バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

共に成長する人々

2016-08-28 17:06:03 | 礼拝説教
2016/8/28礼拝説教
【テーマ】  教会は成長する
【説教題】 「共に成長する人々」
【聖書箇所】 ローマ15:1-6
  15:1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。
15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。
15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

○ 教会は何をするところでしょうか? 礼拝するところに始まって、色々あると思います。その大きな一つに礼拝者を育てるところでもあると思います。

Ⅰ.弱さを担う人々
A.弱い者に合わせる
1.教師時代、まるでドラマのようなことが幾つもありました。しかも、あの6年間の教師時代だけが健康だったように思います。そのような中で、3年生を担任した時のこと、病気のために年間の半分以上を欠席していた女の子Mさんのことですが、彼女は病気のために小学生の時から、ずっと校外学習などの行事に参加できませんでした。中学3年生で修学旅行の時期が近づきました。私は彼女が欠席前提でプログラムを組みました。そんな時、お父様から「この子にとってこれが最後の学校行事です。先生、何とか修学旅行に連れて行ってもらえませんか」と頼まれました。7時間、バスで信州へ行く計画ですからきついものです。医者の指示を守ることで了解を得、一緒に行くことにし、クラスでMさんも一緒に行くということでの話し合いをしました。私のクラスのバスが先頭を走ることにしていただき、バスの途中休憩を大目にとっていただきました。お医者さんの指示である一つ「夜10時には就寝させること」がありました。しかし、普通10時就寝になっていてもみんな寝ないものです。それを女子生徒達は話し合ってくれ、「同じ部屋で無くてもみんなMさんのために10時に寝よう」と決めました。すると男子までもが、「女子だけにさせるわけにはいかん。俺たちもそうしよう」と。他のクラスが遅くまで起きていても、わがクラスは10時に寝たのです。弱いMさんにみんなが合わせてくれることで楽しい修学旅行になったのです。実はこれがきっかけで、9月最初に行われる水泳大会にMさんも出場させてあげたいとなりました。プールに入ったことの無いMさんが水泳大会に出られるのか??私の方が疑問でした。夏休みに多くの登校日を設け、水泳の練習にも当てました。彼女はビート板を使っての25m自由形にでることにしました。当日、何度も立ち止まり、泳ぎをくり返して25mを行くのですが、大幅に時間がかかりました。しかし、11クラスみんな歓声と拍手で応援してくれるのです。大事な水泳大会をMさんに合わせてくれたので、感動的な水泳大会となりました。
2.強い者に合わせると、弱い者は排除されるのです。教会でも同じかと思います。お子さん連れの方が遅れ気味で来られるので、後ろの席を親子席にしました。祈りを突然当てられるのが困るという方のためにその方には祈りを当てないように司会者にお願いしました。(他の教会では奉仕表に祈り担当も書き込まれています。)新しい方のために、礼拝の中では大きな声や異言で祈るのを控えていただいています。2階に上がるのがきつい方のためにランチを1階で食べられるようにしました。弱い人のために皆ができる限り合わせてきました。
3.しかし、弱い人が当然の権利だからとふんぞり返ってしまうとそのとたんにその弱い人達は強い人に変わってしまうのです。ここがお互いに裁かない、受け入れ合うことの大切なところです。

B.自分を喜ばせない
1. 15:1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。 と、パウロはイエス様を思って言いました。私たちは自分を喜ばせたいし、自分の益を求めたいのです。ということは強い者であっても自己中心という罪をかなぐり捨てることができずに生きているような者なのです。
2.自分を喜ばせるべきではありません。 と、言うほどに自分を捨て、弱い人のために奉仕することができるのはイエス様以外に無いのかも知れません。事実、イエス様は一度も自分を喜ばせるようなことはなさっていません。私たちもイエス様を模範として生きるというのはこの生き方なのでしょう。
3.それは、単に自己犠牲というのでは無く、 15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。 と、弱い人が喜び、その人の益となり、その人が成長していくための自己犠牲です。そして、その自己犠牲は犠牲と感じなくなる、聖霊によって喜びと変えられるものなのです。

Ⅱ.最高の礼拝を目指す人々
A.イエス様の忍耐
1.イエス様は世界一強い方です。そのお方がこのように言われました。 マタイ11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 私たちにイエス様と同じくびきを負うように言われました。しかもイエス様は わたしのくびきは負いやすく と言われました。イエス様は強いお方です。ぐいぐい引っ張ることのできる方です。そうされるとくびきで繋がった私たちは引っ張られっぱなしで大変です。しかし、イエス様は私たちに合わせてくださり、最高のリードをしてくださるのです。そういうお方です。これがまたリーダーシップです。
2.イエス様はどれ程私たちのために忍耐してくださったことでしょう。 15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。 と、この地上の真の王であるイエス様がご自分を喜ばせることだけを考えても良かったのに、そうなさらず、人々のことだけ考えられたのです。

B.みんなの成長のために
1.ある他教団の牧師夫人のブログにこんなのがありました。
   クリスチャンの4つの段階
1・群衆・・・興味、関心がある。信じてみたいと思っている。多くはご利益を求めている。
2・信者・・・キリストを信じている。神を知っている。聖書を知っている。
3・キリストの弟子・・・信じている、知っているだけにとどまらず、御言葉を実践し、御言葉に従う生活を選び取る。キリストに従っていきたいと願い、行動する。
4・リーダー(牧師、教職、役員、女性リーダー、○○会のリーダーなど)・・・伝道や牧会、教育や指導ができる。
「信仰継承」という場合、目指すべきは「キリストの弟子」を育てることです。
 私たちは、このどの段階にいるでしょうか? 3あるいは4であるべきなのです。
2.教会の一致と成長には忍耐と励ましが必要です。 15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。 15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。 と、最高の礼拝を献げるようになるためです。

● 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 ここに帰ってきます。最高の礼拝です。

★ あなたは最高の礼拝者ですか? そして、最高の礼拝者を育てていますか?
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