マルセル・デュシャン「死ぬのはいつも他人」《渓流斎日乗》

探訪記者高田朋之介、号は竹林堂、字は渓流斎が綴る日々の逍遥録です。Pardon! Japonais seulement

藤田伝三郎を知っとるどすかえ?

2017年05月16日 | 歴史

藤田美術館

京洛先生です。

渓流斎さんとやら、駄目ですねえ。関東のローカル、しかも池袋みたいな場末の盛場の話ばかり書いていては駄目ですよ(笑)。

渓流斎ブログは、関西でも、京都三条商店会の「力」の女将さんをはじめ、多くの方に読まれているのですからね(笑)。

昨日取り上げて下さった藤田美術館及び藤田財閥の創業者藤田伝三郎の由来は、もうお分かりだと思います。藤田は長州出身で大阪で活躍した実業家です。甥の久原房之助は、日立、日産等の創業者の一人で久原財閥の総帥。久原の自宅は今、東京・白金の八芳園になっています。

 藤田伝三郎の大阪市都島区の豪邸は戦災で焼け、戦後、美術館や結婚式場の「太閤園」などが出来ました。美術館は老朽化したので、今回、建て替え修復するため、当分休館になったのです。
 そこで6月11日まで、所蔵品の”虫干し”も、兼ねた「ザ・コレクション」展をやっています。
 国宝9件、重文52件を所蔵する同美術館ですが、小生が見てきたのは「曜変天目茶碗(南宋時代)」「仏功徳蒔絵経箱(平安時代)」「紫式部日記絵詞(鎌倉時代) 」「玄獎三蔵絵巻第五(鎌倉時代)」「柴門新月図(室町時代)」「大般若経(奈良時代)」「深窓秘抄(平安時代)」などで、所蔵のほとんどの国宝が惜しげもなく並んでおりました。

 東京都内の美術館のように大勢の人でごった返していないので、ゆっくり、じっくり、これら国宝が眺められるのは何とも贅沢な機会でした。
 これで入場料が800円。しかも、道を隔てた宴会場「太閤園」のカレーライス、喫茶の出来る割引券まで付いているのですから有難いですね。

 あの東京・南青山の「根津美術館」内にあるチマチマした喫茶コーナーの混み具合とは雲泥の差です(笑)。

 緑が眼に染みる「太閤園」の景観は撮りませんでしたが、恐らく、渓流斎さんなら 「凄いですね!椿山荘みたいですね。こんな大きな庭を眺めていると気持ちが安らぎます」と感嘆されることでしょう。

 御存知、元勲山県有朋の大豪邸だった東京・目白の「椿山荘」も、今は藤田と縁のある「藤田観光」が経営していますから、同じような雰囲気、景観だと思われたら良いでしょう。

 藤田は長州の酒屋出身ながら、高杉晋作の奇兵隊にも参加しています。維新後、西南戦争で被服、食糧、軍靴、人夫斡旋などで巨万の富を築き、井上馨と手を組んだ贋札事件はじめ、様々な政治・経済の裏工作に関わり、莫大な資産を手に入れた人物です。明治時代、いかに大阪が「商都」として日本の経済を動かしていたかの例証です。

つまり、藤田はこれだけの国宝を収集できるほどの財力を蓄えたということです。

 今の「維新」とか言っても、”チンピラ弁護士”風情に振り回されていただけだったとは実に情けない。昨今、大阪がいかに地盤沈下して、善悪ともにスケールが小さくなったかがよく分かります。

 タレント弁護士さんは、文楽や曜変天目など伝統藝術には全く無関心で、見世物小屋の延長の「万博」程度しか興味がないのですから酷いものです。それをまた支持投票している有権者のおつむの中身も似たようなものでお粗末です。

嗚呼、実に嘆かわしい!世も末です。
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