バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

十字架による救い

2016-03-21 06:59:13 | 礼拝説教
2016/3/20受難週礼拝説教
【テーマ】  受難
【説教題】 「十字架による救い」
【聖書箇所】 マタイ27:45-46
  27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

○ イエス様はいとも簡単な裁判で十字架刑に処せられることになりました。しかし、裁判を仕切ったピラトはどうしてもイエス様を「有罪」にできませんでした。それは、イエス様が罪を犯されなかったからです。ではなぜ、十字架刑になったのでしょうか? それはユダヤの指導者達の企みによるからです。

Ⅰ.全地が暗くなった
A.世界は闇、人々の心も闇
1.イエス様の十字架の時に人類のドラマが凝縮されたように表されました。確かに太陽によって夜が明け、明るい昼間を造られたのは神様です。しかし、その明るい昼間の12時から3時まで全地が暗くなりました。
2.人々は自分の人生が昼間のような時にはまるで自分には罪が無いかのように思い込んで生きています。しかし、病気をしたり、困難が来ると暗闇のようになり、死後、自分はどこにいるのだろうかと考えるものです。
3.イエス様の十字架の時、全地が暗くなり、人々は恐れを感じました。それが世界の姿であり、人の姿です。闇です。

B.光であるイエス様が死ぬ
1.イエス様は ヨハネ12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。 と言われたように、イエス様は世界の光です。そのお方を人々は排除したことになります。つまり、このイエス様を信じないと言うことです。信じる者は光の中にいるのですが、信じないということは闇の中に留まることです。
2.イエス様をこの世から抹殺するということは、人類にとって世の中を闇にすることです。昔、ジャングルの奥地にある地域では部族間の戦いが続き、相手部族を食べていたといいます。そんな闇の地域に宣教師が入っていきました。宣教が大変だったのはいうまでも無いのですが、その後、一つの部族がイエス様を信じました。彼らは人を食べることを止め、戦いも止めたそうです。そして、他の部族にまで広がり、殺し合いも、人を食べることも無くなったといいます。この地の闇が消えたのです。イエス様によって光が来たのです。反対にイエス様を追い出すことは闇です。

Ⅱ.イエス様は叫ばれた
A.エリ、エリ、レマ、サバクタニ
1.裁判の時にも黙っておられたイエス様が十字架の上で叫ばれました。聖書に記されている、十字架の上でのイエス様の言葉は七つあります。今日のテキストはその一つです。 「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 と。
2.苦しくて叫ばれたのでしょうか? 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」 と叫ばれたので、人々は「エリヤを呼んでいる」と思いました。しかし、これはエリヤではなく、エリ、つまり神様です。
3.イエス様はいつも「父よ」と呼んでおられたのですが、ここでは「神よ」です。これはイエス様と父なる神様が親しい関係でなくなったことを示しています。罪人として「神」と呼ばれたのです。つまり、イエス様は私たちの罪を身代わりに背負われたということの証拠です。

B.祈りが聞かれなかったら
1.このイエス様の祈りの言葉を読んでいて、ふとこれが私の言葉となってしまったらと考えるとゾッとしました。「主よ、助けてください」と叫んでも何の答えも無かったらどうでしょうか?
2. マタ 7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。 と、「主よ、主よ」と叫んでも何の答えも無く、神に見捨てられてしまったら。
3.イエス様のこの言葉はまさに私の言葉を代わって言ってくださったのではないかと思ったのです。それはまさに叫びなのです。「救ってください!」「助けて!!」と。

Ⅲ.この十字架以外に救いは無い
A.生け贄は不完全
1.救うのは天の父なる神様です。その方法を私たちが決めることはできません。私たちには何の力も無いからです。神様が決めた方法はイエス・キリストを信じるなら救われるという方法でした。
2.イエス様が私たちの罪の身代わりに十字架で死に、生け贄となってくださったのです。なぜ十字架以外に救いは無いのでしょうか?
3.神様は罪の結果は死だと言われました。それは命の血を流し出すことでした。人の罪を赦すために神様は昔「生け贄」という方法を考えられました。しかし、動物では完全な赦しにはならず、一時的で、完全な赦しが後に来ることが預言されていたのです。

B.完全な救い
1.預言の成就としてイエス様が来られました。そして、その預言された救い主がイエス様であることを示すためにイエス様は神の子としての活動をされ、行いによるのではなく、イエス様を信じるだけで救われるというこの神様の計画を語り続けられました。
2.事実、イエス様を信じた人には罪の支配は消えました。罪を犯さなくなったというのではありません。この肉体から解放された時、魂の滅びではなく、神の領域に入るということです。

★ 全ての権威は神様にあります。そして、神様は絶対義なる方なので、罪はどんなにちいさくても赦されないのです。そこで、罪の肩代わりを計画してくださったのです。その方法は、① 私たちが罪を認めること、② 罪を悔いること、③ 神様に赦してくださいと言うこと、④ イエス様が罪の肩代わりをしたことを信じること なのです。
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