の罪を購(あがな)えば神仏二つながら道を得て今の苦患(くげん)を免(まぬか)るべし。よくせよかしと説き諭して法名を悟定(ごじょう)とたまいぬ。それがしが彼を呼ぶならば喜んで出て来つべし。いでいで」と言いながら汀に立って声を振りたて
「鵜悟定(うごじょう)は何処にある。先に観世音の示させたまいし日本国の浄蔵法師が渡天の為に遙々とこの所まで来たまいしに何故に出て従わざる。いと烏呼なり」と呼び張ったり。悟定はこの時水底の岩の間にありと言えどもその声を漏れ聞いて、喜ぶこと大方ならず慌てふためき水中より此方の岸に現れ出て恵岸童子のほとりへ参りて、うやうやしく額(ぬか)を突き、
「それがし眼ありながら大士の予て示させたまいし名僧なりとは思いもかけず、しばらくも悪心を差し挟みしこそ罪深けれ。許させたまえ」と詫びて、さて岩裂らに名対面して身のとりなしを頼むと岩裂も八戒もまた今更に大笑いして観世音の方便を師の坊に告げ申さんと岩裂は浄蔵法師のほとりに赴き、流沙川の妖怪は観世音に済度されし天津務の命なる事、恵岸童子が図らずもこの所へ来会わした一部始終の事の趣を斯様斯様と告げれば浄蔵は感じかつ喜んで、岩裂諸共いそがわしく汀に至ってうやうやしく恵岸童子に対面し、南に向かって▲観世音の仏恩を謝し奉り、さて鵜悟定を呼び近づけて
「そなたは菩薩の教下(きょうげ)によって我らを今より師と頼み渡天の供を願われるはいと頼もしき同行なり。法名は菩薩より既に悟定とたまいし由、またこれ悟了と一対で我が宗の法義にかなえり。但し流沙川にて出家したれば沙和尚(しゃおしょう)とも言いつべし。結縁のため十念を授けんと立ち寄って数珠押し揉んで仏名(ぶつみょう)を十遍ばかり授ければ不思議なるかな鵜悟定のくちばし落ちて鼻が出来、只口先の尖れるのみ。腰に付けた九つの髑髏もたちまち落ちにけり。かかる奇特に沙和尚の悟定の喜びは大方ならず岩裂、八戒を師兄(あにでし)と頼み敬いて、随喜の思いしきりなり。
しかれども舟無ければさすがの岩裂もほとんど困って、いかにすべきと相議するを恵岸は聞いてうち微笑み、
「それらの事も予てより観世音の仰せを受けたり。試みにその髑髏を縄に繋いだままにして水中へ浮かべてみたまえ。自ずから船がいで来つべし」と言うと沙和尚は心得て、髑髏を水に浮かべれば怪しむべしその髑髏はたちまち舟の形と変じて波打ち際に漂ったり。
恵岸はこれを見返って
「人々あれを見たまわずや。昔悟定に伏せられたこの九人の法師どもは仏果得たる者どもなればその髑髏(しゃれこうべ)は水に沈まず今またかかる舟となって人々を渡すのみ、いざさぁさぁ」と勧めれば浄蔵師弟は喜んで菩薩の無量の方便を感じる他に他事もなく、馬さえ舟に引き入れて師弟四人乗り移れば、舟は自ずから岸を離れて沖中遙かに走り行くを恵岸は汀で見送って、しばし彼方に佇みしを浄蔵法師は伏し拝み、惜しむ名残もまかせよし八百余里をまたたく間に向かいの岸にぞ付きにける。
かくて又浄蔵法師四人は数多の月日が過ぎるまにまに、また幾余里の道を辿ると岩裂は馬を追い八戒、沙和尚は代わる代わるに旅荷物を担うものから八戒は元より惰弱で折々辛苦に耐えざればある日岩裂に向かって
「師兄(あにき)は何とも思わずや。あの馬が役に立たざるは荷駄にならず空尻(からじり)にもならず、只師の坊を乗せるのみ。我々に荷を負わせて道を行くこと遅ければくたびれも格別増すなり。嗚呼なる馬にあらずや」と言うと岩裂は押し止めて
