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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

山を動かす祈り

2017-07-09 17:10:28 | 礼拝説教
2017/7/9礼拝説教
【テーマ】  信仰の祈り
【説教題】 「山を動かす祈り」
【聖書箇所】 マタイ21:21-22
 21:21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。
21:22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」

○ 今までで奇跡的な出来事を願って祈ったこと、それが聞かれたという経験、証はどれくらいありますか?

Ⅰ.数々の奇跡的な出来事
A.奇跡は起こりうる
1.目の前にある山に向かって『動いて、海に入れ』と言いさえすれば、どんな山も海に移動するでしょうか? あり得ないですね。私は試しにやってみたことがありますが、富士山は海に入りませんでした。もし動くなら、今頃世界中の山が海の中です。
2.では、この御言葉はウソなのでしょうか? いいえ、必要とあらばその通りになります。祈りは私たちのわがままが聞かれるというのではありません。当たり前ですが、神の御心がなるのです。

B.旧約聖書の中から
1.聖書の中に出てくる大きな奇跡を見てみましょう。出エジプト14章では、出エジプトをしたイスラエル人の目の前に現れた紅海。モーセの祈り(杖を上げるという信仰の行為)によって海は真っ二つに分かれました(出エジプト14:21)。
2.ヨシュア記では、ヨシュアが祈ると太陽も月も一日ほど止まったのです(ヨシュア10:12-13)。
3.Ⅰ列王記では、預言者エリヤが祈ると天から火が下り、祭壇の生け贄を焼き尽くしました(Ⅰ列王18:37-38)

C.新約聖書では
1.イエス様に至っては、死人を生き返らせ、病人を癒し、水をぶどう酒に変え、水の上を歩かれ、嵐を静め、パンを増やすなど実に多くの奇跡を行われました。
2.その後、使徒達も使徒の働きに見るように、やはり多くの奇跡を行っています。そしてそれは決して聖書時代だけで終わっているのではなく、現代にまで引き継がれています。
3.だからといって祈ったこと、願ったことすべてが聞かれて奇跡的なことが起こっているわけではありません。

Ⅱ.奇跡と信仰
A.何のために奇跡を起こされるのか
1.奇跡は人間にとって奇跡であり、驚くべき出来事ですが、天地万物をお造りになった神様にしてみれば別に奇跡でも何でもありません。
2.奇跡的なことを起こすことで神様は人々に自分を信じてもらおうと考えておられるわけでもありません。ただ、神がどのようなお方なのかを見失った人々に再確認させるために奇跡を行って、全能の神を確認させておられるのです。
3.イエス様はご自身が旧約聖書に預言されたメシヤであること、しかもご自身が神であることを示すために「しるし」としての奇跡を行われました。

B.見ずに信じる幸い
1.私は友人達にイエス様を信じてもらいたくて奇跡を願ったことがあります。何か奇跡を起こしていただければ信じるのではないかとおもったからです。しかし、願いながらもそれが神様の御心のように思えなかったのも事実です。
2.何しろイエス様は復活という奇跡的な出来事を弟子達にしか現さなかったのです。不信仰な人に見せればみんな信じるのではないかと私は不思議に思ったのです。しかし、その見て信じるというのは「信仰」では無いからのようです。
3.山のような問題が起こり、それを取り除いて欲しいと願った時、信仰はその山を見つめることでは生まれてこないのです。何を見るのかというと、神を見つめるのです。信仰は神を見つめることで生まれてくるのです。

Ⅲ.一歩踏み出すこと
A.いつ奇跡は起こるのか?
1.ヨシュア記3章にも奇跡的な出来事が記録されています。ヨルダン川の水が堰き止められた話です。 ヨシュア3:15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、──ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが── 3:16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。 
2.この話の大事なポイントは何でしょうか? 神様から命じられたのですから、その奇跡的なことは起こるのですが、水が堰き止められたから歩き始めたのでは無いのです。水に足を浸した時に堰き止められたのです。
3.状況が自分の願っている状態になったから実行するのであれば、信仰はいらないかと思います。

B.信じて始める
1.イエス様が マタイ 5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。 と言われ、パウロが Ⅰテサロニケ 5:16 いつも喜んでいなさい。 と言ったのは、喜べる状況になったから喜びなさいではありません。迫害下にあってもそうせよというのです。
2. 21:22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。 というこの言葉。「信じて求める」というところがとても大事なのだと思います。


● 脳の研究が進む中でわかってきたことに、面白いから笑うのか、笑うから面白いのかという研究結果、笑うから面白いのだということがわかったのです。漫才などが面白いから笑うのですが、実はその面白いと感じるわずか0.何秒か前に笑うことを脳が決めるのだそうです。すると人は面白いと感じられるのだそうです。つまり、喜ぶことを決めると喜びが湧いてくるのです。感謝することを決めると感謝が湧いてくるのです。神様はクリスチャンで無くても全ての人間にそのような信仰の決断のようなものができるように創ってくださっているのです。ですから、私たちが聖書をよく知って、神の御心を知的にも学び、体験的に神の愛を知っていくと、この喜ぶこと、感謝すること、そして、何を祈るべきかもわかってくるのです。

★ 信仰の祈りをする人は山に向かって動けとは言わないのです。神を求めるのです。すると、神の願いがわかることで祈りが決まるのです。
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