バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

その名は『平和』

2016-08-21 16:22:41 | 礼拝説教
016/8/21礼拝説教
【テーマ】  愛の人・信仰の人
【説教題】 「その名は『平和』」
【聖書箇所】 ローマ14:19-23
14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
14:20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人の場合は、悪いのです。
14:21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。
14:22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
14:23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。

○ 8月15日は「終戦記念日」ですが、同時に多くのキリスト教団体・教会は「信教の自由を守る日」としています。戦争という人の命も人権も無視した中で、信仰の自由さえも奪われていました。こうしたことが二度と起こらないように「信教の自由を守る日」とされ、祈って参りました。誰もが「平和」を求めていますし、平和な世界になることを祈っています。しかし、平和はまず身近なところから、私たちが造り出すものではないでしょうか。

Ⅰ.平和を造り出そう
A.平和はイエス様の願い
1.イエス様は マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。 と言われたように、クリスチャンが平和をつくることを望んでおられます。平和をつくる者が「神の子」なのです。
2.しかし、またイエス様はこうも言われました。 マタイ10:34 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。 この地上がサタンの支配にある以上、イエス様はそのサタンに対して戦ってくださいます。私たちはサタンにも罪にも打ち勝てない者です。しかし、イエス様が勝利して、私たちに神との平和をくださるのです。
3.真の平和は霊的な部分にあるのです。単に地上で戦争が無くなったとか、テロが無くなったら平和になるというものではなく、人々が神と和解をすることで生み出されるのが「平和」です。

B.教会は平和を造り出すところ
1.ですからイエス様は、私たちも平和を造り出すことを願われています。あなたはどの様にして平和を造り出しますか? まず、教会の中で平和に過ごすことです。パウロは何度も食べ物のことを言っていますが、考え方の違い、性格の違いは受け入れ合うべきなのです。
2.私たちの教会では何かで裁いていることがあるでしょうか? 強い人が弱い人を苦しめているということがあるでしょうか? 誰もが自ら平和を造り出すのです。教会は積極的に平和を生み出すところです。
3.国の不安定さのため難民となって他国に移住される方々は、平和な国へと向かわれるのです。教会は霊的に平和なところです。魂に平安を求める人がこの「平和」を求めて来る場所なのです。

Ⅱ.成長しよう
A.教会は互いに成長するところ
1.誰もが信仰の成長を求めていると思います。そして、その信仰を測るのが、奉仕の量であったり、礼拝出席率であったり、お祈りの上手さであったり、伝道の時間数であったり・・・しやすいのですが、確かにこれも間違っているわけではありません。しかし、これらのことができるから信仰があるというのでは無く、信仰があるからこれらのことができるというのが良いのです。
2.赤ちゃんが成長するのを喜ぶように、人が霊的に成長するのは喜びです。そのスタート、赤ちゃんとして生まれるのは「イエス様を信じたとき」です。ここから霊的な成長が始まります。赤ちゃんが最初はミルク、次いで離乳食と進み、ハイハイからつかまり立ちと成長していくように、クリスチャンも柔らかい食物からだんだん堅い食物、簡単な奉仕から難しい奉仕へと向かうのです。そうしていく場所が教会です。
3.大人のクリスチャンがミルクしか飲めない赤ちゃんに肉を食べろとは言わないのです。野菜しか食べない幼いクリスチャンに肉を食べないと一人前ではないとは言わないのです。その人をそのまま受け入れるのです。ただ、成長が止まっているのは困るのです。成長できるように助けるのも教会です。

B.疑いから信仰へ成長しよう
1.私はクリスチャンになってしばらくは嬉しくて嬉しくてどんどん奉仕をして成長したと思います。ところが奉仕をし続けているのですが、疑いが生じたのです。「確かに信じたのだけど、本当に神はいるのだろうか? 別に何も感じないし、何も起こらない」と神の存在さえ疑うようになりました。疑いが起こっているということは、立派に奉仕しても「信仰」では無いわけです。これは罪ですね。 14:23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。 とあるような状態です。
2.どうしてこうなったかというと、一つは知識不足です。聖書の知識をきちんと知っていなかったからです。人間には神様から良心が与えられています。神に関する知識が少なくても自分の良心に恥じない信仰を持つことはできます。  14:22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
3.もう一つは聖霊の満たしが無かったからです。さらに愛が無かったからです。聖霊に満たされた時から私は神に対する疑いは消えました。でも、教会の平和のためには互いに愛の成長を求めて行く必要があります。

● イスラエルの第3代の王様ソロモンはダビデの子で、ダビデ王が建てたかった神殿を建てた王です。しかも彼は戦争の無い、平和な政治を行ったのです。ソロモンという名は「シャローム(平和・平安)」に由来しています。正にその名は「平和」です。しかし、いくら「平和の王」ソロモンといえども、神に従い通せたわけではありませんでした。神との平和を持ち続けたのはイエス様だけです。イエス様こそ「平和の王」です。このイエス様が私たちに教会という神の家族が愛し合い、平和であるようにと願っておられるのです。

★ 教会は、子ども達をしっかりしたクリスチャンに成長させることも大事な仕事です。子ども達と平和をもち、子ども達と霊的成長に役立つことを追い求めるのです。

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