「阿呆よ、馬を悪くな言いそ。あれはまさしく龍馬(りゅうめ)なり。知らずや日本国の近江の湖の主の龍王の弟にして小龍王金鱗と呼ばれし者なり。兄の龍王の咎により憂鷹川へ流されたが観世音の済度によって我が師の坊に相従い渡天の功を授けんと姿を白馬に変ぜしなり」と言えば八戒はあざ笑い「我が聞く龍馬は一日に一千里を走るというに、あののろさでは心許なし。我は決して真と思わず馬鹿馬鹿しい」とつぶやけば、岩裂もまたあざ笑って馬のあがきの速いか遅いか試して見せんと言うままに後辺について▲行く馬の尻をしたたか打てば馬はこれに驚いて、まっしぐらに走ること飛ぶ鳥よりもいと速く山とも言わず坂とも言わず止ま
るところを知らざれば半日ばかりに五百里余りの道を容易く過ぎて、そことも知らぬ大百姓の門のほとりにとどまりけり。
これにより鞍の上の浄蔵法師はやすからず、只落ちぬよう身構えて馬の平首(ひらくび)にしがみつき被(かぶ)りし傘も風にとられて只岩裂を恨むのみ、また詮方はなかりけり。言わんやまた八戒らは馬の行方を見失わじと汗を流して息を切り、よし無き事を言い募(つの)りて、いら酷き目にあうものかなと後悔しつつ遙かに遅れて喘ぎ喘いで追うたりける。
○この時日も暮れかかり宿を求める頃なれば浄蔵法師は馬より降りて岩裂と諸共にしばらく門辺(かどべ)に佇めば内より一人の女房がしとやかに立ちいでて
「聖たちは何処より何処へ赴きたまうや。今宵の宿を求めたまわば結縁のために御宿せん。いざ此方へ」と誘うと岩裂は会釈して、
「そは幸いの事なりかし。これなるは我が師にて日本国より遙々と天竺の象頭山へ赴きたまう浄蔵法師なり。具せし徒弟は我らが他に二人ありといえども道に遅れて未だ来ず。しばらくここに待ち合わさん、御宿を頼み奉る」と言うと女房はうなづいて、いよいよ他事なくもてなしけり。
さる程に、八戒、沙和尚は諸共にひたすら走る師の坊の馬の行方を見失わじと思えばしばしも休らわず八九メ目に余る荷物を負いつつもその日半日しきりに走りしことなれば、既に息切れ足たゆみてまた行くべくもあらざりしを鵜悟定いさめて励まして助け引きつつ行く程にと見ればいと大きな家の木の元に浄蔵法師が乗るその龍馬を繋ぎ置かれたり。「さては我が師は既にはや此の所に宿取りたまえり、ヤレしんどや」とうち下ろす荷物と共に八戒は大地にはたとへたばり伏して引き起こせども立ちも上がらず
「あら苦しやくたびれたり。我もまた雲を起こして空中を飛行するのは千里の道をものともせざれど、さすがに重荷を負いながら地を走ることは雲助ならで誰がよくせん。かくいら酷き目にあわせし迦毘羅坊こそ恨めしけれ。薬よ水よ」とわめくのを主の女房が聞きつけて振り出し薬一服を茶碗に盛って携え来て、
「御身たちは今宵宿せし聖の同行にこそおわすめれ。いたくくたびれたまいなばさぁさぁこれを飲みたまえ。そくこう湯(とう)にてはべるかし」と言いつつやがて差し寄せるのを沙和尚はやおら受け取って八戒に勧めけり。
○しばらくして八戒は心地すがすがしくなるのみならず、くたびれとみに退けば頭を巡らし辺りを見ると実にいかめしき大屋敷にて二三十棟の米蔵あり。牛馬はその数も知れず諸庵、客座敷の綺麗壮観さはただものの住まいにあらず、定めて所に富み栄える長者などの居屋敷なるべし。かかる所に宿取れば今宵の非時(ひじ/夕食)は料理なども念が入りならん。思いのままに飲み食いして日頃より食い足らぬ腹を肥やすは今宵にありと思えば一人ほくそ笑み引かれるままに沙和尚諸共に客座敷にぞ赴きける。
○かくて主の女どもは浄蔵師弟を▲もてなして、竜眼肉(りゅうがんにく)の湯を勧め、菓子には棗(なつめ)をうずたかく玻璃(はり)の皿に盛ったのを自らうやうやしくもていでて浄蔵弟子に勧めて言う様、
