バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

キリストの弟子の行い

2016-04-10 17:47:17 | 礼拝説教
2016/4/10礼拝説教
【テーマ】  愛の行い
【説教題】 「キリストの弟子の行い」
【聖書箇所】 ローマ12:13
 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

○ 久しぶりにローマ人への手紙を見ることになります。12章はクリスチャンとしての生き方が教えられています。しかし、それは決して律法的ではないということをお伝えしてきました。今日のところも聞き耳を立ててみましょう。

Ⅰ.聖徒
A.聖徒とは
1.聖徒とは誰のことでしょうか? 皆さんは自分は何だと言いますか? 「クリスチャン」ですか? 「キリストの弟子」ですか? 「聖徒」ですか? この言葉全てがイエス様を信じる私たちのことです。
2.当時のイエス様を信じた信者は、周りの人々から「クリスチャン」と呼ばれるようになりましたが、自分たちは「キリストの弟子」と呼んでいました。救われた人はみんな「弟子」なのです。私たちはみんな「キリストの弟子」です。自覚はありますか?
3.パウロはクリスチャン達を「聖なる(信)徒」と呼びました。イエス様によって罪無き者とされた聖なる者だからです。

B.弟子とは
1.使徒の働きには 2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。 や、 6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。 というように、信徒の数が増えたとか、教会員が増えたとか書いていません。
2.教団への報告書に、教会員の人数というように書きますが、「キリストの弟子」の人数という書き方はしていません。しかし、イエス様を信じた人はみな「弟子」なのです。

Ⅱ.聖徒の入用
A.共に恵みに預かる
1.この箇所は新共同訳聖書では 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け となっています。当時も貧富の差は激しく、クリスチャンの中にも大変貧しい人がいました。その彼らの入用に協力しましようとしたのです。単に持つ者が持たない者に一方的に恵んであげるということでは無く、 協力 であり 貧しさを自分のものとして なのです。共に神の恵みに預かるということです。つまりささげることで喜びを共にするのです。
2.私たちは献金をすることで、このことを世の人々よりかなり学んでいるはずです。世の人々から見ると、あんなに多くのお金、もったいないのになぜ献金するのだろうと思うはずです。神社などでお賽銭をしてもワンコインでしょうから、ビックリされるものです。
3.しかし、クリスチャンは献金を「もったいない」と考えてはいません。これは神様のため、教会の必要のために使っていただくのであり、共に神の恵みに預かることと理解しているからです。

B.私たちの入用
1.私たちはクリスチャンになる前、何が入用だったでしょうか? 罪の赦しです。永遠の命です。その私たちの入用はイエス様によって成し遂げていただいたのです。イエス様が私たちの 貧しさを自分のものとして くださり、身代わりの十字架にかかり、私たちの入用をくださったのです。イエス様はご自分の命さえもったいないとは思われなかったのです。
2.ですから、仲間の中で困窮している者にあわれみの手を差し伸べるというよりも、その人を助けるということで共に神の恵みに預かっているのです。
3.互いに「聖徒」であり「弟子」である私たちはイエス様の心を心として入用に協力するのです。

Ⅲ.旅人をもてなす
A.旅人の危険
1.当時、ローマ帝国の首都や港町は結構いかがわしい宿泊所が多かったようです。クリスチャンの旅人がそういうところに泊まることになるというのは、罪の誘惑が多く非常に危なかったのです。クリスチャンの旅人に安心できる宿を提供することは緊急課題であったのです。
2.私たちはこの地上にあっては旅人です。罪赦された「聖徒」とはなっていますが、罪は犯します。私たちも常に罪の誘惑の多いこの世の中に生きているのです。危険だらけです。

B.もてなす
1.ある英語の聖書には「ホスピタリティ(hospitality)」とあります。これは「思いやり」「心からのおもてなし」という意味です。当時の旅行者には巡回伝道者たちもいたわけで、そういう人たちをもてなすのはクリスチャン達の特権であったと言われています。
2.現代、この世の旅人である私達は互いにもてなし合うべきなのではないでしょうか。キリストが私たちをもてなしてくださったように、私たちイエス様の弟子達がもてなし合うことが、神様の願いなのです。

● 現代は子どもたちも危険だらけではないでしょうか? インターネット、携帯、ゲーム、薬物、性的問題、現代の子どもたちはかつて無いほどに人格をゆがめるような危険が一杯です。その子どもたちの入り用とは何でしょうか?

★ 私たちは「聖徒」です。「キリストの弟子」です。イエス様の愛を受けて、今、私たちがイエス様のなさりたい愛の行いをすべきなのです。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« イエス様の不思議な体 | トップ | 祝福しましょう »
最近の画像もっと見る

あわせて読む