存在の耐えられない軽さ《渓流斎日乗》

探訪記者高田朋之介、号は竹林堂、字は渓流斎が綴る日々の逍遥録です。Pardon! Japonais seulement

カーチス・ルメイという歴史に残る人物

2017年08月13日 | 歴史


終戦記念日が近いということで、昨日のNHKスペシャルは「本土空襲 全記録」をやってました。

アメリカ人は、昭和19年7月にサイパンを陥落させると、本土爆撃を本格化させて、日本がポツダム宣言受諾を発表した昭和20年8月15日までに、日本全国66都市を空襲爆撃して、日本人45万9564人を殺めました。

当初は、神に選ばれた正義の使者の如く、軍事工場や軍事施設のみの空爆でしたが、日が経つうちに「動くもの全て」が攻撃目標となり、市民を巻き込む無差別爆撃に方向転換されました。

爆撃目標もあからさまに、学校や病院、駅舎、鉄道、電車と変わり、女性や子どもを多く含む大量の民間人の犠牲者を産みました。

この有様を爆撃機の底部に装着したガンカメラと呼ばれるカラーの映写機が撮らえて、合理的科学的手法で全記録を保存しておりました。

これは、戦争犯罪ではないんでしょうかね?

アメリカの論理は、女、子どもでも竹槍を持って歯向かってくるから、準軍人扱いでした。これに対してアメリカ人はマシンガンを持ってますが、竹槍は、まるでマシンガンより怖ろしい武器だという見方です。国家総動員法で学生も勤労動員に駆り出されて軍事工場で働いてますから、アメリカに刃向かう敵でした。

本土空襲の最高司令官が、カーチス・ルメイ(1906〜90年)という米陸軍航空隊少将でした。

彼については、消えてしまったかつての「渓流斎ブログ」に4〜5回書きましたが、もう既になくなったので、何度書いてもいいでしょう。

ルメイは、東京大空襲だけでなく、全土66都市の空爆と、広島・長崎の原子爆弾投下をトルーマン大統領(民主党)の命令(または追認)で、各部隊に指令した最高指揮官でした。

それにしても、何でアメリカ人は、日本の軍事工場や軍事基地の在処を知っていたのでしょうか?

いやあそんなの朝飯前でした。既にスマホのグーグルマップで、日本の全ての地形と市町村を把握しており(そんな馬鹿な!)、人口動態も産業構造も、地産地消も分かっており、日本語ができる日系スパイをあらゆるところに潜り込ませていましたから、最初から全てお見通しで、知らないのは無能な大本営本人だけだったというわけです。

勿論、日本文化も趣味趣向も家元制度も忠臣蔵の仇討ちも熟知し、教育勅語も諳んじてました。

だから、日本の家屋は紙と木で出来たアメリカの邸宅から見れば笑ってしまう玩具みたいな長屋で、ガソリンをばら撒いて火を付ければ直ぐ燃えてしまうか弱いものだということを最初から知っていました。

カーチス・ルメイは、そんなガソリンを混ぜた「焼夷弾」と呼ばれる爆弾を開発し、昭和20年3月の東京大空襲では、10万人以上の無辜の民を焼き殺して英雄となり、勲章を沢山もらいました。日本人から「鬼畜ルメイ」と恐れられ、イギリスからも勲章をもらいました。

戦時中のニュース映画では「一人でも多くのジャップ(日本人に対する侮蔑語)を殺せ」と雄叫びをあげてました。最高司令官とはいえ、まだ38歳という若さですからね。怖いものなしです。戦後になれば、「私は、100万人のアメリカ人の若い兵士を救うために、ジャップを一刻も早く降伏させたかったからだ」と正当性を主張しました。アメリカ国内では、歴史に残る英雄として祝福されました。

悪いジャップを虐殺して、米国民の生命を救ってくれたからです。

ところが、あろうことか、驚くべきことに、被害者であるはずの日本は昭和39年12月、安倍晋三現首相の祖父岸信介の実弟佐藤栄作内閣が、ルメイ将軍が「航空自衛隊の育成に貢献した」として、彼に勲一等旭日大勲章を授与しました。

これは、ローマのカエサル暗殺よりも、フランス革命よりも、世界史に特筆すべき画期的な出来事です。

ローマに敗れたカルタゴも、アレクサンダー大王の軍門に下ったペルシャも、かつての敵に勲章を授与したりはしませんでした。

ルメイに殺戮された日本の無辜の市民はこれで二度も殺されたことになりました。

一度目は敵に、二度目は味方に。
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