「一河の流れ一樹の影も他生の縁と聞くに、日本国より遙々と天竺へ赴きたまう聖たちを泊め参らせしはただ仮初めの縁ならず宿世ありての事なるべし。よって今また思う由を包まず申し試みはべり。そもそも天竺象頭山へはここよりも遙かでなお年月を重ねざれば容易く至り難しと聞けり、ただこれのみにあらずしてその道すがら幾ばくの悪魔ありて障礙(しゃうげ)なさん。されば旅寝に年老い朽ちて身は野ざらしとなるのみ。さらずば悪魔に伏(ぷく)せられて旅魂(りょこん)いたずらにさまようべし。これらを思えば天竺へ赴きたまうは愚かな業なり。我が家はぐどん氏にてわらわは金蓮(きんれん)と呼ばれはべり。今年は三十八才なり。夫はぐどん長者と呼ばれていと豊かな身なりしかども惜しや命が長からず近頃世を去りはべりしに家を継がすべき男の子なく娘ばかり三人持てり。よって第一の姉娘を無量(むりょう)と名付けしがはや十九才になりはべり。さてその次を智恵(ちえ)と名付けて十七才になりはべり。そが弟娘(末娘)の名は方便(ほうべん)。彼もはや二八(十六)になりぬ。同胞その性近しくて顔ばせもまたひなならず、縫い針の業、糸竹の調べもいずれに愚かあることなければ月雪花の三幅対(さんぷくつい)と人もうらやむものながら年頃婿を選べれどもまだ相応しき縁(よすが)もあらず、願うは聖、今より天竺へ行かんと思う志をひるがえし我が家の婿になりたまえ。姉娘の無量を上人の妻と定めて、その次々は御弟子たちの好みに任して娶(めあわ)すべし。この義を受け引きたまへかし」と繰り返しつつかき口説くのを浄蔵法師は耳に聞けども心の中ではつまはじきして黙然として物言わず、ただ眼を閉じ数珠をつまぐりさながら木仏に異ならねば、言う甲斐なしとや思いけん、金蓮はまた岩裂に説きすすめ、また鵜悟定に説きすすめて
「御弟子たち、我が言う事を空言と聞きたまうな。家に主が無いといえどもなお七蔵の宝あり。しかのみならず植えて三度穂を結ぶ大上田千町あり。その耕しの為に飼い置く牛馬は全て二三百匹。奴婢も二百余人あり、かつ山にはあまんの材木ありて切り出せども尽きる時なく海には無量のうろくずあって漁(すなど)る事に獲物多かり。一生使い尽くすとも子孫に譲るに余りある豊かな家の婿にとて請い願わるを嫌いたまうはそは人情にあらずかし。自ら思案したまえ」と託言(かごと)がましくかき口説けども、岩裂も沙和尚も黙然として聞かざる如く一言半句の答えをせざるをいともどかしく思う八戒は一人よだれを流してしきりに耳を傾けるがこらえかねつつ小膝を進めて浄蔵法師の衣の袂(たもと)を忙しく引き動かし、
「上人、などてかくまでに言われるを答えもせず自ら興を冷ましたまうぞ。思えば十万八千里の旅寝のうちに命終われば祀(まつ)られぬ鬼となるのみ。まず家刀自の所望に任せて、ここでおのおの妻を娶りて、さてその後に象頭山へ赴きたまうとも遅きにあらず。まげてその義に従いたまえ」と言わせもあえず浄蔵は眼を見張り声を苛立て、
「八戒、汝は迷いしな。我は古里を出てから寺にあえば仏を拝み、伽藍に入ればたうをはらうを務めとせんと思う由は象頭山へ赴いて金毘羅神王を迎えん由の大願を果たすためなり。よしやここらに貶(おと)しめられて大福長者となるとも宿願虚しくなるならばここまで来た甲斐もなし。汝はさまでにこのもしくは我は決して伴わず。還俗(げんぞく)して婿になれかべそせうをする事か」と腹たたしげに戒めるのを金蓮は聞いてあざ笑い、
「上人はひたすら出家の功徳を唱えたまえど、未だ在家の頼みを知りたまわず。およそ初春にあうごとに新しき衣を重ねて新年を寿き迎え、夏は河辺に涼みとり、秋は田毎の稲穂を取り入れ冬籠もりする。宿には時ならぬ桜すみに柳葉のこてこき混ぜて、炉の火を春の▲錦と見るめり。まいて夫婦の御愛まな子の愛着(あいちゃく)苦中(くちゅう)に無量の楽しみ多かり。出家に何らの徳があらん。いと嗚呼なり」とたしなめれば浄蔵は聞いて、
