バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

アブラハムの祈り

2017-07-30 17:04:41 | 礼拝説教
2017/7/30礼拝説教
【テーマ】  祈りの祭壇を造る
【説教題】 「アブラハムの祈り」
【聖書箇所】 創世記12:7-8
  12:7 そのころ、【主】がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は【主】のため、そこに祭壇を築き、【主】の御名によって祈った。

○ アブラハムが信仰の父と呼ばれるようになったのは、「主の御言葉に従順であったこと」「公的な礼拝のため、そして主の御名を呼ぶために祭壇を築いたこと」にあります。こうしてユダヤ人が「アブラハムの神」とまで言うようになったアブラハム。ユダヤ人はその子孫であることを誇りとしているのです。

Ⅰ.祭壇
A.祭壇がない教会
1.私たちの教会ではまず「祭壇」という言葉を使うことがありません。しかし、他の団体のクリスチャンの方が会堂に入って来られて「祭壇はどちらでしょうか?」と尋ねられることがあります。また、お葬式の時には業者さんから「祭壇はどのようにしましょうか?」と問われます。宗教には結構祭壇がつきものです。
2.ユダヤ人にとりまして「祭壇」は生け贄をささげる大事なところで、そこが礼拝の場所でした。現代は生け贄がありませんからそういう祭壇はありません。ある教会は立派なテーブルに聖書やろうそくを置き、花を飾って祭壇としています。

B.最初の祭壇
1.聖書の中で「祭壇」という言葉が出てくるのは創世記8:20のノアが箱舟から出た時に祭壇を造り神を礼拝した箇所です。それより前にはアベルが家畜をささげに来たところがありますが、「祭壇」という言葉はありません。
2.ノアの次に祭壇を築いたと書かれているのが、今日のテキストのアブラハムです。アブラハムは行った先々にまず祭壇を築いています。

C.アブラハムがしたこと
1.アブラハムが祭壇を築いた理由はそこで神と出会うためです。神と出会うためには傷の無い最上の家畜を生け贄としてささげることでした。それによって神が近づいてくださると信じていたのです。
2.また、祭壇の所で彼がしたことは 【主】の御名によって祈った ことです。神がそばに来てくださって、彼は神と語り合うことができたのです。彼にとって、神様はそのお名前を使わせていただける関係になったのです。

Ⅱ.祈った時、祈らなかった時
A.とりなしをするアブラハム
1.また、創世記18章で、主がロトの住むソドムとゴモラの町を滅ぼすと言われました。それに対してアブラハムはとりなしの祈りをします。ここでも、彼は主と語り合って、とりなしをしています。50人の正しい人がいると思ったけれども、もしかしてと10人まで値切る話です。
2.結果的にはソドムとゴモラは滅ぼされますが、ロトは助け出されました。10人も正しい人はいなかったのです。しかし、彼のとりなしがなければ、ロトはどうなっていたでしょうか? とりなしの祈りはとても大事なのです。

B.祈らなかったアブラハム
1.このような祈りの人アブラハムですが、その彼が祈らず失敗した話があります。約束されたはずの子どももが生まれないために、サラの願いを聞いてハガルに子どもを生ませたことです。また、ゲラル滞在中、自分の命の危険を感じてサラを妻と言わず、妹と言ったことです。
2.アブラハムが祈らずに判断したことは、当時の一般的な常識では問題無かったかも知れません。しかし、神のみこころには沿わなかったのです。そのためにハガルやイシュマエル、ゲラルの王アビメレクに罪を犯させるところでした。

Ⅲ.祈りの祭壇
A.神の声を聞くアブラハム
1.アブラハムと祭壇という言葉で私が真っ先に思い出すのは、神がイサクを献げるように言われた箇所です。アブラハムはモリヤの山に登って祭壇を築き、イサクをその上に寝かせ、まさに刀を振り下ろそうとした時に神からストップがかかりました。
2.アブラハムが神の声を聞くことのできる人であったことはすばらしいと思います。神の声を聞き逃すことが多ければ、このイサクの場面でも聞き逃して、殺していたかも知れません。彼は大変な試練を受けたのですが、同時に嬉しい神の声を聞くことができたのです。彼は祭壇で神と会う人でした。

B.私たちの祭壇
1.確かに祭壇というのは昔は石を積み上げて造り、生け贄を献げるところでした。しかし、イエス様が私たちの身代わりとなってくださった今、そういう祭壇はいらなくなりました。
2.今や、 ヘブル13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。 と、賛美の生け贄なのです。主にひれ伏す場所、主に賛美する場所こそ私たちの祭壇です。この会堂は祭壇でなければなりません。神とお会いする、神に祈る祭壇です。

★ 私たちは恵まれた時代にいます。いつでも主が共におられるというすばらしい時代です。アブラハムのように行く先々に祈りの祭壇を設け、神様とお会いしましょう。主の御名によって祈りましょう。
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