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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

心に迫る思い

2016-03-06 18:26:18 | 礼拝説教
2016/3/6礼拝説教
【テーマ】  十字架
【説教題】 「心に迫る思い」
【聖書箇所】 マタイ26:6-13
  26:6 さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、
26:7 ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。
26:9 この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」
26:10 するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。
26:11 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
26:12 この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
26:13 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

○ 3月25日は受難日といって、イエス様が十字架にかかられたことを記念する日です。つまりその次の日曜日27日がイースターです。今日から3回、イエス様の十字架を思いみていきたいと思います。

Ⅰ.殺害に燃える心
A.イエス様を取り巻く三種類の人々
1.イエス様を殺してしまおうと考えている人たちがいる中、一人の女性が不思議な行動をとりました。弟子たちはこの女性の行動をバカにしています。
2.ここにイエス様を殺そうと企む人々と、イエス様を信じる気持ちに揺らぎを持ち始めた弟子たちと、イエス様を愛する余りイエス様の危機を感じた女性が登場します。

B.逃げもしないイエス様
1.この話の前を見ますと、26:2 「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」 と、イエス様はご自分が十字架につけられることを予言されています。事実、ユダヤ人の指導者達の間では、その殺害計画を立てていました。その計画に加担してしまったのがユダです。
2.こういう恐ろしい話が進んでいる中、しかも、イエス様ご自身殺されることがわかっていらっしゃって、逃げもせず、エルサレムにほど近いベタニヤにおられました。それは殺される前の羊の姿でした。

C.殺害理由
1.なぜ、ユダヤの指導者ともあろう知識人、知恵者がイエス様を殺そうとしていたのでしょうか? 彼らは自分の知識に信頼し過ぎ、真実がわからなくなっていました。つまり、聖書を通して語られている神様の愛の言葉が聞こえなくなっていたのです。
2.そのため、イエス様が人となってくださった神の子だとはわからず、異端者として迫害したのです。しかし、どんどんイエス様に人々がなびくためにそのイエス様に対して、ねたみが膨れあがっていったのです。そのねたみは真実を追究する気持ちも消し去り、イエス様を亡き者にしたいという恐ろしい気持ちだけを燃えたたせました。

Ⅱ.イエス様の危機を感じる心
A.無駄と思える行為
1.殺害計画が着々と進んでいる中、一人の女性が高価な香油の入った石膏のつぼを持ってきました。そして、イエス様の頭に注ぎました。油を注ぐという行為は乾燥地帯のこういう国々では来客に対してするしもべの行為でした。足を洗うというのも同じく、足がホコリまみれになっているのでそれを洗ってあげる礼儀です。
2.ただ、この女のした問題点は高価な香油を使ったことでした。この行為を弟子たちは「何と無駄な行為」と言っています。ヨハネの福音書ではそれを言ったのはユダであるともされています。

B.愛から出てくる行動
1.この女性はなぜこんな無駄なことをしたのでしょうか? 現実的に考えれば、確かに普通のオリーブ油などで良かったかも知れないのに、彼女は自分のとても大事な宝物のような香油をイエス様に注いだのです。
2.弟子たちは この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに と言ったのは、貧しい人、弱い人のことを思うイエス様なら同じ事を言うだろうと弟子たちは思ったからでしょう。それが常識的な考えです。
3.しかし、宗教というのは時としてそういう一般常識から外れることがあります(ただ、常識はずれという、人を苦しめたり、殺したりするようなそういう常識はずれではありません)。彼女はイエス様を愛する気持ちからこのような行動へとなったのです。

Ⅲ.神様の気持ちをくみ取る心
A.イエス様は見抜いておられる
1.弟子たちが無駄なことと言っていますが、イエス様は彼女の行いを喜ばれました。立派なことをしてくれたとさえ言われます。なぜでしょうか? それはイエス様が彼女の気持ちを理解されたからです。
2.イエス様は全ての人の心を見抜いておられます。だから、裏切るユダの事もわかっておられました。自分を捕らえるためにやってくる人々のこともわかっておられました。私たちの事もわかっておられるイエス様です。
3.この女性は、この後イエス様がどうなるのか詳しいことはわかっていませんが、危機的状況を感じとり、イエス様に何とかしてあげたいという思いが満ちていました。全部イエス様は分かっておられました。

B.気持ちのわかる人、わからない人
1.イエス様は確実に十字架に向かって進んでおられました。一方で、そのイエス様を殺そうとして計画を進めている人々、また、そんなこともわからず勝手にイエス様が王となられること、その王国で自分たちはどんな地位に着けるかなどと考えている弟子たち。誰もイエス様のお気持ちを理解していません。
2.では、この女性はイエス様の気持ちを理解できたのでしょうか?いえ、理解できていないと思います。しかし、頭の理解を超えた心の分野があるではないですか。日本人は「虫の知らせ」とか、くしゃみをすれば「誰かが噂している」とか。いえ、もっと深いところで、「何かある!」と直感的に感じるものです。

C.心と知性
1.イエス様が彼女の行いを喜ばれたのは、彼女のイエス様に対する気持ちです。行いそのものではありません。きっと彼女もイエス様が十字架で死ぬことになるとは思っていなかったと思うのです。ところが、何か「虫の知らせ」があったのではないでしょうか?
2.信仰という世界はこの「心に迫る思い」が大きいのです。しかし、これはやはり「思い」に過ぎませんので、時として行き過ぎたり、勘違いしたりします。知性における判断もとても大事なのです。
3.とは言え、イエス様を思う心か、疑う心か、嫌う心か、そういうことは全部イエス様にはわかっていることです。イエス様は私たちの事を愛しておられます。私たちも愛をもってイエス様を思うことができたらと思います。

● 本日は復興記念礼拝として鮎沢浩保兄より最近の状況を報告していただきました。2011年3月11日、日本は大きな難を受けました。しかし、今、多くの方々によって復興してきています。受難だけで終わらせたくないのです。神様は私たちにも受難だけで終わらせたくないお方。イエス様が受難から復活されたのは私たちにとっても大きな希望です。

★ 受難日を前にして、いや、再臨を前にして、私たちはイエス様のことをどのように思うのでしょか? 「主よ、来てください」という、心に迫る思いはあるでしょうか?

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