「さればとよ、御身は在家の楽しみを知れども未だ出家の楽しみを知らず、それ世捨て人の楽しみといいばよく恩愛の絆を断って繋がれること絶えてなければ苦海あい河に風たたず、身は低きにいて志高く、忍辱(にんにく)を喜びとすれば五塵六欲のために汚されず、私欲あらんことを求めざれども百味の御食(おんじき)に乏しからず、きよの安からんことを願わざれども極楽天道に至ることを得たり。されば殺生をことごとくして血をすすり肉を食らい妻子のためにほだされて最期の臨終正念(りんじゅうしょうねん)をとり失える在俗の煩悩苦言に比べれば出家の楽しみ無量なり」と言わせもあえず金蓮は眉をけたてて高やかに
「この痴れ者が舌長し。わらわは仏心で見る影もなき汝達を婿にと望むに疑って、あくまで己が功徳を唱えて在家をそしるは何事ぞ。その義ならば思い知らせん。後悔すな」と息巻き猛く身を起こしつつ間の襖をはたと閉(た)て切り奥の方へぞまかりける。それより後は茶もすすめず、まいて夜食の沙汰もなければ浄蔵師弟は苦々しく互いに目と目を合わせるのみで呆れざる者なかんけり。
その時八戒が進み出て浄蔵法師に向かい
「上人、さりとは飲み込み悪し。その内心はとまれかくまれ、しばらく彼の言うに任せて婿にならんと約束し、まずただ彼を喜ばせればもてなしもひとしおで斎(とき)もしたたか食らうべく、今宵を安く眠るべし。かくてこの明け方に出し抜いて発ち出れば彼また詮方なかるべし。これ善行方便、物堅きにも限りあり。方便という由を知りたまわずや」とたしなめれば浄蔵は頭を振って、
「そは善行方便ならず、ただ偽りを行うのみ。妄語戒を保ちしより我は仮初めにも空言で人を欺いたこと絶えてなし。我が心は既に決せり。無益の事を言わんより各々婿にならんと思わばこの所に止まるべし。我に遠慮することか」と言うと岩裂は微笑んで
「誰彼と言わんより八戒がここの婿になるべし。しからばまた我々まで祝儀の席に連なって酒も飲むべく飯をも食うべし。これ善行方便なり。人を救うは功徳莫大。ひもじき腹をかかえんより早くこの義に従えかし」と言えば八戒は眼を見張り、
「我、いかでかは婿になるべき。ただ師の坊の方便なくばかりち義にて果てしなければいささか意見を加えしのみ。我がひもじきに着きて思うに、久しく門辺に繋がれた馬も馬草が欲しからん。辺りの野原へ引きもて行って青草があればはますべし。あらしんどや」と身を起こしつつ外の方指していでにけり。浄蔵は遙かに見送って、「八戒が日頃に似ず身の飢えたるに思い比べて馬を哀れむは殊勝なり」と言うを▲岩裂が打ち消して
「八戒は淫をむさぼり栄華を願う凡夫の欲心が今さら盛んなるにいかでか馬を哀れむべき。事にかこつけこの場を立ちしは金蓮に密かに会って内談せんと思うにあり。彼は何事を言うやらん。それがしは後よりつけて行き、立ち聞きせん。いでいで」と言いながら早立ち上がり外の方指して出てみると果たして八戒は野辺にいたらず、馬をそこらに引き捨てて背戸の方へ赴くのを岩裂は見て一人うなずき、折ふし黄昏なればねぐら木あさる雀に変じて背戸の柳の梢に下り。とも知らず八戒は金蓮に会わばやと思えば心忙わしく馬をそこらに引き捨てて背戸の方より差し覗けば折り良く金蓮は厨におり、八戒なりと見れば慌ただしく立ち居出て
「御僧、よくこそ来ましたれ。御身の師でははべれどもあの上人の世事に疎(うと)き腹の立つまで情が強(こわ)ければ、とてもかくても言う甲斐なし。また面赤く鼻高く髪の毛の白い人も色青く口先尖って潮吹き(ひょっとこ)に似た法師も皆師の坊と同腹中(どうふくちゅう)で従う気色があらずかし。ただ御身のみは初めよりわらわが所望を喜ばし気に聞かれし由は推したり。かかればその三人は縁なき者にはべるかし。御身はここに留まりたまえ。三人の娘の内で気に入ったのを娶すべし。やよやよのふ」と言いながら背中叩いてそそのかせば八戒はしきりに小躍りして、「そは耳寄りの事ながら故なくして我一人留まるべしとも言い難し」と言うを金蓮は聞きあえず
「その義なれば心安かれ。わらわにいささか謀り事あり。斯様斯様に言いこしらえれば必ず御身を残されん。その折は抜かりたまうな」と言われて八戒は笑まし気に
「誠に御身は顔ばせが優れたのみならず、類希(たぐいまれ)な才女なり。この謀り事は極めて良し。しからば」と後辺を見返って談合に時を移しけり。
岩裂は既に大方聞き果てれば、さもこそあらめと微笑んで早先立って帰り来て、浄蔵と鵜悟定に八戒が金蓮と談合した事の趣をしかじかなりと告げれば、此彼ひとしく呆れ果て、嘆息の他はなかりけり。
かかりし程に、八戒は事ようやくに語らい果てて客座敷に帰り来れば、浄蔵は見て、
「如何に八戒。馬に草をはませたか」と問われて八戒は
「さん候、彼処に野辺がなかりしかば尋ねて時を移せしのみではませる暇(いとま)候わず」と言うと浄蔵は苦笑いして、「馬にはませる暇なければそこら辺りに引き捨て置いて婿になるべき内談合に時を移せしならずや」と言われて八戒は驚いて、それはとばかり口ごもれば岩裂はかくとうち笑い
「真に御身は顔ばせが世に優れたるのみならず類まれなる才女なり。その謀り事極めて良しと褒めたる談合整えば祝儀の酒をとく出させよ。思いのままに飲むべきに」と星を指すしたる見通しの言葉に八戒いよいよ呆れて、塵(ちり)を捻(ひね)っている時に金蓮が再び奥より出て浄蔵らに向かい、
「先には腹の立つままに言葉戦いしたれども、つらつら思えばかかる事は神仏の示現にこそ任せんと我も思い娘共も言うより観音寺に赴いて籤(みくじ)を取ってはべりしに上人とその余の二人は望みのままに天竺へ放ちやるこそよかんめれ。ただ八戒を止め置いて婿にせよとの霊宣は疑うべくもあらざれば、あからさまに告げはべり。この御弟子を一人たべ。もしこれをしも聞かれずばわらわもまたおなごの意地なり。四人ながら閉じ込め置いて、えこそは放ちやるまじきに」と言うと皆々手を打ち鳴らし「その義をいかでか否むべき。八戒もしか心得よ」と言われて八戒は頭を撫で
「一度出家したりしより在家の婿にならんとは、いやいや思いかけねども、否と言えば我のみならず師弟四人の難儀に及ぶと思えば我の運がつたなくて貧乏くじに当たりしか」と空辞退して立かぬるを金蓮はほほとうち笑い、
「今宵は黄道(こうどう)吉日なり。善は急げと世話にも言うにあなもどかしや。いざたまえ。やよさぁさぁ」と引き立てて翠帳(すいちょう)深く伴いけり。▲
さる程に、金蓮はその夜八戒を奥座敷に伴ってにわかに一間をかき払い、ぎやまんの灯籠をあちこちに掛ければ昼よりもなお明かりける。既に早、婚姻の用意も大方整えば八戒に向かい、
「わらわの娘は三人あり。いずれを娶しはべらんや」と言うのを八戒は聞きながら
「昔、唐土の大舜(しゅん)という聖人は娥皇(がこう)、女英(じょえい)という同胞を娶りし例(ためし)もあるに誰彼と選ばんよりも三人ともに娶せたまえ。我はことさら腎張り(じんばり/好色)なれば例え三人四人なりとも決してひだるい(ひもじい)目にはあわせず。御身も寡婦(やもめ)の閨(ねや)が寂しくば何時なりとも振る舞うべし。昔、在俗(ざいぞく)たりし時、女房一人なければ事足らず、思うものから百人前の耕しして舅の世帯を豊かにした手並みはこの身に覚えあり。三人共におしいだして、さぁ杯をさせたまえ」と言うを金蓮はうち笑い
「舜とやらはとまれかくまれ、天子より我々まで家に二人の女房が無いのは皆世の中の定めなり。所詮世に言う縁づくなれば姉を娶らば妹が恨み、妹を妻にすれば必ず姉が恨むべし。よって一つの思いつきあり。目隠しという技をして、よしや姉まれ妹まれ捕らえられしを妻とし定めば互いに恨みなかるべし。この義はいかに」とそそのかせば八戒はしきりにうなづいて「目ん無い千鳥は面白し。三人ながら呼び出して、その意を得させたまえかし」と言うと金蓮は声高やかに無量も智恵も方便もさぁさぁいでよと呼び寄せて、事しかじかと告げ知らせ、さて長い手拭いで八戒の両目を後ろざまに括り塞いで、サァ捕らしゃんせと突き放せば、三人の娘は手を打ち鳴らして、ここに現れ彼処に隠れと捕らえられじと隠らう程に、八戒は両の手に姉と妹を引き捕らえ、二人ながら娶らんものをと思えば辺りに斟酌(しんしゃく)なく大手を広げて走り巡れば、たちまち柱に鼻柱を打ち歪め、仰け反り倒れまた起き上がれば後ろから背中を突かれてひょろひょろと伏し転ぶのみ、一人も捕らえず果ては精のみ尽からして、あな苦しやと叫ぶのみで再び立ちも上がらねば、金蓮はしきりに笑って目ん無い千鳥で娶らせんと思うに甲斐無き御身ののろさとよへ得ざれば、これを止めて福引きにして引き当てられしを今宵即座に娶すべしと言うと八戒はうなづいて
「実に赤縄(せきじょう)のかかるところ、縁の糸とも世に言えば福引きはいと面白し。さぁさぁ縄の用意あれ。やよなうなう」と急がす時に予て用意やしたりけん、長い三筋の糸に白銀の分銅を付けて、早そのほとりへもていでて、サァ引きたまえと探(さぐ)らせれば八戒はいずれをがなと思いつつ選び取る糸がたちまち左右の手首へ絡(から)まり、後ろ様にぐつぐつとねじ上げ引き締めて、さながら有司(ゆうし)の罪人を戒めるに異ならねば、こは不思議やと身をもがき振り解かんとする時に松の梢に引き上げられて今までありつる姉妹も金蓮さえにかき消す如く形は見えずなりにけり。
○さる程に、浄蔵法師は岩裂、沙和尚諸共にその夜を客座敷で明かすになん、東はようやく白みにければ身を起こしつつ辺りを見ると怪しむべし宵に泊まりし大屋敷は跡もなくいと古(ふ)りたる松原に野宿して夜を明かせしなり。これは如何にとばかりに方辺を見れば、八戒は高手に小手を戒められて松の梢に吊られたる。その縄に札を付けて戒めの文言あり。渡天の難行は大方ならねば行く先もなお魔所▲多かり。道心堅固ならざれば大願成就せしめ難し。ここをもて観音薩た、文殊、勢至を語らうて○○○美人の姿を現しその道心を○○○みしに浄蔵法師の心移らず仏に仕える真心が堅固なること巌の如し、一人羽悟了八戒のみは昔の俗定(ぞくじょう)が未だ失せず、色に迷い欲に引かれるその心ざま汚れたり。よって戒め置くものなり。よくよく向後を戒めてこの度は許すべし。かくても心を改めずばその身を滅ぼす災いあらん。努めよかしと記されしを読み果てると八戒はいと苦しげな声をかけて「人々、我を救いたまえ救いたまえ」と叫ぶになん、浄蔵はその愚を哀れみて解き下ろさせて向後を戒め、その身は馬に乗って三人の弟子諸共に西を指してぞたどり行く、行く手の道ぞ遙かなる。
○これよりして人参果の大厄難の物語あり。作者病後の事にしあれば保養のために暇無し。そは六編に著すべし。また来る春を待ちたまえ、目出度し目出度し■
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